ロリババアの道程   作:穢銀杏

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 我等は進化停止の運命に陥らないように努力せねばならない。今日までの努力にもいや増して、一層深く自然を支配し、しかして自然の富源を開拓し、かつ自然淘汰に対する我等の叛逆を進めねばならない。

(ダーシー・トムソン)



BURST編 Part1

 

 

 光が降っていた。

 

 蛍火を思わせる淡やかな黄金色の輝きが、夜の空から深々と舞い落ちていた。

 

 その正体は分からない。背後に控えるペイラー・榊の叡智なら、何がしかの考察を導き出せる――否、既に導いているやもしれないが。態々それを問いただし、開陳させてみようなど、無粋な真似をする者はこの場に一人もいなかった。

 

 あまりに幻想的な光景を前にして、皆が皆、心打たれて慄えていたのだ。

 

 フードを外したソーマがそっと手をかざし、すぐ鼻先を漂っていた光をつかまえ、きつく、きつく握り込む。そうすることで、いってしまった少女の残影をより強く己の中に焼き付けようとするかのように。

 が、すぐ隣で行われているこの動作に、彼女は少しも気付けなかった。

 

(美しい。――)

 

 頭を占めるはその一念。単一の念のみが他の一切が立ち入る隙を潰しきるなど、生涯初のことである。祖母が死んだ時ですら、ほんの微量、芥子粒ほどではあるものの、冷徹に己を客観視する余地を残していたというのに。

 彼女自身どうしてこれほど心に響くか分からない、魂抜かれて連れ攫われたかの如き、説明不能な圧倒的感動。これはもう、忘我の境地といっていい。

 

 ゆえに彼女は覚れない。自分が今していることが、一体どういう効果を生むのか。

 

 常日頃の彼女なら、未知の事物と遭遇すれば、必ずそこに潜むであろう危険について考慮し備えてきたというのに。

 愚かしくも最も必要とされたはずの瞬間に、ただこの一時(いっとき)に限ってのみ、彼女はそれを怠った。

 

 ――この感動は、自分を殺す。

 

 ここでそれに気付いておれば、あるいは先の展開は、もっと違った経路を辿っていただろう。

 しかし現実にそうと知ったのはずっと後で、その時にはもう取り返しのつかないまでに崩壊が進んでしまっていた。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

「なんと、わしの神機にガタが?」

 

 アーク計画の後始末にも大方ケリをつけ終えて、安定した生活の戻ってきた矢先のことだ。

 神機整備班所属、楠リッカその人より齎された報告に、彼女は両目を見開いた。

 

「うん、あちこちに不具合が出ているんだけど、装甲のジョイント部分が特にね」

 

 差し当たっての応急処置はしておいたけど――と、眉間にぎゅっと皴を寄せつつ語を継ぐリッカ。

 

「近々本格的なメンテナンスをしなくちゃ駄目かもしれないから、留意しておいて」

「あい分かった、委細承知したとも。しかしなんじゃな、神機とは存外脆いモノであるのかの。先代もおらぬわしの神機にこうまで早くガタが来るとは」

「何言ってるのさ、普通に使っていたなら短期間でこんな風にはならないよ」

 

 じろっと、なじるような眼光が彼女の鼻梁を睨め上げた。

 

「わしの使い方に問題があると?」

「それ以外に考えようがないね。ほぼ同期のアリサやコウタには起こっていない現象だし、はっきり言って酷使のしすぎだよ、君」

 

 そうなのである。もうベテランと呼ばれるようになって久しいというのに、彼女は未だ新人時代と変わらないオーバーワークっぷりを披露し続けているのだ。

 極東支部の休暇取らず、と一部で噂になりさえしたらしい。多いときなど一日に五回も六回も出撃したと、データバンクに刻まれている。

 その上彼女が愛用している神機形態は「剣」なのだ。あらん限りの膂力で以って、アラガミに直接打ち込んでゆく。こんな持ち主にかかっては、神機の方もたまるまい。いくら丈夫に出来ていようと、悲鳴を上げるのは必然だろう。

 

「ツバキさんが書類片手に呻ってたよ、あの馬鹿どれだけ有休貯めれば気が済むんだ、利子でも期待してるのか、そのうち殴り倒してふん縛ってでも休ませてやる――って」

「おお、おそろしいおそろしい。怠慢ではなく勤労を注意されようとは、なんとも面妖な話よなあ」

 

 こんな彼女を指して、

 

「あいつは暴れ回るのが好きなんだ。戦闘中毒者(バトルジャンキー)ってやつさ」

 

 とか、

 

「極度のサディストなのよ。アラガミの血飛沫や断末魔に興奮して体を火照らせるって聞いたわ」

 

 などとまことしやかに嘯く手合いもちらほら居るが、勘違いも甚だしい。

 彼女はただ、己の勘と技量とが、錆び鈍るのを恐れているだけなのである。

 

 如何に優れたピアニストでも一日弾かねば自分が気付き、二日弾かねば周囲が気付き、三日弾かねば客が気付く。それと同様に(いくさ)の腕も、怠けていればどんどん落ちていくのでは――と、彼女は本気で不安であった。

 ましてや相手は誰あろう、一秒たりとも休むことなく知識を貪り高みを目指し、変質に変質を繰り返し、より無慈悲な属性を、より(したた)かな特徴を発現させては止まらない、アラガミという超生命体ではないか。

 

(もたもたしておれば、一気に置いていかれる)

 

 危機感に衝き動かされて当然だ、と彼女は言うに違いない。彼奴(きゃつ)らを絶滅させない限り、真の安息はないのだと。

 

「どんなにいい薬でも摂り過ぎれば毒になる。たまにはいっそ敢えて毒を飲むのが大切さ」

 

 そんな内心を知ってか知らずか、リッカはにべもなく言いきった。

 

「そんなもんかのう」

「そんなもん。とにかく、自分の神機がいつ爆発するか分からない爆弾を抱えた状態ってことは忘れないで。もしちょっとでも違和感を覚えたら、すぐに撤退するんだよ」

「了解。しかし、くく、その言い方。まるで母が子に下知するかのようじゃなあ」

「ん、まあ、これでもそこそこ神機と付き合ってきてるからね。自然とそういう気分にもなるし、それを引きずることだってあるんじゃないかな」

(うむ、やはりいい女じゃなあこやつ)

 

 変に照れを差し挟まないさばさばした風采は、彼女の大いに好みとするところであった。

 そして、ああ、やんぬるかな。リッカの忠告は虚しくなった。これよりほんの数日後、最悪のタイミングで抱えた地雷は作動した。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 その日、彼女は新種のアラガミ・「ハンニバル」の討伐任務を受諾して、嘆きの平原へ繰り出していた。

 

 統率するは、もちろん第一部隊の仲間たち。

 

 ハンニバルに関しては事前に様々な噂を耳に入れたが、なにぶん新種なだけあって、断定できる要素は少ない。ただ、桁違いの戦闘力と生命力とを兼ね備えた強敵という一点だけは、ほぼほぼ間違いなさそうだ。

 

「大丈夫、このメンバーならどんなのが来たって負けやしないさ」

 

 と、いつも通りの陽気さのまま藤木コウタが放言し、

 

「油断は禁物ですよ、まったく」

 

 それを諌めるアリサの声も、心なしかやわらかい。少なからず彼の意見に同調するところがあったのだろう。

 

「………」

 

 ソーマが無言なのは毎度毎度のことである。

 が、今日に限ってはもうひとり、

 

「………」

 

 どうしたことやら彼女までもが口を噤んで黙然と脚を動かしていた。

 

「リーダー?」

 

 その態度に不審を抱いたアリサが、そっと彼女に呼びかける。

 

「――。ん、ああ。どうかしたかの、アリサ」

「それはこちらのセリフですよ。心ここにあらずって風でしたけど、どうかしましたか」

「ちくと考え事をしておった。思えば長い付き合いになるというのに、こやつへの気遣いが欠けていたとな」

 

 こつ、こつと神機を叩きながら言う。事情を知るアリサはそれだけで、ああ、と合点した表情になった。

 

(とっさについたにしては上出来だったのう)

 

 ところがどっこい、口に出したのは真っ赤な嘘。真実はまるで別にある。

 

(――おる。まいったな、よもやこれはどまでとはの。正味、思いもせなんだぞ。過去に打破した如何な怪物連よりも、剣呑かつ凶悪な輩がこの先に待ち構えておるわ)

 

 彼女は緊張していたのだ。研ぎ澄まされた直感の為す業なのか、まだ姿を見せてもいない敵手の気配を察知して。

 直接対峙していないにも拘わらず、肌が粟立ち鼓動が早まる。まるで新兵の頃、初めてヴァジュラと相対したときの焼き直しだ。

 

「リッカさんにも言われたでしょうけど、違和感を覚えたらすぐに退いてくださいね。神機の代わりはあってもあなたの代わりはいないんですから」

「嬉しい事を言ってくれる。然らば頼りにさせてもらおうか、お主らが気張ってくれればわしの出番も少のうて済むというもの」

「ふん」

「任せてよリーダー、上達した俺の腕前、見せてやるって」

 

