時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集)   作:さんかく@

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笑う絵画

「ねえ、今日暇かしら」

 

朝、何気なく窓を見ながら暁美ほむらは、相方を見ることもなしに囁いた。

そのアメジストの目は考え深げに街を見下ろしている。長い黒髪が朝日に優しく照らされ、艶やかに輝いていた。

恐ろしいほどの美貌は珍しく朝の光で白日の元に晒されている。

 

「へ?ああ暇だけど、どうしたの?何、映画?」

 

コーヒーを飲みながら蒼い髪の女性が聞き返す。仕事明けの彼女は反動で家ではだらしない。跳ねた髪と、タンクトップのままの格好を見て、ほむらは口元を緩める。そういうほむらも白い肌の上にはキャミソール一枚を身につけているというだらしない格好であるが、お互いにもう相手に対して気兼ねはない。

 

「…違うわよ、それも魅力的なのだけど、一緒についてきてほしいところがあるの」

「へえ、珍しい、いいよもちろん行く」

 

はぐ、と行儀悪くパンを咥えもぐもぐと咀嚼する友人の傍に座ると、ほむらもコーヒーを飲み始めた。10年も経過すると互いの嗜好も知れてきて、影響しあい、もはや自分が元々それが好きだったのかも忘れてしまう程。以前はブラックで飲んでいたはずのコーヒーを今彼女は砂糖を入れて飲んでいる。そして蒼い髪の友人はブラックで飲んでいる。フフ、とアメジストの瞳を面白そうに揺らしながら、ほむらは友人を見つめる。

 

「ねえ、貴方は聞かないのね、さやか」

「何を?」

「私がこれからどこへ行こうとしているのか、貴方をどこへ連れて行くのか」

 

蒼い、どことなく海を思わせるようなゆったりとした瞳がほむらを捉える。一瞬何か言いたげな表情を浮かべたが、すぐに笑顔に変わる。

…ああ、まただ、とほむらは少しだけ不機嫌になる。さやかのこういう相手を心配させまいとする無駄なサービス精神が彼女は嫌いだった。それが自分には甘えて欲しいという感情の裏返しとは知らずに。

だが次のさやかの言葉でほむらの不機嫌は抹消された。

 

「だってさ、聞く必要ないじゃん」

「え?」

「どこだろうとさ、私はあんたについてくよ、そう言ったじゃん」

「……」

 

あまり人の好意を受けることに慣れていないほむらは、しばらく固まって、「そう」と呟くと押し黙った。それを見て、面白そうにからかうさやか。

 

「あれ?もしかして、ほむら照れてる?」

「…死にたいの」

 

カタカタとテーブルが揺れ、フォークがひとりでに動き出した。さやかの眼前でそれが止まる。思わず両手をあげてフリーズするさやか。

 

「…ごめんなさい」

「よろしい」

 

美貌の悪魔はにっこりと微笑むと、友人の跳ねた髪をくしゃくしゃと愛おしげに撫でた。

暁美ほむらは博学な人間だと、常に美樹さやかは思い知らされる。

もともとは病弱で病院にこもりがちだったせいか、本質は「純粋」でかつ「感受性が豊か」なのである。また常に孤独だったせいか、内向的でかつ、情報収集能力が高い。

ただ、自己分析が足りないというのが難点だが…しかしそれを差し引いてもあまりあるほどの知性の持ち主だ。

 

「久しぶりに、大学時代の恩師に会うの半年ぶりかしら」

「ああ、確か佐藤教授…化学の」

 

言葉を発する度に白い息が出る。思わず身を縮めるさやか。二人は外出用にと、さやかはダウンジャケット、ほむらはカジュアルなトレンチコートを着こなしているが、さすがにそれでも寒い。

 

意外にも…いや必然か、暁美ほむらは理系を専攻している。

彼女の人間性を進化させるには、文系でも良かったのではとさやかは思ったが、それは自分のフィルターだろうと考え直した。人間性の幅を広げるのに理系も文系も無い。しかも、なぜか化学は彼女にあっているとさやかは思った。

悪魔と化学というのは何やら親和性を感じる、これもゲーテあたりのせいだろうか。

 

