それは錬成訓練の別れの日。空港でカーキ色のスーツに身を固めた黒豹女はニヤニヤ笑いながら赤い錠剤が山ほど詰まったビンを俺に押し付けてきた。
「勃たなくなる薬。IS学園にゃ良家の女子が山ほどいるんだ、オイタをしたら大変だろ?」
「…自分で処理します。ていうか、向こうの食事や飲み水にもう仕込まれてるんじゃ?」
「その心配は無いよ。コイツは滅茶苦茶渋いのさ、薬効が現れるレベルで水や食い物に混ぜ込もうならたちまちばれるレベルでね…よし、ならコイツをプレゼントだ。」
そういいながら俺が胸ポケットにしまっていたスマホを掻っ攫うと、何かのソフトをインストールする。オイ、指紋照合とかパスワードとかどうやってクリアした。
「市販薬から軍事用向精神薬まで大体の錠剤やらカプセルやらの薬の早見表と、誤飲した時の対処表さ。自分がどんな薬を口に入れてるか不安になったら眺めてみな」
そういうと黒豹女はスマホを俺のポケットにしまいながら抱きつき、耳元で囁く。
「…言っとくけど、こんなおもちゃのセキュリティなんて破ろうと思えば簡単に破れるのさ、膜より遥かに楽にね。あんなに毎晩鍛えてやったんだ。次があったらあたしより先に失神するんじゃないよ」
「!?」
「キャー、コワイコワイ!じゃ、あたしとナタルはベガスで高飛びさ!」
そういってお揃いのスーツに身を固めたナタルさんとともに搭乗口へと去っていく。残っているのは相変わらず黄ばんだ白衣を羽織ったゲスジジイだけだ。
「…なにこれ」
「ん?ん?説明がされていなかったかい?今回の訓練の報酬だよトレイニー、無駄遣いするんじゃないよトレイニー」
そうやってゲスジジイから渡されたのは1ドル紙幣1枚だった。
「ん?ん?不足かいトレイニー。ホントは1日500ドルは支払われる予定だったんだけどねぇ…」
そう言いながら満面の笑みを浮かべたままゲスジジイは俺の耳元で囁く。
「イーリみたいな子は1万ドル出しても抱けないよトレイニー。最終的にはリボルバーだったそうじゃないか。ティーンは羨ましいね羨ましいね」
「!?」
「でもでもトレイニーはそれじゃあ不服だろ?だからさ、カンパ箱をみんなに回しておいたよ」
顔を引きつらせながら飛びのいた俺にゲスジジイは懐から出した数冊の通帳と同数のキャッシュカード、印鑑を俺に手渡した。そのうちの1冊、うちの地元の地銀の通帳を開いた俺は眩暈を起こしそうになりながらも何とか声を絞り出す。
「こ、これこそなんだよ!何だよこの金額は!」
「不足かい?余り1つの通帳に大量にお金を入れると倒産のリスクがあるからねあるからね。そうそう、暗証番号はキミの誕生日と同じ『1016』だよ…ネットバンキングでも良かったんだけど、ああいうのを過信すると痛い目見るよ、気をつけなよ気をつけなよトレイニー」
なんでなんで日本ではこんな象の骨の塊を有り難がるんだろうねぇ、と印鑑を眺めながらぶつぶつ呟くゲスジジイを尻目に、それぞれの通帳のサラリーマンの生涯賃金の10倍強の額に寒気を起こしていた。カンパ?俺に?誰が?
