強大で醜悪な魔獣がブルを吹き飛ばす。
吹き飛ばされるもなんとか体制を整え着地するが、既にブルは満身創痍。
膝をつき、荒い息を吐くブルの後ろには傷だらけで倒れ込むルサルナ、クレアとアメリア。
そして膝をつくブルにとどめを刺さんと迫りくる魔獣。
絶体絶命かと思われたその時、ブルの前に颯爽と姿を表す小さな影。
「これいじょうみんなにはてをださせない!」
小さな影、その正体はウルだ。
ウルが迫りくる魔獣に手を翳すと、嵐のような風が吹く。
暴風に体勢を崩され、隙を晒す魔獣。
続いてウルが天を指差すと、降り注ぐ氷と雷の雨。
鋭い氷は魔獣を穿ち、雷は巨大な体を駆け回り焼き尽くす。
そのあまりの激しさに、いくら強大な魔獣といえどひとたまりもない。
倒れ伏す魔獣。
いつの間にか起き上がりウルを褒め称えるブル達。
鼻高々なウルに届くなんとも芳しい香り。
気づけば強大な魔獣はご馳走の山になっている。
傷一つないブルがウルを優しく抱き上げる。
「ウル、朝飯出来たみたいだぞ?」
「やっぱり昨日は疲れちゃったのかしら」
「ウルちゃん!ご飯だよ!」
「ごはん!……あれ?」
ウルは思った。
なんかおかしい、と。
そう思ったウルの耳に届く、ちょっと意地悪な声。
それはウルには看過できない言葉だった。
「ウルが起きないならー…ウルの分も私が全部食べちゃおっかなー?」
「だ、だめっ!」
ウルがはっと顔を上げる。
目は半開きで、口元からはよだれ。
「あ、起きた」
「くふふ…やっぱウルにはこの手に限るねー」
ウルを覗き込む、ウルにとって意地悪だけど優しい姉と、小うるさいけど明るく元気な姉。
それに優しく頭を撫でてくる、母のように思う人。
小うるさい姉が優しくウルの口元を拭く。
寝ぼけてされるがままのウルは、ふわふわと現実味のない感覚に身を任せている。
そんな感覚の中でも、はっきりと分かるもの。
それはいつも
ウルが何より安心するいつもの匂い、いつもの温もり。
「ぅ…ぁれ?…まじゅー…ぼーけん…ごはん…」
「ふふ、昨日のお話のせいかしら?」
「愛らしすぎる…天使か…?」
「ぅぅ…ごはんどこ…?」
ブルの腕の中でご飯を催促しながら丸まるウルに皆が笑う。
「ご飯強すぎでしょ」
「昨日あんなに食べたのにね」
「尊すぎる…やはり天使…」
「はいはい天使天使。さ、天使の催促もあるし行きましょ?」
「うみゅぅ……」
誰よりも不思議な出会いに満ちたウルの朝は、誰よりも愛されながら始まる。
ブル達が姿を見せると、老人達は思わず笑顔になった。
「おや…随分とまぁ可愛らしいねぼすけだね」
「大丈夫か?ちびすけの飯は取っとくか?」
「いや、大丈夫だ。こんなにも可愛いからな」
「お前の頭は大丈夫じゃなさそうだな」
「あんた言葉も不自由になったのかい?」
その笑顔はたった一度のやり取りで消え失せたが。
浮かぶ表情はなんとも形容し難い。
慣れすぎたルサルナはそのやり取りを流しそうになるものの、すんでのところで踏みとどまる。
「あ、その…よくあることなんです。この子、寝ぼけててもしっかり食べますし、大体食べる直前には起きますから」
「あ、あぁそうかい。ありがとうね、この馬鹿見ないうちに会話まで不自由になっちまって…」
「いえ!正直ちょっと…私達が慣れたせいか甘えているのもあるかと…」
「あまえ…甘え…?」
「最近の言葉か何かか…?」
昔を知る老人達には信じがたい言葉。
あまりの衝撃に老婆は言葉の意味を飲み込めず、老爺は若者言葉かと疑いを持つ。
「嘘、そこまでなの…昔のブルっていったい…?」
「なんかもう…人型の獣か何かだったんじゃ…」
老人達の様子にもはや恐れを感じるルサルナとアメリア。
無理もないだろう。
初見では既に概ね人だったのだ。
クレアが納得いったとばかりに手のひらを打つ。
「やっぱり昔は魔獣か何かだったんだよ。人を羨むあまりにいつしか言葉を覚え、人の形になり…」
