ロリババアの道程   作:穢銀杏

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 生そのものは本質に於いて他者や弱者を我がものにすること、侵害すること、圧服することであり、抑圧すること、厳酷なることであり、おのれ自身の形式を他に押しつけること、摂取同化することであり、すくなくとも――ごく穏やかに言っても搾取することである。

(フリードリヒ・ニーチェ)



BURST編 Part2

 

 ハンニバル捕食作戦が発動されて暫くである。ふとしたことから死人の生存が確認された。

 

 ――逆ならともかく。

 

 この終末の瀬戸際に、滅多にあるべきことでない。さしもの彼女も、足元から鳥に立たれた感がした。

 おまけに対象が対象である。

 (さき)の第一部隊長、雨宮リンドウその人なのだ。

 

 彼女の先代を務めていただけあって、実力のほどは折り紙つきといっていい。そこを見込まれ、よほどの枢機――アーク計画の進行にも携わっていた形跡がある。

 が、内心密かにこれに反発、いわゆる面従腹背を装いながら、最終的には内部崩壊に漕ぎ着けようと立ちまわっていたのだが。ヨハネス・フォン・シックザールの鷹の如き慧眼を誤魔化しきれるわけもなく、「事故」を仕組まれ排除されたかつてのリーダー、それがリンドウという男であった。

 

 とうに黄泉路についたはずの人物が、実は現世に留まって、何処かで生き永らえていた。この報により、極東支部は激しく揺れた。

 歓喜した。

 

「リンドウが……生きてる……」

 

 感極まったと声をふるわす橘サクヤ。リンドウとは恋仲だった女性である。

 折に触れては彼の神機をじっと見上げて、瞳をしとどに潤ませていたサクヤのことだ。喜びなどと、そんな表現では生温い。

 分類以前の純粋な衝動、ひどく熱い気の塊が胸の奥からせり上がり、たまらず口元へ手をやった。

 

「サクヤさん……!」

 

 そこはアリサ・イリーニチナ・アミエーラも同様だ。リンドウの死――結果的には誤認だったわけだが――に深く関わり、重大な責任を感じていた少女である。

 サクヤの感激にその心は音叉のごとく共鳴し、更なるたかぶりを誘発させた。

 

「フン…さっさと見つけて連れ戻すぞ」

 

 いつも通りぶっきらぼうなソーマだが、言葉尻があからさまに浮いている。

 無愛想に見えて情に厚く、存外可愛げのあるやつなのだ。古い戦友の帰還を想えば、しぜん心が沸きたって、蓋をしようにもついつい抑えかねたのだろう。

 

「よっし、そうと決まればさっそく行こうぜ、リーダー!」

「ええ…必ず連れて帰りましょう…必ず…!」

 

 いまにも走り出さんと気負うコウタを、今日に限ってはアリサも止めない。

 ことほど左様に、第一部隊の士気は上がった。当然といえば当然である、これは元々、リンドウの部隊なのだから。

 健康な反応といってよく、なんら驚くべき要因はない。彼女が、

 

(意外や)

 

 と面食らう思いがしたのは、他の部隊のゴッドイーター、整備員に研究員、果ては一般の事務員までもが欣喜雀躍――脚に弾機(ばね)でも仕込まれたんじゃないかとばかりに舞い上がっていたことだ。

 

(暗い時代、という背景もあるんじゃろうが)

 

 闇の(しじま)が蝋燭の灯火をいよいよ際立たせるように、暗雲たちこめ先行き見えない当世にあって、明るいニュースはただ明るいというだけで、より一層の光輝を着せられ迎えられるものである。

 

(皆、希望に餓えているのだ)

 

 おいやったな、と口々に言い合い、肩を組んで目端に涙を浮かべさえする連中は間違いなくこの環境にあてられて(・・・・・)――換言すれば、場に酔っていた。

 

(まったく、痛ましゅうて見ておれんわ)

 

 昇降機にひとり乗り込み、やっと彼女は仮面を外す。

 露わになった素の顔は、弔辞のそれと変わらない。

 

(分かっているのかね。リンドウの生存が確認されたのは、やっこさんのDNAとアラガミ組織片のDNAとが一致したからじゃぞ。つまり、彼奴は間違いなくアラガミに成り果てておる。ツバキも明言しとったろうに)

 

 その組織片とやらを持ち帰ったのが、他ならぬこの彼女である。

 

(返す返すも、あれは痛恨事であったわい)

 

 慨嘆せずにはいられない。

 

 ゴッドイーターは適性のある人間にオラクル細胞を混ぜ込んだ、半アラガミめいたモノ。これについては以前に触れた。にも拘らずなにゆえ彼らは施術後も、ヒトとしての心とカタチを保てるか。ゴッドイーターをホモ・サピエンスとアラガミとの中間に保つバランサー。その正体は、なにも埋め込まれたオラクル細胞がその人物を宿主と認め、穏やかに共存しているだとか、そんな夢のある甘っちょろい理由からでは全然ない。ひとえに腕輪から注入されるP53偏食因子、これの効果に尽きている。

 

 ざっくばらんに分かり易く述べるなら、P53偏食因子を充填された肉体はまずそうだから喰わないのだ。

 むろん、オラクル細胞にとってである。

 たとえ餓死する破目になったとしても絶対に口に含みたくない、喰うくらいなら死を選ぶ。なるほど偏食とはよく言ったものだ。

 

 では、ここで何らかの事故によって腕輪が外れてしまったゴッドイーターがいたとしよう。

 

 外れた上に、修復不能なほどぼろぼろに壊れ、予備も調達できない状況を想定しよう。

 

 偏食因子は一度入れれば永続的に効果を発揮するような都合のいい代物にあらず。定期的に注入し続けなければ、呆気ないほど簡単に体の中から失せてしまう。

 

 さすれば、人間にとっては悪夢でも、オラクル細胞にしてみればこの展開はどうだろう。突如眼前にこの世の贅の限りを尽くしたごちそうが現出(あらわ)れるのも同然だ。喰らいつかない理由を探すほうが難しい。

 

(いまのリンドウがまさしくそれじゃ。彼奴の腕輪が外れてから、もうだいぶ時間が経っておる。げにおそるべき時間といってええじゃろう。アラガミ化の進行しきったゴッドイーターの治癒報告なぞ、寡聞にして知らんわい)

 

 驚くべきは、ほんの些細な痕跡だけでリンドウの生存を洞察し、その三秒後にはこんなところまで読みきってしまった彼女のアタマの回転速度。

 

(どのみち、殺すことになる。さもなくば檻の中で一生飼い殺しじゃ。悲惨という以外ない、当人も、周囲の者にとっても)

 

 然らばこの事実は胸裡に秘め、一切口外せざるのがどう考えても得策なのだが、息せききってツバキとペイラー・榊へと報告したのはぜんたいなんの撞着だろう。

 

 ――考えるまでもない、癌腫の如くめきめき増殖しつつある、例の自滅への欲求である。

 

(ええい、いちいち最悪のタイミングで起動してくれる)

 

 特にここ最近は活性化しっぱなしだ。

 

(どうやらアレは、わが手でリンドウを殺したくて殺したくてたまらぬらしい)

 

 うずうずしているのが、それこそ手に取るように分かるのである。

 脳裏に浮かぶは、愚にもつかない三文芝居の一場面だ。

 畜生に堕ち、もはや人界に仇なす怪物と成り果てたるかつての同胞、友人を、血涙を呑み心を潰し鬼となり、突き刺し殺す勇士の劇――。

 

 あいつだって自我があったならこれを望む。殺すことが、死をくれてやることが救いとなる場合があるんだ。

 私を憎むか、ああそれはそうだろうな。これは一面、希望の芽を摘む行為であろう。

 ならばいいとも、思う存分この身を憎み、悪罵を投げつけ怨み呪いの的とせよ。それがあやつを殺めた私の義務だ。

 だがな、いいか、頭は下げぬぞ。私の口から謝罪の言葉を聞こうだなんて期待は持つな。

 誰がどれだけ否定しようと、私は私の正しさを信じている。私は正義を貫き通した、誰に憚るところなし――と。

 

 激痛に耐え、友の無念を背負い、彼の為にも前へ進もうと決意しているように見え、その実どうだ、手前勝手な自己憐憫に陶酔しているあのつらを見よ。

 

 羨ましいとは思わんかね。己もその蜜を舌に乗せ、咀嚼したいと思わんか。

 

 まったくなんと使いふるされた設定だろう。どんなに出来の悪い頭でも悲劇と理解し、涙を流せる陳腐さよ。

 

 なればこそ我が気に入った。ああ、実に素晴らしいぞこの舞台。古来より手を変え品を変え、演出を凝らせど根にある骨子はみな同じ。

 

