時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
「ほむら、一緒に帰ろうよ」
彼女の記憶を奪ってから数日後、そう親し気に話しかけられた。まったくの想定外。ある程度――仲間だった彼女達のことを考慮してマミとなぎさ、さやかと杏子は以前と同じように友好関係を築ける状況にしたつもりだが、まさか彼女の矛先が私に向けられるとは。
「ええ、いいわ――」
どうしてそう答えたのか、今でもよくわからない。にべなく断ることもできたのに。親し気に話しかけてくる彼女の顔を見て絆されたのか、それとも――そう考えた瞬間ぞっとした。
「どしたの?」
「なんでもないわ…それじゃあ、一緒に帰りましょうか、美樹さやか」
――ありえない、無意識に私がこれを求めていたなんて
セピア色の世界、だいぶ日が暮れた通学路。
皮肉なものだ――あんなに何度も周回を繰り返していた頃にはあり得なかったことなのに、悪魔になった途端、まさかよりにもよって美樹さやかとこんな風に肩を並べて歩く日が来るなんて。何も語ることなく私達はただ歩き続けた。
「あのさあ…」
さやかが何か言いかけた。だが再び黙り込む。
「何、貴方が言いかけてやめるなんて珍しいわね」
「うん…あのさ今からおかしなこと言うけど、笑わないでね」
「内容によるけど」
「ひど!」
私は笑った。たぶん苦笑というものだろう。認めたくなかったが、悪魔になってからというもの私は美樹さやかをからかうことに楽しみを見出していた。この不器用な子が見せるわかりやすい表情や愚かな行動も今となっては可愛らしいものだ。
「あたし…この世界が夢なんじゃないかって思うの」
真剣なさやかの顔。空と同じ色の瞳に映る疲れ切った目をした私。
「どうして?」
「わかんない、でも…なんだか何かが違うような気がして」
「そう…」
彼女の記憶を再び奪うべきか否か。トマトを投げつけてくる『子供達』はまだ現れない。
「ほむら…笑わないんだね」
「笑う必要なんてある?」
「ありがと、やっぱあんたいい奴だ」
向ける相手が違うのではと思うくらいの笑顔。
「でも、どうして私に?」
「ほむらにしか話せなくて」
微調整を私は誤ったのだろうか、彼女なら話せる相手はたくさんいるはずだ。私以外に。
「貴方にはお友達がたくさんいるはずよ」
「ほむらだって友達じゃん」
足が止まった。
「ほむら?」
「…貴方がそう思うなら、勝手にそう思ってなさい」
「え?」
やはりこの子は「危険」だ。完全に消去しなければ、彼女の私に向ける感情も。ゆっくりと手を胸元まであげた。
「ほむら?」
セピア色に輝く風景はまるであの偽街が滅びる時の業火のようで、そんな火の中に私と彼女が二人だけそこにいる。
『あんたが悪魔だってこと』
本当にもう忘れたのね、美樹さやか。
あんな風に私を睨むことももう永遠にこないのだろう――
手が震える。この手を合わせれば、もう今度こそ彼女とは
私は手を――
*****
琥珀色の液体は、あのセピア色をした風景を私に思い起こさせる。
涼しい音を立てながらグラスを傾けて、その液体を少しだけ体の中に取り入れる。濡れた唇を舌で舐める、辛い燃えるような味。
「えっろいわね…それ」
傍でからかうように私を見ながら美樹さやかが呟いた。顔を少し紅潮させているが、彼女は酒には弱くないはずだし、そもそもまだ私と同じように一口目だ。
「あら、貴方にも有効なの、これ?」
私は舌を彼女の前でまたちょっとだけ出した、だいぶ有効らしい。いや、というより正確には彼女は私といる時は大抵こうだ、何かの拍子で赤くなる。私の知る限り彼女が恋慕の情を寄せていたのは既に志築仁美と結婚した上条恭介だけだ、それ以外の特定の異性と付き合ったこともないし、同性ともそれはないだろう。まあフランクな彼女のことだからどちらにも好意を寄せられたことは知っているが。だが、そんな彼女が私を見て赤くなる、それが何を意味しているのか、あの頃なら気にもしないし、したとしても嫌悪感を丸出しにしていただろう。しかし今では「それ」――美樹さやかが私に懸想していること――がとても愉快だ。それは悪魔になった所為なのか、それともそれだけ年を取ったからなのかわからない。傍でまだ赤くなりながらグラスを傾けているスーツ姿の女性を眺めながら私はアルコールを味わう。
――あれから10年
世界を改変してから、私はかつての仲間と断絶しただ鹿目まどかを見守るためだけに生きるはずだった。それが今ではこうしてよりにもよって美樹さやかとバーのカウンターで肩を並べている。バックバーに並べられた色とりどりのボトル、黒の人工大理石でできたカウンター、そして黒のスーツ姿の彼女と黒のワンピース姿の私。まるで夢のようで。
「ほむら?何か飲む?」
空になった私のグラスを取り、伺うようにこちらを見つめるさやか。
「そうね、貴方と同じのを」
「OK」
嬉しそうに笑う彼女、あの頃の面影は残っているがすっかり大人になっていて。まあ私も似たようなものだけれど。バックバーの壁面の鏡に映る長い黒髪の女性を私はそっと睨んだ。
「あんたほんともっと笑えばいいのにさ」
差し出されたグラスを受け取って、私は力なく笑う。この10年何度このひとは私にそう言ってきたのか。
「無駄よ、そんなこと言っても」
「だってあんた、こんなに…」
「こんなに、何?」
顔を近づける。悪魔になってからはよく彼女に対してこうするようになった。面白いくらいみるみる赤くなる彼女の顔は何度見ても飽きない。
「あ~もう、ずっるい」
手をせわしなく動かして、そっぽを向く。ああ愉快だ。気づいたら私は笑っていた。アルコールが回ってきたらしい。
「あ、笑ったじゃん」
そう言って得意げに笑う彼女を見ても、もう腹は立たなかった。私と彼女はアルコールが入るとお互い寛容になり、そしてほんの少しだけ相性が良くなるのだ。皮肉だが大人になって知ったこの事実は私の心を軽くしてくれている、もちろん彼女にそれを伝える気などないが。私は二杯目を飲み干した。
カラン…
氷を眺めながら私は思う。あんなに気が遠くなるほど繰り返していた周回も、魔法少女も悪魔も何もかも、こういう時は全て忘れてしまいそうになると。それもきっと――
気配がした。
私はグラスを置いた。
*****
「あ~あ、せっかく美味しいお酒飲んでいたのにさ」
雑居ビルの屋上でさやかがさも残念そうに呟く。刀を肩にかついで左手を腰にあてた立ち姿はあの頃と同じ。違うのはそれが魔法少女の姿ではなく、スーツ姿だということ。
「その姿だと、銃刀法違反みたいね」
「ほっといて」
口を尖らせるさやかを見て私は笑う。ああ、まだ酔いが残っているようだ。
「早く倒せば、まだ時間はいっぱいあるわ、飲み直しましょう」
「ほんと?」
ぱああ、と顔を輝かせる彼女を見て、私は苦笑する。
『なんで泣きそうな顔してんのさ』
あの時――私は手を叩くのをやめた。
何故そうしたのかわからない。叩くべきだったのかもしれない。でも――
「さあ行くわよ、鞄持ちさん」
「一応元だから」
軽口を叩きあいながら、私達はビルの屋上から夜の闇の中へと身を躍らせる。
――これで良かったのだ
戦いに向かう私達を闇は優しく包んで―――
END