時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
犯人は犯行現場に戻るとは良く言われているものだが、これもそうだろうか、と美樹さやかはふと思った。
ヒュウ、とまるで漫画の様にいいタイミングで風が起こり、彼女の蒼い髪を揺らす。
「………」
さやかはしばし目を瞑り、そうして小さく息を漏らしてまた目を開いた。空と同じ色の蒼い瞳。その瞳に映し出されているのは、廃墟と化した雑居ビルだ。
「懐かしいわね…」
そう呟きながら、痩身で女性の中では長身の肢体を動かし、蒼い髪の女性は歩き出した。ビルの入り口に向かって。真夏だというのに、黒のスーツに身を包んでいるのは、彼女がまだ「執務中」だからだ。容疑者の供述に沿って、時系列に立ち寄ったところを辿っているが、まさか「ここ」に辿り着くとは思わなかった――。
ジャリ…
革靴が廃墟ビルの砂利を踏む。中は日光が遮断されていて、薄暗くひんやりとしている。
ピシャリ…
と、水たまりがあったのか、革靴の周りに水しぶきがあがった。目を細め、さやかが水たまりを見つめる。波紋が収まりつつあるそこに映る一人の大人の女性。肩まで伸びた蒼い髪に、引き締まった細面の顔、少女の頃の面影を僅かに残している垂れ気味な目。だいぶ大人になったものだな、とさやかはまるで人ごとの様に思う。
――あれからもう10年は経っている。
地球外生命体の仕組んだ「合理的な」魔法少女の仕組みに気付き、自暴自棄になったあの頃から。黒髪の相方が指摘するように、おそらく自分は何度もその自暴自棄のルートを歩んできたのだろう、他の記憶よりも、そこだけが、いつまでも鮮明に残っている、そしてこの雑居ビルも。甲高い少女の笑い声と迸る赤い血、そして影を思い出し、さやかは目を瞑った。そう、ここは私が一心に祈る影の女性――影の魔女を剣で滅茶苦茶に切り崩した場所だ。
携帯の着信が鳴った。
「はい、美樹です」
「美樹か?おい、早く戻ってきやがれ、そこはガセネタだ」
「え…」
「戻れ、美樹…」
携帯の向こうの上司のがなり立てる声が、急に途切れた。どうやら電波の調子が悪いらしい。困った様に首をひねって、さやかは携帯を内ポケットへ入れる。聞きこみも兼ねて、上司と別行動した訳だが、どうやら無駄骨らしい、さやかはふう、と息を漏らし、そうしてきびすを返した。
「あの…」
さやかは思わず声をあげそうになり、堪えた。目を大きく見開き、振り返る。いつの間にそこにいたのか、黒い喪服の様な服を着た、長い黒髪の女性が立っていた。前髪が長く、片方の目が覆い隠されているが、なかなかに美しかった。まあ、相方ほどではない、とさやかは心で冷酷な事を考えたが。
「………誰?」
声をなるべく低くし、さやかは尋ねる。まだ心臓の動悸はわずかに速い。女はさやかから2mほどへだてて立っている。おずおずと女が歩み寄る。さやかは何故か、少しだけ後ずさりした。しばし見つめ合い、そうしてかなり接近して、ようやく女が口を開く。
「人を…探してて」
「人?」
何故、こんなところに人を?と考えたが、そもそもこんな尋常でない状況なのだから、この女も何か隠しているに違いない。さやかはスーツの中に手を入れ、バッジを出した。
「私は警察です。何か事件ですか?それとも何かお困りなら私が家までお送りしますが」
そうして、ほんの少しだけ相手を安心させるためにさやかは微笑んだ。いつものへらへらとした様子ではなく、困ったような、はにかんだような、そんな感じで。彼女は営業スマイルだけは出来ないのだ。その微笑みに好意を寄せたのか、女の影のある表情にほんの少しだけ明るさが生まれる。まあ、と可愛らしい声が女から洩れた。
「あなただわ」
「え、何がですか?」
「私が探していた人は」
「……とりあえず外に出ましょう」
さやかは苦笑して、女の背中に手を添えて出口へ向かう。大人しく女は従うが、目を細めてさやかを見上げると囁いた。
「ねえ、手を繋いでくださらない?」
「手…?」
さやかが戸惑う間に、女は手を繋ぐ。そのひんやりとした感触にさやかは驚く。女は何故か嬉しそうにその身体にもたれて。困惑しながらもさやかは事務的口調で囁く。
「大丈夫ですか?ずいぶん冷えて…」
「死んでいたからよ」
さやかが歩を止める。そうして女を見下ろす。女の表情は潤んでおり、興奮しているような、艶のあるそれで。何故かさやかは、数日前に取り調べをした茶髪の女を思い出した、首に「魔女の口づけ」に似たタトゥーをした女を。
「ねえ、また私を殺すの?」
「何……」
「……あなただわ、私を…何度も、何度も切り刻んだ人は…」
「………まさか…そんな…」
手が更に強く握られた。
「ひどい人…」
女の長い髪が伸び、さやかの腕に絡みついた。
「ねえ、私を切り刻んだ時…」
――ドウダッタ?
