時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
通り過ぎる風が悪魔の長い黒髪をたなびかせた。ひんやりと冷たい風に抗議するように美しい容貌に険しい表情を浮かべ、悪魔は目を細める。長い睫毛に隠されるアメジストの瞳。
「っひゃあもう、寒いわね」
すぐ隣で素っ頓狂な声があがった。悪魔は横目で声の主を見あげる。そこには、悪魔より少しだけ背の高い蒼い髪の女性がいて。寒さのあまり口を両手で抑えて情けない表情を浮かべていた。微かに悪魔の口元が緩む。
「情けないわね、それでもおまわりさん?」
蒼い髪の女性をからかう様に悪魔は囁いた。悪魔の反対を振り切って就職したこの元鞄持ちは、警察官になってかれこれもう3年になる。
「そんなこと言われてもねえ・・・」
小刻みに体を震わせながら、眉を下げ、情けない表情でこちらを見下ろす鞄持ちを見て笑いたい衝動がこみあげるが、悪魔は我慢した。視線を空へ移す。まだ昼下がりだというのに、灰色の寒空だ。
2月後半、世界規模の異常気象の為、ここ何週間かは例年よりだいぶ暖かかったはずなのに、今日の見滝原市は違っていた。例年通りというか、大分気温が低い。日曜日の昼下がり市街地は人で賑わっていたが、所々薄着の通行人はいかにも寒そうにして、身を縮めて歩行している。市街地の中心近くの街路樹を悪魔と共に散策していた蒼い髪の女性もまたその一人で。お気に入りなのだろう、いつものデニムとシャツに簡単なカジュアルジャケットを羽織ったファッションだったが、この季節に秋仕様にしたのが大間違いだったらしく、今まさに寒そうに長身で細身の体をやや前屈みにしていた。その横で寄り添い歩く黒髪の美女は、こちらも黒のニットにロングスカートと、いつもの黒中心のファッションで、ただひとつ違うのはグレーのコートを羽織っていて、いかにも温かそうなことだけだ。ちらり、と蒼い髪の女性がうらやましそうに黒髪の女性の方を見ると、すぐさまきっ、と黒髪の女性が睨み返し、蒼い髪の女性は縮み上がり視線を逸らす。吐く息が白い。それを見て、はあ、とため息をつく黒髪の美女の息もまた白くて。
「貴方って本当に馬鹿ね・・・さやか」
「わ!しみじみ言わないでよもう、へこむから」
名前を呼ばれた蒼い髪の女性ーー美樹さやかは眉を下げ、心底へこんだ表情で黒髪の美女を見る。さやかの垂れ気味の目と情けない表情を見て、何を思ったか、数秒ほど間を置いて、黒髪の美女は自分に言い聞かせるようにこう呟いた。
「まあ・・そうね、飼い犬の不手際は飼い主の責任だし、私がしっかり管理しないと・・・うん」
「ちょっと、今さらりと自己完結したでしょ!私犬じゃないって。あれほど・・・」
「あら、本当に?元から?」
「ほむら」
さやかが拗ねたように囁いた。悪魔ーー暁美ほむらはさやかの顔を見つめながら、艶のある唇を微かに動かした。
「冗談よ」
優しい声色で、そうして柔らかく悪魔は微笑んで。思わずさやかは固まった、こんな悪魔は滅多に見たことがなかった。
10年――
あれから10年経ったのだ。こんな時美樹さやかはしみじみ思ってしまう、そう例えば成長して更に美しくなった悪魔の横顔を見つめている時、または今こんな風に目を細めて微笑んでこちらを見つめてくれている時。
「さやか?」
「あ、ううん、なんでもないわ」
それでも一番変わったのは自分だとさやかは思う。
――だって、昔ならこいつにこんな風に
透き通った肌にかかる黒髪、寒さからか潤んだアメジストの瞳。引き込まれそうで、さやかは思わず目を逸らす。顔が紅潮していることが自分でもよくわかる。