 つまりそれだけ人に愛され、飽きることなく繰り返されてきたのだ、友殺しは。

 

 ならばその突端に、わしが新たな一幕を刻んでやろう。この演目、是非とも成功させねばなるまいて。

 

(冗談ではないわ)

 

 〇、〇〇一秒の悪魔が熱っぽく囁く睦言を、脂汗を流しつつ、根限りの力を籠めてはねのける。

 

(リンドウの殺害は、即ち社会的自殺じゃ。美談もへったくれもない、何故こんな単純なことが分からない)

 

 或いは、総て承知の上で欲しているのか。

 なにせ彼女の美意識は、自滅、自壊の衝動と同化している。あれにとっては、アナグラ全体の床が一部の隙間もない針の筵と化す展開ほど喜ばしいものはないであろう。

 

(擬態の髄をこらして振舞えば、なんとか仲間たちの同調をかうところまでは漕ぎつけられよう)

 

 仕方がない、ああする以外に手がなかった、お前のせいでは断じてない――と、消沈する彼女を慰め、悲しみを分かち合おうとしてくれるだろう。

 しかし心の裏側では、

 

「あいつはリンドウさんを殺した奴だ」

「情けを知らない、人の心を解さぬ人非人め」

 

 侮蔑と怨嗟の暗い焔がへばりつき、決して離れることはない。どころか時の流れをエサとしていよいよ盛んに燃え上がる。

 

(特にサクヤがどういう目でわしを見るか。こればっかりは想像だにしとうないなあ)

 

 希望に向かって手を伸ばし、高く跳ねれば跳ねるほど、絶望もまた深くなる。

 ひょっとすると落下の衝撃に耐え切れず、今度こそサクヤの心は砕け散らぬとも限らない。

 

「どうしてよ」

 

 もしそうなれば最悪だ。理性は完全に吹き飛んで、自制をなくした橘サクヤはあらゆる情念の行き場を下手人に求めることだろう。

 これは水の低きに就くも同然な、物理的必然といっていい。

 

「リンドウは死んだのに、どうして彼を殺したあなたなんかが生きてるの?」

 

 人間関係は一筋縄ではいかないのが世の常だ。麻のように縦横無尽に錯綜し、縺れ、絡み合っている。

 そのうちひとつが大暴走を始めれば、後はもう、玉突き事故のごときもの。影響は全体に波及する。涙が涙を、血が血を招く破滅の連鎖がはしりだす。

 悲劇に次ぐ悲劇の中で、いつしか彼女はかかる惨状を引き起こした総ての元凶として強烈に祭り上げられて、犠牲の丘を登らされるに違いない。

 

(いかんなあ、とても生き残れる気がせぬ。ただでさえカンが失われつつある今、この展開は絶対にまずい)

 

 こんな愁嘆場じみた席で落命するなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 畢竟、回避が賢明だった。

 蚊帳の外とはいかずとも、浴びる火の粉は減らせよう。

 

(憎まれ役は他の誰かに任せるべし。すまんなあ、わしがみすみすあげな報告を許したばっかりに)

 

 基本的に現実主義者な彼女らしい決断である。この方針のもと、隙あらば全速力で奈落へ下らんと希うあの衝動に目を光らせ、適宜抗い、今日この日まで歩んできた。

 

 リンドウの生存確認のため、証拠集めに奔走したのも純然たる彼女自身の意思である。一度任務を受けたからには、きちりとこなさない限り無用な不信を招いてしまおう。

 

 ――あいつ、リンドウの生存を確信されたら、なにか困ることでもあるのか? しかし、その報せを持ってきた張本人だぞ?

 ――もしや、今になって隊長の地位が惜しくなったか。リンドウの復帰で、それが脅かされると恐怖しているのか。

 

 と。

 特にツバキに思われるのは避けたかった。あの女傑を敵に回して得なことなど何ひとつない。

 だから既存の任務はしっかりこなす。が、

 

(深入りはここまでよ)

 

 幸いにして、第一部隊はリンドウの捜索から実質除外の目に遭った。ソーマ達は不満たらたらだったが、彼女にとってこれは天の恵みに等しい。

 

(あとは時の流れが解決してくれる)

 

 上等とは決して呼べない結果となるが、それで一応は彼女の思惑通りに進む。

 

 そう、そのはず、だったのだ。

 

 なのに。

 

 

 

「………アラガミ化が進行した結果、二度と人間には戻れません。また、人間によって培養されたオラクル細胞は極めて多彩な変化を遂げる傾向にあり、一般的な神機が通用しない場合が極めて多い」

「レン、レンや」

 

 そんな彼女の努力目論見、刻苦精励悉くを、まとめてむなしくしかねない自称軍事医療専門のゴッドイーターに、彼女は辟易しきった顔をした。

 

「お主はもう少し空気を読む術を学ぶべきじゃな。いいかえ、一座の者がこぞって酔っ払っているときは、己も酔態を装っておくのが世を円滑にまわすコツじゃよ」

「そんな、アラガミ化した神機使いの処理方法として最も効果が高いのは」

(なんという小僧だ)

 

 レンは彼女の言葉など、正しく歯牙にもかけなかった。

 返答どころかおっかぶせるべく声量を増すこともなく、診断を下す医師さながらに淡々と語を継いでゆく。

 

(これは会話ではない)

 

 通告、令達の類であろう。

 彼我の立場を勘案すれば、新人風情が、なにを偉そうに能書き垂れてやがるかと一蹴しても許される。

 

「適合した者にしか扱えないという矛盾を孕むために、決定的な対策とはいえませんが」

「よせ」

 

 当然の権利を、しかし彼女は行使(つか)わなかった。

 否、正確には行使(つか)えなかった。

 本来の意志とは裏腹に、彼女の中に誕生しているべつな「彼女」の妨げに由る。期待感に目を吊り上げて、さあ、早く続きを言ってみせろと舌なめずりする自己破壊のペルソナに。

 

(やめろ――これ以上、あいつに餌を与えるな)

 

 レンの言葉の向かう先、何を示し何をさせようとしているかなど、とうに察しがついている。

 

 ――自分にしか出来ない、ただ我のみがそれを成し得る。

 

 これらの限定条件は、倒錯家をして更なる恍惚の渦中へと傾倒せしめる典型かつ絶好の殺し文句だ。

 要らない、要らない。そんなものは微塵も望んでいないのに――全身が心臓になったかと錯覚するほど高鳴る鼓動を、彼女自身どうしようもないのだ。

 

「アラガミ化した本人の神機を用いて、殺すことです」

「よせと言っておろうが、阿呆んだらあっ!」

 

 わめくなり、彼女はレンの肩を掴むと、そのまま背後の自動販売機に叩き付けた。

 けふっ、と、小ぶりな唇から空気の漏れる音がする。

 レンの手からジュースの缶が滑り落ち、甲高い音を立て、雫を残しながらころころ遠くへ転がった。

 

「リンドウさんの足跡を辿って、運よく彼に出会ったとしましょう」

「こやつ、まだ言うか」

「もし、そのとき、彼がアラガミになっていたらどうしますか?」

 

 レンは着痩せする性質(たち)らしい。

 掴んだ肩の肉付きは、想像よりも豊かであった。その柔い肉にぐっと五指を喰い込ませ、肩甲骨を締め上げる。大のおとなでも悲鳴を上げかねない痛みに、しかし中性的な新入りは眉ひとつ動かさず耐えてのけた。

 

「貴方は、その『アラガミ』を殺せますか?」

「おおできるとも、微塵に刻んでくれようず」

 

 勝手に動き、そんな致命的もいいところな暴言をまくし立てたがる口唇を、奥歯をがっちり噛み合わせて封鎖する。

 おそるべき貌になった。

 

「言いたいことはそれだけか、小僧」

 

 喰いしばった歯の合間から無理に絞り出すわけだから、声はしぜん、ひどく軋んだ、金属質なものとなる。

 地獄との直通回線が開けたのなら、きっとこんなのが聴こえるのだろう。

 

「根拠を欠いた意味なき仮定をぺらぺらと。うぬは結局何が言いたい。わしをして何をしせしめたいのか、今、ここではっきり申してみいや」

 

 知れたこと。どういう事情があってのことかは定かではないが、レンは明らかに彼女をしてリンドウを殺させたがっていた。

 先だっての襲撃時、彼の神機を扱い、拒絶反応によって重度の侵食を受けながら、何故かこうして安定した状態にある彼女以外に、それは叶わぬ作業ゆえ。

 

「ふざけるなよ、わしァ断じて斯様な真似はせんぞ」

 

 と、命じられた通り、レンが唯々諾々と胸の裡を明かしてくればこうはねつける算段である。続く台詞はこうだ。

 

「彼奴がどんなみてくれに変じていようが、既に人の心を喪失していようが、わしは殺さん。ああ殺らぬとも。身動きとれなくなるまで切り刻み、この古巣までひきずってくれよう」

 

 はたして、それは可能なのだろうか。レンによれば、アラガミ化した人間には通常神機が効かないはずだが。

 

(なんの、盛っているだけよ)

 

 この点、彼女は楽観していた。

 何故ならアラガミ化した人間など、今まで山ほど実例がある。

 

 思い出せ。適合検査の確立せざる初期段階では、フェンリルといえば新種のアラガミ生産場と横目で見られていたではないか。

 悪所・汚点は殊更に抉り出し、実質以上に誇張して言い触らすのが民衆の習性なれど、火の無いところに煙は立たず。そう呼ばれても仕方のないくらい、さんざ失敗を重ねたのだろう。

 

 では、そのときに生まれたアラガミ共は、彼等をアラガミ化せしめた神機を振るえる適合者の出現まで、無敵の存在として生物界に君臨しえたか?

