時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
さやかが警察官採用試験(二次・面接)を受けるシーンがありますが、そこでうちの本編(「アンダーカバー」R18)にも登場、さやかの恩人ともなる人事課長が登場します。リンクした話ですが、こちらだけでも読めます。また興味ある方は本編も是非。
家に帰る途中白い猫を見つけた。
あたしは犬が好きなので無視したら、猫が話しかけてきたのでびっくりした。
おもちゃかなと思ったけどそうじゃないみたい。
そして猫はあたしの願いごとをひとつだけかなえてくれると言った。
まほう少女になったらかなえてくれるって。
*****
「早いわね」
「え?」
芝生に寝転びながら、無邪気にこちらを見つめ返してくる相方を睨むと、黒髪の女性――暁美ほむらははあ、と大きなため息をついた。
「時の流れがよ」
我ながら辛抱強くなったと悪魔は秘かに思っていた。まどか以外の人とこんな風にゆっくりと会話のキャッチボールを試みるなんて、昔なら考えられなかったことだ。
「ああ…」
合点がいったのか、蒼い髪の女性――美樹さやかはたれ気味の目を丸くした後にっこりと微笑んだ。その表情はあの頃と同じで憎らしいほど無邪気だ。だが彼女の中にあの頃の面影を見つけ出し安堵してしまうのも事実で、それが郷愁の様なものなのか、それとも別の感情によるものなのか悪魔にはわからなかった。いやわかろうとすることを避けているのかもしれない。ほむらは手を伸ばし、すぐ横で寝転んでいる「元鞄持ち」の額をぱちん、と叩いた。
「あいた!」
額を抑えて悶えるさやかを見て、ふ、と咳をするように肩を震わせる悪魔。面白そうにしばらく様子を見た後、視線を前方へ向けた。視界に映るのは青々と広がる芝生と晴れた空。
『表面上は人として生きていこう』
この蒼い髪の女性と一緒にそう決めたのは5年前の高校2年生の時だった。どうしてあの時美樹さやかを許容し、生活を共にするようになったのか今でも悪魔自身わからない。だが、そうすることが必然だったと今では思うようになっていた。そう例えばこんな風に晴れた空を見上げ、吹いてくる風の心地よさに目を瞑りすぐ傍にいる彼女を感じる時は特に。
――私は変わった
悪魔は傍でリラックスしきっているさやかに再び視線を移す。自然と口元が緩むのも、心が軽くなることも少しは許せるようになったと思う。
「リラックスしすぎよ貴方」
「そ?でもま、まだ魔獣の気配も無いし少しくらいはいいんじゃない?ん~…」
そう言ってさやかは身体を伸ばした、すらりと伸びた手足にあの頃よりも伸びた背。ひきしまった顔は精悍で。仕草はあの頃と面白いくらい同じなのだが、表面上は成長しすっかり大人だ。見慣れているはずなのに、ふとした拍子に悪魔は改めて思い知らされてしまう、私も彼女ももう大人なのだと。
「よいしょっと」
さやかは軽やかに体を起こすと、黒髪の女性に倣うように体育座りになった。そうしてパーカーとジーンズについた芝草を手で払うと、当たり前の様に距離を詰めてきた。ほんの数センチほどで触れる間隔で寄り添う。心地よい彼女の体温を感じながらもほむらは何も言わず前を向いた。風が吹いて彼女の長い黒髪とワンピースがなびく。黒以外のワンピースを着るようになったのは彼女と一緒に大学に入学してからだ。
「あ~あ、もう大学4年かぁ、あっという間だったなあ」
「そうね」
鞄持ちの言葉に悪魔は同意した。
「ね、知ってる?楽しい時は時間が早く過ぎて、苦しい時は時間が進むのが遅いって」