失われた記憶を取り戻してこいつと反目していた時代が嘘みたいだ、とさやかは思う。そう、あの頃の確執も時の流れと成長と共に変化して、二人の関係は今ではさやかが最も想像してなかったものになって。
「あ~もう・・・」
「なんでもないわりには顔が赤いわよ?」
「い~や、なんでもないわ」
「ほんと?」
ほむらがからかうように囁いて傍らの蒼い髪の女性を見上げる。中学の頃の面影を残して大きくなったこの蒼い髪の女性は、本質もまた変わっていない、不器用でわかりやすい。ほむらは口元を緩めながら観察を続ける。肩まで伸びた蒼い髪に、すらりと伸びた背、美しく成長はしたが、どこか間の抜けた垂れ気味の目。今も案の定、赤くなった顔を両手でさすっては、視線をさまよわせていて。自分の所為でこうなっているのだという予感が、悪魔を至極愉快な気分にさせる。何故だかわからないが、この間の抜けた女性を試してみたい衝動が起きて、ほむらは小さな声で尋ねた。
「もしかして発情した?」
わかりやすく目を大きく見開き、蒼い髪の女性は、んとむの中間の様な変な声をあげて喉を詰まらせた。こういう軽口が悪魔の口から出るのは、二人の間にそういう行為があったからで。右手を胸の前にあげて、まるで窓を拭くようにせわしなく動かすさやか。
「そ、そんなことないわ!ないわよ・・・たぶん!」
とうとうほむらは吹き出した。珍しく声をあげて笑う。
予感が的中した嬉しさからか、さやかの言動があまりにも滑稽だったからかそれとも両方なのか。それは悪魔本人しかわからなくて。たださも嬉しそうにほむらは悪態をついた。
「まったくどうしようもない犬ね」
「ひど!・・・まあ、確かにそう言えなくもないけど・・でもさあ」
顔を赤くしながらも中途半端な抗議と肯定を口にする蒼い髪の女性。だがほむらはどこ吹く風で、そんな女性の情けない顔を味わうように見つめていた。
――どうしてこのひとを受け入れたのだろう?
愉快な気持ちのまま、ほむらは思う。時折、ふと考えるのだ。例えば魔獣の戦いの無い平和な時間、彼女が淹れたコーヒーを飲んでいる時や、こんな風にたわいのない会話をして彼女の情けない表情を見ている時。どうして?と。だが答えは出てこない、出てくることを恐れているのかもしれないし、そもそも答えなど元から無かったのかもしれない。
――魔が差したのだ
そう、やはりそうなのだ、とほむらは思う。理由なんてない。そうでないと、悪魔である自分が今でも時折この情けない女性を拒絶できず受け入れてしまう説明がつかない。
まだ顔を赤くしている蒼い髪の女性を見つめながら、ふう、とほむらは息を吐いて肩をすくめた。
「まあいいわ」
「え?な、何が?」
「貴方をこういう風にしたのは、半分は私にも責任はあるってこと」
意味をはかりかねて、首をかしげるさやかを見て、ほむらは反対側に首をかしげて「わからない?」と囁いた。
「簡単に言うなら・・・そうね、犬の発情期の処理は飼い主がきちんと・・・」
「言い方、言い方!」
慌てて遮るさやかの言葉に失笑しながら、ほむらは急に何故か心配そうな表情を浮かべて言葉を続ける。
「家まで我慢できそう?」
「きゃあ、やめて!人聞きの悪い!そんな風に言われると、私あんたに年柄年中発情してるみたいじゃない!外堀埋めないでよ!」
さやかの反応が可笑しくてほむらはまた笑う。もちろん今のは冗談だ。10年経つと悪魔も表情豊かになるらしい。まったくもう、と呟いて、さやかが寒そうに自分の体を抱きしめる。そうしてさも忌々しいといわんばかりの表情でさやかが呟く。
