オーバーロード 未来IF   作:fato

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決別

 白く濁った世界だった。

 濃い霧の中を惑うような不安が募る。身体はその中を揺蕩う落ち葉のように不明瞭。四肢を自由に動かせないもどかしさの中で、思考だけは徐々に晴れていく。

 

「…ここは」

 

 アインズはそこが夢の中であるとすぐに気付いた。

 人の体へ変化できるようになってからは、睡眠の時にたまに見ることがある。普段であれば、夢の中では夢だと気づかず、起きればすぐに忘れることがほとんどだった。

 だが、その時は微睡みに見る幻視だと意識できた。

 

「だけどこれは…」

 

 夢だと認識はできたがやはり体の自由は全くきかない。辛うじて動かした視界の端に入った衣服は常の豪奢なローブ姿、手には肉がなくオーバーロードの姿であることが分かった。

 人の姿で寝ているはずなのに、夢の中では髑髏の姿なのだなと小さな疑問を可笑しく感じる。しかしそんな疑問も朧気な世界の中に溶けていく。

 周囲は霧が立ち込めたように何も見えない、足元すら視認できず自身が本当に地に足をつけているかすら分からない。

 しかし、今はそんなことよりもと思い起こすのは夢の中に来る前のこと。

 

「そうだ、確か俺は」

 

 その日は玉座の間にて定期的に行っている報告会の日だった。

遥か昔、ナザリックがこの地に来た頃から始まり、建国した魔導国が全世界を支配下において悠久の時が経とうとも続けている皆が集まる大事な集い。

 アインズはその日、とても重要なことをすべてのシモベに伝えるつもりでいた。自身にとっても、シモベ達にとっても胸を抉る辛い事を。

 常ならば、玉座の間に整然と並ぶシモベ達の前に後から自分が登場するが、今回は先に玉座の間に座りシモベ達を待っていた。少し考えたいことがあると、守護者一同をどうにか説得しての行動だった。

 偉大なる主を先に待たせるなど、とアルベドを筆頭に反発は大きかった。何十万年経とうと変わらぬ忠義に有難みを感じつつも、申し訳なさを振り払いアインズは己の我儘を通したのだ。

 これから話すことに対する胸の燻りをどうにか晴らしておきたかったのである。アインズは自身でそれをある種の逃避だと理解していた。しかし気持ちの整理をせず皆の前でいきなり話す勇気は持てない。

 そして、皆に先んじて一人玉座の間に座っていた。荘厳な玉座の間も自分一人だと伽藍としている。シンと静まり返った静謐な空間に自身の息遣いをはっきりと感じることができた。

 自分で作った孤独にユグドラシルサービス終了日を思い出してしまう。サービス終了直前、ここにいた時はアルベドやセバスもいたが、まだ物言わぬNPCであったなと懐かしさを感じた。しかし、今から話すことを考えるとあの時の虚無感が蘇ってしまう。それも、今は人の身であるせいだろうか。

 人の身を取るようになり食事や睡眠の楽しみを味わうことができたが、それと同時に感情の揺れ幅が大きくなった。それでもあえて、その日は人の姿で行おうと考えたのだ。皆の信じるアインズ・ウール・ゴウンではなく、モモンガとして惜別の念を送りたかったのかもしれない。アインズ自身明確な理由は分からなかったが、アンデッドの特性である感情抑制を使わないに足る理由だとは感じていた。

 そしてここ最近は今日の日を考え、出口のない迷路のように不明瞭な不安が渦巻き碌に眠れていなかった。そのため、玉座にて考え事をしているうちに転寝をしてしまったようだ。

 そして現在、寝入った自分は夢の中に佇んでいる。

 玉座で居眠りとは、ごく普通の一般人であり小心者であると自身で認識はしているが、随分図太い行動だなと苦笑する。ナザリックで永い間王として君臨し続けてきたため、人の身でも支配者としての感覚があるのかもしれない。

 

「アルベドに真っ先に見つかったら寝込みを襲われそうだな…いや、他の二人も怪しいか。結婚して子供ができても、まったく落ち着かないんだよな」

 

 婚姻関係を結び愛の結晶がすくすくと大きく育っても、愛する第一王妃は昔と変わらぬ勢いでアプローチをしてくる。結婚したのだからすべて受け入れてもいいのかもしれないが、節度は守った関係でいたいのだ。

 

「しかし、シャルティアはともかくアウラまであんなに性に貪欲になるとは。昔の純真だった頃が懐かしいよ」

 

 元から創造者の影響で変態趣味が全力全開だった第二王妃はともかく、第三王妃も一度関係を持ってからは度々体を重ねようとしてくる。否、彼女の生みの親も大概だったか。

 

「そんなところを可愛いと思い始めている自分も…大概なんだろうなあ」

 

 自嘲気味に溜息を吐き、随分と独り言の多い己に気づく。自身しかいない夢の中で、知らず知らずのうちに感じていた孤独を、声を発することで少しでも払拭したかったのかもしれない。

 夢の中は相変わらず周囲を霧のようなもので覆われ視界は悪い、体も動かすことはできずにフワフワとした感覚を纏っている。

 

「だけど、この夢はいつ覚めるんだろう。どうやって起きればいいかも分からないし…早く起きないと居眠りしているところを見られるよな」

 

 未だ変わらず皆が信じる絶対的支配者を演じているのだ。玉座で居眠りとはあまりにも格好が悪い。無論その程度で皆の忠誠が揺らぐとは思っていないが、アインズ自身の気持ちの問題だ。

 

「そういえば夢の中で気づく夢って何て言ったっけ?明晰夢だったかな。自分である程度見たい夢を見れるって聞いたことがあるけど…」

 

 声を出すことはできるが体を満足に動かせない状況で俄かには信じがたいが、もし夢を自在に操れるのならば今だけはどんな願いも叶うということと同義だろう。

 

「そうだな、もし見たい夢があるとしたら…」

 

 その日の報告会で発表することに心が引っ張られたせいもあるだろう。

 思い起こすのは遥か昔、決して色褪せることはない黄金の日々。そしてその時々を共に積み重ねた大切な———

 

「…もう一度みんなに」

 

 と、そこまで考えたところで夢の中に変化が起こる。視界を悪くする白い霧が徐々に薄くなり、少し離れた場所にたくさんの黒い影が現れたのだ。

 

「…っ!」

 

 息を呑む。その影はぼんやりとしていて、人であるか物であるかすら分からないが、アインズはそれらが何であるかすぐに確信を得た。たった今記憶から掘り起こした掛け替えのない存在達。あまりにも都合がよすぎる考えだが、これが自分の夢ならば彼らであってくれという願望でもあった。

 僅かにだが視界が晴れていく。少しずつ遠くにもその輪郭を捉えることができ、アインズの胸に様々な感情が濁流のように押し寄せる。夢の中であるせいか、オーバーロードの姿であるのに感情抑制が全く利かない。だが今はそれでいい、この気持ちは決して消したくはないのだ。

 更に視界が明瞭になっていくと、はっきりと彼らの姿を捉えることができた。

 

「みんなっ!」

 

 最後に会ってから、こちらの世界に来てからあまりにも多くの時が経ったが、アインズが彼らの姿を見間違えるはずがない。数えなくても分かる40人の異形達、アインズ・ウール・ゴウンの仲間がそこに立っていた。

 

「…ああっ…ああっ!」

 

 万感の思いを感じつつ皆の元へ走ろうとするが、足はやはり全く動かせない。手の届く場所に皆がいるのにと焦燥感が募る。これが夢ならいつかは覚めてしまう。その前に皆のところへ行かなくては。しかしどうにか少しだけ動いた腕を前に伸ばすが彼我の距離は縮まらない。

 仲間たちは遠い向こうでこちらに体を向けて立っているだけだ。皆が異形種であるため表情から気持ちを読み取ることもできない。自分と再会できたことを少しは喜んでくれているだろうか、皆が思うアインズ・ウール・ゴウンを続けてこれただろうか、様々な思いが頭を過るがまずは少しでも近づきたい、傍に寄りたい。

 

「みんなっ、俺です、モモンガです!ああっ…会いたかった本当に」

 

 足は動かず、前へ必死に手を伸ばし纏まらない考えを只管口にする。

 声は聞こえるくらいの距離のはずだが、皆からの反応はない。ただ佇んでアインズを見ているだけだ。

 

「話したいことがいっぱいあったんですっ!アインズ・ウール・ゴウンのこと、皆さんの子供達のこと!」

 

 どれほど体を動かそうとしても一歩も進まない。夢の中ならそれくらいの融通はきかせてくれと己に悪態をつく。

 

「くそっ、近づけない!すぐそこにいるのに、少しくらい話をさせてくれてもいいだろっ!」

 

