どこまでも続く青い空、雲一つなく深い群青は天を覆っている。
終わりのない青の中をこの地方特有の白い渡り鳥が数十匹の群れをなし優雅に泳ぐ。向かう先は此処より南の地、豊富な餌と住処のある土地を目指すのだ。
そんな空の遊泳者の眼下、一つの大きな都市があった。アインズ・ウール・ゴウン魔導国、ローブル地方にある人口数万人の地方都市の一つ。南部ローブル地方に位置し、海に面した土地が多い中、内陸に作られた都市である。
都市の中心には建物が立ち並ぶ中にぽっかりと空いた円形の大きな広場がある。都市に暮らす人々が休める憩いの場として作られた場所。レンガが規則正しく並べられた地面、広場の広大さを損なわないように円周に沿って設えられたベンチ、都市の中においても清涼感を感じられるよう植えられた樹木。
普段は都市の住人や他所からの行商人が露店を開き、大いに賑わい活気に満ちている。客引きの威勢のいい謳い文句、日々の疲れを癒す冒険者達の姿も日常の風物詩として愛されていた。
しかし、その日の広場はシンと静まり返っていた。常の喧騒が嘘のような静寂、時折聞こえるのは囀る鳥の鳴き声や風に唸る大気の音。だが、その静けさとは逆に広場はじりじりとした熱気に包まれ陽炎のように空気は揺らめいていた。
広場には大勢の人間が集まっていた。円形の広場の中心に向かい整然と隙間なく並んで膝をついている。見れば老若男女、多種多様な種族が集っているが皆一様に静かに熱の籠った視線を一か所に向けている。視線の先は広場の中心、人がひしめくその広場で唯一避けられるように大きな空間があった。そこには人の頭ほどの高さを持つ円形のステージが作られている。簡素ではあるが、それは華美な装飾を省いたためと窺わせる静謐さを持った設え。
ステージの上には一人の女が立っていた。
白を基調とした修道服のような衣装に身を包み、腰のあたりまで伸びた金色の髪が陽光に煌めきサラサラと風に揺れている。口元は優しそうな弧を描いているが、犯しがたい神聖な印象を与える身なりの為、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。そして目元は衣装に合わないバイザーにより隠され、その雰囲気を後押ししている。
女を守護するように三体の天使が空に佇む。内包する圧倒的な力にもはや物理的な圧迫感さえ伴いそうだが、見つめる民衆は恐怖など感じる様子は一切なく敬意を持って壇上の女へ視線を向け続けた。
「…」
喋り始めるためだろう、女が一息を吸った微かな音も聞き逃さない。ただ与えられる言葉への期待を高めて待つ。
「まずはかの御方へ感謝を」
唐突に告げられた言葉はごく自然に、特別大きくも小さくもなく発せられた。ところが魔法によるものか、その音は集った民衆の隅々まで行き渡る。
言葉と同時に女はすぐに北東の方へ体を向けた。迷いない動作からは出鱈目に向いたわけではなく明確な意思を感じる。そのまま民衆と同様に膝をつくと両手を胸の前で組みそっと顔を伏せた。民衆も一拍遅らせて、しかし一糸乱れぬ動きで女と同じ方向へ体を向ける。
「我らの遥か頭上に在り、更には脆弱で蒙昧な我らを遍く支配して下さる神をも超越した御方」
どこまでも真摯で穏やかに紡がれる言葉であったが、抑揚に抑えきれない僅かな興奮が乗っていた。だが民衆も言葉を発さないだけで、同様の溢れんばかりの興奮の熱をその身に宿しているため気にすることは無い。
「日々頂く御身の慈悲に、そして御身の創造為された理想郷に住まわせて頂く栄誉に無上の感謝を」
そこまで言い終えたタイミングで大きく息を吸い込み肺に空気を溜める。目視できぬ距離ではあるが、視線のはるか先にある神の住まう地に届けと鳩尾に力を籠めて喉を震わせる。
「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、万歳!!」
今迄の静かな口調とは違う感情が大いに乗った発語。
民衆もそれに続くように声を張り上げる。
「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、万歳!!」
大勢の気迫の籠った叫びは大気を震わせ、地を揺らすかのような錯覚すらさせる。
音の残滓がゆっくりと空に消え、広場には再び静寂が戻った。崇拝の余韻をしっかり噛み締めるだけの間をおいてから女は最初に向いていた方へ体を向け直した。
体の熱を吐き出すように一つ吐息を落とす。
「それでは改めまして」
先の絶叫が嘘のように静かな喋り。されど集った皆へ声が届くのは先と同様。
「皆さま、本日はお集まり頂き有難うございます。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に仕える僕の一人、ネイア・バラハと申します」
言葉と共にその女、ネイア・バラハはゆっくりと一礼をした。民衆も合わせて頭を下げる。
歴史に名を刻む有名人である彼女のことは当然に皆が知っている。数百年前より神に仕え、その偉業を語り継ぎ信仰を取りまとめた伝説の生き証人。
「時間も惜しいので早速ですが“魔導王陛下への感謝を抱いて”を始めたいと思います」
ネイアへ期待を乗せた民衆の熱い視線が集まる。それは自身の敬愛する神への信仰心を表しているようで嬉しくなる。
「それではまずは魔導王陛下がこの地、かつて在ったローブル聖王国を単身で御救いに来て下さった話から始めましょう」
高まり続ける民衆のボルテージへ応えるように、ネイアは思いを乗せた熱を言葉に乗せつつ話始めた。
「ふう…」
ベッドに腰かけ溜息を一つ零すネイア。しかしそれは疲労から漏れ出たものではなく、確かな充足感が生み出したものである。
“魔導王陛下への感謝を抱いて”を盛況のうちに終えたネイアは、続いて都市の長との懇談会や各種施設の視察を終えた後アイテムによる転移魔法により住まいがあるホバンスへと帰ってきていた。定期的に各地を巡り行っている活動も、今期はローブル地方を回り終えた。次はバハルス地方を巡る予定だなと記憶を整理する。
ホバンスの中心にアインズを讃えるために作られた神殿、その中にある一室がネイアの自室である。聖女と称えられる彼女の部屋として広さはそこまでではなく、非常に質素な設えだが元が貴族でもない彼女にとってはこちらの方が落ち着くのだ。
「……」
ところが満足気に弧を描いていた彼女の口元が僅かに歪んだ。深刻な様子はなくちょっとした不満を表す顔。
思い起こすのは先の都市の視察中。大通りを歩きながら都市長に建物などの説明を受けていた時のことだった。
すでに人間の聴覚を超えていたネイアはその音を拾ってしまった。
“あれが噂の聖女様か”
“なんて神々しい…さすがはかの御方にお仕えしているだけはある”
視察中の聖女一行へ熱い視線を向ける民衆の中の誰かの言葉。ざわつく民衆の中、とりわけ声の大きい二人であったため自然とネイアの耳にも残った。
ネイアとしては自身が褒められるのは気恥ずかしいだけなのだが、ひいてはアインズの名声に繋がることだと自身を納得させ受け入れる。だが次の言葉が問題だった。
“しかし常にお顔を隠されているな”
“ああ、一体どれほどの美しさなのだろう”
野卑な様子もなく、手の届かないアイドルへ向けるような好奇心。しかしバイザーに隠れたネイアの目元は引き攣ることになった。
「…むぅ」
部屋にある姿見の前に立ち一日着けていたバイザーをゆっくりと外す。魔法による橙色の照明が柔らかく彼女の顔を照らした。
ネイアの目に映るのは何度も見た自身の顔。思春期も過ぎ大人の体になって背も髪も伸びた。だがその殺し屋のような目つきだけは変わることなく鏡を通して己を睨みつける。本人に特段睨みつけているつもりは無いのだが。
長い人生の中、何度目になるか分からぬ落胆も一瞬。
「(…シズ先輩は味があるって言ってくれたし)」
敬愛する先輩の言葉は客観的に誉め言葉なのか怪しい所だが、少なくとも好意的には見てくれているのだろう。
「(それにアインズ様も…)」
いつぞやかもネイアは凶悪な面相について言われ落ち込んでいたことがあった。相手に悪意はなかったためネイアも飲み込んだが、ショックはショックである。その際居合わせたアインズから貰った言葉を思い出す。
“あ~…ネイアよ。え~と、その…な、私はネイアの顔は良いと思うぞ?…うん”
明後日の方を向き珍しくたどたどしい言葉遣いであった。おそらくは照れていらっしゃったのだろうとネイアは思う。その時の言葉が今も忘れられず、ネイアの心を温めていた。自然と顔もほころび先までの荒んだ気持ちが消えていく。
気持を落ち着けたネイアは聖女としての礼服を丁寧に脱いで寝るための部屋着へ着替える。もはや睡眠など必要のない身体ではあるのだが、人として過ごしていた時の名残のためか急ぎの用などない際はきちんと床に就くようにしていた。なによりアインズからも睡眠の大切さを推奨されていたこともある。
使い慣れたベッドへ仰向けに寝転がり見慣れた天井へぼんやりと視線を向ける。ネイアにとって睡眠は単純な疲労回復だけではなく、こうしてうつろな状態で考え事をする時間でもある。
仰向けのまま顎を上げ視線を上に向けると宮棚には手のひらより少し大きい程度の額装がいくつか置いてある。額装には魔導国の魔法技術により作られた景色を絵として納める技術、写真が飾られていた。その中の一枚の写真にはネイアの住まいである神殿を背景に二人の男女が写っている。一人は誰が見ても分かるほどに緊張し顔を真っ赤にしているネイア。もう一人は人の姿をしたアインズであった。アインズはネイアの傍に寄り添い肩に手を回し柔らかく微笑んでいた。かつてアインズがローブル地方の視察に来た際に、シズが気を利かせて撮ってくれた写真。アインズとの写真の他にもシズと撮ったものや自身が説法をしている写真も飾ってある。
見蕩れるようにじっと写真のアインズを見詰める。アインズのことを考えたためだろう、思考がゆっくりと自身にとってのターニングポイントとなった記憶へと運ばれていく。己の気持ちを確固なものとした大切な時間へと。
それはもはや随分昔となった、未だ人間であった時の記憶。初めてアインズと出会った時はまだ少女であったネイアが、思春期を過ぎ大人の女性へと足を踏み入れた頃。
ネイアはある褒賞を貰うため、ナザリックにあるアインズの自室へと招かれていた。
かつて僅かな間、アインズの付き人として働いた輝かしい時間。ヤルダバオトを倒したことで訪れた別れの後、ネイアは精力的にアインズの御名を広める活動を続けていた。数年を掛けローブル聖王国内を駆け巡り、さらには外国にまでその足を広げていく。ネイア自身は気付いていないまま開花していく本人の異能も相まって、徐々に増えていく賛同者。遂にはアインズを神とする国教の開祖にまでなった。特殊なバイザーをつけ滔々とアインズの素晴らしさを語る神聖な姿に、誰が名付けたか顔なしの聖女という二つ名までつくようになって。
アインズ・ウール・ゴウン魔導国内ではほぼすべての国民が属するほどの大きな組織となるまで時間はかからなかった。ちなみにアルベドやデミウルゴスなどは当然にすべての国民がこの宗教に属すべきと考えたが、アインズがやんわりと宗教の自由を提案したためいつものシモベによる「なるほど、そういうことですか」という上方曲解により自由が認められることになった経緯がある。
そしてアインズの名を大いに広める働きをしたとして、ネイアには褒賞が与えられる運びとなったのだ。ネイアとしては自身の望みのままの行動であったため、最初は褒賞を貰うことはできないと断ろうとした。だがアインズから働きには対価が払われるべきと珍しく強く説得されたため頂戴することとしたのだ。
褒賞に関してはどのようなものでもいいと言われたためネイアは大きく悩むことになる。敬愛するアインズのシモベとして末席にいさせてもらい、さらにはその御方の為に活動ができる。すでに十分満たされているため望みというものが思いつかない。散々に悩みぬいたネイアは尊敬する先輩にも相談し遂に一つ叶えたい願いを思いついた。否、気付いたと言うべきか。褒賞としてねだるにはあまりにも過剰で慚愧に堪えないほどの望み。だがチャンスは今しかなくここを逃せば一生を後悔するであろうことも理解できる。
相反する葛藤を抱えたままではあったがネイアはアインズへ己の望みを伝えた。ネイアの望みを聞いたアインズは特段気を悪くしたり怒りの感情を見せたりすることは無かった。髑髏の顔の為表情は読みづらいがどこか迷うような逡巡の間を作る。やはり褒賞とはいえ過ぎた願いであったかと身を固くするネイアへアインズから、準備の時間がいるため後日ナザリックの自室へ来るよう伝えられた。遠回しな願いの受理を理解したネイアは、安堵と喜びに目の端に涙を浮かべつつあらん限りの謝意を述べその日は終わる。
このような経緯の末、ネイアは初めてアインズの自室へ招かれることになったのだ。これまでナザリックへ招かれる栄誉は何回か与えられることはあったが、アインズの自室というのは初めてのことで緊張に拍車をかける。視界の端にアインズが使用しているのであろう天蓋付きのベッドが目に入り、知らず手の内側にじんわりと汗をかく。すでにこれ程の栄誉を与えられたというのに、さらにこれから褒賞を貰うというのはいいのだろうかと自問自答してしまう。
豪奢ながら清潔感のある椅子にゆったり座るアインズの正面、ネイアも促され丁寧に椅子へ腰を掛ける。その際に担いでいたアルティメイト・シューティングスター・スーパーは椅子の横へと立てかけた。かつて魔導王へ一度返却し再度下賜された伝説級の弓。聖女が大切にして常に身につける彼女の代名詞とも呼べる一品。ネイアは当然に御方へ拝謁するのだから武装はすべて解除しようとした。だがアインズから身に着けているよう言われたためここまで持ってきたのだ。その指示を不思議にも思ったがアインズの命令に反するなど在り得ない。その時横にいたアルベドが僅か眉根を歪めたのが若干の気がかりではあったが。
アインズはネイアと二人で話したいと本日のアインズ付きのメイドへ退出を命じた。メイドが頭を下げ部屋を後にすると完全な二人きりになる。さらに高鳴り鼓動を強める心臓、どうにか表情には出さないようにしつつゆっくりとバイザーも外す。基本的に人前では付けているよう言われているため就寝以外で外すことは無いが、この場では礼儀として正解であろう。
