拝啓
黄金色の街路樹が美しく彩る季節となりました。貴方はお元気でしょうか。
こう書き始めてみましたが、やはり慣れないものです。宛先のある言葉を綴るのは初めての経験ですので、色々と不手際があっても寛大な心で許して頂けると幸いです。
本当ならば時候の挨拶をもっと調べたり、この手紙の内容を推敲したかったのですが、生憎と時間がないので、このまま失礼させていただきます。
突然この様な手紙が届いて、貴方も少しは驚いていますでしょうか。この手紙を読んでいるという事は恐らくぼくは死んでいるのでしょう。もしぼくが生きているのであれば、ぼく自身の口から何かあるはずです。
どちらにせよこの手紙の処分は貴方にお任せします。この先を読まずに捨てても構いません。燃やして灰にして下さっても結構ですし、形見として持っていただいても。
まず、先に謝罪をさせていただきます。今頃、千束さんを含めた多くの方に多大なご迷惑をおかけしていると思います。身元不明、戸籍がない子どもの死体です。警察の方々も調査のために貴方達を尋ねた事でしょう。
そして、優しい貴方の事ですから、ぼくの自死に心を痛めてくれているでしょう。これでも人の本質を見抜く目は持っています。貴方が他者への優しさに溢れてた方である事も、自分の命に何処か諦観している方という事も分かっています。
ですが、ぼくも止まるわけにはいかなかったのです。なるべくしてなった、と言っても良いでしょう。ぼくというソフトウェアに組み込まれたアポトーシス機構が作動した……そういう類の予定調和です。遅かれ早かれ、この騒動は起きていました。例え、今回が何かしらの要因で見送られる事になっても、形は違えどぼくが死ぬ結末に変わりはなく、そう遠くない内に似たような手紙を貴方に届ける事になったはずです。
さて、この様な手紙を認めるのは、単なる遺書代わりという訳ではないのです。伝えなければならない事が幾つかありました。他ならぬ貴方が尋ねてくれた、ぼく自身の事について。そして、ぼくが贈る貴方への言葉。
前者に関しては貴方の疑問に対する解答をせずに死に逝く事はしたくなかったので認めました。貴方はぼくに尋ねてくれた。ならば貴方には知る権利があります。後者に関しては、完全にぼくの自己満足です。遺書であり、呪いです。
貴方には知りたい事があった。知らなければならない事があった。そして、この手紙の中には、本当ならば伝えるべきではないことが書かれています。知らなくてもいいことや、知られたくはなかったことに、知ってもどうしようもないことがたくさんあります。
ですが、ぼくはこの手紙を書きました。ぼくに興味を持ってくれた、一人ぼっちのぼくに目をつけてしまった哀れな貴方への祈り。ぼくという、世界から無視され続けてきた命が残せる痕跡。それが、この手紙の本質です。
読んでいて胸がすくような内容は一片たりとも認めていないので、読みたくないと思ったらその時点で燃やしてください。
では、長い前置きはこの辺りにして、本題に入らせていただきます。まず、ぼく自身の事についてです。とは言っても、然程面白い話でも、特別な出生があるわけではありません。
浮浪者の男が戸籍がない女を孕ませた結果。それがぼくです。ぼくが生まれる原因となった、その交尾に愛があったわけではありません。恐らく強姦でしょう。当然その様な獣の行為に避妊具なんて高等なものはなく、また堕胎という選択肢も取れませんでした。言ってしまえば、ぼくの存在は下劣な行為、犯罪に起因するものです。生まれた事自体が罪であるとも言い換えられます。
父は母に殺されました。行為後に射殺した様です。何故銃を持っていたか、については後ほど詳しく書かせてもらうので今は気にしないでいただきたいです。仮に、殺したのが嘘だったとしても以降のぼくの人生に父は出てきません。故に死んだと考えて差し支えないでしょう。物語に関与しないという事は、死と同義です。いてもいなくても変わらないなら、いなくてもいいなら、それは存在に必要性がない事の証左になります。