 喜びが焦燥感に塗りつぶされ絶望が顔を覗かせる。幻影だとしても折角会えたのなら一言でも話がしたい。それが駄目なら声だけでも聞かせてほしい。

 しかしアインズのそんな願いを嘲笑うかのように霧が再び濃くなり始める。

 

「っ!待って、待ってください!まだ何も」

 

 皆の姿が霧の中へ塗り潰されていく、このまま何も話せずに終わってしまうのかと泣きそうな気持になるが、手を伸ばし前に進もうとすることはやめない。夢の中だということすら忘れて我武者羅に足掻く。

 

「お願いです!行かないでっ…独りにしないでっ!」

 

 幼子のような嘆願を零す、今まで堰き止めてきた気持ちが簡単に発露していく。溢れ出る言葉は止めることができない。

 このまま何も伝えることができずに別れてしまうのかと僅かな諦めが胸をよぎった時、

 

「—————————————————」

 

 皆が何かを言っている。そのことに歓喜するが、その姿はやはり徐々に霧の向こうへと消えて行っている。その声も僅かに音として拾えただけで何を言っているかは分からない。

 

「えっ、なんですかっ!聞こえないです、みなさんもう一度っ」

 

 このまま消えてしまうかと思われたが、最後に自分に声を掛けてくれているのだ、何としても聞き漏らすわけにはいかない。たとえそれが恨み言の類でも構わない、その言葉を届けてくれと声を張り上げる。

 

「——————で——う———————」

 

 気持ちが届いたのか僅かに声が聞こえた。もはやそれが40人の誰が言っているのかなど分からないが、それでもいいと再度願う。

 

 「お願いですっ、もっと声を大きく!」

 

「——じや——で——う———————」

 

 先程より僅かにだが音を拾える。

 そのことに喜ぶのも束の間、皆の姿はとうとう見えなくなり再び深い霧が立ち込める。

 

「っああ⁉そんなっ」

 

 そして強烈な浮遊感とともに、アインズは自身の体が夢の中から切り離されていく感覚を得る。肉体が目を覚まそうとしているようだと気づいてしまった。

 

「みんなっ!くそっ、待ってくれ、もう少しだけ、あと少しで」

 

 微睡みの深海から現実へ浮上しようとしている。もはや焦燥感とは言えない灼熱感に身を焦がしながら絶叫する。

 

「ああああっ、嫌だ嫌だ!またっ…また独りに、独りぼっちに!」

 

 アインズの悲哀とは関係なく、とうとう夢との繋がりがぷつりと音を立てて切れる。

 皆に会えた喜びも、それ以上の絶望に塗れたまま終わってしまうのかと。孤独と諦観が心に充満していく。

 しかし、覚醒するその刹那———

 

「————————————————?」

 

 耳元で囁かれるようにはっきりと聞こえた。懐かしい、待ち望んだ、優しさを含んだ言葉が微かにアインズの心を照らしてくれた。

 

 

 

「アインズ様!」

 

 すぐ近くで自身を呼ぶ声に急速に意識が覚醒する。うつらうつらと俯けていた頭をはたと起こす。突然目に光が入ってきたため、暫しの間チカチカとした視界が徐々に落ち着いていく。すると目の前には幾度となく見慣れた光景、愛するナザリックの子らが一糸乱れず整然と玉座の間に並んでいた。

 直前まで見ていた夢の内容は覚えている。最後に掛けられた言葉、確かに耳に届いたはずだったが靄がかかったように思い出せない。とても大切な言葉だったはずだ。

大切な存在からの言葉に未練は残る、しかし今はと目の前にいてくれる存在達へ意識を切り替える。

 今日のために集合を掛けた、守護者達を始めプレイアデス、領域守護者、一般メイドに至るまで。ここには来れないシモベは情報系魔法で話を聞いているように伝えてある。ナザリックに所属するすべてのシモベが自身を困惑した表情で見上げている。

 しかし、その顔には居眠りをしたことへの非難は一切なく、ただ忠誠を誓う主を心配する気持ちのみがあった。

 

「アインズ様」

 

 声のしたすぐ右隣りに顔を向ければ玉座のすぐ横、アルベドがこちらをひどく心配そうに見ている。

 

「アインズ様、御休み中のところを邪魔してしまい申し訳ありません。ですが酷く魘されていたため声を掛けさせて頂きました」

 

 そう言ってアルベドは片膝を突き、深く頭を下げる。

 どうやら、玉座の間で寝てしまっていた間にシモベ達が集い、寝ている自分を起こさないように気を使ってくれていたようだ。しかし、自分が魘されていたためやむを得ず起こしてくれたのだろう。ある意味、起こされたため夢を中断されたと考えられなくもないが、自分の身を案じ、心配してくれての行動に全く腹など立たなかった。

 覚醒したばかりのため、うまく回らない頭でアルベドへのフォローを考えているうちに、跪き整列する守護者達の中からも声がかかる。

 

「アインズ様、横から失礼いたします。御身はひどく御疲れの御様子、よろしければ今日の報告会は延期とし御身はすぐに休息を御取りになった方がよろしいのではないかと具申致します」

 

 デミウルゴスの耳あたりのいい声にはただただ主を気遣う忠誠のみがあった。居眠りをしてしまっていただけで体調を気遣われることに後ろめたさを感じつつ、頭を支配者のものへと切り替える。

 

「い、いやデミウルゴス。今日は皆が忙しい中、無理を言って全てのものに集まってもらったのだ。少し考え事をしている内につい眠ってしまっていたようだ、許せ」

 

 そう言って目を伏せ軽く顎を引くと、すべてのものが途端に慌てたように身動ぎする。その中デミウルゴスが慌てながら言を返す。

 

「御身が謝られるようなことは御座いません!御疲れのなか我らのため、こうして足を御運び頂けるだけで無上の喜びでございます」

「全クソノ通リカト、我ラニ謝罪シテ頂クナド勿体ナク存ジマス。シカシ此度ノ会、アインズ様ガ御望ミトアラバ喜ンデ参加サセテ頂キタク思イマスガ、御気分ガ優レナケレバ何卒御自愛シテ頂キタク」

 

 デミウルゴスの言葉に呼応し、コキュートスもやんわりとアインズへ休むように勧める。片や悪魔、片や氷を操る蟲王からでる、彼らの特性とは真逆の優しく温かい言葉に嬉しくなりつつ再度安心させるように断りを入れる。

 

「デミウルゴス、そしてコキュートスよ。我が身を案じての発言嬉しく思うぞ。だが問題はない。人の身ではあるが疲労軽減のアイテムなどは使っている、身体は全く健康だ」

「…ハッ」

 

 完全に納得はしていないだろう、まだ何かを言いたい様子はあったが、二人は頭を下げそれ以上の発言はしなかった。

 

「そしてアルベドよ、大切な報告会の前に居眠りをしていた私が悪いのだ。それに私が魘され苦しんでいると思い起こしてくれたのだろう?咎などあろうはずがない、面を上げよ」

 

 先ほどから頭を下げていたアルベドへと声を掛ける。

 

「…アインズ様、なんと勿体無い御言葉。慈悲深き恩情を賜り有難き幸せに御座います」

 

 ゆっくりと頭を上げたアルベドはうっとりとした眼差しをアインズに向けていた。

 初めてではないが寝顔を見られていた気恥ずかしさもあったため、アインズはその視線に落ち着かなくなり誤魔化すように言葉を発した。

 

「さ、さて…早速今日の報告会を始めようじゃないか」

 

 半ば強引ではあったが、疑問を抱かずアルベドはその言葉に応じた。ホッとした気持ちで玉座に座りなおす。

 シモベ達は主への心配を払拭しきれずにはいた。だがその主が大丈夫と言っているのだから、真面目に会へ取り組まなくては失礼にあたる。せめて、主が辛そうにしていたら再度進言しようと心に決め気持ちを切り替える。

 報告会はアルベド進行の元、通常通りに開催されていく。

 まずは常のように、アインズに謁見する栄誉を賜ることに対する感謝の言葉をアルベドが守護者ともども発する。アインズ個人としては毎回やらなくてもいいのではとも考えるが、一回たりとも手を抜くことなく本気の忠誠を示してくれる皆へは申し訳なくて言えるわけがなかった。

 そして報告会が始まるが、全世界を手中に収めてからは大きな変化を齎す報告はない。大体は皆が管理する地域の発展具合、新しい技術の開発、珍しいタレント、稀に起こる小さな問題も皆で意見を出し合って話し合いで解決する程度のものだ。

 そして必要な報告が終われば後は皆の個人的な事の話し合い、要は雑談をする時間となる。ナザリックのものすべてが主と共有できるその時間を、至福のものとして楽しみにしていた。話す内容としてはアインズやシモベ達が自身の身近であったこと、本当に些細な日常的なことなども話題に上がる。シモベにとって、偉大なる主が自分達のちょっとした出来事を我が事のように喜んで聞いてくれる、まさに天にも昇る心地であった。そして最近では雑談の内容に三人の王妃との間にできた子供達の成長についても話される。子らも皆一様にナザリックの一員として働けるように鍛錬と勉強に励んでいるようだ。偉大なる主の元、皆がその御子とも共に在る光景を夢想する。

