時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
昼ドラ、火サス的。嫌な方は回避。ばっちこいな方は是非。
ほむらの朝は早い。
…と言っても今日だけだが。
「ん…」
蒼白い闇の中、白いベッドの上でほむらは身じろぎする。うっすらと目を開ける。
長い睫毛の下のアメジストの瞳がゆらゆら揺れて、しばらくして意識がはっきりしてきたのか、きょろきょろとあたりを見回した。
身体を側転させたのは、相方を探しているからか。だが、彼女といつも一緒に寄り添う様にして眠っている蒼い髪の相方は見当たらず。
「……もう」
はあ…と不機嫌そうにため息を漏らしながら、彼女はゆっくりと上体を起こすと四つん這いになりベッドの縁まで進む。キャミソール一枚を身に纏った彼女の肢体は月で蒼白く輝いて。縁までくると、下を覗き込むようにして相方の名前を囁いた。長い黒髪が下に垂れる。
「…さやか?」
案の定、ほむらの予想通り、相方はそこにいた。
寝相が悪く、時折ベッドから落下する蒼い髪の相方は、今晩も変わらず落下したようだ。
一瞬、ほむらの口元がつり上がる。彼女の視界には、ベッド縁の床下で気持良さそうに眠る相方の姿があった。タンクトップ一枚の姿で、身体を少し丸めてすやすやと気持良さそうに眠っている。そんな相方をほむらはあきれたようにしばらく見つめ、ぼそりと呟いた。
「……お間抜けな顔ね」
そうしてゆっくりとベッドから降りた。
* * *
さやかは不思議そうに目をぱちぱちとまばたきする。
「あれ?」
全体的に周囲が白っぽく、もやがかかっている感じがするのだ。さやかは窓際に置かれたいつもの白いテーブルに座っていた。いつもの彼女の家の中。だが…どうにも雰囲気が違う。そうしてきょろきょろとあたりを見回して、さやかはああ、と気付く。
初めてほむらの家に泊まった時の朝の雰囲気に酷似していた。生活感のまるでない殺風景な白い彼女の家。
「貴方、コーヒー飲むんでしょ」
「わ!」
いきなり、傍から声がした。聞きなれない少女の声。
だが、よく見ると、そこにはいつもの見知った相方の…少女時代の姿があった。
「ほむら?」
ええそうよ、当たり前でしょと言わんばかりのツン、とした表情で美少女はさやかを見返す。ゴスロリの黒い服を着て、顔は相変わらず美しく、でも態度はでかい。手には白いコーヒーカップを持っていた。どうやら、さやかにコーヒーを淹れてくれたらしい。よく見ると、カップには世界的にヒットしている赤いリボンの猫のキャラクターが小さく描かれていた。あれ、これはほむらの趣味だったっけ?とさやかは訝しんだ。
「飲むの?飲まないの?どっちなの?」
「あ、飲みます、ありがとう」
思わず礼を言ってカップを受け取る。こんな小さい子相手になんで敬語…と自分自身を責めながらカップに口をつける。
「グぇ…辛!」
コーヒーで辛いとかマジで?とさやかは思いながら、我慢できず口からコーヒーを零す。
フフフとさも可笑しそうにほむら(少女時代)が笑う。手には「Salt」と書かれた瓶を持っていて。
「塩ってやっぱりコーヒーには合わないのね」
「うん、そりゃあそう…てかっ、なんでそんなの入れるのあんた!」
だが、ほむらは取り合わず、微笑みながら、ダン、とテーブルに何かを置いた。その力強さに思わず驚くさやか。見上げると、ほむらはいつの間にか20代の彼女に戻っていた。腰に手をあて、微笑んでいる。それは魅力的なのだが、なんだか見慣れないエプロンを着ていて薄気味悪い。エプロンにはさっきと同じ世界的に有名なキャラクターが、今度は水玉模様並みにたくさん描かれていて…あれ、ほむらって、こんなもの好んだっけ?とまたさやかは訝しんだ。