「さて、ネイアよ。約束通りお前の望みを叶えよう…」
「…はっ、はい!」
ネイアの話を聞く準備が整ったと判断しアインズがゆっくりと話し始める。両手を組みながら発される言葉には重さが含まれていたが、ネイアに気付く余裕はない。
「だがその前に改めて確認しておきたい。お前の口から何を望むか聞かせてくれるか?」
飲み込んだ固い唾が喉をごくりと鳴らす。いやにその音が大きく頭に響き、アインズに聞こえていないことを願うばかり。口からゆっくりと熱い息を吐き出し、そしてゆっくりと吸う。
「私の望みは御身に永遠にお仕えさせて頂くこと…そのために永遠の命を頂きたく存じます!」
厚かましさからの羞恥に顔を熱くしつつも、自身の望みをはっきりと告げる。
まだ少女と呼べる年齢であった頃は我武者羅で考えもしなかった願い。ただ己の生涯を懸けて敬愛する御方へ尽くすのみと考えていた。だが日々の活動の中でアインズへの想いの深さは増していき、本人ですらその底を覗き見ることは叶わないほどへと至る。
そんな中でネイアは考えるようになる。不死者であるアインズにとって時間などないようなもの。己との関りも瞬きの内に収まる程度のことであろうと。無論忠誠という観点から見ればそれでも十分に栄誉あることだとネイアは思う。脆弱な人間の身であろうとほんの僅か、本当に微力であろうと世界征服の一助となれるのなら。そう思って身を粉にしては尽くしていたはず。
だが滅私ともいえたネイアの心に僅かな暗雲が生じる。
永劫に続くこの御方の記憶の中から己のことが風化していき消え去る、そのことを考えた際に目の前が真っ暗になり足場が崩れるかのような恐怖を抱いた。今迄は漠然としていたそれが、自身の願いを考える際にゆっくりと形を成して心を侵食し始めたのだ。
恐怖は緩やかに熟成されネイアの欲望を形成していった。
この御方の偉業を永劫語り継ぎたい。その覇道を見続けたい。顕現して下さっている有難さを感じ続けたい。
だが何よりもこれら本心すら建前にして、本人は自覚なく望みを得る。同じ時を生き傍に居たいと。
ネイアが確かに抱き、そして本人の力では叶う事の無い願い。言葉はしっかりとアインズへ届く。
「………」
改めて望みを聞いたアインズは言葉を発さずじっとネイアを見つめている。どのような感情の表れか、眼窩の赤がゆらゆらと揺らいでいた。
ネイアは口を真一文字に結び震える手をぎゅっと組むことで抑え込む。確固たる気持ちを伝えるため決してアインズから視線は外さない。
しばし無言の時間が流れる。ほんの数秒程度だろうがネイアにとっては永劫のように感じた。すでに願いを叶えてくれるとの言葉は貰っているが、僅かな沈黙に嫌な予想もしてしまう。
「…よかろう」
アインズから頷きと共に了承の意がでると、ようやくネイアは体の力みを少し和らげる。
「だがその前に一つ話しておくことがある。本当にその願いを叶えるかどうかはその後にお前が決めるのだ」
続いた言葉に少しの思考のあと疑問符を浮かべる。アインズが判断するのではなく自分が判断するとはどういうことなのか。そして話とはいったい何なのか。どこか言葉尻に突き放すような響きを持たせたアインズの意図が見えてこない。種々の疑問は一旦脇に置きアインズの言葉を待つ。
アインズは骸骨の体でどうやっているのか重い息を吐くとゆっくりと話し始めた。
「これから話すのは我々が…いや、私がかつてローブル聖王国へ行った作戦、その全てだ」
ネイアは知ることになる。己の信じてきたもの、その全ての真実を。
「———これが…私がお前の祖国へやったことの全てだ…」
長らく語ったアインズは一息をついて椅子に座りなおす。
今迄秘されていたことの全て、余すことなくネイアへと話した。
ローブル聖王国へ現れた悪魔、ヤオダバルトが自身の配下であったこと。アインズへの助力の嘆願も計算の内であったこと。シズも元々アインズ側の者であったこと。すべては聖王国を手に入れるために行われたこと。そして当然にネイアの両親が死んだ原因も自身の作戦にあったこと。
最初は真面目な表情で話を聞いていたネイアも、徐々に目を見開いて口をぽかんと開け理解が及ばないといった面貌を見せた。話が終盤になる頃には両の目から涙をはらはらと流し、拭うことも忘れた様子でその水滴が服へと落ち染み込んだ。
当然の反応だとアインズは考える。アインズから見てもネイアの信奉具合は凄まじいものがあり、日に日にその強さは増していった。それこそナザリックの者が己へ向ける瞳に近しいものを感じるほどに。
しかしアインズはネイアに真実を告げずにいることはできなかった。ナザリックの利を考えるのであれば、そのまま不老にしてやり利用し続けることが一番であろう。彼女にはそれ以上の価値があることはアインズにも分かる。だが何度も会い話す内に、真っ直ぐ感情をぶつけてくる彼女を大切な存在として認識してしまっていた。一度懐に入れると己自身も気付かぬ執着と愛情を見せるアインズである。ネイアにただ利用され続けるだけの無限の時間を歩んでほしくなかったのだ。
己を勝手で非道な者だとアインズは考える。これまで自身やシモベ達の幸せの為にネイア、聖王国以外にもあまた悪辣な手を用いて滅ぼし、犠牲にしてきたというのに。一時の憐憫の情に判断を流されている。そして今回の場、彼女の武装であるアルティメイト・シューティングスター・スーパーの持ち込みを許可した。ネイアが話を聞き終えた際、激昂して己へ牙をむく可能性を考慮して。彼女の憎しみの籠った一射を一撃はくらうつもりであったのだ。せめて復讐の達成感を僅かでも感じてから、その後で苦痛なく死なせてやるつもりだった。どこまでも身勝手で欺瞞に満ちた行為だとアインズも思う。だがそれでも目の前の存在にはせめて何かをしてやりたかった。その後で己の手で命を摘むことが最後の責任だ。
ネイアがアインズを害する、さらにアインズが彼女の生を終わらせる。アインズはその可能性の話を彼女と最も仲の良かったシズへと事前に話していた。シズは話を聞き終えると表情は変えず僅かに俯き「……………分かりました」と一言呟いた。いつもより長い沈黙の間にはどんな葛藤があったのかは分からない。アインズは両手でそっと背中を抱き、俯いたままの小さな体を己の胸の内にすっぽり包む。そうしてこちらを見上げる顔へ「すまない…」と一言を落とした。シズはアインズの服の裾をぎゅっと掴み何も言わなかった。ただその後せめて最期を見届けたいと望んだため、魔法によりネイアとの会話の様子は見ているだろう。
アルベド達もアインズが害される恐れがある今回のことを知った際は強く反対した。珍しく自身へ熱く反論するシモベ達へ心の中で頭を下げつつも強行することとしたのだ。ネイアの攻撃ではナザリック産の武具を使用しても致命とはならないと説得をして。それでも納得のいっていなかったアルベド達には、部屋の外にいつでも突入できる部隊と回復魔法を使えるシモベを配置することでどうにか飲み込んでもらうことができた。
「あ…あぁ…」
少しの時間の後ネイアの口から出た音は言葉とも呼べない嗚咽であった。ぼろぼろと零す涙はそのままに、両手で顔を押さえる。しかし手の隙間からもしゃくりあげた鳴き声が漏れだす。
「…っひ………っ…うぅ…」
耳を塞ぎたくなる声色にもアインズは不動を貫く。ぎりぎりで鎮静化されない、心を刻まれるようなその悲鳴を聞かなくてはいけない。
「…そんなっ…………」
両手を下ろしたネイアの顔はくしゃくしゃのまま。ようやく漏れ出る音が言葉の形を取り始める。俯き顔の前にある手はわなないていた。
彼女の気持ちが少しでも落ち着きを取り始めた時、そこからは次に怒りが溢れてくるだろう。数舜先、自身へ向けられる弓の一射を想定し決して身構える真似はしない。ただその全霊を持った憤怒を受け止めるのみ。
「…そんな、ことが……くっ…う」
ネイアの声色が若干変わり始める。アインズからの話に感情が先行していたが、徐々に理性が追いついてきた。彼女の対面に座すアインズはただ静かに見守る。
「…なん、て……っ…なんて…」
まとまらなかった言葉が形作られたようで、ネイアは次の一言を発するため鼻を啜りながらも大きく息を吸った。
どのような糾弾が飛び出そうとも、ただ彼女の言葉を聞く。しかしそう決意していたアインズは思わず目を見張る。
ゆっくり頭を上げ目線を合わせたネイアのその口元は、決して悲しさや悔しさに歪んだりはしておらず柔らかい弧を描いていたのだから。
「なんて、素晴らしいっ!」
「………は?」
アインズの口から思わずと言った様子で間の抜けた息が抜ける。
そんなことにも気付かない様子で、ネイアは微笑みを崩さず喜びをかみしめるように両手を握り感動に震えていた。涙に濡れた瞳が照明を受けきらきらと輝き、頬は蒸気し紅潮している。
「では…っ…ではっ、私の祖国は…両親はっ……御身の王道、理想郷建国のお役に立つことができたのですね!」
天を仰ぎ恍惚の表情を浮かべるネイアに、アインズは言葉を発することができない。驚きのあまり鎮静化が発動するが、すぐに困惑が心を支配した。
「…ネイ、ア?」
「なんという栄誉! なんという幸福! これ程価値のある真実を御教授くださり感謝の言葉も御座いません!!」
アインズの心情をよそにネイアは感極まったように言葉を続ける。そこにはアインズを気遣うためや欺くための演技らしさは見られない。ただ己の中に納まりきらない激情が体から溢れ、言葉として吐き出しているかのようだ。
「このネイア、これからも御身のため、粉骨砕身働くことをお約束致します!」
「ネイアっ」
言葉の切れたタイミングを見計らってアインズが少し大きな声で話しかける。ネイアは自身があまりにも夢中になっていたことに気付いたようで、はっとしてアインズへ意識を向けた。
「もっ、申し訳ありません! 喜びのあまりつい熱くなってしまいました…御身に恥ずかしい姿を——」
「いやっ、それはよい」
己の醜態を謝り始めたネイアを思わずといった様子でアインズが止める。
「お前は私が…憎くないのか?」
言葉に出してからしまったとアインズは後悔した。この言葉を自分が発するのはなんと卑怯なのかと。だが理解のできない驚きと困惑で上手く回っていなかった頭が、ただ純粋な疑問を口に出してしまったのだ。
「…え?」
先のアインズと逆に、今度はネイアがぽかんと間の抜けた顔を晒す。まるでアインズがあまりにも場にそぐわない素っ頓狂な発言をしたかのように。
それでも御方からの言葉、どうにか理解しようとしているのか眉間にしわを寄せ視線をあちこちに飛ばし、小さく唸り声をあげる。アインズもどうしてよいか分からず彼女の理解を待つ。
「………………っ」
少しの沈黙の後、点と点が繋がったのかネイアが目を見開きアインズへ視線を向けた。アインズはその勢いに思わず体を後ろへ傾ける。
「そのような不埒な考えなどありませんっ!!」
眉根を寄せ目に溜めた涙はそのままに。あまりにも心外だと訴えるような言葉。彼女がアインズへ対しては初めて見せる、そして予想とは違う種類の怒りの表情であった。
「…っ、何故に私の忠誠をそのように御疑いになられるのか…いくら未熟な身なれどそのような心得違いは致しませんっ!!」
先とは違う涙を流し苦悶の表情を浮かべ始める。アインズは思わず言い訳じみた問いを重ねてしまう。
「私は、お前の両親を殺したのだぞ…?」
「はい、大変に名誉なことと存じます」
真っ直ぐに胸を張って、何故そのような当たり前のことをと言わんばかりの即答。
「私の両親は微力ながら御身の為の糧となることができたのです。これ以上の幸福はないでしょう。もし万が一にも御身へ憎しみを抱くようなら、そのような蒙昧は私の親ではありません。御身の手を煩わせることなく私が始末いたします」
最後の言葉は親へ向けたとは思えない程に冷たく無機質。
目の奥に危険な煌めきを覗かせ、滔々と話すその姿にアインズはぞっとするほどの狂信を垣間見た。僅かな恐怖を覚えると同時に、自身でも把握できない黒い何かがアインズの胸の奥底で蠢き始める。
「聖王女陛下も理想は立派なものであったと思います。しかしあの方には力がなかった。力を持たない、持つことができなかった正義など悪以外の何物でもない。故に偉大であり強大である御身にその身も国も使って頂けたことは喜ぶべきことなのです!」
「……」
自分の気持ちよ届けと熱く語るネイアを、アインズは口を開けて放心し見ていた。
かつて己の従者とし、一度は死んで蘇らせた少女。出合った時は国を憂う普通の人間であったはず。一体どのタイミングだったのかこれ程に変わり果ててしまった。それが善悪どちらに寄るかは分からない。しかし真っ当でない事だけは確かだ。
己が直接の原因であることに後悔や罪悪感がないではない。しかし今はそれを塗り潰すほどの衝動が胸を埋め尽くしている。最近では愛するシモベ達へ向けるものと同種の情動。
アインズは俯き片手で目元を覆う。自身の内から吹き上がるそれを押さえるように体を丸める。もはや先程までネイアへ考えていた予定など頭から消え去った。
「………クッ、ククッ…」
アインズの口から低くくぐもった音が漏れる。ネイアがそれを笑い声だと理解するのには数秒を要した。
「クックククククク…ク………フッ」
「…アインズ様?」
突然に変わったアインズの様子にネイアがおずおずと話しかける。何か不快を覚えさせてしまったかと不安になるネイアの前、アインズはひとしきり静かに重く笑うとゆっくりと顔を上げた。
「っ⁉」
その面貌、瞳を視界に入れた瞬間、ネイアはぎくりと体を跳ねさせそのまま硬直した。
アインズの眼下に灯る赤い揺らめき。客観的に見ればいつもと何も変わらないだろう。しかしネイアはそこにいつもとは違う妖しく引き込まれる輝きを見た。
ネイアにとって常のアインズはまるで父のような存在であった。そのような考えは不敬だと思う。しかし圧倒的立場でありながらの親しみやすい振舞い、無表情に見えても声色から伝わる優しさ、常に見守っていてくれるような存在感、それらも相まってネイアは無意識にアインズへ父性を求めた。赤く柔らかく灯る眼光には何度も安心感を貰っていたのだ。