しかし、アインズは皆と談笑している間も、これから話すことへの緊張感は消えていなかった。いきなり最初に言うのではなく、普段通りの報告会をした後で言うつもりであったが、却ってそれがジワジワと心に焦りを蓄積させ、緊張感を煽ってしまったなと後悔する。

 対するナザリックのシモベらも事前にアインズより今回の報告会では大切な話があると聞いていたが、内容までは想像がつかず今はとアインズとの会話を享受している。だが、その中でアルベドとデミウルゴス、そしてパンドラズ・アクターの3人はその知性故、このあとアインズから発される言葉がとても重要なものであることを察し、表情には出さずに身構えていた。

 そして、しばらく皆で会話を楽しみそれなりの時間が経った頃。場の空気がそろそろ雑談も終了だと告げている。

 アインズは、愈々本日の本題を話さなくてはいけない時間が来たと唾を飲む。そんなアインズの緊張感が伝わったのか、シモベ達も自然と口を閉じ身構える様子が伝わってきた。先にいつもの報告会を行ったのはアインズが時間を欲したためだが、シモベ達にとっても緊張することを後回しにする逃避の時間になっていたのかもしれない。

 

「アインズ様、本日は御身よりとても重要な話があると聞き及んでおります。ですが我らアインズ様の僕一同、御身が御話しなさることを躊躇われているようなら日を御改めになって頂いても構いません」

 

 アインズの気持ちを汲み取ったのだろう、アルベドが慈愛に満ちた表情で優しく選択肢を渡してくれる。

 その気持ちを有難く感じつつ、それは逃げだと自分を叱咤する。

 

「いや、今日話させてくれ。正直、今でも遅すぎたくらいなのだ」

 

 自分の退路を断つようにはっきりと言う。そう、今まで話そうか散々迷ってきた、ようやく決心し今日という日を得た。本当はもっと早くに言っておくべきことだったのだ。それもすべて自分の未練が招いたこと、ならばいつまでも逃げていてはいけないことだと心を奮い立たせる。

 

「…畏まりました」

 

 了承の意を返すアルベドだが、アインズはその顔に違和感を感じた。変わらず微笑を湛えて居るが何かその下で、抑えきれない激情が渦巻いているような。だが、そのことを問いただす前にアルベドは一歩下がり話を聞く体勢になる。その違和感は忘れないでおこうと考え、アインズはシモベ達全員へ意識を移す。

 

「皆、聞いているとは思うが今日は一つ重要な話がある」

 

 アインズが重苦しく話を始めると、シモベ達は緊張に身を固くし主を見上げて話を聞く姿勢を取る。

 

「かねてよりアルベドを筆頭に行わせていたギルドメンバーたちの捜索のことだ」

 

 遥か昔、この世界を完全に支配下に置いたのち本格的に始めたギルドメンバーの捜索。アインズはそれをアルベド自身が希望したこともあって彼女に一任していた。しかし、それから幾億の時が流れようと彼ら自身はおろか、その痕跡すら見つけることはできていなかった。

 報告会の度にも調査結果は報告されていたが、毎回成果なしという結果を皆で聞き落胆することが続いていた。否、本心から悲嘆に暮れていたのは最初の頃だけだろう。何時からかアインズ自身もその報告をすんなりと聞けるようになり、またかと諦観するようになっていた。おそらくシモベ達も同じ気持であったのだろう。

 

「永い…永い間、世界を隈なく探したな」

 

 それでも捜索を続けさせていたのはアインズ自身の未練に他ならない。永い時の中で、心の中の大切なものの比重はナザリックの子らに大分傾いている。しかし、アインズにとって根源ともいえるギルドメンバーの存在は忘れきることはできなった。

 

「しかし終ぞ見つけることは叶わなかった」

 

 これまでも、決定的なタイミングはあったのだ。この世界に来て百年が経ちユグドラシルプレイヤーが一切現れなかった時、全世界を手中に収め隅々まで世界を探し切った時。

 しかし、アインズは決断できなかった。その結果が、今尚アインズ自身、そしてシモベ達の胸をジクジクと膿んだ傷のように苛み続ける。彼らはもういないと理性で理解しても感情は搔き乱されてしまう。

 

「随分と私の我儘に付き合せたな。だがそれも今日まで…」

 

 本当に長い間、自分の心の弱さが皆を苦しめたとアインズは自戒する。無論皆も会いたいとは思っていたのだろうが、最終的な決定権は自分にある。どこかで区切りをつける責任はこの身にあるのだ。

 愛する妻と子を持ち、その未来も考えていかなくてはいけない。いつまでも過去に縋っていてはいられない、思い出として昇華することは決して悪いことではないはず。

 故にその日アインズは、

 

「彼らはこの世界にいない、そしてもう来ることはない。今日を以て彼らの捜索を終了する」

 

 声を張り、はっきりと断言する。

 それはシモベ達に言った言葉でもあったが、同時に自身の迷いを断ち切るためでもあった。

 

 

 

 玉座の間を静寂が支配する。

 アインズは言葉を放った直後、胸に湧く虚無感を自覚していた。改めて言葉に出すことで、自身でも思った以上に悲哀を感じている。

 だが、己の気持ちよりもと考えるのは愛するシモベ達のことだ。極僅かではあっただろうが、自身の創造主に何時かは再会できるかもしれないという希望は持っていただろう。しかし、アインズはそれを正面から否定した。必要な事であったと思ったから実行し後悔もしていない。だが愛する皆が心に傷を負ったかもしれない、その事は先程の発言で自分の内に宿った悲しさ以上の気持ちを受けるものであった。

 アインズは伏せてしまいそうになる顔を正面に向けシモベ達を見渡す。皆一様に驚愕の表情を浮かべたがそれも僅かの間、辛そうに悲しそうに俯くだけであった。驚きもあっただろうが、どちらかといえばとうとうその時が来たという気持ちの方が強いのだろう。

 皆から感じる悲嘆と諦観に感情を揺さぶられる。アインズには彼らがまるで親を失った子供のように見えた。

 抑制されない乱れた心で、彼らに掛ける言葉を必死に模索する。

こうなることも視野に入れていたはず、その時はせめて傍に寄り添おう等と考えていた甘い自分を殺したくなる。自分で下した決断に自分自身が想像以上に傷つき、そして何より皆の悲しそうな顔に心臓を握りしめられるような遣る瀬無さと憐憫の情を抱いてしまった。悲しみに暮れる子らを前にアインズは何も言えなくなった。自身が凡才であることをこれ程悔やんだことはないだろう。

 何か、何でもいい、愛する子らに何か掛ける言葉は、その心に僅かでも温もりを与えるにはどうしたら———

 支配者として悠然と振舞いつつ、停滞した頭でぐちゃぐちゃの思考を無理矢理動かす。しかし、凡庸な頭脳は何も解決策を提示しない。

 何も解決策を得ぬまま、せめて何でもいいから声を掛けねばとアインズが口を開こうと一呼吸息を吸った時。

 

「アインズ様、大丈夫ですか?」

 

 何時の間にか俯けていた頭を上げ、シャルティアが常の廓言葉を使わずに真っ直ぐにアインズを見つめ問うてきた。

 唐突に話しかけられたことに驚き、言われた意味が理解できず吸った息はそのまま疑問の言葉へ使う。

 

「…大丈夫、とはどういう意味だ?」

「ハッ、私の勝手な推察となりますが御許し下さい。その…アインズ様の御顔がとても辛そうに見えたので」

 

 シャルティアは恐縮しながらもはっきりと言う。アインズは、驚愕に目を見張る。

長年の支配者の演技で人の姿であろうと感情を顔に出さない自信はあった、実際にそのような態度はとっていなかったつもりである。しかし、心の内をシャルティアにズバリ指摘されたのだ。

 シャルティアの表情は眉根を寄せ今にも泣いてしまいそうだった。だが、その顔を形作っているのは創造主への喪失感よりも、まるでアインズに対する気持ちからのものであるような。

 その顔に心を乱され、何も言えずに少しの間が開いた時、さらに声がかかる。

 

「アインズ様、至高の恩方々と御会いできない御悲嘆、私共にはすべてを理解するなどとは恐れ多くとても申し上げられません。ですがその辛い御気持ちの隙間、僅かでも未熟な私に…私達に埋めさせて頂くこと叶わないでしょうか」

「私も姉と同じ気持ちです。アインズ様の御心、その傷を癒す一助になれるのならばこれに勝る喜びは御座いません。どうぞ我らの非才の身なれど、如何様にも御使いください」

 