「コーラにタバコに飛行機にジーンズにOS…まあ、ステイツ由来のほぼ全ての企業が君を応援していると思いなよトレイニー。ああ、全世界の宗教団体もだよ。ユダヤにカトリックにプロテスタントにムスリム、モルモンにロシアンにブッディズム、君のお国のシャーマニズムもね。凄いよ凄いよトレイニー!いがみ合う宗教は君を通じて一致団結してるんだ!いかにメンドリの鳴き声にイラついてる男が多いかってことだよ!…それでさ、一つお願いがあるんだトレイニー…ああ、別に非合法なことでも君が良心の呵責や苦痛を感じることすらないよ」
「何だよ!?一体何をやらせるんだよ!絶対ロクデモナイ事だろ!?」
「…それはねそれはね…」
「茨、お前のお陰で俺の回りもだいぶ静かになったって千冬姉から聞いたよ。ありがとな」
「キニシナクテイイヨ、イチカ」
ここはIS学園へと通じるモノレールの中。女性専用車両ばかりの中で唯一の混成車両の中に俺達4人はいた。空港エントランスで号泣していた俺は織斑先生にリムジンに押し込まれ、泣き疲れて寝てしまい、起きたらモノレールの駅だった、という体たらくである…まあ、あの光景を見て感極まった、と皆が信じているのは幸いだった。
「私からも礼を言わせてくれ、猿取…あのまま行けば一夏は精神的にも肉体的にも参ってしまっていた。教師としてではなく、一夏の姉として感謝する。」
「ソンナ、オレニハモッタイナイオコトバデス。」
『世界最強』から感謝されるなんて、人生でそう無いだろう。感極まって泣いていたかもしれない…実の弟と恋人繋ぎで手を組んでいるという光景から目をそらすことが出来たなら。ていうか織斑先生、胸が一夏の二の腕に当たってるんですけど。あててんのよってヤツですか?貸しきり状態で良かったですね織斑先生。
「でも、猿取君は優しいですね…人のためにあんなに泣けるなんて。」
「ソンナコトナイデス。カイカブリスギデス、アレハ…」
あれは自分のために流した涙だ。醜い涙だ。決してほめられるものじゃない。そう山田先生に言おうとした時、『IS学園に到着します』とアナウンスが車内に流れる。
「さて、ここからはIS学園だ。一夏、ここでは『織斑先生』と呼べ、いいな?」
「はい、織斑先生!」
優しさと鋭さを兼ね備えた瞳で一夏を見つめる織斑先生と、決意をこめた瞳と共にそれに答える一夏。ほんと、恋人繋ぎの状態じゃなかったらどれだけ感動的だったろう。
「一夏は私が案内する。山田先生、君は猿取を案内…」
「すいません織斑先生、ちょっと寄る所がありまして」
よし、ようやっと本調子になった。空港であらかじめ準備もしてきた。ゲスジジイの『お願い』を叶えに行こう。
■
「今日からIS学園でお世話になります、猿取茨と申します…轡木さんですか?」
ここはIS学園の用務員室。出迎えてくれた初老の用務員さんに菓子折りを渡しながら俺は言葉を続ける。
「錬成講習でお世話になった方から『こちらへ挨拶に行きなさい』と伝えられまして…これ、皆さんで食べてください」
『IS学園の用務員のクツワギ君はアルちゃんのフレンドなんだよトレイニー、向こうの空港でスイーツでも買って持っていってくれよトレイニー。なにせステイツのスイーツは大味で受けが悪いんだよ悪いんだよ』とかいうからどんなものすごいのが来るかと思ってたら優しそうなお爺さんで安心したよ、空港のATMで全部のカードが使えるのも確認したし…あれ?通帳やカードと一緒に印鑑を添えてたってことは日本で口座を作ったんだよな?ゲスジジイが行けないなら口座を作ったやつに…
「すまないが、どなたからこれを?」
「失礼いたしました、アルフレッド・オーウェル・アークライト博士です。」
その名を聞いたとたん、明らかに轡木さんの表情が変わった。マズイ、フレンドとか言うのは嘘っぱちでまさか嫁さんを取り合ったとかの顔も見たくないレベルの敵だったか!?それとも実はクツワギって人はやらかしちゃってとっくの昔にここを追い出されてたとか…
「彼は古い友人だよ。わざわざすまないね、猿取君…アルは忙しそうだったろう?」
「ええ…俺のISを作るプロジェクトの主任をされていました。」
「彼は、君から見てどんな男だった?」
「なんというか、その…フランケンでもいじくってるのが似合いそうな方でした」
