時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
例えば見えないものが見えるようになった――
暁美ほむらは水滴で曇った鏡に顔を寄せ、そうして顔のあたりを手で抑えた。白い細い指がぴくりと一瞬反応したのはガラスのひんやりとした感触のせいだろう、そのまま手をずらすとバスタオル一枚で体を覆った陰鬱な表情の、だが、恐ろしいほど美しい妙齢の女性が映し出された。
「――あなたは誰なの?」
艶のある唇がゆっくりと動き喋りかける、その視線の先は己の顔ではなくその背後にある白い影。影は煙の様に蠢きながら人の輪郭をかたどっていて。切れ長の目を細めほむらはその影を凝視するが、それから数秒も経たないうちに影は消失した。
…ふう
溜息を漏らし、肩を落とすと再びほむらは鏡を見つめた、アメジスト色の瞳が微かに揺れる。濡れ鴉の様な長い髪がバスタオルで覆われていない部分の肌に絡み、その美貌と相まって扇情的な雰囲気を醸し出す。だが当の本人はさして己の美貌に興味が無いのだろう、まるで他人の様に己を眺めていた。
「ほむら」
声がして、ほむらははっと反応し顔を横に向けた、艶のある髪から水滴が零れ白い胸元に落ちる。
「次、私もシャワー使うからさお湯そのまま…」
洗面所の入口から白いワイシャツとデニム姿のすらりと背の高い女性が出てきた。が、洗面台の前で立ちすくんでいるバスタオル姿の美女を見て取ると女性の身体はぴたりと硬直して。
「ひゃあ!」
変な叫び声をあげながら女性は入口から姿を消した。続いてどしん、という大きな音と震動が起きる。ほむらが咳をするように肩を震わせた。
「ねえ、一応聞いてあげるけど、大丈夫?」
返事の代わりにう~といううめき声が聞こえ、ほむらは唇に指をあてた、先ほどまでの陰鬱な表情はもうそこにはない。
「まあ一応…」
頭を抑えながら女性がひょこっと顔だけ出してぼやいてきたが、ほむらと目が合うと恥ずかしいのかまたひょこっと顔を隠した。
「大丈夫よ…」
小首をかしげるほむら。姿は見えず相手のぼやき声だけ聞こえるというのもいささかシュールで。はあ、とひとしきり大きなため息をついてほむらが低い声で女性の名を呼んだ。
「さやか」
ゆっくりと女性――美樹さやかが姿を現してくる。ほむらがさやかを睨みながら人差し指をくいくい、と曲げた『おいで』のジェスチャーだ。いや正確には『こっちに来い』か。そうしてとぼとぼとまさしく従者(飼い犬ともいう)の様に悪魔の元に近寄る鞄持ち。
「ねえ、貴方まさかとは思うけど…今更「これ」で恥ずかしがってるの?」
腰に手をあて挑発的な笑みを浮かべながらほむらはさやかを見上げた。バスタオルの中の身体のラインが浮き彫りになり、それに合わせてさやかの視線が遥か遠くの方へと泳ぐ。どうやら図星のようで。
「変なひと」
そう言って予備動作なく、ほむらはすとんとさやかの身体にしなだれかかる、ひゃ、と変な声をあげる相方に苦笑しながら目を瞑ると猫の様に気持ちよさそうに顔を擦り付けた。
――いつもはもっと恥ずかしい姿見てるくせにね?
そう心でほむらは呟くと敢えて念話として相手へと送った。ぴくり、と反応するさやかの身体にまた悪魔の口元が少し緩んで。
「…あんたってもうほんと」
絞り出すようにさやかの口から声が漏れる、念話で返す余裕は無いようだ。そういうわかりやすい所は操縦しやすいという意味で悪魔は気に入っていて。
「あれ、ていうか、あんた髪まだ濡れてるじゃない!乾かさないでこんなとこでずっと何してたのよ?」
「ああ…ちょっとあり得ないものが見えたのよ」
「あり得ないもの?」
「ええ、あそこに」
さやかにもたれたまま顔を鏡に向け、くい、とほむらは顎を軽く突き出した。さやかが鏡へ視線を向ける。そこに映っているのは電球色に染められた壁紙をバックに寄り添いあっているバスタオル姿とワイシャツ姿の妙齢の女性だけで…他には誰も映っていない。はっ、とさやかが何かに気づいたようにほむらを見つめる。
「え?待って、それってまさか幽…」
こくり、と頷くほむら。さああ、とさやかの顔から血の気が引いていった。
「なあに?赤くなったり青くなったり忙しいひとね」
上目遣いで苦笑するほむら。
「…まさか貴方幽霊が怖いの?」
「ち、違うわ…ううん、ちょっと、ちょっとだけ怖いかな?」
元かばん持ちの存外素直な言葉に悪魔は吹き出して。
「魔法が使えるのに怖いだなんて貴方相当ヘタレね」
「ひど!…まあ、でもそうよね…なんでだろうちっちゃい頃から苦手だったからかしら、あんたは…大丈夫なの?」
「え?」
ほむらは珍しく目を少しだけ丸くした。穏やかなたれ気味の目が見つめ返してきて。
「あんた怖くなかった?」
「…私は悪魔よ」
「関係ないじゃん」
ほむらのアメジスト色の瞳が一瞬揺らいで。
「ああ、でもとにかくお祓いしなきゃ…」
「さやか」
「え?」
細い白い腕をさやかの背中に回しその胸にほむらは顔を押し付けた。
「ちょ…ちょっと待ってそんなに顔押し付けられたら…」
「押し付けられたら…何?」
「変な気持ちに…」
ふっ、とほむらはさやかの顔に胸を押し付けたまま吹き出した。そうして顔をゆっくりとあげる。
「…貴方のこと今度から『リトマス紙』って呼ぼうかしら」
「なんでさ」
「また真っ赤になってるからよ」
そう言って、悪魔は鞄持ちの顔に自分の顔を近づける、互いの瞳の中に己を見出せるくらいにとても近く。
「あんた、髪乾かさないと――」
「構わないわ」
「え?」
「もう一度シャワー浴びるから」
満足そうにほむらは微笑んだ。何故なら鞄持ちのその蒼い瞳に劣情の光を見出したから。
「『この後』でね」
――でも貴方がいればきっと
そうしてほむらは目を閉じ唇を押し付けた――
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何故今ここにいるのか「彼女」自身もわからない、そしてここがどこかさえも。
ただ気づけば彼女はそこに「在った」。
――伝えて
彼女は声を発した。さきほど彼女を認識した女性に向かって。
だが聞こえている様子はなかった、女性はもう一人の女性と抱き合っていて。その光景が眩しいのか、彼女は目を細めそうして煙の様にふっと消えていった――
END
R18短編集にその後のエロが描かれています(「声」)