時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
その女性は美樹さやかをやけに惹きつけた。黒いドレスに透き通るような白い肌、烏のような艶のある長い黒髪。それだけでもだいぶ目立つというのに加えて怖いくらい美しかった。
「さやか何見てるの?」
「ん、ああ~あはは、なんでもない」
隣の席の中学時代のクラスメイトが怪訝そうに尋ねてくるのでさやかは笑顔でごまかした。どうしてだかその女性のことを知られてはいけないようなそんな気がして。我ながらおかしいなとは思った。普段の自分なら『みてみて、すっごい美人!』などといいながらその女性を指さすくらいはするはずなのに、と訝し気にさやかは小首をかしげ、そしてテーブルに置かれたシャンパングラスを手に取って口に運んだ。なかなか美味い。前方に目を向けると大輪の薔薇に彩られたメインテーブルがあり、そこでかつての親友と幼馴染のバイオリニストが満面の笑みを浮かべていた。
――あ~あ、まったく
世界的に有名なバイオリニスト上条恭介と資産家の娘志筑仁美が見滝原市で挙式をあげることはマスコミにもおおいに取り上げられた。本人たちの強いこだわりで生まれ育った町で行いたいと挙式と親族のみの披露宴を執り行い、夕方である今はさやかを含めた友人達を招いた結婚パーティが執り行われている。まあパーティといっても会場は同じだし、招待された友人達も皆ドレスアップしているので二次会というよりも披露宴の延長といった感じだ。会場に埋め尽くされた招待客をさやかは見渡す。あまり見覚えのある友人は見当たらなかった。同じテーブルに座っているメンバーだけがかろうじて中学時代のクラスメイトとして記憶が残っているだけで。
「ほんとあっという間よねえ10年って」
隣のベージュ色のドレスを着たクラスメイトが呟いた、同意してさやかも頷く。
「ほんとね」
どうにも気分が沈んでしまう、しおらしくなってしまうのは着なれないドレスを身に纏っているせいだろうか?とさやかはふと思った。視線を落とし自分の髪の色と同じドレスを見つめた。
「あ、でもさあ、さやかって仁美と結構仲良かったよね」
「え?うん、良かったよ」
「なんか先越された感じで嫌じゃない?」
よほど詮索好きなのだろう、さやかの顔を覗きこむようにして笑顔を浮かべている。ああ、嫌だなとさやかは思う。そう思った瞬間、女性のシャンパングラスが傾いて中身が零れた。
「きゃっ」
「大丈夫?」
軽く悲鳴をあげて驚くクラスメイトの横でさやかが手近にあったテーブルナプキンで零れた液体を拭く。白いテーブルに零れたシャンパンの液体が何故か紫色に見えてさやかは目を丸くする。と、何か気配を感じたのかさやかは振り向いて左後方の末席のテーブルの方へ視線を向けた。そこはさきほどの美しい黒いドレスの女性が座っていたテーブルで。ぽつんと一人座っている黒髪の女性はさやかの方を見ていた。
遠目からでもわかる怖いくらいの美貌、そしてアメジストの色の瞳――
吸い込まれそうだ、とさやかは思った。視線を逸らすことができない。と、美しい女性は立ち上がって会場を出ていこうとする。
「待って」
思わずさやかは叫んだ。一瞬会場が静まるが気にも止めずさやかは駆け出す。慣れないヒールを履いてるためかその動きはもどかしそうで。声は聞こえているはずなのに、黒髪の女性は振り向きもせず扉に手をやりわずかに開くとすう、と会場の外へと出て行った。数秒遅れてさやかも閉じかけた扉に手をついて勢いよく外へ出る。
披露宴会場のホールには誰もいなかった。夕焼けの光が窓から差し込んで、ホールをセピア色一色に染めていた。
今あの女性を見失ったらもう二度と会えない――
そんな焦燥にも似た気持にかられ、さやかは必死に辺りを見回す。するとホールの玄関口からちょうど外へ出た黒髪の女性の後ろ姿が窓に映った。さやかは必死で駆け出し、玄関口から出ると黒髪の女性の後ろ姿に向かって叫んだ。
「ほむら!」
叫んだあとにさやかは驚いた表情を浮かべ自分の口に手をあてる。まるで勝手にその言葉が口をついて出たかのように。黒髪の女性も驚いたのだろうか、歩を止め固まったように動かなかった。
「あ…そうだ、なんで…」
呟きながらもさやかは歩を進め、黒髪の女性の元へと近づく。あと数歩で互いに触れる距離に近づいた時、女性は振り向いた。その勢いで長い黒髪が広がりゆっくりと落ちていく。
