死んだように横たわる数頭の馬。
それをなんとも言えない表情で見下ろすブル。
腹を抱えて大笑いしているクレアに、馬とブルの間であわあわしているウル。
ルサルナが馬主と話を終え戻って来たとき、目の前に広がっていた光景である。
「何がどうなってるの…?」
どのようにして目の前の光景になったのか、ルサルナにはまるで想像ができない。
良く見れば馬は死んだ訳ではないようなので、それだけは安堵のため息が漏れる。
最悪はウルに何かあったとして、挽肉か馬刺しの大安売りが開催されることであった。
その一歩手前なのかもしれないが、とりあえず最悪は回避できている。
しかし理解が追いつかない。
まさか圧倒的捕食者を前にして、仲間のために自らを差し出した訳ではないだろう。
とりあえず隣でぽかんとしている馬主と、自分の精神衛生のために話を聞かなくては。
ルサルナは鉛のように重たい一歩を踏み出した。
なんだか濁った瞳をこちらに向けて歩いてくるルサルナを見た瞬間、ブルは美しさすら感じる所作で正座した。
クレアは変わらず笑い転げている。
ウルはおろおろしている。
正座するブルの前に来たルサルナが迷うように視線を彷徨わせ、口を開く。
「あの…なんで?」
「いや…俺にも何がどうなってるのか…」
二人とも混乱の渦中にいる。
ブルも分からず説明が出来ない。
ウルやクレアを追って柵の中に入っただけで、何もしていないのだ。
ウルがルサルナの袖を引っ張る。
「にぃはわるくないよ?」
ちょっと判断がつかないルサルナは、曖昧な笑みでウルの頭を優しく撫でる。
「…クレア?」
「あはっあはは!けほっくふふあ゛い゛だぁ!?」
涙が出るほど笑うクレアに杖による振り下ろし。
涙の理由が変わった瞬間である。
「クレア…何があったの?」
「いったぁ…何があったって言っても、くふっ…柵の中に入って近付いたら、ふふっ…倒れ込んだだけだよー」
痛む頭を抑えながら、それでも笑いがこみ上げるクレア。
意図的に説明は省いている。面白いので。
意味が分からなさすぎて頭を抱えるルサルナ。
倒れていた馬達がそろそろと起き上がり、こそこそと離れていく。
それを見たルサルナは混乱する頭を何とか働かせ、考えた。
これはもしかして、死んだふり…?
「ブル、ちょっと馬に近づいてみて?」
「あ、あぁ…」
試しにブルに馬達に近づいてもらう。
脱兎のごとく逃げ回る馬達。
追い続けてもらうと次第に角に追い詰められ、逃げ道のなくなる数頭の馬。
忙しなく辺りを見回していた馬達は、いよいよ近づいてきたブルに何か悟ったのか、静かにその場に身を横たえた。
ルサルナに雷撃を受けた如き衝撃が走る。
クレアはまた、弾かれたように笑い転げる。
これは強大な捕食者を前に、なんとかして生き延びようとした結果、結局美味しく頂かれてしまう無駄な行為だ。
ルサルナは少し気が遠くなった。
倒れ込んだ馬をそっと撫でるブルの手にびくびくと反応する様が、まるでせめて安らかにやって欲しいと言っているかのよう。
知らなければ単に動物と戯れているように見えるが、ブルの背中越しにありありと感じる哀愁。
あまりにもあまりな光景に、ルサルナは哀れみを感じずにいられない。
浮かぶ涙をそっと拭い去った。
「そう…つまりクレアが中に入って、ウルがそれを追いかけたからついて行って、ああなった訳ね」
「そうだな…」
どこか煤けたようなブルとルサルナが話している。
その先にはやたらデカい馬にちょっかいをかけるクレアと、危ないから止めようとする馬主。
ウルは少し離れてはらはらしている。
ちょっかいの度が過ぎたのか、馬がクレアを追い回し始めた。
馬主の悲鳴が響き、ウルが慌ててこちらに逃げ込んでくる。
しかし魔獣でもないただの動物ではクレアを捉えられず、けらけらと笑いながら逃げ回られている。
「にぃー!」
「おおよしよし!怖かったなぁ!」
クレアの心配など欠片もなく、飛びついてきたウルをしっかりと受け止め、優しく撫でるブル。
ウルに飛びつかれたからか、声色には心配ではなく喜びしかない。
ウルにじとっとした目を向けられているが、気にせず撫で回している。
「あ!やっば、やり過ぎた…?」
そうこうしていると、よほど頭に血が上ったのか馬が無差別に暴れ始めた。
クレアはブル達に向けて舌をペロッと出している。あざとい。
ブルとルサルナはにこりと笑顔を返す。
勿論、目は全く笑っていない。
ウルはブルにしがみついている。
「こっちくる…!」
ウルが言うように暴れ馬はこちらに向かってきている。
クレアに向けられるルサルナの笑みは深まり、ブルの顔から笑顔が消えた。
クレアは流れるような動きで地に額を叩きつけた。
「活きのいい食材だな」
「流石に止めて」
「馬肉は旨いらしい」
「うまい…?」
「ウル!?」
ウルをしっかりと抱え、ブルはゆっくりと立ち上がる。
例え触れ合いを求めていたものであっても、ウルを傷つけるつもりなら許さない。
強かなウルは先程まで触れ合っていたにも関わらず、既に食べ物を見る目になっている。
ルサルナが信じられないものを見たような顔。
ブルが馬を睨み、ウルがゴクリと喉を鳴らした途端、何かを感じ取ったのか暴れ馬の勢いが弱まる。
視線の先はブルか、それともウルか。
どちらにしても、デカい馬ごときに勝てる存在ではない。
弱まり、立ち止まった位置はよりにもよって捕食者達の前。
馬の方が圧倒的に高い位置から見下ろすが、立場的には地に這いずる虫けらのように低い。
ブルが一歩踏み出す。
ウルがよだれを垂らす。
蛇に睨まれた蛙とはこういうものだろうか。
尻尾を揺らすこともなく固まる馬。
伸ばされたブルとウルの手が届く寸前、馬は失神したのか、横倒しにどうと倒れ込んだ。
「あ、ありがとう、ござ、ございました…」
何か恐ろしいものを見たかのような様子の馬主は、少しどもりながらも言い切った。
もう来ないでほしいと願いを込めて。
「良い買い物が出来たわね」
「全くだな」
ブルが手に持つ綱の先にはデカい馬。
まるで屠殺される寸前の家畜のような悲壮感を醸し出している。
元々手がつけられない凶暴な馬であったこともあり、格安で購入することが出来ていた。
馬の背にはウルと、許されたらしいクレア。
初めての経験にはしゃいでいる。
ウルがその背に乗る前、振り落としたら晩飯にすると言われたことを、言語は分からずとも本能で理解しているのだろう。
馬体の揺れを最小限に抑えて歩いている。
「うーんいい景色!流石はヒジョウショクだね」
「さすがひじょーしょく」
早速名付けられたその名には、ウルの多大な期待が詰まっている。
その行き先は一体どこなのか。
それは徒歩で行けるものだろうか。
果たして五体満足でいられるのだろうか。
時折ひぃんと情けない鳴き声が漏れている。
筋骨たくましい馬、ヒジョウショク。
長生き出来るかどうかは、賢さによる。