「はい、これは朝ごはん、貴方のために作ったのよ」
「へ?」
そこには、犬の缶詰が置かれていた。
缶詰に書かれていたフレーズは――
「美樹さやか犬になるまであと4日」
* * *
「……なんでよっ!?」
さやかは飛び起きた。
「あら、お目覚め?」
気付くと、テーブルの傍に黒髪の相方が立っていた。珍しく既に私服に着替えている。
「なんだか面白い寝言してたようだけど?」
クスクスと面白そうに笑ってほむらが尋ねる。あたりにコーヒーの香りがして、さやかはようやく自分が夢を見ていたことに気付いた。
「あ、うん…夢を見てたみたい…痛た…」
今度は身体が痛いことに気付き、さやかは肩を揉む。そうして、今度は自分が床で眠っていたことに気付く。
「へ?また、私落ちたんだ…へ…」
へっくしっ、と大きなくしゃみをするさやかを見て、ほむらはまた笑った。そんな相方を見て、口を尖らすさやか。
「ちょっとお…起こしてくれたっていいじゃない」
「あら、気持ちよさそうに眠ってたからそっとしてたのよ、貴方を抱っこするのも面倒だし?」
「せめてシーツくらいかけてくれても」
「床で汚れるわ」
「ひど!」
ほむらは小首をかしげ、さやかに向けて、ちょいちょい、と指をつつくような動作をする。
からかうような表情で、さやかに囁いた。
「あら、心外ね、もっといいもの掛けてあげているじゃない」
「?」
さやかは不思議そうにほむらの顔を見て、それから視線を自分のお腹に移した。
「ちょ…」
さやかが固まる。
そこにあったのは、ほむらのキャミソールで。
「あんたのっ…キャ…キャミソールじゃないの!」
「あら、見て分からないの?」
「わかるわよ、なんか妙に温かいし…そうじゃなくて!」
左手でさやかは相方のキャミソールを白旗のように振った。
「なんで、こんなもの私に掛けるのよ!」
「風邪を引かないようにお腹にかけたのよ」
「そう…なんだ…ってかそうなんだけどさあ!」
「なんなのもう…?」
相方の騒ぎっぷりに手がつけられないとでも言う様に、はあ、とため息をついてほむらは腕を組んだ。そうして大げさに首を振る。
「おかしいわねえ…普通、主人の匂いがするものがあれば落ち着くと聞いたけど…」
「犬かっ」
「あら自覚はあるのね」
「え」
にやりとほむらは笑う。その笑い方が妙にいやらしくて、さやかは嫌な予感がして黙り込んだ。
「寝ている時の貴方、傑作だったわよ」
「な…何がよ」
「私のキャミソールを抱きしめて、とても気持ち良さそうな顔で眠ってたわよ、しかも顔をそれに擦り寄」
「わあっ、嘘っ!やめて!聞きたくない!聞きたくないわ!」
慌てて耳を抑えて、さやかは騒ぐ、もはや顔は羞恥で真っ赤だ。お腹を抱えて笑うほむら。
どうやら、彼女はさやかが起きるまで、一部始終を観察していたらしい。あまりの悪趣味さに、さやかは恨みがましくほむらを睨む。あまりの羞恥で涙目になりながら。しかし、それ以上に自分が無意識化で行った変態まがいな行動に打ちひしがれたのか、しばらくして力なく手を下ろすと、はあ、とため息をついた。それに合わせ、ほむらも笑うのをやめ、神妙な顔つきでさやかを見下ろすと囁いた。
「さやか」
「はい」
「風邪をひかなかったのは誰のおかげ?」
「ほむら…です」
「それじゃあ?何か言うことは?」
「ありがとう」
「よろしい」
そう言うと、堪え切れずに相方はまた笑いだした。
…なんか、もう永遠に勝てる気がしないわ…
愉快そうに笑う相方を見上げながら、さやかは、試合と勝負両方で負けた気分を味わった。
「とにかく変な夢でさあ…」
「あらそう…」
ほむらが用意してくれたパンを食べながら、さやかは先ほどまでの夢の話をする。…が、
「くっ…ふふっ…」
目の前の相方が、口元を緩め肩を震わすのを見て、もうう…と口を尖らせた。
