時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
これは二人が表面上、大学生として暮らしていた頃の話―-
暁美ほむらは買い物が好きである。
正確には自分が必要としているものを選別して購入する行為がと表現した方がいいかもしれない。美樹さやかがそれを認識したのは大学生の頃、ちょうど大学の売店で二人で買い物をしている時だった。
「ルーズリーフ?」
「そうよ」
なにやら誇らしげに黒髪の美女が頷くので、さやかは商品名を聞き違えたのかと一瞬思った。だが黒髪の美女―-暁美ほむらが手にしているのは明らかにルーズリーフで。
「てかそれサイズ小さくない?」
「私はこれをよく使うのよ」
ほむらが手にしているのはA5サイズの行幅の広いタイプだ。確かに講義を受けている時、彼女はよく小ぶりのバインダーを使用していることをさやかは思い出す。
「これって使いやすいの?」
性質なのだろう、さやかはついつい聞いてしまう。ほむらは形のいい眉を少しだけあげて、首をかしげた。
「もちろんよ…それにね」
ほむらは返事だけでなく、何故それを使用するかさやかに説明する。持ち運びの良さと、実験の際に机に置いてもスペースを取らないこと等。さやかはその説明に納得したのだろう、こくこくと何度もうなずく。
一見どこにでもあるような大学の友人同士の会話だが、彼女達を知る者がいたら(実際はある概念を除いて存在しないのだが)その風景を見て心底驚くだろう。かたや「悪魔」と化し世界を改変した女性と、かたや概念の「鞄持ち」から蘇生した人ならざる者である女性。二人はある特殊な事象による「確執」があったのだが、数年の時を経てその確執は薄れていった。いや、正確には「変化していった」と言った方がいいのだろうが。
「私もルーズリーフ買おうかなあ」
さやかが呟くと、ほむらが横目で蒼い髪の女性をちらりと見て囁いた。
「勝手にすれば?」
その言葉に反応して蒼い髪の女性が黒髪の女性に視線を向けると、そこには目を細めて微笑む悪魔がいて。さやかはそれから数秒間動けなくなってしまった。
二人の関係が変化したのは最近だが、特に悪魔の方はだいぶ変わったと言ってよかった―-。
*******
K大学の売店は特に広いスペースというわけではないが、学生に必要な最小限の生活用具が揃っていた。特に文房具類は文理系に対応できるような豊富な品ぞろいで、その一角にあるルーズリーフコーナーも種類が充実していた。電子媒体が当たり前になると、かえって紙媒体が重宝されるようだ。ほむらとさやかはそのコーナーにまだ佇んで、商品を物色していた。ほむらの方は先ほどと同じA5サイズのルーズリーフをもう1冊手に取ると小脇に抱え、横にいるほんの少しだけ背の高い蒼い髪の女性を見上げ、「貴方はどうするの?」と囁いた。
「ん~、そうねえ…あ、私これ好きかも」
さやかが手を伸ばし、五譜線のルーズリーフを取った。ほむらが体を寄せ、覗き込んでくる。「あの日」を境に二人のパーソナルスペースはだいぶ狭くなったらしい。
「……貴方音大でも受け直す気?」
五譜線のルーズリーフを見て、ほむらが怪訝そうに蒼い髪の女性に尋ねる。
「違うわよ、なんとなくカッコいいかなって」
「………」
「な、何よ」
暗い眼差しで無言で黒髪の女性が見上げるものだから、さやかは動揺する。陰鬱な表情でも美しいからこの悪魔はやっかいだ。
「……相変わらずね」
「な、何が?」
「バイオリンの君にお熱な処」
その瞬間、わかりやすいくらいさやかは動揺して。
「え、違うわよ、私はただ…」
「自覚が無いのなら、余計にやっかいね」
動揺する蒼い髪の女性を見つめながら、ほむらが冷笑する。久しぶりに見た悪魔の「らしい」笑み。そしてほむらは体をさやかから離し、背を向けるとレジへ向かう。
「ほむら?」
「先に行くわ」
「ちょっと待ってよ、ねえどうしたのさ…」
だがほむらはそれから何も答えず、支払いを済ませる。その横で怪訝そうな表情を浮かべるさやか。
「ねえ、ほむらあんた」