「でも珍しい、あんたが人と会うのって…何か違和感」

「ひどい言いようね、でもまあ、貴方といる時よりも疲れないわ」

「わ、何それ!」

「ごめんなさい、冗談よ」

 

怒った?と上目遣いで体を寄せてくるほむらをさやかは睨む。たまに猫のように甘えてくるものだから、この黒髪の友人はやっかいだ。ため息をついて肩をすくめると、ほむらは一瞬さやかの腕をさすって、また体を離した。

…そもそもほむらが半年ぶりでもなんでも人と会うのが珍しいのだ、とさやかは思う。しかも相手が化学の教授なんてものだから、きっと分子の結合とかそういうことを話すのだろうか?…さやかが訝しがるとほむらは察知したよう「安心して」と囁いた。

 

「特に専攻のことを話すことなんてないの、彼女と話したのはマチスのことよ」

「マチス?うへえ、原色鮮やかな作品ですね、とかそんなもの?」

 

それはまったく専攻外の芸術系の話題であり、さやかは驚いた。

黒髪の友人は何故か美術史にも強かったのを思い出す。

 

「あんたって、ほんと幅広いわ…」

「…あら、貴方もよく知っているじゃない偉いわ」

 

いい子いい子とふざけて頭を撫でる動作をする。成長した悪魔は結構ユーモア精神に溢れていた。

 

「うわ、何よ、その高層ビルから見下ろしてる感じは!」

 

クスクスとほむらが笑う。更にさやかは何かを言おうとしたがやめた、

ほむらの恩師の邸宅に着いたからだ。

 

「久しぶりね暁美さん、それに美樹さんだったかしら?」

 

佐藤清子教授はあと少しで退官を迎える白髪の初老の女性だった。

小柄で温和な表情のこの女性を見ていると、さやかはとても化学という硬派な学問と結び付けて考えられない。そういうと、ほむらにまたジェンダーがなんたらと怒られるだろうが。

 

「お久しぶりです、教授…お変わりありませんか?」

「ええ、変わらないわ、貴女はまた更に美しくなっちゃって」

 

ほむらが余所行きの顔で対応するのを、さやかは横目で見ている、と、急に顔をしかめた。

ほむらの靴のかかとで足を踏まれたからだ。よく見ると、ほむらが横目でさやかを睨んでいた。

 

<――貴方もきちんと挨拶しなさい>

<わかってるわよ――>

 

意外と…と言っては変だが、暁美ほむらは人間生活になじんでいた。この10年で人間らしい振る舞いをすることが気に入ったのか、「演技」するように、相手に対し慇懃無礼に接することができる。内心では面白がって。もちろん、蒼い髪の友人に対しては演技も何もなく毒舌なままなのだが…。

ふと、さやかは大学時代、彼女に慇懃無礼に告白を断られ振られまくった数多くの男性を思い出した。

 

「あ、ああどうも、お久しぶりです、美樹です。アハハ、大学ではあまりお世話になってませんが、一般教養ではお世話になりました!」

 

かなりちぐはぐな挨拶である。はあ、とため息をつくほむらと、あらあらと初老の女性が笑い出すタイミングは同じだった。

 

「フフフ、相変わらず元気さんね、覚えているわよ、今は警察官でしたっけ、暁美さんがいつもしゃべってくれてるわよ」

「へえ、珍しい…」

「教授…」

 

顔を紅潮させてほむらが初老の女性に抗議する。珍しいとさやかは思った。こんな素直な人間暁美ほむらは見たことがない。少し気持ち悪いとは思ったがさすがに心を読まれるとやっかいなので、すぐに打ち消す。いや…もしかしたらこの初老の教授に黒髪の友人は、最愛の女性を重ねているのかもしれない。とさやかは思い直した。

 

「とりあえず、あがって頂戴なお茶でもしましょう?」

 

邸宅の居間へと続く廊下に明け放たれた扉があり、そこをさやかはつい覗いてしまい、感嘆の声をあげた。窓から柔らかい陽光を浴びて、無数の白いキャンバスが立てかけられていたからだ。