さっきからこうなのだ。目を合わすと、急に何かを思いだしたかのように吹き出して、笑いを堪える。
「また、あんた思い出して…」
「あら、だって仕方ないじゃない、貴方が…私の」
「わあ、やめて!」
ガタンと勢いよく立ちあがってさやかは手を伸ばす、ほむらの口を塞ごうとでもいうように。もちろんそれはほむらの手でガードされる。
「面白いわね…貴方」
「ったくやめてよ」
ひとしきり笑った後、ほむらはふと携帯を見て、立ちあがった。
「あら…こんな時間ね、もっと遊んであげたいけど、私はちょっと出かけてくるわ」
「へ?」
そういえば、相方が珍しく私服なのをさやかは思い出した。
「どこ行くの?」
「あら、珍しい。貴方でも気になるの?」
「…っ、わ、悪い?」
思わず、ほむらの口元が緩む。
…いつの間に、この人はここまで素直になったのだろう?
もちろん、悪魔である彼女がこういう面白い状況を見逃す訳もなく、顔を赤くしながら縋るように見上げる相方の顔に自分の顔を近づけながら囁いた。
「デートよ」
「嘘?!」
そこからの彼女の顔は見ものだった。顔を赤くしたかと思うと、見る間に今度は血の気が無くなったように青ざめていく。そんな感情の起伏の激しい相方の表情をご堪能した後、ほむらはまた囁いた。
「嘘よ」
「な…」
フフフと笑ってほむらは身体を離す。
そうして軽やかにドアまで歩いて行くと、振り返った。
「貴方って、誰かと付き合えとか言う割には、結構嫉妬深いのね?」
「そ、そんなこと!」
図星である。さやかは二の句を継げない。
「…安心してそんなんじゃないわ」
「そう…うん」
「それじゃ、行くわ…すぐ帰ってくるから」
と、思い出したように、またほむらは振り返る。
「こんな嫉妬深い犬飼ってたら、そんなこともできないし?」
「ちょっと!」
相方の怒声を聞きながら、ほむらは笑って外へ出た。
* * * *
午前中に街を歩くのは、ほむらも久方ぶりである。元々生活感の希薄な彼女であるが、表向き人として暮らしていく以上、ある程度周囲との交流が必然的に生まれてしまう。声をかけるのもはばかれるほどの美貌の持ち主であるが、そんな彼女にも、商店街のような、地域密着型の街で暮らしている住民は声をかけてくれる。大抵、店を経営する老夫婦など、年配の者が多いが。それと…
ワン、ワン、と元気よく吠える雑種犬。軒並みで繋がれているため、ほむらにすり寄ることはないが、尻尾を絶え間なく振るその姿がいじらしく、つい悪魔でも口元を緩めてしまう。と、いつもはそこまでなのだが、今日の彼女は違っていた。フフ…と何かを思いだしたように笑いだす。もし誰か目撃したものがいれば、その意外さに驚くかもしれないが、あいにくそんな姿を見ているのは、目の前のつぶらな瞳の雑種犬だけだった。
「?」とでも言う様に、首をかしげ、じい、とほむらを見上げる犬。
「あら、ごめんなさい、あなたを笑ったわけじゃないのよ?」
…あなたじゃなく、あの人を思いだしたのだけどね?
まるで人に言い聞かせるように囁くと、ほむらはそれじゃ、と犬に言って再び歩き出す。
いつもの、あの喫茶店に向かって。
ほむらが喫茶店に入ると、中には数人ほどの客しかいなかった。その中で人目を引く女性が一人、仏頂面で足を組んで座っていた。燃えるような赤毛のロングヘア、身体のラインを強調するようなぴっちりとした黒のタンクトップにショートパンツ、そして無骨なライダースジャケット。彼女の方からはほむらは見えないらしく、窓の外を何か考え深げに見つめていた。ほむらは黒髪を掻きあげると、彼女の元へと歩み寄った。
店内のジャズに聞き入りながら、佐倉杏子は窓の外を眺めていた。
――静かでとても雰囲気のいいところだよ?