「小学生じゃあるまいし、体感の問題でしょう?」
「だからさ、私、この大学生活がすっごく楽しかったんだと思う、過ぎてしまうのが惜しいくらいにさ」
「……」
ほむらはふいに口を閉ざした。憂いのある美しい横顔。
「あんたも?」
「……」
「そっか」
何も答えてないのに、こんな風に微笑んでこちらを見つめてくれるようになったのはいつからだろう?美樹さやかはだいぶ変わった、いやもしかしたら元々そうだったのに自分が見ていなかったのかもしれない、と悪魔は思い直す。気が遠くなるほど時を繰り返している間に次第に視野が狭くなっていったのは自分の方だ。佐倉杏子も巴マミも遠ざけて、当然この誰よりも手がかかった「不器用な子」も近寄らせないつもりだった、それなのに。
「あの…こんにちは」
背後から若い女性二人が声をかけてきた。ほむらに見覚えはない。ここはキャンパス内の芝生園地なので大学生なのだろうが、それ以上の情報はない。
「やあどうも、何?どこの学科?」
さやかが気軽に対応する。爽やかな笑顔。二言三言さやかと楽し気に会話を交わすと、ほむらとさやかを交互にちらちらと見つめながら二人は去っていった。
「相変わらずね」
「何が?」
こういう所は変わらず鈍感だ。
「もてるわねって、言ってるの」
少し語気が荒くなって。
「ああ、違うわよ、あの子達あんたに興味があったみたいよ、ずっとあんたの顔みてたでしょ?」
「そうかしら?」
本当にそうなのだろうかとほむらは思う。彼女達の視線はどちらかといえば――
「そうよ、やっぱすっごい美人はどちらにもモテモテで大変だわこりゃ」
屈託なく笑うさやかの横でほむらは首をかしげる。ほむらは自身の容貌にあまりにも無関心だった。確かに入学当初から周りは異様に騒がしかったし、不特定多数の学生にいきなり「美しい」「綺麗」などと言って近寄られたことは数えきれないくらいある。時には学生の範疇を超えた危険な輩にも。だが特に嬉しいとも怖いとも思ったことは無い。ただ一人の例外を除いて。ほむらはその『例外』を見つめながら口を開く。
「貴方だって…」
「え?」
「なんでもないわ」
あまりにも無邪気に見返されて気を削がれた悪魔は言葉を濁した。ほむらほどではないが、さやかもよく声をかけられることがある、主に同性からだが。
――今ならよくわかる
まどかが彼女といつも一緒にいたことも、そして傍でいつも幸せそうに笑っていたことも。認めたくないが、彼女には――美樹さやかにはそれだけの魅力があるのだ。
「…それにしてもいい天気だね」
口を閉ざしたほむらを見て、苦笑しながらさやかはそう言った。これが彼女の長所だとほむらは思う。相手に無理強いはしない。風が吹いてさやかの髪を揺らした。空と同じ色の髪がさらさらと揺れて。
「綺麗ね」
「ん?」
「……空が」
「ああ」
確かにね、とさやかは呟いて空を見上げた。晴れた昼下がりの空。今この時は魔獣は現れないで欲しい、と悪魔は秘かに願った。
もう少し、そのままで――
****
午後、講義があるというほむらを講義棟まで送るとさやかは一人噴水広場の周りをうろうろと散策していた。
『哲学科はお気楽ね』
そう言って曇った表情で講義棟へ入っていった黒髪の女性の顔を思い出し、さやかは自然と笑みを浮かべる。あんな風に彼女が弱音や愚痴を吐いてくれること自体がさやかには嬉しくて。あの時は心底講義を受けるのが嫌そうだった。もしかしたらもう少し一緒にさやかと時を過ごしたかったのかもしれない。
――自惚れすぎかなあ?
