時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
見滝原のショッピングモールには、脱サラで成功したペットショップがある。
40代半ばの村岡という男が店長のこの店は、今日も盛大とは言えないが、そこそこ繁盛していた。
「ワン、ワン、……ワン!」
「ほら、もう少しでごはんだからおとなしくしてるんだ」
180㎝ほどの大柄な青年が身を屈め、店内の端に囲われている柴犬に話しかける。Tシャツの下の筋骨隆々とした体躯は体育会系を思わせるが、その上に着た黄色の店のエプロンがあまりにも可愛らしいためどこか微笑ましい。犬もそう思っているのか、へっ、へっ、と笑っている様に口を開けて尻尾を振った。犬の黒い瞳が、スポーツ刈りの男の朴訥な顔を映し出す。
「おーい、大野、ちょっと手伝ってくれ」
店の奥から中年の男の声がした。店長の村岡だ。大野と呼ばれたバイト生は立ち上がり、奥に向かった。
店内はそれほど広くないため、人の歩行するスペースが狭い。ドライフードの袋を蹴らないように注意しながらバイト生は歩く。
――どうにかスペースを確保しなきゃなあ
去年、村岡がそう言っていたのを大野は思い出した。だが、結局スペースを確保することを辞めていた。それはまた別の理由があって、スペースが狭いために望外な恩恵を受けたためだった。その恩恵とは、昨年からこの店に現れた「お得意さん」のことであるが――。
青年は脳裏にそのお得意さんの事を思い浮かべた。
『ねえ、これって人でも食べれるの?』
この世のものとは思えないほどの美貌の女性が微笑んでいる。右手に缶詰のドッグフードを持って。最初に店に現れた時の「お得意」さんの姿を大野は鮮明に憶えていた。長い黒髪で恐ろしく白い肌の美しい女性は、突然ふらりとこの店に入ってきて大量のドッグフードを購入していったのだ。最初、店長の村岡と男はあまりの美しさにその女性が幻覚か、あるいは幽霊かと思ってしまうほどで、村岡は更に悪魔か…と思っていたらしいが、それが正解だということを二人は永遠に知る由はない。
頭を振りながら奥に行くと、店長である村岡の姿が見えた。梯子に乗って、上段に積んでいるドッグフードの袋をおろしていた。大野はすぐにその下に行き、袋を受け取る。息の合った連携プレーは親子の様で。
「…店長、張り切ってますね?」
「そうか?」
そうでもないぞ…と言いながら、だが笑顔を浮かべる村岡を見て、大野は笑った。
「ねえ、店長」
「なんだ?」
「あのお得意さん、最近来ませんねぇ」
派手な音を立てて袋が2,3個落ちた。梯子の上の中年の男が急に右手を激しく振って叫ぶ。
「ど、動揺してないぞ、俺は!」
はあ、と大野は額を抑えため息をついた。そう、この梯子の上の「店長」は「お得意さん」に懸想していた。娘と言っていい年頃の女性に、村岡はまるで中学生の様な恋をしているのだ。あきれを通り越して、青年は心の底から店長が心配になった。
「店長…お得意さんに恋はまずいっすよ…それに年…」
「ば、馬鹿、俺はあくまでお得意さんとしてだなあ…」
梯子の上でいきなり偉そうに語りだす村岡を見て、再び大野はため息をついた。そうして、だめだ、この人は俺がどうにかしなきゃいけない…とでもいう様に村岡を見上げる。
「とにかく早く片付けましょう、そろそろ開店です」
「え、ああそうか」
ハッ、と我にかえった村岡は再び作業に戻る。たまに年不相応に挙動不審になるが、こういった切り替えはさすが元バリバリの営業マンというところか。
――普通にしてれば立派なのに
青年はふと、心で呟く。そうなのだ。村岡は元営業マンだけあって、その商才はかなり優れたものだ。交渉能力も高く、経営学を専攻している大野に取って、彼の能力は模範になるのものだった。だがどうにも、あの美貌のお得意さんに心奪われるとただの「情けない中年の男」になってしまう。はあ、とまた青年はため息をついた。そして脳裏に再び「お得意さん」を思い浮かべる。