しかし今アインズの両眼の赤は親愛などという生易しいものではない。もっとどろどろとした感情を燃料に燃えている。女に飢えた山賊のように下卑て低級ではなく、かといって物語の王子が愛を歌い姫へ向けるような純真さもない。より本能的、獣性に寄った衝動。目の前の獲物を逃さない、己のものとするという欲求。
「…っは、……はぁっ」
ネイアの呼吸が徐々に荒くなる。暑くもないのに肌はしっとりと汗をおび頬に熱が集う。
だが深淵のようなアインズの瞳から目が離せず、身体はどんどんと変容を続ける。
「………っぁ」
下腹の奥が熱を帯び始める。今迄感じたことの無い、じゅくじゅくと滾っていくような感覚。律していなければ己が己でなくなってしまうかのような浮遊感のなか、溢れ出そうになる何かを必死に留める。
「ネイア」
アインズの声が鼓膜を震わせる。その振動だけでも凶暴なくすぐったさを催し、言葉が脳に浸透すると甘い多幸感に狂わされた。
「…は……はいっ…」
どうにか息を吐き出しただけのような裏返った声の返答。唾液が粘度を増し言葉すら出しづらい。
「お前の意思は十分に理解した」
アインズが何かを掴むように両手を組む。ネイアの瞳を通しその深奥まで覗き込むように言葉を続ける。
「お前の望みを叶えよう」
それを聞いたネイアの感情は望みが叶う喜びに追い付いていない。ただ目の前の存在に掌握されていくような快楽に打ち震えるのみ。どくどくと己の耳にすら届くほど心臓が轟く。火元となった下腹の熱は全身を燃やし尽くす勢いで駆け巡る。違和感のある内股を擦ると水音が微かに聞こえた。
「共に永劫を歩んでもらうぞ、ネイア・バラハ」
主からの一言が引き金となりネイアの体が大きく一度跳ねる。その口元は先程涙を流していた時より歪に、そして淫靡に笑っていた。
アインズの言葉、ネイアにはその裏に隠れた意味もはっきりと聞こえていたのだ。そう、“離さない”と。
「…ぁ…んぅ…っ…………ありがたき…しあわせ」
悩まし気な吐息を漏らしどうにか喋れる余裕だけ作ったネイアは、感謝の言葉を述べる。
その日ネイア・バラハという人間であった女は消滅し、そして生まれ変わった。
同時に女として眠っていた情動が目覚めた瞬間でもあった。強制的に覚醒されたそれが、ネイアの狂信をさらに過熱させていくことをアインズもネイアもまだ知らない。
あの日から随分時が経ったと、ネイアは自室のベッドで天井を見上げぼんやりと考える。過去を追っていた思考がゆっくりと現在へ帰還する。
片手を上げ照明を遮るようにかざしてみるが、まったくもって人間の手であった。アインズの持つ特殊なアイテムにより人外となったが見た目は変わらなかった。ただあの時の女の姿のまま、年を取ることは無く今に至っている。変化としては力が増し、魔力量が大きく上がったことだろうか。
そう、あの日から変わらずにアインズに仕える幸福を頂いている、満ち足りた日々だ。
「………」
だが同時に一つ困ったこともあった。おそらく人間をやめたこととは無関係な悩み。己の体に起きた、持て余してしまうほどの変化。
それは今のようにアインズのことを考えるたびに起こってしまう。
「……は……ぁ…」
かざしていた手がゆっくりと己の乳房へと伸びる。もう片方の手は下腹を目指し、肌を沿って下降を始めた。身体がゆっくりと体温を上げ始め、奥深くではじゅわじゅわと溢れる何かが生み出され始める。
「…ンん…」
両手がそれぞれ秘所に触れると体がびくりと反応し軽く跳ねた。部屋には防音魔法もあり外に声が漏れるということは無いが、それでも口を引き結んで声を押さえようとする。
「(…また…抑えられない…)」
いつもこうだとネイアは己を恥じる。永い時の中で何回目になるか分からない悔恨。しかしすぐに行為に没頭し始める。
そう、ネイアが人を辞めた日からこれまで、今のようにその情欲を押さえられず自身を慰める日々が続いていた。アインズを想うとあの時の視線が思い起こされてしまう。身も心も掌握されてしまうような赤く滾るあの視線を。
「っアイ、ンズ様ぁ…」
目を閉じ夢想する。
妄想のアインズは最近とっていることが多くなった人の姿であった。普段の温和な様子などなく欲望のままネイアの体を貪り尽くす。己はそれを歓喜と共に迎え入れる。
昔に初めてこの行為をしてしまった時はひどかった。事後の虚脱感で呆けた頭がクリアになると、途端に襲う罪悪感。情欲に塗れた妄想でアインズを穢してしまったと暫く悔恨に苦しむこととなった。
自身の中だけで抑えきれない罪の意識を、たまたま訪ねていたシズへとすべて打ち明けた。報告がアインズへと伝えられ罰せられることも覚悟の上。
しかし話を聞いたシズはよく見ないと分からない程うっすらと微笑むと、生温かい視線をネイアに向けその両肩にぽんと手を置いた。そしてシズから説明された衝撃の事実。曰くこの行為は神の地にて御ナニーと称される神聖な行為であり推奨されていると。またアインズを敬愛する者は御ナニーの行為の回数、深さでその気持ちのほどを推し量れるという。
説明を呆然と聞いていたネイアは、己の行為が背徳を孕んだものでなかったことに安堵し涙を流してシズへ縋りつき感謝を示した。体格差ゆえ大人が子供に抱き着いているように見えたが、シズはそんなネイアの頭を優しく撫で「…………先輩として当然のこと」と言ってくれた。
少しの後落ち着いたネイアであったがふと頭に疑問が浮かんだ。シズもそういった行為をしているのかという事に。屈んでいるため見上げたシズへ直接その疑問をぶつけてみると、無表情のまま「…………秘密」と一言だけが返ってきた。
「…はっ……あぁ…」
罪を許された日から用事のある日を除きほぼ毎日こうして行為に耽っている。
未だ妄想でアインズを使ってしまうことに後ろめたさがないでもない。しかしそれ以上に抑えきれない欲求が体を突き動かしている。
夢想のアインズは責めの激しさを増していく。徐々に昂っていく己の体、制御から外れた情動の中で理性の残滓は間もなく達することを理解する。涙に溢れた瞳、潤んだ瞳孔を写真のアインズへ向けた。
「アッ…アインズ様ぁ、っ……ふ、ぅうっ…あ」
布団の端を噛み締め体の奥で弾ける悦を迎える。
「———っ!!」
まさにあと数舜で果てるというその刹那、頭の中に伝言が届いた音が鳴り響く。
驚愕のあまり声にならない悲鳴を上げる。誰もこの場にいないというのに一瞬で乱れていた身支度を整えてびしょびしょの手を枕元にあったティッシュで拭う。数度呼吸を大きく繰り返してから伝言に出る。
相手はネイアの住む建物の近くに住む連絡役であった。ネイアに連絡があった際にその内容を精査してから伝える役目を持つ女性。常は冷静沈着でありながら、冷たくならない程度に事務的に物事をこなす印象がある。だがこの時はやや早口に内容を伝える様子からも若干の焦りを覗かせていた。
「…はい、分かりました」
相手の話を聞き終えたネイアは先までの行動が嘘のように怜悧な表情を浮かべている。
感謝の言葉を述べ伝言を終えると、少しだけ考えるような間を開け寝巻から聖女の衣装へ着替え始める。そしてあるところへと伝言を飛ばすのであった。
ネイアに伝えられた伝言の内容は、簡潔に言えば山奥の村で村人の拉致事件が起こったというもの。場所はネイアが現在いるホバンスから、北東へ馬車で二日、三日かかる程度のところにある小高い山に挟まれた僻村。人口百人程度の農業を主体としたのどかな場所。ネイア自身は赴いたことはないが自然に囲まれた牧歌的な風景が容易に想像できる。
実行者は五人おり、その素性もある程度判明していた。男性三名、女性二名の構成、年齢は二十代から三十代半ば。全員が魔法詠唱者でリーダー格の男は第三位階の魔法まで扱えるという。
また数日前までホバンスにてその姿が確認されている。五人はホバンスにあるナザリックが主体となって運営している魔法詠唱者育成機関へ入ることを希望していた。優秀な魔法詠唱者を早く見つけるため、また脅威を予め排除するために作られた大学のような場所。種族や年齢は一切問わないが、完全実力重視の為入学は非常に狭き門となっている。
そこへ願書など持たず突如現れた五人の男女は、正門で自分達を止めた守衛へ自らの優秀さを長々と熱く語ったという。あまつさえ入学してやるから特別に席を用意しろと訴え始めた。守衛が職責として怒りを面に出さぬよう苦慮しつつ、どうお引き取り願おうか考えていると、時に面接官も務めることがある一人のエルダーリッチが騒ぎを聞きつけてやってきた。エルダーリッチは経緯を聞くと傲岸不遜な五人組をじっと見つめる。五人は視線を受けても腕を組んだり髪の毛の先を弄ったりと余裕の表情を崩さない。少しの時間五人を観察したエルダーリッチはふっと脱力して吐き出したような一息を落とすと、守衛へお引き取りしてもらうよう告げその場を去ろうとする。明確に侮蔑の意思を籠めた態度に五人の中の一人、屈強な男が声を荒らげ掴みかかろうとするが、その前に振り返ったエルダーリッチの顔を見てびくりと止まった。エルダーリッチからは濃密な魔力が噴出しており、乏しい表情からでも明確な怒気を孕んでいることが分かったからだ。その圧に五人は後ずさりし中には尻もちをつく者もいた。エルダーリッチが静かに、しかし重々しくお引き取りをと一言発すると今度こそ学内へと戻っていった。五人は、今度は止めるどころか反論することもできなかった。少し呆けた後周りに集まっていた見物人の注目の的になっていたことに気付くと、悪態をついて足早に消えていったのだ。
後の足取りも追えている。五人は馬車でホバンスを出て、事件の発生した村へと向かった。五人は同郷の出で、さらにその先の在所へと続く帰路の途中に立ち寄ったようだ。道中の中継地として村の宿屋に泊まった五人は、宿の食堂でホバンスでの扱いを盛大に愚痴っていた。酒も入っていたこともありその騒がしさは増していく。他に客もいたが、時に冒険者が戦果を喜び騒ぐこともあったので、宿の主人は迷惑と思いつつもある程度は許容し放置していた。だが愚痴の内容が魔導王陛下への悪態を含み始めたため黙っていられなくなった。魔導王陛下は自身へのそういった発言は寛容と聞いたことがある。だが彼を崇拝する者はそうはいかない。
宿の主人は他の客への迷惑となることと魔導王陛下への侮辱を、悪戯に刺激せぬようやんわりと注意する。しかし酒のためか普段より理性のタガが外れている五人はその注意に食って掛かり主人へ暴言を浴びせ始めた。慌てずこれ以上の騒ぎは自警団を呼ぶこととなると伝える主人であったが、五人のうちの一人、長身痩躯の男が不気味な笑みと共に主人へ雷の魔法を放った。戦闘力を持たぬ主人は魔法が直撃し即死。一瞬息を呑む他の四人も顔を見合わせすぐにへらへらとした笑いを浮かべると、あまりの事態に硬直する周りの客や従業員へ魔法を放ち始めた。
そのまま村人を盾に取られ動けない自警団を殺害し、村の集会所へ村人全員を人質として監禁。宿の主人の女房をメッセンジャーとして馬に乗せホバンスへ送った。憔悴し息も絶え絶えにホバンスへ到着した女の情報はナザリックへも送られ、ホバンスに滞在していたネイアへも伝わったというわけだ。
五人の要求は魔導王陛下の命、莫大な金銭、貴重なマジックアイテム、聖女の身柄と遠慮がなく、断れば村人全員を見せしめに殺害するという分かりやすいものであった。五人組のあまりにも行き当たりばったりな行動からも、計画されていたものではなく衝動的に行われたものであることは推察が付く。
すぐに対策が取られ現場となった村の周囲にはホバンスの優秀な魔法詠唱者を主軸とした制圧部隊、さらにはデスナイトや天使が配置されることとなった。行動は迅速に行われたがメッセンジャーが到着するまでのタイムラグもあり、発生からそろそろ丸一日が経とうとしている翌日の夕暮れ時。人質を取られている手前、にらみ合いが続いている状況である。
村へ続く大通りではなく、村を挟む山の開けた中腹。そこに陣取った制圧部隊の中にネイアの姿はあった。バイザーに隠れているがその視線は、眼下にある監禁場所となった村の集会所へ厳しく向けられている。高所の為村の様子を一望できるが人の気配は感じられない。犯人は人質共々集会所へと立て籠もっているのだろう。集会所にある窓の奥でカーテンが揺れる様子からも、外を確認している様子が窺える。
「まさか聖女様自ら来て頂けるとは…感謝の言葉もありません」
ネイアの後ろから声が掛かる。振り返るとそこにいたのは制圧部隊の指揮を執る女であった。凛々しい面貌ながら、恐縮と感謝が混在した眼差しをネイアに向け腰が引けている様子を少し面白いと感じてしまう。彼女の後ろに付き従う魔法詠唱者たちも不動を貫き整然と並んでいるが唇の戦慄きや手先の震えに緊張を見てとれた。普段集会などで遠目にその姿を見ることが精々の、尊敬する存在が近くにいるためのものであった。
「これもすべて魔導王陛下の為ならば当然のことです」
バイザーに目元は隠れていたが、ネイアは口元を微笑みに変えながら返答する。穏やかなその様子に皆の緊張も僅かにやわらぐ。
本来であればネイアはここにいる予定はなかった。しかし事件が起きたのがホバンスのすぐ近くであることを知ったネイアは、居てもたってもいられずアインズへ連絡を取り許可を得て賊の鎮圧に加わることとなったのだ。伝言を繋ぎ用件を聞いたアインズには少しばかり沈黙の逡巡が垣間見えたが、彼女の周囲に隠密に長けた高レベルのシモベを数体護衛として配置することで納得した。今のネイアの実力ならば今回の賊程度どうということはないが存分に過保護が発揮されている。
「人質に死者もでていると聞きます。私がすぐに向かいますので皆さんはこの場で待機を」
「なっ…聖女様お一人で、ですかっ⁉」
皆が驚く中代表して先の女が聞き返す。ここにいる皆、聖女の強さは伝聞で知ってはいた。間違いなく自分達よりも強いがいと尊き御方達には届かない、そのような認識である。しかし実際にその力を見たことがあるわけではないのでこの場では心配が勝った。彼女は魔導国に必要な女性である。万が一にも命を落とすようなことがあってはいけない。
「はい、近くにいたら皆さんを巻き込んでしまうかもしれませんので。それにあちらの要求は変わっていないのでしょう?」
「それは…そうですが」
