今まさに投石しようとしていたブルがゆるりと振り返る。
その先に佇むは、不敵な笑みを浮かべた老爺。
しばし動きを止めたブルだが、やがてその手を握り込む。
手に持っていた石が、まるで最初からそうであったように砂となり、指の間から零れ落ちる。
「ぉ、ぉお…ぉああぁぁ!!」
雄叫びがあがる。
いい運動相手を見つけたからか、それとも己を鼓舞するためか。
その姿、まるで獣。
理性はありそうですか?
いいえ。理性は恐らく、ウルにくっついて行ったに違いない。
獣が進撃を開始し、迎え撃つは一人の老人。
一歩ごと、地を割り裂くような強烈な踏み込みから、全てを押し潰すような振り下ろし。
踏み込み一つ取っても、当たれば終わりになるような苛烈な攻撃だが、全身に力を込め過ぎているのだろう、いかんせん動きが硬く、鈍い。
もしくは理性の残り滓が手心を残しているのだろうか。
どちらにせよ、そんな動きは老爺にとって児戯に等しい。
薙ぎ払いも、振り下ろしも、柳のように揺れる老爺に掠りもせず、反対に老爺の反撃は面白いほどに当たっていく。
相手の勢いも逆手に取る老爺の打撃は強烈である。
少年時代のブルなら、何度か受ければ膝を着くほどに。
が、しかし。
いくら受けようとも今のブルは小揺るぎもしない。
一回り、二回りも筋肉を膨張させたブルは、言うなれば防御形態。
速度と人としての何かを犠牲に、防御力と耐久力を得ているのだ。
老爺はその手応えに少し驚きつつ、まぁこいつだしなと謎の納得。
老爺は思う。
凄まじい防御力だが、恐らく体力の消耗は激しいはず。
無駄に全身に力を込めているのだ。
このままのらりくらりと避けていれば勝手に力尽きるだろう、と。
「さぁて…運動させてやるのもいいが、儂の運動にも付き合ってもらわんと、な!」
振り回される金棒を掻い潜り、鳩尾へ一撃。
───揺るぎなし。
振り切った一瞬を狙い、がら空きの脇腹。
───揺るぎなし。
振り下ろしの横をすり抜け大腿へと渾身の蹴り。
───揺るぎなし。
ならば、と金棒を握る指へと拳を叩きつける。
───損傷なし。
ふっ…と、老爺が思わず笑う。
「そこはもう筋肉関係ないだろ…」
鳩尾と足は納得出来る。
脇腹もちょっと悩むが、まぁ分かる。
指はちょっとおかしいだろ、と老爺は思った。
これは打撃でどうにかなる存在なのだろうか。
いや、まだやりようはある。
狙いは顔、それも顎へ横からの一撃。
いくら頑丈でもとりあえずは人類。
人類ならば頭を揺らされれば、一時的にでも動きは止まる。
止まらなければ、それはそれ。
止まれば後はお楽しみである。
連撃をまた潜り抜け、流れるように一回転。
流麗な動きから繰り出されるのは、高速の裏拳。
ごっ、と音がなり、ブルの顔が勢いよく傾く。
一瞬停滞し、ぐらつく身体。
なんとか踏み止まったブルが次に見たのは、目と鼻の先まで迫った老爺の拳だった。
「しゃあ!見たかこの筋肉だるまめ!ただの力など技術の前にひれ伏すだけだ!」
めちゃくちゃに嬉しそうな老爺が叫ぶ。
その前には、なんか萎んで大の字に倒れたブル。
実はこの老爺、ブルに轢き逃げされ続けたことを根に持っていた。
というよりも、昔話をしていくうちにその気持ちが蘇ったのだ。
そして今回、筋力を全面に押し出したブルを見て爆発。
雪辱戦を果たしたことで気分は上々である。
「く…くくっ、」
にっこにこで小躍りしそうな老爺に、くつくつと笑う声が聞こえる。
出処はもちろん、倒れ伏すブル。
「思い出した、思い出したぜ爺さん…」
ゆっくりとブルの上体が起き上がっていく。
「あの時、あんたらから離れた後、あんたらと違って魔獣も、人も、何もかも弱くて、脆かった」
「最初はまぁ良かった。そうだ、元はあれの練習だったからな。けどよ…」
ざりっ、と地面を擦る音が鳴る。
「あんたらと違って、反応出来る奴はいなかった。どっかの、喧嘩売ってきた奴は耐えていたが、結局反応も出来ずに受けるだけだった」
「つまらなかったよ。まるで一人遊びだ」
片膝を付き、顔を上げるブルの表情に、笑み。
「だから出来るだけ
「それでも足りなかった。そこまでしても足りなかった。けどまぁ、やらないよりマシだとやり続けて、抑えていることに馴染んで忘れちまってたよ」
ブルが立ち上がる。
ふらつきもなく、堂々と。
膨張した筋肉は戻り、瞳には理性的な光が灯る。
金棒を地面に突き刺し、構えるは拳。
「運動、しようぜ。こんなに体が軽いのは久しぶりだ」
「…小僧が。抜かしおって」
老爺も悪態をつきながら構える。
口元に笑みを浮かべながら。
二人の間に、ぴんと張り詰めた空気が漂う。
ぃゃぁぁぁぁ
離れた位置で、老婆がそれに真剣な眼差しを向け、ルサルナが固唾を呑み、ウルが格好良いときゃっきゃとはしゃいで見ている。
「あ…くぅねぇとりあねぇ」
だからだろうか。
真剣に見守る二人ではなく、ウルが真っ先にそれに気づいたのは。
何人も立ち入れない空気を漂わせる、ブルと老爺へ向けて高速で飛来する小さな姿。
「いやっほー!!殴り込みだぁ!!」
「ブルさぁぁん!!助けてぇぇ!!」
制御不能の悪戯娘、クレア。
不本意ながら制御不能の暴走娘、アメリア。
文字通りの飛び入り参加である。