時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
時折、彼女は記憶を取り戻しそうになる。まどかはあれから、改変してからしばらくして落ち着いたというのに、彼女の場合は10年経った今でも記憶の錯綜を起こすのだ。
「ん…」
ベッドでうなされている彼女を私は見つめる。記憶の錯綜が起こるのは必ず眠っている時。「夢」を見ている時だ。そっと、彼女の蒼い髪を撫でる。ゆっくりと彼女の目が開いた。私は顔を近づけて囁いた。
「…お目覚め?まだ早いわよ、眠って…」
「ほむら?」
だが、彼女は上体を起こし、きょろきょろとあたりを見回して唸り声をあげた。まるで何かに怯えているように。私達の住んでいるこの古い狭いアパートには何一つ彼女を怯えさせるものなどないというのに。私は彼女の腕に自分の腕を絡めて体を預けた。彼女の顔を見上げると、ひどく険しい表情をしていた。普段の彼女からは想像もつかない。
「どうしたの?…怖い顔」
私はそう囁くと、彼女の頬に触れた。血の気が引いているのか、ひどく冷たい。
「今…何年?」
「え?」
ひどく思い詰めた表情で、彼女は私に囁いた。
「今…――年、――月よね?」
更に私に詰め寄ると、年月日をしつこく尋ねる。間違っていないので、私は肯定の意味で頷いた。彼女は額を抑え、再び呻く。一体どうしたというのだろう?私は一つの可能性を受け入れることができず、心の隅においやり、ただ不思議そうに小首をかしげる。しばらくして、彼女は顔をあげた。さきほどまで眠っていたはずなのに、疲労しきった顔。
「ねえ、ほむら…ここ、あんたの家?」
ああ、やはり―――
私は一つの可能性を受け入れた。彼女は記憶を取り戻したのだ。だとしたら――
「いいえ、「私達」の家よ、さやか…」
「そう…」
戻らなきゃ…とぼそっとこぼしたかと思うと、彼女はぶつぶつと何事が呟く。「並行世界」という彼女の呟きがやけに頭に残った。
彼女の記憶を奪わなければ――
私はそっと「力」を解放する。軋んだ音を立てながら、私はさやかをシングルベッドへ押し付け、彼女の上に跨った。
「ほむら…あんた」
「思い出さないで」
私は必死に声を絞り出した。
「お願い…さやか、思い出さないで」
そうして、彼女の上に覆いかぶさる。だめだ、だめなのだ、彼女は記憶を取り戻してはいけない。まどかが遠く離れた今、美樹さやかは私の傍にずっと――
さやかの腕が私の腰を抱きしめた。その強い力に私は声を漏らす。彼女は「魔法」を使用している。私も本気を出さなければ――
「大丈夫」
とても優しい声で彼女が囁いた。私の耳元に彼女は唇を寄せ、再び囁く。
「大丈夫だよ、ほむら…あんたは悪くない」
彼女に理解されていることを一瞬で悟った私は、「力」を抜いた。そのまま彼女の上に覆いかぶさったまま目を瞑る。全てが崩れていく予感と悲しみを抱えたまま。
「嫌よ…お願いさやか…忘れて…」
私を見上げている蒼い瞳はとても澄んでいて。私は彼女の記憶を消そうとただ必死にその頭を掻き抱き、キスをした。
* * *
目が覚めたのは、だいぶ日が昇ってからだった。肩に重みを感じてそこを見ると、さやかが気持良さそうに私にもたれ眠っていた。私はほとんど無意識に手を伸ばし、彼女の蒼い髪を撫ぜた。ん…と声を漏らしながら、彼女は更に私を強く抱きしめる。まるで彼女の抱き枕のように私はなすがままだ。肌と肌が密着して心地よい。本来ならば――私は今幸せを感じているところだが、しかし、実際は全く違っていた。
――美樹さやかは記憶を取り戻した。
その事実が私を鬱屈した気持ちにさせる。ああ、そうなのだ、もはや彼女は私と袂を分かつことになる。あれほど断罪を求めていたくせに、未来永劫一人で生きていくことに私は耐えられそうにない。
「…ほむら?」
さやかが目を覚ます。私は微笑んだ。だがそれはとても曖昧なものだったろう、これから起こるであろう悲しみを予感した、醒めた笑み。だが、その予感は簡単に崩壊した。
「わ…!私、なんで裸?」
さやかは勢いよく上体を起こし、己の身体に触れる。そうして同じく裸の私を見てひどく顔を赤くして体ごと反らした。その行動が思春期の子供みたいで、私はつい吹き出した。
「どうしたの?昨日のこと…覚えてないの?」
「へ、昨日?」
私の方を見ようともしないで、返事だけする彼女の耳は真っ赤だ。ああ、そうなのか、彼女はまた――記憶を失ったのだ。
私は笑った。体を震わせて。不思議そうに、ようやくゆっくりと振り向いたさやかを私は掻き抱いた。
「覚えてないのね…さやか?」
「へ…私っ、変な夢は見たけど、その…あんたとそんな…」
喜びが体の内から湧き上がる。ああ、こんな気持ちに私もなることができるのだ。
「いいの…覚えてなくていいのよ」
彼女はどうやらずっと私の夢を見ていたらしい。その夢で、私は資産家の娘だったとか。
「いや…そうあんたは言ってはいなかったけど、すごく広いマンションに住んでたのよ」
「そう…」
「で、私に聞いてきたの「今幸せ?」って」
「ふうん…」
私はそっと息を吐くと、さやかを強く抱きしめ、そうしてキスをした。驚く彼女の頬を挟むようにして固定して、何度も何度も。
「ねえさやか…昨日の続きをしましょう?」
不思議がる彼女を押し倒し、私が教えてあげるから…と言って私は彼女に覆いかぶさった。
夢なんて、どうでもいい、貴方が忘れてくれるなら。
私達はまた狭いベッドで一つになった。
END