 シャルティアの横に跪くアウラが右手で胸を押さえ、涙ながら訴えるように進言する。それに呼応するようにその弟も悲哀を乗せた表情で追従した。双子のダークエルフは共に、シャルティア同様にアインズの心を案じている発言をする。

 徐々にアインズも理解が追いつき始める。アインズは皆が創造主を失ったかのような悲痛に苛まれていると思っていた。勿論それも間違いではないだろう。だが皆はそれ以上にアインズの心を慮っている。

 

「アインズ様…戦働キシカデキヌ我ガ身、誠ニ申シ訳アリマセン。ソノ愚カナ身カラノ具申デスガ御聞キ頂ケレバ。是非コノ集イガ終ワッタ後ハ王妃殿ラ、オヨビ御身ノ御子ラト過ゴス時間ヲ御持チニナッテハ如何カト…」

「アインズ様、コキュートスの提案に私も賛同します。御身の御心を癒すには、有難きことにその寵愛を頂いている王妃、そして御子が御傍に寄り添うことが必要かと、差出がましくも愚考致します」

 

 コキュートスに続きデミウルゴスもアインズに意見を述べる。

 コキュートスの声は身を切るような辛い内心を表すように震えていた。アインズの心を癒すことに自身の力が役に立たないと考え、他者に頼り切るような真似を恥じているのだろう。

 デミウルゴスもコキュートスと同様の思いを抱いているようだ。そして常の彼らしくなくアインズの行動を具体的に指定するような提案。そのような提案をしてしまうこと、それ以外に現状思いつかないことに不甲斐なさを痛感しているようだ。

 そんなことはない、お前たちがいてくれるだけで…今までもいてくれただけで、どれほど救われてきたか。反射的にそう答えてしまいそうになる自分を律する。震える口元を引き結ぶ、今口を開けば歯止めが利かないと自覚がある。それは皆の支配者に相応しくないだろう。

 

「恐れながらアインズ様。主の御傍に控え御命令に従うこと、それこそが私の存在意義…ですが今アインズ様の御心の為にどう尽くせばいいのか、そのようなことが分からぬ愚かな我が身を御許しください。しかし、私を含め後ろに控えるプレイアデス、一般メイドに至るまで、皆御身の為に存在しております。私共にできることであれば如何様な事でも是非に御明示下さい」

 

 セバスもまた主に尽くす執事として作られた身でありながら、現状アインズの為にできることを考えつかず己が身を情けなく思い謝罪する。しかし、それでも何かできることはないかとその熱く真剣な視線をアインズに向け、彼の忠誠を表すように清淑に跪く。

 後ろに整列するプレイアデス達も、敬愛するアインズの辛い気持ちを僅かでも癒せないか、そのためならどんなことでも為せると熱意に体を滾らせている。

ナザリックの子らも同じであった。アインズが自身の気持ちより子らの気持ちを心配したように、彼らもまた自身よりアインズの心を優先した。その忠義、温かさに心が包まれる。だがそれでは立場が逆だと、崩壊しそうになる支配者としての偶像を、唇を噛み締めて形作る。

 違う、俺はいいんだ。俺は最後に少しでも会うことができた。だけどお前達は、あの頃は自分の意思で喋ることも動くこともできず、そして引き留めることもできなかった。俺なんかとは味わった絶望が違うだろ。

 

「父上…父上は慈悲深く御優しい御方。我らに向けて下さるその御気持ち、身に余る光栄です。しかしまずは何よりも御身の御心をこそ、御自愛していただけるよう伏してお願い致します。我ら皆、己の気持ちよりも父上の苦悩こそ、その身千切れてしまいそうなほど苦しいものなのですよ」

 

 常の大仰な振る舞いは何処へ行ったと言いたくなるような、真摯で静かなパンドラズ・アクターからの言葉であった。己が創造した子だからだろうか、パンドラズ・アクターはアインズの心の機微を、ナザリックの子らに向ける情を正確に把握していた。そしてそれを分かったうえで、まずは自身のことを大切にしてほしいと言う。

彼だけは他の者とは違いアインズが、自身の創造主がいる。そのことで、英知に優れる彼は周りにも気を使って過ごしてきた。故に今も一歩引いた視点から、アインズとその言葉を受けた他の者の心を察し先の発言をしたのだ。

 皆からの、昔から一切衰えることのない忠義。否、今はそれだけではない、これまでの永い時で培われてきた深い愛情を一身に感じる。心の奥底を包まれるような温かさ。 

 かつて、現実で母を失った。その後ユグドラシルで掛け替えのない友人を得た。しかしその友人らも一人、また一人と去っていった。悲しみに暮れる中、孤独の玉座で再び自分は大切なものを得た。分かっていたはずだったのに、どうやら自分の目は永い時曇っていたようだ。

 

「アインズ様」

 

 すぐ横から声がかかる。どうにか決壊しそうな表情をそちらへ向けると、アルベドが微笑みながらアインズを見ていた。

 

「アインズ様、私は…私達はこの先何があろうと、アインズ様が不要と仰られるまで御身の御傍を離れません。御喜びの時は共に喜びます、御辛い時は共に悲しみます…御許しいただけるのならば、永久の時を共にしたく、そう心より思っております」

 

 アルベドの顔はサキュバスとは思えないほど慈愛に満ち、聖母のようであった。

他の皆もアルベドの言葉に同意するようにこちらを見上げている。中には嗚咽を漏らすものも居た。

 

「…不要などっ…と、言うわけが…ないだろうっ」

 

 どうにか掠れた声を絞り出す。

 アインズははっきりと理解する。自分は確かに大切な友人らを失ったかもしれない。しかし今自分の周りにいる存在は、何をおいても失いたくない掛け替えのない子ら。決して彼らの代わりなんかじゃない、共にいてくれる家族。

 

「……っ」

 

 皆にこの気持ちを伝えたい。だけど今はまともに…アインズ・ウール・ゴウンとして話すことができそうにない。

 アインズはせめて支配者としてのロールは続けようと考えていた。皆が自分の、ナザリックの為にいてくれる。能力も凡人で大きく役に立てない自分はせめて、皆が期待する姿は維持したかった。

 否、ひょっとしたらそれは皆の———愛する家族の前でみっともない真似はできないという、鈴木悟の…男としての意地っ張りだったのかもしれない。しかしそれこそ、今の心はオーバーロードではなく鈴木悟の人としてのものだという証明に他ならない。

 

 ああくそっ、人の体で来たのは失敗だったか…いや、今の気持ちを抑制なんて絶対にしたくないな…

 だけどそれは駄目だ…それは支配者としての行動じゃない!それだけは絶対に駄目だ!

 

 唇が痛くなるほど噛み締める。手すりを持つ手に血管が浮き出るほど力を籠める。

どうにか支配者の虚像を保ち続けようとするアインズだが、ふいに——

 

———独りじゃないでしょう、モモンガさん?

 

 夢の最後に聞いた、友からの言葉が今更に届き耳朶を打った。

 その言葉はアインズの頭の奥へスルリと入り込み、一気に脳へ浸透していく。

 耐えていた息をフッと吐きだす。今迄の我慢は何だったのかと言いたくなるほど、堪えていた気持ちがあっさりと解放される。

 

———ええ、そうでしたね皆さん。

 

 目を閉じる、瞼の裏に幻視が映る。

 遠い向こうの霧の中、嘗ての仲間の姿を見ることができた。

 先ほど見た夢とは異なり、皆異形の身だが一様に微笑んでいることが分かった。寂しさを含んだ微かな笑み。今度こその別離への、思いを含んだ顔。

 アインズは…いや、モモンガは彼らに最後の言葉を告げる。

 

———ありがとうございました。それと…さようなら。

 

 述べる感謝はかつて共に歩んだ栄光の日々へ。別れの言葉はあの日のような「またどこかで」ではない。

 友の姿が消えていく、しかし先程のような絶望はもうない。過去を見つめ続けるのは終わりにしよう。もう自分は今の大切なものを得た。

 今生の別れを済ませ、アインズは目を開ける。皆一様にギョッとした様子で目を見張っていた。

 だが…支配者の演技を続けることができなかったアインズには、両の目から溢れる熱い雫を止める術はなかった。

 

「アッ…アインズ様⁉」

 

 誰からともなく驚愕に染まった声が漏れる。

 

「やはり何処か御体の具合が悪いのですか!」

「何者カノ攻撃ヲ受ケテイラッシャルノデハ!」

「すぐに治療の用意を、ペストーニャ!」

「御辛いなら是非私の胸の中へ!」

「そんな詰め物じゃなくこっちの本物の方がいいですよ!」

「姉さん…はしたない」

「…父上…良かったですね」

 

 場が騒然とし、収集がつかなくなる。

 アインズはその様子を見て涙を流しながらもクツクツと笑う、自分の大好きなナザリックの喧騒だと。

 しかし今はと右手を挙げる。

 それを合図に皆が静かになるが、その顔には一様にアインズへの心配が浮かんでいる。

 