 硬くなり過ぎず、さりとて気抜けしたというわけでもなく。丁度いい具合に気力が充実したのを感じ、彼女もまた丹田に力を意識する。

 

(おそらく、そう易々とはいかんじゃろうが)

 

 それを口に出すことはしなかった。部隊の頭の恐れというものは、単に一個人の感情ではない。

 それは付き従う者すべての心に滲み渡り、士気を著しく損なう結果に波及する。自意識過剰ではない。これは物理的必然だ。規模の大小に拘らず、集団の大将たる者は常に泰然自若と構えておらねばならぬのだ。

 

「ほほう――」

 

 と、そう自認していた彼女であったが、いざ討ち果たすべき大敵を目にした瞬間、不覚にも感嘆の吐息が漏れるのをどうしようもなかった。

 通常、アラガミというものは何かしら既存の生物を思わせる造形をとるものだ。ヴァジュラならば猫科、ボルグ・カムランならば蠍、シユウならば鳥、といった具合に。

 

 しかし、このハンニバルは違う。

 

 懸絶している。

 形の上でも全く新たな生物としての地平を切り拓いており、しかのみならず精緻さは、完成度たるやどうだろう。

 造形上なんの欠点も見受けられない。頭のてっぺんから尾の尖端まで、何処をとっても虐と破壊を押しつけるため、最適化されきっている。必ず殺す――必殺の意志を物質に具現させたなら、たぶんこんなのに結実するのでなかろうか。

 自然というより、いっそもう、銃器や刀剣――戦うための人工物がときに発する美々しさを、このアラガミは確かに身に着けていた。

 

 これが真龍、ハンニバル。紛れもなく今現在の、全アラガミの頂点に君臨する個体。

 

(二十年か三十年ぽっちでよくもまあ、かくも苛烈な進化を遂げたものよのう)

 

 つくづくふざけた成長速度に辟易せずにはいられない。

 天をも揺るがす咆哮が轟き――かくて闘争の火蓋は切られた。

 

 

 

「ほれ、いつまで寝ておる、早う起きんか。格好いいところを見せてくれるのではなかったのかえ」

「うう、ごめんリーダー、助かった」

 

 歴戦の古強者たる第一部隊の面々が、リンクエイド(蘇生措置)を多用せねばならなくなるまで追い込まれている。これはなにも、毒だのなんだの、ハンニバルが特別変わった性質を備えていた所為でない。

 

「ぐっ……!」

 

 尾による薙ぎ払いを装甲で防御(うけ)たソーマの身体が、寸前バックステップで射程外に逃れていた彼女より、更に後ろへ素っ飛んでゆく。速度、威力、範囲。どれをとってもボルグ・カムランのそれを大きく上回る一撃であった。

 

「まったく、怪物じゃな」

 

 おちおちぼやいてもいられない。

 彼我の間合いが瞬息裡で詰められる。

 見上げるような巨体であるのに、この素早さはどうだろう。めったやたらに撹拌される大気の悲鳴が聴こえるようだ。間髪入れず振り下ろされた拳撃を、半身になって再びかわす。ものすごい音を響かせて大地が陥没、蜘蛛の巣状に亀裂が走る光景を、彼女は間近で見せつけられる運びとなった。

 

(加減しろ莫迦。強すぎるぞ、なあ、お主)

 

 そう、このアラガミは純粋に強い。

 攻撃手段は拳打に炎に尾っぽにと、今まで出会ったアラガミ共と似通ったものばかりだが、すべての威力が単純に図抜けきっているのだ。

 

 小細工など要らぬ、絶対的な力を以って押し通るのみというのは大抵のアラガミに共通した特徴だが、こいつほどそれが顕著な奴はいまい。両の手に握られた獄炎の剣、あれを振り回すだけでほとんどのアラガミもゴッドイーターも死ぬだろう。

 なるほどこんな化け物が相手では、如何に精強を誇る第一部隊をもってしても苦戦するのは道理だ。

 

「っ、馬鹿力め。あまり装甲に負担をかけたくないんじゃがな」

 

 が、そんな修羅場の渦中でも、彼女だけは相も変わらず毫もぶれない。

 

 流石にハンニバルの猛攻ともなるとかわしきるのは至難らしく、装甲を多用させられてはいるものの、直撃打を浴びざる事実に変化なし。

 個々の命など水面に浮んだ泡も同然、些細な刺激一発でパチンと容易く弾けてしまう、他愛のないものである。――そんな錯覚を惹き起こさせる悪夢のような戦場で、こうも揺るぎないものがあるのは無条件で頼もしい。大丈夫、まだ大丈夫、きっとやれるはずだと見る者たちに安堵と力を与えてくれる。

 

 この点から窺うに、なるほど確かに彼女には、一隊を率いる頭として相応しい資質があったろう。

 先代支部長の含むところありきな人事だったとはいえ、選択自体に誤りはなかったということか。

 

「渡します、決めてください!」

「おお、任せえ。みなぎるわい!」

 

 ゆえにこの結末はある種必然、「お約束」に近いモノ。彼女が健在である限り、第一部隊の敗北など金輪際あり得ないのだ。

 リンクバーストにより極限まで高められた身体能力。それを以って、剣形態の神機をハンニバルの胸に突き立てる。深く深く、柄まで埋もれと言わんばかりに、執拗に。

 さんざん削られた挙句、こんなものを喰らってはたまらない。さしもの究極生物も断末魔の絶叫を上げ、その身を地面に叩きつける以外なかった。

 

 

 

 誰が見ても分かる、死闘はこれで決着したと。

 

 

 

 だいぶ梃子摺ったとはいえ誰一人欠けることなく任務を遂行できたのだ、大成功に違いない。

 そう、そのはずだし仲間達も同様に考えている証拠に、安堵の吐息をつきながら倒した獲物に群がっている。あの用心深いソーマまでもが、だ。どう勘繰っても不安要素など見出せっこないのだが……。

 

(なんじゃ、これは?)

 

 ほんの僅か、一抹の不安がこびりついて離れない。じくじくと、疼痛を生産し続けている。まるで魚の小骨が喉に引っかかったかのようだ。

 傷自体は他愛もないが、齎される鬱陶しさはどうだろう。小指の先にも足らぬ異物にまんまと全身・全神経を掌握される、そんな忌々しさである。

 

「……レアものだな」

 

 疑念に身をこわばらせ、突っ立っている彼女に代わり、コアを摘出したソーマが言う。コウタなどはその隣で、興味深げに神機の先でハンニバルの死骸を突っついていた。

 

「いやー、強敵だったねえ。でもまあ、初めての相手にしちゃ上出来でしょ」

「お主ァ餓鬼か」

「余計なことしてないで、さっさと帰還しますよ」

「同感だ……」

「ひどっ!」

 

 と、露骨に傷ついたリアクションをかますコウタ。

 

「最後まで気を抜くでないぞ、予期せぬ奇襲があるやもしれんからの」

 

 彼女は「予感」をその程度と見積もった。どこか死角から、弛緩した空気を狙いすまして木っ端アラガミが仕掛けて来るのではないか、と。

 つまり彼女の想像力もその程度が関の山であったのだ。せっかく類稀なる超直感を備えていながら、十全に活かしきれなんだ。

 

 その代償の支払いは、即時即刻やってきた。

 

「ちょっと待ってよー、せっかくの新種なんだしさー……」

 

 むくれたようにぶつぶつこぼすコウタの声を背中で受けて、一歩踏み出した途端。

 

 彼女の中の不吉な予感が、その体積を数百倍まで膨張させた。

 

 もはや爆発といっていい。

 

「――!」

 

 あまりのことに思考が凍る。裏腹に、体の方は例によって例の如く勝手に駆動し始めていた。

 ぐるりと踵を返した先で飛び込んできた光景は、確かに息の根を止めたはずのハンニバルが、燃え盛る火柱の中から憤怒の瞳でこちらを見据えているという、摂理に背いたあり得ぬ事態。

 

「――!? コウタ、後ろ!」

 

 一拍遅れて気付いたアリサが、悲鳴染みた叫びを上げる。

 

「何!?」

 

 珍しいことに、ソーマまでもが驚愕に声を上擦らせている。その時にはもう、彼女の五体は次の動作へ移行していた。

 

 

 

 これからである。

 これからこそが問題なのだ。この場に於ける真の異常は、ここ(・・)から始まると断言して構わない。死体が動き出す以上におかしなことが、ここからこそ開始するのだ。

 

 

 

 景色が背後へ、帯となって流れゆく。急加速による一種錯覚を感知して、彼女は自分の脊髄が、何をしようとしているのかを理解した。

 

(なるほど、割り込もうというんじゃな)

 

 実際問題、そうする他にないだろう。

 コウタは事態の急転回に追随できず、身を竦ませて叫ぶばかりの有り様だ。

 端的に、格好の的でしかない。既にハンニバルは発射態勢を整えている。固めた拳をふりかぶったその姿、まるで引き絞られた弓である。この段階に至っては、手持ちの如何なる攻撃手段を用いても、ヤツの動作を阻むことは不可能だ。悲しいかな、どうしようもなく火力が足らぬ。下らぬ小細工、猪口才なと一顧だにせず切って捨てられ、遅疑も容赦も無縁のままに破壊鎚は振り下ろさる。コウタは骨と肉とが混ざり合ったよく分からない赤黒い、煎餅状の物体と化す。

 

 かと言って、首根っこをひっつかんで退避するのもまた悪手。彼女ひとりならば兎も角、コウタの面倒まで見るとあっては遅きに過ぎよう。ハンニバルからすれば、虫がちょっと位置を変えた程度の差異にしかならぬ。結果として、赤黒い物体の体積が倍になるだけのことである。

 これでは何がなにやら分からない。まるで死ぬために飛び出してきたようなものだ。

 

 となると、とるべき行動は自ずと限られてくる。コウタとハンニバルの間に割り込み、装甲展開、一撃を代わりに受けて防御する――この一択に。

 

(じゃが、間に合うか?)