一瞬、ほむらはさやかの方をちらりと流し目で見つめ、微かに口を動かした。そして、忽然と消えた。
―時間操作だ。
「…まったく、なんなのよ」
さやかは肩をすくめながら、息を吐く。ようやくわだかまりが解けたと思ったが、勘違いだったのだろうか―-。さやかはふと視線を五譜線のルーズリーフに落とした。
―-上条恭介
かつて美樹さやかが淡い恋心を抱いていた少年。とはいってもこの世界では成人して世界的なバイオリニストとして成功している。そして志筑仁美と婚約していた。
「無意識か…」
さやかは呟く。正直、美樹さやかの心には上条恭介への恋慕は既に残っていない。それは昔円環の理である幼馴染に思いを吐露し昇華した所為か、それとも蘇生した者として新たに再生した所為かよくわからない。だが、美樹さやかは以前の「美樹さやか」とは違うということだけは本人も自覚していた。そもそも人を好きになるだの、愛するだのという感情が彼女は希薄なのだ。もっぱら関心事は魔獣の事や悪魔の事だった。
だが多元世界ではだいたい、想いは全くといっていいほど成就しないのだが、さやかは未来のバイオリニストに恋かあるいはそれに近い感情を抱いた。ここまで来るとかなりの因果にもなりそうなものだが、幸運にも上条恭介は魔法少女ではない。
「まあー…確かになんらかの影響は受けているってわけね」
さやかは一人呟いた。クラシックに人一倍興味を持つのも、このように使用するわけでもないのに五譜線のルーズリーフに手を伸ばすのもおそらくかの少年の影響だ。
――自覚が無いのなら余計にやっかいね
艶のある黒髪の女性の声がさやかの脳裏で響いた。さやかからすれば、悪魔がどういう意図でそんな言葉を吐いたのかは想像もつかないが、ただ、かつての過去の恋慕に影響され続けるさやかを疎ましく思ったのは確かだと感じた。五譜紙のルーズリーフを再び見つめ、さやかは逡巡する。
――どうして受け入れているのかしら
悪魔の声がまたさやかの脳裏に響く。
それは一週間前の記憶―強く繋がれた手と手、ほむらの鋭い視線と白い肌―。
――よりにもよって今、貴方を―美樹さやか
アメジストの瞳にさやかの姿が映し出され、瞼が閉じられその姿は消える。
そして二人は更に強く手を握り合った。
微かに頬を赤らめたさやかが、売店の天井へ視線を向ける。あれから互いに「あの日」の事には全く触れず、何事も無かったように過ごしてきた。その方が都合がいいし、また深く考えたくなかったからだ。だが、どこかでやはり意識はしているのだろう、先ほどの様に不可解な行動をとられるだけで、さやかの心の中は悪魔の事でいっぱいになる。
「もう…」
そうしてふと、偶然か必然か、さやかの脳裏にさきほど姿を消した瞬間のほむらが浮かんだ。微かに口を動かしていたその美しい横顔を。
――-馬鹿
彼女は確かにそう言っていたのだ。
********
その日は特に魔獣退治もなく、二人は帰路についた。いつもの様に夕食を二人で準備し、食事をする。違うのは会話が一切無いことだけで。その気まずい(少なくともさやかは)沈黙を破ったのはさやかだった。
「あのさ、ほむら」
「………何」
ようやくぽつりとほむらが返事をする。一緒に住み始めた頃もこうだった事をさやかは思い出した。
「あのルーズリーフさ、買うのやめたわ」
「そう」
「でさ、あんたと同じのにしたわ」
「どうして?」
フォークの手を止め、ほむらは冷たくさやかを見つめる。だがその目を見てさやかはほむらが感情を押し殺していることに気づき安堵する。無関心よりその方が断然いいからだ。
「音大なんて行くわけでもないし、使用しないものを買う必要ないでしょ?それに」
「それに?」
「大昔の事にひきずられるより、あんたと同じものを使った方がいいかなって」
「どうして?」
「どうしてって…」
さやかは困ったようにほむらから視線を逸らす。まだ黒髪の女性に対する感情をさやか自身うまく纏められていないのだ。だがさやかは考える前に行動する性質で、口から出たのは今言える精一杯の言葉だった。