でもそうあって欲しい、さやかは秘かに願う。彼女がまどか一辺倒だということは嫌というほど知っている。それでも。
「よいしょ」
さやかは噴水の縁に座る。3年生の頃までは、さやかに非常に懐いていた他学科の女子学生がこの時間帯しょっちゅうつきまとっていたが、最近はめっきり会っていない。4年生ともなると講義以外で色々と忙しくなるのだろう。
「いろいろあったなあ」
どうにもこの蒼い髪の女性は独り言が癖らしい。そう呟くと、はあと息を吐いて空を見上げた。その表情はどこか寂し気で。しばらくしてからさやかは俯くと、パーカーのポケットからハガキを取り出した。
〇〇県警一次合格通知書
第二次試験のご案内――
いつになく真剣な眼差しで、ハガキの文面を読む。一瞬口元を緩めるが、今度はどこか途方に暮れているような様子で噴水広場の正面にある講義棟を見つめた。
******
「暁美さんは本当に第三の選択をするのね」
品のある初老の女性が穏やかに微笑みながらほむらを見上げる。
「第三の選択…ですか?」
ほむらは不思議そうに初老の女性――佐藤清子教授を見つめた。
彼女は化学科の主任教授であり、ほむらのゼミの担当教授でもある。不思議なことだがほむらはこの初老の女性の中に最愛の人―鹿目まどか―の面影を見出していた。それが何故なのかは未だにわからない。外見が似ている訳でもないし、彼女がまどかと血縁関係にあるわけでもない。だがどこかが似ていると。
「進学でもない就職でもない道を歩むということもまた冒険よ」
「そうですね…」
ほむらは目を伏せた。
講義が終わり人気の無い講堂には柔らかい日差しが差していて。
「あらあら」
憂いのある表情を見て、初老の女性は目を細めた。
「あなた自身が選ぶことなのだから、気兼ねすることは無いし気に病むことは一つも無いのよ」
「ありがとうございます」
ほむらは心を込めて佐藤教授に礼を言う。最愛の人に似ているからというだけでなく、尊敬できる人物としてほむらは彼女を敬愛していた。その敬愛する人物に勧められた進学の道も科捜研の採用試験の受験も断ったのだから、気に病まないということもまた難しいが。
「ふふふ、でも本当にあなたは不思議な子ね暁美さん」
「え?」
「私の昔の知り合いに少し似ているわ、たったひとつの大事なものを頑なに守ろうとする所…何を大事にしているかはわからないけど、あなたは何かを必死に守ろうとしている様ね」
ほむらの目が見開かれる。何が起きたかは知らなくとも本質を理解することができるこの初老の女性の慧眼にただただ感服するしかなくて。
「はい…」
ほむらは素直に認めた。珍しいことだった。
「やっぱりね、でもね暁美さん、近くであなたを見ている者からするとそれはとても辛いものよ、あなたを大事に思っているなら尚更にね」
「すみません…」
「あら、私のことじゃないのよ、もちろん私もあなたのことはとても大事に思っているけれど、もっと身近にいるでしょう?」
「え?」
「あの元気な子よ」
蒼い髪と空が同時に浮かんで。佐藤教授は美樹さやかも知っている。一般教養の化学を担当している佐藤が、講堂で頭を抱えている蒼い髪の学生と横で「優しく」指導していたほむらを見かけたのがきっかけだった。それ以来二人が一緒にいる時に会話を交わしたこともあるし、ゼミに入ってからはほむらからさやかの話題が出ることもあった。
「あの子とはいつも一緒にいるし、部屋もシェアしているんでしょう?」
常に一緒にいるのは魔獣退治の時に効率的だし、生活を共にしているのはなし崩し的にそうなっただけだと思っていた。いやそう「思い込んでいた」。ほむらの沈黙を肯定と受け取ったのか、初老の女性は目を細めて。
「暁美さん、身近なものは失ってからその大きさに気づくものよ、卒業した後あなたたちはどうするの?一緒に暮らし続けるの?」
初めて聞かれた質問にほむらは正直戸惑った。それは考えてもいなかったからだ。ただ漠然と魔獣を倒すため、まどかを守るためその間はずっと一緒にいるとそう思っていた。だが確かに美樹さやかが共に暮らし続ける必要性は全く無い。共闘はしても彼女が別の場所で暮らすといえばもう――
「はい一緒に暮らします」
だがほむらはそう答えた。美しいアメジスト色の瞳は微かに揺れて。佐藤はその瞳を見つめ、ただ優しく微笑みながら頷いた。
