時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
その日は月が丸かった。
ほむらは白く細い指を己の額にあて、形のいいアーモンド型の目を細めた。
――あり得ないわ
狂おしいほどの愛の力でこの世界を捻じ曲げ改変したその時から、月は半分に欠けたはずなのだ。月下の美少女はアメジストの瞳を月へと向ける。なのに――
――今夜の月は丸い。
「…どういうこと」
少し涼しい夏の夜、街を一望できる誰もいない丘で、黒髪の少女は空を見上げながら呟く。ひゅう、と通り過ぎる風が彼女の長い黒髪を揺らす。そのアメジストの瞳はほんの少しばかりの動揺で揺らめいて。その瞳に映し出された月はいつもの半分とは違い丸い。世界を改変してからちょうど一年、こんな現象は初めてだった。
――改変したこの世界に誰かの力が干渉している?
だとしたら何者?
少女が悪魔と化したそもそもの大元の原因である地球外生命体、またあるいは女神…それとも全く別の「新たな存在」か。一気にほむらの脳内にありとあらゆる仮定や憶測が溢れていく。元々一人で黙考する性質の彼女にとってそれは苦痛ではなかった。
ガサ、ガサ
草を踏み分ける音がして、ほむらの思考は中断された。振り返り、誰何しようと思わず口を開いたが閉じる。音の主は中学のクラスメイトのものだった。
「……ほむら?」
「あら、美樹さんごきげんよう」
ほむらは形のいい唇を緩め、蒼い髪のクラスメイト美樹さやかに向かって微笑んだ。制服のままこの場所に現れるということは、おそらく魔獣を倒した後だろうとほむらは考えた。この場所は「磁場」と思えるくらいに魔獣共が集まってくる。美樹さやかはしばらくぽかんとした表情を浮かべていたが、眉を顰めほむらに話しかけた。
「あんた、こんな時間までここで何してたのさ?」
「…ただの「散歩」よ、それより貴方こそここで何をしているの?美樹さんって意外と不良?」
「ああ…まあ、確かにそう言われたらそうだね…」
ほむらの巻き返しの問いにさやかは力なく微笑んだ。変わったなとほむらは思う。改変前の何度も繰り返し巡った世界では、彼女がこんな風に相手の(ほむらの)言葉を受け入れてくれることは皆無に近かった。成長したからか、あるいはまだ円環の理の記憶が断片で残っていて無意識下でそれが働いているのか。まあ、どちらにせよ今のところ彼女に用は無い、そう思いほむらはその場を去ろうとした。
「私も「散歩」だよ」
ほむらの背中に声が掛けられる。振り返りもせず、ほむらは囁いた。
「……そう」
「あれ?」
だが、さやかのあげた素っ頓狂な声に思わず振り向いてしまう。ほむらが振り向くと、さやかが空を見上げて驚きの表情を浮かべていた。一瞬でほむらはさやかが何で驚いているか理解した。だが、あえて尋ねてみる。
「どうしたの?」
「…ねえ、ほむら月って丸かったっけ?」
ほむらは吹き出した。やはりこの子は「お間抜け」だと思う。
「美樹さん、一体どうしちゃったのかしら?月は元々丸いわよ?」
そう、元々月は「丸い」のだ。そして太陽との関係上、従来の世界と同じく人類から見た月はいつものように満欠を繰り返す。半月に見えるのは改変の主である、「魔なる者」だけなのだ。だが、どうやら美樹さやかも月は常に「半分」に見えるらしい。そのことに、ほむら自身は認めたくなかったが、ほんの少しだけ心が躍った。
「あ、そ、そりゃあわかってるわよ!でもさ…」
「でも?」
「私、ずっと月が半分に見えてたから…こんな丸い月って初めてで」
「そう…」
動揺を隠しもしないさやかに、くすくす笑いながら悪魔は近づいた。悪魔になってから皮肉にもほむらは対人の許容範囲が広くなったらしい。まだ記憶を断片的に保有しているとはいえ、いつかは完全に消えるシロモノだ。すでにさやかは敵ではない。
