時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
雨の降る気配は全くなかったのに、「唐突」という言葉が似合うタイミングで透き通った空にひと固まりの黒い雲が現れた。空を見上げている美しい悪魔の頬に雨粒があたり白い頬からその唇へと水滴が滴り落ちた。
「わ、天気予報では晴れだったのに!ほら、雨宿りするわよほむら」
傍にいる蒼い髪の女性が悪魔の白い手を乱暴に掴んだ。粗雑な扱いを受容して、なすがままに元鞄持ちに店の軒先まで引きずりこまれると、悪魔は美しい容貌をわずかに曇らせ囁いた。
「雑だわ」
「へ、何が?」
「私の扱いが」
きょとんと不思議そうに蒼い髪の女性―-美樹さやかは雨で少し濡れた美しい悪魔を見下ろすと、あ、と声を出して、また一瞬呆けた様な顔をしてからごめん、と呟いた。悪魔の口元が僅かに緩んだ。優雅な仕草で肩をすくめると、右手首をさすりながら非難の眼差しを横目でさやかに向ける。
「かよわい手が折れたかも…」
「何よそれ、突っ込みどころ満載よ!」
「あらそう?」
くっくっとさも楽しそうに悪魔―-暁美ほむらは笑った。もちろん冗談だ。
長く共にいることで知ったのだが、この元鞄持ちはお笑いの適性がある。ほむらは目を細めてさやかを見上げる。あのころの面影を残したまま彼女は美しく成長していた。だがそれを口にすると、大抵「あんたはもっと綺麗よ」とぶっきらぼうに返されるのでここでは口をつぐむ。奇妙なことだが、さやかの言葉は時折ほむらを落ち着かなくさせるのだ。ほむらは視線を空へ向ける。無数の雨粒がこちらに向かっていた。さやかもつられて空を見上げる。しばらく二人とも黙ったままそうしていた。
あれから10年経った―-。ほむらは視線を雨から隣人へ移す。蒼い髪の女性はまだ空を見上げていた。
―-お間抜けね
美しいがどこか間の抜けた隣人の横顔を見つめながら悪魔は口元を緩める。まどか以外の存在を気にかけることなど以前の悪魔には考えられなかったことだ。年月がそうさせたのか、それとも相性か、それは悪魔にもわからなかった、ただ「魔がさした」のだろうと考えている。魔がさして彼女を受け入れてしまった時からこうなる運命だったのだと。
「さやか」
囁く程度の声でも名前を呼ぶとすぐに反応してこちらを向いた。髪の色と同じ蒼い瞳がこちらを捉えているのを確認すると、ほむらは目を細めた。これが「心地よい」ということなのだと認識したのはごく最近のことだ。
「どうしたの?」
そう言って覗き込んでくる瞳に己が映っていることを確認してから、なんでもないという代わりにほむらは首を振る。さやかは首をかしげ、しばらくしてから「まったくもう…」と呟いた。特に機嫌を損ねた様子はない、二人の間ではよくあることだった。
―-これから先はどうなるのだろう?
ふとほむらは思った。最近よくあるのだ、例えば魔獣を駆逐した後美しい夕焼けを目の当たりにした時―-あるいは帰り道闇の中輝く半月を見た時―-そして雨宿りしながらこうして空を見ている時―-ふとした瞬間に未来へ想いを馳せてしまうことが。そしてそんな時はいつもこうして傍には元鞄持ちがいて。
―-私はこの人とどうなっていくのだろう?
今までこれからの事に興味を持つことは全く無かった。ただまどかを幸せにすることができればそれでいいと。
「ほむら?」
だが、今は違う。蒼い瞳が再び自分を捉えていることに気づき、ほむらはアメジストの瞳で隣人を捉えた。あの日、あの瞬間から悪魔の中にいきなり居座りこんだこの間抜けな鞄持ちを。
―-どうなりたいのだろう?
気がつくと、さやかがほむらの白い手を強く握っていた。
「ずっといるわ、あんたと」
だから大丈夫、とさやかが囁いた。欲しかった言葉。ふう、とほむらの口からため息が漏れる。
―-いつの間にこの生意気な鞄持ちは悪魔の気持を読めるようになったのだろう?
ほむらは眉をしかめさやかを睨みあげる。そうして悪態をつくように言葉を紡ぐ。
「当然よ、いちいち言葉にするまでもないわ」
それは嘘だ。本当は何度でも言葉で確かめたい。
「貴方は私の傍にいるのよ美樹さやか」
そうして悪魔は顔を伏せた。その表情は先ほどとは違っていて。そして隣にいるさやかでさえ聞き取れないほどの声で囁いた。
「ずっと」
たださやかは悪魔の手を強く握る。悪魔もまた握り返してきて。
雨はまだあがりそうにもなかった―-。
END