翌日、起きた途端に直感からの警報が鳴り響くブルは、冷や汗を流しながらもウルを起こしていた。
そして、最近少なくなった甘え全開のウルの行動に直感を全て捨て去っていた。
「よしよし…俺が全部やってやるからな…」
「うみ、む…みゅぅ」
最近のウルは朝の支度は自分ですることが増えていた。
しかし今日は起こしたらブルに向けて手を広げ、抱っこの催促をしたのだ。
ブルは刹那すらも長いと思える時間で陥落した。
ウルの腕が伸びきる前に抱き上げ、ついでに頬ずりして朝の支度に取り掛かった。
と言っても、ルサルナも同じくらいに起きるため、準備は大抵ルサルナがやっている。
ルサルナから水桶と手拭いを受け取り、ウルの顔を拭く。
恐ろしく丁寧な手付き。
これなら繊細な彫刻でも完璧に磨き上げられるだろう。
ぴかぴかに顔を磨かれてもウルはちょっと眠たいふり。
そのままブルの腕の中で丸まっている。
これは…甘えの姿勢…!
ブルは思う。
最近はご飯を食べさせることもない。
もしや今、またとない好機なのでは?と。
弾むように部屋から出るブルを、呆れた目で見ながらルサルナも追いかけた。
ブルは完全に、起きたとき直感で感じた警報を忘れ去っていた。
ウルを愛でながら降りてきたブルにかけられる元気な声。
「お兄さん!おはよぉ!」
あ、駄目な気がする。
ブルは思った。そして諦めた。
ウルのあまりの可愛さにやられて忘れていた。
ルサルナから圧を感じる…
振り向けない、足が前に出ない。
石像のごとく固まったブルを突っつくウル。
それを横目にルサルナは少女の前の席に座る。
「あらあらおはよう、悪い虫さん?」
「あ、いたんだ。おはよぉ、怖ぁいお姉さん?」
うふふ、あははと笑う二人は絵になるほど可憐であった。
どちらも目は笑っていないが。
突っつかれるブルが再起動を果たす。
そろりそろりとルサルナの横に座る。
この男、椅子を引く動作でさえ音を立てていない。
いつもの豪快な様子は微塵もない。
ウルを膝の上に置き抱きしめる様子は、ただ哀れみを誘う姿であった。
「お兄さん、会いに来ちゃった!」
「は、ははっ…そうかぁ…」
ルサルナの目が細まる。
ブルの背中は冷たい汗で濡れている。
「ねっ嬉しい?私はお兄さんに会えて嬉しいなぁ」
「ははは…」
「楽しいお喋りの途中ごめんなさいね?食事を頼みましょう?」
「おなかへったー」
「お、おう!そうだな!腹減ったなぁ!」
やたらギスギスした朝である。
周りも宿屋の主人も決して目を向けないようにしている。
新手の営業妨害かもしれない。
「ごはんがおいしくなくなっちゃう」
ウルの一言にはっとするルサルナ。
確かに大人気なかった。
ウルを優しく撫で謝っている。
ホッとするブル。
面白くなさそうな少女。
「そういや、お前何て言うんだ?名前も聞いてねぇ」
「そういえばそうね…私はルサルナ。この子はウル。そっちがブルよ」
「ふーん、ご丁寧ねぇ。私はクレア、よろしくねー」
「おう」
「クレア?聞いたことあるわね…」
「思い出せないなら良いじゃない。ほら、ご飯もきたよ」
「ごはん!」
手早く並べられる料理に、目を輝かせるウル。
しかし食べない。
ウルはブルと料理を交互に見てよだれを垂らしかけている。
思わず笑みを浮かべながらウルの口元へ料理を運ぶブル。
逃避するのにも最高の選択だった。
「あー…んむ」
「いっぱい食べるんだぞ」
微笑ましい光景の隣にはルサルナとクレア。
二人の間に流れる空気はどうか。
「で、なんでここに?」
「お兄さんに会いたかったから」
「建前は要らないのよ」
やはり良くない。
視線がかち合えば火花が飛んでいるようにも見える。
