月に恋したブロントサウルス   作:茶蕎麦

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第六話 あたしがブロントサウルスだ

 ひょっとすると、あたし達恐竜はろくに愛していなかったかもしれない。けれどもそんな恐竜を愛する人間は無数に存在する。

 届かないからこそロマンだの何だの言いながら、彼らは主に死骸の残滓を漁る。骨、ですらない化石。そんなものを大事にしながら彼らはまことに恐ろしい竜を想像した。

 記録がなく、証ばかり残るが故のパレオントロジー。人と恐竜に繋がりなど殆どなく、その断絶こそ、無限の夢想を生み出すものかもしれない。

 

「まさか、大地が諦めた夢の中に、古生物学者というものがあったとはな……」

「ただで見られた頃の、子供の夢さ。模型が格好いいというばかりで、その全部を知りたくなったっていうんだから、今となっては笑える」

「ふむ。まあ、過去を見て笑顔になれるなら上出来かもしれないぞ?」

「それは、そうかもな」

 

 あたしの雑な慰めに、薄く笑みを浮かべる童顔男性。成長して、しかし変わらないものを持ち続けている彼は中々に難儀だ。

 陸上選手か古生物学者になりたかったというよく分からない男は、しかし今は画板の上に乗った厚紙に風景を写すことにお熱だ。

 今も、線が重なり合い影に光を模造して、次第に大樹の形となっていく様が見える。

 

「ま、俺は今も好きだよ、恐竜」

「そ、そうか……面と向かって言われると、あたしも流石に照れてしまうな」

「……葉子は、何照れてるんだ?」

 

 あたしは、真っ直ぐに前のあたし達を好んでいると語る彼にタジタジだ。そう、首を傾げている一人きりのあたしの友である広瀬大地は、奇遇にも恐竜にお熱だったころがあるらしい。

 やろうとしたら大体なんでも出来たという天才型のこの男は、何より苦手だったという美術を勉強中。ジュラ紀白亜紀に背を向けて過ごしているのだった。

 とはいえ、未だに恐竜が好きだと彼は言う。ならば、前世のあたしについてはどうなのだろうと、なけなしの好奇心が疼いてしまうのは仕方ない。

 恐る恐る、消しゴムを軽くさっさと使う男に対してあたしは対象を限定していくのだった。

 

「なら、そうだな。大地は雷竜は好きだったか?」

「竜脚類だっけか? アパトサウルスとかが属してる……」

「そうだ! その中でもいちばん有名と言ったら……」

「葉子が言ってるのはブロントサウルス(雷トカゲ)か? 雷竜って分類の基になったっていうあの……」

「そうだ! そいつに対してはどう思う?」

「いや、どう思うも何も……」

 

 大地も流石に、古生物学者になりたかったというだけあり、恐竜に対して中々詳しいものがある。

 普通ならば、雷竜とか言ったら強そうなドラゴンだな、という返事が来るはずなのだ。実際、妹はそう反応していたから、間違いない。

 それを、さっと竜脚類だの、あの憎きアパトサウルスだのを出してくるのだからこれはたまらないな。

 あたしとしては、自分のルーツを辿る旅において暗記したものが、マニアの口から出てくるのだ。自分も有名になったものだと鼻が高くなる。

 

 だがしかし、そもそも今も昔も物理的に頭が高いあたしは、鉛筆を止めた大地の表情が読めない。

 とはいえきっと子供のように瞳を輝かせてあたしの昔の勇姿を想像しているのだろうと思っていた。

 しかし、その予想は、次の彼の一言で裏切られるのである。

 

「ブロントサウルスってアパトサウルスのシノニムで、存在しない種なんだろう?」

「なっ!」

 

 あたしは思わず、がんとしたショックを受ける。そこまでコイツは知っていたのか、と。そんなブロントサウルスの絶望の時までしかこいつは知らないのかと、驚いて。

 シノニムとは異名、同物異名でも通りはいいか。

 

 そう、ある時からしばらくブロントサウルスは存在しないものとされていた。

 それは、ブロントサウルスという存在がアパトサウルスの胴体とカマラサウルスの頭部(全部竜脚類で首が長くてデカい)化石によって組み立てられたキメラであるとされたからである。