 

(否――)

 

 そんなわけがない。加えて、圧倒的な経験をほこる彼女には、元神機使いと目されるアラガミと矛を交え、討伐した実績があった。

 ――第一種接触禁忌アラガミ、スサノオがそれだ。

 

(あの生命力の強靭さ、確かに難敵ではあった)

 

 が、今レンの話を踏まえて鑑みるに、あのしぶとさは神機が効きにくいのを誤認したものではなかろうか。

 

(あと考えられるのは、ハンニバルのごとくコアを抽出されてもすぐまた新たなコアが生成され、生き返る、か)

 

 もしそうならば、彼女にとってはかえって好都合である。

 彼女がリンドウ捜索に対して消極的で、対面を避けんと欲していたのは、遭ってしまえば彼を殺しきられずにいられる自信がなかったからだ。この身はちょっと、あまりにも、殺戮に特化しすぎてる。慣れないことはしたくない。

 

 だがしかし、いくら殺そうにも殺せないのであれば安心だ。倒し、運び、復活しかけたらまた倒し、を繰り返してゆけばよいだけである。殺害時に蒙る災難に比すれば、遥かに楽な仕事といえよう。

 

「さすれば後は簡単よ。進行したアラガミ化は治癒不可能? はん、確かに今はそうじゃろうな。じゃが、十年後ならどうじゃ。そのまた更に十年後なら。アラガミの研究はまだまだ発展途上、それも連中の進化に引き摺られるがごとく、日々急激に進んでおる。期待する価値は存分にあると思わんか」

 

 かつてはそれ――飼い殺し――を悲惨極まりない、と評していたくせに何を言ってやがるのか、と突っ込みたくもなるだろう。

 だが、あの時と今とでは事情がちがう。方針が転換している。万物流転の(ことわり)に従ったまでのことである。

 

「たかがン十年の苦痛・苦悩がなにするものぞ。人を救うとは、愛するとは本来それほど勇と忍耐を要するものじゃ。安易に殺して終わりにし、これで苦しみを除いてやれたと悦に入るのは愚の骨頂で、所詮薄っぺらな鍍金モノよ」

 

 一連のセリフを練り上げるうち、奇妙なことに彼女は芯からすっかりその気になった。

 

 ――これこそが正道、物の道理に違いない。

 

 と。

 我ながら喝采したくなったのである。

 企画屋が自家製の企画に興奮し、熱狂し、ついにはその最も激烈な信者と化すようなものか。とはいえ彼女の狡猾さは、

 

(まあ、まずは捜索本隊の報告を待ってからじゃな。彼奴がちゃんと不死の存在に変じておるか、確かめるまで軽々には動けん。首尾よくなれておらなんだら、他のゴッドイーター共に嬲り殺されるのを静観しよう)

 

 あくまで地固めを怠らず、軽挙を慎む点である。

 そして、確証を得られたのなら――直々の出陣も吝かではない。むしろ望むところといえた。

 だから、万が一にもその場にリンドウを殺し得る物品――彼の神機を持ち込まれるわけにはいかないのである。

 

「意味の無い仮定、とは心外ですね」

 

 一方、レンはあくまで死を与えてやることがリンドウにとっての救いだと信じている。

 彼女の論は重病人をとにかく生かせとチューブだらけにする医師と本質的に変わらない、思考停止の所産であるとせせら笑うに違いない。スパゲティ症候群が、本人の幸福に繋がるものか、と。

 

 しかし、どうも真正面から角突き合わせて大舌戦、というのは不利そうだ。彼女の準備が万端なことを、鋭敏な感覚で察知していたわけである。

 よって、明言を避けた。正面突破は無理と見限り、搦め手を用いた。

 

「身を引き裂かれんばかりの悲劇が日常茶飯事として横行している昨今です。最悪のケースを想定し、物理的にも精神的にもこれに対する備えを築いておくのは、神機使いとして当然の所作だと考えますが」

「ほう、薫陶を垂れてくれるかよ、百戦の雄たるこのわしに」

 

 彼女の失敗は、売り言葉に買い言葉、ついレンの語りに反応してしまったことだった。しかも咄嗟に切り返し得る理を用意できなかったばっかりに、権威を持ち出したのがなおまずい。

 無用に武勇や経歴をひけらかすのは、とどのつまり不安や動揺の裏返しだ。このテのものは第三者の口から口へと伝わればこそ効果を発揮するのであって、本人が直に翳してしまうと、相手が余程の馬鹿でもない限り、たちまち威力は霧散する。

 

「ええ。誰もが貴方をひとつの個体として完成しているように思っていますが、僕から見れば貴方ほど脆く、不安定で、危うげな存在は他にない」

「な、に?」

「ある意味、極東支部で一番弱いのは貴方だ。是非とも教えて欲しい――貴方は、どうしてそんなにもちぐはぐなんです?」

「――」

 

 絶句した。

 

(ちぐはぐとは、うまい言い方をする)

 

 なるほど真逆の渇望同士が絶えず鎬を削り続ける彼女の内海、その色相は、濃縮された染料同士が混じり合ってさぞかし混沌としているだろう。本来一色を以って基調とすべき根底部分がこんなザマでは、まったくいかにも不安定で、ちぐはぐだ。

 しかし。

 

(かつて、ここまで他人に見透かされたことはなかった)

 

 その事実こそが、彼女に形容不能な衝撃を生む。

 

 奥の奥に在る本性は隠匿されて然るものだと心がけ、他人には幻影を掴ませ、世を渡りゆく腹芸の名手。彼女に自覚はなかったが、このことはいつしか淡い矜持となり、その小さな躯を支える一助とすらなっていた。

 それはそうだろう、どんな道でも休まず延々走り続けば、稼いだ距離、その長大さを誇りたくなる。

 その矜持に、看過し難い重大な傷が刻まれた。

 

「――、――」

 

 あまりのショックに脳はカラカラに干からびて、ガス交換の仕方を忘却する肺腑。

 一時的な全身麻痺にも似たこの症状になんら打つ手もなく、彼女は己が手の内から脱け出すレンをただ呆然と見送った。

 

「この世界はいつだってわがままで、理不尽な選択を迫り…それが現実として連綿と続いていく」

 

 毅然と向けられた背の向こう、まだなにごとか喋っているが、彼女の耳にはその半分も届かない。

 

(負けた)

 

 その三文字だけが、意識をひたすら乱舞する。

 

(重い――)

 

 躯が、である。叶うことならいっそ、膝を折ってしまいたかった。

 ただひたすらに、みじめであった。老いて病んだ野犬でもここまで暗澹たる心持にはなるまい。

 

「…変な話をしすぎたかもしれません。医務室に戻りますね」

 

 伝えるべきはすべて伝えたと満足したか、あるいはこれ以上何を言っても無駄と判断したのか。いずれにせよ、一転朗らかに言い残すと、レンはその場から去っていった。

 後には唇を噛んでうつむく彼女と、ゴミ箱の上にて静かにたたずむ空き缶のみが残された。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

「リーダー、その……大丈夫ですか? 何か、ひとりで抱え込もうとしてませんか?」

 

 アリサの言葉、その一語一語に籠められたいたわりの念が胸を打つ。

 が、大丈夫なわけがなかった。

 レンと起こしたひと悶着で彼女が負ったダメージたるや甚大で、しばらく経った今日でもなおしつこく尾をひいている。傷口は未だぱっくり開いて瘡蓋にも覆われず、艶めかしく濡れそぼったままなのだ。

 

 その理由は、分かり過ぎるほどに分かっている。

 

(塩を塗りこむ者がいる。激痛欲しさに、掻き毟っては新鮮な血を溢れさせようとする屑が)

 

 よりにもよって、彼女のなかに棲んでいる。

 ――いや、そろそろこの言い方では語弊があるか。既に力関係は逆転しているのだから。

元の彼女はいまや、胃の腑で溶かされるのを待つ残留物といった立場だ。

 