――恐ろしいほど美しいという形容がぴったりとあてはまる、長い黒髪の女性。黒が好きなのだろうか、店に来る時はほとんど黒づくめの服装で。形のいい頭に背中まで伸びた黒髪。そうして透き通るような白い肌。鼻筋とおって、切れ長の二重の目には長い睫毛、その下には神秘的なアメジストの瞳――
青年は自分の頬を両手で叩いて、乱暴に頭を振った。どうにもあのお得意さんのことを思い浮かべると、何故か「畏れ」に近い感情が湧きあがる。美しすぎるのだ、まるでこの世のものではないように。まあ、最初は若さ故かミーハーな感情でテンションはあがり、ときめいたものだが、それもこれも、今では大野以上にお得意さんにのぼせまくっている村岡のおかげですっかりなりを潜めていた。人は興味の対象に己よりも没頭している人物に出会うと冷静になってしまうものらしい。青年の目下の指針は、父親といってもおかしくない年齢の村岡をまちがった道へ歩ませないことだった。
――カラン、カラン
ドアに備え付けているベルが鳴った。開店と同時に客というのも珍しい。だが、商売をしているものにとっては大歓迎のもので、村岡と大野は同時に声をあげた。
「いらっしゃいませ」
そうして二人ははっ、と一瞬身を固まらせた。ドアの方には茶色のワンピースに薄手のチェック柄のカーディガンを羽織った一人の女性。逆光のため顔はよく見えない。
「…あら、ごめんなさい少し早かったかしら?」
聞いている者がうっとりするような鈴の様な涼やかな声で、女性は二人に話しかける。慌てて二人は首を振って、村岡の方が揉手で女性に近づいた。
「いえいえ、とんでもありませんもう開店ですし、あまりにお客様が美しいもので…」
青年は店長の口のうまさに内心舌を巻く。
「あら、どうもありがとう」
ふふふ、と品良く微笑んで女性は一歩奥へと進む。青年はその姿に見惚れた。
村岡の言葉は真実だった、金髪の縦ロールの髪形をした女性は小首を少しだけ傾けながら店長に微笑む。20代半ばくらいだろうが、その微笑みはまるで無垢な少女の様に柔らかで。形の良い唇に、髪の色と同じ穏やかな瞳が印象的だ。
「今日は何をお買い求めで?」
揉手のまま、村岡が上機嫌に微笑む。女性は人さし指を口にあて、そうねえと呟いた。その優雅な仕草を見て、何故か大野はあの「お得意さん」を想起する。ああ、似ているのだ、どこか、と思った。優美な姿もそのどことなく浮世離れした雰囲気も。
「――猫」
「猫?」
「白い猫が家に転がり込んできたのよ、それで餌を買いに来たの。おすすめなのはないかしら?」
「ああ、そうなんですか!なんという幸運な猫ちゃんですかねえ!うらやましい」
そう言って、揉手のまま、腕を軽く振り回す中年の男の姿は、可愛らしいエプロンも相まってなにやら滑稽でいてどこか笑いを誘う。女性は口に手をあてクスクスと笑った。
「面白いんですね」
女性の爽やかな笑みに二人は惹きこまれる。絶世の美女(お得意さんを二人はそう認識している)とまではいかないが、この金髪の女性は非常に優雅で、そして可愛らしかった。全身から女性的な優雅さが滲み出ており、その豊かな健康的な肢体も、女性の持つ清廉さで色目で見ることが憚れるほどである。店長とバイト生はまるで漫才コンビの様に両手を大げさに振り、中へどうぞとエスコートすると、女性は目を細めながら更に店の奥へと進んで行った。
***********
「ほむらちゃん、一体どうしちゃったの?」
鹿目まどかはおもわず、目の前の黒髪の友人に囁いた。喫茶店で何か冷たいものをと入って来たのはいいが、注文した後、すぐにほむらがテーブルに突っ伏したからだ。普段の彼女ならまずこんなことはしない。
