時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
見滝原市から約100㎞離れた山村に、その男は別荘を構えていた。
空気もよく、緑豊かな場所には、数軒別荘が立ち並んでおり、時折隣人同士で話に花が咲くこともある。それで得た情報では、隣の別荘の所有者は去年事故で亡くなったということと、今は配偶者であった初老の女性が数カ月ほどここで過ごすということだ。初老の女性はどこかの国立大の教授らしい。とても知的な女性であったと、男は思い出す。
初夏になり、木々も茂り、景色が緑に覆われると、男はよく散歩に出かけるようになった。妻はあまり外に出たがらないので、「置いて」いった。
森の中はいい――と男は思う。聞えるのは鳥のさえずりだけ、人間の声なんて聞えやしない、最高だ。
カサリ、と音がした。男ははっ、と音の方向へ視線を向ける。
黒服の女がいた。一瞬喪服かと思ったが、黒のワンピースに身を包んだ、長い黒髪の女性がいる。このような森の中に妙齢の女性がいること自体、ある意味不自然なのだが、更にその女性が「恐ろしいほど美しい」となると尋常でない。
「…誰だ」
自分でも驚くほどのしゃがれた声で男は女を誰何した。
「誰でもないわ」
ぞっとするほどの艶のある声。長い黒髪から白磁のような白い肌が見え、そうして、アメジストの瞳が男を捉えた。射る様な視線に男の全身が震えた。
「あなたには特になにも興味は無いのだけれど…」
そう囁きながら、黒髪の女性は男に近づく。その左耳のイヤリングが妖しい光りを放った。
「私の恩人に危害をおよぼすのなら、「消去」するしかないわ」
「…何を言っているんだ?」
「わかるのよ」
私はね――とそう囁いて左手を男の前にかざす。
その左手に幾何学模様の光りが浮かんでくると、男の顔が歪んだ。
「…オマエ…ダレダ?」
男の唇の色は剥げ落ち、口がVの字に歪む。その口元から伸びる犬歯。
「悪魔よ」
「バカナ…オマエガアク」
次の瞬間、天から光りが落ち男に振りかかる。そして響く雷の様な轟音。一瞬にして、男は黒い炭と変わった。さらさらと風に流されていき、男の姿はもうどこにもない。
「…もう片付けたの?」
林の中から、ワイシャツにデニムの格好の蒼い髪の女性が現れる。手には西洋風の剣。おもちゃではないので警察がその場にいれば銃刀法違反になるのだが、あいにくその場には当の本人以外に警察官はいない。黒髪の女性は彼女を見つめると、「ええ」と呟いた。
「そっちはどうだったの?さやか」
「死んでたわ、女の方は…あいつの妻だったのかしら?」
「違うわ…」
そう囁いて、黒髪の女性は空を見上げる。男が風に流されていった方向。
「かつて夫だった男の皮を被っていた「人外」よ、女は夫だと信じていた者に殺された」
「…魔獣?」
「いいえ、魔獣ではない…それ以外の「魔なる者」」
「そう…あんたには見えるんだよね」
蒼い髪の女性――美樹さやかは、相方を心配そうに見つめる。悪魔と化した相方は、この世の魔なる者を全て可視することができるのだ。
「ええ、それでわかったこともあるわ」
「何?」
「この世の悪は魔獣だけではないってこと…数え切れないほどの魔なる者が存在しているわ、そして」
「そして?」
「悪魔は私だけじゃない」
「…え?」
さやかは続きを催促するように、黒髪の女性のアメジストの瞳を見つめるが、美しい女性は答えない。しばらく見つめ合う二人。ふ、と黒髪の女性が口元を緩めた。
「だめよ、そう簡単には教えないわ」
「ひど!」
くすくすと笑って、黒髪の女性はさやかに背を向ける。背を向けた瞬間、左耳のイヤリングが光る。
「それで?女の死体はどうするの?さやか」
「警察に届けるわ、それが一番いい。あの魔なる者の仕業でしょうけど、遺体の損傷が激しすぎる。私達が泊っている所にも聞き込みは来るでしょうけど、まず死因と凶器が特定されなければ、そんなに質問も受けないし問題は無いわ」
「さすがおまわりさん」
そう笑って黒髪の女性は林の中へと歩き出す。当たり前のようにその後ろについてくるさやか。そうして目の前の華奢な女性に声をかけた。
「ねえほむら」
「……何?」
「…あんた以外に悪魔がいるならさ…」
そう言って、さやかは口を閉ざす。
「…なあに、貴方またくだらないこと言いそうだわ」
ほむらはからかうように目を細め、後ろからついてくる自分よりも背の高い女性を見上げた。そうして、甘えるようにその身体に背中を預けた。さやかはその身体に手を伸ばし後ろから抱きしめる。林の中二人の女性は動きを止めて。
「……あんたを人に戻したい」
互いの息を感じるほどの距離でさやかがそう囁いた。
「……」
しばらく沈黙が続く。それは破ったのは悪魔の方。
「いやよ」
「へ?」
そうして、さやかの手を振りほどくと、身体を向かい合わせにして。
「私が人間に戻ったら、誰が貴方を飼って面倒みるの?」
「はあ?私犬じゃないって、な…」
唇が重なって、さやかは次の言葉が紡げなくなる。ほむらの柔らかい唇が、抗議しようとした「愛犬」の口をそれから長い間塞いで。
「………ん」
唇が離れた頃には、愛犬はかなりおとなしくなっていて、飼い主は満足そうに微笑む。
「私はね」
そうしてほむらは相方の口元に唇を寄せて囁いた。
「貴方を飼えるなら悪魔のままでいいわ」
愛犬はただもう何も言えず、頬を赤らめながら、乱暴に飼い主を抱きしめる。
「……乱暴ね」
そう嬉しそうに飼い主は囁いて、その身を委ねた――。
END