 

 ふっと脳裏に浮かんだ弱気な思考を、すぐさま乱雑に振り払う。

 

(間に合うか、ではない。何としてでも間に合わせねばならぬ)

 

 勇ましい台詞だ。こんなこと、普段の彼女であったなら、決して夢にも思うまい。

 この一事をとってみても、彼女の精神に何か容易ならぬ変調が起きていると察し得る。

 

 第一、彼女がいつも通りの彼女だったとするならば、そも走り出すわけがないではないか。始まりからして狂っている。そのせいで、後に付随する諸々までもが逐一おかしなことになっているのだ。

 

 いや、彼女とて成算を度外視して身命を賭した行動に出ることはある。しかしそれはあくまで自分のため、そうしなくては未来がない、生きるための必須条件とそろばん玉が示したゆえの、已むを得ざる行動である。

 

 反対に、他者を救うためだけに、一切合財総てを賭けて暴発するなど天地がひっくり返ってもあり得ないのが彼女という人間だ。

 

 他者に回すのはあくまで余力、己が力は己のためにこそ使う。それが道理だ、道理であると弁えきって、一ミリたりとも範囲外に踏み出さぬ。そういう精神性である。

 

 大体、他者を救うと、言葉自体の聞こえはいいが、それにはまず自分の足場がしっかり確保されておらねば話にならぬではないか。満足な支えもなきままに溺れる者に手を伸ばしても、結局体重をもっていかれて諸共に死ぬが関の山。名状しがたく阿呆(あほう)らしき死に様だ。

 

 それしきのこと、彼女ともあろう人物がわかっていないはずがない。はずなのに、いま対極に位置するはずの行為に打って出、しかも何の疑念も抱いていない。

 

 外れている。いや、崩壊していると言った方が近いのか。

 

 血が流れている。

 彼女を織り成す、かけがえのない液体が。

 もうすぐ致死量に達するだろう。にも拘らず、本人は何故か気付かない。

 傷などないと思っているから、手当てを施すこともできない。すべての自覚を欠いたまま、泥を跳ね上げ、彼女は一気にジャンプした。

 果たして狙い過たず目的の場所へ着地したのと、ハンニバルが暴力を開放したのはほぼ同時。が、それでも彼女は、

 

(間に合う)

 

 と確信していた。理由は、本日彼女が装備してきた装甲の種類にある。

 

(三種中、最も展開に要する時間が短うて済むバックラーを選んだのが思いもよらぬ幸運じゃったな)

 

 そのぶん防御面積は少ないのだが、そこは技量でカバーするという寸法だ。

 間一髪、展開し終えた装甲に阻まれハンニバルの奇襲は徒労に終わる――

 

「――っ!」

 

 はず、だった。

 

 インパクトの瞬間、かつて味わったことのない、寒気を伴う猛悪な感触に息を呑む。

 

 がきん。

 

 破滅の音は思ったよりあっけなく。

 ついに疲労が限度を超えて、捩じ切られるジョイント部分(・・・・・・・)。途端に支えを失う装甲。防禦姿勢がまるで無意味に。DNAが縮みあがった。総毛だつとはこのことだ。産毛一本に至るまで、ぴんと上向くのがわかる。

 来る。

 運動エネルギーの塊が。

 一直線に打ちつけて――。

 

「あ」

 

 続く言葉は、耳を聾する轟音の中に掻き消えた。

 

 めぐしゃあ、としか形容できない異様な響きが木霊して、彼女の身体は宙を舞う。

 

 興味を失くした子供によって放り棄てられる人形の如し。地に落ちるや勢いよくバウンドし、二度三度、同様の動きを繰り返す。

 それでも止まらない。

 ずざざざざ、と、そのまま地面を滑り続ける。

 

「リーダー!」

 

 アリサが悲痛な叫びを上げた。

 返事はない。

 指一本、ぴくりとも反応しないのだ。

 どう考えてもまずい状態、まったく受け身を取らなかったことといい、明らかに意識を喪失している。破損がコアまで達した際に神機が放った毒々しい閃光、波紋も、果たして見ていたのか、どうか。ああ、本当になんということだ。

 

「どういうことだ……コアは確かに摘出したはずだ」

 

 不可解であった。

 コアを抜かれたアラガミはそれでお終い。甦りの目など完全に潰され、やがて崩れ去るのを待つばかりとなるはずである。

 この原則からはどんなアラガミも逃れられない。あのシオですらそこは同様だったのだ。

 ところが眼前のアラガミ、ハンニバルときたらどうだろう、そんな条理をせせら笑うかのようにこうして健在ではないか。

 

 従来の常識、対策の基盤そのものが根底から覆された。圧倒的な暴威に加えて不死性など冗談ではない。悪夢そのものの現実だった。

 

「考えるのは後にしましょう。コウタ、リーダーのフォロー…いえ、やはり私がフォローに回るので、援護お願いします」

 

 途中で言葉を変えたのは、自分の方がむしろ彼女の近くにいることと、曲がりなりにもリーダーがうら若き乙女と呼ばれる存在であると思い出したからである。

 

 鉄火場で何を阿呆なことを抜かしてやがると思われるやもしれないが、想定外の事態が立て続けに起こってアリサも動転していたのだ、仕方あるまい。

 

 駆け寄ると、ぐったり垂れた腕をとり、自分の肩に回させて、彼女の体を持ち上げる。

 

(えっ、軽、うそ、なに――?)

 

 なんだこれは。

 重量感がなさすぎる。

 あまりにも楽々と担げてしまい、アリサは却って倉皇とした。だしぬけに頬桁を張られたような、意味不明という顔になる。馬鹿なはなしだが、これは何かの間違いだとさえ疑った。

 

 これが、こんなものがどんなに押してもびくともしない、彼女がおらねば現場が回らぬとまで言われた、極東支部の大柱石たる女丈夫の器なのか。

 話が違うぞ、小さすぎるし軽すぎる。これではまるで、どこにでもいる年端もいかない少女そのものではないか――。

 

(あれ、そういえばリーダー、私よりも年下だったような)

 

 老練な雰囲気と特異な口調の組み合わせによりほとんどの者が忘れているが、実のところ現在の極東支部最年少ゴッドイーターは彼女こそであったのだ。二位との間は半年程度の僅差であるが、事実自体は変わらない。

 そのことを、ようやっとアリサは本当の意味で知ったのだ。

 

「全員撤退だ、急ぐぞ!」

 

 焦りの滲むソーマの声に、はっと我を取り戻す。

 そうだ、グズグズしている暇はない。ハンニバルは復活し、いっそうの戦意を滾らせて、烈しくこちらを()めつけている。負傷者あり統制乱れた現況から、アレともう一戦交えようなど無謀の極み。

 

 闘いの流れは去ったのだ。

 もはや明らかに撤退の時。

 ――かくして精鋭、第一部隊は呪詛に塗れた暴君の咆哮を背に浴びながら、久方振りの苦い遁走を味わった。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 彼女が目を覚ましたとき、周囲の様子は一変していた。

 

「……ぬ、む」

 

 身を動かすと、肩から胸のあたりにかけてずきん、と鈍い痛みが走る。

 

 微かに鼻をつく消毒液の香りと、自分の部屋とどっこいな殺風景さが、今いる場所は医務室なりと教えてくれた。

 

(そうか、撤退したんじゃな)

 

 手早く現状を認識しながら、痛みをこらえて上体を起こす。

 

「あ、よかった。目が覚めたんですね」

 

 その挙動にすぐそばの椅子に座っていたアリサと、

 

「…ん、フン。生きてたか」

 

 反対側のベッドのふちに、腕を組んで腰掛けていたソーマが反応する。

 

「うむ、手間をかけたの。……こやつも健常そうでなによりじゃ」

 

 と、彼女のベッドに突っ伏していびきをかくコウタへ視線を落とし、苦笑する。

 身を挺してまで守った相手が甲斐なく死んでいたとあっては、なるほど確かに傷の負い損、なにがなんだかさっぱり分からぬではないか。

 

「おい」

 

 そんな彼女に対し、若干眼光鋭くしながらソーマは言った。

 

「部下のために体を張るのはいいが、前の隊長の二の舞だけはやめろよ」

 

 それだけ言うと、もう要件は済んだとばかりに去ってゆく。大分ましになったとはいえ、人付き合いが下手なのは相変わらずのようだ。

 

(わしらはいいが、不快に思う者も多かろう。まあ、だからと言って愛嬌振り撒くソーマというのも、不気味なことこの上ないが)

 

 想像してみて、あまりの違和感にぞっとした。人というものはそう易々と変われるものではないし、変わってくれても色々困る。

 周囲の者はあまりの差異に、誰か別の人間がそいつの皮を被っているとしか思わないだろう。

 

(……ん?)