「すまない、私は大丈夫だ」

 

 いまだ涙は止まらず声も掠れている。だが今のタイミングで皆にこの気持ちは伝えておきたかった。

 アインズはナザリックの皆を見渡す。

 

———シャルティア。アルベドに続き私の子を産んでくれた第二王妃。今でも変わらずアルベドやアウラと些細な口喧嘩をしているが、そんな光景もナザリックの風物詩。だけどあまりマニアックなプレイばかり欲求するのは娘の教育に悪いし治してほしいな。

———デミウルゴス。その智謀でナザリックを支えてきた頼もしい悪魔。セバスとの喧嘩ももはや様式美だな。未だに自分をデミウルゴス以上の知者として見てくるのは参るが、今後は己の力でその期待に応えていきたい。

———コキュートス。武人としてナザリックの為、見事な戦働きを常にしてきてくれた。最近では我が子に戦いの稽古を付けてくれている。爺と呼ばれ嬉しそうにしているのは微笑ましい。子供らには是非彼のように真っ直ぐに育って欲しい。

———アウラ。愛する第三王妃。基本姿かたちが変わらないナザリックの中で一番見た目が変わったのはこの姉弟だろう。最近我が子を出産し母親としての包容力も身に付き始めている。隙あらば夜這いを掛けてくるのは困りものだけど。

———マーレ。恥ずかしくなったのか今は女子の格好はしていない。昔のような弱気な態度もなく立派に階層守護者の任を全うしてくれている。ただやはり姉には弱く、自分と二人きりの時は甘えてくる幼さもある。

———セバス。人外となったツアレと結ばれ子も持った。その子もナザリック…自分に尽くせるメイドとなるよう、夫婦で厳しい修行を付けてくれている。昔と変わらぬ忠義に感謝しかない。

———パンドラズ・アクター。自分を父親と慕い、ただ自分の幸せを考えてくれる大切な息子。ただ、新たにできた妹たちにオーバーな動きやドイツ語を教えるのは勘弁してほしいが。

———アルベド。最初から自分に変わらぬ愛情をくれる第一王妃。彼女に付け加えてしまった設定を気にし、随分長いこと待たせてしまったがそれでも自分を愛してくれている。これから、生涯…永久に幸せにしていこうと思う。

 

他にもその後ろに控えるプレイアデス、一般メイド、階層守護者、居並ぶ異形達。皆自分の愛するナザリックの子ら、家族だ。

 

「…みんな」

 

 アインズが静かに喋り始める。

 

「みんな、今まで一緒にいてくれてありがとう」

 

 その顔は、声は常の泰然とした支配者のものではなかった。

 

「みんなが居たからここまでこれた」

 

 ただ涙を流し、優しそうに微笑む気弱な青年がそこにいた。

 

「この中の誰か一人だって欠けたら駄目だ、それは耐えられない」

 

 鈴木悟の剝き出しの告白。

 自分達への無上の愛、過分すぎる慈悲。ナザリックの子らはただ惚けて静かに涙を流す。

 

「ああ…先は長いが行こうか共に。ずっと一緒に、幸せになろう」

 

 これは永遠の時を続けるナザリックのある日に起こったほんの一幕。

 ただ家族が仲睦まじさを再確認しただけの些細な話。

 

「みんな俺の大切な家族だ…愛しているよ」

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

———蛇足

 偉大なる主は話を終えると気恥ずかしそうに「今日の報告会はこれまでっ!」とだけ言い残し転移していった。おそらく自分の部屋に戻ったのだろう。

 王の去った玉座の間、配下達は熱に浮かされたような夢見心地のなかにいる。

 早鐘のように打つ心臓、頬は熱を帯び冷めそうにない。このまま死んでしまうのではないかという幸せの絶頂。

 再び行動を開始するまで暫くの時間を要した。

 

「…ふぅ」

 

 最初に我を取り戻したのはデミウルゴスであった。

 涙を拭い身体に滾る熱を落ち着けるようにデミウルゴスが息を吐く。それでも燃え盛るような気持ちは一向に収まる気配をみせない。

 

「さて、皆さん。何時までも惚けている場合ではないですよ。今日もナザリックの、そしてアインズ様の為に働かなくては」

 

 両手を広げ他のシモベへ話しかける。

 いつも以上に言葉が弾むのは、今は仕方がないかと諦める。他の者が次の行動を起こさず意識をここではないどこかへ飛ばしているのも、無理はないと思うが何時までもそれではいけないと気を引き締める。

 シモベ一同に多大な慈悲を見せてくれたアインズに対し自分達は応えていく義務がある。

 

「ソウダナ、アインズ様ガ我ラト共ニ歩ンデ下サル事ヲ御選ビ下サッタノダ。我ラモ前ヲ向キ今マデ以上ニ忠誠ヲ捧ゲネバ」

 

 コキュートスが漏らすその言葉は、まるで迷いを断ち切るようなはっきりとした響きがあった。

 今日の報告会に参加した皆がギルドメンバー捜索打ち切りの話を聞いた際、やはりその胸を虚無感が襲った。今迄も散々永い時世界中を探し回りそれでも見つからなかったのだ。薄々とではあるがその可能性も常に頭を過っていたが、自身の創造主というのはそれだけ影響を持つ存在なのである。

 しかし、それはアインズにとっても同じであったはずだ。自分達創造物よりも長い時を共にし切れない絆を持っていたはず。

 それでも今日、その最も大切なギルドメンバー捜索の終了を宣言した。その胸中は作られただけの自分達では想像もできない。

 そんな中アインズは、これからを自分達と共にいると言った。

 涙を流し嗚咽しながらの笑顔は常の偉大にして荘厳な主らしくなかったが、その剥き出しの感情こそ自分達への偽らない本音であると感じさせられた。

 ならば自分達もその主に相応しいシモベとして過去に縋り続けるのはやめる。無論敬愛する創造主を忘れ去るということではない、思い出として胸にしまいこれからをアインズと生きていく。それこそがあれほどの慈悲を掛けてくれた主への忠義だろう。

 

「セバス…いつまで泣いているのかな?執事としての仕事を全うしたらどうだい」

 

 デミウルゴスの言葉が犬猿の仲のセバスに向く。セバスは涙を拳で強引に拭いデミウルゴスに向き直る。

 

「デミウルゴスに言われるまでもありません。今すぐ執事としてアインズ様に尽くす、それこそがあれほどの御慈悲を下さったアインズ様への忠義です」

「それは何よりだよ。何時までもメソメソされていては辛気臭くてかなわない」

「おや、デミウルゴスも泣いているように見えましたがね。悪魔の目にも涙とは何とも可笑しな話です」

「アインズ様からあれほどの御言葉を頂いたんだよ。心打たれ感情が表れるのは当然のことだろう?それとも君はそれを否定するのかい」

「馬鹿な事を言わないで頂きたい。アインズ様から頂戴した御言葉を否定するつもりは一切御座いません。」

「イツマデ続ケテイル、アインズ様ガ御戻リニナッタトハイエ玉座デアルゾ!」

 

 コキュートスの言葉にどうにか二人は落ち着きを取り戻す。だがお互いにその様子を目にしふいと顔を背ける。

 いつものやり取りにも思えるが、周りから見ていたものには何時もより言葉に熱が入っているように見える。両者とも身体に滾る熱を持て余し言葉となって発露しているようだ。

 

「あの二人も相変わらずだね…」

 

 こちらもようやく心を落ち着けたマーレが呆れたように溜息を吐く。

 

「あんたも泣いてたくせに何言ってんのよ」

 

 アウラがそんな弟を後ろから抱きしめ指で頬を突く。その声には揶揄うような響きがあり、日常的にいじられてきた弟はまたかと先と違う溜息を吐く。

 

「姉さん、暑苦しいから離れてくれ」

「ん~?可愛い弟がシクシク泣いてるから慰めてあげようかなって」

 

 そう言ってアウラはマーレの頭をよしよしと優しく撫でる。マーレとしては人前でこんなことをされても嬉しさは皆無で気恥ずかしさしかない。そもそも言葉通り慰めようとしているのではなく、明らかに揶揄って楽しもうとしている。

 

「そういう姉さんこそ泣いているように見えたけど?」

「私はいいの、いつもベッドでアインズ様に泣かされてるし。今夜も慰めて頂かなきゃ」

 

 どうにか反撃を試みようとした弟だが卑猥な返答にげんなりするしかない。

 子供ができて多少落ち着いたかと思っていたが性根は変わらないなと相手にするのをやめようとするが、からかい好きの姉は弟を逃がしてくれない。

 

「ほらほら、お姉ちゃんの胸で泣いていいんだよ。アインズ様も夢中になってくれたこの胸で。あっ、でもお触りは駄目ね、私の体はアインズ様専用だから」

 