賊が欲求した中には聖女の身柄がある。まずは彼女が武装解除したうえで自分達のところまで来いとのことであった。何故ネイアを欲しているのかは不明だが、魔導王陛下との交渉に利用しようとしているのだろというのが皆の見解である。
「魔導王陛下には大変申し訳なくありますがこれは此処に残していきましょう」
心の底から申し訳なさそうにそう言うと背に負ったアルティメイト・シューティングスター・スーパーを近くのテントに急遽用意された台座へそっと、我が子を扱うように下ろす。近くにいたデスナイトが守護するようにテントの近くで警護を始める。お願いしますと彼らへ告げると、いよいよ村に向け歩き出そうとする。
「…聖女様」
彼女の代名詞ともいえる武装までも解除したことで女は思わずと言った様子で呼び止めてしまう。
言葉に体ごと振り返ったネイアは先と同様うっすら微笑むと祈るように両手を胸の前で組む。遠き地にいる御方を心に描き言葉を発する。
「大丈夫、魔導王陛下は全てを見ていて下さいます…すぐに終わらせましょう」
瞬間、居合わせた制圧部隊の体がぶるりと震えた。
彼女の言葉は先までと性質を明らかに変えている。その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、魂を鷲掴みにされたような感覚を得た。恐怖でも困惑でもない、心を震わせる確かなみなぎり。
気づくと先程まであった心配は消え失せていた。村へ向かうその背を誰よりも頼もしく感じる。この御方になら任せても大丈夫、そう思える根拠が何時の間にか胸の内にある。
そしてこんな時だというのに考えてしまう。これ程の御方が仕えているいと尊き御方、魔導王陛下の理想郷に住める自分達は何と幸せであるのか。それに唾を吐きかけた賊の何と許されざることかと。
最早引き留める言葉は誰も発しない。潤んだ視界の向こうへ歩く背を恍惚と見詰めるのみ。
宿っていた信仰は火勢を増して燃え続ける。
つい先日まで平和であった村の集会所。常であれば村の祭事や話し合いで使われる場も今は悲壮漂う空間へと変貌していた。
集会所の中心に椅子や机を避けて大きな空間が作られており、そこには村人が五十人ほど手足を縄で縛られ転がされている。本来村人の人数は百名ほどであったが管理の為、そして賊の遊びの為に半分ほどまで数を減らされていた。年齢、性別はばらばらだが皆一様に沈痛な表情を浮かべ、幼い子供などは声を殺して涙を流している。つい先ほど泣き叫んだ子供がうるさいという理由で殺されたばかりだ。
転がされる村人のすぐ近くにはたくさんの死体が無造作に放られていた。それは賊が遊んで片づけを怠った玩具。人口の少ない村の為、散らばる死体の顔はほとんどが顔見知り。身動きもできず目に入る動かなくなった隣人に絶望感が増していく。
集められた村人たちを少し離れたところで眺めている男がいた。机の上に腰かけ片膝を立てている。魔法詠唱者としては派手なローブを羽織っており、手には同様に豪奢なロッドが握られていた。片眼鏡をかけた顔の造りは整っているが、どこか相手を小馬鹿にしたような表情を常に浮かべており台無しにしている。今回の事件を起こした五人の内、リーダー格を務める男であった。
「外の様子はどうだ?」
視線は怯える村人たちへ向けたまま、問いかけがこぼれる。
「ぱっと見た感じは変わらずねぇ。大通りだけじゃなく山の周りまで囲まれてるわぁ」
男への返答は正面扉近くの窓際からあがった。片手でカーテンを小さく捲り外の様子を窺う女、男に負けず派手なローブに身を包んでいる。濃く塗られた化粧が印象的で、やや間延びした喋り方が気だるげな雰囲気を感じさせる。
女の視線の先には正門の先に大通りを塞ぐように配置されているデスナイト、村周囲の宙に浮く天使、山腹に展開された魔法詠唱者たちが映る。
集会所の一階は人質とした村人とそれを見張る男女一組がいた。
四面楚歌の状況でありながら男は慌てた様子無く一つ鼻を鳴らす。
「ふん、それだけ向こうも必死という事だ。我々にはこいつらがいるのだしな」
嘲笑うように口の端をひしゃげさせると顎を上げ、人質をねめつけるように見下ろす。視線を受けた村人は短い悲鳴をあげ顔を伏せる。男の瞳の奥には他者を虐げる暗い喜びが灯っていた。
村を囲んでいる相手との戦力差を考えればあまりにも絶望的状況でありながら、余裕を保っているのは人質の存在が大きい。魔導国に住む者なら魔導王の慈悲深さは誰しも耳にしたことがある。そんな王が罪なき村人の命を見捨てるとは思えない。実際に周囲を囲む脅威は牙を向けてこない。
だが男の余裕の理由はそれだけではない。それは己の力への自信。
男は生まれてから魔法の才に恵まれたこともあり神童と持て囃され生きてきた。周囲の称賛が心地よくしだいにそれを当然と受け止めるようになる。しかし周りの声も幼少期を過ぎると聞こえなくなっていった。生まれ持った才に胡坐をかき努力を怠ったが故だ。それでも幼き日に培われた自尊心を保つため、己を認めない周囲を否定するようになる。不幸なことに男と同郷の仲の良い四人は男を肯定し、歪みはそのままに放置され続けた。波長があったのか幼馴染の五人組は今も行動を共にしている。男の世界は五人で完結し増長を続けていくこととなった。
つい先日、己を認めさせるには箔が必要だとホバンスにある魔法を学ぶ施設へ赴いた。自分程の天才が来たのだから当然に受け入れられる、そう考え意気揚々と入り口まで足を運んだ男の慢心はすぐに瓦解することとなったのだ。
帰りの馬車で揺られる中、憤怒に顔を赤くする男は仲間から相手の見る目の無さ、所詮その程度の施設だったと慰めを貰う。その通りだと頷き僅かに心を落ち着けたのだが、途中に宿泊したこの町の宿、そこの食事処で怒りが再燃することとなる。
酒の力もあり、自分達を邪険に扱った施設の者達を罵り気分が良くなっていく。そこで男は思った。ひいてはその施設を運営する魔導国、その王である魔導王に問題があるのではないかと。気を違えた責任転嫁も、酔いに浮かれた思考には素晴らしい閃きに感じる。男は仲間達とその思考を共有し話を盛り上げた。ならばそのような暗愚ではなく己が王となればより素晴らしき国になる。はたから見たらとんだ絵空事を仲間達は大いに共感し、それは良いと称賛した。男の気分はさらに高揚し魔導王がいかに愚王であるかをさらに語ろうとしたところで、宿の主人が注意しに来たのだ。男の中ではすでに己を王として見ている。王に逆らう愚者に呆れと怒りを覚え怒鳴り追い返そうとするが、自警団を呼ぶと言い出した。自警団が捕らえるべきは王に反する貴様だろうと、男は怒りで視界が白く炸裂する。こんな不埒者は自らの手でと、魔法の行使をしようと杖に手を掛けたその刹那。男の後ろから雷の魔法が不埒者へ炸裂した。はっと後ろを振り返ると仲間の一人である長身痩躯の男が杖を構えていた。
普段は仲間内でも大人しく控えめな彼がとった行動に呆けてしまう他の四人。そんな注目の的となった長身痩躯の男は、俯きながらも嗤って何かを噛み締めるように杖をぎゅうっと握る。そして、王に逆らう愚か者を誅罰致しましたと芝居がかった仕草でぼそりと呟いた。目の奥はぎらぎらと妖しく光り、興奮に息を荒くするさまは普段の彼から想像できない。その変わりように最初は驚く四人であったが、狂気はしだいに伝播し他の四人も顔を歪めて村人を虐殺し始めた。
騒ぎを聞いて駆け付けた自警団は人質を盾にいたぶり、泣き叫ぶ宿の主人の妻を痛めつけたあとでメッセンジャーとして利用した。
発端はただ宿の主人への怒りからの行動であったが、やってみれば今がまさに事を為すべき時ではないかと確信がでてくる。男の仲間達もこぞって魔導国を手に入れる算段を話し始めた。
この国を正統な王のものとするため魔導王を討つ。酒の席で、思い付きで話し始めた内容がそのまま現実へと移行している。
いかに強大な力を持つ魔導王といえども弱所となるところはある、男はそう考え歪んだ口の端を押さえた。人質を取られ為されるがままであった自警団、その成功体験は男の自信を固めていく。人質を取らねば勝てない、言外にそう認めていることは無意識で思考から除いている。
それにしてもと男は思う。人質の己を見る目の何と心地いいことかと。圧倒的な力の前に平伏して怯えの視線を向けてくる民衆。仲間内から持ち上げられるものとはまた違った快感がある。その命は自分の掌の上、気分次第でどうとでもできる万能感、そして優越感に酔う。いずれは魔導国の民すべてを、と考えたところではっとし我に返った。その時はすぐに来る、今は慎重に事を為すのだと。
「それにしても、あいつらはまだやっているのか?」
集会所の広間には人質を除けば五人の仲間の内二人しかいない。共にいる化粧の濃い女が一応は見張り役である。
リーダー格の男は呆れたように集会所の奥へ続く扉をみた。集会所は、現在男がいる正面入り口が面した大広間だけでなく奥へ続く扉があり廊下を挟んで小部屋が数部屋ある。男の三人の仲間はそちらへ行ったきり戻ってきていない。だが何をしているかは想像がついていた。
ちょうど話していたタイミングで扉が開き小部屋へ続く廊下の方から仲間が一人戻ってきた。ホバンスでエルダーリッチへ掴みかかろうとした屈強な男である。
「なんだ、まだ聖女は来ていないのか?」
戻ってきた男は上半身裸でズボンのみであり鍛えた身体を晒している。身体は汗ばんでおり運動の後のような様子であった。部屋に入るなりざっとあたりを見回し不満を口にする。
化粧の濃い女が外を眺めつつ、こちらも呆れたように嘆息し返答する。
「まだ姿は見えないねぇ。交渉中ってところじゃないの?」
「そのうち届くのだから今はここにあるもので我慢しろ。随分とお楽しみだったのだろう」
「ああ、村娘にしては中々悪くなかった。まあ聖女の前の前菜程度だがな」
リーダー格の男が窘めるように言うと、屈強な男は機嫌良さそうにその隣りへ腰かけた。つんと匂う性臭にリーダー格の男は思わず顔を顰め、よく下賤な女など抱けるなと呆れる。
村の人間を人質として立て籠もったのち、屈強な男は村人の中から見目麗しい女性を何人か選んで別室で犯していたのだ。これまで強姦の経験などなかった男ではあったが、村人を魔法で殺した際に犯罪行為への抵抗などなくなっていた。それは他のメンバーも同様。男に罪悪感など生まれず、これほど容易に満足感を得られる素晴らしい事をなぜ今までしてこなかったのかと後悔すらしていた。無論魔導国では重罪となる行為であり、その代償には極刑が待っているというのもあったが。
聖女の身柄を魔導国に欲求したのもこの男の要望である。男は以前より遠めに見たあの清廉潔白を絵にかいたような存在の、仮面の下の顔をぐちゃぐちゃにしてやりたいという欲望を滾らせていた。聖女の利用価値も考えて他の仲間も許可するに至ったのである。
聖女を渡すという決定にはまだ時間がかかるかと納得し、屈強な男は人質の中に食指の動く女がいないか物色し始める。すると先程男が出てきた扉から今度は女がのっそりと現れた。
俯きがちであり、沈んだ黒色のとても長いざんばら髪のせいで表情は分かりづらい。片方だけ除いた左目は血走っており、小さめの黒目があたりをぎょろぎょろと睨みつけている。一見すると幽鬼のような不気味な女であった。
「お前も戻ったか」
リーダー格の男が声を掛けるが返答はなく、部屋に入り屈強な男の近くの机に腰かけた女はぶつぶつと聞き取れない呟きをするのみ。仲間内ではいつものことなので気にした様子はない。
しかし屈強な男が隣に来た彼女の右手に持つものに気付くと、少しだけ怒ったように彼女へ言葉を発する。
「あっ、勿体ねえ!」
彼女の右手にはつい先ほどまで犯していた女の生首が掴まれていた。色々と遊びつくしぐったりと動かなくなったため、あとで回復したらもう一度遊ぼうと縛ってベッドに放置していたはず。
非難の声を聞いても女は視線を一つ向けただけで、手に持った女の首を睨みつけまた独り言をつぶやき始めた。
生首の状態はひどいものであった。目玉は潰されその空洞に指を掛けられ持ち手とされている。鼻はもぎ取られ穴がぽっかりと顔を覗かせる。唇もちぎられ剥き出しの歯は、所々が折られ抜かれていた。綺麗であったであろう亜麻色の髪は、首の荒い断面と同じ高さの位置で切られぼさぼさと飛び跳ねている。この生首が村で可愛いと評判の少女だったとは誰も信じないだろう。
「———っ」
長髪の女は最後に何かを呟くと、持っていた首を雑に人質の方へと放った。どすっと重い落下音と共に一人の人質の近くへ転がっていき、ちょうど倒れ伏す男性の目の前で生首が止まった。その男性は目を見開くと猿轡を噛み締め絶叫のような唸りを上げて涙を流し始める。
「ああ、そういえばお前の娘だったな。まあまあ良かったぞ」
屈強な男が軽く部下を褒める上司のような口調で話しかけるが、生首の父は聞こえていないように泣き叫ぶのみ。
その様子を眺め長髪の女はひっそりと掠れたように笑い声をあげる。
「まったく、悪趣味ねぇ」
化粧の濃い女は長髪の女の行動を見て嘆息した。決して叱るようなものではなく友人の変わった趣味を指摘する程度の響き。
長髪の女が何故人質を殺し、その首を辱めるように壊したかは屈強な男を除き他の仲間は理解している。女は昔から先程村娘を犯していた男へ好意を持っていた。見た通りの内気な性格故慎ましいアプローチはしてきたが、思いを向ける男は非常に大雑把で他者からの感情に疎かった。そんなじれったい関係を他の三人は密かに見守っていたのである。
前から屈強な男が見目麗しい女へ近づく際は劣等感も混じり頬を膨らませることがあったが、今回のことで嫉妬のタガが外れたのだろう。本人へ思いを伝える勇気が持てない分、それを彼と関係を持った女へぶつけているのだ。肝心の屈強な男はストレスが溜まっていたのだなと勘違いをしている始末だが。
「お前の趣味も大概だろう」
長髪の女への指摘を聞いてリーダー格の男が声を発する。その視線は化粧の濃い女の右手へ向けられていた。
「あらぁ、こういった方が健全でしょう」
視線を受けて様々な装飾品を身に着けた女は右手を掲げそこに巻かれたブレスレットを見せつける。しっとりとした金色に輝く、赤い宝石が一つはめ込まれたシンプルなデザインのブレスレット。売ればそこそこの金額になるだろうがそれほど固執するものではない。だが女はいたくそのブレスレットを気に入っていた。これは女が村長である老人の家から強奪したものだ。奪う際に妻との思い出の詰まった大切な形見だと泣き叫んだ哀れな老人を思い出すと、ブレスレットはより輝いて愛おしく見える。