 

 なんだろうか、浮かべて三秒で忘れてもおかしくない他愛ない思考の断片が、しかし妙に引っかかる。

 まるでお前がそれを言うのか、天に向かって唾するようなものではないかと笑われている気がして……

 

「本当に、無事でよかった……。あ、ちょっと待ってくださいね」

 

 奇妙な感覚が明瞭な像を結びかけた、すんでのところで。横合いからかけられたアリサの声に彼女の意識はつい向かう。

 慌てて戻したときには遅く、雲散霧消しきって何を考えていたのかすら思い出せなくなっていた。

 

(ま、大したことではなかろう)

 

 気持ちを切り換え、アリサに頭を叩かれて夢から醒めたコウタと二言三言ことばを交わす。

 

「ごめんな、俺の不注意のせいで。神機、壊れちゃったんだろ?」

「ああ、やはりいってしまっておったか。容態はどうなんじゃ、再起は可能か?」

「ええ、直ることは直るんですけど、コアの制御機能にまで破損が生じたから暫く時間がかかるって………」

「それは重畳。いや、本当に何よりだとも」

 

 いくら時間がかかろうとも、再び己の手の内へ納まってくれればそれでいい。最悪の事態にまでは至らず済んだ、それだけでもう十二分にめでたかりしことである、と、あっけらかんと言い放つ。

 むろん、彼女お得意の自己暗示だ。いったい何度こうして負の方向へ流れそうになる思考を矯正したか知れない。

 

「だから、なあ。そんなに悲愴な顔をするなよコウタ、男が廃るぞ。加えて言うなら、仮にも男子たる者が、ああも簡単に頭を下げちゃならん。もっとその重みを自覚しろ」

 

 彼女にしてみれば、男ならばこうした場合はただ一言、

 

 ――借りができたな。

 

 とでも言い捨てておけばよいのである。謝辞など述べたところで何になる、それよか黙って背中で語れ。

 不言実行、それこそ男のあるべき姿であろうがよ、というこの価値観。

 

 古い。

 

 と言う以外にない。

 古い人間に育てられた影響なのか、一世紀近くも前の化石を臆面もなく引っ張り出してる。もし口外したらば、アリサあたりが即座に、

 

「それはない」

 

 と処断することであろう。

 埃を被ってかびくさく、最早ほとんどの顧客から見向きもされてないそれを、彼女だけが至高の輝きと信じ抜いて憚らぬ。

 現実家に見えて、変なところでお花畑だ。

 

「リーダー……うん、分かったよ。あ、じゃさ、今度バガラリー全巻持ってくるよ。それくらいの詫びはさせてくれるよね」

 

 案の定、コウタは彼女の真意をやや曲解して受け止めた。

 とはいえ、沈みがちだった雰囲気を解消するという大元の目的は果たせたのだから彼女の中に不満はない。

 

「個人的には美味いめしでも奢ってもらった方が嬉しいんじゃがの」

 

 放送による招集がかかるまで、しばし雑談に興じる三人であった。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

「それじゃ、私達はもう行きますね。くれぐれもじっとしていてくださいよ」

「そうそう、たまにはリーダーもゆっくり骨休めするべきだって」

「分かっておるさ、どだい今のわしにできることなぞありゃせんからの。久方ぶりの休暇、存分に堪能する所存じゃ。お主らこそ、油断せずしっかり励んでくるんじゃぞ」

 

 と、この時は大して気にすることなく対応したものの、数日明けて退院してみると、会う者会う者皆が口を揃えて同じことを言ってくるので、さしもの彼女も閉口した。

 

(いったいわしを何だと思っとるんじゃ、鉄砲玉かロケット花火か)

 

 放っておけば何処かへ吹っ飛んでいってしまいそうな危うさが、彼女にはあると思われているらしい。

 

「ん、お前か。どうしたこんな所で、神機を使えん今の貴様にできることは何もないぞ」

「貴女にまで仰られるとは、教官殿」

 

 いい加減げんなりした、と言わんばかりの表情だった。背景を知らないツバキには、むろん何のことやら分からない。

 

「ああ、そういうことか。どうやら随分と説教された後のようだな」

 

 が、しかしそこは雨宮ツバキ。彼女の表情からおおまかなことは察したようだ。

 

「ええ、事務員を始めとして整備班に至り、果ては清掃の女性にまで。大人しくひっこんでおれと、そうした意味のあれこれを」

「普段の行いの結果だ、甘んじて受け入れろよ」

「これはまた手厳しい」

 

 妙ちくりんな言葉遣いに変わりはないが、彼女が現在喋っているのは明らかに敬語に含まれる。

 彼女は決して無頼漢ではない、目上の者にはそれに相応しい態度で接せる。むしろそうした節義には常人よりも厳格な点、ツバキは彼女を気に入っていた。

 

「で、こんな場所で何をやっているんだ? せっかくの休暇に来る所ではないだろう」

 

 アナグラのエントランスである。

 一応ソファーや何やらが設置されているが、基本的にはミッションの受注ないし出撃準備をする場所だ。仕事から解き放たれた者がくつろぐには適すまい。

 

「こう、いざ休暇になってみると、何をしたものやらと途方に暮れてしまいまして」

 

 年頃の少女が口にすべき言葉ではない。

 

「お前……」

 

 哀れなものを見る目であった。

 鬼教官と聞こえ高いツバキがこんな目をするなど、尋常一様なことではない。

 

「無趣味な奴とは思っていたが、まさかここまでだったとは」

「耳が痛い。そこで所在なくアナグラの中をうろついていたと、斯様な次第で。――にしても、今日どうしたことか、やけに人が少ないですな。ゴッドイーターに至っては未だ一人も見ていない」

「それはそうだ、現在極東支部の総力を挙げてハンニバル捕喰作戦を遂行中だからな」

「ほう、それは――随分とあやつを重く見ておられるようだ」

「当然だろう、原理の究明、有効対策、なにひとつとして進まぬうちに、奴の特性が他のアラガミへと伝播してみろ。我々はたちまち窮地に追い込まれる」

 

 ゆえに急務だ、とツバキは語る。

 なるほどそんなことが万一にでも具体化すれば、天秤は大きく傾こう。長きに亘った生存競争にケリが着く恐れもほの見えて来る。むろん人類にとって好ましからぬ形で、だ。

 

(アナグラを空にするリスクを冒す価値はある、ということか)

 

 と、彼女は内心合点する。

 

(これでアナグラが奇襲されでもしたら、そりゃもう笑い話じゃろ。タイミング悪いったらないわ)

 

 アラガミにスパイという発想はない。内部事情を探る術など持たないし、そも必要性の段階からして理解できまい。

 自身の都合をただひたすらに押しつける、それしか頭にない連中だ。こっちが厳戒態勢だろうが、バカンス気分で浮かれていようが、来るときは来るし来なければ来ない。そういうものだ。

 

 だというのにこの機会、夢かと見紛う絶好の隙を逃さず奇襲し得たなら、それは計算でも直感でもなく、偏に()によるものだ。

 彼女が笑い話と見なすのも致し方なかろう、そんな悪魔染みた偶然は滅多に起こるものでない。

 

「得心いたした。しかし、そうするとどうしたものかな」

 

 彼女は再び余暇をどう消費すればいいのやら、首を傾げねばならなくなった。

 

「嘆かわしい。お前くらいの年齢(とし)なら普通、服に化粧にと色々興味が盛んだろうに」

「アリサがそのあたり典型的ですな。あの娘の部屋、ご覧になられたことがおありか」

「一度な。ひどいものだったが、まさか未だにあのままなのか」

「それはもう。服など必要最低限でよかろうに、と口を滑らせたところ、もの凄い剣幕で詰め寄られ、ご高説を賜り申した」

 

 二人の部屋はある意味に於いて好対照といっていい。

 

 アリサの部屋はそこいらじゅう一面に服やらアクセやら化粧品やらが散乱し、正味足の踏み場にも難渋する始末であって、整いきった外見からはちょっと想像が及ばない、カオスな惨状を呈しているが。

 反対に、彼女の部屋には何もない。

 今日から誰か別のやつと部屋を変われと言われても、五分で用意を終わらせかねない、ルームメイク完了直後の簡易宿泊施設の如き清潔性を保っているのだ。

 

