時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
拙作「夜歩く」R18に登場するさやかの上司岡山さん(オリキャラ)が出てきます。
「ふう」
温かいシャワーの飛沫を浴びながら、さやかは気持ちよさそうにため息をついた。
――仕事明けのシャワーは格別だわ、疲れが一気に取れるし
頭を犬のように振り、水しぶきを飛ばして、顔を両手でパン、と叩く。かなり気持がいい。
「えへへ…」
第三者が見たら若干引くだろうが、美樹さやかは一人でにやにやと口元を緩めた。彼女は20歳もとっくに過ぎた大人だというのに、まるで子供のように無邪気に笑う。
と、さやかが急に怪訝な表情を浮かべる。シャワーの水音の間に聞きなれない声が聞えたからだ。栓に手を伸ばし、シャワーを止める。
アハハ…
女の笑い声。ここでさやかの以外の女性といえばもう一人しかいない。しかし、あのような声をあげるというのは、なかなか…いや、滅多にない。珍しいを通り越して恐怖でも覚えたのか、さやかは身体をぶるっ、と震わせた。そうしてとてつもない事件に向き合うような、しごく真剣な表情でシャワー室を出る。
バスタオルを取って、手早く身体を拭くと、タンクトップとショートパンツを急いで着る。濡れた髪をタオルで拭きながら、さやかはリビングルームに入った。大きな窓のある非常に広いリビングには、白いテーブルとソファが置いてあり、その奥には大きなダブルベッドがある。家主であり、さやかの「飼い主」である長い黒髪の女性はベッドの端に座り、華奢な後ろ姿を震わせて笑っていた。その右手には携帯電話。
――誰?
一瞬、迷子になった犬のような、途方に暮れた表情を浮かべて、さやかは黒髪の女性の後ろ姿を見つめる。彼女があんなに楽しそうに笑うなど滅多にない――まどかだろうか?そう思ったが、唯一愛する存在、鹿目まどかに対してこの黒髪の友人はまるで思春期の少女のような恥じらいを見せる。したがってこのような態度は取らない(取れない)はずだ。説明のできない焦燥感をさやかは覚えた。それは自分に対してだけ見せている表情が、実はそうではなかったのだという寂寥感からくるものだが、さやかは自覚していなかった。気配を隠すことなく、とぼとぼとさやかは黒髪の友人に近づいていく。
「あら、出てきました」
気配に気づいた黒髪の美女が、楽しそうに携帯を耳にあてながらこちらを見る。美しい切れ長の目を細めながら、艶のある唇の端をあげた。まるで初めて出会った時のようにさやかは顔を赤らめた。それほど目の前の女性の表情が新鮮で、そして美しかったから。
――あれ?
見惚れたばかりに認識が遅れたが、ようやくさやかは黒髪の美女の持っている携帯の「色」に気付く。それはさやかの髪の色と同じ「蒼」で。
「ちょっ、ほむら、それ私の携帯……」
しっ、とほむらは自分の口に人さし指をあてた。反射的に黙りこむさやか。まるでパブロフの犬のようだ。そうして、とても小さな声でさやかは「誰?」と囁く。ほむらは携帯の送話口を押さえながら、形のいい唇を音無しで動かした。いわゆる口パクだ。
オ、カ、ヤ、マ
ひい、とさやかは変な悲鳴をあげたあと、もぎ取るようにほむらから携帯を奪った。吹き出すほむら。口を抑えて笑いを堪えながら、さやかに大仰にもたれてくる。友人の質量と引力に逆らいながら、必死に体勢を保つさやか。
「おっ、お疲れ様です!主任どうしたん…」
『馬鹿野郎、電話出るの遅えぞボケ!』
顔をしかめながら、携帯を遠ざけるさやか。その傍でほむらはクッ、クッ、と身体を震わせる。
「すっ、すみません!」
『おめえ財布忘れてんぞ!とっとと取りに来い!』
「え!あ…」
返事をしようとする間に無常にも携帯は切れた。呆然とするさやかにもたれているほむらがくすくすと笑う。
「まったくお間抜けねえ…」
「ほんとにねえ、まさか財布を忘れてたなんて…てかっ、なんであんた私の携帯取ってんのよ!」
「あら、つい画面を見たら岡山さんだったから取ったのよ、悪かった?」
「悪かったって…」
実は、ほむらが携帯を勝手に使ったことについてはさやかは特に気分を害していなかった。それは互いの性質の所為か、それとも長年連れ添ってきた間柄だからかはよくわからないが。不思議とさやかは相方の行動に寛容であった。もちろん相方の方もまた然りだが。
「いや、あんたが私の携帯を取ったのは、実はあんまり気にしてないのだけど……」
今までも熟睡しているさやかの代わりにほむらが事件召集の電話を取ったり(その後、文字通り叩き起こされるが)、風邪を引いたさやかの代わりにさやかの携帯で職場に連絡したりとまるで熟年の夫婦まがいのことを行っているのだ。今更特に気にすることは無い、それより気になるのは――
「気にしてないけど…なあに?」
甘えるような声で黒髪の友人はさやかに尋ねてくる。身体はもたれたまま、顔をさやかの耳元に近づけた。
「ねえ…それより気になることってどんなこと?」
至近距離で甘く、妖艶に囁いてくる。まだ昼前だというのにこの声は反則だ、とさやかは思った。顔をしかめて内心の動揺を知られないように口を開く。だが悪魔は見抜いているらしい。クスクスとさも楽しげに笑い続ける。
「主任と…何話してたの?」
あんな風に楽しそうに笑うなんて、彼女と上司は何を話してたのだろう?