「覚えていたのね」
ぞっとするほど艶のある声。さやかはその顔に見惚れて。陰鬱な切れ長の目に艶のある唇。さやかの脳裏に中学時代の彼女の姿が浮かんだ。妖艶な美少女だった。
「うん…ほむらだよね?中学の頃同じクラスだった…なんで私忘れてたんだろう」
不思議そうに語るさやかを女性は無表情に見つめていて。
「それで、私に何か用?美樹さん」
「え、ああいや用ってわけでもないけどさ…私の名前覚えててくれたんだ」
さやかは困ったように頭を掻いた。その仕草は中学のあの頃と同じで、妙齢のドレスを着た女性の仕草としては子供っぽいものだった。その頬は赤く染まっていて。その挙動が可笑しかったのか、それとも何か思うところがあるのか女性―ほむらはほんの少しだけ口元を緩めた。
「髪伸ばしてるのね」
「へ?」
すう、と白い手が伸びてさやかの背中まで伸びている髪をつまんだ。更に顔を赤くするさやか。ほむらという女性の妖艶な美貌は同性であるさやかにも有効であるようで。
「ま、まあ…ちょっと女らしくしようかなって」
「でも迷ってるでしょう」
「なんで知ってるの?」
驚くさやかの表情を楽しむように見つめてほむらはさやかから離れた。
「前の髪型の方が似合うと思うわよ」
そう囁いて、ほむらはさやかに背中を向けた。そのまますたすたと歩きだす。茫然として動けないさやかだが我に返り慌ててほむらを追いかける。
「待って」
「何」
「また会えない?なんか…もっと話したくて」
ほむらは目を丸くした。その表情を浮かべさせたことが何故かさやかは嬉しかった。
「……いいわ」
とても小さい声でほむらはそう言った。
*******
それから数日後の昼下がり、美樹さやかは駅近くのカフェへと足を運んだ。
「ほむら」
笑顔を浮かべてさやかは店の一番奥のテーブルに座っている女性に声をかけた。長い黒髪の怖いくらい美しい女性。さやかに気づいた女性はためらうように右手を少しだけあげた。ふ、とさやかの口元が緩む。どうにもこの女性は容貌に反して内気らしいとさやかは思った。先日久しぶりに再会した時も黒のドレスだったが、今日も黒のワンピースを着ている。
「……髪切ったのね」
ほむらがまた目を丸くする。その表情を見てさやかは喜んだ、もしかしたらこの表情が見たくて髪を切ったかもしれないと秘かに彼女は考えて。
「うん、なんかほむらに言われてさ、私もやっぱ短い方がいいかなあって」
右手で髪に手をやる。空と同じ色のさやかの髪は肩あたりでばっさりとカットされていて。
「それに着なれないドレス着るよりやっぱこの方がいいわ」
そう言ってさやかは今度は腰に手をやり、得意そうな表情を浮かべた。デニムのパンツにシャツといういでたちとその髪型はどこか中性的な印象を与えて。黒髪の女性もそう思ったのか、ふ、と口元を緩めるととても小さな声で囁いた。
「その方があなたらしいわ」
その言葉がやけに嬉しくてさやかは満面の笑みを浮かべた。それから二人はコーヒーを注文し、互いの近況報告を兼ね語り始める。とはいってもほとんどさやかが喋っているのだが。
「でも本当、あっという間だったわね」
さやかが呟く。中学時代のこと、高校の部活のこと、大学では全然今の仕事とは関係のない哲学科へ進んだこと、いろんなことが走馬灯の様に浮かぶ。ほむらはその話をただこくりと頷いて聞いていて。ふと、何か思い出したように口を開いた。
「恋人とかいないの?」
「わ、そうきたか」
さやかはへらへらと笑った。だがほむらはいたって無表情で。
「いないわよ、まあ好きなひとはいたけどね」
「上条恭介でしょ」
「なんで知ってるの?」
あの日のようにさやかは驚いた。ほむらは表情を崩すことなくぽつりと「内緒」と呟いた。
「まあ…確かにあの頃は好きだったけどさ」
肩をすくめるさやか。ほむらを追求する気はないらしい。
「でもなんだろう?時が経つ度にいろんなことが薄れていって…好きとかそういう感情も無くなっちゃったみたい、不思議だけどね…それに」
そう言って、しばらくさやかは黙り込んでいたが意を決したようにほむらを見つめた。
「ねえ、ほむら、私今からおかしいこと言うけど聞いてくれる?」
「……構わないわ」
「私、中学の頃の記憶があまり無いの」
ほんの一瞬だけほむらの顔が曇った。
「そうなの?」
「うん、なんというかそこだけ抜け落ちているっていうか、今でも所々しか思い出せなくて、だからほむらのこともこないだ会うまでまったく忘れてて」