母はぼくを育てました。何か理由があったとは思えません。生まれたから育てる……その程度の、獣の様な思考回路でぼくの飼育をしていたのでしょう。
あの人は頭が足りなかったですから。最期まで壊す事、殺す事ばかりが上手くて、それ以外がてんで駄目な典型的な社会不適合者でした。
ぼくは母に連れられ、全国を転々としていました。或いは母の過去から逃げていたとも言い換えられます。母はそれなりに腕が立つ様で、民間警備会社の日雇いバイトで食い繋いでいました。あくまで、『母は』です。ぼくはその辺りの生ごみや、虫や鼠の死骸を貪っていました。生きるのに必死だったのでしょう。
今思えば何故そんなに生へ執着するのか全くもって理解不能ですが、当時のぼくもまた獣だったのでしょう。知性がなく、言葉を綴らず、生存欲の塊の醜いけだもの。蛙の子は蛙と言いますが、こうも度し難い遺伝子の連鎖が続くとなると気が滅入ってしまいそうです。
転機はぼくが6歳の頃です。ぼくの母は殺されました。父と同じように、頭蓋を弾丸で貫かれて。
ここでぼくの母が何故銃を持っていたのかの話になるのですが、どうやら母は国家直属の暗殺組織の元エージェントだったようです。噴飯物の、出来の悪いジョークみたいですが、ぼくが知る限りではこれが真実だと思います。名前はリコリス、だった気がします。10年前の霞んでいる記憶なので異なっているかもしれませんが、些事でしょう。
何はともあれ、国家の安寧や秩序を脅かす危険人物を、マーダーライセンスなんて巫山戯た免罪符を持ちながら、日陰で殺して回っている公認の暗殺組織がいるという事を頭に入れていただければ大丈夫です。
話を戻すと、目立つ真っ赤な制服を着た10代くらいの少女と、それに随伴するベージュと紺の制服を着た子達が雪崩れ込んできて、ぼくの母を命から肉塊にしました。ぼくはその一部始終をクローゼットの中から見ていました。どうやら母は脱走兵のようで、ずっと組織に追われていたようです。日本全国を転々としていたのは組織に見つからないように、置いてきた過去に殺されないようにするためでしょう。
此処からは推測になりますが、母が脱走したのは単純に臆病だったからでしょう。誰にも知られず無価値に死に逝く恐怖に耐えられなかったのでしょう。ぼくという荷物を生かしているのも、世界に存在した証を残したかったからと考えると辻褄が合います。殺す事しか知らない女です。暴力を振るうしか能がない女です。酷く脆い、弱くて醜い阿婆擦れです。
まともな教育を、まともな食事を与えられた記憶はありません。恐らく、徹頭徹尾兵器として生産されたため、子を育み育てるプログラムを組み込んでいないのでしょう。
ぼくはずっと冬の寒さに凍えていました。凍傷の所為で、足の指は何本か欠けています。ぼくが母であると認めなかった女の温度を初めて知ったのは、撒き散らされた血潮に触れた時でした。ぼくは母の冷たさに安堵しました。母を騙った女もぼくと同じだと。遺伝子と血、鎖よりも強固なもので繋がっていると。
こうして女は死にました。撒き散らされた血も、その肉の塊も全部漂白されて最初からなかったように。戸籍も残らず、ぼくの記憶からも風化している母は、皮肉にもその恐怖した末路を辿ってしまいました。ぼくはもう母の名前も声も顔も思い出せません。そういう存在がいた記憶も風化しています。ただ、6歳頃までぼくの隣に母を騙った雌がいた事は覚えています。そして、12歳ごろまで生前の雌の稼いだ資金で生活していたことも。
母はぼくを憎んでいました。欠片も愛していませんでした。憐れんでいました。形だけ人間の畜生で、雌でした。獣の癖に敵愾心と憎悪だけは一人前で、ぼくの貌に撃ち殺した男を重ねて、首を絞めていました。ぼくがずっとストールを巻いているのは、絞首痕を晒さない為です。女が遺した、ぼくが肉体である限り消えない瑕です。
ぼくも同様に、女を憎んでいました。憐れんでいました。こんな醜い生き物が2つも存在できる世界の寛容さに感動していました。
