時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
取り調べの経験を重ねる度に思うのは、「似たような事例」はあっても、「似たような人」はいないということだ。皆、それぞれの背景を元に色々な事情を背負って犯罪に関わり、今後の人生に大なり小なり影響を及ぼす。美樹さやかは今自分が取り調べを行っている女性を複雑な気持ちで見つめながらそう思った。
「それで…あなたの彼氏はもう認めているわ、あなたは…どう?」
テーブルにはまったく悪びれてない様子の茶髪の女性。上下灰色のスウェットを着て、長い髪はぼさぼさだ。無理もない、彼女はヤクザである男のアパートから早朝任意同行でここに来ているのだ。
「どう…って言われても、アタシは知らないし、彼氏って言ってもセフレだし」
そう言って、両手を頭の後ろに組み、ニヤッ、と挑戦的に傍に立っているさやかを見上げる。あどけない顔。化粧っ気の無い顔は幼く、少女といってもおかしくないくらいだ。
「それに知ってる?アタシ、あんた達がドンドンドア叩くまでベッドで彼とハメてたんだよ?」
「……それは悪かったわね」
「興奮した?」
あどけない顔に浮かぶ女の表情。何故そんな表情を浮かべるのか。さやかは困ったように垂れ気味な目をしばたたかせて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……どうかしら」
そう呟いて、女性の横のパイプ椅子に座る。疲れた表情を隠すことなく、さやかは女性を見つめた。
――長期戦になる
そう思った矢先、さやかの目が見開かれた。その視線の先には女性の首。髪で隠れているが、その狭間から幾何学的な模様が見える。さやかの唇が震え、ようやく絞り出すように声が出た。
「…………なんで」
蒼い瞳に映し出される模様は、かつて美樹さやかが「魔女」が存在する世界で戦っていた頃、幾度となく目にしたものだった。
魔女の口づけ
「…どうしたのさ、あんた…」
茶髪の女性が不審そうにさやかを見つめた。いや、怯えるようにといった方が近いかもしれない。それほどまでに蒼い髪の女性の顔は血の気が失われたように青ざめていた。
* * *
「それで、「本物」だったの?」
艶のある唇にグラスの縁があてられた。丸みを帯びた曲線のワイングラス。グラスの中のガーネット色の液体が美しい唇へと傾いて。
「違うわ、刺青だった」
美樹さやかは、目を瞑ってワインを味わっている黒髪の女性を見つめながら囁く。この世の者とは思えない美女に向かって。
「そう…」
ふう、と満足気なため息をつき、ワイングラスを置くと、黒髪の美女はさやかを見つめた。美しいアメジストの瞳。
白磁のような肌に、艶のある長い黒髪、この世のものとは思えない美貌の女性。黒のワンピースに身を包んだ彼女は、セピア色の光に照らされ、さやかの前に座っている。さやかは思わず見惚れてしまった。
「どうお味は?」
「……へ?ああ、とても美味しいわ」
さやかは慌てて視線をテーブルに向け、フォークとナイフでまだ3分の1ほど残っている鴨肉を切り崩しはじめた。
二人はマンションの近くにあるフランス料理店に来ていた。最初にこの隠れ家的な店を見つけたのは黒髪の相方だった。セピア色を基調とした薄暗い内装、静寂に包まれた心地よい雰囲気はもちろんのこと、ワインのセレクトがいたく気に入ったらしく、仕事帰りのさやかの手を引っ張っては(時折引き摺っては)週一のペースでここで食事を済ませていた。さやかはさやかで、料理の美味しさと、ここのワインを相方がさも美味しそうに飲む表情が好きなので(本人には殺されそうなので言わないが)結構気に入っていた。
「どうやってわかったの?」
「へ?」
黒髪の女性の質問に、さやかは手を休め反応する、口に肉をほおばる寸前で静止しているのでややお間抜けだ。
「刺青よ、どうやって判別したかって聞いてるの」
「ああ…」
どうしてそんなことまで聞いてくるのかと、さやかは不思議そうな顔をして、とりあえず鴨肉をほおばる。美味しそうに咀嚼する間を邪魔する気は無いらしく、黒髪の女性は空になったさやかのグラスにワインボトルを傾けた。
「………見せてもらったのよ、観察といった方がいいかしら」
茶髪の女性の首を思い出しながら、さやかは囁いた。あの時の模様は確かに魔女の口づけに似ていた、酷似しているといっていいくらい。かなり近づいてみてようやく判別できたくらいだ。
「触ったの?」
