影山湊、22歳。俺は千葉県松戸市にある高校の教育実習生として高校に来ていた。今日から2週間この学校にいることになる。
実はある事故の2人の内1人の生存者なのだが、それはまたあとで。
今日は教育実習生としての生活2日目。まだ慣れないことはたくさんあるが、少しずつ慣れていた。
「影山先生でしたっけ?」
女子生徒に話しかけられた。この学校は女子生徒の方が多い。来るときの基本知識で知っていた。
「そうだよ。何かあった?」
「この子が話してみたいって」
すぐ隣にはふわふわとしたボブヘアの女子生徒がいた。髪はふわふわしていて、柔らかそう。
「え、ちょっ」
「はじめまして、かな」
俺は女子生徒の身長に合わせて屈んだ。
「あっ、はい……」
「人見知りかな。無理しなくていいからね」
俺は屈むのをやめて最初の女子生徒に言った。
「俺は1年B組にいるから、いつでも来ていいよ。あ、もちろん君も」
「はーいっ、ありがと、せんせ」
最初の女子生徒が言う。元気いっぱいで体育系だろう。いいなぁ、体育系。俺はインドア派だったからな。
2人の女子生徒が教室に戻る。俺も教育実習のクラスである1年B組に行った。
俺は授業をやる先生ではなく、授業支援の先生になるためにこの学校に来ている。この学校では、「授業支援制度」と呼ばれる制度があり、簡単に言えば特定の授業をもう1人の先生のような感じで補助する先生だ。例えるならば英語の「ALT」のような感じだろうか。教員免許は必要なため、実習に来ている。
昼休みに入り、俺は学校内の廊下をうろうろした。まだ知れていないことも多いため、その情報収集というのもある。
1年生は大半の人が外に出ている。みんな遊び盛りなのか、廊下にもあまり人はいない。
そんな中でも、1年D組に1人の女子生徒がいた。朝出会った2人の女子生徒の内、内気な子の方。
(人見知りだったよな……こっちから話しかけるのは気まずくなるかな)
俺は話しかけずに外から見ていた。本を読んでるのもあって、邪魔したくない。
「先生……?」
俺は呼ばれた気がして、いてもたってもいられずに教室の中に入った。
「どうかしたか?」
「え……いえ、何も……」
俺は思いきって聞いてみた。
「なんの本を読んでるんだい?」
「……桐生市航空機墜落事故に関しての本です」
桐生市航空機墜落事故。今から10年前に発生した墜落事故だ。当時、羽田空港から秋田空港に向かう飛行機が臨時で航路を変更し、桐生市上空を飛ぶルートへ。
しかし、桐生市上空通過2分前に不具合が発生し、桐生市の畑に墜落。乗客110人全員が死亡。
と思われた。その中で、2人重症だが生存していた人がいた。それが、当時中学1年生の影山湊13歳、俺ともう1人の少女。何歳といったか。確か6歳だったか。
両親もそこで失い、以後祖父母の家で育てられた。だが、調査はすぐに終了。俺の名前もいつしか消えていた。
その本を、今目の前の女子生徒が持っている。俺は女子生徒に聞いてみた。
「その本に、なんて書いてある」
「え……『この事故での生存者は埼玉県在住の男子中学生と、千葉県在住の女子小学生のみである。事故での生存者の現状は──』」
俺はそこまで聞いて口を挟んだ。
「もういい。読むのをやめてくれ」
女子生徒は戸惑ったようだったが、察してくれたのか読むのをやめてくれた。
「ごめん。その事故、知ってる話だったから」
「そうですよね。まだ小さかったですけど、有名だったので覚えてます」
女子生徒は俺をじっと見つめた。俺の左目をじっと見つめ、少しずつ上に視線を送る。
「先生、左目の傷……本に『その内男子中学生の左目付近には深い切り傷があり、今も残っていると考えられる』って……」
気付かれたくない。この事故に関しては逃げてきたのだ。事実から逃れるために。
「これは高校生の頃にカッターで切ってしまったんだ。何かあったか?」
「いえ、なにも……」
女子生徒は本を閉じた。そして、俺のすぐ横に立つ。