「なるほど、面白い話だな。で、誰が魔獣か何かなんだ?」
クレアの頭にふわりと乗せられる大きな手のひら。
叩くわけでも、揺らすわけでもなく優しく乗せられた手は、しかしながら徐々に重みを増していく。
「あ、あはっ、やだなーそんな感じの絵本があったようなあああ!縮む!縮んじゃう!?」
「体型的に丁度良くなるんじゃねぇか?」
「あ゛!?胸か!?胸に相応しい身長ってこと!?おのれ乙女の禁忌にずかずかとぉ!!」
「お?なんだじゃらしてほしいのか?仕方ねぇなぁ、遊んでやるよ」
「埋まるか、もしくはぶち込まれるか…どっちが好きかしら?」
ルサルナの言葉に、じゃれていたのが嘘のように静まる二人。
無音の空間にウルの小さな唸り声だけが響く。
二人は僅かに動きを止めた後、すっと視線を合わせ、すすっと服装を整え、すすすっとお行儀よく着席した。
まるで躾を済ませた獣のようにブルを一言で操る姿に老人達は感心している。
先程のやり取りは処理しきれず記憶の片隅に追いやったらしい。
アメリアも巻き込まれないよう大人しく着席している。
寝ぼけたままブルに抱えられているウルがふらふらと料理に手を伸ばす。
「あはは…すいませんお待たせして。食べましょうか」
「これも旨いな…ほらウル」
「んぐんぐ…んまぃ」
「ウルちゃん、こっちも美味しいよ?はいあーん」
「あー」
流れるように甘やかされるウル。
その姿はなんとも堂に入っている。
「なんというか…少し甘やかしすぎじゃないか?」
「困ったことに甘え上手で…大体自分でやるんですけどね」
その甘やかしっぷりに微笑ましくも心配になる老婆が声をかける。
それに困り顔でルサルナが答えるも、その手は淀みなくウルのお世話に動いている。
普段から結局甘やかしてあることがよく分かる動きである。
「おい黒髪の…あー…クレア、だったか?お前は甘やかさなくていいのか?」
「私はたまにでいいから。そういうのに関しては私、結構まともなの」
耳を疑うような言葉ではあるが、それは事実である。
都市リロイでは誰にでも噛み付く“狂犬”と名高かったクレアであるが、子供には大層優しかった。
優しい、といってもただ甘やかすのではない。
甘やかす以外の優しさがある。
妹分や弟分に限らず、目につく子供に怪我することも、させることも厭わず─勿論取り返しのつく程度─生き残る術を教え、様々な知識を教えこんでいた。
ウルだって常日頃から、誰かと一緒にいれるとは限らない。
余計そうな知識であってもそこから何か閃くこともある。
ウルに悪いことや変な知識を教えているのもその一環である。
心の底から楽しんでいることには変わらないが。
老爺は美味しそうに料理を頬張るクレアを感心した様子で見る。
「お前ら皆似た者かと思ったが…案外考えとるんだな」
「普通だよ、私は。ただ、普通なだけ」
「その顔…お前…」
ほんの少し寂しそうに話すクレア。
その姿に老爺は、なんだか無性に腹がたった。
その表情をする者を、老爺はよく知っている。
自らの磨き方も分からずに、自分より光る原石を羨み燻る顔だ。
己はそれらより輝けないのだと諦めかけている、そんな顔だ。
ようやく歩き始めた赤子、未だ殻を払いきれていない雛鳥如きが。
歳を取り、いよいよ終点に近づいていることを自覚している老爺には、それは我慢出来ないことだった。
どんっ、と机を叩き立ち上がる。
鋭い視線をクレアに向けて。
驚きで目を白黒させるウルとアメリア。
何事かと僅かに構えるブルとルサルナ。
長年の付き合いから飛び出す言葉を察し、笑みを零す老婆。
「我慢ならん!自分は飛べないと甘えたことをほざく雛鳥が!誰かばかりを羨み自分を蔑む小娘が!」
「な、何さいきなり…」
狼狽えるクレアに老爺は詰め寄り、続ける。
「儂はなぁ、小娘。儂は詳しいんだ」
「馬鹿なガキでも、無駄に賢しいガキでも…その扱い方を儂はよぉく知っておる」
「表に出ろ小娘…!腐りかけたその心根に活を入れてやる…!」