「まあ、あんたが可愛いのは認めるし、その発情っていうか、変な気持ちになったのも確かよ、でももちろん悪いと思っているからすぐに・・・ほむら?」
さやかの言葉を最後まで聞かず、すたすたと悪魔は早足で歩きだす。ちょっと、と蒼い髪の女性が呼びかけても黒髪の美女は振り向かず、数歩先を進んでいて。
「もう、どうしたのさ」
だが悪魔は答えない。こういう気まぐれは二人の間でよくあることなのだろう。特に慌てた様子もなく、さやかはほむらの数歩後ろを一定の距離で歩く、黒髪の美女の華奢な後ろ姿を眺めながら。
もし、今さやかが視点を自由自在に操ることができて、ほむらの顔を見ることができたなら、その表情の希少性に驚いただろう。だが、残念ながらその顔を見ることはなくて。
しばらくして、ぴたりとほむらが歩を止めた。まるで子供が電車ごっこをしているように、さやかも距離を保ったまま歩を止める。不思議そうにほむらの後ろ姿を見つめるさやか。と、おもむろにほむらが左手を腰にあてた。首をかしげるさやか。その姿はちょうど警察学校の整列の横ならえのようで。
「なあに?整列しろってこと?」
職業柄、隊列や整列は嫌というほどやらされているさやかは、迷わずひょこひょことほむらに近づいた。だが横に並ぶと、黒髪の美女に「馬鹿」といきなり言われ。
「何よもう」
「整列じゃなくて、腕を貸してあげるのよ」
「え?」
そういってそっぽを向いた悪魔の顔はどこか赤みを帯びていて。
「寒いでしょ、だから・・・」
ぱあ、と明るくなるさやかの顔。よほど嬉しかったのだろう飛びつくように悪魔の細い腕にしがみつく。変な声をあげる悪魔。
「やった!もう寒くて仕方なかったのよ」
あたたかい!と歓喜の声をあげるさやかに、珍しく面食らった表情の悪魔。
「ちょっと、そこまでしがみつかなくても・・・」
「いいじゃん、寒いんだもの」
華奢な悪魔によりかかる大柄な鞄持ち。二人の姿は、どう本人達が否定しても小柄な飼い主によりかかる大型犬のようで。
「もう・・・」
えへへ、とさも嬉しそうに喜ぶ蒼い髪の女性の腕を無碍にふりほどくわけもいかず、とうとう悪魔は観念した。あきれた様な表情を浮かべながら、なすがまま、「大型犬」がもたれかかってくるのを受容する。
「本当にしょうがない犬だわ」
「でしょ?」
笑顔全開の蒼い髪の女性と、渋い表情の黒髪の美女。だが、微かにその口元は緩んでいて。何名かの通行人が、妙齢の女性がまるで子供のようにじゃれ合いながら寄り添い歩くのを不思議そうに眺めていたが、二人にはどうでもよいことなのだろう、気にも止めずそのまま寄り添いながら歩き続ける。アメジストの瞳が街路樹と寒空を映す。寒空には一筋の陽の光が差していて。
――このまま時が止まるのもいいかもしれない
悪魔はふと、時間停止の衝動に駆られる。彼女にとって、そのような衝動は珍しいことで。
街路樹の葉達が風に吹かれて宙を舞う。その内の一葉がほむらの頭の上にちょこんと乗った。
「たぬきみたい」
そう言いながら微笑んで手を伸ばす蒼い髪の女性を直視できず、悪魔は足下の方へそっと目を伏せた。
****************
まどかからほむら宛に連絡があったのは、それから数時間後、二人が帰宅してからだ。
「映画?・・・ええ、もちろんよ」
ベッド横にあるソファに座りながら、ほむらが携帯の向こう側にいる愛しい存在に返事をする。無意識なのだろう、艶のある長い黒髪に指を絡めて。
「え、さやかにも?そうねえ、私は嫌だけどまどかがそういうなら・・・」
「こら、聞こえてるわよ」