結局、女は自分の生に意味があると思い込みたかっただけだったのです。
喪ってしまったものは喪われたままで、どれだけ取り戻そうとしても喪われたものはイデア界のようなぼくたちが足を踏み入れることの出来ない場所で不可逆的な非実在になってしまいます。良くも悪くも補填は効かないし、虚は虚のまま。
全ては悪意に通じています。この手紙はその典型例です。ぼくは、紛れもないぼく自身の悪意で貴方を傷つけようとしている。ニーチェは嘘をついた。ペテン師だった。鶏が先か、卵が先か。そんなブーストラップパラドックスは誰にもわからないんです。
こうして、貴方に全く関係ない憐れな女の生涯を陵辱し、尊厳を踏み躙っているのは、ぼくの憂さ晴らしだけではありません。女はぼくの命に多く関わっているので、可能な限り詳細に書き記す必要があったのです。
ぼくはもう、この時点で死人でした。だけど、ぼくは言葉を綴る事を覚えた。自分の内側に巣食うものを、ぼく自身の孤独を言葉に変えて。そして、それが誰かの中で毒に変わる瞬間を虎視眈々と待っているんです。特に、ぼくのように自分の傷を切開して言葉を産んでいる人に、その傾向は多いようです。ぼくの言葉はぼくを殺すことに特化していて、拭い取れない憧憬を持って首を絞めてきます。
生活も同じです。ぼくは、ぼくという命を生かす為に他者の首を絞めていました。勿論、直接ではありません。ぼくの体は女性の貴方のそれよりも随分虚弱で貧相なので、誰かの首を絞める事はできません。ですが、ぼくは確かに他人の首を、他人の生活を貪って命を繋いでいました。在り来りな言い方をすれば、売春が最も近いでしょう。
ぼくは、ぼくの唯一の所有物であるこの肉を切り貼りしていました。幸いな事に、体と顔は平均以上だったので、然程買い手に困る事はありませんでした。こうして、ぼくは金を稼ぎつつ他人の生活をじっくりと破壊する生活を、凡そ4年間続けました。
単純なセックスだけではなく、酷く倒錯的な行為をしたこともあります。ぼくの体は顔も名前も知らない不特定多数の大人に、全身余すことなく穢されています。貴方にも、誰にも見せる事を選択しなかったぼくの素肌にはその痕跡が生々しく残っています。人によっては見ただけで卒倒してしまうような、そんな醜いものです。
そういった醜さに、自身の浅ましさに絶望しながら、それでも断崖から落ちる決意もできない臆病者のぼくは、貴方に出会いました。初めて見た時、失礼ながらも親近感を覚えてしまいました。何かに雁字搦めにされている、という点で。それ以外は似ても似つかぬでしょう。
貴方はぼくが持てなかった善性を、生活を持っていました。同族を見つけた安心感は即座に嫌悪へ変わり、それは憎悪へと昇華しました。何を恨めばいいか分からなかったから、目についた貴方を、ぼくが持てなかったものを持っている貴方を恨んでいたのです。
貴方と出会った日の夜、ぼくは泣いていました。羨ましくて、恨めしくて、劣等感と自己嫌悪でぐちゃぐちゃな心は涙を選択しました。久しく行っていなかった自傷行為で、流れる冷たい血に吐き気を覚えながら夜を超えました。その夜、貴方の手がぼくの首を締め付ける夢を見ました。とても、甘美な夢でした。
貴方はぼくの全てを許してくれました。余りに陳腐な言い回しですが、それがぼくにとってどれほどの救いと苦しみを齎してくれたか、貴方は知らないでしょう。いつしか、あの場所へ向かう足取りが軽くなっていたのです。貴方の笑顔を見ると、心が満たされていました。
愛しています。いえ、初恋でしょうか。普通のレールから外れた人生を送っている為、そこまで純粋なものではないですが、何はともあれ、ぼくは貴方を愛しています。ただ救われたから、許されたから。そういった信仰や盲目を愛や恋と履き違えているわけではなく、貴方を心から慕い、惹かれていました。