「……寝不足で」
「え?」
艶のある声で囁くと、むっくり、と黒髪の美女は身体を起こした。テーブルに波の様に広がっていた黒髪がすう、と引いていく。ノースリーブの白のワンピースから伸びる細い白い腕が眩しい。気だるげに目を瞑り、はあ、とため息ひとつ。まどかはそんな黒髪の友人に見惚れる。中学時代からの友人である暁美ほむらはその頃から美しかったが、あれから10年、今では更に大人の魅力も加わり、ほむらはすっかり絶世の美女として成長していた。
「眠れないの?何か心配事?」
右手で軽く頭を抑える友人の姿を見て、桃色の髪の女性はひどく心配そうな表情で囁いた。それも当然かもしれない。その黒髪の美女の目の下にはうっすらとくまも見えているのだ。
どこか気だるげな艶香を醸し出しながら、ほむらはぼそりと呟いた。
「……あの人が」
「え?」
そうして、何か言い淀んだのか、口を閉ざし、そして再びはあ、とため息をついた。アメジストの瞳が一瞬揺らめいて、まどかの姿を捉える。
「そうね…まどかには…正直に言うわね」
そうして、少し自嘲的に口元を緩めながら囁く。
「う、うん、なあに?」
桃色の髪の女性は、心持ち身体を前のめりにして。
「夜寝かしてくれないの」
息が詰まったような変な声をあげながら、桃色の髪の女性が身体を跳ねあげて、テーブルが揺れる。その反動でコップの中の水が少し飛び出した。
「あ、ご、ごめんなさい!」
慌ててお手拭きでテーブルの水滴をふき取る桃色の髪の女性。その顔は微かに紅潮して。
ほむらはその様子をさも不思議そうに見上げて。
「…まどか?」
「う、うん大丈夫、大丈夫」
普段のおっとりした姿からは想像もつかない慌てぶりに、ほむらは首をかしげ、しばらく怪訝そうにじい、と猫の様にまどかを見つめる。対象となるものを見つめる時の彼女の癖だ。その時はまるで彫刻の様に微動だにしない。視線に気づき、更にまどかは赤くなる。
「ひゃっ、も、もうほむらちゃん恥ずかしいよ…」
「?何が恥ずかしいの?」
「そ、それは……」
まどかとてもう妙齢の女性だ、色恋に関して無知な訳ではない。むしろ彼女には「想い人」もいる。(ただそれを話題にすると、三人の均衡の取れた関係が崩れてしまいそうで避けているのだが。)
「ごめん、ごめん二人とも――」
と、爽やかな声がして、喫茶店のドアから蒼い髪の女性が二人に近づいてくる。美樹さやかだ。ボーダーのシャツにデニムのズボンという彼女らしいいつもの格好だ。
「まどか、ほら犯人よ」
頬杖をつきながら、ほむらが反対の手でさやかを指差す。その表情は気だるげながらもどことなく嬉しそうで。まどかはことさら頬を赤くして、テーブルの端でへらへらとしまらない笑顔を浮かべて突っ立っている蒼い髪の女性を見上げた。
「いやあ、非番なのになかなか帰れなくて……って、?どうしたのさ、まどか」
きょとんとさやかが桃色の髪の女性を見つめる。珍しく、幼馴染がほんの少しだけ不機嫌そうな表情でこちらを見ているのが新鮮で、さやかは思わず見つめてしまう。20代半ばになろうとしているにもかかわらず、この桃色の髪の幼馴染は未だ10代後半にしか見えないほどあどけない顔をしている。背中まで伸びた桃色の髪、淡い色のワンピースにカーディガン。そして――なんというか…可愛らしい。
――可愛らしい?
――うん
――殺すわよ?
「うわ!」
いきなり大声をあげて、さやかがきょときょととあたりを見回す。明るい光の射し込んでいる喫茶店にはまだ客も少ない。そうして、ハッ、といきなりなにかに気付いた様に頬杖をついているほむらを見つめた。
「わあ!」
再びさやかは声をあげる、今度のそれは「怯え」の声で。
そこには目を細め、天使の様に可愛らしく微笑んでいる黒髪の美女。どこからどうみても深窓のご令嬢だ。
「貴方、いい度胸してるのね?」
――こ、怖っ!