既にベッドに潜り込んでいたさやかが、シーツから頭だけ出して抗議する。それを見てニイ、と歯を見せて笑うほむら、携帯の向こう側の主ー鹿目まどかと一緒にからかっているのだ。気のせいか、向こう側のまどかの笑い声も聞こえたような気がした。
「あ、待って、でも映画館って犬は入れないし・・・やっぱりお留守番」
「こらまた!」
「・・・そうね、それは言い過ぎよね、わかったわ、それじゃあ明日」
くっくっと肩を揺らしながらほむらは携帯を切った。さも嬉しそうにさやかの方に視線を向ける。まどかの事となるとこうも嬉しそうになるものかと、いつものことだがさやかは内心驚いていて。
「まどかなんて?」
「明日の夕方映画を観に行こうって、貴方も行けるでしょ?」
「うん、仕事が終わればどうにか・・・間に合わせるわ」
「わかってるわね、間に合わないと」
「怖!そんな目でみないでよ、約束するから!」
アメジストの瞳が妖しく光って、さやかを威嚇する。今にも目からビームが出そうだ、とさやかは思った。
「当然よ、まどかのお誘いだもの」
そう言って、ソファから立ち上がるとほむらは鏡台へ移動する。寝る前に髪を梳くためだ。キャミソールにタンクトップと既に二人ともくつろいだ格好で。髪を梳くほむらの後ろ姿を見つめながら、さやかはふと、何か思いついたのか、ねえ、と声をかけた。
「何?」
鏡越しにほむらがこちらを見る。
「いや、あんた私がついていってもその・・・別にいいの?」
「どういう意味?」
怪訝そうにほむらがさやかの方を振り向く。さやかは困ったように眉を下げて。
「気を悪くしたらごめん、ただせっかくあんたまどかと二人きりでも緊張せず話せるようになったんだし、二人きりの方がいいんじゃないかって」
そう、この10年で変わったのは二人の関係だけではない。まどかとの関係も変化した。世界を再改変してからしばらくの間ほむらはまどかとの距離を縮めるどころか、あえて遠ざけていたのだが、お節介な鞄持ちの介入によって、今ではまどかと良好な友人関係を築き上げている。
「余計なお世話よ」
怒らせた、とさやかは思ったが、悪魔は肩をすくめてただこちらをあきれるように見ているだけで。特に怒りの気配はない。
「それより、貴方はどうなの?さやか」
「私?」
矛先を向けられるのは珍しいことで、さやかは目を大きく見開いた。
「貴方は、私がまどかと二人きりでいること・・・どう思っているの?」
「え?」
それはさやかが考えたこともなかった初めての質問で。どうして悪魔はそんな質問をしてきたのか不思議で仕方なかったが、とりあえず、そうね、と口走り正直に答えた。
「・・・考えたこともなかったわ」
「本当に?」
「え、あ~まあ、確かに昔はね、あんたが得体が知れなかったから、まどかを守ろうとしたけど、今は別になんとも」
「じゃあまどかは?」
「まどか?まどかが何?」
こんなにしつこく食いついてくるほむらは珍しい、とさやかは思った。確かに話題は悪魔の最大唯一の関心事でがあるが・・・
「まどかは・・今でも貴方のことが好きよ」
「好きって・・・それは」
「私は」
遮るようにほむらが言葉を発した。口をつぐむさやか。どこか挑むようにその目はさやかを見つめていて。
「まどかを愛しているわ、誰よりも、何よりも」
――それはもう痛いほどに知っている。
どこか寂しさを覚えながらも、さやかはほむらをなだめるように「もちろん知っているわ」と囁いた。
「じゃあ貴方は?」
「え?」
「貴方は誰が好きなの?」
質問の内容もさることながら、それをほむらが発した事にさやかは驚いて。誰というのはおそらくきっと、この目の前の美しい悪魔と円環の女神の事だ。だがそれ以上考えようとしても今のさやかの頭の中は真っ白で。
