まったく似つかない2人がある日を境に出会う。影森柊は会社が会社で明るい性格ではなくなり、周囲からは「根倉」「地味」「陰キャ」などと言われている。高校時代は全く正反対だったのだが……
一方の星宮桃菜は大学生。大学でもかなり有名で、「マドンナ」「アイドル」「天使」などと呼ばれ、チヤホヤされている。
そんな2人がある日出会い、まさかの……
「またお前のミスか!何度ミスしたら気が済むんだ」
毎日恒例となってきた、説教を食らっているのは例にも漏れず俺だ。昨日もおとといも、同じ場所で説教を食らっている。
「すいません」
これも毎日言っている決まり文句。こんなことを言っても済まないのは知っている。むしろ当たり前だ。
「またお前はそうやって……」
「すみません」
俺がそういうと、上司は俺のことを睨みつけた。上司の目から放たれる、冷たく痛い視線。もう慣れたものだ。
「そうだ、今日はいつもとは違うことをしよう」
上司がにやりと笑って言う。何が起ころうとしているんだろうか。
俺が少しの恐怖心にかられていると、上司のところから大きな物体が見えた。
ゴンッ
俺の体に鈍い音を立てて何かが強くぶつかった。激しい痛みが俺を襲い、立て続けに追加で痛みが来る。
ゴンッ
ガンッ
様々な音が鳴り、痛みも激しいものや弱いものが混ざってくる。
「仕事のできない人間はこうなるべきなんだ。なんだ、間違っているか」
俺は話せなかった。口を開いても声が出ない。
苦しい。
苦しい。
もうやめてほしかった。
俺が悪いのだ。仕事を追加で頼まれ、期日までに終われず、期日を3日ほど過ぎて提出する。
俺が悪い。俺が悪い。
そうか、そう考えると俺がこんな仕打ちを受けるのも妥当か。何も間違っちゃいない。
俺はそれから抵抗するのをやめた。されるがまま、俺は暴力を受けていた。
10分ほどだろうか。ようやく永遠に続く痛みが治まってきたような気がした。俺が目を開けると、血眼になって俺に椅子をたたきつける上司がいた。だが、追加で来る痛みは感じない。そうか、痛みを感じなくなったのか。だったら、されてもいいか。そう思えた。
「先輩、影森の痛み付け終わりました?」
別の人の声だ。誰かが入ってきたのか。
「ちょうどよかった、お前も手伝ってくれ。まだ意識がある」
「しょうがないっすね、今日だけですよ」
そう言って、新しく入ってきた社員も一緒になって俺に椅子やテーブルを投げつける。そこまでされて、俺の視界はようやくぼやけてきた。俺の意識がなくなってきたのだ。
目を覚ました時にはもう誰もいなかった。俺はゆっくりと起き上がり、部屋から出た。荷物を持ち、俺は会社から出る。社員はまだ残っていたが、もう外は暗く、終電も近かった。
家に帰る時も、少しふらつくことはあった。だが、家までは無事についた。
翌日はおよそ半年ぶりの午後半休。半年間連続出社であったが、久しぶりの午後半休だ。しかし、結局残業はあり。午後半休にも関わらず、会社を出たのは夜の7時。外は薄暗かった。
大学生だろうか、学生らしき人たちが群れをなして歩いている。俺にもそんな時期があったんだな。高校までは。
俺は駅に向かって歩いていく。
すると、かわいらしい学生が視界に入った。俺とは縁もゆかりもないような美女。学生だろうか。
(かわいいな……ってこんな俺が何考えてんだ)
俺は駅の改札を通って電車を待った。
電車がくるまでは5分ほどあった。さっき見かけた大学生たちもホームにやってくる。さっきの美女も。
反対方向の電車がやってくる。大学生のうち大半はそちらの電車に乗っていった。残ったのはあの美女だけ。
(まぁ、見てるだけ無駄か)
俺はスマホの画面を見た。いつもの癖で勤務表を見てしまう。
明日からまた連続出勤。今月は休みはないか。そろそろ休みが欲しい、と思ったこともあるが、ここ最近は一切思っていない。
「……さん、お兄さん」
俺の近くから女性の声が聞こえた。
「……?」
俺は自分を指さしてその人を見た。さっきの美女だ。
「電車行っちゃいましたけど、乗らなくてよかったんですか?」
「え……あ……」
全く気付かなかった。いつの間に電車が来ていたんだ。
「ずっとスマホに夢中ですけど、ゲームじゃないですよね、それ」