さやかは心で叫ぶ。幼馴染に見惚れたのを読まれたらしい。一瞬念話で話しかけられたのに気付かなかった。しかもこんな天使のような表情、今まで10年一緒にいて見たことも無い。
「?どうしたの二人とも…」
不機嫌さも一瞬で消し飛んだのか、まどかは逆に不安げに二人を見る。あら、とほむらは顔をあげ、まどかの方へ視線を向けると
「なんでもないわ」
と、これまたひとしきり可愛らしく微笑むものだから、ちょっとだけさやかはむっ、として。だが、黒髪の美女が、一瞬こちらをぎろりと三白眼で睨むと、さやかはしゅん、とおとなしくなった。ふん、とほむらがそっぽを向きながら、身体をずらし一人分の空間を作ると、さも当たり前の様にポン、ポン、とソファを叩く。さやかもまた当たり前の様にそこに座る。まどかは愛犬のモカを何故か思い出し口元を緩める。
「フフフ、仲いいね、二人とも」
「全然よ」
「ひど!」
思わずまどかは吹き出した。
週末の朝早くから、三人はショッピングモールに買い物に来ていた。中学・高校時代からは考えられないことだ、とほむらは思う。
共通の秘密を共有しているほむらとさやかは、少女時代はまったく余裕がなく、秘密を保持するのに必死で、ただただ、まどかを遠ざけ続けた。だが大学生になった頃から成長して余裕が出てきたのか、交流を再開し、大人になった今では昔からそうだったかのように、このように三人一緒に行動することがあるのだ。
――大人になるということはこういうことだろうか?
注文したアイスティーのグラスを手に取りながら、ほむらは桃色の髪の女性を見つめる。美味しそうにオレンジジュースを飲んでいる。ふ、と口元を緩めるほむら。少女の頃は彼女の顔を見つめるだけでも眩しく感じたものだ。憧れ、羨望、尊敬、そして愛情――全ての感情は彼女にだけ注がれ、そして世界も彼女のためだけのものだった。しかし――
「ちょっと、さやかちゃん、まだ決めてないの?」
まどかの声で、ハッ、とほむらは自分の右隣に視線を向ける。蒼い髪の女性がメニューを必死に見つめていて。えへへ、と困ったように幼馴染に視線を向ける。はあ、とほむらはため息をついて。
「この人優柔不断なのよ」
「へ、あ、ちょっと…」
そう言って、さやかからメニューを取りあげると、ほむらは数秒ほどちらりと見やり、優雅に手をあげて店員を呼んだ。そうして店員に二つ、三つ、オーダーをかける。きょとんとその様子をお間抜けに見ている相方をじろりと睨むと、ほむらはややぶっきらぼうに囁いた。
「…貴方、食事もまだなんでしょう?適当に頼んでおいたわ」
「あ、ありがとう」
えへへ、としまらない笑いを浮かべながらお礼を言うものだから、ついほむらは相方の額を叩きたくなる衝動にかられる。まったく――
「――まったく世話の焼ける犬だわ」
「ひど!」
はいはい、と肩をすくめ、ほむらは右手を宙でひらひらと動かす。どうやらさやかの頭を撫でているのを表現しているようだ。10年も経つと悪魔もこのように感情表現が豊かになるのだ。
――世界は広がった
ほむらはそう思っている。それもこれも、「こいつ」のせいだ、と、右隣でのうのうと注文した食事を待っている蒼い髪の女性をほむらは一瞥した。なんで受け入れてしまったのか――いつも考える、答えはもうわかっているのに、それでも。こんなありふれた、でも幸せな時間の時、部屋で一緒に過ごす時、そして実際に受け入れている時にも。常に考えてしまうのだ。
守るべき対象は変わっていない、愛すべきものも。だが――
「あ、注文来た」
大人らしからぬ挙動で、食事が来たことを喜ぶさやか。
――手離したくない
そう思ってしまうのだ。
* * *
それからしばし談笑が続いた。話題はまどかの家族の事、仕事の近況などで。まどかは短大を出て幼稚園の先生になった。まどからしい、とほむらもさやかも思っている。仕事は順調らしく、同じ職場の先生とも仲良くやっているようだ。確か中年の人の良い感じの女性だった、と二人は記憶している。
「ねえ、さやかちゃんはお仕事どう?最近異動になったんだよね?」
「え、うん、なんかさりげなく異動になってねえ…」
「でも本部勤務ってすごいね、出世?」
