「レッドー、はやくはやくー」
少し先を歩いていた金色の髪をした少女が振り向いて急かしてきた。少女のことは知っている。たしか、シロナだっただろうか。……いや、なんで彼女の名前を知っているんだろ。彼女は夢で何度か見ただけで名前なんて知らないはずなのに。
わからない。そもそもこれは本当に夢なのだろうか。
「そう急かすなって」
夢の中の自分が答える。自分の意思ではない。けど、確かに自分がそう言っている。
なんとも言えない気持ち悪い感覚だ。
「もう! はやくしないと〇〇〇の限定アイスが売り切れちゃうでしょっ」
「そう簡単にアイスなんて売り切れるわけないだろ。もしそうだったらみんなアイス屋開いてるって」」
手を腰に当てながら如何にも怒ってますと言わんばかりにシロナは言う。それに対して自分は素っ気ない言葉で返す。まるで女心がわかってない男そのものだ。でも、そういう風に自分も言い返すだろうという自覚も確かにある。
「はやくいかないと私が食べる分が減っちゃうでしょ」
「なんだよそれ。ていうか、太るぞ」
「アイスは別腹だから大丈夫なの。あとレディに対してそんな言葉使っちゃいけません」
「誰かが言わないと止まらないからだよ」
不思議な光景だ。
これは、本当に自分なのだろうか。見知らぬ少女シロナとの関係はまるでリーフやナナミ、オーキド博士と話しているような近い雰囲気だ。いや、それ以上の信頼関係を築いているように見える。
なによりも、シロナは自分に対して笑顔を向けてくれている。夢の中の自分はそれがとても嬉しそうだった。
「ほら。はやくいこ」
「はいはい」
手を差し伸べるシロナの小さな手を、自分は適当な相槌で返しつつも確かに手を取って並んで歩き出す。
本当にこれは自分なのか、わからない。
願望か、それとも本当に夢なのか。
こんなにも優しい夢を見られるとは、レッドには到底思えなかった。
ロケット団によるシルフカンパニー及びヤマブキシティの占拠。それによって起きた多大な戦闘の被害を街が、人が、ポケモンが受けてしまった。完全なる復興には年単位を要するだろう。
特に街の一番の象徴でもあったシルフカンパニー本社ビル。これが一番酷かった。原型は最早なく、コンクリートだけがその場に残っている。
ロケット団による被害の中でもっとも幸運だったのは、街の住人からは誰一人死者は出ていないかったことだ。人もポケモンにも。
差はあれど怪我をした人々やポケモン、特に後者のが多くヤマブキシティのポケモンセンターはかつてないほど慌ただしかった。
ポケモンセンターは一応ポケモン専用の病院ではあるが、軽傷程度なら人間の治療も引き受けてくれる。それでもその患者も主に旅のトレーナーが多いのは不思議なことではない。
故に今回の事件でロケット団のポケモン問わず傷だらけのポケモンを治療し、怪我をした住民たちの治療に休む間も惜しんでスタッフは動いていた。
そんなポケモンセンターの二階にある病室に一人の女性がいた。
彼女の名はナナミ。オーキド博士の孫娘の一人。マサラタウン出身の彼女がなぜここにいるのか。それは彼女がロケット団によって人質として拉致されたからに他ならなかった。
今思い返してもナナミはいつ拉致されたのかまったく覚えていなかった。気づいたときには祖父と町の全員と一緒に拘束されていたのだから。そして建物全体が騒がしくなり始めたころに弟であるグリーンが助けに来てくれて、そのあとに自分達が地下フロアに閉じ込められたことを知ったぐらいだった。
ナナミからすればそのあとが大変だった。辺りが暗くなり、月が登り始めたころだっただろうか。ビルの入口からリーフを担いだニョロボンとグリーンが出てきた。これにはナナミもオーキドも平静を保つことはできなかった。
落ち着いたのはリーフに命の別条がないとわかったときで。それからすぐに状況を把握していたグリーンから説明を受けて自分達の身に起きたことを知った。
そして同時にまだレッドが戦っているだろうとグリーンが言ったとき、ナナミは胸が締め付けられるように苦しかった。
誰よりも彼を見ていたと自負しているからだろう。絶対にあの子は無茶をするという確信があったからだ。今もこうして危険を顧みず戦っているのだろうと。
そして急に戦闘音が止み、周囲が静かになった。それが闘いが終わったことのだと判断したのか、グリーンをはじめヤマブキシティの警察がシルフカンパニーに再度突入しようとした時だ。ビル全体から連続的な爆発が鳴り響き、建物が崩れ始めたのだ。
その場にいた全員がすぐにビルから離れようとするなか、ナナミはグリーンとオーキドに引っ張られながらレッドの名を叫んだ。