俺は今の画面を見る。勤務表のままだ。
「そう、ですね」
「……これ、勤務表ですか?」
美女が聞いてきた。俺は画面を消して美女に言う。
「そうです」
「休みとかの表記ってされないんですか?ずっと『日』って書いてありましたけど」
勤務表の『日』の表記は1日仕事の日だ。気づかれたのか。
「ああ、休みはないので……」
「でも、週休1日くらいは」
「そんなにあったらすごくホワイト企業ですね。休みなんて次はお盆休暇じゃないかな」
そう言うと、美女は驚いたように言った。何に驚いているんだろうか。
「あと1か月くらいありますよ!?」
「はい。まぁ、そうですね」
これが普通ではないのだろうか。1か月連勤は別に普通なのだが……
「あの、会社行ってもいいですか?」
美女がそう言った。まさかこんな美女が来たいと言うなんて思わなかった。
「はい。いいですよ」
「なら、明日の出勤時間に合わせます。何時ですか」
「6時ですね」
美女は再び驚いていた。驚くことが多いな、この子は。
「わかりました。明日待ってますね」
「はい。よろしくお願いします
そう言って、次来た電車に乗った。美女も一緒に乗って、自分の家の最寄り駅で電車を降りた。
駅から家までの道を歩いている最中、俺は今日の美女のことを思い出した。かなりかわいかった。こんなにかわいい子がいるものなのか、と。茶髪のセミロングに、おっとりとした性格。
(かわいかったな……)
俺はそう思いながら家に帰った。
翌日、俺はいつも通りの時間に家を出て、会社に向かった。
会社の最寄り駅につくと、昨日のあの美女が駅前で待っていた。風によって茶色のセミロングヘアがなびいている。
「あ、お兄さん」
「どうも。会社に行くんですよね」
俺がそういうと、美女が言った。
「私大学生ですし、敬語はいりませんよ」
「あ、そう……?ならそうする」
俺は会社まで美女と一緒に歩いた。こんなにかわいい子と2人で歩いているのはどう思われているんだろうか。
会社に着き、俺は会社見学の許可をもらい、会社のドアの前まで行った。美女も俺の後ろをトコトコついてくる。かわいい。
「ちょっと待ってて」
「はい」
俺はドアを開けて会社の中に入った。
「おはようございます。今日は──」
「影森!貴様!」
いつものだろうか。今回は期日前に済ませたはずだが……
「昨日俺からの仕事を聞かずに帰っただろう!」
「あ、はい。残業も6時間くらいしていたので……」
俺がそう言うと、上司は俺に向かって手を挙げた。
「お前!残業なんか関係ないだろ!」
俺は上司にたたかれる。こんな大学生の前でこんな惨めな光景を見られるなんて。
きっと冷たい目で見られていることだろう。蔑むような目で。そんな目で見られる奴が俺だから仕方ないのだが。
俺がそう思っていると、ドアの向こうから声が聞こえた。
「暴行罪、ですよ」
あの大学生の声だ。
「あと、残業6時間を関係ないって言ってましたよね。あと勤務表は1か月間休みなし。労働基準法違反です」
そのあと、あの大学生とは別の人の声が聞こえた。男の人の声だ。
「労働基準法第五条、使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。また、第三十二条、使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。
②、使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。これに対しての違反です」
大学生はにこっと笑って言った。
「お父さん、労働基準監督官なんです」
「立ち入り検査を始めます
労働基準監督官は会社に立ち入り検査を始めた。
その日の夜、俺はあの大学生と夜の公園のベンチに座っていた。2人でゆっくり話していた。
「へぇ、二十歳なんだ。私も二十歳なんだ」
「そうなんだ。すごいね、大学生なんて」
そう言うと、大学生は手を横に振って遠慮するようなそぶりを見せた。
「そんなことないよ。お兄さんの方がすごい。あの会社に2年もいたんでしょ?」
「まぁ、そうだけど、慣れちゃったから」
大学生は俺を励ますようにしてくれた。
「私ね、電車のアテンダント目指してるの。だから大学行ってるの」