「あんたと一緒の方がいい、てか、あんたと同じものがいいと私が思ったのよ。ああ、もううまく言えないけど、同じ.…」
くすくすと笑い声が聞こえ、さやかが顔をあげると、そこには肩を震わせる悪魔がいて。
「ちょっとぉ…何笑っているのよ、人が真剣に」
「あら、同じ同じって語彙力の低下が著しいわよ、鞄持ちさん?」
「だってそれは…」
確かに語彙力が低下しているのはさやかも自覚していた。だがどうしようも無いのだ、この「感情」をうまく言い表せる言葉が今のさやかには浮かばない。だが悪魔の方はだいぶ機嫌が良くなったようで。
「まあ、仕方ないわね…犬にしては上出来だわ」
「犬って、こら…ちょっと!」
蒼い髪の女性の頭の上に白い手が置かれた。まるで抗議し始めた犬をいさめる飼い主の様に。
「よしよし」
「ってこら、やめてよ!」
さも楽しそうに笑う悪魔と嫌がる鞄持ち。しばらくは先ほどの事がまるで嘘のように二人はじゃれ合った。そうしてしばらくしてから食事を終え、どちらともなく立ち上がると窓辺へ歩み寄る。二言三言、どうでもいいような会話をした後、すぐに沈黙が訪れた。だがそれは先ほどとは違う心地よい沈黙で。
「ねえ」
沈黙を破ったのは今度は悪魔の方だった。
「何?」
さやかが聞き返す。お互いに目と目が合って。
「何日経ったかしら」
「何日って…あ」
さやかが口を開いたまま呆けた様な表情を浮かべる。それはきっと「あの日」から換算した日のことで。
それから二人は互いに言葉を発することができなくなる。成人して昔よりも語彙も増え、表現力も増したというのに、「あの日」の事だけはうまく言葉にならない。それはきっとあの日起きた出来事が、全く想像もつかない、説明のつかない突発的事案―交接だったからで。
二人はただ黙ったまま、どちらともなく手を伸ばした。ぎこちなく繋がる手。
今日が二回目ね―悪魔が小さくとても小さく囁くのと、鞄持ちが照れた様に目を伏せるのは同時だった。
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K大学の売店は週末ということもあってか、学生が多かった。売店の入り口で途方に暮れたように立ちすくむさやかとほむら。
「あら~だいぶ多いわね、どうする?週明けにでも寄る?」
「嫌よ、絶対に今日買うわ」
まるで子供の様に意地をはり、美しい悪魔はすたすたと店内に分け入る。肩をすくめそのあとをついていくさやか。向かうのは、文房具コーナーで。
「ねえほむら、今日は何を買うのさ?」
「バインダー」
「へえ…」
そうしてほむらは目当ての品を求め、物色を始めた。その横顔を目を細めて眺めるさやか。
「…何盗み見しているのかしら」
目はバインダーに向けたまま、ほむらが囁く。
「ああ、なんだか今のあんた見てると悪魔っぽくないなあって」
「馴れなれしいわね」
「あ、ごめん」
「馬鹿ね、冗談よ」
そう言うと、ほむらはさやかの方へ顔を向けた。その顔は微笑んでいて。思わず見とれるさやか。するとほむらはからかうように囁いた。
「あら…発情した?」
「ちょ!」
さやかの顔が一気に赤くなる。と、すぐさまほむらの左手がさやかの右手を掴んで。キインと金属音と同時に周囲から音が消える。時間停止だ。
「もう…からかわないでよ!」
「あら、私は本気よ?」
さやかの抗議に対し、肩を震わせながら、ほむらが囁く。慌てたさやかの様子がよほど可笑しかったらしい。
「こうやって、慌てる貴方を見られたくないから、時間だって止めてあげてるわけだし」
「そ、それはありがとう・・・てかっ、それ嘘でしょ!あんた顔、超笑ってるわよ!」
さやかの言葉で更にほむらが肩を震わせる。こんなに悪魔が楽しげに笑うのはとても珍しいことだった。むかつくわ、と言いながらも、さやかも嬉しそうで。
二回目を迎えて、二人の関係は更にほんの少し変化して。
「ねえほむら」
「何?」
さやかがほむらの耳元に口を寄せて何か囁いた。珍しく悪魔が顔を赤らめて。
三回目の日もまた、もうすぐ来そうだね―-
そして互いにそれはもう感じていたことだった。
END