「はぁ…腕試しというか、稽古かな?つけてほしくて」
「そういうこと…昨日実力差を見せつけられたんじゃないの?」
「そうだけどねー。お姉さんの実力も見たいかな?」
「ふふっ、泣かせないようにしなきゃね」
「あはっ、お兄さんに無様な姿見せてあげようか?」
ヘドロのような空気に包まれている。
ブルとウルはいつの間にか席を移動していた。
食事が不味くなるのは良くないこと、移動もやむなし。
特に被害を受けたのは宿屋の店主と他の客だった。
いい加減にしてくれと皆が思っている。
食事を終え、一行は郊外へ移動した。
クレアの腕試しに付き合うためだ。
「魔法薬も用意してあるけど、高いんだから使わないに越したことはないからね」
「ウルに当たりそうなのは全部弾くから任せとけ」
クレアと対峙するは、なんとウル。
腕試しと聞き、やるやるとジタバタしてブルとルサルナを説き?伏せたのだ。
「んー、本当に魔法なら私より上なの?」
「魔法の扱いは並じゃないわよ」
「わたしつよい」
胸を張るウル。背伸びにしか見えない。
ブルは既に金棒を構えている。
「じゃあ魔法のみ、銅貨が落ちたら開始ね」
ルサルナが銅貨を弾く。
打ち上がった銅貨が落ちていく。
きんっ、と音がなったと同時、クレアが飛ぶように移動する。
ウルは動かず、魔力を練り上げる。
「いくよ!」
クレアはウルに火球を放つ。
ウルは腕を掲げ、指を鳴らす。
ぺちっという可愛らしい音とともに水球が放たれる。
火球と相殺したのを確認したウルは続けて指を鳴らす。
クレアの周囲に次々と土柱が立ち上がる。
思わず足を止めるクレア。
ウルは追撃として氷の礫を幾つも形成し、放つ。
クレアは土柱を器用に利用して礫を躱すが、礫の連射が止まらない。
魔法を放とうか考えるも、その一瞬で滅多打ちにされかねない。
クレアは走り回り、時にメイスで打ち落としながら逃げ回ることになる。
「む、むむむ…!」
連射を尽く躱され弾かれるウルに焦りが出てくる。
別の手に切り替えようとしたその一瞬を狙い、クレアが短剣を振るう。
ウルは虚を突かれ動けない。
クレアの短剣に合わせるように射出された風の刃がウルに届く直前、ブルがウルの前に出て金棒を振るう。
武器を振ったとは思えない音とともに強烈な風が巻き起こり、クレアの放った風刃をなぎ払った。
「そこまで!」
ルサルナの鋭い声。
ウルもクレアも呆気に取られていたが、終了の声を聞きその場へ座り込む。
「うぅぅ…まけ…」
「なによ…おかしいでしょ…」
ウルは負けたことを悔しがり、クレアはウルの異常な腕前に驚きを隠せないでいた。
ブルはウルに駆け寄り撫で回している。
ルサルナは座り込んだクレアに近づき話しかける。
「ウルが実践経験少なくて良かったわね」
「……」
「まぁあなたも及第点よ。身のこなしも魔法もやるじゃない」
クレアは分かっていた。
ウルが焦らず連射を続けていれば、負けていた可能性が高いことを。
自分の半分も生きていない幼子に負けかけた。
それは十分な衝撃をもたらしている。
「休憩したら、私かブルとやる?」
「……お姉さんとやる…今からでも」
「そ。ブルに合図お願いしてくるわ」
手も足も出ないかもしれない。
しかし、やられっぱなしは癪に障る。
一矢報いてやる、と気合の入るクレア。
「合図はさっきと一緒、今度は近接攻撃も有りだ」
「…お姉さん、それでもいいの?」
「ふふっ、そうじゃなきゃ勝ち目なんてないわよ?」
「言ったわね…!」
「どっちもいいか?…始めだ」
ブルが銅貨を弾く。
ルサルナとクレアの心境はほとんど同じ。
こいつ、絶対泣かす。
銅貨が落ち、両者が動き出す。