「へぇ、君かわいいからきっとなれるよ」
そう言うと、大学生は顔を赤くした。
「そ、そうかな……」
「そうだよ。俺とは違って魅力がある」
大学生は俺の手を握る。手をぎゅっと握ると、大学生は俺に聞いてきた。
「私、星宮桃菜っていうの。お兄さんは?」
「影森柊。どうして」
俺がそう聞くと、大学生は俺の膝の上に乗った。顔が近くに来て、大学生は俺の背中に手をまわして言った。
「私、影森くんが好き」
この子がそんなことを言ってくるなんて思ってもいなかった。
「俺が……?」
「うん。影森くんがいい」
星宮さんは俺の目を見つめる。こんなにもかわいい子がこんなことを言ってきているのだ。断れるはずがない。
「喜んで。よろしく、星宮さん」
「うん!よろしく」
星宮さんは俺を抱きしめてくれた。
これが人の温もりだ。人の気持ちの温かさ、肌の温かさ。しばらく人の温もりを感じてこなかったため、感動した。守らないといけない。この人を。そう思えた。
星宮さんと付き合い始めた。だが、俺が本当に付き合っていいのかという疑問もあった。今日が初めてのデートの日であるが、正直自信はなかった。
集合15分前、俺は集合場所に着いた。もう星宮さんはいて、木の周りを囲むベンチに座っていた。
「ごめん、待った?」
「ううん、平気」
星宮さんはそう言っているが、多分待ってたんだろう。モバイル充電器を手に持っていたし。
「行こ、影森くん」
「あぁ、行こう」
俺は星宮さんについていった。今日のデートプランは星宮さんが考えてくれていた。
デートで最初に行ったのは落ち着いた雰囲気のカフェ。木目のある壁を店内を包み込み、コーヒーの匂いが漂っている。
「いかにもカフェって感じだよね」
星宮さんが言う。
「そうだね。落ち着いてる」
星宮さんと一緒に席につき、何を注文するかメニューを見て相談する。
「影森くんはコーヒーとか飲める人?」
「飲めるよ。結構好き」
俺がそう言うと、星宮さんは「ふーん」と言って、メニューを指さす。
「私、この……カフェオリジナルコーヒーっていうのにしようかな」
オリジナルコーヒーって、少し怖いんだよな。苦めかもしれないし、甘めかもしれないし。
「俺はブラックコーヒーでいいかな」
「じゃあスイーツはパンケーキにしよっか。影森くんは?」
「俺もそれでいいよ」
そう言うと、星宮さんは呼び出しのボタンを押した。音もファミレスであるような音ではなく、鈴の音だった。
注文が終わると、星宮さんはスマホで何かを調べ始めた。
「は……な……び……っと」
「星宮さん、何調べてるの?」
俺が聞くと、星宮さんは見ていたスマホの画面を見せてくれた。
「花火見たいなーって。今って夏じゃん?」
たしかに夏といえば花火だ。それで花火大会を調べていたんだろう。
「じゃあ俺も調べようか?」
「いいの?」
星宮さんが聞く。別にそのくらいだったら大変でもないし。
「いいよ」
「じゃあ、一緒に調べよっ」
俺と星宮さん花火が綺麗なところを探した。大々的にやってる場所だとやはり綺麗なのだろうか。
俺たちがそんなことを考えていると、頼んでいたコーヒーとパンケーキがやってきた。すっかり夢中になっていて忘れていた。
「影森くん、見つかった?」
「いや、まだ悩んでる」
せっかく星宮さんが行きたいんだから、小さなところはやめたほうがいいだろう。
「そっか。私もなんだよね~」
俺と星宮さんはそれぞれのコーヒーを飲む。そういえば星宮さんの頼んでいたコーヒーはオリジナルコーヒーだったか。苦かったりしないだろうか。
「ぐっ……」
星宮さんが唸るような声を出す。舌を小さく出して、いかにも苦そうだ。
「苦かった?」
「コーヒー苦手だから……」
それなのに無理して頼んでたのか。
俺は自分のところにあったミルクを星宮さんの前に差し出した。
「これ使って」
「いいの?」
「俺は平気だからさ」
普段から甘くしないため、俺からしたら普通だった。
「ありがとう。じゃあ、貰うね」
星宮さんはゆっくりコーヒーにかけた。
何か星宮さんに合わせてもらってばかりだった。もっと俺がやらなきゃいけないのに、星宮さんが無理矢理俺に合わせているような気がした。
(これがデートでいいのか……?)