貴方はどうでしょうか。ぼくを見て、何を思いましたか。ぼくを最初に視界に入れた時、貴方の目に怯えがあったのは知っています。その後は僅かな嫌悪と喜び。その後は分かりません。ぼくは初日以来、貴方の心を見透かすのをやめてしまいましたから。
貴方はよく、「誰かの為に頑張れる人がいい」と言っていましたね。それはその通りだと思います。貴方の言葉がぼくを殺しました。2度目の死です。ですが、貴方が罪悪感を覚える必要はありません。ぼくが貴方の言葉に身勝手な絶望を抱いて、身勝手に自殺しただけです。
貴方の生き方は、ぼくには眩しすぎました。貴方の言葉は、ぼくにはナイフと大差なかった。貴方は命を大事にしている。貴方は命を尊んでいる。だけど、貴方のそれは愛玩だ。自覚はないかもしれませんが、貴方は自分の優位性を疑っていない。貴方はいつも自分が命を摘み取る側であると思っている。きっと、貴方は強いのでしょう。生まれてから今まで、決定的な敗北を味わった事がないのでしょう。故にそこに傲慢を孕んでいます。努努、気をつけてください。その傲慢さは貴方を殺します。ぼく達人間は虫一匹にすら殺される矮小な存在です。命を奪わない貴方の強さは、命を奪えない弱さに反転します。貴方のその視点では大切なものを見落としてしまいます。灯台下暗し、とはよく言ったもので、貴方は無自覚に他者を苦しめている。貴方は自分の言葉が凶器であることを自覚するべきです。人間は正しいことが大好きな癖に、正しいことだけでは生きていけないのですから。
ぼくは母が嫌いです。父も同様に嫌いです。ぼくには最初から家族なんてものはなくて、ずっと1人でした。ぼくには実りあるものは与えられなかった。そして、そのことに気が付かないまま、ぼくはこれまでに抱え込んだもの全てを飲み干してしまった。
孤独も、怒りも、哀しみも、愛も。その残滓が夜毎に涙になっていました。貴方の前で見せた涙も、その残滓なのです。空っぽのままで、がらんどうを抱いて歩き続けるぼくの生涯はきっと、何も産まないのでしょう。ぼくの目にも、ぼくの行為にも何も込められていない。ぼくは、ぼくの紡いだ言葉にその髄があるのです。全てはぼくの16年という生涯の悲鳴と血でできていて、沈む涙が滲んで文字になります。
ぼくの言葉を綺麗と言った貴方は、きっと流血に愛されている。気を悪くしてしまったら申し訳ありませんが、貴方の本質は殺人鬼なのです。血と悲鳴に愛された、美しくも残酷な存在。貴方はそれを隠して、或いは知らずに生きている。
誰も傷つけず生きる人間はいません。誰も殺さずに死ぬ人間はいません。闘争本能というファクターが、サディズムがその攻撃性を肯定しています。程度はどうであれ、ぼくも貴方も流れる血に興奮する本能を持っているんです。だから、貴方はどうかそれを抑え込まないで。貴方はきっとありのまま咲いた方が美しい。積極的に殺して回れとは言いませんが、大切な時に人を殺せる心構えはした方が良いでしょう。自分の命を優先する事は悪いことではないのです。貴方の命を尊ぶ人がいる事を、お忘れなきように。
さて、随分長々と書いてしまいましたが、この辺りで終わりにしようと思います。
ぼくの心臓は止まり、貴方の心臓は動いている。時間は不可逆で、時計の針は前にしか進めない。変わらないことは出来ないのです。どれだけ遅くても着実に変化は進行しているものです。季節と同じで、移ろいを感じていないと突然の変遷に驚いてしまうこともあるでしょう。
それでも貴方は本質的な部分ではなにも変わることはないのです。ほくが貴方を憎みながら愛しているように、貴方にも変わらない何かがあります。それを美しいと思うか、醜いと思うかは貴方次第です。だから、思うように生きてくれると嬉しいです。死にゆくものを振り返らないで。貴方は生者なのだから。貴方にしか救えない人が、貴方にしかできない選択はきっとあります。
今まで、ありがとうございました。いずれ、また御逢いしましょう。その時は破ってしまった約束の埋め合わせをさせてください。
さようなら。ぼくの愛しい死神。
敬具