「気になる?」
無言でこくり、とさやかが素直に頷くと、ほむらは破顔した。そうしてさも満足そうに息を吐くと、細い白い腕をさやかの首に絡める。
「馬鹿ねえ」
ちゅ、と軽く音を立てて、黒髪の女性は蒼い髪の女性の唇をついばむように奪う。
「心配しなくても、私は貴方の上司を取ったりしないわよ?」
「…違うわ、そうじゃなくて…」
ちゅ、とまた唇を軽く塞がれて、さやかは言葉を遮られる。
目と目が絡み合う。黒髪の友人の目はさも嬉しそうに細められ、その中のアメジストの瞳は悪戯っ子のようにきらきらと揺らめいていた。
――もう、知っているくせに…
そう、この悪魔は知っているのだ。さやかが――上司に対して嫉妬していることを。ほむらが、自分にしか見せないような笑いを他人に対して見せたことでさやかが寂しがっていることを。
「あんたやっぱり悪魔だわ…」
「あら、今更?」
白い歯を見せて悪魔は笑う。そうして全体重をかけてさやかに覆いかぶさってきた。
今度はさやかは相方の質量に逆らわなかった――。
* * *
「そろそろ行かなきゃ」
ベッドの上、行為を終えて、二人はしばらく密着したまま余韻を味わっていたが、さやかがもぞもぞと動きだした。
「あら、もう?」
覆いかぶさっていたほむらが、身体を離しながら不満そうに口を尖らせる。上体を起こすと、何も纏っていないほむらの白い裸体に長い黒髪がまとわりついた。少し汗ばんで火照った肢体に潤んだ瞳の悪魔は煽情的だ。さやかは下から手を伸ばし、悪魔の胸元に纏わりついた黒髪を指で丁寧に払っていく。
「だって早く財布取りに行かないと…出かけられなくなっちゃうわ」
「…そうね、確かに」
悪魔は目を細めながら、さやかの蒼い髪を弄る。まるでつがいのように互いの髪に触れ合いながら、二人は器用にベッドから降りた。
そう、明日から美樹さやかは夏季休暇に入るのだ。そして珍しく二人きりで旅行する。
「そういえば、貴方の荷物もまとめておいたわ…一緒のトランクケースでいいでしょ?」
外に出るために着替えはじめたさやかの背中にほむらは声をかける。
「あ、ありがとう、気がきくじゃない」
素直に礼を述べるさやかの横に、悪魔は笑いながら身を寄せてきた。
「明日から楽しみね」
「そうね」
行き先は二人で決めた。一緒に暮らすようになってから8年経つがこんな風に計画を立てて二人きりで出かけるというのは初めてだった。なんだか嬉しくてへらへら笑うさやかの額を軽く叩きながら、ほむらが囁く。
「まあね、その代わり旅先では色々お世話になるわよ、おまわりさん?」
「え、な、なによ怖いわそれ!」
さやかの言葉を受け、フフフと楽しげに笑いながら、ほむらもクローゼットから服を取り出し着替え始めた。小首をかしげるさやか。
「?あんたも今日どっか出かけるの?」
「一緒に行くわ」
「ええっ?」
上着の中から頭を出しながら、ほむらが「馬鹿ね」と囁いた。
「どうせお昼は外で食べる予定だったのだから、その方が効率いいでしょ?」
「そりゃそうだけど…」
「安心なさいな、貴方の職場に顔なんて出さないわよ、外で「待機」してるわ」
警官であるさやかの影響か、悪魔も時折お固い言葉を使う。
「うん…それなら別にいいけど」
「なあに?ご不満?」
「いや、そんなことはないわ」
それなら問題ないわね、と言ってさも嬉しそうに悪魔は微笑んだ。
* *
いつもの通勤路を相方と歩くのは不思議な気分だった。
「なんだか変な気分だわ」
美樹さやかは思わず呟く。横にいるのは白いワンピースを着た美貌の悪魔。いつもの相方だ。
「変…ってどんな風に?」