「いやいや、違うわよ、全然。今度は交番勤務にして欲しいくらいよ」
そう言っておどけた様子でへへへ、とさやかは笑った。さすがだ、とほむらは相方の様子を見て思う。蒼い髪の相方は先月、○○署の刑事課から本部の公安へ異動した。二人の予想よりも遥かに公安は過酷なもので。人知を超越した魔法少女や魔法の世界を知っている二人でも、特に悪魔と化したほむらでも、人の作りだす組織の暗部がいかに恐ろしいものかを痛感させられている。だが、相方はそんな様子を日常ではおくびにも出さない。そこは彼女の優れたところであり、美徳であるとほむらは素直に思った。そうして、相方の苦しみを取り除けるのは自分だけなのだと微かに、ほんの微かにだが誇らしく思った。
「へえ、そうなんだ…ほむらちゃんは?お仕事…やっぱりしないの?」
「ええ、する気は無いわ、というよりもう就職しているもの」
「え?」
「わあ!」
まどかが首をかしげるのと、さやかが慌てて中腰になりほむらの口を抑えるのは同時だった。あまりの突然の行為に、口を抑えられたほむらが珍しく驚きの表情を浮かべる。
「ち、ちがうのよ、まどか、こいつは…いや、ほ、ほむらは仕事というより…その」
「?」
支離滅裂な言動のさやかをやや困惑気味に見つめるまどか。口を抑えられながら、目だけでじろりとさやかを睨むほむら。そうして右手をさやかの手に被せると、常人の数倍の力で思いっきり握った。
「あいたたた!痛い痛い!」
はじかれたようにほむらの口から手を離すさやか。眉を曲げ、目を瞑りながらほむらは自分の唇を指で数回なぞるように拭いた。
「……内緒よ」
「え?」
「今は内緒、いつかまどかには教えるわ」
「そう?ふふ、じゃあ楽しみにしてる」
そうして二人微笑み合う。その横で手を抑えながら身をよじっている蒼い髪の女性を余所に。そうして、思い出したようにまどかが両手を合わせて叩いた。
「あ、そうだ、ねえほむらちゃん、この後、ちょっとペットショップに寄らない?モカのリードがだいぶすり減ってきているから、新しいのを買いたいの」
「あら、もちろんいいわよ、そうねえ、私も――」
と、ほむらは隣の相方をちらりと見て、
「首輪を買わなきゃいけないし――」
「ちょっと、今私を見たでしょ!」
「あ、そうだね、絶対必要だよ」
「まどかまで!」
えへへ、とまどかは可愛く笑って、そうしてさやかに向かって、ぺろと舌を出す。時折この幼馴染も蒼い髪の女性をからかうのだ。仕事で留守の時に二人で協定でも結んでいるのだろうか?とさやかはふと思った。
「それじゃ、さやかも食べ終えたし、そろそろ行きましょうか?はい」
ほむらは優雅に立ち上がりながら、レシートを当たり前の様にさやかに渡す。
「へ?」
「貴方の奢り」
「そんな、いいよほむらちゃん、私ちゃんと払うから」
「いいのよ、まどかの分は私がいつでも奢るわ、そして私の分はこの人がいつも奢っているから、そうしたら結局さやかが全部払うことになるでしょ?」
ね?と、悪魔だというのに天使の様に可愛らしい笑みを浮かべながら、ほむらはさやかを見つめた。ひきつったような笑みを浮かべるさやか。
――こ、この鬼嫁!
そう心で叫んでしまう。幸い今度は心を読まれなかったようだった。
**********
「いやあ、お客様お目が高いですねえ!」
金髪の女性が手にしたキャットフードの缶詰を村岡が褒めたたえる。あら、そう?と女性は少し困ったように微笑んだ。
「皆買いそうなものだけど…」
「いやいや、なかなかこの缶詰を最初に選ばれる方はいないですよ、なあ?」
そう言って中年の店長は、バイト生に話しかける。朴訥な青年はただこくこくと頷くばかりで。フフフ、と女性は笑って。店長を見つめる。
「面白い方ね、いいわ、それを5個頂戴」
* * *
――カランカラン、と店のドアのベルが鳴った。
「あ、いらっしゃいませ」
バイト生が店に入って来た三人組の女性に声をかける。そうして数秒遅れて、わ、と驚きの声をあげて店の奥に駆けて行った。持っていたドッグフードの袋を落としたまま。不思議そうに小首をかしげるまどかと、特に何も感じてないほむら、そしてさやかは訝しげな表情を浮かべバイト生の背中を視線で追う。
――なんなのよ、ここのバイト生は!