「先生、墜落事故に興味あるんですか?」
「え?まぁ、それなりに」
どうにかして紛らわさないと。俺はそう思って咄嗟に声を出していた。
「『女子小学生の上に男子中学生が覆い被さっていて、あたかも守るような体勢だったが、男子中学生はその件に関して答えていない』」
女子生徒が急に言った。
「この男子中学生を知りたいんです。女子小学生を守ってくれた男子中学生を」
女子小学生が俺を探していることを知り、俺はドキッとした。ただ、知られたくはなかった。中学、高校と墜落事故被害者というのもあって差別の対象になったからだ。
「そうか。頑張ってくれ」
「あ、いた!心音ちゃん!」
そう言って入ってきたのは朝の女子生徒。元気いっぱいな子の方だ。
「なんか話してたの?」
「うん、ちょっと、ね」
心音はその子と一緒に話した。俺は邪魔だろうと思い、教室をあとにした。
今は千葉県の津田沼に一人暮らしをしている。大学進学を機に津田沼に引っ越した。大学と教育実習先の丁度中間あたりにあるからだ。
松戸から新京成線で京成津田沼まで行く、というのが1番早いだろうが、俺は常磐線各駅停車で新松戸、新松戸から武蔵野線で西船橋、西船橋から総武線各駅停車で津田沼に行く。一見遠回りしているように見えるが、所要時間は新京成線が47分、俺が行くルートが40分と、実は早い。
18:03発各駅停車柏行きに帰りは乗っている。柏行きなのもあり、車内は混んでいない。
「あ、先生……」
俺は横を向く。すると、あの心音と呼ばれていた女子生徒がいた。
「心音ちゃん、だったかな」
「はい。先生、こっちなんですね」
小さい声で、いかにも人見知りなのが伝わってくる。
「そうだよ。心音ちゃんもこっち?」
「はい。このあと武蔵野線で」
俺と同じ方向に行くのか。
「俺もだよ」
「そうなんですね」
心音ちゃんはやっぱり俺の左目を気にする。まだ怪しいと思っているのだろう。正直気付かれたくない。
「先生、なんか気付かれたくないって思ってます?」
「え」
急に心の中のことを言われて戸惑った。声に出てたかな。
「すみません、私心の中読めちゃうんです……」
「そうなんだね。あ、じゃあ」
「事故の時は、その……ありがとうございました……」
事故の時のことも気付かれてたか。って
「あの時の少女、君なのか?」
「はい。守っていただきました……」
俺は心音の身体全体を見た。確かに、あの時の少女の面影が少しながらある。顔つきは変わっていると思うが、こんな感じの子だったと思う。
(そうか……この子だったか)
俺は心音の右目付近に指を当てた。
「心音ちゃん、目閉じて」
「? はい……」
心音は目を閉じる。
「開けて」
俺が言うと、心音は静かに目を開ける。黒目の部分にあるCを描くような模様がオレンジ色に光る。夕焼けで反射したのではない、それとは違う色。
俺はこれが心を読む力を示しているのではないかと思い、心の中で言った。
(心音ちゃん、聞こえてたら俺の指に触れて)
心音ちゃんは俺の指に触れる。やはりそうだった。一度心を読むと目にあるオレンジ色の光は消えた。
「墜落事故のせいだな」
「……」
心を読めるようになってしまったのはそれが原因だろう。特殊な何かを持っていたんだろう。
「問い詰めたりはしない。俺も同じ被害者なんだから」
心音は俺をずっと見つめている。微動だにせず、俺は心音に触れた。
「心音ちゃん?」
「先生は、私を責めないんですね」
心音は力を抜いて言った。
「君も、差別を受けたんだな」
「……はい……」
心音は少し俯いた。今まで自分が悪くないのに差別されて。俺と同じ境遇を生きてきた。
「小学生の頃から人との付き合い方が分からなかったんです。どうすればいいか分からなくて」
心音の話を聞く限り、要点をまとめると、小学生の頃からどう接すればいいか分からずに過ごしてきて、中学は知っている人が多いのもあって差別する人が多かった。高校に入ってからあの女子生徒が友達になってくれて、人見知りが解消されてきた。という感じだった。