それからビルが完全に崩れ去って、ようやく落ち着いたころだったろうか。失意の中にいたナナミの耳にオーキドが「レッドが見つかったぞ!」と、血相を抱えて言ってきたのだ。
理由はわからないが、レッドはポケモンセンターの近くで倒れているところをマサラタウンの人間が見つけて、それをオーキドに伝えたらしいとのことだった。
発見当時のレッドはそれはもう酷い有様だった。体中傷だらけであちこちから血を流していた。ポケモン達も酷い状態で、唯一元気だったのはスピアーだけだった。
状態が酷いため街の病院に連れていく余裕はなく、医療の心得もあったナナミが数人の助っ人と一緒にレッドの治療にあたった。
そしてシルフカンパニー崩壊から数日経っても、彼はまだ眠ったままだ。
「……レッドくん」
何度彼の名前を呼んだだろうか。小説のように名前を呼べば意識が戻ると思ったわけではない。それでもそうしてしまうのは、自分にとってレッドは愛すべき弟あるいは息子のような存在なのかもしれない。
「マサラの生まれだけあって、傷の治りは本当に早いのは流石というべきかしらね」
意識が戻らないことを除けば、レッドの容体はとても良いものだった。あれだけ傷だらけで血を流していたのにも関わらず、数日経った今では完治とはいかないまで傷跡が少し見える程度にまで回復しつつあった。
それでもいまのレッドは全身を包帯で巻かれている状態ではあったが。
「グリーンもリーフもとっくに行っちゃったよ。早くしないと置いてかれちゃうぞ」
最初は心配で二人もしばらくはヤマブキシティに滞在していた。もちろん警察からの事情聴取などもあったが。それでもいつまで経っても目覚めないレッドを待つ暇などないわけで。二人はすでにヤマブキシティを出て冒険を再開している。
ロケット団に拉致されたマサラの住民もすでに戻っていて、オーキドも研究所のこともあって先日少し遅れて町に戻った。
なのでレッドの関係者で残っているのはナナミだけであった。
それは彼の姉としてか、それとも保護者(自称)としてなのかは、まだ本人も把握でてきはいない。
「けど、いつまでもここに居られないし。もう少ししたらマサラに連れていくしかないよね。とりあえずジョーイさんと相談だけはしておかなきゃ」
すでに容体は安定していてあとは本人の意識が戻るのを待つだけ。普通の病院なら兎も角、ここはポケモンセンター。いつまでもお世話になっているのはあまりよくはない。ヤマブキシティの病院に移るのが簡単ではあるが、状況が状況だけにいい選択とはいえない。なのでマサラタウンに移動するのがいいと考えていた。
となると色々と手続きもしなければいけないし──。
ナナミは肩をすくめながら立ち上がり部屋を出ようとしたその時であった。
「──おなかすいた」
雰囲気のかけらもないタイミング。目覚めたレッドの第一声は彼らしくもあった。
ロケット団のボスとその幹部を除いた下っ端達はかなりの人数が逮捕された。
レッドはそこまで利用していなかったポケモンセンターの天井を眺めながら、椅子に座りながらリンゴの皮をむきながら一連の事件の内容をナナミから聞いていた。
ナツメは自分が倒した。といっても命は奪っていない。なので自分が去ったあとあの場から消えていても不思議ではなかった。グリーンとリーフが幹部を倒したのも聞いたが、正直言って早々捕まる程間抜けではない。
それにしてもつくづく恐ろしい話だ。ロケット団幹部全員がカントー地方のジムリーダーだったとは。これが知られたらポケモン協会は世間から非難の嵐だろうし、街の代表で守り人でもあるジムリーダーが悪の手先だったと知られれば、世界各地のジムリーダーとしての立場と評判はとんでもないことになる。
「そういえば。街の外壁に大きな穴が開けられたらしいの」
「ふーん」
突然ナナミが思い当たる話を振ってきたが、レッドはとりあえず適当に受け流す。それでもナナミは何故か笑顔で続けて言う。
「それも外側からだって。並みのポケモンじゃあそんなことできないから、野生ポケモンじゃなくて凄腕のトレーナーのポケモンだろうって話だよレッドくん」
「なんで俺を見るの」
「別に。深い意味はないよ」
「ほんと?」
「本当」
分かってて話しているのはわかってる。だがここで言ってしまえばナナミのかみなりが落ちるのは目に見えているから言わないのだ。
しかしレッドは思う。あれは緊急事態ゆえに起きてしまったのだ。それにやったのはカビゴンで自分ではない。命令はしたが。
「ナナミさん」
「なあに」
「はやくリンゴちょうだい」
「んーもうちょっと皮が向けるからねー」
なんだか空気がよくないのでレッドは話題を変えようとするが、ナナミはそれを知ったうえで意地悪そうに丁寧にゆっくりとリンゴの皮をむいていた。