俺はそんな不甲斐なさを感じた。
カフェから出ると、次のデート場所に向かった。デートスポットといえばどこなのかはまったくもってわからないが、星宮さんが楽しそうにしていたため別にいいと思えた。
「どこに行くんだ?」
「んー?どこだと思う?」
星宮さんはひたすら歩いていく。デートスポットは何があるんだろう。そもそもデートスポットなのかすらわからないが。
少し歩いて着いたのは水族館だった。水族館に来るのは久しぶりだが、こんな感じだったかな。
「こういうところってデートっぽいでしょ?」
「そうなんだ」
「あれ、もしかして彼女できたことなかったり?」
俺はうなずく。これまでに彼女どころか女友達すらできたことのない童貞だ。
「ふーん?じゃあこうされたらドキドキしちゃう?」
星宮さんは俺の腕に抱きついた。
「する」
俺がそう答えると、桃奈はさらに強く抱きしめてきた。
だが、俺の後ろの席にいる女子2人組が話している声が聞こえてきた。悪気はないが、少し聞き耳を立ててみた。
「ねぇ、あそこの席の女の人、すっごい可愛くない?」
「ねー。マジで可愛い。あの向かい側にいる男の人……彼氏?」
「まさか。あんないかにも陰キャって感じの根暗っぽい人が彼氏な訳ないじゃん。どうせあの人が嫌々付き合ってるんでしょw」
「あはは、言えてるw」
……
聞き耳を立ててはいけなかった会話だった。まだ俺ではない可能性もあるが、少し傷つく。
「ねぇ、あの根暗男の顔、見てきてよ」
「えー?どうやって?」
「そんなのトイレ行くフリとかでさ」
「分かった。どんな顔してるか私も気になるし」
椅子を引く音がする。立ち上がったのだろう。
そして、後ろから歩いてきた。
案の定こちらを見た。さっきまでの会話は俺のことであったことが確実となった。
「影森くん?どうかした?」
星宮さんが俺を心配そうな目で見る。
「なんでもない」
俺は星宮さんに気付かれたくなくて、平然を装った。
俺はやはり星宮さんの彼氏としては釣り合わないのだろうか。あの女子たちが言っていることも正しいことな気がする。
俺はあの会社に勤めていたときのことを思い出した。あの時も俺は会社と釣り合っていなかった。必要とされない人材で、結局周りからかけ離される。
今の俺も、今後はそうなってしまうのだろうか。愛想尽かされて別れる。そんな未来が見えてくる。
「影森くん、ここの花火大会いいんじゃない?」
星宮さんは花火大会のサイトから見つけた物を俺に見せてくれる。隅田川花火大会だった。
「うん、いいんじゃないかな」
「ホント?じゃあそうしよっか」
花火大会の場所も決まった。あとはそれまで付き合い続けていられるかだ。
その日のデートは終了。ホントはもっとたくさんの場所に行きたかったらしいが、時間上仕方なかったらしい。
「あれ、影森くんって田園調布だよね」
「あ、うん」
「じゃあそこまでは一緒に帰ろうよ。私新丸子だからさ」
星宮さんは俺と同じ電車で帰るようにしてくれた。わざわざ17:14発の急行に乗ってくれた。新丸子は各駅停車しか止まらないのに。やっぱり、俺は星宮さんに合わせて貰ってるんだ。
急行は若干圧迫感があるくらいの混雑で、俺と星宮さんが密着してしまうような混雑ではなかった。
「影森くん、下の名前で呼んじゃダメ?」
星宮さんが上目遣いで俺を見つめる。身長差でこうなってしまう。
「いいよ」
「じゃあ柊くんも下の名前で呼んで?」
そんなに気軽に人の下の名前を呼べるだろうか。高校生卒業して2年経つが、人の名前を呼ぶことが久しぶりだったのに、下の名前を……
「柊くん」
名前を呼ばれる。少しでも迷惑をかけないようにしないと。
「分かった。桃奈さん」
「さんはいらない!」
「あ、桃奈ちゃん……」
そう言うと、星宮さんは笑顔になった。笑顔が可愛いと思えてしまう。ただ、こんなにかわいいと俺には会わないような気が増してしまう。
「うわ、あの暗そうな男がちゃん付けだよ……」
「男からしてもさすがにあれだとキモいわ……」
「絶対合ってないよな」
「それな」
また会話が聞こえてくる。気付いてるっての。聞こえないように話せよ……