「そうだったんだね。寂しかっただろう?」
「慣れてたので、そんなには」
心音の話を聞いていると悲しく思えてくる。俺はまだ些細なことだったんだろう。
常磐線各駅停車から武蔵野線に乗り換え、2人とも18:15発海浜幕張行きに乗車。恐らく心音は途中で降りることだろう。
「楽しいね、君と話してると」
「そうですか?ならよかったです」
心音は少し口元でもごもごしてから言った。
「事故の被害者どうし、よろしくお願いします」
「っ!」
久しぶりに俺を頼ってくれる人をみつけた。嬉しい、嬉しすぎる。
「よろしく、心音ちゃん」
俺は笑って言った。
「じゃあ、私ここなので」
「あぁ。じゃあね、心音ちゃん」
心音は途中の市川大野駅で降りていった。市川大野だと確かにこのルートしかないな。
電車は西船橋に時間通り到着。18:40発津田沼行きで終点津田沼まで行き、今日は終わった。
今日は最高の日だった。新しく信頼できる人間ができて、俺は嬉しかった。幸せだ。
俺は大学を無事卒業し、教員採用試験にも合格。授業支援制度の担当になり、前と同じ松戸の高校に春から通った。
暖かい陽気で快適だった。そんな中でいつも通り武蔵野線に乗っていた。市川大野で心音と合流し、一緒に学校へ。今日の心音はボブヘアに三つ編みが1つされていた。
「髪型変えたんだ」
「はい。似合ってますかね……?」
心音は俺に問う。
「似合ってると思うよ」
ボブヘアに三つ編みもいいな、と感じられた。ただ、今俺の好きな髪型ではなかった。三つ編みもいいけど。
担任になったのだが、それもあってか心音のファッションはよくなる一方。
翌朝の心音は全ての髪を下ろし、ふんわりとしたボブヘア。市川大野でいつも通り乗ってきたが、俺の心臓がドキッとした。
「おはようございます、先生」
髪を耳にかけて心音が言う。
「お、おはよう……心音ちゃん……」
23歳になりかけの男性には刺激が強かった。いや、俺だからなのかもしれない。
「どうしたんですか?」
心音が俺を覗き込む。
(うっ……ヤバい。これ、かわいすぎる……)
このあと同じ教室で授業を教えなければならない。ああ、ホントにやらないといけないのか?正直、今日1日耐えれる気がしない。
「な、なんでもないよ……」
暑くなった気がした。
その日の武蔵野線はいつもより長く感じた。
そしてその日の帰り。俺は夜まで残ってしまい、夕食もまだだった。俺は松戸駅のコンビニでコンビニ弁当を買い、いつもの常磐線各駅停車のホームへ。21:03発各駅停車我孫子行きで新松戸へ、21:15発武蔵野線新習志野行きで西船橋、21:37発総武線各駅停車津田沼行きで津田沼へ行き、今日は終了。
翌朝、心音が遅めに出るため俺も遅く出た。いつもは津田沼7:02発で出るのだが、今日は7:24発各駅停車三鷹行きで西船橋、7:38発武蔵野線府中本町行きで市川大野へ。
いつも通りの号車でいると心音が乗ってくる。
「おはようございます、先生。撫でて下さい」
「おはよう、心音ちゃん」
俺は心音の頭を撫でる。ん、ちょっとまて。
「え、心音ちゃん、何言って」
「いいじゃないですか。私は気持ちいいですよ」
心音ちゃんは少し笑った。心音ちゃん、日に日に俺に対しての態度が変わってる気がする。
担任の代理をすることになったある日、俺はあの明るい女子高生、明里ちゃんと心音ちゃんのクラスの代理になった。どうも産休らしい。今日から当分担任だろうな……
「みんな席着けー」
俺はクラス全員に呼びかける。これで俺も数学教師か、立派な。
「せんせー、松田先生じゃないんですか?」
1人の男子生徒が言う。
「産休入ったらしいからな。当分俺が担任だ」
俺がそう言うと、真ん中あたりの女子生徒が小声で何か言っていた。それを隣の人が笑い、連鎖していく。
「どうしたんだ」
「木下(きおろし)さんがガッツポーズしてて……」
なんでガッツポーズなんか。松田先生が嫌いだったのか?