そう、以前ほむらとこの店に来た時、さやかは散々な目にあっている。妙にガン見してくるバイト生と、揉み手で黒髪の相方に接待する、営業力の高い店長、最後はさやかをワンコ扱いして、ほむらを含め、三人で「さやか用」のペット商品を楽しげに探し出したのだ。
「おおお、暁美さま!いらっしゃいませ!」
すごい勢いで店の奥から中年の男がこちらに向かってくる。いつもの可愛らしい犬の絵のついたエプロンを着たまま。「様?」とさやかが呟く。まどかの方は驚いたのだろう、いつの間にかさやかの背後に隠れていた。
「あら、ご無沙汰してるわね」
「いやあ、お久しぶりです、相変わらず美しいですなあ!」
揉手でさも嬉しそうにスマイルを浮かべる中年男性。先ほどのバイト生はその横で頭を抑えていた。
「ああ、そこのお二人もいらっしゃいませ!」
村岡は丁寧にお辞儀をし、そしてまた語りだす。目はまるで少女マンガの様に輝いて。
「あれから新商品をたくさん仕入れてまして、是非、暁美さまにご購入を――」
「ねえ、さやかちゃん、ここの店の人って…」
さやかの背後でまどかが尋ねる。ああ、とさやかが苦笑しながら囁く。
「…そう、ほむらの大ファンみたいなのよ、ものすごいお得意さんになってるみたい」
「そう…なの?なんか、すごいね」
「ほんとに」
中年の男に接待されているほむらは、なんだか超セレブなお嬢様のようで、さやかはなぜか面白くない。と、視線を感じたのでその方向を見るとバイト生がこちらをまたガン見していた。む、と睨み返すさやか。バイト生はまた慌てて缶詰を落としながら視線を逸らした。
――何、ここのバイト生、むかつくわ!
さやかの心の叫びを余所に、大野は悩んでいた。以前、お得意さんがこの店に来たとき「蒼い犬を飼っている」といって、あの蒼い髪の女性を連れてきていたのはしっかり憶えている。
『ねえ、この缶詰、人間でも食べれるの?』
そう言って、ドッグフードを手に取る美しい黒髪の女性。
『もうちょっと、大きい服ないかしら?そう、人間が着れるような…』
そう言って、マリーン柄のドッグウェアを手に取る美しい黒髪の女性。
『もうちょっと大きなお部屋ないのかしら?そう人間が入れるような…』
そう言って、ドッグハウスの屋根に手を置く美しい黒髪の女性。
あわわ…と大野は慌てる。そうなのだ、あの美しい女性はきっと、人間を飼っているに違いない、目の前の蒼い髪の女性を。だとしたら、その後ろにいる桃色の髪の女性は…?バイト生は桃色の髪の女性のことを憶えていた。時折レトリバーを連れて買い物に来たことがある。この世のものとは思えないほどの美人というわけではないが、非常に可愛らしいのだ。まるで周りの空気すら温かくなるような、心地よい空気を持っている可愛い女性。それが大野の第一印象だった。その女性が今、お得意さんと、蒼い髪の女性と一緒に店に来ている。一体この三人の関係はなんなんだろう…?想像するだけで恐ろしいが、だが、考えずにはいられない。一人悶々としているバイト生を余所に、店の奥では村岡の接待が続いていた。
「いやあ、さすが暁美さまお目が高い!」
「それ、誰にも言っているんじゃないの?」
首輪を手にしながら、ほむらは中年の男に囁く。その魔性めいた表情に心を打ち抜かれたのか、両手で心臓を抑え、村岡はまさにそのようなリアクションをして、叫んだ。
「いやいや、そんなことはありません!決して、いや…すみません、今日実は美しい客人が参りましたので、少し…あ、いやいやいや!暁美さまよりお美しい方はいらっしゃいませんが…」
こいつ逮捕してやろうか?と、さやかは思った。
「金髪の、優雅な女性でして、ああ、どこか暁美さまに雰囲気が似てましてねえ」
一瞬、ほむらとさやかの表情が強張った。
「ついさきほどキャットフードを購入してお帰りになりましたが、ちょうど入れ違いでしたねえ、ああ、もし一同に会していたら、この店も華やいでいたでしょうなあ」
ペラペラといい気になって喋りまくる店長を余所に、ほむらとさやかは視線を交わす。さやかはまどかの肩に手をやると、「ちょっと、他の店見てくるわ」と囁き店を出た。
* * *
