時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
どうにも大人になると思春期時代の事は黒歴史になるものが多いようで、それは悪魔も例外ではなかった。
「あんたって、ほんと昔の事になると輪をかけて無口になるよねえ」
蒼い髪の女性は訳知り顔でニヤニヤ笑いながら、グラスを口につけた。悪魔は美しい顔を歪めて隣にいる訳知り顔の女を睨みつける。美しい者が凄むと、怖いが思わず見惚れてしまう、凄惨美のようなものがある。だが蒼い髪の女性はその美貌に気を取られることなく、肩をすくめ視線を逸らした。
「…うひゃあ、怖い怖い」
そう言うと、カウンターにグラスを置いて、横にあるボトルを手に取った。
「とりあえず飲みなって」
ノリがいいというのか、軽薄というのか、蒼い髪の女性は、悪魔の空になったグラスにボトルを傾けた。琥珀色の液体が注がれ、アイスがカランと音を立てた。悪魔の切れ長の目がグラスを睨むが、すぐに手を伸ばすと液体を口に運んだ。それを見て蒼い髪の女性は嬉しそうに笑った。
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美樹さやかと暁美ほむらが二人で酒を酌み交わすことは珍しいことではなかった。もし、彼女達の歴史を知るものが、世界を再改変した日から今に至る二人の姿を見たとしたら、その劇的な変化(というより思いもよらない結末に)驚くことだろう。だが、幸か不幸か再改変の歴史を知る者は元かばん持ちと悪魔以外誰もいなかった。
そう、もうこの世界の秘密を知るのは彼女達二人以外誰もいないのだ。
ほむらはまどかのために、ただそれだけのために悪魔として生き続けていたし、さやかは時折起きる記憶の錯綜に悩まされ続けながら生きていたが、ある日、思いもよらない出来事のおかげで二人は再び相まみえることとなった。それから紆余曲折を経て、さやかはある程度の記憶を取り戻し、ほむらは天体レベルの気の遠くなるくらい少量の譲歩をさやかに対して見せる様になった。そしてそこから、二人は共闘するようになったのだ。
あれから10年
「どうして、あなたとこうなったのかしら…」
「うわ、ひど!あんた今更そういうこと言う?」
さも悲痛な表情を浮かべている悪魔の横顔を見つめながら、さやかが心外そうに言った。カウンターに座っている二人の前でグラスを拭いているバーテンが微笑む。彼女達はこのカウンターバーの常連なのだ。
「今更も何も、私は毎日思っているわよ、貴方と私がどうしてこういう状況になったか…」
「何もそこまで…って、ちょっとあんたまた」
さやかがよく見ると、悪魔の美しい横顔は笑みを浮かべていて。
「ほむら、あんたからかったわね」
「ようやく気付いた?」
くっ、くっ、と肩を揺らしてほむらは笑った。成人した彼女は恐ろしいくらい美しく成長したが、悪魔故か一種禍々しい雰囲気を醸し出していて、その笑みもまた鮫の様に凄惨だ。だがさやかの方は特に怖気づくこともなく、ややたれ気味な目を少しだけ釣り上げて批判するように悪魔を睨む。ほむらはグラスを持ったまま人差し指だけをさやかに向けて「威圧感ゼロ」と囁いた。むくれるさやかと吹き出す悪魔。実は2人ともほどよく酔っていて。
「私が貴方ごときの事で頭を悩ませると思う?美樹さやか」
陰鬱な目を向けながらほむらが口元を歪めた。う、とさやかが苦々しい表情を浮かべる。ほむらと同様、さやかも美しく成長したが、あの頃の面影がだいぶ残っていて。
「相変わらずお間抜けな顔ねえ」
「ちょっと!」
上機嫌に悪魔は笑う。実はそのかばん持ちの「お間抜けな」面影を見ることが秘かな楽しみなのだ。もちろん本人には言わないが。過去に戻りたいとは思わないが、「あの頃」に想いを馳せる事は悪魔は嫌いではなかった。
「そりゃあ、あんたに比べれば…お間抜けだけどさ」
悪魔の美貌を前にすると、さすがのかばん持ちでも顔が赤くなるらしい。抗議の台詞はどんどん尻すぼみになっていく。それを見て眉をあげてからかうような表情を浮かべるほむら。
「どうして貴方の顔が赤いのか、聞いてもいい?」
「聞かないで」
手のひらをひらひらと振って、顔を背けるさやか。どうにもこの悪魔の美貌というか魅力はかばん持ちにも有効なようで。それを悪魔もまたよく知っていた。
「ところでさあ、あんたに頼まれた事、まどかに聞いてきたわよ」
まどか、という名前を聞いた途端、ほむらの表情から禍々しさが消える。まるで少女の様だ、とさやかは思った。
「なんて…?」