中目黒に着いて、人が増えてくる。人に押されて星宮さんの近くに寄る。
「ごめん、桃奈ちゃん……」
「んーん、平気だよ」
まだ人が乗ってきて、星宮さんはバランスを崩した。
「あっ」
「えっ、あっ」
俺は星宮さんの腰あたりを咄嗟に支えてこっちに寄せた。寄せたせいで距離が近くなってくる。
「ご、ごめんね……」
星宮さんは俺から顔を離すように斜め下を向く。
「こっちこそ……」
星宮さんは1歩俺から離れる。同じ向きを向いたままだ。やっぱり、星宮さんからしても俺は嫌なのだろう。
「あ、田園調布着く……」
俺はボソッと言って、偶々ドアが開いた駅で降りる。
「え、柊くん、まだ学芸大学──」
その言葉むなしく、俺はもう学芸大学のホームに降り立っていた。星宮さんを乗せた電車は次の自由が丘を目指して進んでいく。
(各駅停車に乗ると星宮さんと合流する可能性あるか)
俺は星宮さんと被らないように、逆方面の電車で引き返し、中目黒で日比谷線、日比谷で三田線に乗り換え、そのまま東急目黒線に直通して田園調布を目指す。こうすれば東横線に乗っていった星宮さんには会わない。
そのまま家に着いた俺は、今日あったことを整理した。だが、あったことなんて、俺は星宮さんに合っていない、星宮さんは無理やり俺に合わせてくれている、そして星宮さんは本当は俺が嫌いであること。この3点だ。
星宮さん自身もきっと俺が嫌いだ。俺と近づきたくなんてないはずだ。ならば、俺は……
そう考えていると、星宮さんから連絡が来た。
〈しばらくデートは避けたいんだけど、いい?〉18:30
予想通りだ。今日のデートが恐らく最後になる。
〈星宮さんの都合でいい〉18:31
俺は送り返した。これが、俺の答えだ。
星宮さんの都合でいい、なんてきれい事だ。本当は星宮さんの前に現れたくないだけだ。ただ逃げている。
(そうだ、夕食……あー、お金貯めないとか)
俺はシフト表を見ながら考える。
(1日で依頼を3つくらい受ければ……)
俺は一気に依頼を3つもらった。これで1日の仕事量が増える。お金も貯まるはずだ。
(仕事が1番だ。どんなに酷くたって、俺は構わない)
俺はデートがなくなった代わりに仕事を大量に入れた。
それから2週間、体力が減っているのなんて気付かないうちにもうそんなに経っていた。
俺と連絡を取り合うのは依頼の相手先だけ。もう当分外にも出ていない。
(そろそろ気分転換に外出るか)
俺は気分転換に外に出る。着替えて、熱中症対策もして。
外に出るとすぐに暑苦しい空気に襲われた。やっぱり外に出るもんじゃなかった、とつくづく感じる天気だ。
「ねぇ花火どこ行くー?」
「どこ行こっか。暑いもんね」
そんな会話も聞こえてくる。花火の時期になったか。
俺は気分転換に急行で隣の自由が丘まで行き、暇をつぶすことにした。
自由が丘で改札を出ても、相変わらずの人の多さ。カップルも多くいた。
「今度家行ってもいいか?」
俺の後ろから声が聞こえた。彼女との会話か。
と思っていると、
ドンッ
俺は背後からぶつかられた。その反動で俺はバランスを崩し、壁にぶつかった。ぶつかったであろう人は俺の方を睨み付けて歩いていく。やはり女性と一緒だ。
「そんなんでバランス崩すなよな。な、桃奈ちゃん」
俺はその男が呼んだ名前を覚えていた。桃奈ちゃんって……
「うん、そうだね……」
男と桃奈ちゃんは手をつないでいる。俺の脳内は真っ白になり、今の状況が分からなくなってくる。
桃奈ちゃんと目が一瞬合う。俺と目が合った桃奈ちゃんはどこか悲しそうな目で俺を見ていた。
(彼氏できてんだから、いいじゃないか)
やはり俺は嫌いだったんだ。デートはしばらく避けたい。そんなんじゃない。それが別れの言葉だったんだ。
「……幸せになれよ」
俺は自由が丘の改札に入り、電車に乗った。
少しずつ理解が追いついてきたが、やっぱり、そうだった。俺が嫌だったから早速彼氏を新しくつくった。
俺はデート初日で嫌われるほど、醜かったんだ。いや、だから根暗なのかもしれない。
俺は家に帰り、ベッドに倒れ込んだ。しばらく、現実を忘れたい。ただそんな理由だった。
「影森くん、ここの花火大会いいんじゃない?」
