しかし、転生って大変そうですー。
あたし、月野葉子は考える葦こと人間である。空を見上げるにはあまりに足りない小さい大人でもあった。
だがしかし、こんな頼もしさに足りない存在であっても、一人前と人間社会にみなされてしまえば仕事を任されることもある。
とはいえ、あたしがしているのは最近増えてきたようであるリモートワークを取り入れた職場における、紙いらず電子入力で足りるお仕事。
先ごろの疫禍の影響もあり週の半分は自宅にてキーボードを叩くばかりとなった日々に変化というものは乏しい。
「暇、というわけか」
これも幸せ、なのだろう。ただ黙々と草を食み続けるために生きるよりは、何かを成している実感はあった。
だが残業時間も給料も大したことない社会の薄白い部分に安堵するのは、中々に退屈でもある。
前世と違ってあたしには伴侶たる番いもなく、当然のように子もいない。それどころか、友達だって殆どなかった。
家族とは中々のつながりを持てていると自負してはいるが、これは中々に希薄な人間である。だが、それもまたあたしがあたしである故。
「そう、これも全部、あたしが前世を思い出したがためだ」
入力も確認も退社報告も終えて暗くなったノートパソコンを閉じながら、あたしはそんなことを独り口にした。
人間が前世を思い出すというのは中々にあり得ないことであり、実のところあり得てはいけないことでもあるようだ。
あたしはある日、前世たるブロントサウルスなあたしを思い出し、それとの同期に失敗した。きっと、規格と情報量が違いすぎたのだろう。
そして、残ったのは恐竜の精神性を頼りにしたあたしと、バラバラに散った年若い女の子の情報。
頑張ってあたしは今まで大切にしていたそれらを拾い上げてはみたが、どうしても小さなそれらと変わってしまったあたしを繋げることは出来なくなり、結果あたしはどうしようもなくなった。
年頃の子がよく分からない存在になったことを知った家族は大いに慌て、携帯電話で繋がっていた友達は理解出来ないと言う。
そうなれば、後は簡単。いらないと施設に捨てられるばかり。いやそんな人間、底辺にはまま転がっているものだった。
だがあたしは、幸運にもまたまともに見えるようになったところで、再び家族に拾われることが出来たのだ。結果、残ったのは病名と変わってしまったあたし。
「まあ、よくあることでないが、理解できる範囲の境遇だ。大したこともない」
そうは言ってみたが本来は、泣きじゃくって膝を抱えても良いのかもしれない。
でも、そんな行為に生産性を見いだせかなかったからあたしは前世と今の世界をすり合わせ続けたのだ。
施設で出来た唯一の友には鷹揚、いいや精神性が太古だと、そう言われた。彼にはあたしの中のブロントサウルスを語らなかったが、なるほど妙である。
そして、何より妙なのが、そんな生き物の得意が、ネットワークの情報に触れることであるという事実。
ニューロン同士に直接的な接続はないようであるが、しかし比べるまでもなくあたしも突飛な生き物になってしまったとは思う。
本来ならば、愛に恋にうつつを抜かして、形に拘るべきなのがあたしだった筈なのだ。だが、もうそんな女子はあたしの中で絶滅している。
「ならば、あたしは前世を繋いだあたしらしく生きよう」
そう。好きも嫌いもあまりなければ、刺激こそが感じられて然り。また、生に意味はなくとも刹那を重ねて生きるべきだと、あたしは思う。
だから、すっかり温くなったグラスを傾け、その苦味だけを感じながら今度はデスクトップパソコンの電源を入れるのだった。
暗い画面に見えた、形の良いばかりの人間でしかない相貌に気味の悪さを覚えた心地に納得を覚えながら、あたしは疾くウェブブラウザを立ち上げる。
「ふむ。この方はこの頃に子供が出来ていたのか。愛らしい」