(嗚呼)

 

 そのため、ここ近来の出来事は、さながら路地裏で見る影絵の如し。厚みに欠ける――我が身、我が事という切羽詰まった現実感がまるでないのだ。

 

 小さなことは食堂の新メニュー導入から、大なるものにかけてはリンドウ=黒きハンニバルと発覚するまで色々あったはずなのに。

 

(そういえば、そんなこともあったような)

 

 この印象の儚さは、いっそ笑ってしまいたくなるほどだ。

 

(レンの奴にとっては、この上なく都合のいい展開じゃろうて)

 

 現在専ら表層に出ている「彼女」は、リンドウを殺すというその行為を、この世で何より甘美な蜜と認識している。その刺激に恋焦がれ、待ちきれなくてうずうずしている。

 場と術さえ提供してやれば、「彼女」はたちまち仕遂げてのけるに違いない。

 

(詰みじゃな)

 

 なにがどう転ぼうと、もはや彼女は死ぬしかない。リンドウを殺して社会的に死ぬのが先か、完全に「彼女」に溶かされ、消化されるのが先か。

 

(いや、もうひとつある)

 

 どういう作用によってなのかは計り知れぬが、時たま、急に頭がすっきりして完全に元の彼女に戻り、躯を思うままに動かせることがある。

 このとき、まず彼女の眼前には自分の置かれた状況のまずさ(・・・)を示す情報が津波のごとく押し寄せてきて、

 

「なんということじゃあ、これは」

 

 愕然となり白眼を剥きかけ、次いで総てに於いて後手に回った己の間抜けさを呪い、口惜しさに臍を噛みまくる。一連の流れは、もはや様式美と化していた。

 第三の選択肢が浮かんだのは、この後である。

 

「どちらにも出口のない、袋小路の死ならば、いっそ」

 

 自分を保てている今の内に、我が手で生を終わらせる。つまりは自刃だ。

 やろうと思えば簡単である。ゴッドイーターといえども、うまくやれれば短刀一本でことは足りよう。

 

「何が第三の道じゃ。袋小路の中の死には、何の変わりもないではないか」

 

 厨房からちょろまかしてきた包丁一本。その刀身に映る彼女の口元は、うっそりとした笑みをたたえて歪んでいた。

 

 

 

 それが、つい十分前の出来事である。せめてもの気分転換に、と自室を後にしエントランスへあがってきたが、

 

「ふむ、わしの顔はそんなにひどいか」

 

 アリサは無言でコンパクトミラーを差し出した。仮にも女性相手に、その言葉を使うのは躊躇われたに違いない。

 

「ぬ――」

 

 自制心を掻き集め、のけぞることだけは防げたが、呻き声が漏れるのまではどうしようもない。

 

 年頃の娘の所持品らしく、花の意匠をあしらった可愛らしい鏡の中に、いっぴきの幽鬼が佇んでいる。そっと指を伸ばし、土気色の肌をなぞった。

 死人のように冷たい。陳腐な比喩だが、これ以上相応しい表現はなかった。

 

「実はの、わしァ冷え性なんじゃ」

「リーダー」

 

 誰が聞いてもすぐに嘘と見抜ける嘘を、どうして人は口にしてしまうのだろう。余計大きな数寄を晒すだけだというのに。

 とっさの反射的行動であって、理由などないのかもしれない。とまれ、これを契機にアリサは堰を切ったかのような怒濤の説教を開始した。

 どうもこの玲瓏な声の持ち主は、例のハンニバルとの交戦に於ける一件以来、彼女に対し過保護になったきらいがある。

 

「――…、リーダー、ちゃんと聞いてますか!?」

「おお、勿論じゃとも。しかし、くく、こう、説教を受けるなぞ、何やら久方振りで面映ゆいな。こうも真摯に叱ってくれたのは、婆様を除けばお主が初やもしれん」

「おばあさま?」

 

 きょとん、と、アリサは目を丸くした。彼女が自分の家族構成等の、所謂「過去」を話すのは未だかつて一度もなかったことだから。

 

(――そう、私達はあまりにもこの人のことを知らない。あんなにも一緒に戦ってきたのに)

 

 と思うアリサだが、なまじい一緒に戦ってきたからこその結果であろう。

 

(あまりに強くて、強過ぎて。……どこか同じ人間という気がしなかった。ヒトを超越した絶対的に揺るがない、不動の山みたいな頼もしさを無条件で抱いてたんでしょうね)

 

 だが、あのとき知ってしまったのだ。

 

(山だなんてとんでもない。リーダーだって私達と同じ――いえ、私達の中で誰よりも、儚く、小さい、ただの人です。傷付きもすれば悩みもするでしょう)

 

 ところが、アリサがいくら記憶をあらってみても、そんな弱々しい彼女の姿が見付からないのだ。彼女はいつも、いつだとて、不敵な笑みを浮かべながら後に続く者達を導いてきた。

 こんなことは有り得ない。完璧な人間など、理想郷(ユートピア)と同じで誇大妄想狂の脳内にしか存在し得ないモノだから。

 もしそう見える者がいるとすれば、それらしく振舞っているだけなのだ。

 

(とすると、あれは仮面だったのではないかしら)

 

 そこに思い至るや否や、アリサはいてもたってもいられなくなった。

 相手が自分に抱いているイメージを崩すまいと狂言を演じ、虚勢を張る。これは一種のいたわりであり、優しさのあらわれであろう。だが、それもこうまで徹底されると、

 

(痛ましいですよ、リーダー)

 

 仮面の下に隠された、彼女の素顔はどうなっているのか。

 誰にも拭われることのない涙は、いったい何処へゆけばいいのか。

 少しでも情のある者ならば、理解したいと願わずにはいられない。

 けれど彼女は相変わらず、つけ入る隙のないままで――どうしたものか、と攻めあぐんでいたところにこの弱り目である。

 

「然り然り。わしを擁護し、養育したのはとあるしわくちゃな老婆であった、と――。話したことはなかったな、そういえば」

 

 相変わらずひどい顔色のくせに、茶目っ気たっぷりな目つきをして、

 

「聞きたいかえ?」

 

 なんて訊かれれば、答えはひとつに決まっていよう。

 

「はい、すっごく」

「ようし、然らば善は急げじゃ。さっそく部屋に行って布団を敷こう」

「は――い?」

「どうした、ここの寝具は布団ではなくベッドである、なんて野暮な突っ込みはなしじゃぞ」

「いえ、そうじゃなくて。えっ、なんで布団?」

「内容が内容じゃ。真っ当な形式ではなんというか、かたっ苦しいやら滑稽やらで話し辛い。口が重うてかなわん。寝物語にするほかない」

「ね、寝物語って」

 

 それはあれか、夫婦や恋人がひと情事終えたあとで、腕枕なんかしながら繰り広げるアレのことか。

 

(あのピンク色空間を作り出す? 誰が? 誰と? えっ、リーダーと私が? ふたりとも女同士じゃない、非生産的、って違う、それ以前に)

「駄目、だめですってば」

「むう、そうまで固く拒絶されると傷つくのう。あれほど本音をさらりと漏らせる手法はないし、冷えびえとした我が身にも、お主の肌で熱が戻る。一石二鳥のうまい手だと思うんじゃが」

「っ、リーダー! 私は真面目な話をしてるんです!」

 

 盛大に脱線しつつある軌道を修正すべく、気を引き締めて一喝するアリサ。が、それに対する彼女の反応は、完全に予想を超えたものだった。

 

「……冗談で、言っていると、思うのかえ。なあ、アリサ―――」

 

 一字一句噛み締めて、さも丁重気に送り出された言葉には、底の知れない憂いの韻律が宿っていた。

 

 こんなものを肩に手を添え、瞳を覗き込まれながら、産毛をくすぐるように囁かれたのである。

 

 どくん、と。

 

 不必要なまでに大きく跳ねた心臓を、いったい誰に責められよう。

 初心なアリサは、あわれなまでに蕩けた。口をついて出てくるのは、意味をなさない奇妙な音の塊ばかりだ。思慮の統制がとれていない。

 

 その様子をじっくり味わうと、

 

「あっはははははは」

 

 突然大笑をはじめた彼女に、アリサはただ目を丸くした。

 

「いかにも冗談、戯言の類よ。すまんなあ、お主があまりにも可愛らしいものだから、ついからかいとうなった。いやあ、愛いのう、愛いのう、いいものを見た、寿命が延びる。危うく本当にそちらの趣味に目覚めるところであったわい」

 

 これがアリサの金縛りを解いた。雪をも欺くその肌が、みるみる朱に染まってゆく。怒りと、羞恥がこみ上げてきたのだろう。

 