 あたしはそれを知ってなんてこったいと思ったがしかし、近年の研究によると頭骨が見つかっていないだけでブロントサウルスはアパトサウルスと別に存在するだろう、と考えられているらしい。

 近年の研究までは網羅していないだろう大地がブロントサウルスを幻想の種と認知しているのは、これまでずっとブロントサウルスがアパトサウルスのシノニムとされていた、そのためだろう。

 

 まあ、細かい事はどうでもいい。

 あたしはあたしをブロントサウルスと認知しているのには違いなく、大地が描いている葉っぱとか美味そうだなと思うあたしは確かに存在していて、つまり。

 

「いや、ここに居る! あたしがブロントサウルスだ!」

 

 公園のベンチから立ち上がり、あたしは誰もかもにも恥じぬようにと胸を反らして己を誇示する。

 途端に全ては眼下に遠く、克明は遠景に変化した。そして、高いあたしに低いところにある大地は心まで遠くさせたかのように、目を細めて見上げて。

 

「今までになく、意味がわからん……」

 

 眉根をこれでもかとひそめてから、そう述べるのだった。

 

 

 空は、空だけは何時だってあたしより高くある。

 比肩しうる木々だって潰して喰むだけの対象であれば、見上げるものは天にだけしかないのは然り。

 今は多くに抜かれて鉄に塗れた空を多く覗いてばかりだったが、この開けた公園においては中々綺麗な青が見て取れる。

 これに、あの月が一緒にあれば満足だったのだが、と思いながらあたしは隣でもうそんなに足さなくて良いのではと思えるくらいに線と点を書き込んでちょっと暗くすらある絵を見つめる大地に言う。

 

「しかし、陸上部だったということもはじめて知ったな。そういえば、ずんぐりむっくり、どうにも砲丸投げでも得意そうな体躯ではあるが……」

「いや、普通に短距離選手だったよ、俺。鍛えた後に肉が付いて、こんなんになったけどさ」

「なんと……」

 

 それもまた初耳。この、普段今のあたしの胴まわりに近いくらいの太い腕で木工を行っている彼が、実は足の方に優れを持っていたとは。

 つられて、足もとを見てみるが、それもまた、太い。改めて全体を覗くにどうもコイツは格闘家のような体躯をしている。

 当然運動音痴どころか、あたしを球技でボコボコにしてしまうくらいの得手を見せる男だ。しかし、パワー馬鹿のようなところもある大地が元は速度に自身があったとは思わなかった。

 気になり、あたしは訊いてみる。

 

「速かったのか?」

「昔は。でも、それからずっとタイム変わらなくって諦められて、諦めた」

「何を?」

「人生を」

「なるほどな」

 

 軽く語る彼に、あたしは理解を浮かべた。

 あたしは、大地が走ることにどれほどの熱量を向けていたのかは知らない。だが、それを諦めた彼がどんな様で転がっていたかはよくよく見知っていた。

 だから、彼があの時人生を棄てていて、そのためにあたしたちが会えたのだとするのならば。

 

「それは、大地が速くならなくて、良かったな」

「まあ、結果的にはそうだな」

 

 一時死んだ心。それを良しとするのは難しいけれども、出来ないことはない。

 もう、あの日から十年は経っている。立ち直るのは難しいだろうと思っていた大地だって、こうして外を出歩き絵を描いてみたりすることも可能になった。

 何もかもを信じられないとしながら、でも震えつつ前に進む。それは。

 

「もうあいつが進めない明日だ。でも、あいつがあれだけ望んでいた未来で……俺はそれが良いものなのだと証明したい」

「あたしもだ」

 

 そんなことを、未だに考えてしまうあたし達はどうにも、絶滅の後に生きているのだろう。

 

 

 

「それで、さっき伸していた奴、なんだったんだ?」

「ああ。あれはフッたら何か暴れてきたから、一発ビンタしただけだ」

「ナイフ持ったまま鼻血の海に溺れてた優男を見て、ついに殺ったかと慌ててお前連れて自転車こいで逃げたんだが……やれ、こんな女がモテるなんて、世も末だ」

「ふふ。そうだな、この世も終わりだ」

 

 本当に、また空が破れてしまえばいいのに。そう、思う心を押さえて、あたしたちは今日に生きる。

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