 これは何も彼女が几帳面な性格だから、ではなく、単に散らかすほどの私物がないことに起因している。

 

 服はフェンリル入隊時に支給されたのを未だに着まわして使っているし、寝る時は大抵下着一丁だからパジャマも要らない。

 その下着も、彼女らしくなんの飾りもデザイン性も伴っていない簡素なものだ。上に至ってはサラシで済ませている始末。

 こんなざまだから、化粧など産まれてこのかた一度もやったことがない。肌の手入れも同様だ、精々身売りの直前に、ちびた(・・・)レモンせっけんで顔を洗った程度である。

 

(女として終わっているのではないか)

 

 ツバキもそうしたことにはあまり気を遣わない人種だが、それにしてもここまで極まってはいない。

 

「もう少し自分の容姿を保つ努力をしろよ、若い内はよくとも後々臍を噛む破目に陥るぞ」

「人の価値は顔などで決まるものではありますまい」

「お前らしくもない台詞だな、それは理想論というものだ。残念なことに、六・七割は見た目によって、それも第一印象で決せられるのが現実だ」

「世知辛い話ですなあ。クリームとか化粧水とか、あの手のものが肌につくとこう、理屈抜きの不快感にぞっとせやしませぬか」

「我慢しろ、腕輪装着の時を思えば楽なものだろう。それにこれでも大分ましになったのだぞ。一昔前には人は見た目が九割などと、ふざけた標語が平然と罷り通っていたのだからな」

 

 言いながら、ツバキは彼女の容姿を他人の視線で眺め直した。

 大きな目。

 薄桃の唇。

 胸元あたりは起伏に欠けるが、背丈からして低めであるのだ、むしろ調和がとれている。

 まず、愛らしい方だろう。かといって、アリサやサクヤが多分に有す、異性にはっと息を呑ませる、袖振り合わせただけでもう魂抜かれて骨まで軟化するような、そういう色気はこれっぽっちも纏わない。

 なんと言うか、素朴なのだ。さしずめ田舎娘と都会っ娘の違いだろうか。

 

「まったく、どうしてこう両極端なのか。お前とアリサ、足して二で割れば丁度よく釣り合いの取れた奴ができあがりそうだな」

「善処しましょう。さみしい人間と思われたままでは、いくらなんでも具合が悪い」

 

 

 

 彼女と違い、ツバキの方はいつまでも手が空いているわけでない。

 

 

 

 支部長代理の席に座ったペイラー・榊と検討すべき案件があるとかなんとかとのことで、エレベーターの扉の先へ去ってゆく。

 それを見送ると、しばし腕組み、立ちすくんだ後、一旦部屋に戻ろうと彼女もまたエレベーターを使おうとする。が、

 

(待てよ、思い返せば先の出撃、だいぶ物資を消費したな)

 

 よろず屋はすぐそこである。

 

(丁度いい、この機に補給しておこう。先送りにして忘れてしまっては洒落にもならん)

 

 何気なく下したこの判断が、結果的に彼女の命運を分けた。

 

 かつん、こつんと硬質な音を立てながら、短い階段を下りてゆく。

 

 ふと、視界が赤一色に覆われた。

 

 とっさに返り血でも浴びたかと勘繰ったがさにあらず。間を置かずして、けたたましいサイレンがアナグラ中に鳴り響く。

 

「第二訓練場に小型アラガミ侵入! 繰り返す、第二訓練場に小型のアラガミの侵入を確認! ……」

(うそだろう)

 

 つい今がした笑い話と切って捨てた展開が、もう現実に進行している。いっそ判じ物めいていて、にわかに受け入れられないのも無理はあるまい。まったくなんという間の悪さだろうか。

 

(余程普段の行いが悪い輩がいたのかのう。そうでもなくば、とても説明がつかんぞ、これは)

 

 間抜けなまでにのんびりした思考の裏で、彼女はアナグラの地図を想起する。知りたいのは第二訓練場の位置と、それに隣接するブロックだった。

 

「神機格納庫か」

 

 答えが勝手に肺腑を衝いてまろび出た。

 所有者を亡くした神機が保管される、静謐たるべき領域がアラガミによって荒らされる――その事実に、彼女は軽く舌を打つ。

 

 神機とゴッドイーターは一心同体だが、一蓮托生というわけではない。ゴッドイーターにとって神機は生涯ただひとつ、なれども神機にとってはさにあらず、必ずしも貞淑を守り切るとは限らない。ある程度は、融通というか、替えが効く。

 実際、藤木コウタの使用している旧型遠距離式神機「モウスィブロウ」は、かつての雨宮ツバキの愛機。彼女が現役だったころ、ぶんまわしていた代物に改造を重ねた姿である。

 このため仮にゴッドイーターが戦死しようと神機はの方はぬかりなく回収され、新たな適合者の現われを黙然と待つことになる。その場所が神機格納庫というわけだ。

 

(既に隔壁は下りていようが、出払っているゴッドイーターが戻ってくるまでとなると――駄目じゃな、まず耐えられん。ああ、なんと勿体ない)

 

 潜在的な戦力が、こんなつまらないことで、他愛もない相手によって一挙に失われようとしている。彼女は口惜しさに歯噛みした。

 そこで、ふと気がついた。

 

(これしきの因果、アナグラの内部構造をおぼろげにでも把握している者ならば、即座に辿りきれるわな)

 

 そして、楠リッカ。

 神機に対する思い入れと理解の深さたるや海の如きあの少女が、むざむざそんなことを許すだろうか。指をくわえて傍観するをよしとするだろうか。

 

(否であろうよ、あの娘に限ってそれはない)

 

 確信をもって言い切れる。

 おそらくは、既に何らかの対策を施すべく現場に向かっているのだろう。身の危険も顧みず、為すべきことを為そうとしている。

 

「くっ、ふふ、よいではないか。いやいや実に結構だとも面白い」

 

 奇妙な興奮があった。

 胸の奥から湧き出して、ふつふつと肌を粟立たせるこの感覚。もしも彼女に飲酒の経験があったなら、すぐに正体を掴めたろう。

 

 これは紛れもなく、酩酊感と呼ぶべきものだ。

 

 衝動に突き動かされるまま、彼女は飛ぶように駆けた。今再び、彼女は常の軌跡から外れ始める。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

「何しに来たの? 君の神機なら…まだ使えないよ。戦えないなら、戦場に出ちゃ駄目だよ」

「人のことを言えるのか。大の男どもですらとうに退避しきったにも拘らず、こんな場所に独り残ったお主に」

 

 彼女が神機格納庫に到達すると、そこでは案の定の光景がまさに展開中だった。

 機具に固定された種々の神機は、さながら見本市の如し。リッカはそんな部屋の端、こともあろうに隔壁近くに設置された端末をせわしなく操作し続けていた。

 

「私も神機のロックが終わったらすぐに逃げるつもりだよ。何を考えているのか知らないけど、そのときになったら君も一緒に退避すること」

「異論はない。じゃがしかし、果たして無事にそのときとやらを迎えることができるかな」

「できるように今こうして尽力してるんじゃない。気が散る、ちょっと黙ってて」

 

 了解、と言う代わりに彼女は小さく両手を挙げる。リッカのタンカに心地好いものを感じつつ、それが成就することはあるまいと見切ってもいた。

 何故ならば、彼女の勘は今すぐ逃げねば間に合わないと告げている。ところが神機のロックとやらは、漸くのこと端の二つが始まったばかりだ。

 その速度も、いかんせんどうしようもなく遅い。常日頃ならば何の問題もあるまいが、この非常事態に於いてとなると、もどかしいことこの上ない、身を焦がす遅行としかいいようのないものだった。

 

(やはり、やらねばならんかな)

 

 唇を湿らせ、足早にリッカの元へ近付く。予感はとっくに悪寒に変化を遂げていた。

 

「お主の言うことは正しい。神機を持たぬ身でありながらアラガミを倒そうなどと、正気も狂気もぶっちぎった論外沙汰じゃ」

 

 さりとてな、と、意味深に口の端を吊り上げて、

 

「凌ぐだけならやりようはある。鬼札を失おうと、手札が零になったわけではないんじゃから」

「え、――わわっ!?」

 

 彼女の手が体に触れる。次の瞬間、リッカは浮遊感の中にいた。

 いつもよりずっと天井が近い。

 

(投げられた――)

 

 理解の早いことである。

 身の丈を超える巨大な神機を棒切れさながらに振るい、悠々と二段ジャンプまでこなしてみせるがゴッドイーター。その膂力をもってすれば、人間いっぴき投げ飛ばすなどお茶の子さいさいというものだろう。

 どさっ、とリッカはエレベーターのすぐ側に、隔壁とは反対側のところに落ちた。

 

「きゃんっ!」

 

 なるたけ、こう、ふんわりと放ってやったつもりだが、それでも結構な音がした。

 あれは相当痛かったろう。後日、青痣にでもなるやもしれぬ。リッカに嫌われたくはない。小腰をかがめて、彼女はすまなそうにした。

 