見滝原のショッピングモールはかなり広い、さやかは少し慌てた様子で周囲を見回すが、特に金髪の女性らしき人物は見当たらない。ふう、と息を吐く。そうしてしばらくモール内を歩き回るが、結局何も情報は得られないままペットショップへ戻っていった。
「あ、さやかちゃん、見て見て!」
店内ではほむらとまどかがさも楽しそうに、首輪とリードを持ってはしゃいでいる。まるで姉妹のようだ。さやかもつられて笑みを浮かべた。だがその足元を見て笑顔がひきつる。そこには大量の袋。そして嬉しそうに揉み手の店長。
「あら、おかえりなさい、ほら、貴方のためにいっぱい買ったわよ」
天使の様な(悪魔だが)微笑みを浮かべる黒髪の美女。そしてその横で文字通り女神の様な幼馴染の笑顔。
「さやかの奢りね?」
そうして、蒼い髪の女性に悪魔は優しく微笑みかけるのだ。
* * *
「楽しかったね」
「そうね」
嬉しそうなまどかの表情に、ほむらもつられて微笑む。午後の昼下がりようやく買い物を終えた三人は、帰途につくことにした。午後からまどかは幼稚園の先生同士で集まりがあるらしい。途中の三差路から、まどかがそれじゃあ、と別れの挨拶を交わす。
「また、遊びに行こうね、ほむらちゃん、さやかちゃん」
「ええ、そうね」
「もちろんよ」
と、まどかがさやかを見つめる。
「あのね、さやかちゃん…」
「何、まどか」
そうして意味ありげな表情で囁いた。
「ほむらちゃんをちゃんと寝かせてあげないとダメだよ?」
* * * *
「まったくう、なんてことまどかに言うのよ…」
「あら、真実だもの?悪い?」
「それは…」
まどかと別れた後、さやかが顔を真っ赤にして愚痴る、それを涼しい顔で受け流すほむら。それはどことなく痴話げんかの様で。
フフフと笑ってほむらがさやかにもたれる。もう、と言ってさやかもそれきり口を閉ざす。そのまま寄り添うようにして二人は歩き出した。
昼下がりの街並みを眺めながら、ゆっくりと歩く二人、ふと、ほむらが口を開いた。
「巴マミ…」
「…よね、きっと」
さやかが応じる。そうなのだ、おそらくあのペットショップを訪れていたのは、かつての良き先輩であり、仲間である巴マミ。接触を避けてきたため、この数年、さやかは彼女とは会っていない。ほむらにいたってはこの世界においてマミはほとんど面識がないといっていいだろう。どうなっているだろうか、彼女は、そして、かつて円環の理にいた頃常に一緒にいた少女は?さやかはふと気になった。
「…気になる?」
心を読んだのだろう、ほむらが聞いた。さやかはうん、と頷いて。
「気にならないわけがないわ、ただ、正直、今接触していいのかはわからない」
「そうね、接触は避けた方がいいわ、でも…」
ほむらが言い淀んだ、珍しいとさやかは思った。
「どうしたの?」
「彼女、猫を飼っていたかしら?」
「へ?」
意味がわからず、さやかは相方を見つめる。腕にもたれかかっている黒髪の女性は少し険しい顔をして。だがさやかがこちらを見ていることに気付くと、はあ、とため息をついた。
「…相変わらず鈍感だわ」
「へ、ひど!」
さやかの反応に、ほむらはフフフ、と笑い、話題を変えた。
「ねえ、まどかが言ってたこと今日は実行するつもり?」
「え?」
――ほむらちゃんをちゃんと寝かせてあげないとダメだよ?
あ…とさやかはお間抜けに口を開ける。
「どうするの?」
小悪魔の様に微笑むほむら。その表情にむっ、ときたのかさやかはその顔に自分の顔を押し付けて。
「―――」
「――――」
はあ、と口を離すと二人の悩ましげな声が漏れる。
「ここ路上よ?」
そう言いながら、嬉しそうに目を細める黒髪の女性と、顔を赤くする蒼い髪の女性。
「関係ないわ、それに――」
そう言って、さやかはほむらの耳元に口を寄せた。そうして何事か囁く。それはほむらの心をくすぐらせる台詞で。
「いいわよ」
そうほむらは囁いた。そう、この相方ならそう言ってくれるだろう、そう思っていた言葉を今、さやかは口にしたのだ。
――今日も眠らせないわ
翌日、またほむらは目の下にくまを作ることとなるが、それはまた別の話――。
END
だんだん甘々になってくるうちの大人ほむらさん…