――へえ…あんたもよくそこに行くのかい?まどか?
――うん、時々ほむらちゃんと会う時にね…
――さやかとは会わないのか?
――…う~ん…二人で会ったりはしないかな…
…ったく、あいつも素直じゃねえな
杏子は桃色の髪の友人の事を考える。
さやかに会いたいなら会いたいって、本人に言やあいいのに…
そういう自分も、無駄に気を使って、さやかにはここ数年会ったことはない。
…ったくあたしもまどかも揃いも揃って大馬鹿だ
そう、杏子もまどかも二人とも、美樹さやかの身をかなり案じている。それに起因する感情がどのような種類かは別として。あれから…さやかがほむらの元で暮らすようになってから、杏子はほかの誰よりもまどかと接する機会が多くなった。
――私は、さやかちゃんも、杏子ちゃんもみんな好きだよ?
嘘だ。と杏子は思った。いや、みんな好きなのは本当だろう、鹿目まどかはそういう人間なのだ。まるで太陽のように自然に他者を包みこむ優しさを持っている。看護師をしている杏子は今まで、死にゆく人を数多く見てきた。だが、ほとんどはどんな人生を歩んだにせよ、後悔はしない、むしろ悟ったような神々しさをたたえたまま、旅立っていく。…例えは悪いが、まどかはそんな感じなのだ。誰かのために自分の命を捧げる悟りきったような殉教者。だからこそ、まどかを愛する者、好意を持っている者は気が気でない。
そして、まどかはさやかに特別な感情を持っている。
これは確信に近かった。なぜなら杏子自身がそうだから。シンパシーとでも言うのだろうか?
と、脳裏に黒髪の少女が浮かび上がる。
――それに…ほむらちゃんも
暁美ほむら
彼女もまた、杏子とまどかにとって、かなり不可解で、重要な人物だ。
いつかどこかで会ったような、既視感。そして…あの日の不可解な行動と、さやかとの関係。
知らなければならない…。
はあ、と大きなため息を杏子がついた、と眼前のソファの縁に女の手が置かれた。
とても白い綺麗な手で、思わず杏子が見惚れていると頭上から艶のある声が聞こえる。
「久しぶりね杏子」
見上げると、そこには恐ろしいほど美しい黒髪の女性がいた。
少し身を屈めて、こちらを覗き見るようにして微笑んでいる。長い黒髪がソファの縁にかかるようにして垂れる。杏子は足を組んだまま、ぽかん、と数秒女性を見つめていたが、しばらくして口を開いた。
「………ほむらか?」
「ええ、高校の時以来ね」
そう言って、ほむらは優雅に杏子の対面に座る。黒づくめの服装が、かえって彼女の白い肌を際立たせ、より美しさを強調する。白磁のような肌に整った顔立ち。艶のある黒髪。長い睫毛の下のアメジストの瞳。
まるでこの世のものではないようだ。いきなり杏子の世界が非日常へ変わった気がした。
喫茶店が異世界と化したかのようだ。
「…こりゃあ、たまげた。まどかから聞いてたけど、ここまで綺麗だとはね」
「あら、あなたもたいしたものよ」
そう、ほむらの言う通り、佐倉杏子も美しく成長していた。
燃えるような赤毛は昔と変わらず背中まで伸びているが、あの頃のようにリボンでは止めていない。健康的な肌の色に、髪の毛と同じような色を宿したややつり気味の目、しなやかな動物のような豊満な肢体…そして笑うと出てくる八重歯。彼女は野性的な魅力に満ち溢れていた。美樹さやかがどことなく浮世離れした中性的な美しさなら、こちらは現実世界の生命力溢れる美しさと言ったところだろうか。
杏子はテーブルの隅に置かれた冊子をほむらに差し出す。
「何か飲むか?」
「コーヒーを」
窓から陽光が射し込んで、向きあう二人のシルエットを浮き彫りにした。
――ほむら、あんたさあ…
――なあに?