「それなら、大切になさい、大事にするものはひとつにする必要は無いのだから」
こくり、とほむらは子供の様に頷いた。
「あとそれと、私はあなたが卒業してもいい友人でいたいのだけど、それは構わないかしら?」
「もちろんです」
「良かったわ。まだ気が早いかも知れないけど、あなた達が卒業しても時々連絡させてもらうわね、それに…」
ほむらが小首をかしげる。
「私はまだあきらめていないわよ、卒業して環境が変わって価値観も変わるかもしれないわ、度々あなたを進学に誘うかもしれないから覚悟しなさいね」
「教授…」
「あなたはまだ22歳、院に進むのに遅すぎるということはないわ、私が退官するまではしつこく誘うわよ」
「はい」
ほむらは嬉しそうに笑った。それは魔獣や悪魔といったものを全て取り払った、暁美ほむらとしての笑みで――
******
「どうしたのさ、あんた無口ね」
「いつものことでしょ」
「まあ…てかいつもよりって感じ」
さやかは首を少しだけ傾けて、しばらくして戻すとフォークに刺さった肉を口に運んだ。そうして咀嚼しながら頭を小刻みに左右に振る、これは彼女の癖で、ほむらはその一連の動作をじい、と猫の様に見つめた。彼女と暮らし始めてからいろんな面を発見する毎日だが、こと面白いのはこの癖だとほむらは思う。
「うん、美味しいわ」
そうしてにっこりと笑う彼女を見て、ほむらも一瞬口元を緩めるがすぐに戻した。
「自画自賛?それ」
「あんたも手伝ったじゃない、これは二人で作った料理よ」
そう言ってさやかはまた肉を頬張ると美味しそうに咀嚼する。
「…美味しそうに食べるのね」
「そりゃあ食べるの大好きですから」
おどけた様子で肩をすくめるさやかからテーブルへほむらは視線を移す。サイコロ状に切られたステーキと色とりどりの野菜が盛られている皿とスープ、一人で暮らしている時には見た事のない料理。これを当たり前の様に口にすることになって何年になるのだろうなどとほむらが考えていると、さやかがおもむろに口を開いた。
「そういえば、あんたほんとに就職しないの?」
「…ええ」
「佐藤教授が勧めてた科捜研も?」
「受験しなかったわ」
「もったいない…」
二人が通う大学には警察関連の仕事をしているOBが多く、特にほむらの属している化学科は科捜研の職員を多く輩出している。
「時間を拘束されたら咄嗟の対応なんて無理でしょう、ましてや私達は魔獣と戦っているのよ」
「…うん」
ほむらの言葉にさやかは何故か嬉しそうな表情を浮かべて。
「でも、ほんとあんたって真面目だね」
「え?」
「魔獣はもちろんだけど、それで仕事がおろそかになることも嫌なんでしょう?」
穏やかなたれ気味の目がほむらを見つめて。ほむらは思わず視線を逸らした。
「あ~あ、でもこれじゃあ私も…困ったわ」
ナイフを置いて、さやかは右手でポリポリと頭を掻いた。その表情は笑みを浮かべてはいるがどこか途方に暮れていて。
「どうしたの?」
「うん、実はあんたに話さなきゃいけないことがあってさ…これ…」
「なに?」
さやかから差し出された一通のハガキを受け取るほむら。表と裏を交互に見た後、さやかに視線を向けた。美しい切れ長の目。
「一次通ったのね」
「うん」
警察官の採用試験を受験することは以前さやかから聞いていたが、正直ほむらはすっかり失念していた。
「おめでとう」
「え…」
驚いた表情を浮かべるさやかを見て首をかしげるほむら。そんな黒髪の女性を見てさやかははあ、とため息をつく。
「よかった、私あんたに反対されるかと思ったわ」
「どうして?貴方がやりたいことを私が止める権利はないわ」
「でも私達の優先順位はまどかとそして魔獣退治でしょ、警察官になったらきっと…」
「両立できなければ殺すわ」
目を丸くするさやか。目の前の恐ろしいほど美しい女性は無表情で。思わずさやかはごくりと喉を鳴らした。が、ほどなくして黒髪の美女がふ、と息を吐き目を細める。それだけでまるで花が咲いたように可愛らしさが美女に加味されて、思わずさやかは見惚れる。
「冗談よ」
惚けた顔をしたさやかが可笑しくて、ほむらは少しだけ肩を揺らす。
「なあに間抜けな顔して」
「いや…その」
何か言いかけてさやかは口を閉じ、再び開く。