風にそよぐ黒髪を抑えながらほむらは微笑んだ。今日はご機嫌のようだ、とさやかは思った。
「どんな風にって、そうねえ…」
街並みを眺めながら、さやかは呟いた。このどうにも居たたまれない、けどくすぐったい気持を何で表現したものか。
「授業参観日に保護者と一緒に登校する…みたいな?」
「何それ」
フ、とほむらは失笑する。彼女自身は授業参観の経験は無い。
「もう少し気の効いた例えはないのかしらねえ」
「言ったわね」
さやかはそう言って、人さし指を口にあて空を見上げた。彼女が何か考え事をする時の癖だ。だが数秒経っても答えはでない、
「あら、浮かばないの?」
ほむらはからかうように笑みを浮かべる。
「う~ん…ちょっと待って」
「5」
「へ?」
いきなり黒髪の美女が数字を唱えたのでさやかは驚いた。口元を緩ませてほむらはさやかを見つめている。
「あと5秒で答えなければ、突入するわ」
そう言って腕を伸ばし、何かを指差す。不思議そうにほむらの指先を目で追う。20メートル先にさやかの職場である警察署が見えた。目を見開くさやか。
「え、ちょ、あんた…」
「突入した上に、自己紹介しちゃおうかしら」
「はあ?」
「4」
「ちょ、ちょっと!」
この悪魔は本気だ――きっと、警察署まで乗り込んでいって、からかうに違いない!
「3」
「そんな急に言われたら」
次第に早足になるさやかとほむら。
「2」
「浮かぶのも浮かばないわ!」
「1」
「ああ、もう!」
とうとうさやかは走り出す。「0」と小さく囁いてほむらも駆けだした。いい大人の女性が二人もいきなり走りだしたものだから、道往く人々は物珍しく凝視する。
「わ、あ、あんた足早!」
走りに自信のあるさやかだが、ぴったりとくっついてくるほむらを見て驚く。さやかはデニムのパンツだが、ほむらはワンピースだ。なのに優雅さを維持したまま追いついている。
「悪魔の力を舐めないでよね?」
「せこ!」
笑いながら、ほむらはさやかの傍にぴったりとくっついてくる。数秒後、同時に警察署の前にゴールしたが、息を切らしたのはさやかだった。膝に両手をつき、肩を揺らす。はあ、はあ、と息が荒く悪魔に話しかけるのもようやくなくらいだ。その横で楽しそうに笑い続ける悪魔。
「な……い……こ…が」
「フフフ、もう…何言っているの?」
「中…には…いかせないわよ、こ、心の準備が…で」
「おい美樹、何やってんだ?」
――ジーザス!
さやかは心で叫んだ。息を切らしながら顔をあげると、署の門の前に初老の男が一人。なんたる偶然、それともなんたる必然か。
「主任…どうも、財布を取りに」
「はあ?何息切らして――」
低い階段を降りながら、男は美樹に吠えたが途中でやめた。傍にいる恐ろしいほど美しい女性に気付いたからだ。ぽかん、と口を開けている。
さやかとほむらは互いを見つめ合い、目で会話する。そうして、ポンポン、とほむらが軽くさやかの肩を叩くと、観念したようにさやかは頷いた。どうやら悪魔は自己紹介するつもりらしい。
「初めまして、暁美ほむらです」
ふわり、とまるで天使のように悪魔は微笑んで、優雅な仕草で一礼する。まるで深窓の令嬢のような優美さに、さやかはただ見惚れて。
「ああ、あんた、いや…あなたが」
見惚れたのはさやかだけではなかったらしい。初老の男も普段の言葉を敬語に変える。
「はい」
そう言って悪魔はさやかの手を握る。数秒間を置いてから、ゆっくりと悪魔は初老の男に言った。
「私は美樹さやかの――」
さやかは顔を赤くした。悪魔の言葉はとてもくすぐったくて、そして嬉しいものだったから。
その証拠にさやかは強く――とても強く黒髪の相方の手を握り返した。
END