――いや、なんでもない
さやかと彼女(ほむら)の間には「何か」がある…
杏子は高校時代にそれを感じ始めた。だが…一度も面と向かってそれを聞くことはできなかった。どちらにも。
…自分は何を恐れていたのだろう?
そう、このような質問に躊躇する性格ではないはずだ。しかし、「何か」を知ることを杏子は恐れていた。そして「あの時」彼女は後悔することになるのだ。
あの、魔獣が二手に分かれ、さやかと別行動をしたあの日。さやかは帰ってこなかった。
心配してさやかに電話を掛けた時、電話を取ったのはほむらだった。
あの瞬間、杏子は何故かひどく後悔した。大事なものを失ったような、そんな喪失感。
――今日はもう遅いから、明日迎えにきて
ほむらはさやかの携帯でそう杏子に言った。そして、あれ以来さやかはほむらの家に入り浸るようになり、とうとう高校を卒業した頃には一緒に暮らすようになった。
――あの時がターニングポイントで決定打だったのだ。
杏子は頼んだアイスティーのコップを手にしながら、ほむらを見つめた。
ちょうどコーヒーを飲んでいるところで目は伏せられている。
「……さやかは元気か?」
ほむらの長い睫毛が開き、アーモンド型の目が杏子に向けられる。
「あの人は元気よ」
「そうか……」
カチャ…とほむらがコーヒーカップを置く。
「杏子」
ほむらはテーブルに組んだ腕をもたれさせ、少しだけ前のめりになると囁いた。
「らしくないわね」
「何?」
ほむらの口元がつり上がる。まるで嘲笑しているかのように。
「何を怯えてるの?「昔」のあなたなら、躊躇なく聞けるはずよ?」
「昔…?」
「時間の無駄ね…私は別にあなたに聞きたいことがあるわけでもないし、あなたが聞きたいことがないなら帰るわ」
「面白ぇ」
杏子はニヤリと笑った。
獲物を狙う動物のように口元から八重歯が出てくる。目を細めるほむら。
「ほむら…あんたが本気であたしに喧嘩売ってるのか、それともあいつのためにわざと悪役(ヒール)を買ってるのか知らねえが、今日はあたしの質問に答えてもらう」
「あら…」
意外だ…とでも言わんばかりに、ほむらはまた目を細める。
彼女…佐倉杏子は成長してから、以前の彼女に戻っている。そうほむらは確信した。彼女が改変する前のあの野性味溢れる勘の鋭い佐倉杏子に。
――あの人が愚かなほど単純で、忠実な犬だとしたら、目の前のこの子は私と同じネコ科の動物だ。疑り深く、そして鋭い。
ほむらはニヤリと口元を歪めた。
「質問は何?」
「…あの時何があった?」
「あの時って…?」
ほむらは小首をかしげる。わざとだ。
杏子がちっ、と舌打ちした。
「さやかがあんたの家に初めて泊った日だよ…」
「ああ、さやかの携帯を私が使った時ね」
「お前」
「冗談よ」
フフフとほむらは笑う。このやりとりを明らかに面白がっている。
そうして、しばらく沈黙した後、ほむらは杏子に告げた。
「その質問には答えられないわ」
「おい…」
「それより杏子、あなたはどうしたいの?」
「どうしたいのって…どういう意味さ」
「あの人は自分の意思で私の元に来た、そしてこれからもずっと一緒にいる」
「……」
「あの時何が起きたか知ったとしても、その事実は変わらないわ」
「そうだとしても…あたしは真実が知りたい。真実を知ってあんたとあいつの間にあるもんが何なのかを知りたいんだ」
「その真実が、あなたの人としての幸せを壊すものでも?」
「ああ、あいつがいなくてあたしの幸せはないよ」
「…ストレートね」
正直、杏子のさやかに対する想いがここまで深くなるとは、ほむらも予想していなかった。
世界を改変した時、確かに以前の人間関係や、環境を考慮して二人を同居させたわけだが。友情の逸脱か…いや、だとしたら私も…
ほむらはカップを口に運ぶ。杏子もそれに合わせてコップを口に運んだ。
静かに時は過ぎ
人の心も変わる
悪魔はいかに?