 数秒後、それは頂点に到達。大音響の叫びと化して、エントランスの窓をびりびり揺らし、無関係なヒバリをも危うく卒倒させかけた。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 端から見ればかなり最低な仕打ちを受けたアリサだが、不思議とその心中に恨みはない。

 感情はどろりと堆積せず、逆に清らかさを増して流れる。

 

(あの目)

 

 こうして自室に戻り、ベッドに身を投げ出しても考えるのは彼女のことだ。家路を失くし、夕闇に脅え、惑う幼子のようであったあの瞳――。

 

(リーダーのあんな目は、はじめて見ました)

 

 アリサにはどうしても、あれが冗句や酔狂でつくれるものとは思えないのである。

 

 あの一瞬、確かに彼女は赤心をあらわにしていて。

 

 それと悟られぬよう、誤魔化すために態とあんな痴言を吐いたのではあるまいか。

 

 考えれば考えるほど、この想像が確かな質量を伴い息づいてくるのである。

 

(……な、なら、私があの提案に頷いていたら)

 

 その先を想うとまた顔面が熱くなり、心中悶々としてきてどうしようもない。ついには枕に顔面を埋めて足をぱたぱた上下させた。

 

 アリサはすっかりこのように合点して疑わないが、実際のところはどうなのであろう。

 

(どうもこうもない。認めようぞ、不覚であったと)

 

 以前、レンにひどい手傷を――精神上に――負わされた場所に舞い戻り、舌が拒絶反応を起こしかねない液体を強引に飲み下しながら、彼女はひとり苦笑する。

 

「やはり、まずい。こんなものを好き好んで飲みたがるとは、あの小僧め、どういう味覚をしとるんじゃ」

 

 この劇物を用いればその言外の刺激によって、完全覚醒していられる時間を増やせるのではと期待しての試みだったが、どうも浅知恵に終わりそうだ。

 

(いかんなあ。死に近付きつつあるせいか、どうも感情が湿っぽく、諸事感傷的になりつつある)

 

 彼女が気心知れた仲間にさえ自分のことをあれこれ語りたがらないのは、なんてことはない、至って単純な羞恥心からだ。わけもなく、ただ恥ずかしい。

 

 語るという、その行為が、である。決して過去そのものを恥じているのではない。

 

 けれども死に瀕した者の多くがそうするように、せめて何かを、己が生きた証をこの世界に残したい、せめて誰それには自分のことを取りこぼしなく識っておいてもらいたい――そう願う心、発作的な精神機能が、いっとき羞恥を眠らせた。

 

「これは弱さじゃ」

 

 いまさらになって切り捨てる。

 

(理解を望む。どうせ理解されないとあからさまにいじけてみせる。これらは弱さの中でも厳にして慎まれるべき、甘ったれた餓鬼の惰弱さそのものである)

 

 こういうアタマの仕組みであるから、話題のはしに祖母のことを上らせた時点で既に失態。やれ面倒なことになったものよと思ったが、

 

「お主には関係ない」

 

 と露骨につっぱね、拒絶の意をあからさまにすれば却ってアリサの関心を惹こう。意固地になり、何が何でも聞き出してやると気炎を上げる可能性とてある。

 だから、あのような方向に話題を持って行った。ああ言えば八割方、アリサの思考は処理落ちし、何も出来なくなるであろうと踏んでやった。現になった。

 

(じゃが、十割ではない。なんと二割も他所へ流れ、わしの提案を受け入れる可能性があった。業腹なれども、そちらの展開をこそ望む心の存在もまた事実。そう、かまわなかったんじゃよ、アリサ)

 

 そうなれば、彼女は一切合財何もかもを、洗い浚いぶちまけてしまうつもりでいた。

 

 思い切りのいい話だが、現実的でなくも思える。

 

 なにより量が膨大だ。とても一晩では語り尽くせないだろう。喉がカラカラに嗄れてしまう。

 

 加えて、彼女という存在の特異性はちょっと言葉で表し難い。

 

 それはそうだろう、狂気的な生への執着による第六感の超鋭敏化だの、それが蝕まれることによって人格まで死にかけているだの、いったい誰が信じるという。まるでSF、夢見がちな少年の日の妄想だ。

 特に後者に至っては本末転倒もいいところだ。所詮後産の付属物に過ぎない渇望が失せたところで、どうして人格が崩壊する? 夢中になってのめり込んだ対象に、ある日突然熱が冷め、棄てて二度と顧みなくなるなんてのは、至極ありふれたことではないか。多感な時期なら尚更だ。

 

 が、彼女に言わせれば、その本末転倒を引き起こすからこそ「狂的なまでの念」であり、常軌を逸した特殊技能に指を掛けられもするわけである。

 

(と、いくら必死に説こうが無駄なことよ。言葉を介しての伝達、その限界というやつじゃ)

 

 しかし、ここに例外が存在する。

 言語に頼らず、言語よりずっと明確に、心の内を伝えきる手段が。

 

 ――新型神機使い同士の、感応現象である。

 

 お主の肌でうんぬんとほざいた彼女の真意はここにある。色欲ではない。

 衣服越しの接触では、アレは起こしにくいからだ。それに今回は、こっちの心をあっちの心へまるごと突っ込むに等しい所業を行おうというのである。万全を期すため、接触面積はなるたけ多く確保しておくに越したことはない。硬質そのものな合理的判断に基づいての言だった。

 

(それで。伝えて、どうなるという。賞賛してもらえるわけがないわなあ)

 

 彼女の道程は打算と合理の集積物だ。腹の中身は墨汁よりも暗い黒。アリサにしてみれば、同じ人間と思っていた相手が実は人皮を被っただけのエイリアンだったようなものである。おぞましさに歪む顔が実に容易に想像できた。

 

 卑下はしない。

 

 むしろ誇らしく思っている。これこそ我よと胸を張る。けれどもしかし、だからといって他者にまで同じ認識を強要するのは、いわばある種の脅迫で、反発が起きるは必然である。

 

(困ったぞ、何をどうしようが結局は、余計な軋轢しか生まれ得ぬ。なんの益もありゃあせんじゃないか)

 

 が、もし万一。

 アリサの彼女に対する情愛が、彼女の想定を大きく超えていた場合にのみ限って、奇怪な臓物をまざまざと見せ付けられようと、それを拒絶しない可能性が仄見える。

 

 それを蔵する彼女を、あろうことか受け入れてしまうご都合主義が発生するのだ。

 

 これこそ先刻彼女が賭けていた展開。紙のように薄い確率に、全財産を注ぎ込む気でいた。

 一見すると自滅衝動の発露だが、まったく違う。彼女にとってその先の果実が、勝負するに値するほど価値のあるものだったまで。

 

(はて、果実とはもったいぶった言い回しを使う。いったい何を指しているのやら)

 

 缶はいつの間にか、すっかり空になっていた。

 

(答えの分かりきっている自問は何時以来か。それほど昔でもなかろうに、もう十年も前のことに思えるわ)

 

 そう、分かりきっている。なのにそれを認められず、そっぽを向き、別の何かがあるはずだと一から考え直すところまで、前回辿った道と全く同じだ。

 人の成長がいかに難事であるのやら、窺えそうなものである。

 

「――屈辱じゃな」

 

 掌中の空き缶が、音を立てて大きくへこんむ。まったく屈辱的なことだが、それが真実である以上、やがては直視せざるを得なかった。

 理解の果てに彼女が求めた究極のモノ――それは抱擁だった。

 母が娘にするように、無限の慈愛を以ってして、表も裏も美も醜も、総てを包み、抱き締めて欲しかったのだ。

 

「たわけ。どうしようもない甘ったれの、大たわけがッ……! 母の乳房を欲しがる歳でもあるまいに!」

 

 空き缶は既に缶としての体裁を留めていない。わけのわからぬ金属塊と化し、尚も圧縮され続ける。

 当然、彼女の手も無事では済まない。皮膚は破れ、裂けた肉から血が溢れた。

 

(時間を置かれたのが災いした)

 

 白州に引き据えられ、判決の後すぐさま首を刎ねられる身であったなら、彼女はこんな無様を晒さず逝けたろう。が、こうも長々と、一枚一枚、薄皮を剥がすようにして、ゆっくり削られ死んで逝かねばならぬとなると、どうしても最期まで意気を保つのが難しくなる。ふとした拍子に心気が萎えて、愚にもつかない弱気が漏れる。

 誰かに縋りつきたいと、そういう迷いがふと兆す。

 

(情けない――ひとには忍耐を強要しておきながら、なんだわしは)

 

 かつて此処で、レンとの対話のときに描いた構図、その中に於いて飼い殺しにされるリンドウや周囲の者のことだろう。

 

(鬱陶しゅうてかなわん、自戒せよ。こんなものに囚われておっては、助かるものも助からんわ)