「なにするのさ!」

「恨み言は後からたっぷり聞かせてもらおう。じゃが今は、目と耳塞いで口おっぴろげて、這いつくばってじっとしておれ」

 

 クルクルと、指を動かすジェスチャー交えて語り聞かせる彼女の背後。落雷みたいな音を立て、ついに隔壁が吹き飛んだ。

 わっと立ちこめる粉塵を越え、ヴァジュラテイルが姿を現す。おお、やっと美味そげな餌を見つけた、辛抱たまらん、いざや貪り喰わんずと、いたずらに気焔をあげている。

 

(どっこい、貴様には何も喰わせんよ)

 

 電光石火、目にもとまらぬ素早さで身を翻すと、彼女はピンを抜いた閃光手榴弾を指から離した。

 なだらかな放物線を描き飛び、それは丁度ヴァジュラテイルの鼻先二寸で破裂する。

 これが彼女の「手札」が一枚。殺傷能力は皆無だが、音と光で麻痺させて、動作をいくらか止められはする。特にこの手の小型アラガミに対しては効果覿面なのである。

 

(要は時間を稼げばいいんじゃ)

 

 元より彼女にみずからの手で襲撃者を屠る心算など毛頭ない。それはいまごろ、大急ぎでこちらに取って返して来ているはずの、他のゴッドイーターの役目であると心得ていた。

 ゆえ、目的は、被害を抑える点にこそ。物的被害はある程度、目を瞑るもやむなしとしてその代わり、人的被害は決して出させぬ所存であった。

 

 楠リッカを殺させない。それこそこの場に相応しい、達成すべき任務である。

 

 よって彼女はヴァジュラテイルが怯んでいるこの隙に、リッカを連れて少しでも遠くへ逃げ去りたかった。新手なりなんなり、よしんば敵の追撃を受けても、通路各所に設置された隔壁と手持ちの物資を駆使すれば十分対処は可能であろう。

 酔っ払った脳細胞でありながらここまで考えられる点、やはり彼女は並でない。しかし、ああ、悲しいかな。

 

「なっ――」

 

 彼女の目算は外れた。

 このヴァジュラテイルは、機能組成が変らしい。セオリー通りに動かなかった。閃光を浴び、身を竦ませるどころではなく、逆に火の着いたように激しく暴れ、めくら滅法に尾を動かした。横薙ぎにふるわれる、その軌道上にしっかり彼女の身もあった。

 あわてて後ろに下がろうにも、既に遅し。これは無理だ、物理的に避けられないと妙に間延びした時間の中で理解した。

 

「――かあ、はっ」

 

 腹部を突き抜けた衝撃に、内臓が悲鳴を上げている。

 とっさに後方へ跳んだことでいくらかダメージは軽減されたが、代償として踏ん張りがきかない。ごう(・・)と大きく宙を舞う。

 

(ああ、なんじゃろうか。既視感じゃのう、つい先日もこんなことがあったような)

 

 時の遅延はなおも有効。加速する思考、感覚の暴走の只中で、彼女は激痛に苛まれながら着地体制を整えようともがきつつ、腸が煮えくり返るような思いを味わっていた。

 

(暗愚かわしは、失敗から何も学ばなかったのか。固定観念にべったり甘えて、少しでもそこから外れられれば途端にこれか)

 

 赫怒と屈辱が身を包む。リッカにあれほど横柄な態度をとっておきながら、この醜態はどうだろう。恥さらしなことこの上もない。いったいどの面下げて詫びればいいのか、とんと見当がつけられぬ。

 

(あな情けなや、恥を知れ。大和男子ならば腹を切ってもおかしくはない、それほどまでの失態じゃ。まったく何をやっているんじゃ、わし、は――)

 

 ありとあらゆる語彙を探って、己の迂闊さを罵倒する最中。

 

 

 

(――あ?)

 

 

 

 計らずしも、とうとう彼女は己が変調を自覚するキーワードを引き当てた。

 

(待て、なんじゃこれは、この状況は。なしてわしはこんなところで、こんな真似をやっている)

 

 激情が引き潮のようにひく。ありとあらゆる酩酊が、脳細胞から除去された。

 

(時間を稼ぐ? 果たすべき任務? 何を馬鹿な、方舟に乗るか否か迷った際、一度は切り捨てると決意した女のために、何故今になって命を賭ける)

 

 アーク計画を肯定するとはそういうこと。コウタが家族と対話して漸く気付いた現実を、彼女は端から揺るぎなく、完膚なきまで心得ていた。

 

 心得て、その上で選んだのだ。

 

 とは言え、人の心はうつろう定め。

 あれから暫くして、リッカもまた第一部隊の同胞と同位同格の領域に上がってきたと考えられなくもない。

 

(ここはひとまずそうと仮定しておこう。しかし、ならばここにやってきた際、いの一番に有無を言わせる暇もなく、リッカを気絶させてでも退避しておらねば理にあわぬ。アラガミと対面するなどという危険を犯すわけがない)

 

 彼女にはそういうところがある。愛しい者に危機が迫れば、例えその意思を強姦し、誇りをめちゃめちゃに切り裂いてでも命の保全を図ろうとする傲慢が。

 

 が、今回彼女はそういう真似をしなかった。あくまで限界ぎりぎりまでリッカの意思を通させて、どうにもならなくなってから、やっと動き出す遅鈍ぶり。

 

 違う、違う。こんなものは断じて彼女ではない。

 

 本能が最大級の警告を鳴らしているにも関わらず、阿呆面下げて他人の仕事を見学するなど彼女であろうはずがない。

 

(どういうことじゃ、これは。誰じゃ、あやつは。知らぬ誰かがわしの皮を被って動いておる)

 

 一連の動作を鑑みるに、そうとしか考えられないのである。

 顔も、声も、仕草でさえも同一なのに、されど中身が全く違う。この嫌悪感は、譬えるならば、くしゃみをしたら洟の中に蜘蛛がわさわさ蠢いてるのを見つけた気分。思わず胃腸が反転しそうだ。

 

 そして、それゆえもう一つ、不慮の事態が巻き起こる。さながら悪夢の連鎖反応、地獄へ直結する穴をどこどこまでも転げ落ちるかのように。

 

 右手が動き、指先が何か硬質なものに触れる。着地はもうすぐだ、されど体勢は不完全。

 倒れるのはまずい。一度倒れてしまったら、ヴァジュラテイルが襲いかかってくるまでに立ち直せないかもしれない。多少不恰好でも、なんとかして両の足にて着地したかった。

 

(これを支えにすればええ)

 

 と、思ったかどうか。

 兎にも角にも彼女はそれを握り締め、たたらを踏みつつ願った通りに着地する。

 

 そう、たたらを踏んだ。勢いを殺しきれず、数歩後ろに下がったのだ。

 

 支えにした物体が床に固定されている鉄柱か何かだったなら、こんなことは起こらない。生憎と、彼女がひっつかんだのは、一定以上の力を籠めさえしたならば、難なく取り外せてしまう類の物品で。

 

(この感触、重量、まさか神――)

 

 視線をそちらにやるより早く、腹部の痛みもどうでもよくなる前代未聞の絶痛が、彼女の右手を刺し貫いた。

 

「――ッ!? ぐうっ、お、ああっ!」

 

 爪が、指が、掌が、腕が――別のナニカと入れ替わり、たちまち編み直されてゆく。神経組織を直接嬲られ、蹂躙されるこの感触は、古今東西発明されたありとあらゆる拷問手段を鳥瞰しても類型を見ぬ、別次元の苦しみだ。

 

 白い炎が、眼窩の奥から噴き出した。

 

 としか思いようがない。

 

 未知の電気信号に脳内回路を焼き切られそうになっている、発狂寸前の彼女には、自分の口がどれだけ人類にあるまじき、獣じみた叫喚を鳴らしているかも気付けない。

 

「いけない、早く神機を離して! 適合していない神機を持つと、拒絶反応でオラクル細胞に捕喰されちゃう!」

 

 リッカがこれを見ていたならば、おそらくこうとでも言ったのではなかろうか。

 ところがリッカは目下のところ、閃光手榴弾の余波を受け、脳を揺すられ卒倒中だ。

 咄嗟の対応にしくじったらしい。

 如何に胆が練られていようと、前線慣れせぬ整備員の限界というものだった。

 幸い鼓膜は破れていない。数分後にはなにごともなかったかの如く意識を取り戻せるだろう。もっともそれは、ここから先の数分間を生き延びられればの話だが。

 

「――」

 

 視界が歪む。

 床も柱も天井も、どこも真っ直ぐ引かれていない。ミミズの這った跡みたく、きたならしく、グニャグニャしている。

 

 距離感が死んだ。

 重力もよくわからない。

 平衡器官に異常が生じているらしい。

 間合いがつかめぬ。闘争に於いて、最も大事とされる間合いが。

 