星宮さんは花火大会のサイトから見つけた物を俺に見せてくれる。隅田川花火大会だった。
「うん、いいんじゃないかな」
「ホント?じゃあそうしよっか」
俺が隅田川花火大会のことを調べ始めると、急に視界が真っ暗になった。
「なんだ?」
俺は視界を隠していたものを取る。視界が開けたと思うと、俺はすぐ横にいた男に首を絞められた。
「うっ……!」
俺は必死で星宮さんのことを見る。
「ごめんね、本当の彼氏、その人なの」
それだけ聞いて、俺はその場で死んだ。
「……っ!」
俺は慌てて目を開けた。夢、だったらしい。
「死ぬ夢かよ……」
死ぬ夢なんて今までで見たことなかった。どんな意味なのだろうと思い、俺は調べた。
検索結果に出てきた内容は、変化を望む、だった。
「変化なんて、望んじゃいないのに……」
続きを読んでいくと、また別の内容があった。
「変化が起こる……?」
俺は一瞬星宮さんのことを思い出しながらも、すぐに消した。
「そんなわけない。星宮さんには彼氏がいるんだ」
俺は星宮さんのことを想像するのをやめ、テレビをつけた。
テレビでは隅田川花火大会のことをやっていた。7月29日がその日らしい。本当はその日に俺は……いや、あり得なかったんだ。
「……外出よ」
悪い夢を見たからか、暗いことを考えてしまう。
俺はまた自由が丘まで行き、気分を晴らした。
自由が丘まで行くと、今日も星宮さんがいた。都合の悪いときに俺は来てしまったらしい。
「お待たせ、桃奈ちゃんっ」
「あ、うん……」
ぎこちない会話。
星宮さんがこっちに気付いた。また目が合い、悲しそうな目でこっちをみつめる。
「やめてくれ……」
俺は無意識のうちにそう思ってしまった。
星宮さんの彼氏が星宮さんの手を繋ごうと手をのばす。
俺は無意識のうちにその場から走り出した。そして、2人の間に割って入り、星宮さんの手を掴む。もう何も考えていられない。
「逃げよう!」
俺はそう言い放ち、星宮さんの手を掴んだまま走る。体力には自信がないが、今ある力を全力で発揮して走った。
聞いたことがある。人は殺そうと思うときには隠された力が出されて全力の力が出せると。俺はそんな思いだった。
なんとか撒きたい。あの男を撒きたい。そんな思いで、目の前の何かを殺すつもりで走った。
どうにかビルの間で撒けた。俺はずっと掴んでいた星宮さんのことを見る。
「ごめん……無意識だった……」
よく考えたら、星宮さんの本当の彼氏からしたら奪われた以外の何物でもない。急に知らない男が現れて彼女を盗られた。そう考えるはずだ。星宮さんからしたって、彼氏から離れてしまったのだから、俺を怒るはずだ。
「ホント、ごめん……」
星宮さんはしゃべらない。やっぱり、怒ってるのだろうか。俺の早とちりのせいで。
「……っ、ひっく……」
星宮さんは泣き出してしまった。よほど寂しかったんだろう、彼氏から離れてしまって。
俺は最低だ。ただ自分の無意識による行動だけで、人1人を悲しませてしまった。
「ごめん……罪は償う」
俺はさっき来た道を戻る。そうすれば本当の彼氏は探しているはずだ。俺が見つかれば、きっと……
「……ありがとう」
星宮さんは俺に対してお礼を言った。
「何でお礼なんか……」
「……気付いたんじゃないの?私の気持ちに……っ」
星宮さんは泣きながら言う。
「悲しそうな目……」
俺がそう言うと、星宮さんは頷いた。
「そうだよ……っ、気付いたんだね……」
星宮さんは俺に抱き付く。これが、嫌だったはずじゃ……
「星宮さん、くっつくの嫌だったんじゃ……」
「ううん、嫌じゃないよ……」
星宮さんに包まれた俺は、さっきまで抱いていた後悔はなくなっていた。今は、星宮さんとくっついていたい。
「星宮さん……」
「柊くん……っ!」
俺と星宮さんはしばらくの間抱き合っていた。誰にも見られない場所で。
7月29日、俺は星宮さん……いや、桃奈ちゃんと渋谷で待ち合わせしていた。隅田川花火大会に行くと決めていたからだ。
「柊くん!こっちこっち!」
そうは言っているものの、桃奈ちゃんは走って俺に寄ってくる。
「桃奈ちゃん、待った?」
「ううん、待ってないよ。さっき来たばっかり」
桃奈ちゃんは俺とくっつくのが日常になっていた。