「そう…」
さやかの脳裏に見滝原中の制服を着た彼女が浮かぶ。とても美しい少女だがその笑顔は禍々しくてまるで――
「あれ?」
すとん、とさやかの心の中に何かが入ってきた気がした。桜の舞う通学路、紫色の液体、黒い羽根、悪魔――
悪魔――
目を丸くしてさやかは前にいるほむらを見つめる。
「ほむら……」
「思い出したのね」
ニイ、とほむらは鮫の様に笑った。それは美しくもどこか禍々しくて。
「あんたどうして、こんな…」
怒りというよりもどこか悲しそうな表情を浮かべるさやか。それは長い間真実を忘れていたことに対する自責の念か、それとも目の前の女性に対して同情の念を抱いているためか。
「そんな顔しないで」
妖艶に微笑みながらほむらは手を伸ばしさやかの頬に触れる。
「貴方にはそんな表情似合わないわ」
さやかは右手を強く握る。もう魔法の使い方も忘れてしまっていた。
「私……ずっとあんたのこと忘れてた」
「それでいいのよ」
「まどかは?まどかを留学させたのもあんたの仕業?」
鹿目まどかは高校を出てから渡米し、アメリカの大学に進学しそのまま就職している。美樹家に居候していた佐倉杏子もまた職を持ち既に自立していた。
「それは違うわ、まどかは自分の意志でアメリカへ行った、あの子は人生を謳歌しているのよ」
嬉しそうな表情のほむら。そうして両手を胸元にあげ、叩こうとしたところでさやかの手が伸び阻止される。その表情は怒りに満ちていて。
「私はもうあんたに記憶を奪われたくない」
「そう、その表情よ美樹さやか、それで…いいのよ」
「でもどうしてあの時あそこに出席したの?あんたにとってまどか以外のことはどうでもいいはずよ」
「元かばん持ちのあなたがどんな顔をするのか見たかったのよ、かつての親友に想い人を取られたあなたの顔がね」
「こ…」
さやかは思わず手をあげる。
『なんか先越されたようで嫌じゃない?』
クラスメイトの顔が急にさやかの脳裏に浮かんだ。そしてあの時タイミングよく傾いたシャンパングラス、零れた液体が一瞬紫色に見えたことも。さやかのあげられた手がゆっくりと降ろされた。
「あんた…もしかして、私を?」
だがほむらは何も答えないままパチン、と指を鳴らした。
「忘れなさい、美樹さやか、それが貴方の――」
*****
「さやか」
「へ?」
気づけばほむらが至近距離でさやかを見つめていた。
「あ、ああ~ごめんごめん、なんかぼうっとしちゃって」
「だいぶ話し込んだからかしらね」
長い黒髪を右手で梳いて、ほむらは微笑んだ。先ほどよりもだいぶ柔らかい印象になったとさやかは秘かに思った。
「あ、ほんとだ、もうこんな時間」
さやかは驚いた表情で窓の外を見つめる。夕焼けの光が差し込んで、カフェの中はセピア色に染まっていた。
「楽しかったわ」
そう言ってほむらが立ち上がる。そろそろお開きの様だ。名残惜しそうな表情のさやか。
「なんか私だけ色々喋ってほむらの話聞けなかったね」
「私はそれで構わないわ」
「そっか…」
窓の外へ再び視線を向けるさやか、何を思ったのか微笑んで。
「なんか夕焼けってほむらみたいだね」
「そう?」
「うん、なんでかはわからないけど」
「違うわ、夜よ」
「え?」
不思議そうにさやかはほむらを見つめた。その顔は無表情で何を考えているのかわからない。
「私に似合うのは夜――きっと私は夜に生まれたのよ、明けない夜に」
*******
「あ~あ、でももっとほむらと話したかったなあ」
「今も話しているでしょう?」
「まあそうだけど」
帰る方向が同じなので、二人は一緒に帰路についた。あたりはすでに暗くなっていて。
「ねえ、ほむら」
「何」
「さっき、明けない夜に生まれたって言ったでしょ?」
「……ええ」
「私、明けない夜は無いと思っているの、もちろんその逆もあるけどさ」
さやかの言葉にほむらは答えなかった。しばらく沈黙が続く。
「それでさ」
沈黙を破ったのはさやかだった。
「私、ほむらの夜が明けるまでずっと友だちでいていいかな?」
足音が止まった。ほむらの美しい顔は相変わらず無表情で。
「だめ?」
「話足りないって言ってたわね」
「え?」
「それじゃあ、今から家に来る?」
悪魔はどうしてそう言ってしまったのか自分でもわからなかった。
それは時の悪戯か、あるいは引き裂かれた理の見えざる干渉か、だがこの悪魔とかばん持ちはいつかきっと――
END