「あんたもそんな顔するんだ…」
「変かしら?」
「そんなことないわ、むしろ――」
「むしろ?」
「……なんでもない」
「変なひと…表面上人として生きるなら一人は普通に働いていた方がいいわ、二人共無職なんて不自然でしょ」
「まあ確かに」
「その時はめいっぱい働いてもらうわ…覚悟しなさい」
口元を緩め、目を細めるほむら、一瞬アメジスト色の瞳が赤くなってまた戻る。
「ありがとう」
「礼には及ばないわ、まだ一次合格でしょう」
「絶対合格するわ」
目を輝かせるさやかを見て、ほむらはほんの少しだけ目を丸くした。
「貴方がそこまで警察官になりたがるなんてね」
振返ればその傾向はあったとほむらは思う。正義感の強さと意固地さと不器用さ、どの周回でも彼女は理想を追いそして現実を知り絶望した。
『悪魔より人の方が――』
あの雨の日のさやかをほむらは思い出す。確かに彼女はあの時何かを悟り絶望したはずだ。だがそれが何なのかは未だにほむらもわからない。
「あの時のことが関係しているの?」
野暮なことは聞くつもりはなかった。だが悪魔はそれを「知りたかった」。
さやかの空の色と同じ瞳が一瞬曇る。口を開きかけたがまた閉じて。
「……無理強いはしないわ」
「ごめん」
謝って欲しい訳じゃない時に謝られるのは腹ただしいことだとほむらはこの時知った。
「お皿…片づけるわ」
そう言ってさやかはテーブルの上のほむらの皿を回収し、自分のそれと重ねると、手慣れた様子でキッチンへと運んでいった。頬杖をつき、その後ろ姿をほむらは眺める。
「あのさ…」
さやかがシンクで作業しながらほむらに声をかける。
「何」
少しだけ口調が苛ただしいそれになっているのはほむら自身も気づいていた。だがどうにも抑えようがない。
「気が早いんだけど、もし合格したら半年ほど警察学校に入校しなきゃならないの」
「…それで?」
「その間は家を空けるわ、でもその後は――」
ゆっくりとさやかがキッチンから戻ってくる。ほんの少しだけ顔を赤らめて
「その…またあんたと一緒に暮らしていい?ここで」
頬杖をついていたほむらが顔をあげる。返事が無いのをどう捉えたのか、さやかは焦った様子で言葉を続けた。
「私、あんたとずっと一緒にいたいの。そりゃまああんたが嫌なら…仕方ないけど、でも…でもやっぱり…」
ふ、とほむらが息を吐いて、そうして肩を揺らす。
「ほむら?」
「馬鹿ね貴方…」
先ほどまでの苛立ちは嘘の様に消えて。
「貴方一人がいなくなろうが、ずっとここにいようが私には全然関係ないし影響はないわ」
「え…」
「だから好きなだけいなさい…ここに」
「ありがとうほむら」
あの頃と変わらない笑顔、そしていつの間にかほむらの右手は彼女の両手で包まれていて。アメジスト色の瞳が微かに揺れる。
「温かいわね」
「え」
「貴方の手」
そうしてほむらは左手をそっとさやかの両手に添えた――
****
まほう少女になったらかなえてくれるって
娘の日記はそこで終わっていた。男は食い入るようにその文を見つめ学習机に置く。娘が失踪して8年、もう数えきれないほど読んだ日記にも手がかりは見つからなかった。
『あの子が帰ってこないの』
あの時の妻の震えた声と表情が今でも鮮明に思い浮かぶ。
『大丈夫、俺が探し出してやる』
男は刑事だった。娘を見つけ出せるとそう信じていた。
無事でいて欲しいという願い、そして今この瞬間愛しい娘が怖い、痛い思いをしていないかという狂おしいほどの不安と恐怖の中、男は必死に娘を探した。
だが見つからなかった。
――気が狂いそうだ
そして文字通り妻は発狂した。娘を思うが故精神は崩壊しかつて幸せだった頃の思い出の中に妻は逃げ込んでしまった。病室で幸せそうに笑う妻を見舞う度、娘が受けている(あるいは受けた)であろう苦しみを想像しながら嘆き悲しむ日々を送るよりも、妻にとってはこれが良かったのかもしれないと男は思うようになっていた。
「いってくるよ」
娘の写真に声をかけ、男は部屋を出る。可愛らしいぬいぐるみと中学の教科書、部屋はあの時のまま――
****
「おはようございます」
「おはよう」
白い執務室内で挨拶を交わし、男は窓際の机に座る。机には『人事課長』のプレート。
