「この!離せ!離せってば!」
後ろ襟を掴まれずるずると引きずられて行くクレア。
じたばたと暴れるも、老爺の巧みな位置取りにより振り回す手足は空振り、姿勢もたちまちに崩されるのみ。
逃げるためにはあまりにも経験値が足らなかった。
爺婆からは逃げられない。
あわあわするウルとアメリア。
がちゃ、ばん、と扉を開閉する大きな音が聞こえてくる。
「に、にぃ…おじいちゃんすごくおこってた…?」
ウルがブルを見上げ小声で聞く。
ブルは神妙な顔つき。
「ウル、あの爺さんはな…本当に怒ったときはまず拳なんだ。その後…その後は…あ…あ、ああぁ…!」
「すごいふるえてる!?」
思い出してはいけないものを思い出したブルが震える。
膝の上のウルも巻き添えにして。
「ぅぁぁぁ…!」
「あわわわわ」
恐ろしさと微笑ましさが両立する、稀有な光景である。
その光景に暫し目を奪われていたルサルナだったが、はっとしたように首を振り立ち上がる。
「…ちょっと見てきます」
ブルの言葉が本当なら、ぶち切れてはいない。
例えぶち切れていても、老成円熟であろう老爺のこと。
痛めつけられども不幸な事故は起きないだろうと、ルサルナは信じている。
ブルの様子を見て不安が湧き上がっているが、それはさておき。
そんなことよりも悩んでいたらしいクレアのことだ。
老爺は短い間にその悩みを看破したのだろう。
それは長い人生での経験もあるだろうが、一緒にいながらも気付けなかった、そんな悔やみがルサルナにはあった。
思い返せば思い当たる節はある。
手合わせの数が減っていたり、新たな武器の調達や毒の研究。
度々目にするブルの圧倒的な力やウルの留まるところを知らない成長。
実力が伸び悩んでいるクレアにとって、かけ離れた強さや自分より小さな子の成長は毒になったのだろう。
だからこそ新たな戦闘方法であったり、実力に関係のない毒薬へ目をつけたのだろう。
今更動いたところで遅いかもしれない。
しかし動かないという選択はルサルナにはなかった。
未だあわあわしているアメリアも慌てて追従していく。
老婆はその姿を眩しそうに見送り、続いてものすごく震えているブルに呆れた目を向けた。
「皆行ったが、あんたはどうすんだい?」
「………」
「あうあうあ」
ブルからの返答はなく、ただ震えるのみ。
老婆はわざとらしい、大きなため息を吐く。
「十数年の前に叩きのめされこと、びびってんのかい?」
「……」
「ああああー…?とまっちゃった…」
老婆の言葉に震えが止まる。
不気味なほどに静まるブル。
楽しみ始めたウルは少し残念そう。
「まぁ何百何千と泥に塗れりゃ染み込むか。最後にゃ負け惜しみ吐き捨てて逃げ出してさ」
「十…数年…」
「にぃ…?」
ゆっくりと老婆へ顔を向けるブル。
その目に映るのは深く皺が刻まれた老婆の顔。
ウルが不思議そうにブルを見ている。
「言い返す言葉が浮かんだかい?」
「いや…」
ブルの視線が動く。
老婆の顔から頭へ、机に乗せられた手に。
髪は艶がなく銀と言うには白っぽく、肌はどこも水気を失い深い皺が走っている。
遠い遠い朧気な記憶の中では、まだ髪は艶のある銀髪で、皺はあったがもう少し少なかった。
この時、ブルはようやく目の前の“老婆”を見た。
「なぁ、婆さん」
「なんだい?」
「年…取ったな」
「はぁ?…は…ふふ、ふはは!今更実感が湧いたのかい?あたしゃもう自分の棺桶も準備済みさね」
ブルの言葉に目を丸くし、それから堪えられないと笑い出す老婆。
笑う老婆につられるように、ブルの口元が僅かに緩む。
なんだかいつもと違うブルの笑顔に、ウルが思わず手を伸ばしている。
「ふっ…婆さんが入る前に棺桶が寿命を迎えそうだ」
「くくっ、違いない!あんたらの尻が青いうちはおちおち眠ることも出来やしないからね」
「はっ、言ってろ」
ぺたぺたと触るウルの手を優しく取り、抱きかかえて立ち上がる。
「…行く気になったかい?」
「あぁ」
まだ不思議そうに見上げるウルの頭を一撫で。
「クレアの“今”を見届ける。後は…そうだな…」
「後は…なんだい?」
老婆が面白そうにブルを見やる。
「世代交代だ、婆さん。あんたと爺さんが棺桶で安眠出来るように」
