時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
深夜、人気のない街を制服姿の少女が二人肩を並べて歩いていた。誰かこの少女達を目撃したならば深夜徘徊の危険性を説きながら延々と説教を続けるか、あるいは叱り飛ばしているのだろうが、あいにくもうこの少女達以外は誰もいない。まるでこの世で二人だけ残されたようなそんな静寂な空間で蒼い髪の少女が黒髪の少女に話しかける。
『ねえほむら』
『……何』
黒髪の少女――暁美ほむらはだいぶ間を置いてから返事をした。顔は前を向いたまま声の主に目だけ向ける。不機嫌そうだが美しい少女の横顔。
『…あのさ』
気後れしたのかそれとも見惚れているのか蒼い髪の少女もまた返事にワンテンポ遅れて。
『明日バレンタインじゃん、放課後買い物に行こうよ』
『私はそんなもの興味ないわ』
『興味なくてもさ、行ってみたら楽しいって』
『必要ないわ』
立ち止まり、ほむらは蒼い髪の少女を睨む。その美しくも陰鬱なまなざしは世界を改変し悪魔と化したあの日から変わっていない。その切れ長の目を蒼い髪の少女のややたれ気味な目が見つめ返す。
『あるよ』
その言葉にほむらは眉をひそめて。
『だって私あんたにもチョコレートあげたいんだもの』
滅多に崩れない悪魔の表情が少しだけ変わる。切れ長の目を丸くして、艶のある唇が少しだけ半開きになる。何か言いかけて、空気だけが動いて。
『ん、何さ?』
『なんでもないわ』
だが黒髪の少女の表情は少しだけ――
*****
「おはよ」
「…おはよう」
早朝の美しい悪魔はいつも不機嫌だ。美樹さやかはふ、と口元を緩める。もう数えきれないくらい一緒に朝を迎えて、そのまるで子供の様に不機嫌な顔を見てきたのだ。それがなんだか特別なようで心が躍る。たぶんこの感情に名前をつけるとすれば思い当たるものはあるのだが、どれも陳腐になってしまうのでさやかは敢えて考えない。ただ彼女が素の顔を自分に晒してくれるそれだけでいい、そう思っていて。
「うう…」
小さな唸り声をあげて美しい黒髪の女性――暁美ほむらは窓の傍にあるテーブルに座った。白磁のような肌にキャミソール一枚のそのいでたちはさやかにとってはいつになっても慣れないもので目を背けないと数秒で赤面してしまうものだが、今朝はほむらの仕草がやけに子供っぽいために緩和されている。頭をやや乱暴に掻くとほむらはそのままテーブルに突っ伏した。肩を揺らすさやか。
「ねえ、あんた酔っ払いみたい、ちゃんと眠れたの?」
「……珈琲淹れて」
「オッケー」
彼女の専用カップに琥珀色の液体を注ぐ、あたりに珈琲の良い香りが漂って、上体を起こし頬杖をつくと美しい黒髪の女性は口元を緩める。
「いい香り」
ほむらはさやかを見つめながらカップを口にする。
「美味しいわ」
「でしょ?やっぱ淹れる人の腕がいいから」
「褒めて欲しいの?それ」
肩をすくめさやかはただ笑顔を向ける。ほむらは右手をあげて何もない空間で二三回頭を撫でるような仕草をした。10年も経てばお互いこんな仕草も余裕でできるようになるのだ。
「ったく…」
「あら、ちゃんと褒めたでしょ?」
ほむらがさやかを見つめて笑う、どうやらだいぶ覚醒してきたようだ。露わになった彼女の白い肌が眩しくて思わずさやかは目を逸らす。こちらもだいぶ『覚醒』してきたようで。
「なあに発情した?」
「ぶ…!あ、あんた目ざといわね」
10年経って慣れないといえばこれだ、どうあがいても黒髪の女性に見惚れてしまうとさやかは思った。定かではないが思えば14歳の頃会った時から「美人」だと感じていたのだ、まだ半分以上は失われた『記憶』だが、それだけは明瞭に憶えているのもまたきっと――さやかは意味もなく白いワイシャツの袖をめくると咳払いして美しい悪魔に向き直った。それを面白そうに眺めている悪魔。
「どうしたの?そわそわして」
「な、なんでもないわ」
そわそわしているのには訳があった。今日は2月14日のバレンタイン、昔から彼女に『恋愛脳』とあきれたように言われ続けながらもこの行事はさやかにとっては重要で。(まあもちろん魔獣との戦いにかまけてあまり青春にかまけてはいられなかったが)今朝もチョコレートケーキをカウンター下に隠しているのだが――
「ねえ」
「ん?」
「今日バレンタインね」
いきなりむせるさやか。
「どうしたの?」
「い、いやなんでもないわ」
小首をかしげるほむらはまたいつも通り美しくて、さやかははあ、とため息をつく。
「あら、サプライズしようと思っていたのにがっかりしたという感じね」
「え、どうして」
「馬鹿ね」
どこか呆れたようなそれでいて優しそうにほむらは笑った。こんな風に彼女が笑顔を浮かべるようになったのはいつからだろう。
「サプライズしようと思うのは貴方だけじゃないってことよ」
「あんたも…?それで…」
「そんなに意外?」
ゆっくりとテーブルからほむらは立ち上がった、白い肌が眩しくて。
「ねえ、聞きたいことがあるの」
「何?」
さやかの元に近寄ってくるほむら、ゆっくりとその手が伸びる。
「高校生の頃、貴方言ったわよね私にもチョコレートをあげたいって」
――だって私あんたにもチョコレートあげたいんだもの
「…覚えているわ」
あの頃のことをさやかは鮮明に憶えている。その前の記憶が失われた分新しいことを吸収しようかというように、彼女の――暁美ほむらの表情や言動が脳に刷り込まれているのだ。背伸びしたように大人びた雰囲気を纏った美しい少女の横顔、妖しく光るイヤーカフ。ほむらの手がさやかの腕を掴んだ。
「貴方、私以外に誰にチョコレートをあげたかったの?」
あの頃にはもう上条恭介に対しての恋心は友人のそれへと変化していた。あげたかった相手は決まっている――
「そりゃ…あんたと同じまどかよ、あとは友達や家族…」
だがさやかは言葉を続けることができなかった。気づけばとても柔らかい感触が唇に押し当てられていて。しばらくしてそれがそっと離れると、美しい顔が息がかかるくらいの距離にあった。何かいいたげな眼差し、アメジストの瞳にたださやかは見惚れて。
「――これからは私だけにして」
艶のある唇がそう囁いて、再びさやかのそれと重なり合った。
――もちろんよ
念話で話しかけるが、ほむらからの返事は無い。
――ねえ、ほむら、あの時もさ、ほんとはあんたに一番あげたかったんだ……聞いてる?
返事の代わりに悪魔の細い白い腕がさやかの肩にまわされた。そうして強く抱きしめてくる。
――ったくもう
あの頃の記憶の中にある少女だった悪魔が少しだけ笑ったようなそんな気がして、鞄持ちは心で苦笑した。そうしてさやかも華奢なほむらの体を強く抱きしめ、何も言わずに目を瞑る。
それから彼女達が互いにチョコレートを渡したのは、日もだいぶ昇ってからだが、それはまた別の話――
END