「まさか、そんなことしたら取り調べ無効どころか、私も停職かクビよ」
「そう…」
黒髪の美女の口角があがる。どことなく嬉しそうだ。グラスに少しだけ口をつけると、すぐにさやかの方を見つめ囁いた。
「貴方ってセクハラ気味だから心配なのよ」
「なによそれ、ひど!」
肩を震わせ黒髪の女性は笑う。ツボがよくわからないというのもあるが、相方が笑うとさやかは嬉しくもある半面、「何が面白かったのか」気になって仕方がない。おそらく三杯目のワインの酔いもあるだろうが…思わずさやかは相方の名前を呼んだ。
「ちょっとぉ、ほむら」
「なあに?」
目を細めてこちらを見る相方に、さやかは何も言えなくなったのか、「なんでもない」と答えてしまった。それがまたツボなのか、くすくすと笑い続けるほむら。もう…と呟いて、さやかは視線を窓の外へ向ける。深い海のような闇に包まれた街は、小さな光の群れで彩られていて。その景色を見つめながら、さやかはほむらに尋ねた。
「でも…どうしてあんなに似ていたのかしら?」
「記憶ね」
はっ、とした表情でさやかはほむらの方へ視線を向ける。
「その刺青を彫った経緯までは知らないけれど、模様が「あれ」に似ていたのは彼女か、あるいは彫った人間がかつて「あの模様」を目にしたことがあるからよ」
「魔女の口づけを…?」
ええ、と頷きながら、ほむらも鴨肉を切り崩しはじめる。外科医のようだ、とさやかはふと思う。
「私はあの時、あの子の改変した世界をまた変えたけれど、全ての人間の頭の中まで変えたわけじゃないわ」
「まあ確かに……」
自分のような例外もいる、とさやかは思う。改変のそのまた改変によっても、あの女性(もしくは彫った者の)の記憶の断片が消えなかったということか。
「よっぽどトラウマだったのかしら…」
「大丈夫よ…覚えているにしてもそれくらい。それにこの世界には魔女はいない、害は無いわ…それより」
「何…?」
さやかの視界に鴨肉が現れた。相方がフォークをこちらに向けたのだ。さやかの口元で食い付け、と言わんばかりに肉を揺らす。まるでルアーフィッシングのようだ。躊躇するさやかを促すように、「あ」と言ってほむらが口を開ける。
「あ」
口を開いた相方を満足気に見て、ほむらは肉をさやかの口に放り込んだ。
「……食事中に他人の事を考えるのはやめてくれない?料理が美味しくなくなるわ」
「………ん」
肉を咀嚼しながら、申し訳なさそうに頷く相方。溜飲が下ったのか、ほむらは嬉しそうに再び肉を切り始め、またさやかの口の前に肉を差し出す。
「太っちゃうわ…」
「どうせこの後「運動」するんだから大丈夫でしょ?」
「………そりゃ…むぐ」
さやかが口を開いた瞬間を逃さずほむらは肉を放りこむ。驚いたままもぐもぐと口を動かすさやか。猫のように目を細めてほむらは笑った。そうして何か思い出したのか、おもむろに口を開く。
「ねえ、ひとつ面白いこと教えてあげましょうか?」
「え、何何?」
気持の分、身を乗り出すさやかに苦笑しつつ、ほむらは囁いた。
「私も昔、魔女の口づけを受けたことがあるわ」
「え、嘘!」
「あら、知らなかったの?「あっち」に行っている間に全部見た訳じゃないのね」
「そりゃ、細かい事まで私覚えてないし、「あっち」で見たって言っても、もうほとんど忘れているわ」
あっち、とはもちろん円環の理のことで。成長した二人に取っては、もはや円環の理も、思春期時代に運命を狂わされた、地球外生命体の生みだしたシステムも「あっち」とか「あれ」で会話をする際には事足りていた。
「……それで、いつ受けたのさ?」
「いつだったかしら、中学校の帰り道、気付けば結界に取りこまれていた、あの時だと思う」
「そう…」
ほむらが昔の事を自分から話すということは稀だ。ワインに含まれたアルコールの所為でもあるだろうが、嬉しい進展だとさやかは思った。
『人に迷惑ばっかりかけて、恥かいて…どうしてなの?私、これからもずっとこのままなの?』
『だったらいっそ、死んだ方がいいよね』
落ち込んでいた少女時代のほむらに、魔女はつけ込み、自殺を促した。
「……喋る魔女って珍しいわね」
「ええ、そうね、でもそれで魔法少女に変身した「あの子」に救われた」
「すべての「はじまり」って訳ね」
さやかがほむらを見つめると、軽く彼女は頷いた。そう、さやかの幼馴染が概念となり、目の前の美しい女性が10年前に悪魔と化する、気が遠くなる長い物語の。
「あれから、あの子の事だけを考えて進んで行った……ずっと長い間」
「そうだったね」
じろり、とほむらがさやかを睨む。