女は宝石や装飾品など価値あるものが好きであった。だがそれ以上に他者が大切にしている価値ある物ほど、自分の物へとしたくなる。己が身に着けることによりそれがじわじわと己に侵食され染まっていくような感覚がたまらなく好きなのだ。
魔導国から奪ったものの中、魔術的価値のない金銀財宝は彼女の取り分と約束していた。特にあの魔導王が最も大切にしているもの。それを奴の目の前で我がものとできたならばと妄想に心躍らせる。
ブレスレットへうっとりとした視線を向けた女へ、やれやれとばかりに首を振るリーダー格の男。すると再び廊下からの扉が開いた。
「おう、遅かったな」
廊下から現れた男へ屈強な男が声を掛けた。そこには村人へ最初に魔法を放った長身痩躯の男が立っていた。手には杖を握り着ているローブは血に塗れている。
「…すまない、少し熱中し過ぎた」
上目遣いにぼそぼそとした喋りは聞き取り辛い。だが慣れているリーダー格の男は気にした風もなく問いを掛ける。
「何人くらいやったのだ?」
「…あまりやり過ぎても数が足りなくなるかもしれないからな。五人くらいをじっくり遊んでいた」
「あんたも悪趣味ぃ」
長身痩躯の男はその時を思い出し恍惚の表情を浮かべる。
この男は最初に魔法で村人を一人打ち抜いた感覚が忘れられず、小部屋に数名村人を連れ込んで拷問を楽しんでいた。仲間内では静かな印象を持たれていたが、常に己の魔法を生きた者へ放つことを待ち望んでいた。小さな魚や鳥を殺すことはすぐに飽きてしまった。犬猫や魔物もある程度の快感を得られたがまだ足りない。常々同族である人へ放ちたいと考えていたのだ。理由などない、唯々楽しそうだと考えていただけ。だが魔導国の法がそれを許さず悶々とした日々を過ごしていた。
宿屋の食事処、普段飲み慣れていない酒を飲んだせいもあったが、魔法の発動は自然に行われ始めて人の命を奪った。経験したことのないあまりにも脳を刺激する快感に射精してしまうほどであった。その快感が忘れられず人質の何人かを見繕って様々な殺し方を楽しんだ。過程も楽しいが何より最期の瞬間、己の手で人の命に終わりをもたらすという征服感はなにものにも代えられない。いつか飽きるまでこの遊びはやめられそうにないなと、男はこれから奪う命へ思いを馳せる。
「しかし遅いな。奴らの目の前で人質の一人でも殺すか」
場にメンバーの五人全員が揃ったこともあり、リーダー格の男が提案する。声が聞こえている村人はびくりと身を震わせた。五人からは親しさゆえの友人同士のような緩い雰囲気が流れているが、この緊迫した状況では逆にそれが恐ろしい。
「いいかもねぇ。向こうに時間を与えてもいいことないしぃ」
「…なら殺すのは俺がやろう」
化粧の濃い女がすかさず同意し、長身痩躯の男は目をぎらつかせる。
「そうだな。早く聖女を俺の物にしたい」
「———っ」
屈強な男も続き、それを聞いた長髪の女はぎりりと歯を鳴らして怨嗟をまだ見ぬ聖女へ向ける。
皆の同意を受けて、それじゃあ早速と腰を上げようとしたリーダー格の男であったがストップがかかった。
「待ってぇ。向こうも動いたわ!」
再び窓から外を見た化粧の濃い女が声を上げた。女の視線の先、正門から続く道に人影があり、リーダー格の男も別の窓から外を見た。正体を明かそうと目を細めるとそれはすぐに判明する。
「あれは…聖女ネイア・バラハか。一人で来たという事は、魔導国は身柄をこちらに渡すことを決めたようだな」
彼の発言の通り、大通りから集会所へ向けてゆっくりと歩いてくる人物、それはネイア・バラハであった。両手を上げたりはしていないが武装は解除しており、単純な身柄の明け渡しと考えてもおかしくはない。順調に事が進んでいる状況に思わず口元が緩む。
「おお、本当だ! 最初に俺がやってもいいよな?」
「…構わんが、ある程度情報を聞き出してからだ。お前も、絶対に殺すなよ?」
屈強な男が目を輝かせて窓の外へ視線を向ける。不機嫌さが増していく長髪の女へリーダー格の男が注意を促す。聖女の身柄には重要な利用価値がある。それは魔導国との交渉にも大きく役立つことだろう。
五人は今後の明るい展望を心に描きながら、ゆっくりと集会所へ歩いてくる聖女へ視線を向けるのであった。
賊が人質を取り立て籠もった建物を視界に入れつつ、ネイアは速すぎず、かといって遅すぎない程度の歩調でそこへ向かう。
先方の言いつけ通り武装解除した状態。いつもは背中にあるアルティメイト・シューティングスター・スーパーがないことに不安ではなく寂しさを覚えてしまう。
目元はバイザーで隠れ、口元は感情を窺わせず自然な状態で閉じられている。凪いだ表情とは裏腹に心は思考を続けていた。
ただいつもの日常を送っていただけの村人。それが突然現れた理不尽な暴力に蹂躙され支配され屈辱の時を過ごしている。突然にすべてを失う、それはかつて己も経験したことだ。だがもしも村人達が受けた被虐のそのままに顔を伏せていたら今後も立場は変わらない。弱者として一方的に奪われ続けるだけ。村人たちもこれを機に変わっていかなくてはいけない。弱いことは罪ではない、だが悪なのだ。
魔導国は世界征服を成し遂げすべての国がその庇護下にある。だがこの広すぎる世界全てを網羅して守るというのは、いくら全知全能の魔導王陛下といえども民草が負担をかけすぎてしまっている。故に民が強くなり弱者から脱却して、かの御方の負担を僅かでも減らして差し上げなくてはいけない。ネイアは村人を想いそう考える。
次いで考えるのは実行犯五人のこと。資料である程度の素性は知っている。魔導国へ、ひいては魔導王陛下への狼藉に対する怒り、村人への非道に対する悲哀も確かにある。だが何よりも浮かぶのは憐憫の情。この素晴らしき理想郷、魔導国に生を受けながらその有難みも魔導王陛下への感謝も忘れ、ただ己が欲のままに法を犯す。もはや知性を持たない獣にも劣る所業。そのような浅ましい存在となり果ててしまったことを憐れに思う。
だけど大丈夫と五人を想う。そんな彼らですら、かの御方は御救いになるのだからと。これから彼らは神の地にて洗礼を受けた後に生まれ変わる。そうして禊を終えた後に今度こそ魔導王陛下の素晴らしさを理解し、魔導国の民として規律ある一生を終えて欲しいものである。洗礼はきっと永遠のように長く地獄のように辛いものとなるだろう、だがそれこそが必要な事なのだ。さあ今からお迎えに行ってあげましょうと、ネイアは五人を想いそう考える。
「………」
心の深奥に描くのは敬愛するいと尊き主。その輪郭、香り、声音、魔力の色まで容易に具現できる。
目を閉じ、両手を組んで胸の前へ掲げる。軽く胸元へ触れると主を想う熱を感じた。
ネイアの体をゆっくりと、魔力とは違う力が循環し始める。それは主を想う心から溢れ出て、どろどろとゆっくりと四肢の余すところなく巡る。
力は標的を定め鎌首を擡げた。
為すべきこと、己の使命は理解している。非道を為した者達、そして虐げられた村人達を導かなくてはならない。彼らの辿る道筋は険しくも危うい、だが光輝くかの御方へ続く正道。
この世にて不変の真理である絶対の正義。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下を確かに感じ、優しく息を吐き出すようにその力を起動した。
「貴方の罪過を語らいましょう」
蠱惑的な囁きは風に紛れ消えた。だが彼我の距離など意味もなく、救済は施される。
「…聞こえたか?」
集会所に立て籠もり聖女の到着を待つ五人。
リーダー格の男が怪訝な顔をして周りの四人へ問いかける。四人もリーダー同様困惑した表情を浮かべており、顔を見合わせて返答した。
「ああ、確かに聞こえた。女の声だったよな?」
「聖女でしょう。前に集会している時に聞いた声と同じだったわぁ」
「…確かに、現状ならそう考えるのが妥当か」
屈強な男が同意し化粧の濃い女が補足を入れる。他の二人も同意を示すように首肯していた。
五人の耳には同時に女の声が響いた。直接音を聞くような明瞭さはなく、かといって伝言のようなくぐもりも感じられない。また音も小さく突然のことでもあったので何を言ったかまでは判然としなかった。
「攻撃的な魔力は感じなかったが…何か特殊な伝言に近い魔法じゃないか?」
長身痩躯の男が片手で頭を押さえながら私見を述べた。
現在集会所へ向かってきている聖女であるが、建物までの距離はまだ遠い。大声であるなら微かに届くかもしれないが先のような変わった音を発するのは物理的には不可能。ならば魔法による干渉を疑うのは当然だ。
「こちらと交渉しようとでもしているのか? まあそんなもの飲む必要は…ん、どうした?」
顎に手を当てて考えを述べていたリーダー格の男だが、ふいに長髪の女へ目線を向けた。
長髪の女は気味悪そうに顔を歪めており、リーダー格の男の問いにただ指先を動かした。指が向いた先は縛られ転がされている村人達。四人も促されるようにそちらへ視線を向ける。
先まで泣き疲れ憔悴していたはずの村人達であったが様子がおかしい。僅かにあった啜り泣きの音すらなくぼんやりとした表情で、縛られたままでどうにか顔を同じ方向へ向けている。突然の変わりように不気味さを覚えると同時、彼らの顔を向ける方向はすぐに推察できた。外へと続く扉、その先にいる今まさにここへ歩いてくる聖女へ向けてだ。
「なんだ…こいつらに何かしたのか?」
リーダー格の男が嫌悪感を浮かべた顔で村人達を見据える。
「ちっ、気持ち悪ぃんだよ!」
屈強な男が心に生じた僅かな恐れを誤魔化すように一人の村人を蹴り上げた。先程娘を犯され殺された男だ。腹を蹴られた男は体の反応として咽込み吐瀉物を撒くが、それだけで再び顔を聖女の方向へ向ける。すると倒れる男の口元が小さくゆっくりと動き始めた。どうやら何かを呟いているようだが声量も微かで判然としない。そしてその現象は男だけでなく、他の倒れる村人たちにも起こり始める。
「…何なのよぉ、こいつらどうしちゃったのぉ?」
一様に聖女の方向へ視線を向けぶつぶつと何かを呟く村人達。内容を聞き取れない呟きの合唱は不穏な呪いのようであった。
「くそっ!! 聖女の奴、こいつらに何したんだよっ⁉」
最早恐怖も隠せず屈強な男は震えた声で叫んだ。しかし彼の恐怖を笑う者は四人にはいない。皆が同様の気味悪さを感じているからだ。
「取りあえず攻撃を仕掛けてみる! 皆は援護を頼む!!」
このままではまずいとの焦りからリーダー格の男が、ネイアへ攻撃を仕掛けようと集会所の扉へ一歩を進めたその時、再び声が聞こえた。
———初めまして、私はいと尊き魔導王陛下に仕える僕の一人、ネイア・バラハと申します
先程響いた時と同様、直接耳に入る音とも違う、魔法による伝言とも違う、不思議な響きを持った音。だが今回は内容をしかと聞き取ることができた。やはり先の声の主は聖女、ネイア・バラハで合っていたのだ。そして村人たちの異常な様子の原因もおそらくは彼女。
窓に駆け寄り外を確認すると聖女は集会所から離れた位置で歩みを止め、両手を組んで祈るように立っていた。
「貴様だな、こいつらの様子がおかしくなったのは! 余計な真似はせずおとなしく身柄を渡せ!!」
建物の中であることと聖女との距離もあり言葉は届かないであろうが、男は叫んだ。他の四人も聖女の声が聞こえていたのか口々に悪態をついていた。
———早速ですがお聞きしたい。皆様は何故にこのような非道を為さるのでしょうか?
こちらの声が聞こえているのかいないのか、聖女は男の問いかけを無視して言葉を続ける。
その態度に頭の奥がかっと熱くなるが、深呼吸を一つして冷静さを取り戻す。その間にも聖女の言葉は続いた。
———我らが神の造りたもうた理想郷、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に生を受けるという幸福を享受しているというのに、何故それを無下にするような真似を為さるのでしょう?
頭に響く言葉には抑揚が無いというのに、確かに聖女が心を痛めているという感情は伝わってきた。届く感情、言葉の中には怒りではなく憐みが含まれているようであり、その事実が男の怒りを再燃させる。
「ふざけるなっ!! 私の才能を認めぬこんな国のどこが理想郷だ! 貴様等のような愚物が支配しているからこんな有様なのだ!!」
熱く吼える男の中では、己に対する不当な扱いがまかり通る魔導国が真っ当とはとても思えない。
「さっさとその地位も国も才ある者、この私に譲るのだ!」
己が支配すれば自身のように不当な評価を受ける者はいなくなり、真に素晴らしい国となるだろう。根拠も実績もないというのに、男の中には確かな自信だけが根付いている。
———確かな才を持つ者を、魔導国は不当に扱う真似など致しません
激情に身をまかせ己の気持ちをぶつけた男に帰ってきたのは、先と同様淡々とした聖女の言葉。
その意図はなくとも小馬鹿にされたと思い込み、男は歯を軋ませた。
何時の間にか周囲の状況も気にせず、意識は聖女との会話にのみ向いている。
———そしてそれは、無辜の民を虐殺する理由にもなりません
「私はすぐに王となる! その行動は全てが許されるのだ!!」
目を血走らせ歯茎を剥き出しにして唾を飛ばす。己の思う様にならないことに思考が白熱し、焼き切れそうな憤怒に眩暈する。
———ですがご安心ください。かの御方の救済は皆様にも与えられます
殺す、己を無視した発言に男は真っ先にそう思った。凌辱だけでは足りない、ありとあらゆる苦痛を与えて慈悲を請わせ、それを踏みつけにしたのちに絶命させてやる。どうにかそう思う事により怒りで弾け飛びそうな思考の手綱を握る。
———今生の罪を雪いだ後に、再び魔導国の民として転生を為すのです
ぎりぎりで残っている理性的な思考でも、言っている言葉の意味は今一理解できない。だが己の命令を聞こうともしない聖女への怒りが限界を超えた。
怒りを鎮めるため、右手に魔力を集め始める。脳を焦がす憤怒を凝縮するように火球が形成された。この一撃を聖女に、と捕虜とする目的も忘れた男であったがそれは掛けられた言葉に中断される。
———本当は分かっているのだろう?