そして、見るのは知らない誰かの日々の日記。あたしは苦しそうな赤子の写真を見て、その小ささを愛しく思う。
またそれが全くの赤の他人だからこそ、面白くもあった。日付を見れば、もうこの子は十を迎えた頃合いだろう。
この雑記ブログの更新はその数年後に途絶えているが、きっと愛らしさ変わらずに、彼は大きく胸を張って生きているに違いなかった。
今の生活の忙しさのために打ち捨てられた、しかしこれも素晴らしい記録。
「面白い。次に行ってみようか」
やがて誰かの確かにあった命の輝きに満足したあたしは、次に次へと誰かの記録をはしごする。
認めるは、リンクによって連なった、ブログなどに乗っかる何者かの人の生。それらを覗き見ることをあたしは習慣としている。
誰かの幸せを気に入った際にはお気に入りに入れてみることもあるが、基本的に中々一つどころに留まらない、変わった閲覧者だ。
「これは、ゲームの話か……むむ」
そんなことを続けていると、よく出くわすのが、どんなゲームを行ったかという日記のような攻略のような雑記。
一応、こういうのも読んではみる。だがしかし、あたしには今ひとつゲームの楽しさが分からないために、斜め読みになりがちだ。
反応、素材、周回。よく使われている言葉に、派手な服と髪をしたキャラクターには慣れた。ひょっとしたら、そこらのゲーマーよりもタイトルばかりは覚えているかもしれないあたしである。
だが、それもゲームという理解できない楽しみに向かうことすらなければ殆ど無意味。
強いて言うならば、ただ一人の友人との会話の際に役立つくらいである。
動画へのリンクを踏まずに一通り見終えてから、あたしはまた次へと起った。
「おお、この絵はまた、素敵だな」
そんなこんなを続けていると、あたしはイラストサイトに迷い込んでしまったようだ。ブログに並んだ女の子男の子の絵は、達者でまたキレイだ。
どれもこれも、原始のけばけばしさはなく、整った理想に近いヒトガタ。余計を廃しながらも細かさを入れて不気味の谷を越えようとするその努力は素晴らしい。
「ふむ……」
しかし思えば、あたしの腰はこう出っ張っていただろうか。いや、なるほど、その通りのようだ。
絵を見て触って、自分の形を思い出すというのは中々楽しい体験かもしれない。
「ん……ご飯の時間か」
自分の今一つ自認し辛い人間体をくねらせながら、どこか肌色の多いような絵を堪能していると、携帯電話が鳴った。
あたしに通知を知らせるために大きな音を立てるその健気を感じながら画面をタップしてみると、そこには八時丁度の時刻の下に母からのメッセージが。
これが夕飯だから降りてきなさいというサインだと知っているあたしは内容もろくに確認せずに、携帯電話を掴んで部屋から出ていく。
背中に感じる扉を閉じる音の小ささが、何時もあたしにはどうにも不思議だった。
「母さん、夕飯かな?」
「ええ。ヨーコちゃん。今日は肉じゃが」
「なるほど」
階段を降りるという人間らしい上下移動の楽を今日も面白がりながら、あたしは途中で我が母を見る。
長い髪を腰のあたりで束ねている彼女は小さく愛らしい、とは思う。苦労の皺も、ただの不細工にはならずに相応の朗らかさを生んでいる。
そして、そんな全体よりも何より大切なのが、あたしという人間を産み育ててくれたという事実。
一度どうしようもないからといって棄てたのは大きなマイナスだが、そんな瑕疵だって愛から来た錯誤であったらしいから、無関係な竜のあたしにとっては困る。
一言で語るならば、この月野椿という女性は今のあたしにとって数少ない、殺したくて愛したい人間だ。
「ふむ。これは嫌がらせかな? 肉は嫌いとあたしはずっと言っているはずだが」
「……でも、ヨーコちゃん、昔はあんなに肉食だったのに。それに身体には良いはずよ?」
「だがその昔は草食で、そして再び戻った。なら、肉などそう旨くいただけはしないよ」