「ふふっ、面白いね。このクラスだったら担任もできそうだ」
俺はそう言って教卓のところに立つ。
「出席取るぞ。新井~」
俺は出席を取り始める。
その日は大変だった。放課後も調整などで長く居残り、結局松戸駅に着けたのは22時過ぎだった。
松戸22:10発各駅停車我孫子行きで新松戸へ。結局、家には23時前に到着。明日も学校か……
翌朝は心音ちゃんが待ってくれていた。それも西船橋で。
「心音ちゃん?どうしてここに」
「昨日疲れて帰ってたって友達から聞いたんです」
「その友達、随分遅くまで出歩いてるね」
俺がそう言うと、心音ちゃんは「たしかにね」と言い、笑った。
「とにかく、先生疲れてるんですよね?」
「少しだけな」
本当は今すぐにでも横になりたいくらいで疲れているが、それを感じ取られたくなかった。
学校に着いてからも疲れを悟られぬようにいつも通りの動きをした。いつも通りが疲れてるように見えるのかもしれないが、少しでも悟られないように、念には念を。
担任としての先生は中々疲れる。心音ちゃんや明里ちゃんがいるから悪い気はしないが、疲れるのは事実。帰りは心音ちゃんと一緒に帰れなくなってきたし。
今日も帰りは心音ちゃんの時間とは合っていない。心音ちゃんは19時前後に松戸を出るから、今の19時半だともういないはずだ。
19:39発各駅停車柏行きで新松戸へ向かう。いつもと同じ号車に乗ると、俺のことを心音ちゃんが迎えてくれた。
「お疲れ様です、先生」
心音ちゃんは俺の手を握る。
「なんで待ってくれてたんだ」
「先生のこと好きだからですよ」
先生として好きでいてくれることは嬉しいな。担任もやりがいがある。
「先生、先生としてって思ってますね」
「思ってるね」
俺が言うと、心音ちゃんは近づいて言った。
「先生として、じゃないです」
先生としての好きじゃないって、あと残ってるのは……
「いや、え?」
「人としてです。恋愛的な意味で」
急な告白。心音ちゃんは耳まで真っ赤にして俺を見つめる。なんだ、恥ずかしいんだ。
「かわいいって思ってたじゃないですか、先生」
あ、やべ。そういえば心読めるんだった。
「そうだけどさ……まだ早いんじゃないか」
俺がそう言うと、心音ちゃんは頬を膨らませて言う。
「ダメなんですか」
むぅ、と声が聞こえてきそう。まぁ、拒否はできないだろうな。
「いいだろう。ただ、本格的に付き合うのは卒業してから、な」
俺がそう言うと、心音ちゃんは首を傾げて言った。
「付き合って、とは言ってませんよ?」
確かに、付き合ってとは言われていない。
そうなると、俺の自意識過剰だったか。さらば、俺の恋愛物語よ。
「ま、いいですけど。卒業してからか~」
「え?」
心音ちゃんは新松戸で電車から降りて、武蔵野線への階段へ歩いていく。
なんか、俺は今後大変になりそうだ。あの子も大変そうだな。