 

 驚くべきことに、彼女は未だ一抹の希望とやらを捨てていなかった。

 そも、かかる窮状に陥ったのは、シオの自己犠牲を目の当たりにしたため、つまりは外界からの刺激が元だ。

 ならばそれと正反対、本来の渇望を一挙に膨張させ破滅願望を駆逐する、そんな起爆剤めいた「何か」もまた、この広い人界の何処かにあって然るべきではなかろうか。

 

(我ながら、なんとまあ空想的なことか)

 

 空想的でも絵空事でも、もう彼女にはこれっぽっちしか残っていない。そしてこんな些細なものでも、自害を押し留めるだけの効力はあった。

 

(諦めるものか。例え最期を迎えるその瞬間でも、勝負は投げぬ。焼かれながらも耐え続けてくれようぞ。諦めて、たまるものかよ、畜生め――)

 

 

 

 ところが、その最期がきた。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 時間ほど無情なやつはない。どれほど必死に待っておくれと頼んでも、そ知らぬ顔で頭の上を越えてゆく。

 

(負けたわ)

 

 アナグラのエントランス、その上段に設置されたソファーに腰かけ、彼女は敗北を噛み締めていた。

 照明がやけに眩しくて、たまらずそっと目蓋を下ろす。その裏側にひどく懐かしい姿を認め、

 

(婆様、負けたよ、わしは――)

 

 と、はにかみながら報告した。

 

 あの反則的なカンの鋭さはとっくに失い、いまや常人かそれ以下の地平にまで堕ちている。にも拘わらず、うなじの毛穴が残らず閉じ、逆立っているのはどうしたことか。何かとてつもない凶事、極東支部の命運すら左右しかねない大異変が迫っている、その証と見るが妥当だろう。

 なのに彼女は、それに対して思いをめぐらそうとさえしなかった。完全に黙殺しきっている。

 

(わしはもはや、死人じゃよ。死人がいちいち現世の活動に気をとられたりするものか)

 

 そういう腹積もりであった。

 死に抗い、希望を捨てず、一分一秒でも長く生き続けようと必死にもがいたあの彼女は、つい先刻、たった数時間前に息絶えた。

 無念、怨嗟、憎悪、後悔、慙愧、嫉妬、哀切――およそ思いつく限りの負の感情を撒き散らしながら、完膚なきまでに死に果てた。

 

 ここにいるのは、残影だ。

 

 生への執着、それがあまりに鮮烈過ぎたため、魂に焼きつき、大元が消えてもなお残された輪郭の跡。

 生き汚さもここまでくればいっそ見事だ。表彰ものといっていい。

 が、そうは言っても影は影。質量を持たない虚。発展もなく、進化もない。あらゆる意味で本体とは比べるべくもないだろう。

 

 何が出来るというわけでもなく、そう時を経ずして主の元へ逝くしかない、何のために存在するのかさっぱり分からぬ、ああその哀れさよ。

 蜉蝣ですらその短い生涯の中でつがいを見付け、子孫殷昌をたのしむというのに。

 

 哀れといえば彼女もまた哀れであった。血を吐くような忍耐をあれだけ重ねておきながら、ついにはそれが丸ごと無駄だったと証明されてしまったのだから。

 無意味な足掻きからは無意味なモノが生まれるのやもしれない。この図ばかりはとても笑ってやる気になれず、ただただ悲惨という以外にない。

 

 死を嘲笑い、生を虚仮にし、一時、一瞬の快楽をむさぼることを至上命題とする新たな「彼女」も、流石にこの状景には憐憫を催したのかもしれない。今、この躯は残影の――紛らわしいので、以降の表記は彼女に戻す――完全なる支配下にあった。

 

(鬼の目にも涙、というやつか)

 

 しかし、せっかくの好意を受けても彼女には何をしたらいいのか分からない。

 

(これが正真正銘最後の機じゃ。次は絶対に有り得ない。なら、今度こそ腹を掻っ捌くのもありじゃろうが)

 

 それを実行するだけの心の弾みが、もはや彼女には残っていなかった。

 本来の彼女であれば、このような情けを受けたなら、

 

「おのれ、わしを愚弄するか。よかろう、それが如何に浅慮か思い知らせてやる。無間地獄に堕ちながら、貴様の悔恨に噎び泣くさまをとっくりと見物してくれるわ」

 

 と血が逆まくほどに怒り狂うにちがいないのに、現実には猫のごとく大人しくしている点、口調だけでなく精神まで老境に入ってしまったようである。

 

(別段、もったいぶってせねばならぬ儀もなし。こうして目蓋の裏に過ぎし日の幻影を燈してまどろんでいよう。さすれば眠りに落ちるのとなんら変わらぬ感覚で旅立てる。先のアレを踏襲するのは、御免じゃよ)

 

 こんな心境でいたものだから、彼女はなかなか気付けなかった。

 もう随分前から己の隣に何者かが腰を据え、おまけにずっと表情を覗き見られていたことに。

 

「――!」

「あ、やっと気付いてくれましたね。あんまり反応がないものだから、てっきり眠っているのかと思っちゃいましたよ」

 

 目を開けて、真っ先にとびこんできたのは淡い桃色の髪の毛で。それだけでもう、彼女には持ち主が誰か特定できた。

 

「――カノンか」

「はい、お久しぶりです。同じアナグラの中で生活しているのに、逢わないときは逢わないものですねえ」

「縁とはそうしたものじゃろう。何処へ行っても同じ顔に遭遇し、すわストーカーかと早とちりすることもあれば、逆に壁一枚まで迫れども、悉く対面には至れないときもある」

 

 そこまで言って、気が付いた。

 

「……ん? いやまて、お主とは最近会っているぞ。ほれ、行方不明になっておったあのとき、お主を追っかけとったツクヨミを討って連れ帰ったのはわしらじゃろうが」

 

 彼女の意識が茫漠としている間に起きた、現実感のない出来事のひとつであるが、たぶんこの流れで間違っていない。

 

 未知のアラガミ、それも桁外れの戦闘力を有す個体と、不意の遭遇。あまりのことに恐慌を来し、使いものにならなくなった新人二名をそれでも生還させるべく、カノンとブレンダンのベテランコンビが選択した作戦は、自分達を囮に使うことだった。

 

 結果両名はしばしのあいだ消息を絶ち、一時は殉職という噂までもがまことしやかに囁かれ、新人達の顔色は終日紙のようだった。責任を感じていたのだろう。

 

 が、誰も彼等を責められまい。彼女とて、新兵もいいところだった時分には、敵の襲撃を予感しながら足が大地に根を張ったように動かなく、みすみす眼前で先輩を殉職させた苦い過去を負っている。初っ端から十全にこなせる奴のほうがどうかしていて、可愛げがなく、却って信用がおけないものだ。

 

 幸いにしてカノンは彼女が語った通り回収され、ブレンダンは自力で帰還してみせた。

 あまり前の話ではない。そのとき彼女の意識は裏にまわって、表層には「彼女」が出ていたが、そんなことを知るよしもない台場カノンは、ここで彼女と会話したと認識したはずだ。

 はず、なの、に――。

 

(……何故、なにも言わんのじゃ?)

 

 にこにこと、穏やかな微笑みを湛えるばかりで口を開こうとしないカノン。総てに対して鈍感になっていた彼女の心が、このときにわかに息づきだした。

 しばしの間、二人の間に沈黙が降りる。彼女の人生に於いて、これほどまでに耐え難い、居心地の悪い数十秒は例がない。

 

「ま、まあ、それはいいとして」

 

 たまらず、折れた。

 

(まさか)

 

 と膨らみきった疑念があるが、ひとまず無視しておく。

 

「何用じゃ。よもやそれを言うためだけに、わしの目覚めを気長く待つほどぬしァ暇人であったのか」

「まあ」

 

 心外な、という顔をした。

 

「事情は色々なんですが、部隊編成にあぶれちゃいまして。ほら、新人さん達が入って、ここの所帯もずいぶん大きくなったでしょう? だから体裁だけはアナグラの防衛用戦力の中に位置付けられてるけど、実質フリーなんです。ひとりで出撃するのは、いくらなんでも危ないですからね」

 

 目の前に接触忌避アラガミを単騎で狩りまくった怪物がいるが、これはあまりに特殊過ぎて参考にはならない。

 

「あなたこそ、どうしてここで寛いでたんです? 初めて見ましたよ、この時間帯にあなたがのんびりしているところ」

「あー……」

 

 ――暇さえあれば出撃している。じっとしてられないのか。

 ――あいつは、いつ休むんだ。

 

 これらの風聞は伊達でない。カノンにしてみれば、白昼街中で亡霊にでも対面したような驚きだったのではあるまいか。

 