先までの聖女からのものと同様に頭に響く言葉。だがその喋り方や声は聖女のものではなく、まして女のものですらなかった。どこか聞き覚えのある、常に頭蓋の反響越しに聞いていたような声。
「…私の、声?」
男はすぐにそれが自身の声であることに気付いた。やや聞こえ方は違うが、喋りの抑揚や話し方を総合すれば察することができる。しかしそれが齎されている原因は分からない。
聖女からの何かしらの目的を持った魔法かと、混乱した頭でどうにか理解しようとする男だがそうしている間にも言葉は続く。
———己に才能の無いこと、所詮虚勢を張るだけの凡愚に過ぎぬという事を
「なっ……!」
突然の、それも自身の声で告げられる侮蔑。声を荒らげ困惑から再び怒りが沸くが反論の言葉はすぐにはでなかった。
「なんのつもりだ! 早くふざけた真似をやめろ! やめぬなら村人を———」
このままこの言葉を聞き続けるのはまずいという無意識の焦燥。早く会話を切り上げるため焦りの混じった怒声を上げるが己自身の言霊は頭に粘りついた澱のように消えない。
———そして気付いていたのだろう? 大衆が貴様を認めぬ理由も。口だけ達者で周りを見下す実力の無い道化、そんな貴様を嘲笑していたことも
「な…なっ…なに、を」
ひゅっひゅっと呼吸が上手く行えず言葉もたどたどしい。額にはじわりと脂汗が浮かんでいた。
矢継ぎ早に繰り出される侮蔑の言葉。だというのに何故か男から反論の言葉は一向に生み出されない。反論をしたいが喉から言葉は出てくれない。言葉が喉に詰まるような気持ち悪さに溺れそうになる。
くらくらとする頭、心の臓をぎゅうぎゅうと握られるような不快な苦痛は増していく。
男にはもはや聖女どころか周りの様子も見えていない。
男の周囲では、彼の仲間である四人が男と同様に周囲を気にする様子もなく取り乱していた。ある者は両手で頭を抱えて目を血走らせ何かを呟いている。ある者は蹲り涙を流し謝罪の言葉を繰り返す。ある者は瞠目し天を仰いで口を間抜けに開けていた。ある者は顔を怒りとも悲しみとも取れるような表情へ歪め見えない何かへ声を荒らげている。そして村人達は変わらず視線を一点に向け呟きを続けていた。
異様な光景の中でも誰一人他者に関心を向ける者はいない。そんな余裕などないために。
———故に貴様は貴様を肯定するだけの身内のみで己の世界を完結させた。気持ち良かったなあ、茶番に過ぎない称賛でも私達には甘い蜜のようであった
「……っ」
掠れた呼吸を繰り返す男はやはり言葉を返せない。ひた隠し蓋をして気付かない振りをしていた気持ちを、鋭利な刃で抉られる。その刃を握る手は己自身だ。
———貴様のような愚物はそこで満足していれば良かったのに
呆れたように嘆息し発される言葉。
男は何時の間にか地に膝と頭を付けて拒絶を表すように目を固く閉じていた。しかし頭に響く音は決して離れることはなく。
———あろうことか無関係な他者を害した。理由はつまらない貴様の見栄の為に
「(違う…違う……私は、わたしには…その資格があるのだ…)」
閉眼した暗闇の世界、最早喋る余裕のない男はどうにか思考で反論する。だがその反論がいかに空しく中身の伴わないものであるかを男自身が感じてしまっていた。
———分かっていることをいちいち誤魔化すな。貴様は無辜の民を虐殺したただの殺人鬼だ
「………ぅあ…」
突き付けられた言葉に呻きを上げる。
———楽しかったなあ、殺すことで相手を己より格下と思い込む。戦えぬ者達を唯一勝っている魔法でいたぶり塵のような自尊心を満たす。畜生にも劣る自慰行為、実に小物の貴様らしい
「…ぁああああ…」
頭を抱えていた手、その爪が立てられ頭皮を強くえぐった。何時の間にか目からは熱い雫が零れ落ち喉の奥底から言葉にならない音を上げる。
———分かっただろう? 貴様は優秀な魔法詠唱者などではない、自惚れていて高慢な道化、弱者を嬲って悦を得るだけの劣悪な異常者だ。
「っひ…ぇあああ…っんぐ、ああああ」
最早正気が残っているかも怪しい叫び。全身の震えは大きさを増し痙攣のよう。
———この人殺しめが
「ひへ」
その言葉がきっかけとなったのか、男は一度びくりと体を跳ねさせるとがばりと起き上がった。端正であったはずの顔はぐちゃぐちゃに歪み、今の短い時間で老け込んでしまったかのように別人だ。
「…ぁああ、ゆる…許して、下さい…ゆる、し、て」
男は何かを求めるように宙へ両手を彷徨わせる。その時掻きむしったため手についていた頭皮、血液が目に付く。一滴の血がぽたりと地に落ちる様を男は目を見開いて凝視していた。
「あひ、ひぅ」
男は口の端を少しだけ持ち上げ歪な笑い声をあげると、躊躇うことなく両の手を全力で地に叩きつけた。ぐしゃりと嫌な音が響く。屋内の硬い地面、しかも拳を握るわけでもなく軽く開いた状態での奇行。指の何本かはあらぬ方向に折れ曲がり、皮膚を破いた骨がはみ出ている。
「ひぇ…っ」
強烈な激痛からの重く残る鈍痛。しかし男は痛がる素振りを見せない。あろうことか指の爪を歯で噛み締めべりりと乱暴に剥がし始めた。無事な指も折れた指も一本一本剥がしていく。すぐに十枚を終え両手からはだらだらと鮮血が流れ落ちる。だが満足のいかなかった男はさらに許しを請う様に地へ頭を叩きつけ始めた。
突然の自傷行為、明らかに常軌を逸した行為であるが誰も止める者はいない。何故なら他の者も同様だからだ。
屈強な男は膝立ちになり発狂しながら自身の男性器へ短刀を何度も振り下ろしていた。下腹からぼたぼたと血が流れているにも関わらず行為を止めることは無い。
長髪の女もひどい状態であった。瞼と唇が己の手で強引に千切られ眼球と歯列の白が剥き出しになっている。鼻も切り落としたのか顔を平坦にし、血の泡を吐く。両手で無理矢理髪の毛をぶちぶちと引き抜いているため、頭皮ごと捲れ無残な見た目となっている。
化粧の濃い女は強奪したブレスレットへ恐れるように謝罪を繰り返し、どこにあったのか錆びた鋸で自身の右手を切り落としていた。切れ味も悪く時間もかかり、骨をごりごりと削る音が寒気を催す。漸く落ちた右手を掲げて更に謝罪を繰り返す姿には理性は残っていない。
長身痩躯の男は持っていた杖で両の目を抉っていた。血の涙を流しながら絶叫するも、足りないとばかりに近くにあった机へ噛り付く。全力で噛みつくが文字通り歯が立たず、欠けて抜け落ちる歯を気に留めず行為を続ける。
村人たちは賊の突然の異常行動も一切気にしない。賊の誰かが切ったのであろう、拘束は何時の間にか解かれていた。
「…ぁあ、ああああ…あああああ」
見るも無残な姿となったリーダー格の男は、己を痛めつける行為に満足がいかず悲哀の籠った嗚咽を漏らした。血まみれの顔をがばっと集会所の出口へ向けると、上手く歩けないのか転げる様にそこを目指し始める。同様に自傷による大怪我を負った仲間の四人も呻き声を上げつつリーダーの後を追った。
足をもつれさせ時に地を舐めるように転がりもぞもぞと動く五人の姿、つい先ほどまでが嘘のような惨めな状況。それでもどこかを目指し続ける。
「…ぁぁああ、っ、あ、あああ」
集会所の入り口を押し開け外へ出た。ぼろぼろの五人は体液と血をまき散らし歩みを進める。途中たどたどしくも衣服を全て脱ぎ捨てていく。転倒し地に倒れ伏せ自傷した傷が痛みを訴えてもお構いなし。
やがて外で位置を変えずに祈りの姿勢を取っていたネイアの前に辿り着く。
「……あああああ」
五人は聖女の前まで来るとすぐに跪き、顔を伏せて両手を組む。
衣服は全て脱ぎ捨てており一糸纏わぬ姿。まるですべての罪をさらけ出すように。
「…ぅひィて、くっ…あああああィ」
皆で許しを請う様にむせび泣き始めた。何か言葉を発しているようだがとても言葉の体をなしていない。
何時の間にか聖女と五人の周りを村人達が賊と同様に平伏し祈りながら囲んでいた。その口からはやはり嗚咽が漏れている。
聖女を中心として、虐殺を行った賊と行われた村人が輪となって囲み懺悔する。
気が触れてしまいそうな異様な光景の中でも、中心にいるネイアは優しく微笑みを浮かべていた。
五人はただただ後悔に打ちひしがれ、それを贖う方法も無い。自傷したところで僅かな慰めにすらならなかった。だが同時に死を選ぶことは逃避だと心が訴えてくる。胸の内を圧迫する巨大な腫瘍のような悔恨。この苦痛から逃れる術は全く思いつかない。そのことに絶望し顔を伏せた五人に言葉が落とされる。
「ご安心ください」
先程までと違い直接耳に届く聖女の肉声。甘く蕩けるような、優しく一切の棘を持たない言葉は彼女を囲む皆に緩やかに届いた。
皆がゆっくりと顔を上げ彼女を見上げる。日も落ちたというのにどういうわけか彼女の周囲はうっすらと明るく、神聖で侵しがたい雰囲気を纏っていた。
「皆さまには贖罪の機会が与えられます」
砂漠でようやく見つけた一滴の水のように、その言葉は魅力的で皆の喉を鳴らす。
渇望するように聖女を凝視する群衆へ、優しく迎え入れるように両手を広げた。
「我らが神の救済は万人に与えられるのです。そう、我らを遍く統べて下さる偉大なる御方、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下によって」
人々は唯一の救いを得たことで呆然とした表情ながら口の端をゆっくりと持ち上げる。血に塗れた感涙をはらはらと落とし、再び顔を地に伏せた。喉の奥を絞ったような感謝の呻きを合唱する。
祈りを受けたネイアは空を見上げ、恍惚とした表情で賛美の言霊を零す。
「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、万歳」
ネイアのいる村の上空、夜闇に紛れるように一つの人影があった。
豪奢なローブを風に靡かせ中空に浮かぶ人物は、今まさにネイアが名前を挙げたアインズ・ウール・ゴウンその人である。
「…………こっちに気付いている?」
アインズの腕の中から女性の声で疑問が上がる。一つに見えた人影だが、アインズの腕にはナザリックの戦闘メイドの一人であるシズ・デルタが抱かれていた。
アインズに問うたと言うよりは、疑問が思わず口に出たという様子。エメラルドの右目が不思議そうに眼下のネイアを見ている。
「いや、不可視化も使っているからそれはないだろう」
アインズが腕の中のシズへ言葉を返す。お姫様抱っこの体勢で抱えられるシズはアインズにしがみつくようにしているため、近い距離での静かな会話。
村とその周辺の山々まで見渡せる高度、顔を上げたネイアの視線の先にアインズ達が入ったのはおそらく偶然だろう。
「無事に事を終えたようだな」
シズと同様、地上のネイアを見下ろし安堵のため息を零す。
ネイアの実力は知っていたが、それでも心配はあったためこうして姿を隠し様子を見守っていたのだ。シズもネイアのことを気にかけていたため一緒に来る運びとなった。
「…………それにしても不思議な魔法、です」
シズも軽くではあるが何度か見たことのあるネイアの力。どういう原理か勝手に投降を始めた賊や、賊と同様にネイアに縋る村人達。そんな様子にも動じることなくただ不思議そうに感想を述べる。
「魔法ではなく生まれながらの異能によるものだな」
頬が触れ合いそうな距離でアインズは優しくシズへ説明をする。
「…………罪悪感を増長させる異能、ですか?」
ネイアの使った異能を客観的に見て、しっくりとくる答えを考察する。
「ああ、大体はそれで合っている。だがそれはネイアの異能の一部だ」
「…………一部?」
「ネイアの異能は罪悪感だけでなく、それが罪になるかを知っているかどうかでも発動する」
「…………?」
アインズの言葉が理解できなかったのかシズが首を傾げた。
地上ではネイアが集まってきた制圧部隊へ賊を引き渡し、村人達を保護しているところであった。一切の抵抗を見せず連行される賊を視界に収め異能の説明を続ける。
「例えばそうだな…あの賊の中には殺人を何とも思わない人間がいたが、そいつにも異能は発動した」
「…………心の奥底では悪いと思っていた、からではないのですか?」
「確かに大半の人間は僅かでも罪悪感を抱くものだ。だが中には一切の悪意を持たずに人を殺める者も稀にいる。今回の奴らのようにな」
多くの人間は殺人を犯せば罪の意識に苛まれるだろう。しかし時にそれを一切の躊躇なく行える者も現れる。先天的なものか後天的なものに因るのかは不明だが。
「だがネイアの異能は殺人を悪だと知識として持っているだけでもいい。過去に教育でも周囲からでも、知識を得ていればそこを起点にして傷口を広げていける。魔導国で、というよりはどこでもそんな当たり前を知らずに生活するのは不可能だろうな」
ある程度の生活基盤が整った国で、殺人を悪だと知識として身に着けずに生きていくのは難しいだろう。そしてネイアの異能は当然殺人だけではなく、窃盗や強姦など他の悪事にも発動する。
「…………法に触れることが条件…ですか?」
「どこまでか範囲か明確ではないが法に触れずとも対象が悪いことと自覚していれば発動する。ただその行為の悪性度によって効果の程は変わるがな」
「…………無敵の異能に見えます」
「そうでもない、異能の発動にはある程度のレベル差が必要だ。例えば我々には効果を発揮しない」
一見強力な力に見えるが対象外も存在する。そのような理由もあってこうして隠れて様子を見ているわけだが。しかし現状ネイアよりレベルの高い一般人など数えるほどしかいないため杞憂と言ってもいいかもしれない。
「…………でも、罪を犯していない村人達は…なんで対象になったのでしょう?」
「そうだな…まずネイアの異能は対象を大雑把にしか指定できない。今回のように賊と人質が一緒にいる状況では分別が厳しかったろう。そして効果が発動した理由は、おそらく弱いことが罪になると考えたのだろうな。ネイアが町々で説法の中でそういった話をしているのを聞いたことがある」
もしかしてこういった事態に備えての説法だったのか、と一瞬考えたアインズだったがネイアに限ってそれはないかと頭を振ってその考えを捨てる。
「…………村人達が自傷行為をしなかったのは…重い罪じゃなかったから、ですか?」
地上では解放された村人達が保護されているところだ。捕虜となりひどい目にあっていたはずだというのに、その顔には生気が宿り目には輝きがあった。ネイアに対し熱く感謝の祈りを捧げる者もいる。
「それもある、だがそもそも発動した効果が違うのだろう。悪事を行った賊には罪悪感の増長、村人には信仰心の強化といったところか」
「…………信仰心の、強化?」
「以前何度か調べていたのだが、ネイアが行っている説法の後、それを聞いた者の信仰心が明らかに強まっていた」
アルベドやデミウルゴスも含めて話し合い、多数の人間からデータを無作為にサンプルとして集め、繰り返し行った検証にて間違いないとの結論に至っている。
「普段の説法ではネイアも自発的に異能は使わないようにしていたが、無意識に溢れた力が効果を発揮していたようだ。今回の村人達は罪悪感が信仰心へと変換されて効果が強く出たのだろう」