 アウラがマーレを揶揄うのは常の光景だがいつもよりしつこい。先ほどのアインズの言葉にアウラも浮かれているのだなと考えるが、その発散に自分を使われたらたまったものじゃないと弟は姉を押しのけ距離を取る。

 

「姉さんの胸に興味なんて欠片もないから安心してくれ」

 

 呆れたように言い捨てる。

 かつてシャルティアから聞いた至高の恩方の言葉、「姉のは使えない」とはこういう気持ちで言ったのかなとこんな時に懐かしく感じた。

 アウラの瞳が細まり口の端がニヤリと上がる。あれは碌でもないことをいう顔だと止めようと試みるが遅かった。

 

「ん-そうよね、女の胸なんて興味ないわよね。そんなことより今必死に探してる性転換の秘術の方が重要だもんね」

「ねっ姉さん、なんでそれをっ⁉」

 

 周囲がざわりとどよめく。大半の者がマーレがそのような術を探している理由に一瞬で思い至ったからだ。

 

「ふむ、前から怪しいと思っていたが…そうか、君もかマーレ」

「おやおや、私に母上がさらに増えるのですかね!」

 

 セバスとの口喧嘩を終えこちらの話を聞いていたデミウルゴスが納得したように呟く。追従するように、パンドラズ・アクターが大仰に左手を胸に当て右手を掲げて声を上げる。

 

「ぼっ僕…私は何もそういったつもりはっ」

 

 褐色の肌でもわかる真っ赤な頬を晒しマーレが声を荒らげる。

 

「アインズ様ヲ敬愛シテイレバ当然ノコト、何モ恥ズカシガル事ハナイダロウ。…タダ、御子ガ誕生シタ際ハ私ニモ抱キアゲサセテハクレナイカ…」

 

 コキュートスがフォローのようなことを口にするが、最後は自分の願望が漏れていた。

 

「みっ、御子⁉」

 

 自身とアインズの御子、その光景をしっかり想像してしまったマーレは、もはや全身を真っ赤に染め口を開閉するだけだ。

 そこへアウラが、先程の揶揄う様子は鳴りを潜め真面目な顔で声を掛ける。

 

「アインズ様には王妃の席を一つ空けておいて頂けるようにお願いしておくから。それにマーレがちゃっちゃと結ばれないと後の子が遠慮しちゃうでしょ。…まあユリとナーベラルはもうお手付きみたいだけど?」

 

 ニヤァと再び笑みを浮かべ、後ろで様子を見守っていたメイド二人に話を振る。

突如声を掛けられた生真面目なメイド二人は、驚愕からすぐにマーレ同様顔を真っ赤に染めた。さらに他の姉妹たちからは非難の目を向けられている。

 

「なっ…ぼ、僕は…そのっちがっ」

「あっあれはアルベド様から勧められたのもありっ」

「ええっズルいっすよ二人とも、聞いてないっす!」

「いつの間に…ああ私の体なら極上の快楽を差し上げられるのに」

「…ズルい、卑怯、淫乱」

「抜け駆け~」

 

 アウラからの更なる爆弾発言に場が騒然となる。

 するとパンパンと手を鳴らす音が響き、皆が一様にそちらへ目を向ける。視線を受けたデミウルゴスが場を仕切りなおすように大きく声を出す。

 

「皆さん、騒ぐのはこれくらいにしておきましょう。先程も言ったように我々はアインズ様の為、今迄以上の忠義を捧げなくてはなりません。さあ、行動を開始しましょう!」

 

 その言葉に皆も気持ちを切り替える。主から賜った言葉にまだ酔ってはいるが、それも奉仕への大きな原動力となるだろう。

 皆が立ち上がり各々の持ち場へ解散しようとする中、一人座り込む存在にコキュートスが気付く。

 

「ドウシタ、シャルティア?具合デモ悪イノカ」

 

 先程の騒ぎの中も俯いたまま静かに跪いていた同僚へ声を掛ける。常なら王妃の話など、この第一王妃への下克上を狙っている存在が黙って聞いているわけはない。

するとシャルティアはゆっくりと顔を持ち上げる。

 白い頬のキャンバスは真っ赤に染まり、滴る汗が頤から落ち光を反射して弾ける。息遣いも荒く、促迫する呼吸に合わせて偽りの胸が上下していた。要するに発情していた。

 ドン引きしている他の者へシャルティアは静かに語り掛ける。

 

「あのいと尊き愛をこの身に受けて下着が…いえ、下着を貫通して下半身の装備全部が少し不味いことになってありんす…」

 

 何時かのやり取りと同じ光景。場に何とも言えない沈黙が漂う。

 そんな中アウラが片手で蟀谷を押さえ、呆れたように呟く。

 

「アンタは昔から頭も行動も全く成長しないわね…」

「ああ?…今何か言ったかしら、ちょっと背が大きくなったからって調子に乗らないでくんなまし」

「大きくなったのは背だけじゃないけどね。これが羨ましいんでしょ、に・せ・ち・ち」

「お゛お゛いっ⁉それを言ったら戦争だろうがいっ!」

「この間もアインズ様のを挟んで差し上げたらとっても悦んでくださったわよ。ああ…でもその詰め物じゃあ…」

「いぃ度胸だくそビッチ!偽物が本物に敵わないなんて道理はないところ見せてやらぁ!!」

 

 ようやく落ち着き始めた場が再び騒然とする。

 デミウルゴスとコキュートスが呆れた溜息とともに止めようと声を掛ける。

 マーレは姉の発言に頭を痛そうに押さえている。

 セバスはプレイアデス、一般メイド等を解散させようと指示を出す。

 そんな中一言も発することなく静かに佇む存在が居た。アインズが去った玉座を見つめる守護者統括。彼女の顔は何の感情も窺い知れない無表情。

常ならば誰かが彼女の様子に気付き声を掛けたかもしれない。しかしアインズからの言葉に浮かれていた皆は、その様子に気付くことはなかった。

 ただ一人を除いては。

 

「守護者統括殿」

 

 思考の空白に入り込むように、いつの間にか近づいていたパンドラズ・アクターの言葉がアルベドの耳朶を打つ。それは周囲の者に気付かれない小さな囁きであった。

 

「何かしらパンドラズ・アクター?」

 

 いきなり声を掛けられた驚きは一切見せず、思惑の読めないパンドラズ・アクターに合わせ小声で応答する。

 

「いえ、貴方も義理とはいえ私の母上。ここは一つアドバイスをと」

 

 アルベドは狙いが見えてこないパンドラズ・アクターに眉を顰め無言で先を促す。

 

「我が父上は慈愛に満ちた心御優しき方。必ず貴方のすべてを受け入れてくださいますよ」

 

 アドバイスというには漠然として要領を得ない言葉。しかしアルベドは瞬時に彼が自身の考えを読んだのだと理解した。

 アルベドは一瞬思考を巡らす、そしてすぐに結論を出した。

 

「そんなこと言われるまでもないわ」

 

 吐き捨てるように呟く。パンドラズ・アクターが自身の思惑に気付いたとしても、アインズに絶対の忠誠を誓う彼ならば障害にはならないだろうとの判断だ。彼も、それが最終的にアインズの為になると納得すれば邪魔はしてこないはず。

 最後パンドラズ・アクターに意志を伝えるように睨みつけた後、アルベドはこの場を去っていった。

 その背を見つめるぽっかりと空いた二つの空洞。

 

「まったく、守護者統括殿の愛は本物であるが故あそこまで重いのでしょう。それこそ自身を追い詰めるほど」

 

 溜息を吐き帽子の鍔を右手で持ち位置を直す。

 そして胸の前に手を掲げ偉大なる自身の父を思い浮かべる。

 

「さりとて絶対なる我が父上の愛は無上、貴方のその気持ごと包み愛でて下さいますよ」

 

 その顔には黒い空洞が三つあるだけ。しかしその心には確かに敬愛する父への信頼、不変の忠義がある。

 

「Wenn es meines Vater Wille」

 

 本人の前では禁止されているドイツ語、そしてこれが彼の最も忠誠を示すポーズである敬礼をここにはいない父へ向けた。

 

 

 

———蛇蛇足

 アルベドは思考する。

 アルベドが報告会でアインズからギルドメンバー捜索の打ち切りを聞いた時、その心中は二つの激情で渦巻いていた。

 一つは迸るほどの歓喜。今尚あの裏切り者共に執着を見せるアインズが、ようやくあれらに一つの区切りをつけた。それはあれらではなく、今の自分達をその心の中心に寄せて行ってくれている証明ではないか。

 もう一つは煮え滾る憤怒。あれらを自身の手で亡き者にするチャンスが失われてしまったことに対する耐え難い屈辱であった。

 そもそもアルベドがギルドメンバー捜索の任を希望したのはあれらを確実に亡き者にするため。

 そう、ナザリックを…愛する主を捨て去り今尚その心を苛む薄汚い亡霊共。これまでの永い時幾度も妄想の中で惨殺してきたことか、そのためのビジョンも冷徹な知性で組み立てている。