皮肉にも娘が失踪してから男はとんとん拍子に出世した。マル暴や刑事畑を歩いていた男は畑違いの人事課へ異動させられた途端、人の本質を見抜く才能が開花し頭角を表したのだ。
「課長、面接試験の事前打ち合わせですが、0930に会議室で行います」
「わかった」
細面の部下の報告を聞き、男は頷く。部下はそれでもその場を動かないため、男の表情がやや険しくなった。
「どうした?」
「いえ、本日は課長の娘さんの…」
「ああ」
今日は娘の誕生日であり、そして失踪した日でもあった。部下はなんともいえない表情をしながら言葉を探しあぐねている。言葉を完結できないのにそれを発する所は、過度な共感能力故だろうと男は思った。現場には不向きな能力だが、人事には向いている。
「気にするな…もう8年目だ」
「はい」
ほお、と息を吐く部下を見て、男は微かに口元を緩めた。
「…事前打ち合わせの資料を見せてくれ」
「わかりました」
A4サイズのクリアファイルを受け取ると男は中の書類を取り出した。採用試験一次合格者のリストに『要打ち合わせ』の履歴書の写しとその関連資料が入っている。要打ち合わせとは面接試験の前に試験担当者が事前に打ち合わせする必要がある受験者のことである。マエ(前科)や事件の当事者だったものが警察官の採用面接を受ける場合にだけ行われるものだ。
「今回は念入りに打ち合わせする必要があるな」
誰にというわけでもなく男は呟いた。部外秘の印が押された履歴書の写しは一枚。マエでなく事件の当事者だ。しかもその事件は8年前見滝原市で起こった殺傷事件だった。暴力団員が殺され誘拐された女子中学生が保護された、平和な街を震撼させた恐ろしい事件。その事件の目撃及び通報者が今回警察の採用面接試験を受験するのだ。男はふと娘のことを思い出す。もし生きているならばちょうど受験者と同じ年齢だ。男は時の流れを痛感しながら書類をファイルに戻した――。
***
面接試験の担当者は警務係長、刑事課長、そして人事課長である男の三人だった。司会進行の警務係長に警察の職務への適性を主に見極める刑事課長、そして人としての基本的な部分を見極める人事課長という体で役割が分担されている。
「では、役割は今お伝えした通りに」
警務係長の言葉に刑事課長と人事課長が頷く。面接担当者席に着席すると警務係長がドアに立っている部下に向かって手をあげた。面接試験開始の合図だ。リクルートスーツ姿のがっしりした体型の男性が入ってくる。ドアでの一礼から着席までの動線はマニュアル通りと言っていいほど完璧だ。実際、公務員対策講座などを実施している専門学校のマニュアルだろうと男は思った。案の定男が思った通り警察官の志望動機もマニュアルにありそうなものだった。純粋に警察官に憧れる者、公務員として滑り止めに受ける者多種多様だが志望動機について「正義のため」「世の中のため」という言葉が出た場合より受験者の心は読みやすかった。本当に「そう思って」いるのか否か。男は心でため息をついた。
三名ほど面接が終了した後、警務係長が部下に向かって「待て」と合図した。
「では次の受験者は『要打ち合わせ者』です、午前中の事前打ち合わせの通りによろしくお願いします」
再び刑事課長と人事課長が頷いた。当時の事件についての質問は刑事課長が慎重に行い適性を見極め、そして人事課長は警察の業務遂行に支障をきたすようなトラウマの兆候の有無を見極める。本来この手の面接では課長クラスの担当者は一人で十分なのだが、今回二人も課長クラスが鎮座しているのはこの『要打ち合わせ者』の存在のためだった。警務係長が手をあげ、部下が廊下へと出る。微かに次の受験者の名前を読み上げる声がした。
ガチャ、とドアが開くと細身の黒のパンツスーツ姿の中性的な女性が入ってきた。一礼して軽やかに歩み寄ってくる。リラックスした無駄の無い動きに男は感心する。
「美樹さやかです」
その瞬間、周囲に風が吹いたそんな気がした。
「おかけください」
警務係長の言葉で美樹さやかは着席する。人事課長である男は観察を続けた。険しい表情ながらも中性的でさわやかな顔つきは好感の持てるものだが、身に纏っている空気は明らかに今までの受験者とは異なっていた。非日常を体験した者が持つ特有の「異質感」というか、何か特別なものを男は感じた。それがあの事件故なのか、それとも他にもその要因があるのか、男は珍しく人としてこの受験者に興味を持った。娘と同じ年齢というのもあったかもしれない。そうして実際不思議なことだが男は美樹さやかに何故か娘の面影を見出していた。容貌は似ても似つかぬというのに「何か」が似ている気がして。
