時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
「あっちの世界ってどうだったの?」
黒髪の女性が何を思ったのかふいに蒼い髪の女性にそう尋ねてきた。
「あっち?」
一瞬なんのことかわからず女性――美樹さやかは聞き返す。その顔が惚けているのは相手の容貌に見惚れているためだ、さやかの目の前の女性はとても美しかった。それを知っているのかあるいは無意識か黒髪の女性――暁美ほむらはテーブルに肘を置いて頬杖をつくと艶やかに笑った。対面に座っているさやかは顔を赤くさせながら、ようやく気付いたのかああ、と声をあげた。
「‥…あっちのことね?」
「気づくの遅すぎ」
「あはは…」
右手で髪を掻きながらさやかは苦笑した。そうしてコーヒーカップを手に取って中をじい、と見る。頬杖をついたままその様子を眺めるほむら。
あれから10年、いつの頃からか二人は生活を共にするようになった。そうして今朝もいつもの様に窓辺のテーブルで朝食をとっているのだが――。白のシャツとデニムに身を包んださやかはカップを覗き込み黙り込んでしまった。無表情でそれを眺めるほむら。だがじれったいのだろうか、白のワンピースの裾を反対の手でいじっている。さやかがようやく口を開いた。
「あ~…実は…あんまり憶えていないのよね」
「嘘ね」
「はや」
「今さら私に言えないことでもあるの?貴方」
ギロリ、と陰鬱な目がさやかを睨む。ひい、と声をあげてさやかは観念したように喋りだした。
「く、詳しく憶えてないのは本当よ、ただそこはとても心地がいいのよ、すぐそばにまどかを感じるっていうかずっと包まれているみたい…って、わあ!」
さやかが叫んだ。フォークとナイフが宙に浮いて顔面に迫ってきたからだ。もちろんそれは目の前の美しい悪魔の仕業で。陰鬱な目を怒りで光らせこちらを見つめている。
「ほ、ほらだから言わなかったのよ、あんた怒りそうだったから!」
「怒る?私が貴方ごときに?」
――って怒ってるじゃない!
さやかが心で叫ぶ。ほむらはまどかのことをそれはもう心底愛している。悪魔になったのもそのためだ。そんな悪魔の前で最愛のひとにずっと包まれていましたなんて答えたらどうなるか見ての通りだ。さやかは両手をあげて降参の意を表するがフォークとナイフは微動だにしない。
「ふ、不可抗力なんだから許してよ!」
「よくもまあ、ぬけぬけとまどかに包まれていたなんて」
「あ、あんたも羨ましいならおとなしくあっちに迎えられてればよかったじゃない」
「羨ましい?」
はあ、と悪魔は大きく息を吐いた。
「ほんと貴方って馬鹿だわ」
カラン、とフォークとナイフが音を立てて落ちる。きょとんとした顔でそれを見つめるさやか。はっ、と何かに気づいたように両手を構え防御の姿勢を取る。第二陣が襲ってくると思ったのだろう。その様子を見て悪魔は首を振った。
「馬鹿にはきちんと言わないとダメなのかしら」
「へ?」
「私は別に羨ましくなんかないわ」
「そ、それって?」
「私はむしろ…」
そう言いかけてほむらは口を閉ざした。
「ほむら?」
「なんでもないわ、ほら」
「むぐ」
サラダを刺したフォークを口に放り込まれるさやか。そのまま咀嚼するさまはエサを与えられたペットの様だ。悪魔もそう思ったのかふ、と失笑した。溜飲は下がったようだ。流し込むように水を飲んださやかはふと思い出した様に呟いた。
「ああ、そういえば、私あの時のことは憶えているのよ」
「あの時?」
「うん、あんたの結界に入っていくとき」
「ああ…」
インキュベーターの実験に巻き込まれた時のことだとほむらは悟る。あまり思い出したくない記憶だが、それでもこうやって話に耳を傾けることができるようになったのは歳月のおかげだとほむらは思う。と、何を思い出したのかさやかは急に切なそうな表情を浮かべ語りだした。
「正直言うとね、私、あの時怖かったんだ」
「なにが?」
「遮断フィールドを通過できるのは、あんたに『招かれた』者だけ」
そう言ってさやかはほむらを見る。空の様な瞳がほむらを映し出した。
「私だけ招かれなかったら、どうしようって」
「……」
「でもあんたは私も招いてくれた」
嬉しかったなあ、とさやかは囁いて、そうして微笑んだ。それはいつもと違うどこかはにかんだような可愛らしい表情で。ほむらは陰鬱な目を少しだけ丸くさせた。そうしてしばらく二人は黙ったまま見つめ合って。次に口を開いたのは悪魔の方だった。
「馬鹿ね」
「そう?」
「そうよ、貴方は大馬鹿だわ、美樹さやか」
久し振りにさやかをフルネームで呼んだ後、ほむらはさやかをまっすぐに見つめて言った。
「私は貴方を嫌ったことなんて一度もないわ」
柔らかい日差しが二人を照らして。目を見開くさやか、見つめ返すほむら。ほむらの手がゆっくりと伸びて。
「あの時も、そしてこれからも」
そうしてさやかの頭に触れた。ほむら、ととても小さい声で囁くと、それきりさやかは黙り込んだ。うなだれたさやかの身体は微かに震えていてほむらは苦笑する。
「ほんと馬鹿ね」
それはひどく優しい声で。
そうしてしばらくの間、ほむらはさやかの頭を包み込むように撫で続けていた――
END