「事あるごとに貴方がいちゃもんつけてきたり、頼んでもないのに現われたり、いい迷惑だったけど」
「うわ、ひど!…まあ、私が悪かったわよ、でもまどかが心配だったし」
「今でも?」
「へ、今?…いいや、別に」
むしろ、あんたが心配よ、とさやかが囁くと、ほむらは目を細めて嬉しそうにグラスに口をつけた。
「私は大分変ったわ…」
「まあ、あんたも私もね」
ほむらは気の遠くなるほどの長い一人の時間の間に、そして、さやかはこの世界へ「復活」してから刑事となる間に。
「私…あの頃の病弱な自分が嫌いだったわ」
「今でも?」
「……わからない、貴方は…どうなの?」
「え、私?」
あの頃の「さやか自身」の事を尋ねているのか、それともあの頃の「病弱だったほむら」をどう想っていたのかを尋ねているのか…ニュアンスで後者だと感じ取ったさやかは素直に答えた。
「昔も今もあんたの事は好きよ…まあ、昔はあまり自覚は無かったけど、今思えば、あんたのこと誰よりも意識してたみたいだし…って…なんか恥ずかしいわね」
なんだか告白みたいだ、と思ってさやかは勝手に赤くなる。だが、素直に言っているものだから、支離滅裂でも言葉は止まらない。ええい、ままよ、とさやかは言葉を続けた。
「まあ、とにかく、私は「今のあんた」が一番好きだから、それを形作ってくれた過去もみんな好きってことよ…それで…ちょっと、聞いてる?」
「聞いてるわ…」
肩を震わせ、さも苦しそうに答える黒髪の美女。なんだか嬉しそうに笑いを堪えているものだから、なんだか素直に喋っている自分が馬鹿みたいだ、とさやかは思った。
「ひど…ひとがせっかく…」
「あら、ごめんなさい、それから?」
「……それから…その」
照れ隠しに残ったワインを口にする。行儀悪く喉を鳴らして飲み干すと、さやかは相方を見つめて囁いた。
「こうして、あんたと食事できて、夜景を見ることができて私は今幸せなのよ」
「………」
一瞬笑いが止んで、黒髪の美女は真顔でさやかを見つめる。次第に頬が紅潮してきたのは酔いのためではないらしい。
「貴方って、よくそんな恥ずかしい台詞が口から出てくるわね…結婚詐欺師かなんかの取り調べでもしたの?」
「わ、悪かったわね!これでも素よ…もう、馬鹿みたい」
グラスを取ろうとした手をほむらに掴まれる。不思議そうに顔をして、さやかは垂れ気味な目をほむらに向けた。ほむらはいたって真面目な顔で。
「……何よ?」
「家に帰りましょう」
「へ?なんで、まだデザート…」
さやかは言葉を続けられなかった、身を乗り出した相方に口を塞がれたから。しばらくして、軽く音を立てて唇を離すと、ほむらは囁いた。
「貴方を早く食べたいの」
* * *
それから食事を手早く済ませた二人は会計を済ませる。空席待ちのカップルがさも興味深げに二人を見つめていたが、そんなことは意に介さずほむらはさやかの手を強引に引っ張ると店の外に出る。
「ちょ、ちょ、今日は引き摺らないで!」
「あら、そうね…貴方あの時ずっと「背中が痛い」って言ってたものね」
そう言って、ほむらは優しくさやかの背中を撫でた。ほっ、と安堵のため息をつくさやか。そう、出張時の「お遊び」がばれて一度さやかはほむらにお仕置きをくらっていた。ホテルまでずっと引き摺られたおかげで、ベッドで一晩中悪魔が上に圧し掛かっている間、背中が痛かったのだ。
「あの時の貴方の顔は可愛かったわよ、私の中で一晩中…」
「うわ!やめてよ…」
顔を赤くして、さやかが視線を逸らす、と、店の看板が目についた。
Izabel と表記されている店の名前。ああ、それで…とさやかは合点がいった。さやかの持ち出した魔女の口づけの話題とそして店の名前…。
「さあ、行くわよさやか」
「へ?わ、わあっ!」
変な悲鳴をあげながら、さやかの身体が中に浮いた。いや、ほむらがさやかを抱きかかえたのだ。華奢な身体からは想像もつかない腕力。
「ちょ、ちょ、何すんの?」
「言ったでしょ、早く「デザート」を食べたいのよ」
ニイ、と鮫のように笑うほむら、美貌の彼女がこのように笑うと凄絶だ。――食べられる、と瞬時に判断したさやかはあきらめたのか力を抜いた。
「あら、いい子ね」
そう言ってほむらは笑うと、背中から羽根を出した、悪魔の黒い羽根。美しさにさやかはただ見惚れるばかりで。そんな相方の表情をさも嬉しそうに悪魔は見つめ、そうして今度は夜空を見上げた。
「飛ぶわよ」
そうして悪魔は「デザート」を抱えて空を飛ぶ。
家に帰って美味しく食すために。
END