「ねえ、美樹さん少しお話しない?」
「へ?…うんまあいいけど」
そう言って、二人は丘の斜面に座りこむ、あいだに一人分の間を設けて。そうして二人はぽつぽつと会話を始めた。どんな会話なのかは、二人とそして見下ろす満月しか知らない。
* * *
「ねえ、ほむら」
名前を呼ばれてほむらは振り返る。そこには月光に照らされた蒼い髪の友人が立っていた。彼女の姿を見る度にお互い大人になってしまったなと思う。世界を改変してからもう10年だ、当然と言えば当然だが。
「なあに?」
自分の口から優しい声が出てしまうのも、もう慣れた。最初は戸惑ったが、彼女を受け入れた時からそうなってしまうことが定められていたのだろうと今では思っている。
「月が綺麗ね」
「そうね」
友人の言葉でほむらは月を見上げる。半分に欠けた月。ふと、ほむらはあの満月の日を思い出した。あの頃と同じく、二人は少し涼しい夏の夜、街を一望できる丘に来ていた。
ガサ、ガサ、
蒼い髪の友人は草の上を数回ジャンピングして楽しんでいる。その意味の無い行動にほむらは口元を緩めた。いい大人だというのに、彼女のその行動はまるで犬のように無邪気で可愛らしい(本人には決して言わないが)ものだった。恐らく無意味な行動も可愛らしいと感じるのも彼女を受け入れた所為だとほむらは自覚している。ふう、とほむらはため息をついて友人を見つめる。時折首輪を掛けてしまいたくなるのは、やはり危険な衝動なのだろうか?
「さやか」
ほむらは友人の名前を呼んだ。嬉しそうな表情を浮かべてこちらを見る友人にほむらは苦笑する。成長した蒼い髪の友人は、色素の薄いまるで異国の人のようで。以前と違いその蒼い瞳には思慮深い光が宿っていて、ほむらはそこが大層気に入っていた。白い手を伸ばして、ほむらは自分が座っているすぐ横の草むらをぽん、ぽんと叩く。さやかは軽やかな足取りで素早くほむらの隣に座り込んだ。ぴったりと寄り添うように座り、何も語らず月を見上げる。しばらくしてことん、とさやかの肩にほむらが頭をもたれさせた。
「あれから…満月を見ることは無くなったわね」
さやかがふと呟いた。中学の「あの時」に見た満月のことだ。同じことを考えていたのでほむらは何故か「以心伝心」という言葉を思い浮かべた。
「そうね」
結局翌日から月はまた「半月」見えるようになっていた。特段、周囲に(特にまどかに)異変は無く、魔獣退治に忙しかったため「満月」についてはあれから特に追求することなく終わっていた。いつか何か問題は起こるだろうが、その時はその時だ。「ねえ」とほむらは友人に囁いた。その自分の発する声がひどく甘いことにも、ほむらは慣れ切っていた。
「何?」
「…今夜の月はなんに見える?」
ほむらは形のいい唇を微かに開いて囁く。
「……「三日月」かなぁ」
さやかの言葉にほむらは吹き出した。くすくすとしばらく友人の肩の上で頭を揺らして笑う。
「嘘おっしゃいな」
「ばれた?」
「ばればれよ…」
そうして、ほむらは身体を伸ばし、さやかの唇に自分の唇を重ねた。
「ん…」
声を漏らすさやかの頬を押さえながら、ほむらは顔の角度を変えて数回唇を吸う様にして味わう。
「…半月よ」
吐息を漏らしながら唇を離すとほむらは囁いた。
「私と貴方だけは半月に見えるのよ…」
「そうね」
今度はさやかがほむらを抱きしめて、キスをした。白い手を絡めるほむら。そのアメジストの瞳は熱く潤んで。
「私と貴方だけなのよ――」
半月の下、二人は長い――長い間抱きしめ合ったままでいた。
END
コーネリアスのムーンウォークを聴きながら読むと意外と合ってる…(知っている方いるだろうか…)