∇
家の裏手に引きずり出されたクレアは、その直後にぶん投げられていた。
廻る視界の中、器用に体勢を整え着地する。
湧き上がる怒りに身を任せ、仁王立ちする老爺を睨みつける。
今にも飛びかかってきそうなクレアを前に老爺は…構えない。
正面でも側面でも、後方や頭上でも、どこをどう見ても隙だらけな自然体でクレアを見据えている。
それはお前如き大したものではないと言うような姿。
腕を組んで見下ろすそれは、言葉ではなく態度で挑発する姿。
「あはっ…」
クレアの目の色が変わる。
腕に装備した機械弓を開き、メイスを掴もうとして空振る。
(そういえばメイスと短剣は置いたままだっけ。)
閉じていた外套を開く。
内側には夥しい数の投げナイフ。
それを手に取り、ついでに縫い付けた袋から硬貨を取り出し──投げた。
「あげるよ、お爺ちゃん。三途の渡し賃は必要でしょ?」
ふわりと飛ぶ硬貨を目で追う老爺。
その腕が霞むような速度で振られる。
振り終わったその手には、指に挟まれるように投げナイフが
防がれたことに舌打ちをするクレア。
「視線を誘導し、本命を通す。万一防がれた時には一本目の影に仕込んだ二本目で、か」
硬貨が落ちる。
老爺がナイフを捨て、両拳を打ち付ける。
「さぁ嫌ならもっと駄々を捏ねてみろ。馬鹿にも賢しいのにも、活を入れるには
「やってみろ…!死に損ないの老いぼれめ…!」
「これは…すごいわね…」
クレア達を追い、裏手に出たルサルナとアメリア。
その眼前に広がる景色は、まるで嵐だった。
「ぴえっ!?」
こん、と小気味良い音。
アメリアの足元から鳴った音の正体は、クレアの投げナイフである。
錆びた道具のような動きでルサルナの影に退避するアメリア。
さり気なくルサルナを盾にする形だが、ルサルナは二人の攻防に目を奪われている。
縦横無尽に駆け回り、飛び道具や魔法、時に直接と暴れ回るクレア。
暴風のような攻勢の中、僅かな動きで捌き距離を詰める老爺。
しかしその攻防は長くは続きそうにもない。
駆け回るクレアと老爺の距離が、見るからに縮まっているのだ。
老爺の足は決して速くはなく、力強いわけでもない。
ただひたすらに巧く、そして
「見事なり。その動き、判断、魔法。何より見えぬ風を刃とするその発想力。だが…」
老爺が拳を後ろに引く。
危険を感じたクレアが形振り構わない投擲を行う。
「それは何十年も前に通り過ぎた」
数十のナイフが迫る中、老爺は軽く拳を突き出した。
飛来するナイフが不自然に軌道を変える。
まるでクレアまでの道を作るように。
「あっ…」
クレアには見えた。
高速で迫りくる不可視の風の拳が。
それが自分の腹にめり込んでいく様も。
「がっ…!あぐ、ぅ…ごほっ…」
鈍い音とともにクレアの体がくの字に曲がる。
そしてそのまま崩れ落ち、立ち上がることは出来ず、ただ嘔吐することしか出来ない。
「クレアっ!あ、ぐぇっ…」
アメリアが悲鳴を上げる。
堪らず駆け出したが、一歩踏み出したところで窪みに足を取られ、見惚れるほどの見事な転倒をかましていた。
「な、何でこんなとこに穴が…」
「ふふ、もう少し我慢しな」
窪みを作った犯人は、いつの間にか現れていた老婆。
ルサルナの肩に手を置き、そちらの動きも封じている。
「はなしてにぃ!おじいちゃんぶっとばすんだから!」
「どうどう、ウル、後で好きなだけやっていいから」
隣にはこれまたいつの間にか現れていたブル。
クレアのもとへ行こうとじたばたするウルを抱きかかえている。
吐き出すものもなくなり、えづくクレアに老爺が近づく。
「なんだ、一発でか。昔の小僧でも五発は耐えていたぞ?」
「お兄、さんと…ぅ…はぁ…一緒にしないで…」
「確かにアレは力と耐久に特化しておるが、お前も負けては」
「煩い!物知り顔で何を、私の何を知ってるのよ!」
「私は…お兄さんみたいに力はないし、速くもない」
「ルナ姉みたいに魔法も出来ない」
「ウルみたいに成長出来ない」
「だから、戦い方も考えて…戦い以外でも、役に立つこと考えて…私は…」
クレアの声に湿り気が交じった。
「…あれ?私は?」
「小娘、今良いとこだから黙んな」