 本来ならば据物斬りも同然に、容易く殺害されるしかない、そんな状態。にも拘らず、いったいどういうわけなのだろう、彼女は敵の動きに対して機敏であった。

 閃光手榴弾の衝撃から回復し、餌の思わぬ抵抗に怒りの声を上げながら、ヴァジュラテイルがとびかかる。

 

「お、のれがァ――!」

 

 があん、と、床も砕けよといわんばかりの勢いで一歩踏み込み、握った神機を――それが第一部隊の先代リーダー、雨宮リンドウのものであると気付かぬままに振り下ろす。

 

 当たった。

 

 奇跡としかいいようがない。

 

 が、浅い。

 

 命にまでは届いていない。残心も甚だ不完全。荷重移動を制御しきれず、上体を泳がせた挙句、彼女はそのままふらふらと、床に片膝ついてしまった。

 

(まずい、この高さは)

 

 はっと顔を持ち上げれば案の定、ヴァジュラテイルは恰も一個の鞭と化し、その場で旋回、尾による打撃を見舞わんとする最中だ。

 先刻腹部の位置した高さに、今度は頭が浮いている。直撃すれば首から上が、柘榴みたいに弾けるだろう。

 壁一面にへばりつく己が脳漿を幻視して――

 

「届けぇ!」

 

 背後から閃光が飛来した。

 

 その光輝、彼女が見紛うはずもなし。神機の射撃によるものである。吸い込まれるような精確性で、ヴァジュラテイルを貫いてゆく。死神の鎌は中途で止まる。ヴァジュラテイルは身悶えしながらのけぞった。

 

(だが、何故)

 

 目下アナグラにゴッドイーターは居ないのではなかったか。振り向くというより股の下から覗き見るような無様さで、彼女は撃ち手を確かめようと試みる。

 

「立てますか?」

(誰じゃ)

 

 声の印象を裏切らぬ、涼やかな面立ちの人物だった。線が、細い。柔らかそうな白い肉。彼女の記憶が確かなら、極東支部にこんなゴッドイーターは在籍しないはずである。

 

(若いな)

 

 駿馬のような凛々しさと、妙に婀娜(あだ)っぽい香気とが不自然なく同居している。

 経験上、声変りも迎えていない少年にこそ宿りがちな魅力であった。

 さりとて腰回りの雰囲気はどうも女性特有の――いや、こんなことを考えている場合ではない。

 

「ぬう、おっ」

 

 ぶちぶちと、音を立てて断絶しかける意識の糸を、死にもの狂いで手繰り寄せつつ立ち上がる。そこを狙おうとしたヴァジュラテイルにもう一度、光弾が浴びせかけられた。

 

「今です、決めてください!」

「無茶を言ってくれるではないか、ええッ!?」

 

 騎虎の勢い、またの称呼をやけっぱちの精神で。

 地球を持ち上げるほどの気組みで以ってもう一度――もう一度だけ、わが身を蝕む神機を担ぐ。

 あとはもう、型もへったくれもない。全身でヴァジュラテイルにぶち込んだ。「切断」というより、「叩き潰す」の語感こそが相応しい。不格好この上なく、されどしかしそれゆえに、威力は十分、命に届くものだった。

 

「……は」

 

 疲れた――と続くはずの言葉は声にならず、ヴァジュラテイルの息の根が止まったのを認めると、彼女の意識も急速に薄れていった。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

(まあたここかい)

 

 天井から降る照明だけで、彼女は居場所を察知する。つまり自分が、再び医務室のベッドの上に横たわっていることを。

 

 異なるのは痛む位置。前回からちょっと下がって、主に腹部がずきずき痛む。ああそれと、視界に映る人影にも変わりがあるか。

 

 数は三から二へと減り、うち一つは楠リッカとすぐに知れたが、もう一つに見覚えがない。

 

(看護師か? ――いや、)

 

 よくよく見れば先刻彼女の命を救ったゴッドイーター、謎の応援Xだと判別できた。

 

(近くで見ると益々困惑させられるわな。こやつ、男か、はたまた女か)

 

 どちらであろうと頷ける、独特な眼差しの宿し手だった。ブラウンの瞳は、色素の薄さゆえであろうか。

 

「あ、気がつきまし」

「気がついた? …よかった…」

 

 瞼を開けたことにより、二人が彼女の目覚めに気付く。そのやりとりに微かな違和を覚えつつ、彼女は上体を持ち上げた。

 

「今何時じゃ? わしは」

 

 どれほど眠っていた――その問いかけは、しかし最後まで続けられない。

 がばっと、こう、感極まったといわんばかりに、抱きついてきたリッカのためだ。

 

「お、おお?」

 

 整備油の中に混じって、しかし明確に存在を主張し、鼻腔をくすぐる甘い芳香。少女特有のかぐわしさといっていい。かてて加えてすり寄せられる、自分よりも若干高めの体温ときたらどうだろう。どんな名湯でも、ここまで骨を蕩かすような、絶妙の心地よさは実現できまい。いつまでも浸っていたくなる――陶然とした気分に駆られ、彼女はリッカを抱き返すだけの甲斐性さえも披露()せられず、ただ目を細めるばかりであった。

 

「まさかリンドウさんの神機を使うだなんて。君は、いつも無茶して……」

 

 やがて平静に返ったリッカが、ぽつりぽつりと呟きはじめる。それによって彼女は初めて、

 

(ああ、あれは彼の遺品だったか)

 

 その事実を把握した。

 

「約束だよ……もう二度と他の人の神機に触らないで」

 

 それが如何に危険な行為か、ヒトとアラガミ、その中間で危うく揺蕩うゴッドイーターの均衡を崩壊させる所業であるか、懇々と説く楠リッカ。そちらはもとより、すっかり傾聴の姿勢になって相槌を打つ彼女もまた気付けない。

 

「……そうなったら、何が起きてもおかしくないから」

「肝に命じておこう。わしとてあんなのはもう御免じゃよ、実は苦手なんでな、痛いのは」

 

 リッカから見て、ベッドを挟んだ向こう側。正体不明の、例のゴッドイーターが、ひどく意味深な緊張をその口元に浮かべたことに。

 

「そろそろ、皆帰ってくるかな……。君が目を覚ましたって言ってくるね!」

「ほ、ほう。皆、か。こりゃまた説教の嵐じゃな」

 

 渋い顔つきをしてみせる彼女に微笑を見せて、

 

「またあとで来るよ!」

 

 とひとこと言い残し、リッカは医務室から退出した。陽気なことに、手まで振って。

 

(さて、今度は誰に何をどれだけ責められるやら。お手柔らかにと頼んでみても、火に油を注ぐだけよな)

 

 身から出たさびとはいえ、気が重くなるのをどうしようもない。彼女は思わずこめかみを押さえた。

 

「リッカさん……いいヒトですよね……。あのヒトは神機のことを、ホントに理解してくれている……」

 

 謎のゴッドイーターが、おもむろに言葉を紡ぎはじめた。

 

「本人はまだまだ未熟などと謙遜しておったがな。あの非常時に格納庫へ走れたのは、並み居る整備員の中でもあやつだけじゃった。大した女よ、本当に」

「ともすれば無鉄砲と言えなくもないから、褒めていいのか迷うところですけどね、それ」

「若いからの。多少のやんちゃや無鉄砲さは若さの証明よ、何恥じることがあらんや。……それより先刻は世話になったな、礼を言わせておくれ。ええと――」

「あっと……まだごあいさつしてませんでしたね。僕、医療班に配属になります新人の神機使いです。レンって呼んでください」

(新人か、なるほど。そういえばアリサが前々から言い騒いでいたような)

 

 後輩ができるとはしゃいでいた銀髪少女を思い出す。立て続けに配属直後の自分自身の記憶が目覚め、天国から直滑降、鬱を発症しかけていたが。

 

「本当は明日付けでこの極東支部に配属だったんですけど……たまたま予定が早まったのが幸いでした……。専門は軍事医療、特に神機使いのアラガミ化の予防及び治療を研究しています」

 

 台本を読んでいるような不自然さはない。

 新人とは言い条、妙に落ち着いた雰囲気だった。アリサの覆轍は、このぶんならば心配しないでいいだろう。つまり後々、何かの拍子に思い出す都度、衝動的に首を斬り落としてしまいたくなる暗黒歴史の作成は行われずに済みそうだ。

 

「この支部は、色んな意味で最前線なんですよね……皆さんの足を引っ張らないようにがんばります!」

「期待しておるよ。なに、お主ならばうまくやれるじゃろう。着任早々わしとリッカ、ふたりの命を見事救ってみせたのだから」

 

 そこまで言ったとき、思い出したかのように腹部の痛みが再燃した。く、と彼女は顔をしかめる。

 

「あっ…病み上がりなのに、すいません……さ、横になって体を休めて……早くよくなってくださいね」

 

 顔に似合わぬてきぱきした物言いに、彼女は唯々と従った。「医療班に配属予定」の肩書きに信を置いた格好である。言われた通りの姿勢になると、実際呼吸が楽になる。

 ちらりと首を横に向けると、レンと視線がかち合った。邪気なき笑みになんとなくいたたまれなさが湧いてきて、あわてて元の位置に戻した。

 