数秒ほどさやかが固まっているのを見て、ほむらがはあ、と息を吐いて囁いた。
「・・・もういいわ」
くるりと体を鏡台の方へ向けて再び髪を梳き始める。困ったようにただ黙ってほむらを見ているさやか。
「明日早いんでしょ?」
「うん、そうね」
この話題は終わりだと言外に伝えられ、さやかはほむらの勧め通りシーツに潜り込む。
「おやすみ」
だがほむらから返事は無く、さやかはまたどこか一抹の寂しさを覚えたまま眠りにつく。しばらくして、さやかがまどろみに落ちた頃、電気が消えた。薄暗い暗闇の中、ごそごそと気配がして、さやかの隣でほむらが眠りにつく。息を吐く音と、そっと背中に触れるほむらの指の感触。さやかの背中にほむらの頭が触れる程度に寄り添ってきて、ようやくさやかは安心して眠りに落ちた。
****************
「ほむらちゃん」
嬉しそうな声をあげて、鹿目まどかは暁美ほむらに駆け寄ってくる。悪魔はただそれをまぶしそうに見つめていて。
「はあ・・・ごめんね、ちょっと遅れちゃって」
可愛らしいワンピースに身を包んだまどかは体を屈め、両手を膝につけて荒い息を吐いた。どうやら複合施設の入り口から映画館まで駆けてきたようで。
「大丈夫よまどか、私達も今着いた所よ」
そう囁いて、ほむらはまるで我が子をいたわるようにまどかの肩に触れる。その感触に反応してか、まどかは顔をあげて、えへへ、と子供の様に微笑んだ。その様子を目を細めて眺めているさやか。
ほむらを「恐ろしいほど美しい」と形容するならば、まどかは「狂おしいほど可愛らしい」なのだろう、とさやかは思った。この桃色の髪の女性は、10年前のあの頃と全く変わっていない。髪はおろして、背も少し伸びて大人びた雰囲気になっているが、顔つきはまだ幼く20代とは思えないほど若い。ほむらとさやかの妹と言っても疑われないだろう。美しさとかわいらしさ、どこか好対照で正反対な二人の横顔にさやかは見とれた。
――誰が好きなの?
ほむらの言葉がいきなり浮かぶ。
――なぜあんな質問をあいつはしたのかしら?
だが理由が浮かばない。さやかの脳裏にはただ、あの時の挑むような目の悪魔の顔しか浮かばなくて。ほむらとまどかがなにやら面白そうに談笑を始めるのを見つめながら、さやかはぼんやりと考え始める。
とりあえず、視点を変えて、好きとか愛とか別にして、私は二人に何を望んでいるのだろう?そう考えて、さやかはようやく何かひらめいたように、視線を二人に向けた。その先には愛する者を前にして微笑む悪魔の横顔があって。
ああ、そうなんだ、とさやかは思う。いつも何かに耐えているような、大切な何かを捨て去ってしまったような寂しそうな悪魔の横顔、それがこういう風に幸せそうに笑ってくれる、それだけで私も幸せで。
でもそれってつまり――だが、そう考えたところで、さやかは二人に視線に気づく。いつの間にか、ほむらとまどかはこちらをじい、と見つめていて。
「ね、まどか、あの人っていつも一人でああやってにやにやして・・」
「ふふふ、なんだかちょっと・・・気持ち悪いね」
「こら!なんなのよ!」
また二人にからかわれたのだ、不思議なことにほむらとまどかがさやかをいじる時のコンビネーションは抜群で。まるで姉妹の様に仲良く二人は笑い出した。
――幸せすぎでしょ、なんなのよこれ
さやかは思わず何かに対してツッコミを入れる。だがそう心で呟いているさやかも幸せで。もうこのまま時間が止まってもいいのに、と思った、だがその矢先。急に視界が暗くなる。