 あれらがもし万が一こちらの世界に来た時、愛するアインズをリアルに連れ去ってしまうのではないか、アインズに自分たちを捨てさせようとするのではないか。そんな体がバラバラに砕けてしまいそうな想像を、自我を得た時から繰り返ししてきている。

 アインズと結婚し子ができ、愛されているという自信はあった。しかし、アインズのあれらへの執着を見ていた身には不安を拭い去ることはできなったのである。

 故にアルベドは、あれらがもしこの世界に来た際はアインズに気付かれることなく真っ先に始末しようと考えていたのだ。捜索に必要だと借りることを約束できた妹とワールドアイテム、そしてパンドラズ・アクターを使って。

 しかし、その機会は失われてしまった。他ならぬ愛する主の言葉によってだ。

 勿論奴らがこちらの世界へ来る確率は今となってはゼロに等しいだろう。それでも、ゼロではないのだ。そう、僅かでも奴らがこの世界に現れる可能性は残ってしまう。それではアルベドの心に永遠の安寧は得られない。亡き者にした方が確実なのだ。

 それにこちらに来ないにしても、アルベド自身があれらを殺したいと思っている。愛する主を傷つけたことへの粛清を自身の手で行いたい。身の内にドロドロと流れる憎悪をどうにか奴らを殺す妄想で宥め賺す。

 

 

 

 アルベドは回想する。

 あれは暫し時を遡る、愛する主と結ばれ何度目かの体を重ねた日のこと。性交の余韻に浸り、お互いに体を向けあい抱きしめあって寝ている。いや、アルベドは先に寝入った主の寝顔を幸せそうにうっとりと眺めていた。この世界で一番の幸せ者は自分である、下腹に感じる主の熱を愛おしそうに撫で確信する。

 主は瞳を閉じ静かに寝息を立てていた。その頬を母が赤子にするように優しく触れる。普段のオーバーロードの姿も素敵だが人の姿も愛おしい。それにこの姿なら体を重ねることができる。

 主との交わりに至上の幸福を感じつつ、次は愛の結晶が欲しいと感じる。しかしこれだけ何度も交わっているのだから、それもすぐのことだろうと焦りはない。

 

「——」

 

 ふと、主の口から音が漏れた。寝息かと思ったが再び聞こえたそれは言葉、寝言であった。盗み聞きのような真似は躊躇われたが、誘惑には勝てず顔を近づける。額が合わさり、唇が重なりそうな距離で主の言葉を待つ。

 

「———」

「フフ…何ですかモモンガ様」

 

 主が起きないように囁くような声で、心の中だけで呼び続けている尊い名を口にする。いつかまた、主を縛るアインズ・ウール・ゴウンの名を捨て本当の名を取り戻してほしい。

 だが今はとアインズの頬を撫で幸福に酔う。

 しかし幸せだった気分は次に聞こえた主の言葉によって一瞬で瓦解した。

 

「…どうしてみんな…いなくなって———」

 

 掠れた嗚咽を漏らすような言葉、その言葉が聞こえた瞬間アルベドの体は考えるより先に動き、主の頭を掻き抱いた。

 幸いだったのか、抱きしめたアインズは目を覚ますことはなくアルベドの胸の中でうわごとを続ける。

 

「俺が…ちゃんとしてないから…」

 

 そんなことはない、主は最後まで一人このナザリックのために残ってくれた。それがナザリックの者にどれほど救いだったか。その気持ちが主に届くようにと抱きしめる腕に力を籠める。震える主の体を自分の想いで暖められるようにと。

 

「…ごめん…ごめんっ」

 

 あいつらへの謝罪だろうか。そんなものは不要だ、奴らは所詮畜生にも劣る裏切り者。主が謝る必要なんて一切ない。必ず自分が抹消して見せる。アルベドの心に主への熱とは別の憎悪が滾る。

 

「…ごめんなみんな、寂しいよな…」

 

 主の言葉に一瞬思考が空白になる。てっきり奴らへの謝罪かと思っていたがそれは自分達ナザリックの者への謝罪だったのだ。

 奴らへの怒りは一旦脇に置き抱きしめたアインズの頭、その髪を優しく手ですく。そしてまるで我が子へ囁くように言葉を落とす。

 

「大丈夫ですよモモンガ様。あなたさえ居てくれるなら他には何もいりません」

 

 そう、このナザリック地下大墳墓はすべてアインズのものだ。他の者どもなどこの地を捨てた不純物、無用の長物にすぎない。

 

「必ず私が奴らを殺し、御身の頸木を解き放って御覧に入れます」

 

 改めて覚悟を決める。アインズの心に巣くう忌まわしき幻影。それが現実へ侵食してくるなら自分がこの手で必ず———

 アインズに向ける慈愛の女神のような態度とは裏腹に、その金色の瞳はいまだ現れぬ獲物を狙い、蛇のように無機質であった。

 

 

 

 アルベドは驚愕する。

 

「アルベド…彼らが憎いか?」

 

 アインズがギルドメンバー捜索の打ち切りを発表した報告会から少し経ち、アルベドはアインズの部屋に一人呼ばれていた。特に急ぎの用事もなかったはずだがと不思議に思いつつ、アインズの部屋へ向かう。ひょっとしたら夜伽に呼ばれたのかと、早足になりつつ背中の翼は無意識に忙しなく動いてしまう。

 しかし主の部屋、向かい合わせで椅子に座り問われた内容は想像とはまったく違うものであった。アルベドは何とか表情を保ちつつも、その優れた頭脳は混乱の極みに達する。

 一体いつ…いつ主は気付いたのか。あの寝床での囁きを聞かれた?いや今は———

 

「彼ら…とは?」

 

 何のことかわからない、といった様子で微笑を湛え首をかしげる。

 まずは少しでも時間を稼ぐ、その間に何か打開策を———

 

「タブラさんを含むギルドメンバー達を憎んでいるのか?」

 

 逃げ場などないようにはっきりと問われる。

 その声には詰問しているような様子は見られず、ただ静かに事実の確認をしている風であった。

 

「…御戯れを、何故我らの造物主を憎む理由がありましょうか」

 

 声は震えることなく表情も完璧に繕った。しかし体と切り離した内心は必死に現状を打開する一手を模索する。

 主の為とはいえ虚偽を述べることに心が軋む。

 

「アルベド」

 

 彼女の主は優しく、悲しそうに微笑みながら名を呼んでくれる。

 

「今確信した。私に嘘はつかなくていい」

 

 何故かは分からない、分からないがアインズは自身の気持ちを知っておりそれに確証を持っている。

 

「彼らを憎んでいるのだろう」

 

 断言する言葉。

 アインズに、この世で最も愛する夫に嫌われる。

 そう考えた瞬間足元が崩れ去るような不安、心臓を握り潰されるような恐怖が身を凍えさせた。

 

「あっ…アインズ…様」

 

 アインズから顔を反らす。

 

「私は…わたし、は…」

 

 言い訳は何も思いつかない。思考がドロドロと白濁し視界が暗くなる。手足は意志と無関係に震えだし、指先から中心へ向け熱が消えていく。そして血液まで凍ってしまったように寒気を感じる。

 心を手に入れ主の傍に居るようになってから忘れていた、孤独と絶望が溢れだす。

 

「…ああ、いやっ」

 

 どうか、どうか嫌わないで。見捨てないで。いなくならないで。

 自身が考えていた主に対する裏切りを思えば、虫のいい話だとは自覚がある。

それでも、懇願せずにはいられなかった。

 

———もし私を憎まれるのならせめてその手でこの首を———

 

 眦から涙が溢れる。幼子のように両手で顔を覆い現実から目を逸らそうとする。

暗くなった視界の中、身も心も暗く深い闇の中へ落ちてしまいそうな感覚を得た。

これも自分の行った行為への罰なのかもしれない。捨てられたくないという気持ちに相反する納得へ気持ちが傾き始める。

 

———もう、このまま…———

 

 今迄の幸せに満ちた日々が思い浮かぶ。しかしそれらが徐々に消えていく。暗闇の中に灯っていた光が次々と消えていってしまう。

 

———消えてしまえれば———

 

 とうとうすべての光が消え失せ自身の体も闇の中へ霧散しようとしたとき———

温かい腕にその身を抱きしめられた。

 

「アルベドよ、よいのだ」

「アインズ…様?」

 

 この世界で最も安心できる場所、愛しい主の抱擁に包まれ嬉しさよりも混乱が先に来る。

 抱き締められたまま主の顔を見上げれば、困ったように眉根を寄せてはいるが口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。声色も怒気は含まれず、悪戯をした子供を優しく叱る母親のようだ。