 

 

 その夜。

 

 

 

 日が暮れて、消灯時間を過ぎてのち。

 闇の帳の降ろされきった病室で、しかし彼女はらん(・・)と双眸を見開いて、奥歯をきつく噛み締めていた。

 

 安穏と、眠れなどするわけがない。仮に、よしんば、樽いっぱいの鎮静剤を注がれようと、いまの彼女の精神を宥めることなど不可能だ。

 

 我と我が身をさいなむ異変、本来ならばあり得ぬ軽挙――その正体を闡明すべく、頭脳は高速回転中だ。それはもう、煙を噴きだす一歩手前の勢いで。

 それほどまでの負荷を要する難問なのか? ……いや違う。答えならばとうの昔に算出され終えている。が、その度に、

 

 ――あり得ない。あってたまるか、そのようなことが。

 

 と、握り潰してまた一から考え直すという不毛な繰り返しを行っているため、コゲツキかけているだけだ。

 もちろん答えは毎回不変、些かのズレも認められないわけだから、こんなのは誰が見たって徒労も徒労、ヒステリーの亜種だと知れる。

 

「ああ、くそっ」

 

 彼女も漸くその愚を直視したらしい。現実逃避を続けられなくなった。

 

「やはりそうなのか。あれは――自滅願望だというのか」

 

 その言葉を口にした瞬間、彼女は全身の血が冷水と入れ替わったかの如く身をふるわせた。

 顔色は青を通り越して、白い。今首を刎ねたところで、果たしてどれほど血が出たものか疑問であった。

 

 程度の差はあれ、誰であろうと高所に立てば墜落を望む。列車が迫れば線路に身を躍らせたくなる。

 毒物のラベルに(つばき)を湧かせ、剃刀ならば手首にあてよう。

 どれもこれもその先にあるのは明らかな破滅、絶滅、死滅。無条件に遠ざけて然るべきものなのに、どうしたことか惹きつけられる。断崖の先へ、一歩踏み出してみたくなる。

 

 理解が及ばないのなら、それは幸福至極なことだ。身近な例をいくつかひくと、重要なデータのたっぷり詰まった会社のHDDをフォーマットしてみたくなるとか、非常時以外押してはならない諸々のボタンを猛烈にプッシュしたくなるとか、スマートフォンに代表される精密機器を水底に沈めたくなるだとか、そうしたものが挙げられよう。死には至らずとも、その先に待っているのは小規模の破滅である。

 

 

 

 この自壊の願望は、しかし彼女にだけは決してあってはならないものだ。

 

 

 

 驚異的なまでの生き汚なさ。死にたくない、一秒でも長く現世(ここ)に留まっていたいという絶対念慮――渇望と、どうしようもなく対峙する。

 

 対極にあるものは異常に惹き合うか、相手の息の根を止めてやらねば気が済まぬとまで憎みきるかのどちらかしかない。この場合は後者だった。

 

 〇、〇〇一秒の悪魔が巣食う余地など、彼女の中に一厘たりとて存在してはならぬのだ。

 

 ゆえ、全力を以って封殺を図った。

 跡形もなく焼尽し、残った灰すら二度と面を見せるなと無明の底へ隔離したはずだったのだ。なのに、

 

「亡霊めが。分際を弁えず、墓から戻って来おったか」

 

 ヘモグロビンの味がする。咬合力に耐え切れず、歯茎から血が溢れたらしい。

 ()がこの忌々しい復活劇を招来したのか、考えるまでもなく自明であろう。

 

「分水嶺は、あそこしかない」

 

 あの日、あの夜、あの瞬間。光の降るエイジス島で、彼女を直撃した感動。

 あれは何も馬鹿正直に光景そのものに対して打ち慄えていたのではない。真に心を打ったのは、その直前。

 

――ありがと、みんな――

 

 方程式を超越し、幻想と現実の垣根を壊し、アーク計画を覆し、そしておそらく地球意思すら驚倒せしめ、己がすべてと引き換えに終末捕食を月へ持ち去り、「みんな」を救ったアラガミの姫。

 

 穢れなき純白の魂と、そこから生まれ出でた行いにこそ、彼女は美々しさを受け取った。尊いと、そう思いさえしたのだ。

 

 無警戒で受け入れた感動は、彼女の存在を余すところなく直撃した。そう、深奥に封じられていた破滅衝動さえも。

 

 形を取り戻し、永き眠りから揺り起こされたアレはさぞかし歓喜しただろう。

 何故ならシオの行為とは、とどのつまりは自己犠牲。滅びを望むものに対して、これほど相性のいいものがいったいこの世の何処にある。

 

 ただ単純に刃を腹に突き立てたのでは、所詮負け犬の末路。惨めな敗北者の自殺、虫が一匹潰れた程度にしか受け取られまい。

 ところが何かのために、とか、誰かのために、といった謳い文句を頭に付ければどうであろう。急にそれが何やら崇高な、神聖さを纏ったものに変じてくるではないか。

 

 どんなに言い繕おうとも、死は死。断絶という本質自体にはなんの変化もないはずなのに、どうやら人間には生まれつき何かのために殉じたいという欲求が組み込まれているらしく、急にひろびろとした気分でそのことに臨めるようになる。

 まだ薄い(・・)とはいえ、ここ最近の彼女の精神状態は正しくそれだ。

 

 感動を、感動を、感動を――脳髄を蕩かすあの甘い痺れをもう一度。味わうために、今度は己自身で実践しよう。

 おお、それはいい。いい考えだ。これはきっと前回以上の刺激があるぞ、やはり他人任せはよくないな。

 

 だから、さあ、演じるための舞台をよこせ。

 

 窮地とあらば喜んで首を突っ込もう。この際芽でも構わない、しっかり育てて立派な果実をつけさせてやる。

 

「醜穢な」

 

 反吐を呑み下す思いであった。

 

「やられたなあ。死に焦がれ死を求め、酔いに酔った亡者の舞踏。ここ一連のわしの行跡そのものじゃ」

 

 そして何よりも性質(タチ)の悪いことには、これは例え自覚してもどうにかできる現象ではないという、絶望的なその事実。

 

 滅びの欲求とあの感動、すなわち彼女の美意識は既におそるべき純度で融和してしまった後である。

 

 一体となって彼女本来の渇望を蝕むこれを、封印どころか分離させることさえ今となっては困難だ。否、まず不可能といってしまっていいだろう。返す返すもあの刹那、忘我の感動に浸っていたのが悔やまれる。

 

 今回ばかりは打つ手がない。解決策が見えないのだ。

 

 考えあぐねている間にも、生への執着が削り取られ真逆の渇望が肥大していく、ああそのおぞましさよ。

 

「結果的といえども、よもやお主に追い詰められようとはな。あれか、一度は同胞諸氏を裏切りかけたツケを払えということか?」

 

 侵喰速度は衰えない。むしろ加速の一途をたどる。共存不能であるならば、強い方が弱い方を駆逐するのは道理。

 彼女の中身が空になり、まったく別のものと入れ替わるまでこの侵喰は止まらない。

 残された時間は、決して多いものではないだろう。

 

「たしかに傍からはそう見えるのだろう、なんと図々しい女だと。誰にも明確な意思表示をせんかったのをいいことに、何をのうのうと澄まし込み、元鞘に収まっていやがると」

 

 彼女がアーク計画に乗らなかったのは、なにも高尚な信念とか友誼とか、そういう要素は毫もない。

 打算。生き延びるべく勝ち馬に乗るという、ただそれのみを目的とした打算の結果に他ならなかった。

 

「だがな、わしァ決してそれを恥じぬぞ。頭など下げてやるものかよ」

 

 そも本心とは、隠して然るべきものだろう。どんな美女も美男子も、腹の中身は凡百どもと変わらない、糞に小便、血潮に胆汁、色とりどりの内臓に、総じて臭気芬々たる代物だ。

 皮に包んで、決して外に漏れないようにしているからこそ持て囃される。それと同様、如何な人間であろうとも、その真の姿は醜怪で、正視に堪えず、ましてや愛などとても注げぬ代物だ。

 

 ――ああ、だからこそ。シオはああまで、皆の心を攬ったのか。この穢土にてただひとり、腹の底のそのまた底まで清らかだったがゆえにこそ。

 

「しかし、わしは俗なのよ。みっともなく、薄汚れながら地べたを這いずる人間で、そうあることに満足している。お主のようになりたいなどと、そんな願い、間違っても抱くものか」

 

 〇、〇〇一秒の悪魔、ひいては己が美意識めがけ、宣戦布告と吐いた言葉は、彼女自身びっくりするほど弱々しかった。

 

 

 

 世界は母親のようにやさしくなどない。人間ひとりの都合など、微塵も斟酌することなしに駆動する。

 

 ――今、アーク計画に勝るとも劣らない、巨大な嵐が極東支部を襲おうとしていた。

 

 

 

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