「停電?」
まどかの声が聞こえた。どうやら複合施設全体が停電したらしい、だがすぐに電気は復旧して。視界は元に戻る。
「わあ、びっくりしたあ。・・・さやかちゃん?どうしたの?」
まどかが慌てた様子で声をあげる。
目の前に立っているさやかが左手で項を抑えながら、険しい表情を浮かべていたからだ。
「さやか」
諭すような厳しい声でほむらが名前を呼ぶ。まどかに気づいてさやかがへらへらと笑い出した。
「ああ、なんでもないわよ、ちょっと緊急の連絡が入って、もうこんな時に腹が立つわよね」
そう言って、笑いながら内ポケットから出した携帯をかざす。もちろん連絡など入っていないのだが。
「え、それって」
まどかもさやかの職業は知っている。三人で遊びに出かけていて、呼び出しを受けてさやかだけ途中で帰ったりすることも今まで何度かあった。
「そ、だからごめんね、まどか私行かなきゃ、ほむら後よろしくね」
「後で埋め合わせしなさいよ」
「ひど!」
気をつけて、と心配そうなまどかにへらへら笑いながら手を振って、さやかは出口に向かって駆けだした。
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項が焼けるように熱い――
魔獣の気配を察知すると、さやかの体に焼けるような痛みが走る。これはある事件をきっかけにして起きたさやか独自のもので。特に項あたりの痛みがひどい。人混みをうまい具合にかきわけてエントランスへと向かうさやかの表情はもはや真剣そのもので。
――あいつは警察官になること反対したけど
自動ドアが開き、さやかの視界に青い空が広がる。そこは立体駐車場の屋上で。ちょうど目の前に光の亀裂が走っていた。異空間の入り口だ。そのまま空へ向かって駆け出すさやか。思い切り跳躍し、手すりを踏み込んで更に高く宙を舞う。
――こんな時にはめちゃくちゃ便利じゃないの!
泳ぐように手足をばたばた動かしながら、さやかの姿は亀裂の中に吸い込まれていった。
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こういう時は確かに便利だ――
ほむらはさやかが警察官になっていてよかったとしみじみ思う。こんな時――三人でいる時に魔獣がいきなり出現した場合、こうしてうまい口実でさやかだけ抜け出して戦う事ができるからだ。
「さやかちゃん、大丈夫かな?」
心細い声を出すまどかを優しい眼差しでほむらは見つめる。
「心配?」
「うん、ちょっと・・・」
えへへ、と笑うまどか。
「まどかは優しいわね、でも大丈夫よあの人は何があっても死なないから」
「もうほむらちゃんてば」
たしなむようにまどかがほむらを見上げる。だが、どうやらほむらの軽口で安心したらしく。ほむらの右腕の袖を掴まえて、くいくいとひっぱると
何を観る?と尋ねた。
「まどかが観たいものならなんでもいいわ」
「もう・・・たまにはほむらちゃんの観たいものでいいよ、あ、でもさやかちゃんが観たいものだったら、なんだか悪いかも」
「そうね、じゃあそれを観ましょうか?」
しれっと真顔で囁くほむらに、ええ、それは悪いよと言ってまどかは笑い出した。
「今度、さやかちゃんも一緒に映画観る時の為にとっておこうよ?」
「まどかはさやかに優しいのね」
「えへへ、そんなことないよ、たださやかちゃんとも一緒に楽しみたいなあって・・・」