 罵声を受け捨てられることを覚悟していたアルベドの思考は現状を理解できずに戸惑う。罪悪感が抱き締め返すことを許さず両手は虚空を彷徨ってしまう。

 

「永い間気付かずお前のことを苦しめていたようだな…不甲斐ない私を許してくれ」

「おっ、御身が謝られるようなことは何もっ!」

 

 いきなりの謝罪に混乱に拍車がかかる。だが今迄裏切りに近い行為をしていた自分が主に謝らせることはあってはならないと即座に言葉を返す。

 

「お前は自分が思っているよりもずっと優しい、私だけではなく他の子らの気持ちも汲んだのだろう?」

「———!」

 

 台詞は疑問形だが確信を孕んだ言葉。

 アルベドは確信を突かれ驚愕し言葉を返すことができなかった。

 あの裏切り者共への憎悪、その核心にあるのは愛しい主の心に自分以上の存在として蔓延ることへの嫉妬、そして主の心に孤独を植え付けることへの憤怒が大きい。

だが今はそれだけではない。

 ナザリックの他のシモベは仲間であるという意識はあった。しかし最後まで残ってくれたアインズだけではなくこの地を捨てた裏切り者までも今尚敬愛しているという事実、それがアルベドには耐え難かったのだ。

 最初の頃はあんな蒙昧共を信奉する愚か者と、密かに憐憫と軽蔑の目で見ているだけで済んでいた。

 だが、あまりにも長い時の中を共に歩みすぎた。

 時には愛する主について一晩語り合った、時には主に献上する策を競い合った、時には子供の世話の大変さを分かち合った、時には模擬戦をし武を競い合った、時には親のように家事を教えてあげることもあった。

 アルベドの中でアインズほどではないにしても、他のシモベ達の存在も大きくなっていった。もはやかつてのようには見れない、主を共に支える仲間として情が移ってしまったのだ。

 そうすると次に来る感情は、あの裏切り者共が皆を置いていったことに対する怒りである。その仲間たちが捨てられたことを認識せず今尚信じている姿を見ることが辛くてしょうがなかった。

 愛するアインズとそれを支える仲間達、その両方を苦しめ続けるあの存在が疎ましく忌まわしく厭わしい。

 その体に余りある憎悪という激情を宿し、器から溢れ他者に悟られることのないよう細心の注意を払いつつ無窮の時を過ごしてきた。その狂気とも呼べる行為の根源は彼女の深い愛に他ならない。

 しかし今それをアインズに見破られた。英知に優れるパンドラズ・アクターでもアインズに対する気持ちまでしか見抜けなかったのにだ。

 

「アルベド、お前のその成長を私は唯々嬉しく、誇りに思うよ」

 

 その言葉を落とされると共に優しく頭を撫でられる、まるで子供にするように。

それがアルベドの限界だった。

 永い間主と仲間達を騙し続けてきた。常に仮面を張り続け自身でも上手く演じられていたと思う。だがその歪は確実に心を摩耗させ続けていたのだ。アインズと、仲間達と過ごす幸せな日々が大きいほど、その膿は溜まり続け心の隅から腐敗が始まっていた。そのジクジクとした幻視痛は常にアルベドを苦しめ続けてきた。

 だが今、すべてを知ったうえで受け入れてくれている愛する夫がいる。

 抱え続けた重荷を漸く下すことができた。その安堵と解放感からアルベドの気持ちは決壊した。

 

「ア…アイン、ズ…さまぁ」

 

 しゃくりあげて言葉が途切れる。涙でぼやける視界の向こうで愛しい夫は優しく微笑んでいた。

 

「申し訳、ありません…私は、あの…あの裏切り者共を許すことができません!」

 

 永遠に隠し続けようとしていたことを告白する、もはや歯止めはきかない。

 

「愛しい御身を今尚苦しめ…ナザリックを、皆を捨て去った。なのに心だけは縛り続ける亡霊と化してっ」

 

 涙で濡れた頬を歪め、噛み締めた歯から軋む音が漏れる。

 

「貴方をアインズ・ウール・ゴウンという檻に閉じ込め続けた、奴らがっ」

 

 今の憎しみに染まった醜い顔を見ないで欲しい、だが吐き出した気持ちは留まらない。

 

「許すことが、できないのです…」

 

 アインズから顔を反らさず、裁きを受ける死刑囚のような顔で涙を流す。

 アルベドのすべての告白を聞いたアインズはそれでも微笑んだまま。

 

「…そうか」

 

 そしてすべてを飲み込むように頷いた。

 

「アインズ様…?」

「お前の気持ちは何も間違っていないよ。彼らにも事情があった…というのはお前達に対しては言い訳にしかならないだろう」

 

 見捨てたと言えば言葉は悪いだろう。彼らとてリアルに大事なものがあった、あくまでゲームに過ぎない世界に固執するのはむしろその方が異常者だ。しかしそんな事情は一方的に創造され放置されたNPCには関係がない。

 

「だから彼らを憎んでいたって構わない。そんなことでお前を嫌いになったりしないさ。それにな、かつての友らは私にとって大切な存在だが恨み言の一つや二つ私にだってあるぞ?」

 

 そう言って片眼を閉じ楽しそうにニヤリと笑う。

 

「特にそうだな…今は愛する妻を泣かせる原因になったことを、一番に怒ってやりたいな」

 

 アルベドはもはや言葉を発することもできずに主の胸の中で泣き続けた。アインズはこれまでの傷が僅かでも癒えるようにと抱きしめる手に力を籠め、その頭を優しく撫で続けた。

 そうしてしばらくの時が経ち、ようやくアルベドが落ち着いたころゆっくりとその口を開いた。

 

「…アインズ様、やはり私は奴らを許せません…」

 

 椅子に座るアインズの膝の上に横を向くように座り、その腕で愛しい主の首にしがみつく。

 

「ああ、構わないとも」

「ですが他の者は…」

 

 アインズはアルベドの気持ちを認めてくれた。しかし未だに去った者たちを敬愛している他のシモベらがどう思うかは分からない。

 

「そうだな…正直に話してもいいし、無理に言わなくてもいいさ。おそらく気付いているのは私だけだろうしな」

 

 ただ、とアインズは言葉を付け加える。

 

「もし皆と話をするときは言い合ったっていい、喧嘩をしたっていい。だけど直接傷つけあうようなことはなしだ。難しいようなら私が間に入るから何時でも呼んでくれ」

「ありがとうございます…その時はぜひ御力添えをお願いします」

 

 アルベド自身他の皆に正直に言うかはまだ決めあぐねている。だが今はそれでいいと考えた。これから時間はいくらでもある、ゆっくりと考えていこう。それにこの世で最も頼りになる存在が力を貸してくれるのだから。

 

「ああ、それとアルベド」

 

 唐突にアインズが少し気恥ずかしそうに話しだす。アルベドもアインズの腕の中話を聞く姿勢を取る。

 

「私のことを…モモンガと呼ぶことを許そう」

 

 頬を染め、目線を外しながらの提案。

 アルベドの瞳が驚愕に見開いたのは一瞬、ようやく治まっていた涙が再び瞼にあふれ出す。

 

「はい、モモンガ様!」

 

 童女のように、花が咲くような微笑みで返答した。

 すべてが解決したわけではない、未だアルベドの中にはこの地を捨てたギルドメンバーへの怒りはある。だが少なくともアインズの前では、今までのように自分一人で抱え込み押さえつける必要はなくなった。他の仲間とも折を見て話そうかという気持ちもある。それで喧嘩をしたって修復するための時間は無限にある。何より愛しい主も一緒なのだから。

 アルベドの邪気の含まれない純粋な笑みは、長年連れ添った夫を再び魅了するほど魅力的であった。

 

 

 

「ところでモモンガ様」

「なんだアルベド?」

「どうして私の気持ちに気付いたのでしょう?完璧に隠し通していたつもりでしたが…」

「…ああ、ううん、それは何というかな………だな」

「はっ?今なんと?」

「…愛、だな」

「あっ、愛っ?」

「どれだけお前と一緒に居たと思っている。皆の話をするときのお前の顔を見ていたらなんとなくそうなのか…とな。ま、まあ勘のようなものだ!」

「……………」

「アッ、アルベド?」

「クッフー!いいえモモンガ様、勘などでは御座いません、それこそ御身からの愛!」

「っあ、ああ、うん…はい」

「ところでモモンガ様…」

「どうしたアルベド…なっ、なぜ服を脱ぎだす⁉」

「ここまで私の気持ちを高揚させて何もなしとはあんまりでは御座いませんか?」

「おっおい待て!服を脱がせるな、どこを触っている!!」

「娘もそろそろ姉妹が欲しいでしょう…あっ、モモンガ様のこちらも臨戦態勢は御整いでは御座いませんか」

「待て待て待て待てっ待ってお願い!!」

「夜はこれからですよ?」

「アッー!!!」

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