* * *
気がつけば、自分の悲鳴でさやかは目を覚ましていた。
慌てて周囲を目だけで見まわす。高い天井、広い白いベッド…そうして視野の隅っこに、黒髪のとても美しい女性が映り、ようやくさやかは安心して息を吐いた。そうして黒髪の女性に向かって手を伸ばし、その長い黒髪に触れる。
「ほむら…」
「夢?」
「ん…」
黒髪の女性――暁美ほむらが安心させるように、さやかの頭を抱いた。さやかも腕を伸ばしその背中を甘える様に抱きしめる。その温もりが嬉しくて、さやかはまた目を瞑った。だが、震えが止まらない。
「……あの夢なの?」
ほむらが囁いた。
「ううん、違うわ…」
「そう…」
ほむらが身体を離し、さやかの顔を見つめる。それはとても真剣な(いつも彼女は真剣だが)表情で。
「水を取ってくるわ」
そう囁いて、ベッドから降りた。さやかも続いてベッドから降りる。シャツは汗でびっしょりと濡れていた。
* * *
冷蔵庫を開けながら、ほむらはこんな時は水よりも、彼女の好きなバーボンの方がいいのだろうか、と一瞬悩む。そうして、珍しく、両方を選んだ。相方に対してかなり甘くなった自覚はあるが、どうやら一度甘くなると悪魔は際限が無いらしい。コップ1杯の水の予定が、結局はバーボンにグラスに氷とフルセットに変身し、トレーに載せて運ぶことになった。
「……ねえ、結局水とバーボンにしたのだけど…」
いつの間にかソファに座りこんでいる相方に話しかける。と、その相方はほむらの姿を見た途端、その疲れ果てた表情に笑みを浮かべた。思わずほむらも口元を緩める。ソファの横のサイドテーブルにトレーを置くと、ほむらは相方にもたれて囁いた。
「……話してくれる?」
「あの事」について、相方は全てを語ってくれた。あの時の衝撃はまだ忘れられないが、全てを打ち明けてくれたことに価値があるのだ。だからなのか、ほむらはあれ以来、理由のわからない「苛立ち」をさやかに覚えることはなくなっていた。今夜の悪夢もまた、相方は素直に喋ってくれるだろう。
「うん…」
そうして、さやかはゆっくりと、たどたどしく、「悪夢」を語りだした――
* * *
「影の魔女ね」
さやかが喋り終えた後、ほむらが呟く。
「ええ、私が滅多斬りにした…」
はあ、とほむらがため息をついて、そうして「馬鹿なの?」と囁いて、もたれたまま、さやかの腕を叩いた。
「魔女なら私もたくさん倒しているし、貴方よりもひどい倒し方をしているわ」
「……ありがとう」
でもね、とさやかが苦しそうな声で呟く。
「彼女、私に聞いたのよ」
――ドウダッタ…って
「どうだったの?」
わざと、黒髪の女性は素っ気なく聞いて。
「私は…彼女をたくさん切ったわ、何回も…ものすごく後悔している、でもね」
「……」
「あの時、その時の私は…」
ほむらの細い手が伸びて、さやかの口を抑えた。驚くさやか。
「おしまい」
「………」
「ねえ、誰でも闇は持っているものよ?」
ほむらは身体を離し、立ち上がると、さやかの前でしゃがみ、顔を覗き込んだ。まるで飼い主が犬の顔を覗き込むように。
「そう…なの?」
「そうよ、私もそう、わかるでしょ?貴方なら尚更、だから…」
そう囁いて、ほむらは腕をさやかの肩に回した。
「そんなに自分を責めないで……」
縋る様に、さやかが強くほむらを抱きしめる。あまりの強さに苦笑するほむら。
「ねえ、忘れたい?さやか」
「うん…」
その言葉がまるで合図の様になり、二人は床に転げ落ちて。ほんの少しの間、くすくすという笑い声があったが、それもやがて静かになり、吐息へと変わる。
息を大きく吸い込むような音と、そして規則的な喘ぎ声があがる。重なる二人を見つめるのは、ただ半分に欠けた月だけ、その月が二人の固く繋がった手を照らし出していた。
ネエ、ドウダッタ?ミキサヤカ…?
END