「じゃあ行こっか」
「あぁ、行こうか」
俺と桃奈ちゃんは手をつないだまま渋谷駅の改札内へ入っていく。
「桃奈ちゃん、1つ聞いていいかな」
「うん。なに?」
俺は桃奈ちゃんにしか聞こえないような声で言った。
「どうして別の男と?」
「……その人から無理やり言われたの。断ったら大学の人にバラすって言われて……」
そんな理由があったのか。かわいそうに。
「そうか……今は俺がいるからな」
「うん。あのね、柊くんが私のこと避けてた理由、知ってるの」
桃奈ちゃんにはバレないようにしていたが、気付かれてしまったんだろうか。
「周りから根暗って言われてたでしょ。合わないって」
それだけでも少し傷ついてくるが。だが、気付かれていたのか。
「けどね、柊くんのこと好きなのは私だけでいいの」
そう言うと、桃奈ちゃんは俺の腕を抱いた。
「私、結構束縛系なんだよ?」
「奇遇だな、俺もだ」
桃奈ちゃんだけを見たい。そう思ってしまうくらいだ。
「ふふっ、嬉しい♡」
俺たちは浅草に向かうため、渋谷から銀座線に乗った。今日は臨時ダイヤで、本数も増えている。
17:04発浅草行きで向かう。渋谷から座れないくらいの混雑で、俺と桃奈ちゃんは2人向かい合わせで立っていた。
「これから混んでくるんだね」
「そうだね。にしても、桃奈ちゃんの浴衣かわいいね」
桃奈ちゃんの浴衣はピンクの花が描かれているものだった。桃奈ちゃんにピッタリで、とてもかわいい。
「ありがとう。今日のために注文したんだーっ」
少し振るだけで、俺の心がもたないくらいかわいい。
「そうなんだ。可愛すぎる……」
「大げさだよー」
桃奈ちゃんは照れながらも喜んでいた。
日本橋や三越前、末広町などからも人が大勢乗ってきて、上野広小路出発時にはもう通勤ラッシュ並みの混雑だった。
「桃奈ちゃん、平気?」
「うん……」
電車が上野駅に着くと、衝撃的な光景が広がった。
ホームいっぱいに人がいて、地面が見えないほどの人がいた。降りる人は多くないため、車内はさっきよりも混んでくる。
「あっ、浴衣が」
俺は桃奈ちゃんの前に立つ。他の人がなるべく桃奈ちゃんに触れないようにしている。
「ん、なんか浴衣が柔らかい……」
ぎゅうぎゅう詰めの電車内で、桃奈ちゃんの浴衣が柔らかかった。
「んっ、それ、浴衣のせいじゃ、ない……っ」
桃奈ちゃんは浴衣を頑張って上に上げる。
「どういうこと?」
「だから……あっ、やばっ!」
桃奈ちゃんの浴衣が人混みで引っ張られて少しはだける。が、そこには……
「も、桃奈ちゃん!」
桃奈ちゃんの肌が見えた。そして、桃奈ちゃんの胸の谷間が……
「見えちゃうっ!」
桃奈ちゃんは浴衣を寄せた。だが、しっかりと直せていないせいでさっきよりも浴衣は寄ったものの、さっきよりも見えていた。
「ダメだな」
俺は桃奈ちゃんを抱いた。ハグして胸が見えないようにしておけばいい。俺の体に桃奈ちゃんの柔らかい胸の感触が伝わってくるだけだ。
「柊くん……はむっ」
桃奈ちゃんは俺の口を咥えた。キスしているのだ。俺のファーストキス。
「も、桃奈ちゃん……っ」
「柊くん……っ」
俺と桃奈ちゃんはずっとキスし合ったままだった。
花火は19時からだが、着いたのは1時間以上も前だった。ギリギリで見える場所も確保できて、俺と桃奈ちゃんは手をつないだままその時を待った。
花火が始まると、俺と桃奈ちゃんは空を見上げた。打ち上げられる無数の花火。俺たちを祝ってくれているようだった。
「きれいだね、柊くん」
「桃奈ちゃんもね」
定番の返しをする。桃奈ちゃんは俺に近づく。
「ねぇ、明日──」
ドン
花火の音に掻き消されて、他の人には聞こえていないだろう。だが、俺には完璧に聞こえた。
「いいよ。行こう」
俺は桃奈ちゃんの浴衣を直して言った。
「ねぇ、早く早く!」
「ちょっと待てよ、桃奈」
あの花火の日、付き合い始めてから10ヶ月、"婚姻届"提出から9ヶ月と30日、俺たちは同棲を始めた。大学からの許可は要らなかったらしく、俺も一人暮らしの身だったため、特に面倒ではなかった。
お互い成人年齢である18歳を超えているため、親の同意なく結婚、同棲できた。