照れたように微笑むまどか。その横顔をちらりとのぞきみて、ほむらは視線を目の前のポスターに向ける。クラゲを逆さまにした様な謎の乗り物をバックにいかにもB級的なスタイルのヒーローが謎のポージングを取っている。さやかの好きそうな映画だとほむらは思った。そうしてしばらくして、ほむらはまどかの名前を呼んだ。
「なあに?ほむらちゃん、観たい映画決まった?」
「まどかは・・・」
「なあに?」
「さやかの事が好きなの?」
ポスターに視線を向けたまま、ほむらは囁く。
「え」
突然の質問に、まどかは言葉につまって、ただ質問の主の横顔を見つめる。とても美しい綺麗な横顔。しばらくその横顔を見つめているが、こちらを見ようとしないので、まどかはあきらめたように視線をポスターへ向けて、うん、と囁いた。ほんの少しだけ紅潮する頬。
「そう・・・」
消え入りそうなほむらの声。まどかはまたその横顔をちらりと見て、言葉を続けた。
「でも私、ほむらちゃんも大好きだよ」
ほむらは驚いたような顔でまどかの方へ視線を向ける。まどかはにっこりと微笑んで。
「私はさやかちゃんも好きで、ほむらちゃんも好き・・・三人でこうやっていられることが一番好き」
「まどか・・・」
「それって・・おかしなことなのかな?」
ほむらはただ黙って首を振った。
「ねえほむらちゃん、私は二人とも好き。ほむらちゃんは?」
「私はまどかのことが好きよ」
誰よりも――とほむらは心で付け足して。
「じゃあさやかちゃんは?」
言葉に詰まる。それはまるで――決して開いてはいけない扉の取手を掴んでいるような気分で。
「・・・別に、なんとも。いてもいなくても変わらないくらいよ」
「もう・・・またそんなこと言って」
困ったようにまどかは苦笑して。
正直複雑で、言葉にならないのだ。だが、まどかはそれを見通している様で。幼稚園児に言い聞かせるような口調でほむらに囁いた。
「ねえほむらちゃん、ほむらちゃんが私を想ってくれているように――」
まどかが一呼吸置いて言葉を続けた。
「さやかちゃんはほむらちゃんのことが好きなんだよ」
*******************
大画面に美しい大自然と動物が映し出され、BGMに壮大な音楽が流れる。画面一面の草原の緑を眺めながら、ほむらは全く別の事に思考を奪われていて。
『さやかちゃんはほむらちゃんのことが好きなんだよ』
――そんなことはあり得ないわ
ほむらは脳裏に浮かんだまどかの言葉に対して返答する。確かに互いを受け入れて体を重ねた事はあったし、あの愚かな女性が過剰に自分を意識することはよくあった。でも――
――ああ、そうなのか
何かに気づいたようにほむらの目が見開かれる。
――私はそれが聞きたくてあの質問をしたのかもしれない
『誰が好きなの?』
あの時そうほむらはさやかに聞いた。何故そう聞いてしまったのか、ほむら自身も実はよくわからなくて、ただ、あの時は無性に彼女の本心が聞きたくて。
――でもそれって
そう考えたところで、脳内に全く別の声が響いた。
――ほむら
――さやか?
念話だ。近い距離でなら、ほむらとさやかはテレパシーで会話をすることができる。
――貴方生きてたの?
――ひど!
いつものやり取り。無意識にほむらの口元は緩んで。
――魔獣は一匹残らず始末したわ、私は先に家に帰っているから
――そう、まさかとは思うけど、貴方また腕やら足やら切断されてないでしょうね、血で家が汚れて困るのだけど
お疲れさまという言葉を飲み込んで、代わりにでてきたのはいつもの悪態で。
――あんた鬼?いや・・・悪魔だったわね
ふ、と笑いが漏れるのをほむらは口を抑えて耐える。
――お生憎さま、今回は怪我もまったくなくピンピンしてますから、まどかとどうぞごゆっくり!