――面白い
不謹慎な意味でなく、男は彼女を面白いと思った。嬉しかったのだ。6年前あんなに悲惨な事件を目の当たりにしてもなお、彼女は恐怖ではなく怒りを抱えている。その強さに。男は警務係長に向かって目配せした。『先に質問をする』の合図だ。男は美樹さやかに向き直った。
『君は何故、警察官を志したのかね?』
人事課長を見つめたまま、さやかは口を開いた。
『悪を撲滅したいからです』
模範的画一的な回答とは逸脱したそれを聞いた瞬間、警務係長と刑事課長の間で緊張が走った。だが人事課長である男はさも気に入った様子で口元を緩め頷いた。
――この子は大丈夫だ
男が求めているのは真実、口だけの偽善は不要。彼女は心の底から悪に怒り、そして憎んでいる。失踪した娘と同じ年の、そして悲惨な事件に関わった娘がこうして警察官を志したことに男は希望を見出していた。男の目と美樹さやかの目が合った。ほんの一瞬だが互いに口元が緩んだ。わかり合ったと言う様に。
絶望の中にも希望があると少しは思えるようになったのかもしれない。
***
〇〇県警察本部の前にやけに一目を引く女性が一人立っていた。長い黒髪に黒のワンピース、とても色白のその美しい女性は腕を組んでなにやら苛ただし気に入口を睨んでいる。
警備をしている制服警官が時折女性に視線を向けるが、離れた所に女性が立っているからか、声をかけるまでには至っていない。と、入口から細身のスーツ姿の女性――美樹さやかが現れ、美しい女性を認めた途端驚いた表情を浮かべ声をかけた。
「ほむら?迎えに来てくれたの?」
「…暇だったからついでよ」
嫌そうに答えながらも、黒髪の女性――ほむらはさやかが近づいてくると覗き込むように見上げてくる。その様子を見て破顔するさやか。
「そっか…ありがと」
「礼には及ばないわ…それにしても」
ほむらがじろじろとさやかを見つめる。文字通りさやかの頭から足の先までねめつけると、ぽつりと呟いた。
「似合っているわね、その恰好…」
「え、本当?えへへ…なんか嬉しいわ」
頭を掻くさやかを見て何か可笑しかったのか、ほむらが口元を緩める。
「あんたも黒だからなんかお揃いみたいね」
「……私は別として、貴方の場合馬子にも衣装だけど」
「ひど!」
さやかの反応を面白そうに見つめた後、ふい、とほむらは背中を向け歩き出した。まるで猫の様だ。黙って悪魔についていくさやか。なし崩し的に二人は帰路について。しばらくしてほむらが口を開いた。
「それで、面接はどうだったの?」
「ん~そうね…ぼちぼちってところかな、あ、でも面接官がとってもいい人だったのよ、私の答えに微笑んでくれたし、なんか嬉しかったわ」
「そう…」
ほむらがほんの少しだけさやかの方へと身を寄せた。
「……受かるといいわね」
「うん…あのさ、ほむら」
「何?」
「『あの時』の事はいつか必ずあんたに話すから…」
「……」
「もう少し待っててくれる?今はその…」
「いいわ、そんな事」
言葉を遮られ、目を丸くするさやかとそんなさやかを見上げるほむら。
「貴方が言いたくないことを私は聞きたくなんてないわ…」
「ほむら」
「それに、時間はたくさんあるわ…だって」
「だって?」
「貴方はずっと私の傍にいるんでしょ?」
「もちろんよ」
にっこりと笑うさやかを見て、ほむらは顔を背ける。その頬を微かに赤くなっているのを認め、嬉しそうなさやか。
「…痛いわ」
「あ、ごめん」
「…だからと言って離さなくてもいいわ」
「そう?」
「そうよ」
そう言って、ほむらはさやかの手を握り返す。いつの間にか二人は手を繋いでいて。
「もう離さないで」
ほむらはそう囁くと、さやかの手を握った。温かい手の感触。
「…さやか?」
反応が無いのを不思議がり、ほむらがさやかを見上げると、鞄持ちの顔は面白いように真っ赤になっていて。それからほどなくして返事の代わりに手を強く握り返されて、ほむらは思わず笑ってしまった。
そう、それはまるで花が咲いた様に――