 

「うわ、すごいアトリエですね…」

「ええ、私のライフワークでもありますからね」

「へえ…すごいや」

 

*      *        *         *        *   

 

「…あの絵を見せてくれませんか?」

 

お茶を飲み、ひとしきり会話が弾んだ後、ほむらは本題に移った。

絵…?なんのことだろうとさやかは訝しがるが、当事者の間にむやみに入り込むこともできず黙り込む。

 

「ああ、やはりそうなのね…」

 

清子はため息をつく、堪忍したように。

カチャンと、カップを置く音がひとしきり大きく聞こえる。

 

「私はまだあの絵と向きあう勇気が無いのよ…」

「一年前、教授は私にあの絵を見せてくれました…どことなく私に似ていると」

「ええ」

 

一体なんのことだろう?とさやかの頭はフル回転する。

佐藤…佐藤…ああ、確かちょうど一年前に教授の夫は亡くなったはずだ、あれは事故死と認定されたはず。

 

「…すみません、もしかして、旦那さまの事故死と関係していることですか」

 

さやかは職業的に聞いたつもりはなかった。だが取り調べが自然と身についていたからか、丁寧に聞いたのが逆効果で詰問めいたことになった。初老の女性の瞳が動揺で揺れる。

不思議とほむらに責められはしなかった。

観念したように清子は項垂れた。そして二人に囁いた。

アトリエに行きましょう…と。

ひときわ大きな布の掛けられたキャンバスの前で三人は立っている。

 

「ほんとにあんたにそっくりなの…」

「…見たらわかるわ」

 

清子がおずおずと布をめくると、そこには黒い服の女性の肖像画があった。

 

「うわ」

 

ゾッとした。そこには黒々とした混沌とした背景の中に一人の女性の上半身が描かれている。構図はかの有名なモナリザと同様だが、その中の女性は口をきっと引き締めて、こちらを睨んでいる。長い黒髪と白い肌は確かに友人に似ている…と思った。

 

「…まあ、あんたほど綺麗ではないけど…似ているといわれれば少し…ね」

 

ビビったのを隠すためのアドリブで、さやかは軽口を叩く。軽口の内容で、ほむらが微かに頬を染めたのは奇跡的に誰も気付かない。

不自然だ…とさやかは思った。それは絵の中心にある傷だった。抉られたような傷がある。

 

「…なんの傷かしら」

「やっぱり」

 

さやかの疑問とほむらの納得が同時に起こる。ほむらは清子に向き直った。

 

「…教授、教授の夫が事故で亡くなったのはこの絵が原因ですね」

 

*      *      *       *

 

はじめは夫との口論から始まった。清子が…数年前に亡くなった親友の悲しみから立ち直れずに起きたすれ違いの積み重ねから起きた口論だった。

 

「…お前は、俺のことなんて何も見ていない、ずうっと、ずうっとその女のことばかりだ!」

夫は叫んだ。第三者から見ればくだらないと思われたかもしれない、しかし…清子とその親友はあまりにも密接に繋がり過ぎていた。

「お前は、魂のレベルまであの女と繋がっている、繋がりすぎているんだよ!」

狂ったように叫んで夫はナイフを持ってあのアトリエへ走る。そして――

 

*        *        *        *

 

「こんな風に、この絵を切ろうとしたんですね」

 

さやかがナイフを持ってその動きを模倣する。

黒い肖像画にナイフをかざす。

眼が、さやかを睨んだ。

 

「ッ…!」

 

背中に悪寒が走り、さやかはナイフを下ろす。

 

「そして、そのナイフがこの傷口通りの軌跡を描いて…自らの腹部に刺さった…というわけですか」

 

悪寒がまだ取れないまま、さやかが呟く。なるほど事故だ。だがしかし…

と、女の悲鳴が聞こえた。清子の声だ。

 

「あ!」

 

火の元はどこからか、絵画が発火していた。超常現象とも思えるほどの突飛さに誰も瞬時に判断できない。アトリエを燃やしつくす勢いのその火をさやかが鎮火したのは10分後だった。

 

*       *        *        

 