その言葉を聴いた時の轡木さんの表情は、なんとも言えないものだった。
■
「でも意外でした。猿取君ってこういうことは無頓着そうに見えてましたから…人を見た目で判断しちゃいけないですよね」
それはゲスジジイの用事を済ませた寮への道。教師失格です、と自嘲気味に笑う山田先生に俺はあわてて言葉を返す。
「そんな、俺は気の利かない奴ですよ山田先生。あれはゲスジジイのお使いですから。」
「いけませんよ猿取君!人を見た目で判断するなんて!!」
さっきまでのしょげ返りはどこへやら、柳眉を逆立てる山田先生。自分はどうだったんだと突っ込みたくはなるが、まあ凹まれるよりは遥かにいいだろう。
「それに、空港のエントランスで泣いてたのだって、結局は自分のために泣いてたようなものですし。俺はそんな上等じゃ…」
「ダメですよ猿取君。自省は確かに必要ですが自虐や卑下までする必要はありません…でも、解ります。先生も本当は泣きたかったです。」
そう諭すと、山田先生は顔を曇らせながら言葉を続ける。
「あんなの嘘だって思いたかった…でも、とても綺麗だった…素敵だった…あんな顔、一度も見たときなかった…」
「山田先生!アレはほら…久しぶりの再会で舞い上がったんだよ二人とも!普通は姉弟であんなことしないって!」
ハイライトの消えかけた目で、鼻声でつぶやく山田先生にあわててフォローを入れる。一月が久しぶりだったのかは心の棚においておこう。
「そ、そうですよね!お代わり自由のサラダバーでサラダ一杯取っちゃってステーキが食べきれなかったとかテンション上がっちゃってとんでもないことしちゃう事ってありますよね!」
そうやってお互いにごまかすように笑い合う。そうだ、あれはテンションの上がった姉弟のやらかしたポカだ。今頃お互いに気まずそうな顔でもしてるに違いない。さあもう寮は目の前だ。さっさと部屋まで戻って私物の整理をしよう、そうしよう!
「お、茨ナイスタイミング!ちょっと手伝ってくれ!」
…寮の玄関、今一番会いたくない男の姿がそこにあった。
「どうした、茨?なにかあったか?」
一夏、お前が悪いんじゃない、きっと俺や山田先生の感受性とか恋愛観とかそういうのがお前とちょっと違うだけなんだ。そう胸の中で呟くと何とか心を平静に戻す。
「ああ大丈夫、なんでもない。何をてつ…だ…」
玄関前は、パンパンに膨らんだゴミ袋がちょっとした山を作っている。その中の何個かを手に持ちながら一夏は明るく言葉を続ける。
「千冬姉の部屋の掃除が終わったんだけど、結構ゴミが出てさ。一緒にゴミ置き場まで…」
「ああ大丈夫。山田先生、すいませんけど少し…」
その刹那、黒い疾風が俺を襲った。それは俺を押し倒すと、喉を握りこみながら一切感情の浮かばない瞳で俺を見下ろしている。
「これは卒業生が置いていったゴミだ。清掃作業を織斑に協力してもらっている。猿取、お前は自室で私物の整理にかかれ。いいな?」
「りりり了解しました。一夏、お前の分もやっておくよ!心置きなく作業に取り掛かってくれ!」
「お、おう、よろしく頼む!」
「うむ、ルームメイト思いなのは良いことだ。寮長としても嬉しいぞ。山田先生、部屋の案内をお願いします。」
山田先生に対してそう告げると、黒い疾風…織斑先生は俺から下りて一夏と一緒に和気藹々とゴミ袋を運び始める。2/3はビール他のアルコール類の空き缶だとかそういうのは指摘しないほうが身のためなんだろう。一夏に対して嫉妬とも羨望ともつかないような視線を送っていた山田先生は、無様に仰向けに倒れこんでいる俺を見るとどこか吹っ切れたように明るい口調で、優しく手を差し伸べてくれた。
「用意されている部屋は最上階ですよ、猿取君。そちらまでご案内しますね。」
その表情は、夕焼けの逆光になり見えずじまいだった。
■
「これ全部が教科書、こっちの山が参考書、こっちの山は資料集、これが用語集、これが参考書の抜粋で、こっちが副読本、こっちのバインダーに閉じて有る小冊子はAOAの講習で使用したテキスト一式。まあざっと目を通してみたけど、AOAのテキストが一番分かりやすいかもな、実際に使われてるシラバスを元にしてるからかな?」
「こんなに有るのかよ…」
ここは寮の最上階に用意された俺たちの部屋。私物の整理、食事やシャワーを済ませた俺と一夏は明日から始まるであろう授業に向けて予習を開始していた。