「べつに、大事ない。溜まった休暇を消化しておるだけよ」

「えっ、ここで、ですか?」

「以前、ツバキ教官にも似たようなことを訊かれたのう。左様、そうじゃよ、悪いかね」

「いえいえ。むしろ助かりました」

 

 どこか投げやりな彼女の態度にも、カノンは一切頓着する気配がない。花の開くような笑顔を浮かべて胸の前で手を合わせた。

 綺麗というより可愛らしい。この形容こそがよく似合う微笑ましい姿だ。微笑ましい、筈なのに――どうしたことだろう、開いた「もの」が野辺に咲く一輪華にあらずして、食虫植物に見えるのは。

 

「助かった、とは?」

 

 眼をこすりながら、彼女が問う。

 

「えへへ、実は、ですね。今言ったのは半分なんです。もう半分はご想像通り、あなたにちゃんとした用事があったから、こうして椅子をあっためてたんですよ」

「ほほう」

 

 相槌を打ち、先をうながす。

 

「えっと、どこから話せばいいのかな。そう、さっきも触れた新人さん。私、あのふたりにすっかり慕われちゃってるじゃないですか」

「身を挺して彼等を守った実績があるからの。あれで恩義を感ぜねば人ではないわな。特にアネットなぞ、お主を仰ぐこと神のごとしじゃ」

「そんな、大袈裟ですってば」

「だが、満更でもないんじゃろう。頬があからさまに緩んでおるぞ」

「そりゃ」

 

 と、カノンはいっそ開き直ってみせた。

 

「そうですよ。まともに先輩扱いしてもらえるなんて、私これがはじめてですもん」

「おお、言われてみれば」

 

 アリサにコウタ、そして彼女。

 この三人もカノンにとっては後輩にあたるが、コウタはアレだし、アリサも赴任当初は無用に肩を張ること甚だしく、とても可愛げのある後輩とは言い難かった。

 彼女に至っては論外である。もはや語るまでもないだろう。

 

「だから、今回のことはとても嬉しかった。しばらくはそう舞い上がっていられたんですけど、でも、冷静になるにつれて段々と不安が増してきちゃって」

「不安?」

「はい。ほら、私ってそのう、いろいろと不名誉な称号を付けられてるじゃないですか。それって実戦でさんざんミスを重ねてきた代償ですよね。こんなままじゃ、いつかあの子達もあきれて離れていくんじゃないかしら、と」

「なるほどな」

 

 手に入れるからこそ失う恐怖が発生する。だったら始めから何も求めなければいい、さすれば心は安泰だ、と賢しら顔でのたまう輩も存在するが、真正の馬鹿だ。鶏にも劣る惰弱な発想、真面目にとりあう価値もない。

 

「ふむん。わしが見るに、あやつらはお主の実力というよりも、その心意気に打たれたゆえの敬慕であるから、それは杞憂と思うがの」

「いいえ、駄目なんですよ。そんな楽観に胡坐をかいてちゃ」

「はっ、言いよる」

「だから私は決心しました。実力的、技能的にもあの子たちの先輩として胸を張れるようになろう、と」

 

 ぐっと拳を握り込み、カノンは宣誓してのけた。風貌、堂々としていて強靭な意志が読み取れる。

 

(天晴れ、見事な心意気よ)

 

 太陽を直に仰いだように、まぶしげに。彼女は両目を糸のように細くした。

 

「それで、第一歩としてまずはあなたに手伝って欲しくて」

「わしにか? むう、協力してやりたいのは山々じゃが、わしの戦闘方式は射撃を核としておらぬゆえ、あまり参考にはならんと思うぞ?」

「いえいえ、いいんですよ。ただ、今すぐ一緒に出撃さえしてくだされば」

「――なに?」

 

 彼女は耳を疑った。この娘は自分の話を聞いていたのだろうか。

 

「言ったであろう、わしァ休暇中ぞ」

「協力してくれるって言いましたよね」

「ぬ」

 

 確かに山々とは言った。それも、まだ舌の根乾かぬうちに。

 

「訓練だけじゃどうしても限界があります。やっぱり実戦の中で試行錯誤して経験を積まないと。そうは言っても実戦は実戦、相手は本気でこちらの命をとりにくる、何が起きてもおかしくない戦いの場。そんなところで暢気にあれこれ実験だなんて、あなたと一緒でもない限り、とても出来たものじゃありません」

「おやおや、これはまた随分と信用されたものじゃ」

「何をおっしゃいますやら。あなたが言ったことでしょう、自分と共に出撃()る以上、決して死なせなどしない、と」

「――」

 

 ああ、そうだ。確かに彼女はそう言った。アーク計画発動直前、惑うカノンを戦場へ引っ張って行く間際、傲慢にも。

 

(覚えて、いたのか)

「さ、そうと決まれば早速出発しましょう。時間は有限です、大事につかわなくちゃ」

「分かった、分かったから、ぬわっ、そう急かすな。引っ張られずとも自分で歩ける、何処にも逃げなどせんわい」

 

 まるであのときの焼き直しである、配役はまるっきり逆転しているが。

 

 ……それにしても、カノンのこの強引さは怪訝であった。ときには気弱な印象さえしたこの娘が、どうしてかくも押しの強い存在に変貌したのだろう。

 

 後輩を失望させたくないから、という動機にはなるほど一定の説得力を認めていい。だが、それが休暇中の同僚を半ば強引に引っ張り出すなんて非常識も甚だしい真似をさせるほどのものだろうか、と問われれば、これは首を傾げざるを得ない。事と次第によっては、後々懲罰も有り得よう。

 

 確実に、何かある。それほどのリスクを負ってでも、いま彼女を戦地へ引っ張り出さねばならない、何かが。

 

(まあええ)

 

 ところが彼女は看過した。どうにでもなれ、後は流れに任せるのみよ――と、自棄的な諦観に従って、あらゆる疑念を投げ棄てた。

 もう少しよく視ていれば、カノンの瞳、その奥に。神機を握ったときのみ燈る、あの剣呑極まりない輝きが、仄かに見え隠れしていると気付けたろうに。

 

(戦っている最中に、わしの時間が切れぬよう祈るばかりよ)

 

 馬鹿な話で、そんな的外れな思考ばかりを展開していた。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

「かあ、ふっ――」

 

 天地が逆転した。だけに止まらず、更に二転、三転とする。顔でおもいきり地面を擦った。視界は白濁し、口中に充満した鉄の味が鼻腔にまで抜けてきた。

 満身創痍、という以外にない。

 

(なんぞ)

 

 と、彼女が現実逃避と嘆きとを同時に行いたくなるのも当然である。既に超直感は失われたにも拘らず、骨の髄まで染み付いた戦闘動作は完全にそれを前提としたものなのだ。

 必定、齟齬が生まれる。肝心なところが食い違い、アラガミの猛攻をいいように受ける破目になる。

 

 どこまでも空虚な残影では所詮こんなものか。せめて残()ならば僅かな恩恵を精妙に使い続けることで、だましだまし戦えたろうに。

 まあ、それとて一手の打ち間違いも許されない、虚空に張った一本の絹糸を渡り行くような難題であるが、今迄はそれで罷り通れた。

 

 が、もう駄目だ。大元の彼女が死した今、絹糸すらも消え失せた。

 

(これではあやつがリンドウと対面しても、返り討ちに遭うだけではないか)

 

 実際、勝率は四割程度だろう。培ってきた経験が如何に多量といえども、所詮常識の範囲内。あの理不尽なまでの強さを再現することは、確実に不可能と言い切れる。

 散々殺した後のことばかりを心配してきたが、画餅、取り越し苦労だったかもしれない。

 

 かてて加えて弱り目に祟り目とでも言うべきか、こういうときに限って事前の索敵網に引っ掛かりもしなかったアラガミが、わらわらと群を為して大結集したのである。

 ディアウス・ピター、テスカトリポカ、ハガンコンゴウ、セクメト、ゼウス……その力の強大さは、いちいち説明するだに愚かしい。木っ端アラガミだけならまだしも、こんな化け物達まで勢揃いしているのだ。百戦錬磨のベテランチームでもこの光景を前にすれば、

 

 ――俺は今日、ここで死ぬ。

 

 いっぺんに心を折られかねない。今の彼女には、どう考えても荷が重すぎた。

 

(そんなに殺したいかえ、このわしを――)

 

 そうとしか思えないのである。

 これまで散々虐殺の憂き目に遭わされ、脅かされてきた怨みつらみを晴らそうと、弱体化をいいことにこの仇敵――人間の分際で神を畏れず、喰らい堕とす天外の不敬者たる彼女の四肢をもぎ、千切り、生きながらにして湯気のたつはらわたを貪り喰らうという、大目的に導かれて結集(あつ)まったとしか。

 

(もてもてよの)

 