カチャ…とカップを置いた。
「…あの人を手放す気は無いわ」
例えあなたの頼みでもね、いいえ誰の頼みでも
「へえ、あんたもあいつが…?」
「いいえ」
そうしてほむらは目を瞑り、そしてまた杏子を見る。
「私はあの人を「愛」してもいなし、「好き」でもない」
「…おい」
そう、あの人は「愛」でも「好き」でもなんでもない。名前の無いこの「手札」は切ってはいけないのだ。ましてやその存在を明示してはいけない…誰かに知られてはいけないのだ。決して。
「それでも、あの人は私と一緒にいなければならないの、ずっとね」
「…なんだか込み入ってるんだか、訳わかんないんだけどさ…でも」
ニイ、と杏子は笑う、八重歯を見せたまま、ほむらへ顔を近づけた。かなりの至近距離だ。
「あたしが簡単に引き下がるわけないって、知ってるだろ?」
「ええ、そうね」
ニヤリとほむらも笑う。面白い。目の前の赤毛の女性は、遠い昔、かつて戦友だった頃の雰囲気を身に纏っていて。だが、あの頃のように私は人間ではない。悪魔なのだとほむらは思う。もう…変わったのだ。
「ほむら、あんたからあいつを取り戻すよ、いつか」
ゲームに乗れということか…人間のこの三文芝居のようなメロドラマに。
そうして、ほむらは乗っかることにした。決着をつけるのではなく、「所有物」の奪い合いに。面白い…とでも言う様に、ほむらは目を細め、艶のある唇を開き宣戦布告した。
「あの人は渡さないわよ、杏子」
*******
「あ、お帰り、なんだほんとに早いじゃん」
「……随分暇だったみたいね」
ほむらがあきれたように相方を見つめる。
蒼い髪の相方はベッドの上で暇を潰していたのだろう、雑誌やほむらの本が散乱している。
「いや、全然、あっという間に時間が過ぎたって感じだよ?」
「嘘おっしゃいな」
そう言って、ほむらはため息をつきながら、さやかが後ろ手に隠したものを取り上げる。
「キュウ、キュウ」と鳴くピンク色のボール…犬のおもちゃだ。あちゃあ…と苦笑するさやか。そんな情けない表情を見て、ほむらは、フ…と一瞬、泣き笑いのような表情を浮かべて。
「しつけが足りないのかしらね…お手は大丈夫よね?」
「はあ、いやしつけとか関係ないから」
「待て」
いきなり、ほむらがさやかの眼前に手を突きだす。
「はい?」
さやかが思わずフリーズする。よろしいとでも言う様に、ほむらが頷く。
「動いちゃだめよ」
そう言って、主人は犬の前で服を脱ぐ。忠犬はただ戸惑ったようにそれを見ているだけで。
主人はキャミソール一枚になると、よし、と一言呟いて、忠犬に向かって、人さし指を掻きあげる仕草をする。
「おいで」
だが忠犬は困ったように動かない。
照れているのか、なんなのか、尻尾は振っているのだが。
主人はああもう、と呟いた。
「まだまだしつけが足りないわ、この馬鹿犬!」
そう言って、自分から犬の方に近寄ると、強引に抱きしめた。
それから主人は犬をじっくりしつけたという。
END
困った犬だ…そう思いつつも飼い主(ほむら)がその馬鹿犬(さやか)を撫でる手つきはとても優しくて…