「ただの友達だってさ」
「そう」
ほっ、とほむらが安堵の息を漏らす。その表情を見て苦笑するさやか。
「安心?」
「聞かないで」
「それブーメラン?」
そう言ってさやかが笑った。
鹿目まどかは二人の共通の友人だ。再改変の直後まどかはさやかが幼馴染である事を覚えていなかった。思い出してくれたのは、しばらくしてからだ。まどかの事については確執があった二人だが、今ではこうして、ほむらの想いを汲んでさやかが二人の間を取り持つような仲になっていた。
「てかさあ、あんたこんなにまどかの事好きなら告白しちゃえばいいのにさ」
「貴方はどこまで馬鹿なの?」
「はあ?」
「私はね、まどかを愛しているわ誰よりも、でも貴方の言っているただの「好き」とはわけが違うのよ」
「よくわかんないけど…、でも、それで気持ちを告白しないで後悔しないの?」
「…貴方だって告白しなかったでしょう?上条君に」
「うわ、懐かしい」
さやかが両手を挙げながら叫んだ。酔いが回っているのだろう。
「私はあれを思い出すたび思いっきり自己嫌悪しちゃうのよね、拗らせてしょっちゅう「あれ」になったし」
「それを何度も私が処理したしね」
「ほんと」
「あら素直ね」
そう言って、二人は笑う。「あれ」とは魔女のことで、大人になるともう円環の理も魔女も魔獣も「あれ」とか「これ」で会話は事足りていた。
「う~ん、私はまあ、なんかあっちに行ってものわかりが良くなったっていうか、つきものが取れたというか、恭介の事を特別意識することはなくなっちゃっているし、けどあんたは現在進行形でしょ?」
「だから…私のまどかへの愛はそういうものじゃないの」
このお話はおしまいと言わんばかりに、ほむらは右手の人差し指をタクトの様に振った。グラスから琥珀色の液体が少量飛び出して、さやかの顔にかかる。ひゃっ、と声をあげると、ほむらは笑った。
「別の話をしましょう、さやか?」
悪魔は珍しく親し気にさやかに微笑んだ。
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――ああ、悪魔は酒に弱かったっけ
さやかはカウンターに突っ伏して眠りこけてしまったほむらを困った様に見つめた。長い黒髪が白い頬にかかり、長い睫毛が震えていた。綺麗だな、と素直にさやかは思う。こうして無防備に眠っている姿を見ていると悪魔とは到底信じ難い。ただの美しい女性だ。もっと別の人生があれば彼女は幸せだったはずなのに、とさやかは考える。もちろんそれはエゴなのだが。
「ん…」
寝ぼけているのか、ほむらが身じろぎした。口元を緩めるさやか。
「ほむら、帰ろ」
耳元で囁くと、ほむらの目がうっすらと開いた。
「……」
そうしてまた閉じられる。
「こら」
苦笑して、さやかはいつものように手を伸ばすとやや強引に悪魔を起こした。子供の様にほむらがぐずるが、器用にその腕を肩にかけると立ち上がる。
「ん…さやか?」
「そうよ、帰りましょ」
さやかは支払いを済ませると、そのままほむらを肩に抱えてバーを出た。
ややひんやりとしてきた夜風を受けながら、二人は帰路に着く。悪魔は相当酔いが回っているのか、かばん持ちに身体を預けたまま引きずられる様に歩いている。
「もう」
引きずって歩くのに限界を感じたのか、さやかは息を吐くと、身を屈め、ほむらをおぶった。
悪魔はまるで猫の様に気持ちよさそうに目を瞑ったままで。
「まったく能天気な悪魔だわ」
そう呟くと、さやかは歩き出す。と、いきなりさやかの耳元で声が聞こえた。
「どこいくの?」
「わ、あんた起きてたの?」
「何言っているの、私はずっと…起きてるわよ…」
寝ぼけているのだと気づいたさやかは苦笑する。
「家に帰るのよ」
「そう‥‥」
さやかの肩にほむらの息がかかる。安堵のため息なのかなんなのか、確かめたいがさやかは後ろを見ることはできない。
「…貴方いつの間にか大きくなったのね」
「同い年でしょ」
どうにも寝ぼけている悪魔は面白い事を言うものだ、とさやかは思って。
「ねえさやか」
「ん?」
「私は後悔している事がひとつだけあるの…」
「え、何それ、すごい気になるんだけど‥‥ってちょっと」
だが、それから悪魔の声は続かない。ただ規則的な呼吸が聞こえるだけで。また眠ってしまったのだとさやかは思った。
「‥‥まったく、なんなのよ、軽いからいいけどさ」
鞄持ちの独り言を悪魔は目を瞑りながら聞いていて。その口元は緩んでいた。
――後悔しているのは、貴方とこうして――
悪魔はかばん持ちの肩にそっと腕を回して強く抱きしめた。
END