アインズはその信仰の向かう先はネイアであると勘違いしているが、実際はネイアを通しアインズへと集約されている。アインズ・ウール・ゴウン魔導国を、ひいては魔導王陛下を信仰する者はネイアの働きもあり急速な増加をしてきたのだ。
「まあ村人達の中にこっそりと悪事に手を染める者がいたら、あの賊のようになっていただろうがな」
説明に納得が追いついたのか、シズは一度頷くとアインズへ身を寄せた。
「ああ、それとシズ」
「…………はい、何でしょう?」
「私はこの後ナザリックへ帰還するが、ネイアへ一つ伝言を頼まれてくれないか」
「…………畏まりました」
アインズからの伝言の内容を聞いたシズは、分かる者にしか分からない程度表情を嬉しそうに変えた。
事件の起きた村を見下ろせる山の中腹。制圧部隊が陣取っていた場所とは反対の山に二人の人物がいた。
そのうちの一つは片手を蟀谷に当てて会話をしている様子。しかし会話の相手はその場にいるもう一人ではなく、伝言を使った遥か遠くの者。
「ええ、では蘇生が使える者の手配を。あとは必要になるかもしれないので記憶操作を使える者もお願いします」
伝言を使っていたのはナザリック第七階層守護者のデミウルゴス。今回の事件の後片付けの部隊を要請していたところだ。ナザリックとの距離はあれど頼んだものは転移ですぐに到着するだろう。
「あらら、悪魔なのに優しいねぇデミウルゴス」
伝言を終えたデミウルゴスへ話しかけたのは彼と同じナザリックの階層守護者。第六階層守護者のアウラ・ベラ・フィオーラだ。
言葉には揶揄う響きが含まれていたが、親しい友人へ向ける程度の軽いもの。
「すべてはアインズ様のためだよ。アインズ様は仰った、魔導国の全ての民が幸せでなくてはならないと」
敬愛する主の言葉を守るのは階層守護者として当然の責務と堂々と言葉を返す。
今回も現場に赴く前、アインズから命じられていた村の復興。その役割を担うことに否やはない。
制圧部隊にも回復魔法を使える者はいるだろうが、死者の蘇生までは難しい。そのためナザリックの者を呼び死んだ村人達の蘇生。心の傷を負った者には記憶操作をする必要がある。
「真面目ね~、今の言い方セバスに似てたよ」
「なっ⁉」
心外とばかりに頬を引き攣らせる悪魔。
軽口を叩いているアウラであったがその意識は周囲と上空のアインズへ注がれている。
強力な戦力である階層守護者二人がこの場にいる意味、それはアインズの護衛に他ならない。
現地の弱者とはいえ賊のいる場に赴く主を一人で行かせるなど許せるはずもなく。周囲の警戒のためにもレンジャーでもあるアウラが来る運びとなった。危険性は限りなく低いとはいえ、それで警戒を緩めるような真似などしない。いつでも対応できるようにアインズを視界に入れていた。同時にシズへ羨望の眼差しを向けているのはご愛嬌だろう。
「でもさ、さっさとナザリックの戦力を投入して捕まえちゃえばよかったのに。何でアインズ様はあの女に任せたんだろう?」
アインズの判断に不満は無いが疑問は残る。ちょうど答えを知っていそうな同僚がいたための問い。
「予測になるが、彼女の生まれながらの異能を使うためだよ。ただ助けるよりもより効果的にアインズ様への忠誠心を植え付けることができるからね。実際彼女の異能のおかげで現地民の支配は飛躍的に速度を増している。しかも予想されていた反発がかなり少ないんだ」
「ん~、でも異能で付けた忠誠っていつか消えたりしないの?」
「心配はないよ。零から生み出すわけではなく元々あった信仰を強化するのが彼女の力だからね」
「なるほどね」
何もない人間を無理矢理洗脳はできないが、ある程度の下地があれば発動する力。
そのための下地は偉大なる主が素晴らしい国を作り、国民を幸せにすることで出来上がっている。更にただの国民にとっては普段はなかなか姿を見ることが叶わず、信仰を持つというイメージが付きにくいアインズ。しかしネイアの力を使えばそこを補うこともできる。
蜜のように甘い国、かつてネイア・バラハという少女を助けたこと。主はここまでを読んで行動していたのかと畏怖の念すら抱く。否、もしかしたらここですら通過点、更によりずっと先を、と己の思考に没頭しかけるが同僚からの声で我に返る。
「ところでさ、あの五人ってナザリック送りになるんだよね?」
アウラからの言葉に意識を現実に戻す。
魔導国で重罪を犯せばナザリック送りになるのは当然のこと。だというのに掛けられた疑問、その目的はその後へ続けるためのもの。
当然言いたいことにはすぐに気付いた知恵者のデミウルゴスも、気持ちは分かるためあえて誤魔化したりせずに返答する。
「その通りだが、それが何か?」
片手で眼鏡の位置を直しつつ答える悪魔。アウラはにこにことしたまま会話を続ける。
「送る前に少~しだけ遊んでもいいよね」
浮かべた微笑は変わらず、はたから見たら美しさも相まって見惚れるほどの美女。だが長い付き合いの悪魔は、冷たい光を宿した色違いの双眼を見誤ることなどしない。
あの五人がアインズを侮辱した発言をしたことはすでに情報として上がっている。アインズを深愛するダークエルフは、常の表情の下にどろどろとした憤怒を滾らせているのだろう。デミウルゴスにも同様の気持ちがあるためよく分かる。
こんなとき自分の役回りは損だなとこっそり嘆息する。
見た目通りに直情型のシャルティアや知性的に見えて激情型のアルベドだったら即殺しに向かっていたかもしれないことを考えると、ここにいたのがアウラだったことはデミウルゴスにとってまだ良かった方かもしれない。
「…警護が終わった後に少しだけだよ」
「サンキュ、デミウルゴス」
話の分かる仲間へぱちっとウインクを一つ。
恐ろしいほどの怒りを内包しながらもあくまで普段通りの振舞い。
此処にいたのがアルベドやシャルティアではなかったことは、賊にとっては不幸だったかもしれない。アウラならば実に理性的に、限られた時間の中で効率よく彼らで遊ぶだろう。もっとも、与えられる苦痛が少し早くなっただけの話だが。
己の怒りを晴らすのはナザリックに帰ってからだなと頭を切り替えるデミウルゴス。
「…アインズ様がナザリックへ帰還なさった。拷問の悪魔を二体つけるから絶対に殺さないように」
「はいはい」
大丈夫だとは思うが一応釘を刺す。アインズを侮辱した罪はこの先数百年単位で償ってもらわなくてはいけない。
殺しても蘇生はできるがやはり繰り返すことで鮮度は落ちていく。折角手に入った玩具はナザリックの皆で共有し楽しまなくては勿体ない。
「じゃっ、ちょっと行ってくるね~」
片手を上げ、背を向けて去っていくアウラ。最後にちらと見えた横顔はもう微笑みを消していた。爛爛とする眼光は獲物を狙う狩人のよう。目に見えない圧迫感で軋んでいた周囲の空気が、発生源が去ったことで平静を取り戻す。
「さて、残りの仕事に取り掛かることにしましょう」
同僚の背を見送った悪魔はアインズから任された仕事を完遂すべく行動を再開する。ナザリックに帰還した後、主を侮辱した不埒者共に与える責め苦を心待ちにしながら。
ホバンスの自室に帰ったネイアは着替えることもせずバイザーだけ外し、ベッドの上に腰かけそのまま後ろへとすんと倒れた。はしたないとは思ったが、誰も見ていないため今だけはと自分に言い訳をする。
結局事後処理まで含め丸一日の外出となった事件の解決。疲労はあるが己で望んで赴いたのだ、満足感が勝る。
自身の生まれながらの異能を自発的に使うとかなりの体力を消耗する。今回はそこまで人数が多くなかったため軽い疲労感だが、一度一つの都市で行った集会での際は立っていることも困難な状況になった。しかし異能の強力さを考えればローリスクと呼んで差し支えないのかもしれない。
「………」
思い起こすのは村人達と賊のこと。
事件解決後、村人達は到着した制圧部隊とナザリックから派遣されたという金髪を巻いた髪型の女性により治癒と蘇生を行われた。身体の傷は完治したが心に負った傷はそう簡単に解決しない、常であればそうかもしれない。しかし村人達は自分達を救ってくれた皆へ礼を言うと、同時にアインズへの感謝も述べ始めた。張りのある声でアインズの名を賛美する彼らに悲壮感などはなく目はきらきらと信仰に輝いていた。その様子を満足そうに眺めるネイア達。すでに上空から去っているアインズがいたら精神抑制不可避であったろうが。
賊の五人はこちらもナザリックから派遣された先とは違う金髪の女性、アウラが連れていった。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の第三王妃がわざわざ自ら、とすぐに跪き言葉を発しようとしたネイアを「畏まらなくていいから」と軽い様子で遮ったアウラ。これ貰っていくね、と後ろに控えた大柄の悪魔二体に賊を担がせすぐに去っていった。賊は未だ放心状態でされるがまま。言葉の調子とは裏腹に、アウラの瞳に煮え滾る憤怒を見たネイアは余分な問答はせず賊を見送った。
この先賊がどうなるかを正確に理解できている、だからこそ喜ばしい。彼らはこれから自分達が犯した罪の清算をすることが許されるのだ。かの地では苦痛と絶望を休む間なくその身に下賜して頂くことだろう。なんと心優しい主とその配下達は永劫にも近い時を掛けて下さる。その果てに魔導王陛下への忠誠を持った真っ当な魔導国の民として生まれ直して欲しい、そうネイアは希う。
「…彼らの道筋が険しからんことを」
ベッドに横になり、虚空を見詰めたまま薄く笑うその顔は、確かに聖女の慈愛に満ちていた。
「…」
横たわったままのネイアは体から余分な力を抜き脱力しているように見える。異能を使ったことによる疲労も原因だが、ネイアの異能は使うともう一つ副作用がある。異能を使う際は強くアインズのことを想い、気持ちを昂らせるために起こる症状。
「…そういえば途中にしてたな」
賊の制圧に行く前、ほぼ一日前にここでアインズを想い自慰行為、すなわち御ナニーをしていた。だが中途になってしまい不完全燃焼のまま終わっていたのだ。
「……ふ、ぅ」
一日前の焼き直しのようにネイアの手が秘所へ伸びた。
異能のせいで火照っていた体はすぐに着火し熱くなる。下腹からはすぐに淫靡な水音が聞こえた。
「あっ…は、アインズ様…」
ベッドから投げ出されていた脚はつま先立ちになり緊張している。時折ぴくぴくと細かな痙攣をおこした。
すぐに玉の汗が浮かび首筋を流れ落ちた。その感覚だけで十分にこそばゆく快感を刺激する。
「アインズ様、アインズさま…アイっ、ンズ、さまぁ」
ものの一分程度で昇天が見えてきた。今日は二桁いくかな、とぱちぱちと火花が散る思考で考えるネイア。
「——アインズ、さっ、ま———んんんんっ」
いよいよ一日我慢した快感を解き放つ時———
「…………ネイア」
「———————————————っっっっ!!!っ??っ?」
おそらく過去にだしたことのないような言葉にならない絶叫を上げる。
ベッドから凄まじい速度でばっと起き上がると、一人しかいなかったはずの部屋に立っている人物が目に入った。ここにはいないはずの敬愛する小さな先輩、シズ・デルタである。シズはネイアの前、一歩分程度離れたところに立っておりいつもの無表情でネイアを見下ろしていた。
「シっ…シズ、せっ…っ、なっ、なん……え、あ」
「…………少し落ち着く」
パニック状態で碌に会話ができないネイアの肩へ手を置き宥めるシズ。しかしそもそもの原因は彼女だが。
シズの言葉に混乱した頭のままいそいそと身だしなみを整え深呼吸を数回。取り繕う様に居住まいを正し両手を膝の上にそろえる。
「…ええと、それでシズ先輩、何故…いえ、何時からここに?」
「…………? 一緒に部屋に入ってきたけど」
「…」
回答に絶望するしかない。言うまでもなくネイアは視覚的にも感覚的にもシズの存在に気付いていなかった。つまりこの小さな先輩は不可視化などを用い自身の部屋に侵入していたことになる。
「なっ、何故そのようなことを?」
「…………ネイアに伝えること、がある」
「でしたら姿を消す必要なかったですよね⁉」
まごう事無き正論によるツッコミ。しかし聞いているのかいないのか、シズは表情を変えずネイアに視線を向けたまま。
「…………ネイア」
「…何ですか?」
「…………お盛ん」
「シズ先輩!!」
顔を真っ赤に頭から湯気を出して怒るネイアと、それに淡々と返すシズ。二人の身長差は変わったが、言い合いつつも垣間見える仲の良さは昔のままであった。
わーわーと一方だけが騒ぐ言い合いも落ち着いてくると、シズが本題を切り出す。
「…………ネイア、伝言がある、から聞いて」
誰のせいで話が進まなかったのかと若干納得いかない気持ちはあるが、頬を膨らませつつ話を聞く姿勢を取る。次のシズの言葉で不満などは吹き飛ぶことになるが。
「…………伝言はアインズ様から」
「なっ⁉」
心臓が大きく跳ねたのが自身で分かった。敬愛する主からの言葉、嬉しさと緊張が同時にネイアを襲う。
何か今回の事件で不手際などがあったのか、と自身の行動に問題が無かったか脳内で高速に考え始めるネイア。そんな様子を読み取ったのか、シズが分かる人にしか分からない程度表情をやわらげフォローする。
「…………ネイアを叱るためのものじゃない。どっちかって言うと、嬉しいこと」
己の行動が不快を招いたわけではないと知り、少しだけ力んだ体から力が抜けるが固さは完全に取れない。
内容の予測は全くつかないがそれはすぐに知れることと目の前の小さな先輩の言葉を待つ。
「…………明日、アインズ様の部屋に来て欲しいって…迎えはこっちから出すから」
「…アインズ様の、御部屋に…?」
予想だにしていなかった内容に目を丸くする。確かに主の部屋へ招いていただくのは喜ばしいことだが、問題はそこで何をするかだろう。
「あの、アインズ様は私に何か用事があるのでしょうか…?」
「…………分からない?」
シズは首を軽く傾げ問いかけるが首を振って意思表示をする。
すると小さな先輩は若干目を細めじとっとした視線をネイアへ向けた。怒っている、というよりは呆れているというのが近いだろうとネイアは予測するがその意味は分からない。
「…………にぶちん」
「……」
何となく目の前の少女にはあまり言われたくない台詞に頬が引き攣る。しかし未だアインズが自身を呼ぶ理由が分からないため言葉を待つ。そんなネイアへシズは再び驚愕の一言を放つ。
「…………アインズ様から、寵愛を賜る」
「ふぇ?」
一瞬頭が真っ白になり理解が及ばない。そんなネイアにかまうことなくシズは言葉を続ける。
「…………同時にネイアは、側室に入ることになる。良かったね」
「………」
淡々と事実だけを告げていくシズに何も言葉が出てこないネイア。
ゆっくり時間を掛け言葉が染み込んでいくと同時、鼓動は徐々に動きを荒くし始める。
「なっ…え? いや、ちょ…寵愛って……そく、側室? わたた、私がアインズ様、の?」
先程御ナニーをしていた時以上に顔は真っ赤に染まり、目の奥は混乱でぐるぐると回る。言葉はたどたどしいどころではなくぼろぼろだ。
「ええっ、…そ、そんな私なんかが…あう…」
「…………嫌だった?」