すると、部屋の扉が開いた。多分ここのジョーイさんだろうか。
「あ、ナナミさん。退院手続きでちょっと書いてほしい書類があるので受付まで来てもらってもよろしいですか」
「あ、わかりました。レッドくんちょっと行ってくるね。
そう言いながらナナミは持っていな果物ナイフと途中までむかれたリンゴが乗った皿を椅子の上において部屋を出てしまった。
なんて冷血な女なのだ。目の前のご馳走を置いたままでどこかへ行ってしまうなんて。これでは拷問だ。
ひとり残されたレッドは生まれて初めて姉のように慕っていた彼女に対して怒りを覚えてしまうほどであった。
しかしただ無力で終わる自分ではない。
リンゴは自分から見て2時の方向。距離は30センチから50センチ。まだ体が癒えていないのとずっと寝ていた所為もあってまだ満足に体を動かすが難しいが、それでもと目の前にあるご馳走を手に入れるために体を起こしながら手を伸ばす。
「もうすこし……あとちょっと……」
目と鼻の先にあるリンゴすら満足に取ることができないいまの自分があまりにも不甲斐なさを感じる。トレーニングが足りていない証拠だ。あの戦いは、本当にちょっと自分に運があったから勝てたようなものだ。実力とはほど遠い。何よりもその所為でサカキには逃げられてしまったのだ。
だから体を早く治してまたトレーニングをしよう。その決意とともに指先がリンゴに触れようとした瞬間、リンゴは視界から消えた。それも第三者の手によって。
視線を上に向ければ、そこには看護服を来た見覚えのある顔をした女がこちらを見下ろしていた。
「無様だな。それでも私を倒した男の姿か、これが?」
「……ナツメ」
行方をくらましているであろうロケット団幹部のナツメが、何故か看護服をきて目の前に立っていた。
「もっと驚け。わざわざ変装してきた甲斐がないだろう」
「なんでここにきた」
「ふん。つまらんガキだ」
そう言うとナツメは能力で浮かしていたリンゴを六等分すると、そのうちの一つを口に入れた。思わず体に力が入る。だが相手が彼女ではいまの自分は相手にならないと判断しすぐに冷静になろうとする。
「で、何の用だ。動けない俺を殺しにでもきたのか。だったらナイスタイミングだな。俺は抵抗すらできない」
「本当につまらないガキだなお前は」
呆れながら言うが顔は笑っている。彼女はリンゴを浮かしたまま皿に乗っていたナイフを手に取って、動けないレッドの首にナイフの先端が触れないギリギリのところで突きつけた。
殺す気はない。直感になるがレッドはそう判断した。どちらかと言うと遊び、自分をからかっているのだと。
「結局なにがしたんだお前は。見舞いにでもきたのか? いやそれはないか。手ぶらでくる人間は普通いないからな。ていうかリンゴよこせ。それは俺のだ」
「食い物になると年相応だな。まあやらんが。あむ……うむ、普通のリンゴだな」
「くたばれこの畜生が」
「おーこわいこわい。あむ……うん、普通だな」
「ころす」
それからナツメがリンゴをすべて食べきるまで似たような事が続いた。
食べ物の恨みは恐ろしい。それをこいつに身をもって押してやる。心の中で強く硬く誓う
「さてと。本題に入るか」
「とっと帰れ。不法侵入の変質者め」
食べ終えた彼女は皿をどかしてまるで自分の椅子だったかのように遠慮なく座った。もちろん片手にはまだナイフを持ちながら。
そして彼女はその本題を話し始めた。
「こうしてお前の前に姿を現したのは……そうだな、最後の確認かあるいはケリをつけるためと言ったところか」
「確認? ケリ?」
ナツメはそう言いながらこちらをじっくりと観察するように見つめてくる。黙っていれば美人だとレッドは思う。けど性格は最悪で、人のリンゴを勝手に食べる最低の女だ。それもロケット団幹部で、いまは元がつくが。
「結局のところだ。お前は私にとって何なのかを知りたかった」
「俺は知らないぞ」
「だろうな。しかし、別の未来ではお前と私は仲がよさそうに話している未来もあったわけだ。つまりは男女の仲というやつだ」
「冗談にしてはキツイ」
「同感だよ。ただそういう未来もあった……いやあるのだろうな。いまの私とお前ではその未来は絶対に起こらないのは間違いない。それでも私は……どこか期待していたよ。そんな未来を」
「お前が?」
「意外か」
「ああ」
迷わず肯定する。
ロケット団幹部というのは抜きしても、ナツメという女は他者を寄せ付けず信頼もしない。冷たい女とまでは言わない。だが、誰かと恋仲になりたいと思うようなロマンチストには見えないだろう。