「因みに講習の教官曰く、初日で教科書100Pは進むからそのつもりで予習するようにって事だ。」
「無理!絶対無理だって!」
隣の机で諦めムードになっている一夏の気持ちはわかる。俺もナタルさんの指導が無かったら回れ右して逃げ出していただろう。
「まあ、こういうのは覚えなきゃいけないことってのは大体決まってるしな。受験勉強よりは楽だろ…それにさ」
言葉を切ると、涙目になっている一夏に真剣な表情で宣告する。
「周りの女子たちは競争率何万倍もの狭き門を潜り抜けてやってきたエリート中のエリートで、一方俺らはISを動かせるだけでここにいる、ってわけだ。相当努力しないと差は縮まらないけど良い所見せて織斑先生を驚かせようぜ?」
「お…おう!頑張ろうぜ!茨!」
「…てのがAOAでの錬成講習。一夏は倉持技研ではどんなことやってた?」
予習も終わり、消灯までのわずかな時間。俺と一夏は今までお互いに起きた事柄を語り合っていた。
「どう、って…一通りのことは教わったけど、調査がメインだったな。体中に電極つながれたり、変な注射を打ったり…」
「…そっか、ごめんな。変な事聞いて」
「気にすんなよ。でも羨ましいぜ、専用機まで準備されてるってのは」
「モンキーモデルの改造機でFCSと武装がミスマッチ起こして第3世代装備はロック掛かってるぜ?倉持だって一夏の専用機用意してるんだろ?」
「…なんだけど、どうも難航してるって千冬姉は言ってた。でも今週中を目処にしてくれとも言ってた。」
「今週中か。待ち遠しいねぇ…」
消灯のアナウンスが流れ、俺は部屋の明かりを落とす。結局、俺は聞けずじまいだった。
なぜ、写真撮影の時、一夏は平静を保っていられたのかを。
■
「…そう、『機業』と『天災』ね。AOAがわざわざ情報を渡す意味は分からないけど、信用できる人みたいね」
「ええ。彼の話なら信用に足ります」
「どんな人でした?轡木さんの知ってるアークライト博士は」
「…堅実な実務家。個人の限界と組織の強さを熟知した男でした。そして、逸脱する個人を決して信用しなかった」
「…空港限定発売の羊羹詰め合わせね。ミーハーというか、なんと言うか…」
「…まあ、菓子折りの中身までは指定しなかったんでしょう」
初陣 第2幕
※ダイジェストでお楽しみください
『ん…久しぶり…一夏の…』
『熱いよ…千冬姉の中…』
押し殺した、それでも小さいとはいえない音に薄目を開けると、隣のベッドで裸の一夏と織斑先生が…その、絡み合っていた。
(まあ、そうだよな。近親がタブーなのって、似たような顔の2人が絡み合うのが拙かったんだろうな)
最上階の部屋は俺等の部屋だけで良かったわ、などと思いながら俺は眼を閉じ再び眠りにつこうとする。だが、あっさりと闖入者によって俺の狸寝入りは破られてしまった。
「~~~~!??」
「…んん、意外とキス上手ですね猿取君。人を見た目で判断しちゃいけませんね」
唇をこじ開け、侵入してくる熱い舌。驚いて瞳を開けるとそこにいたのは、はにかむ山田先生だった。…その、服の上からでも大きさがわかるほどの胸が、飾り気のない下着に包まれている。
「猿取…これ…んんっ…知ってるか?…んう」
織斑先生は俺の枕元に錠剤の入ったシートを放り投げると、一夏の唇を奪う。まさしくそれは、黒豹女が餞別によこそうとしたあの赤い錠剤だった。
「こういうので抑制してもいいんだが、起たなくなるのも困りモノなんでな…もっと、もっとぉ…」
「ねえ、猿取君…『練習』しません?あなたの心の中も、私の心の中も詮索しないで、お互いに『練習』しあいません?」
「ち、ちょっと待った!良いんですか山田先生!?男はともかく、女性はこういうのって取り返しがつかないんじゃ…」
「大丈夫ですよ…私、女性とは何回か『お付き合い』した事あります…こういう時のためにお薬もちゃんと飲んでます…それとも、やっぱり私は魅力的じゃないんですか?」
「そ、そんな事無いです!十分魅力的です!」
「…じゃ、証明してくださいね」
ほら、緊張すると『臨戦状態』にならないって描写、ゲームとかマンガとかであるじゃない?あれって嘘だね。
「男性って…凄いですね、こっちも想定以上でした」
やだ…もう寝たい。夢であって欲しい。何だよこの爛れた非日常は。