ウルをルサルナの膝元にそっと置いたブルは現在、空を駆けていた。
正確には屋根から屋根への跳躍だが、その尋常ではない一歩毎の距離と速度は空中を駆けているとしか思えない。
己が感覚に従い、最短距離を最速にてぶっ飛んでいく。
「何あれぇ…本当に人類なの?」
「食べるし寝るし喋るし人類でしょ。そんなことより早く行かないと獲物が全部なくなっちゃう!」
かっ飛んでいったブルを呆然と見送ったアメリアは、その数瞬後にはクレアにかっ攫われていた。
直ぐに正気を取り戻し、クレアと並走を始めたアメリアだが、増々疑念が深まっている。
クレアはそんなことより暴れる好機を逃したくないため、軽く流している。
騒動は少し離れた二人の位置まで聞こえている。
罵声や悲鳴が飛び交うお祭り騒ぎである。
ブルほどではないが、二人も中々の速度で駆けていた。
一方、ブル一行が目指す場所では死闘が繰り広げられている。
様々な傭兵、魔獣が入り乱れる中、一際巨大な魔獣が猛威を振るっていた。
大きさはもはや建物。
二足歩行で、手足は異様に長く、全身が毛に覆われている。
猿をこれでもかと巨大にしたような姿である。
知能は低いのか、腕や足を振り回してばかりだが、デカい生き物というのはそれだけで強い。
質量に任せた振り回しやブチかましというのは、ただ単純に強力なのだ。
そして今また、足元で動き回る邪魔者へ向けての踏みつけを行っている。
まるで思い通りにいかない幼子の癇癪のような行動であるが、効果は大きい。
地は揺れ罅割れて、足を取られた傭兵を魔獣ごと踏み潰すだろう。
しかし運の悪い傭兵を踏み潰したかに見えた瞬間、不自然に足の行き先を逸らされ、巨大な魔獣はたたらを踏んだ。
何が起こったのか理解できないのか、足元を見て確かめるように踏みしめている。
「ふぅー……デカく、重い。だが所詮はそれだけである。技術の欠片もない癇癪の如き動きでは、吾輩を仕留めるなど出来んわ!」
「でもちょっと、攻撃力が足りないね。さてどうしようか」
うははっと笑い声を上げるジェロ。
両手それぞれには身の丈に近いほどの大きな盾を持っている。
その隣には細剣を携えたシャル。
自分に対して言われたことを理解しているのか、その声に魔獣が反応し向き直る。
そしてそのまま、迷いなく腕を振り上げ叩きつけようとするが、今度は顔や目に向かって飛来する無数の矢や投げナイフ。
咄嗟に防いだところ、足元を寄ってたかって攻撃され、よろめく巨体。
「お手本のような妨害だな、ヒース」
「カニスさんもお見事です」
倒れる巨体を建物の上から見下ろす二人。
投げナイフを掌で遊ばせるカニスと、油断なく新たな矢をつがえるヒースであった。
シャル達一行と傭兵による即席の連携は非常に上手く行われていた。
しかし、決定打には些か足りない。
倒れ込んだ魔獣に追撃が入っているが、その巨体を考えれば微々たるもの。
魔法による攻撃も、規模や威力に欠けていた。
だが足りない、欠けていると言っても、痛くない、鬱陶しくないかと言われれば別の話。
癇癪なような動きが一層激しさを増し、無差別に手足を振るわれ始めると傭兵側は体制を立て直せざるを得ない。
戦闘の行われる場所が建造物のない広場であれば、巨獣が空けた穴から魔獣が次々に入り込んでなければ、このまま少しずつ弱らせることも可能だったかもしれない。
が、ここは広めの通りこそあるものの、その左右には建物が立ち並んでいる。
人にとってこの状況では障害物になり得るし、飛んでくれば恐ろしい弾丸になり得る。
さらには別の魔獣の対処に人手を割かなければならない。
完璧に巨獣の動きを止める事が出来ない以上、建物ごと吹き飛ばすように腕や足を振るわれれば、その連携は容易く瓦解する。
「シャル!吾輩の後ろへ!」
「頼んだよ!」
「おいヒース!離れんぞ!」
「うわわ!」
各々が倒壊する建物や、その瓦礫から身を守るように動く。
その隙に巨獣は再び立ち上がり、より鋭い殺意を身に纏う。
耳が張り裂けそうな咆哮から、大振りの一閃。
建物や瓦礫、人や魔獣関係なく消し去ってやると言わんばかりの暴力。
たった数手で瞬く間に劣勢に陥るシャル達や傭兵。
どうすれば仕留めることが出来るのか、誰もが必死に頭を働かせる中、嘲笑うように再度大振りを仕掛けようとした巨獣の動きが止まる。
巨獣はそのまま振りかぶった腕を守るように頭へ被せた。
直後、凄まじい轟音とともに巨獣が倒れ込み、その足元に人が降り立つ。
その降り立ったものを認識した瞬間、人も魔獣達も動きを止める。
本能的に叩き込まれる、凄まじい怒気。
「危ねぇ…うっかり殺しちまうとこだった」
隕石のように飛来した人影と、素早く体を起こした巨獣が相対する。
何ら傷を負っていなさそうな人影と対象的に、巨獣の片腕は誰が見ても分かるほどにへし折れていた。
「お前には是非、万回死んでも足りねぇくらいの苦痛を味わって欲しいんでな…」
痛みからか、それとも怒りからか。
絶叫のような咆哮で答える巨獣。
何であろうと押し潰すと言わんばかりに、無事な腕を振り下ろした。
巨獣の攻撃を合図にしたように、止まっていた戦場が動き出す。
「わぁ…!ちょっと遅かったけど、まだまだ食べ放題じゃん!」
「うわぁ……うわぁ…」
怪獣大戦争と人魔大戦を見下ろし、楽しそうに笑うクレア。
横にはドン引きで怪獣大戦争を見つめるアメリア。
「ねぇクレア…やっぱりあれ人じゃないよ…!」
「人でなしだよね」
「そうだけどそうじゃないの!」
「そんなことより突撃だー!」
「あ、ちょっと待ってよ!」
姦しい二人も争いの渦中へ飛び込んでいく。勿論、人魔大戦の方へ。
怪獣側には人は誰も近寄らない。
巨獣の攻撃範囲が広いこともあるが、それよりも怖いものがあった。
最初の激突で折った巨獣の腕を、足りないと言うように入念に、徹底的に破壊しているブルである。
指の一本まで無事には済ませぬという、怨念のような重たい感情と、まるでそういう道具であるかのような、人ならざる精密さを発揮している。
近づけばついでと言わんばかりに破壊されかねない。
徐々に体を破壊されていく巨獣の悲鳴と、何処からか響き渡る少女の楽しそうな笑い声が、一層戦場を混沌とさせていった。