「私だって女だ。恋をすることもあるだろう。もちろん弱い男には興味がないが」
「だから俺だと?」
「自惚れるな。お前は確かに強いが、クソ生意気な子供を好きなるような物好きじゃあない。単に……羨ましかっただけさ。楽しそうにお前と話す私がな」
儚げに遠い場所を見るような目でナツメは言った。これが彼女の本質、願望なのだろうか。誰もが普通に望むようなことを彼女も望んでいたのかもしれない。
だがそんな彼女にレッドは言った。
「それでも俺とお前は何かになることはないよ。敵だからとかそういう理由じゃないけど。それにもう殺しあう理由もない。だからただの……互いにイヤな相手、ぐらいの関係になるんじゃないか」
万が一にも、それこそ天文学な確率で、本当に何かきっかけがあればそういう関係になるのかもしれない。
いや、なっていたのかもしれない。
現にナツメがいう予知夢で見た未来がその証拠になるだろう。自分からすればまったく想像ができないが。彼女は自分の不確定な未来に翻弄された被害者とまでは言わない。ほんの少しボタンを掛け違えた、そんなミスで変わる未来もある。
人生なんてそんなものだろう。子供ながら達観しすぎている、とレッドは思った。
「そう、だな。確かにそうだ。アレはただの予知夢で、私だが私ではない世界での話だ」
子供の戯言に感化されたのか、妙に憑き物が落ちたようなスッキリした表情をしている。
ナツメは椅子から立ち上がると、レッドの体を上から覆うように彼の顔を覗き込む。互いに瞬きせずに見つめあう。
見納めと言わんばかりにナツメはレッドの目をジッと見つめ、そしてベッドから降りて彼から背を向けた。
「帰るのか」
「もう用はすんだしな。ああ、最後に」
部屋を出ようとしたその時、何かを思い出したのか足を止めた。
「なんだよ」
「イヤなヤツらしく早速意地悪しておこう」
「は?」
「お前を助けてマサラの人間に無事を知らせたのはこの私だ。なので貸し一つだぞ、レッド」
「俺は知らないからノーカンだ」
「くくっ。貸しは貸し、だ。また会おう、レッド」
ナツメは顔だけこちらに向けてイヤらしい笑みを浮かべながら去っていった。
「……イヤな女だ」
枕に深く頭を預けながら目を閉じる。どう見てもあの女と恋仲になるとは到底思えなかった。まあ先に口に出したのはこちらであるが。また会おうなんて言っているが、こちらとしては会う気はないし会いたくもない。
なにより貸しだって?
あいつが勝手にいるだけだろう。こちらは全く身に覚えないのだから知ったことではない。レッドはイヤな相手に貸しを作りたくなどない。なので忘れることにした。
「回診の時間でーす。おーやっぱ少年くんか。意外と元気そうね」
すると空いた扉からノックをしながら知っている顔のジョーイさんがやってきた。確か最後に会ったのはタマムシシティだっただろうか。つくづく何かの縁を感じる気がしてならないのは気のせいだろうか。
「なんでここに?」
「そりゃあ人手が足りからに決まってるでしょ。ニュースで見た時も驚いたけど、本当にシルフカンパニー壊れちゃったのねー。お姉さんびっくり」
「そんな驚いているようにはみえないけど」
「そんなことないわよ。あ、ところで聞いてよ! さっき休憩しようと思って更衣室に戻ったらね、予備の制服と下着がなくなってたのよ!」
「忘れたんじゃ?」
「そんなわけありますか! きっととんでもない変態の仕業よ。わたしってこれで着やせするタイプあだから脱いだらすごいんだから! それを知った変態が盗んだに違ないわ……!」
「……」
目の前のジョーイさんは確かに美人というかいい女というやつだと思う。こうスッとしてモデルみたいな体系かと思っていたが、まさか着やせする方だったとは。
そんなにスゴイのだろうか。
思わずつばを飲み込む。何故かそこには年相応に反応するレッド。ただここでふとあることを思い出した。
ナツメだろ。盗んだの。
わざわざ変装してきた、そう言ってたのを思い出す。ただ本当はここに直接テレポートすらできないのではないか。となれば納得はできる。だがしかしなんで看護服なのか。
思わず先程のナツメの姿を思い出す。間違いでなければだが、妙にサイズがぴったりだったのは偶然……うん、偶然だな。
ナツメとお姉さんのスタイルが一緒だとは何となく思いたくないレッドだった。
「ところで。なんで少年くんはそんなボロボロなの?」
「……なんででしょう」
ロケット団と戦ってました、と素直に言えないので苦し紛れの言い訳をするしかなく、ナナミが来るまで彼女の質問の嵐を捌くのはまさに空腹の中で行うのは先日の戦いよりも過酷であった。
タダイマ。
不定期更新でなんとか原作3巻までは終わらせたい(願望)