「…大丈夫かなあ、教授」

「大丈夫よ…すぐに立ち直るわ」

 

夜も更けた冷たい丘の上、二人はなんとはなしに月を見上げていた。

あれから…動揺した教授を宥め、隣人が通報した消防車に対応し、ようやく二人は自由の身に慣れたのだ。

 

「まあ、あんたのおかげでだいぶ教授も落ちついてたね」

「そうね」

 

アトリエは無事だが、あの絵は燃え尽きてしまった。

 

「…ねえ、最初からそのつもりで私を連れてったの?」

「……」

「一年前の事故死とあの絵の関係を確かめるために」

「…それだけじゃないわ」

 

美しい横顔に陰りを浮かべてほむらはぽつぽつと語りだした。

 

「あの絵は教授の親友だったのよ…もう何十年の付き合いのね」

「……」

「あの絵には教授の情念が籠っていたわ」

 

だから…と話しを続ける。

 

「…事故の話を聞いた時、きっとあの絵が関係していると…そう思ったの」

「あの絵を焼いたのもあんたね?」

「……」

「ま、私の管轄じゃないから、いーけど」

「さやか…」

 

さやかはほむらに微笑み、そして呟く。

 

「生きていたよ、あの絵…」

「ええ」

「睨んでた、私実は結構怖かったなあ」

 

まるでまどかとこの黒髪の友人のようだとさやかは思った。

ほむらの悲しみよりも深いこの愛情をまどかが受け入れたとしたら、あのような他者が入り込めない絶対的な空間が出来上がるのだろうか?私もあの夫のような目にあうのだろうか?それだとしたら少し寂しいとさやかは思った。

 

「私も…怖かった」

「え?」

 

意外…と呟いて、すぐにさやかは謝る。友人がすごく悲しそうな眼をしていたから。

 

「ねえ、私もあんな風になるのかしら?さやか」

「…」

「あんな風に、愛する人の周囲を傷つける存在になるのかしら?」

 

進化だった。

彼女は人間としても成長していた。

だからこそ、教授の悲しみの根源であるあの絵を焼いたのだろうか。自分と絵画を重ね、あんな風に思いつめてまで、大晦日に。

さやかの脳裏に、さきほど焼き尽くされる寸前の絵画の女性が浮かび上がる。

燃え尽きる瞬間、確かにあの肖像の女性は笑っていたのだ。解放される喜びで。

 

「あの絵の人ね、笑ってたよ、やっと解放されるって」

「さやか…」

「だから、あんたのやったことは正しいんだと思う」

 

そうして、縋るように見上げてくる黒髪の友人を優しく見下ろす。そっと、さやかはほむらの手を握って囁いた。吐く息が白い。

 

「大丈夫だよ…あんたはそうならない」

「どうしてそう言えるの?」

 

ん~と…と困ったように空を見上げて、そしてニコと笑う。

 

「まどかはあんな絵描かないでしょ?」

「…馬鹿」

 

ほむらも笑って手を握り返す。そして今度は夜景を見下ろした。

 

「もうすぐ新年だよ」

「そうね…」

 

自分達はこれから何回この節目を迎えるのだろう?永遠とも近い時をこれから過ごすのだ、しかし、一人じゃない。傍らにはこんな面白い悪魔もいる。

 

「ねえほむら」

「何?」

 

おめでとう、とさやかはにこやかに囁いた。

悪魔はただ、微笑んで、目を瞑り、友人にもたれかかった。

 

 

 

END

 

 




余談的なあとがき…

元ネタはオーソンウエルズの「グレートミステリー」です。
その中の肖像画の話。
たまに短編で怖い話がありますが、古典や海外の話はすごく面白いし、興味が尽きません。
ifですが、大人になったさやかとほむらの世界観はかなり違うものになると思います。
さやかが警察官で法執行の公安系の世界を生きるなら、ほむらは絵画をはじめとする古典的な人間が本来持っている芸術や超常現象の世界を生きるのかもしれません。この二人が生活を共にし、魔獣という敵と共闘しているのですから、
世界は広く万華鏡のように面白いものなのです。(もちろん時には残酷で悲惨ですが)
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