「そんなことはありませんっ!!」
そこだけははっきりと否定する。だがそのおかげか少しだけ喋る余裕ができてきた。
「ふぅ、はあ…嫌とかではなく、私なんかが畏れ多い…」
「…………大丈夫、アインズ様が呼んでいる…それに、あれだけアインズ様の御名前を呼んで御ナニーしていたんだから…したいんでしょ?」
「うっ…」
素直にしたいというのは恥ずかしすぎる。かといって誤魔化すのは主からの寵愛を嫌がっているようにも取れてしまう。
「…………私がちゃんとアインズ様へ、ネイアが毎日アインズ様あんあんって言いながら自分を慰めてます、って言っておいた」
「はっ?」
シズが部屋へ来てから本日三度目の驚愕、とんでもない爆弾発言。
「…………事細かく詳細も伝えた」
「————」
器用に顔色を赤と青交互に変えつつ、目の前が真っ暗になっていくネイア。思わず顔を両手で覆いがっくり俯いてしまう。淫らな自分を知って主はきっと幻滅しただろうと。
「うああああぁぁぁぁ…」
「…………ごめん」
ネイアの落ち込んだ呻きにさすがに悪いことをしたと思ったのか、シズは目を逸らし謝罪をした。
「…………でも、どうしてもネイアも一緒に…アインズ様に愛して頂きたかった」
いつもより若干ではあるがトーンの落ちた声にはっと顔を上げる。照れているのか目線と共に顔も逸らしつつ唇を尖らせている。
「…………アインズ様に愛して頂いて、嬉しくて心がすごく温かくなった…ネイアにも、そんな気持ちになって欲しい」
「…シズ先輩」
そんな顔で言われては怒るに怒れないだろう。再び目線を合わせた両者に暖かい雰囲気が流れ始める。
「———て、結局私はアインズ様に痴女だと思われてるんですよねっ⁉」
良い話として終わりそうであったがネイアにとって非情な現実は変わらない。今の状態ではとても顔など合わせることはできないだろう。
「…………アインズ様は、ネイアがそんなに想ってくれて嬉しいって仰っていた」
「…え」
絶望に差し込む一筋の光。先輩が気を使っているだけかと顔をまじまじと見詰めるが表情は動かない。否、そもそもアインズへの忠誠心を考えれば主の発言を捏造などはしないだろう。つまり先の発言は実際にアインズがしたということ。
「あっ……っ…うぅ~」
理解が追いつくと先程以上に真っ赤に染まるネイア。
主が自分を受け入れてくれているという事は、明日主の部屋で自分は、と妄想が高速で駆け巡る。
「…………じゃ、明日は身綺麗にして待っておく」
要件を伝えたため背を向け帰ろうとする淡白な先輩。それに気付いたネイアはすぐさま後ろから抱き着き腰に手を回してがしっと捕まえる。
「…………何?」
突然のネイアの奇行にもいつも通りの表情と声のトーン。ネイアは縋るように抱き着く力を強めると、振り向いたシズの顔を涙ながらに見上げた。
「わ、私っ…初めてで夜伽の作法とか分かりませんっ! 教えてください!!」
「…………」
見た目成人女性が、見た目少女に夜の営みの方法を必死に聞いているというとんでもない光景。しかし確かに経験値はすでに側室入りしている少女の方が圧倒的に上だ。
シズはあまりに憐れな光景に思うところがあったのか、抱き着かれたまま中空を見上げ考え込んだ。
「…………特にない、多分されるがままになるだけ…あ、でも体力はつけていったほうがいい」
「たっ体力? そんなに…は、激しいのですか?」
「…………アインズ様は夜も凄まじい、私も…初めては二日しかもたなかった」
その時を思い出しているのか頬を染めると共に、彼女にしては珍しく声色に畏れのこわばりがあった。
「二日!? 二日間っ、その、続けたんですか⁉」
驚愕の為に目を見開き問いかけると、シズはゆっくりと頷いた。
「…………私はまだまだ。かつてアルベド様が寵愛を賜った時は、七日間愛して頂いたって言ってた…ナザリックの最高記録」
「なの…か…」
最早異次元の話に呆然自失となる。
ネイアも宰相アルベドとは何度か会ったことはあるが、清楚を絵に描いたような人物だったと記憶している。アインズとの子を抱いて微笑む姿などまさに理想の母親のようであった。そのような人物が七日間も主と愛し合っていたというのはとても簡単に受け入れられない。
「…………ちなみに、シャルティア様は六日でアルベド様に負けたって、すごく悔しがってた。アウラ様は五日、私達プレイアデスで一番はソリュシャンの三日…次は勝つ」
未だ頭がショートしたままのネイアへ、次々に生々しくも驚愕の事実が明かされていく。
「…………ネイアは元々人間だから、体力がそんなにない。一日頑張って、アインズ様に御満足頂けるようにするといい」
今度こそ去ろうとするシズだが未だ腰に回った手は放してくれない。不審に思い再度ネイアを見下ろすと、俯き頭から煙を吹きながらぶつぶつと何かを呟いている。かと思ったらばっと顔を上げ半泣きながら強い眼差しをシズへぶつけた。
「シズ先輩!」
「……………何?」
珍しく若干のけ反りながら聞き返すシズ。ネイアは覚悟を決めるように大きく息を吸って、そして言葉を放つ。
「明日っ、不安なんで一緒に来てくださいっ!!」
「………………………………………………………………」
ネイアは、その時のシズの顔を一生忘れないだろう。仲が深まってからは多少感情を読み取れるようにはなったが、それでも鉄面皮を絵に描いたような先輩の顔。眦と口の端を引き攣らせ見下ろしてくるその表情は、まごう事無きドン引きに彩られていた。
翌日、ネイアの姿は予定通りにアインズの自室に在った。
ホバンスの自室で身支度を終え待っていたところ、シズが転移で迎えに現れともにナザリックへ来たのだ。
そこからは大忙しで入浴し身を清めメイド達に衣装を着せられアインズの自室へと連れてこられたのだ。
途中の廊下、宰相アルベドとすれ違う出来事があったが、跪くネイアへ「アインズ様の側室に入るのだから、これからもしっかりと励みなさい」と言葉を残し去っていった。微笑を崩さず優雅に振舞う様は以前会った時よりも美しさに磨きがかかっているようだとネイアは感じる。
アインズの自室だがまだ部屋の主の姿はなく、その到着を緊張と共に待っている状態。震えの止まらぬ熱い身体をぎゅっと抱きしめ、どうにか落ち着こうとする。
「…………少しは落ち着く、後輩」
「だっ、だだだだってシズ先輩、これから私達…」
浅くベッドの縁に腰かけるネイアの横にはシズの姿もあった。
先日の直接的のような間接的のような3Pの懇願は、当初シズが「…………最初は一人がいいと思う」と説得を試みるも「一人で粗相がないか不安」「シズ先輩とならいい」とネイアが中々諦めることをしなかった。最終的にシズが大きなため息を一つと共に「…………分かった」と受け入れ決着を迎えたのだった。
ナザリックに帰ったシズがすぐにアインズに確認を取り許可が下りたため、こうして二人並んでアインズを待っている。
「それにこの格好も…」
狂眼に涙をうっすらと溜め羞恥に染まりながら己の衣装を恐る恐る見下ろす。
それは衣服と呼んでいいのかも分からない程に布面積が少なく局部も隠れていない。これなら裸の方が恥ずかしくないのではという様相。男性を喜ばせるために作られたセクシー衣装であった。
同様に目のやり場に困る衣装に身を包んだシズは、ベッドの縁から垂らした足をぶらぶらと遊ばせながら呆れたようにネイアを見る。
「…………ネイアは技術がまだまだ。まずは見た目で、少しでもアインズ様に御悦び頂くようにするのは当然」
「うぅ~…はい」
羞恥心はなくならないがシズの言っていることに間違いはないため、どうにか覚悟を決める。
というより女同士とはいえお互いとんでもない格好をしているというのに、シズは気にならないのかとちらっと横目で盗み見るが平常運転だ。控えめながらも形のいい乳房を堂々と晒している。あれをアインズ様に御舐り頂いたり御しゃぶり頂いたり、と卑猥な妄想に意識が飛んでいたネイアを何時の間にかジト目のシズが見ていた。
「…………何? 目が怖い…」
「なななっ…なんでもありません!!」
誤魔化すように明後日の方向へ視線を逃がす。これから起きることを考えるとどうにも正常でいられない。
シズの体を見たことでネイアにふと疑問が過る。果たして敬愛する主は自身の体で満足して下さるのかということ。胸やお尻の大きさは貧相とは言えない程度にあると信じたいが、先程すれ違った美の結晶とも呼べるアルベドと比べると勝負にすらならないではないかと、今更に落ち込んでしまう。無いとは思うがいざ本番の際に己の体を見てやっぱりやめたなどと言われてしまったら耐えられない。
一度考えだしたらどんどんと悪い方向へ思考が進み始めてしまう。
「…………ていっ」
「ひゃんっ⁉」
突然、沈むネイアの剥き出しの尻をシズがパンッと平手打ちした。いきなりの衝撃に情けない悲鳴を上げるネイア。
「シ、シズ先輩⁉ 急に何するんですか!」
抗議の声を上げるネイアだったがシズの顔を見て言葉を止めた。
「…………ネイアは、考えすぎ。アインズ様はネイアをちゃんと愛している。だから、一つになりたいと思った…」
「…シズ先輩」
シズの言葉に落ち着きを取り戻すネイア。確かに自分はあれこれと余計なことを考えすぎていたのかもしれない。この世で最も愛する主が己を求めくれているのだ。有難く、感謝を忘れずその喜びを享受することが正しいだろう。
「有難うございます、シズ先輩」
「…………いい、先輩として当然のこと」
穏やかな雰囲気が流れる室内。どちらともなく手を握る二人の耳に、ぎいっとドアが開く音が届く。
室内への扉がゆっくりと開き、そこに立っていたのは魔導国の王にして絶対的支配者。
ネイアは興奮の熱を飲み込んだ。身体は火照り、駆け巡る情動を持て余す。どうか思うままに、この身を奪って欲しいと言葉を紡ぐ。
「おっお待ちしておりましたアインズ様」
裏返り情けない声にも優しく笑いかけ、主は力強く蹂躙へ一歩を踏み出した。
———蛇足
何が起こったか分からない、というのが第一の感想であった。
アインズに肌を触れられ唇を奪われたあたりまでは記憶がある。しかしその後は幸福と快楽の荒波に飲み込まれ、天地左右も分からずに流される落ちた葉のようであった。
行為の最中、何かとんでもないことを口走り、あられもない格好をした気がするが深く思い出すことはやめておいた。
「……」
心地よい倦怠感に身を任せていたが、静かに聞こえた寝息に瞼を開くと愛しき主の顔があった。仰向けに眠るアインズの左側から、その肩を枕に横向きに抱き着いている状態。足までしっかり絡ませているのが子供っぽいかと羞恥を感じるが、止めようとは思わない。
柔らかく暖かい左手の感触に気付き意識を向けると、アインズに反対側から抱き着いているシズの右手と握り合っていた。
シズも起きていたようでとろんとした眼差しをネイアに向けている。
「…………おはよう」
「…おはよう、ございます」
間で眠るアインズを起こさないようにこしょこしょと静かな会話。お互いに生まれた姿以上の恥ずかしい姿を見せあったため、気まずいというほどではないむず痒さがある。
「…………どう、だった?」
「至高の時間、でした」
ほうっと熱の籠った吐息を吐きつつ断言する。
生まれてきてよかったと、この時の為に生まれたのだと確信できるほどの幸福であった。
「ただ…情けないのはシズ先輩にお力を借りても、一日しかもたなかったです…」
シズとの二人掛かりで挑んだネイアにとっての初戦。結局は終始アインズにされるがままになり一日で二人揃って限界を迎えた。
次があればもっとアインズ様に御満足頂けるよう修練を積まなくては、と意気込むネイア。
「…………仕方ない、アインズ様は夜の力もどんどん強くなっている…この間は四人の王妃が挑んでいたけど三日で返り討ちにあってた。今度は私達プレイアデスも入れて十一人で挑む予定」
「………」
道の先の険しさに慄くのみだが、今はこの幸せを思う存分頂戴したいとより主にすり寄る。同時に左手にきゅっと力を籠めると優しく握り返された。
「…………これからもよろしく、ネイア」
愛しき主の温もりを感じ、大切な先輩の優しい言葉に鼓膜を震わせる。
「はい…」
具現できるであろうありったけの幸福に包まれつつ、ネイアはゆっくりと瞼を閉じて微睡みに身を任せた。
———蛇蛇足
ホバンスにある聖女の住まう神殿、その建物の上に二つの人影があった。本来屋上は作られていなかったが、都市を一望できる景観の良さも相まって人が出られるように作られた場所。
「わぁ、すごい景色!」
「あんまり端に行ったら落ちちゃうかもしれないから、気を付けなさい」
人影は大人の女性が一人と小さな子供が一人。子供は地の果てまで一望できそうな光景に感嘆の声を上げた。大人の女性は危ないことをしないようにと小さな手を握り優しく注意する。
雲一つない空は美しい蒼をおび、澄んだ空気は遠くに見える山々までその輪郭を明瞭にした。
「…きれい」
ほうっと景色に魅入られたように目を細める少女を、大人の女性はそっと抱き抱える。少しだけ高さを増した視界はより輝いて見えた。
「えへへ」
少女は甘えるように女性へ頬をすり合わせる。景色の美しさだけでなく大好きな人の傍にいることが心底幸せと言わんばかりだ。女性もそんな少女の頭を包み込むように撫ででやった。
「この町もぜ~んぶお父様のものなの?」
「ええ、ここだけじゃなくてたくさんの町を統治して下さっているのよ」
「とーち?」
父の偉業をしっかりと理解するにはまだ早い年齢。少し言葉が難しかったかと考え直す。
「そうね…お父様が面倒を見て皆を幸せにしてくれているの」
「すご~い!!」
ますます目を輝かせ興奮したように声を上げた。
子供ながらの純粋な様子に、思わずもっと驚かせてあげようといたずら心が湧いてくる。
「それだけじゃないのよ。お父様はこの星だけじゃなくて空に浮かぶ星々まで幸せを届けようとしているの」
「お星さま? 夜にピカピカするお空の?」
今は見えぬ空の光を求めるように、少女の好奇心の視線は空を追った。父の凄さは知っていたつもりであったが、さらにさらに驚きを募らせる。
「そう、今はお空に行ける魔法を作っているところなの」
「空なら魔法で飛べるよ?」
「ふふ、魔法で届かないもっともっと高い所よ」
少し呆けた少女だったがすぐに持ち前の天真爛漫さを取り戻す。空を見上げ口の端を擽ったそうに持ち上げると、小さな笑い声が漏れた。
「やっぱりお父様はすごいっ!」
父の為したこと、為そうとしていることを正確に理解はしていないであろう。それでも真っ直ぐに思いを言葉にする少女がただ愛おしく大切だ。
「そうよ、あなたの御父様はとても偉大な方なの」
女性は目を細めそんな愛の結晶を優しく抱きしめる。
「それじゃあ、そろそろ行こうかしら」
「うんっ、ナザリックに行くのもお父様に会うのも久しぶり! シズさんとも遊びたい!」
「ちゃんとお兄ちゃんやお姉ちゃん達に挨拶するのよ」
「はぁい」
穏やかな会話のままその場を去る二人。
向かう先には大好きな父とたくさんの兄と姉、優しい家族達が待っている。
少女の顔には魔導国の掲げる幸せが確かに浮かんでいた。