――遠慮なくそうさせてもらうわ
そうして念話は途切れた。自然と口元が緩んでしまい、ほむらは口に手をあてる。
その横でまどかは不思議そうにほむらの横顔を見つめている。今見ている映画は感動するシーンなのに、何故かとても嬉しそうにほむらが微笑んでいたから。
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「それで?結局動物映画を観たわけ?」
「ええ、誰かさんのためにまどかが面白い映画は次回にって」
「さすがは女神だわ・・・」
ありがたや、と時代劇風に呟くと、さやかはごろん、とベッドに仰向けになって。ふと、何か考え事をしているのか真剣な表情になって天井を見つめた。昨日と同じように鏡台で髪を梳いているほむらも何か考えているようで、櫛を持つ手の動きが止まっていて。
『ねえ』
同時に互いを呼びかける。そのタイミングの良さにさやかは吹き出して、そうして体を起こして「あんたから言いなよ」とほむらに声をかけた。だが黒髪の美女は首を振って。「貴方から言って」と言い返す。
「それじゃあ・・・」
さやかはベッドの縁に座り、鏡台の前に座っているほむらと向き合う。いつものように困った様に眉を下げ、垂れ気味の目を悪魔に向けて。
「あんたがさ、昨日言ってた事・・・」
「ええ」
ほむらが珍しく相づちを打つ。互いに聞きたかったことは同じことだと二人とも確信していて。さやかは意を決したように言葉を続けた。
「正直私、あんたとまどかの誰が好きかなんて聞かれてもわかんない」
「・・・・・」
「まどかの事は好きだし、あんたの事もその・・・」
そこでさやかは自分の髪をかく。面白がっているようなからかっているような表情を浮かべるほむら。
「その・・あんたの事は複雑で・・・」
だがそこで、ほむらが何故か急にくすくすと笑い出した。
「な、何よ人がせっかく」
「ああ、ごめんなさいなんでもないから、続けて」
やや不機嫌になりながらもさやかは再び続ける。
「うまく言い表せないのよ、だからいったん二人の事を脇に置いて考えたの。私が今一番何を望んでいるか」
「それで?」
「うん、そしたら、一番の望みはあんたがまどかと・・ううん、そうじゃない、あんたが幸せになるのを見ていること、幸せになるあんたがみたいことだって」
さやかの言葉にただただ悪魔は聞き入るばかりで。
「それってつまり、私はあんたのこと・・」
『さやかちゃんはほむらちゃんのことが好きなんだよ』
必死に言葉を紡ぐさやかの唇が、ほむらの指で抑えられた。ほむらはこれ以上は言わないでという様に首を振って。
「・・・今のままがいいって」
「?」
「まどかが言っていたの、三人でこのままって」
どこか困ったような迷子の様な表情を浮かべほむらが囁いた。ゆっくりと指を離す。さやかもまた困ったような表情を浮かべていて。
「でもあんたはどうしてあんなこと」
「聞きたかったから」
「え?」
「貴方の本心が知りたかったから、でもそれって――」
「ちょ、ちょっ待って」
今度はほむらの口を慌ててさやかが抑えて。驚いた表情のほむら。
「あんたもそれ以上は・・・」
言わない方がいいんじゃない?――とさやかは困ったように囁いて。
ようやく口からさやかの手が離れると、ほむらは何が可笑しいのかくすくす笑いだして。
「ええそうね、これ以上は今はよしましょう?」
「そうね」
悪魔の言葉にさやかも同意する。これ以上先は進んでいけない、今は。今生まれた互いの暗黙の了解。口元を緩め、ほむらは猫のようにさりげなくさやかの肩に頭をもたれさせてきて。
「ちょっと・・・」
顔を赤くしてまんざらでもない様子のさやか。それを盗み見して、ほむらは目を細める。
「あら、また発情?」
「!」
図星の様で、さやかの体が一気に緊張で硬直する。とうとうほむらは笑い出して。
「ほんとにどうしようもない犬・・・」
「仕方ないでしょ、もう・・・」
三角形の均衡を破ることはできないが、その先にある互いの本心をわずかながらに盗み見ることができて、二人は安堵する。だがその先にはまだ進んでいけない、今は。さやかの手がほむらの背中に回されて、ほむらの手は縋るように首に回された。
「・・・私も発情したみたい」
そう囁いて、ほむらはさやかの肩に顔をうずめ、ゆっくりと目を瞑った。
END