ここ数日、ウルは黙々とお勉強や稽古を受けている。
当初はお話お話とねだりにねだっていたウルが、こうも真面目にしていることには理由がある。
老人達からちょいとばかりお叱りを受けたのだ。
真面目に勉強や稽古を受けなければ話はしない、と。
賢いウルはそれを聞いた途端、澄ました顔で真面目に取り組み始めたのだ。
聞き分けの良い姿にブルは大いに感動した。
ルサルナやクレア、アメリアは思わず笑った。
老人達はほんのちょっと呆れた。
ブル以外、思うことは同じ。
なんとちょろいのだろうか、と。
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なんだかいつもよりぼろぼろな少年が、黙々と掃除をしている。
意外にもそれなりに丁寧で、力任せに何かを壊すことはない。
最初は少しばかりはらはらしていた老婆もにっこりである。
隣ではぐったりとした老爺が灰になりかけている。
「この儂に掛かればちょろいもんよ…」
「満身創痍で何を言ってんだい、たくっ」
満身創痍と言っても体ではない。
いや、体も疲労でぼろぼろなのだが、主に精神的なものである。
飯も食えないほどにぼこぼこにしたはずの少年だったが、少年は恐ろしい程の意地をもってお代わりを敢行し、完全喫食を果たしていた。
そうして迂闊な事を口にした老爺に迫ったのだ。
腹拵えに勝負だと。
勿論のこと、老爺は改めて少年をぼこぼこにした。
今度こそは飯を食えなくしてやる、と。
しかし少年の意地と耐久力はそんな老爺の思惑を軽々と超えていった。
幾度ずたぼろにしても、食いきれない程山盛りの飯を用意しようとも、少年は耐え、全てを食らい尽くした。
そうして一食を食らうたび、痩せた体に肉が付き、肉が付いた分耐久と食事量が増し、比例するように力と速度も増すという、常識に喧嘩を安売りする化け物が出来上がっていた。
そしてそんなことを繰り返す度に少しずつ伸びる勝負の時間。
少年の耐久力が増していることだけが原因ではない。
少年の動きに技術が混ざり始めたことも一因であった。
僅かずつ、しかし確実に強くなる少年に老人達は危機感を抱いた。
このままでは短期間のうちに自分達を超え、常識の欠片もないやばいものが世に解き放たれてしまう、と。
無茶を押し通して引き取った結果、世に混乱を齎すかもしれないことは老人達も本意ではない。
なんとかしなくては。
そんな事を考える老人達に浮かぶ妙案。
“飯の代わりに他のことをさせればいいんじゃないか?”
それを実行したのは、少年が動き始めてから一月以上経ってからのこと。
意地でも飯を食う少年に、同じく意地を張った老爺が折れるまでの期間だった。
まぁ心が折れようとも強いものは強い。
なんとか少年をぼこぼこにして、老爺は言った。
「小僧、お前に足りないものは何か分かるか?」
「強さ」
「違う、そうじゃない…そう言うと思ったが…」
地に伏せながら食い気味に返答する少年。
老爺は既に疲れ果て、若干おざなりな返答である。
「お前に足りないものは、ここと…ここにある」
そう言いながら頭と胸を指す老爺。
少年は首を傾げ、それからはっと何かに気づいたような顔。
「つまり…頭突きも使えということと、胸の筋肉が足りな」
言い切る前に少年がくの字になって吹き飛ぶ。
少年がいた位置には、足を振り上げた老爺の姿。
老爺はそのまま転がっていく少年に飛びかかり、馬乗りの姿勢へ。
「知能も!常識も!理性も!道徳も!獣としての強さ以外!お前は何もかも!足らんのだ!!」
一言ごとに拳を叩き込む老爺。
疲れ果てた人というのは、大抵の場合怒りも湧かないものである。
何故なら怒りというものは多大な体力を使うために。
が、時に爆発させる人もいる。
それが老爺だった。
この老爺の豹変と嵐のような暴力は、少年に僅かながら恐れを芽生えさせるのに充分な程に苛烈なものであった。
程なくして少年の抵抗が途絶える。
それを見て、いきなりの爆発に呆気に取られていた老婆が慌てて動く。
「ま、待ちな!それ以上は本当に洒落にならないよ!?」
「うるせぇ!!どうせけろっとした顔で起き上がるだろうがよ!!」
「この…落ち着けって言ってんだよ!!」
「おぅふ」
老婆が手に持つ杖を渾身の力で振り下ろす。
普段であれば躱すか、掴まれるか何かしらの方法で防がれるその一撃は、怒りで周りが見えない老爺には致命的なものだった。
ぎょっとするような音が響き、老爺がぽてりと倒れ込む。
老婆は倒れ込んだ老爺を脇に蹴り飛ばしてから、少年に息があるか確認し、ほっと安堵の息を吐く。
腫れ上がり見るも無惨な見た目ながら、息はしっかりとある。
老婆は一度伸びをし、それから手当てのため少年を家へ引きずっていった。
老爺は当然ながら放置である。
少年が目を開ける。
がばりと起き上がった少年は辺りを見渡し、編み物をしている老婆とぐったりとした老爺を見て飛び上がった。
普段ならば睡眠と飯時以外勝負勝負と宣うのだが、なんだか様子がおかしい。
そろりそろりとゆっくり距離を取っている。
警戒する猫のような動きに老婆は笑いを堪えられない。
老爺は笑う気力もないらしい。
「小僧、飯が食えたら、なんて言っていたが…飯の代わりに他のことをやってもらう。それがちゃんと出来たら、勝負を受けてやる。いいな?」
「……」
返事はないが、こくりと頷く少年。
素直に受け入れる少年に、少し首を傾げつつ老人達はほっと息をついた。
素直な理由は簡単なものである。
端的に言うとびびっているのだ。
少年はあまりの気迫と暴力の雨に晒され怖気づいていたのだ。
勝負と飯、睡眠で完結していた少年の日常が終わり、それらに勉強であったり、掃除などの奉仕活動が組み込まれた。
それらがどのような影響を齎すのか、このときの老人達はまだ知らない。
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「やーん!お兄さんびびっちゃって可愛いー!あはっあはははんぐっ!?」
大口を開けて笑うクレアに投げられるもの。それは饅頭。
ブルの精密な動きにより投げ込まれたそれは、見事にクレアの喉を詰まらせた。
びちびちと暴れ転げ回るクレアを、あわあわしながらアメリアが助け起こしている。
ウルはまたクレアのびちびちが見られてなんだか嬉しげ。
「あのときああしていたのは…まぁ正解だったのかね…」
「今更な話だがな…」
「いえ、きっと正解だったんだと思います。でなければウルも私も、クレアやアメリアだって、出会うことはなかったはずですから」
なんとか饅頭を飲み込んだクレアがブルに文句を言うのを眺めながら、ルサルナが言う。
その表情はまるで、全てを包み込むかのような優しさに満ちている。
「…そうかい」
「それなら…良かった」
その表情を見た老人達がどのような顔をしたのか、それは当人達だけが知る。
一つ確かなことは、また今日も騒がしく一日が終わることだけである。