「そう……」
「ただ、親の愛を無駄にするほどろくでなしになったつもりはない。大丈夫。苦手でもいただくさ」
「そうっ! 嬉しいわー」
笑う、少女にすら似通う女性。若い頃には極めて美しかったのだろう我が母の喜びをこそ、あたしは上手にいただけない。
幸せになって欲しいが、苦手だ。それこそ、この食卓に転がっている肉片と同じくらいに、虚しいから。これは終わっている、愛だ。
「姉ちゃん、ママをあんま困らせんなよなー。好き嫌い言ってたらデカく……いや、姉ちゃん既に十分デカいわ!」
「ふむ。しかしこの身体は成長期によく飯を食んでいた筈だ。やはり好き嫌いしないのは正解だろう」
「そうねー。でも、一メートル八十を越えちゃった時はびっくりしたわ。お父さんも背高のスポーツマンだったけど、ヨーコちゃんほどじゃなかったし、誰に似たのかしらねー」
それこそ、太古のあたしに。そう応える気も起きずに、あたしは親子三人で食卓を囲む。
食事は、苦手ではない。だから、箸も進む。肉はどうしたって生臭くってたまらないが、しかしほくほくとしたじゃがいもに、甘み滴らす玉ねぎの旨さは素晴らしい。
柔らかさすら覚える調味の妙と言い、母の料理は美味しいのだ。だから、施設にてキャベツを主食にしていた一時と比べて随分とあたしも肥えた。
これをずっと食んでいる筈の妹が丸々としていないのが不思議なくらいだ。思わず、あたしはおひたしに一味を振りかけている最中の我が妹を凝視する。
「んー? どったの姉ちゃん」
「いや、太っていないな、と」
「いや、私が太ってたらどうだってんよ。やっぱり丸かじり?」
「君らはどうして親子揃ってあたしを肉食に仕立て上げようとするのか……違うよ」
そう、違う。愛おしいものがもし太って転がっていたら、あたしがどうするのかなんてものは、単純。
丸いころりころりと、卵たちは地に落ちてあたしの手など要らずに育まれる。でも、それだけじゃあ寂しかったからあたしは。
「舐める」
「姉ちゃんはペロリストだったかー。って、妹の味見良くない!」
「ふふ。ヨーコちゃんは本当に、面白いわね」
「ふむ」
どうしてか、あたしの愛情表現を嫌って怒りを全身で表現する妹に、面白がって笑顔の母。なんとも綺麗に喜々と怒気が並んだものだ。
あたしの本気を知らないあまり似ない二人の前で、あたしは顎に手を当てて一つ考え、そして言葉を紡いだ。
「舌先で転がせもせず、ならばどう愛の実在を知るのだ?」
「どゆこと?」
「いや、単純に言えば、一番に柔らかいところで触れてあげたいと思えるからこその、愛ではないかと思ってな」
「訳わかんねーよー、姉ちゃん」
「ふふ。私には何となく分かったわ。優しいわね、ヨーコちゃん」
「ふむ」
しかし、あたしの足りない言葉では伝えきれずに不通は起きる。やけに満足そうな母と異なり、不満げな妹。あたしはそれが、嫌である。
この世は言葉要らずで思考が足りずとも生きていけた筈だった。けれども、今や言葉を人並みに操れなければ満足に活きることは難しい。
とはいえ、人たるこの身は舌でなくても他人に優しく出来るもの。言葉で通じなければと、あたしはのしりのしりと食事途中に箸を噛む――悪癖である――妹に近づいていく。
「どったの姉ちゃん」
「ん」
「わお、抱きついてきたよ、この姉。何さ」
「いや、結局はこういうことだ。どう変わろうとも、私はお前のことを愛している」
「うぇっ、姉ちゃん真顔でそんなこと言うなよな、きしょいぞー」
「そうか」
きしょい。なるほど確かに抱きつき熱を与え合うこの行為は愛がなければ成り立たない汚染に近いものでもあるだろう。しかし、だからこそ愛の有無が試される。
言葉程嫌がりもせずに笑む妹。彼女の喜ぶ顔にあたしは微笑んで。
「そう、よね……」
悲しみに沈んだ母を横目に真っ直ぐ見つめた。