「もう、遅いよ」
「ごめんごめん」
今日はただ家に居るだけなのだが、荷物の運び込みもあるため忙しい。
「星宮桃奈様の荷物です」
「はい。ありがとうございます」
引っ越し業者の男性が桃奈を女としての目で見ている。それが少し苛ついた。
「こっち持ってきて下さい」
「はい。分かりました。奥さん、お綺麗ですね」
あの業者、セクハラで訴えてやろうか。俺の彼女にあんなに近くで話している。
引っ越し業者が帰ったあと、俺は桃奈をハグする。
「あの業者と距離近かったな」
「え、あ、そ、そう?」
「あぁ。近かった」
俺は桃奈をハグする。
「なんで近かったんだ」
「な、何でって……」
俺は桃奈のことを押し倒す。
「お前は俺のだから。俺以外が近づいたら許さない」
俺は桃奈の頬に触れる。ほんのり顔を赤くした桃奈はいつもよりもかわいく見えて、襲ってしまいそうだった。
「それでそこの会社無くなったの?」
「そうそう。それで今は別のとこで働いてる」
高校の同級生と一緒に家の前で話していた。
「じゃね。また来る~」
「あぁ。またな」
同級生が家から帰っていった。帰ってすぐ、桃奈が背後から俺に抱き付く。
「誰……さっきの人……」
「あぁ、高校の同級生」
俺がそう言うと、桃奈はさっきよりも強く抱き付く。
「私以外と仲良くしちゃヤダ」
桃奈の嫉妬だ。かわいい。
「悪い。今度からはお前を1番にする」
「ん。絶対だよ」
桃奈は俺の肩を掴んで俺に上ってくる。お互い束縛系だったらしい。
もう俺と桃奈はそこらの夫婦よりも仲良くなった。というか、一緒にいない時間は桃奈が大学の時ぐらいだ。偶に大学まで車で迎えに行ったりするため、一緒にいない時間は半日もない。
「今日も迎えに行くか?」
「いいの?じゃあ来て。終わる20分前に連絡するね」
そう言って桃奈は家を出ていった。
と思ったら、すぐに戻ってきた。
「忘れ物!」
チュッ
桃奈は俺にキスしてまた出て行く。家から出るときにキスをするのがルールだ。とはいえ、忘れ物!と言って来るのは……
「反則だろ……」
俺は玄関で1人うめいていた。
〈大学もうすぐ終わる~〉
桃奈から連絡が来た。なら迎えに行くか。
俺は車で桃奈の大学に向かった。が、いつも恒例のものがある。
それは、桃奈のために飲み物を買っていくことだ。喉が渇いた状態で学校を終える桃奈は、あまりにもかわいそうなのだ。一度、飲み物を買うのを忘れたことがあったのだが、その時は夏場で、大学から出てきた桃奈の顔が火照っていて、顔も少し赤くなっていて、酷い汗だった。
それから、飲み物は必ず買っていくことにしている。桃奈があまりにもかわいそうだ。
飲み物を買い、元住吉の大学に向かう。住んでいるのは田園調布の俺の家のため、距離は変わらない。
大学に着くと、しばらくして桃奈が学校から出てきた。桃奈も今日は疲れていそうだ。
「おつかれ。ほら、飲み物」
「ありがとー!車の中涼し~!」
桃奈はいつもの助手席に座る。
「あんな男がアイドルの彼氏?似合わないわw」
「ありえねーw」
「そもそも星宮自身に見る目がないんじゃねぇの?」
「それなwなんかアホに見えてくるわw」
そんな声も聞こえてくる。ただ、こう言う声が聞こえてくると、桃奈と俺は黙っちゃいない。
「ねぇ、黙っておけば喋るんだ。まるで加減の知らないガキみたい。あなたたちにはガキがお似合いなんじゃない?」
桃奈が激怒する。
「おい、お前らよ。俺を馬鹿にしても構わねぇけどよ、桃奈のことは貶すな。お前らの方が社会常識を知らないアホだろうが」
俺も男子相手に大激怒。許せない。桃奈を貶すなんて、社会的にも、人間的にもどうかしている。
「二度と私たちに関与しないで。理事長に訴えてもいいんだけど」
「二度と俺たちに関与するな。警察沙汰にしてもいいんだけどな」
そう言って、俺たちは車に乗った。
『はぁぁぁ』
大きなため息を2人でついた。
「ホント、柊くんのこと馬鹿にする人多すぎ」
「飛び火で桃奈まで貶さなくてもよ。ったく」
俺たちそう言い合いながら車を走らせた。こうは言いながらも、お互い愛し合っている夫婦だ。お互いを守っているだけで、桃奈は本当にかわいい。