 間の抜けた思考を、背後から飛来した弾頭がぶち抜いていった。

 

「射線上に入るなって、私言わなかったっけ?」

 

 挙句の果てが、これである。カノンの言った試行錯誤とはいったい何を指していたのだろう。いっそ彼女の頭を狙い撃つのが目的だったのではないかと思うほど、その誤射はいよいよ冴え渡り、間もなく三十の大台を突破しようとしていた。

 

 吹き飛ばされた先にディアウス・ピターの大木のごとき爪牙が風をまいて迫っていたり、トマホークにキスしかけたりしたこともある。

 

 それも一度や二度でない。彼女はカノンの異名を理解した気でいたが、どうもまだまだ認識が甘かったようだ。今になって漸く、他のゴッドイーター達と同じ世界を共有した。

 

(――なんぞ)

 

 本日幾度目の土の味になるだろう。血まみれのずた袋のように這いつくばって、改めて思う。

 何故まだ死んでいないのか、彼女自身よく分からない。絶望し、悲嘆に暮れるのも自然であった。

 

(なんぞ、その目は)

 

 ……いや、待て。否だ。これは嘆きなどではない。

 

 彼女はただ、カノンのみを見ていた。霞み、澱んで、色を失い、徐々に閉じゆく視界の中で、それでもどうにか誤射姫の像を捉えんと、焦点を合わせようとする。

 

 やがて、視線がぶつかった。

 

 半死半生の彼女に向ける、カノンの瞳は冷えていた。

 どういう感情の漣もない。

 怒りも、失意も、激励も、およそ熱を伴う情感を一切欠いた氷の眼差し。眼窩の奥にぽっかり空いた絶対零度の白い穴。そういうものに直面し、

 

(やめろ)

 

 彼女の筋という筋が、名状し難くのたうった(・・・・・)

 

()みするというのか。あしらうというのか。よりにもよって台場カノン、お主が――この、わしを)

 

 が、それもよく考えれば当たり前のことかもしれない。

 彼女は自らを死人と評した。ただの抜け殻、もはや何の役にも立たない死人だと。

 戦場に於いて死者に拘泥するほど愚かな真似も他にない。死骸は打ち捨て踏みつけて、なんら顧みぬのが鉄則だ。でなくば自分まで死体の仲間入りをする。

 しかし、これはどうしたことか。その当たり前が血という血を逆巻かせ、彼女に総てを忘却させた。

 彼女は、狂った。

 激怒した。

 

「っ、ざ、けるな……」

 

 視線の主が、たとえばアリサだったなら、彼女の精神はかくも激烈な反応を示さなかったことだろう。むしろ、よくぞここまで成長した、その目が出来れば何の心配もない、と安堵する公算こそ高い。

 コウタでもそこは同じ。サクヤ、ソーマ、レン、ジーナ、ツバキ――シオですら不可能に違いない。

 

 ただひとり、カノンだけが。……億の罵倒、兆の雑言、京の悪口よりも鋭く、深く。

 

 彼女の魂、その最奥に至るまでを、たったひとつの視線のみで炎上させた。

 

「おっぐ、うあ―――ぐ、ふあっ」

 

 ごぼごぼと、血泡をふきながら立ち上がる。辛うじてもいいところだ。その足元はおぼつかず、もう見るからに頼りない。

 

 が、そんな状態であるにも拘らず、彼女は死角から大口開けて飛来したヴァジュラテイルを軽々かわし、かわしざまに一閃を見舞い、地面に着く前に絶命させてのけていた。

 

 紙一重の処を間一髪のタイミングで通過させ、即刻急所に反撃を打つ神懸り的な回避技能。

 

 視覚に頼ったものでない。

 

 聴覚? 触覚? 嗅覚? 味覚? ――否、否、否、否、断じて否。

 

 五つのうちのどれでもない、第六の感覚。その発動に他ならなかった。

 

 有り得ぬことが起きている。されども彼女がその事実に気付くことはない。思考などとうの昔に消し飛んだ。そんな馬鹿なと何処かで誰かが悲鳴を上げたが、むろんこれも聴こえていない。

 

 そう、あれこれ考えられるようでは駄目なのだ。思考とはすなわち余裕のあらわれであろう。

 

 畢竟、必要なのはただ一念。「諦めない」だの「自分は残影」だの、みみっちいお小言・小理屈なぞは一切不要。

 その種の猪口才な思慮ごとき鎧袖一触で跡形もなく粉砕する、天地万物を染め上げんばかりの圧倒的な激情の奔流。

 

 これが、これのみが唯一彼女を再臨せしめる道だった。

 

 忘我の感動によって取り憑いた妄念が、忘我――というより我を粉々に砕きかねない次元違いの憤怒によって焼き祓われる。

 

「ふ、ざ、けるなァァ――ッ!」

 

 背を反らし、天を仰いで絶叫する。そのあまりの凄まじさに、一瞬この場に集まった総てのアラガミが動きを停止(とめ)た。

 

 狩る者と狩られる者とが逆転したと気付けたのは、果たしてその内の何割だったか。

 

 まあ、気付こうが気付くまいが何の関係もない。アラガミひしめく直中に、脇目もふらさず飛び込んだ彼女は、その全身で獲物の鏖殺を告げていたのだから。

 

 

 

 散々大袈裟な表現を用いたが、この一件、蓋を開けてみればなんということもない。

 

 

 

 誰にだっているだろう。こいつにだけは負けたくない、こいつになめられるのだけは我慢がならぬ――と、問答無用でやたらめったら対抗心を煽られる、そんな他者の一人や二人は。

 朋友であり、同時に不倶戴天の宿敵でもあるかのような奇妙な「誰か」の存在は、人生に於いてあらゆる意味で重要だ。

 だが、何故彼女にとってのそれがカノンだったのだろう。所属する部隊も違うし、基調とする戦闘スタイルもまるきり異なっているというのに。

 

 ――答えは簡潔、そして明瞭。思い当たるふしなど、たったひとつしかないだろう。

 

 台場カノンこそが天上天下に唯一人、全盛期の彼女に対して直撃打をぶち込んだ存在だから。

 あの日、あの時、あの瞬間。己が増上慢をへし折られた歓喜に噎ぶ一方で、彼女の深層心理では、カノンを同位同格のモノとして認める作用がつつがなく進行していたのである。

 

 だからなんということもないと、珍しからぬ話といった。女性が己がはじめてを奪った相手を特別視するのは、道理すぎるほど道理である。おそろしく古い価値観を掌中の珠よと愛好する彼女の場合、なおのことであったろう。

 

 

 

「今日の占い、すっごくよかったんですよ」

 

 

 

 傷だらけの顔を精一杯破顔させ、カノンが言う。

 ふたりを除いて、動くものは何もない。

 覇王も帝王も天主でさえも、皆一様に刻まれ、砕かれ、解体されて踏み躙られた。彼等の屍骸で地面が見えなくなるほどだ。

 

「特に待ち人が、ですね。遅れるが、必ず来ると、出ていまして」

「――ああ」

 

 その一言で確信した。どの程度かは不明だが、カノンは彼女の変調に気付いていた。

 彼女にとっては不可思議この上ない話だが、カノンの側からしてみれば、これまた当然の帰結といえる。

 

 出撃前、エントランスでカノンは彼女にこう語った。慕われるのは初めてだ、と。

 

 だがしかし、特別視していた者ならば、ずっと以前から他にいる。

 

 誤射姫だの人間砲台だのと呼ばれ、悪意を以って蔑まれはせずとも、「仕方のないヤツ」程度にばかり思われていたカノンを、唯一人純粋に高く買い続けてきた変わり者が。

 

 女は感情の生き物である、という。

 

 それだけに、他者から向けられる感情の察知能力に関しては、男などの比ではない。

 

(なにか勘違いをしているに決まってます)

 

 いつか実態を知り、失望するにちがいない。そう信じて疑わなかったが、その人物から向けられる視線の質はいつまでたっても変わらなくて。

 自分に対し明らかに好意を持つ相手を無碍に扱えるほど、カノンの血は冷たく凍っていなかったから――。

 

 上の事情を、彼女は知らない。これからも知ることはないだろう。

 

 けれど、何かしら感じるものは確かにあった。

 

「そりゃあ、めでたいのう……」

 

 一片の邪気すら含まない、赤子のごとき無垢な微笑をしてみせて。

 彼女はカノンの肩めがけ、崩れ落ちるように身体をあずけた。

 

「あら、まあ」

「許してたもれ。わしア、少し、疲れたよ」

 

 どれほど戦い続けたのだろう。気付けば太陽はすっかり傾き、山の端に隠れる準備をはじめていた。

 

 

 

 この一週間後、星の降り注ぐいい夜に、ひとりのゴッドイーターが極東支部へ帰還している。

 

 

 

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