無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
朝、お兄さんが起きるまで、すぐ横で寝顔を眺めます。お兄さんが見ていない間は、わたしがただのわたしとしていていい時間です。お兄さんが起きるまで、起きる時間になるまで、わたしは何もしなくてよくて、お兄さんのことを眺めていられます。
以前まではお兄さんのために毎日朝からしっかりとご飯を用意していましたが、お兄ちゃんは、そんなことをしなくてもいいのだと言ってくれました。お弁当も作らなくていいし、作るとしても冷凍食品を詰めるだけで十分すぎると。
だから、わたしはお兄さんよりも早く起きなくてもよくて、お兄さんが起きるまでこうしてのんびりしていられます。お兄さんのためにご飯を用意しないのは少し寂しいけれど、お兄ちゃんがそういうのだから、仕方がありません。
のんびりして、お兄さんが起きる時間になったら、アラームがなるよりも少し先にわたしがお兄ちゃんを起こします。アラームがあるからわざわざ起こさなくてもいいと言われているけれど、わたしが起こしたいから起こします。お兄ちゃん起きてと言いながら肩を揺すって、起きたお兄ちゃんの顔を覗き込みながら笑顔でおはようと言います。
寝ぼけ気味のままふにゃっと笑っておはようと返してくれるお兄ちゃんから離れて、お味噌汁を温めにいきます。朝から作ったものではなく、昨日の夜の残り。冷蔵庫からパックの納豆をふたつと漬物を出して、食卓に並べれば朝ごはんの準備はほとんど終わりです。あんまりにも簡単でやることがなくて味気ないですが、朝はこれくらいでいいのだそうです。
炊きたてのご飯をよそって、お味噌汁が温まるのを待てばお兄ちゃんが箸を出してくれています。おわんをふたつ持っていくと、いつもありがとうと言われますが、気持ちとしては少し複雑ですね。
簡単な朝ごはんを食べて、チョコレートのお菓子が食べたいとわがままを言って、お兄ちゃんがお皿を洗っている間に冷凍庫から出したおかずをお弁当箱に詰めます。わたしがちゃんと作った方が絶対に美味しいはずなのに、これでいいのだそうです。
お弁当を保冷バッグに入れて、お兄ちゃんに渡します。玄関までお見送りに行くことはせずに、その場でいってらっしゃいと言って、わたしはお勉強の準備をします。今までみたいに家事を全部やらなくていいと言われてしまったのでやることがなくなったわたしは、お兄さんに買ってもらった教材で勉強しているくらいしか、やることがありません。
一日中勉強して、お昼ご飯に冷凍庫の中を減らします。あとは5時になったら勉強をやめて、今日はわたしがご飯を作る日なので用意を始めます。鶏肉を切ってフォークで刺し、下味を染み込ませている間にお味噌汁を用意して、冷凍庫の中の常備菜を解凍します。残りの量が少なくなってきたので、今週末にでもまたお兄ちゃんと作らなくてはいけませんね。
下味をつけている間にお風呂に入っていると、お兄ちゃんが帰ってきたので急いで上がって、お風呂を交代します。お兄ちゃんお風呂あがったよーというと、うんともおおとも区別が付かないようなあいまいな返事をされますが、ちゃんと動いている音がするのでお風呂の準備はしているはずです。上がったと言ってすぐに入ってきたら、まだ体を拭いている途中のわたしとこんにちはしてしまうので仕方ないと言えば仕方ないことですが。
ほかほか湯気を上げながら部屋に戻ると、準備を済ませていたお兄さんが入れ違いでお風呂にはいります。お兄ちゃんには今日の晩御飯を伝えているから、いつぞやのようにすぐに上がったりはしないでしょう。もともとお兄ちゃんが楽しみにしている湯船に浸かれる日ということもありまし、逆にいつまでも上がってこないことを心配しなくてはいけないくらいです。
漬け時間は個人的にはまだ足りませんが、時間的に仕方がないのでこれくらいで済ませて、片栗粉を付けたらそのまま油の中に投入します。パチパチといい音を鳴らしながら、少しずつきつね色に変わっていくのを眺めて、途中でひっくり返します。本当はたっぷりの油で全体を覆えればいいのですが、満足にできるだけの量を使うと、油の量が二倍から三倍に増えることもあり、わたしはこちらにしています。
一陣を挙げ終わり、二陣を揚げ始めます。このタイミングで、お兄ちゃんと相談して買った卓上IHにお味噌汁の鍋を乗せて弱火で火を入れ始めれば、少し時間が経つ頃にはいい塩梅です。
「お兄ちゃーん!!そろそろご飯できるよー!!」
お兄ちゃんにそう声をかけて、唐揚げが揚がるのを待つと、お兄さんが上がる準備をしているのがわかります。ちょうどそのタイミングでタイマーが鳴ったので、お味噌汁の鍋の火を止めてから唐揚げを回収すれば、ちょうどお兄ちゃんが上がるころには完璧な状態です。
「うん、やっぱりこの唐揚げが一番落ち着くね」
そのままお兄ちゃんと一緒にご飯を食べ始めれば、お兄さんはそんなことを言ったりしながら、パクパクと唐揚げを食べて、お茶碗の中のご飯を減らしていきます。
わたしが作ったものを褒めてもらえるのは、、よろこんでもらえるのは、わたしにとって間違いなく幸せなことです。お兄ちゃんがそれに対してどんな理由を込めていても、皮肉を込めていたとしても、そんなことはそれを知らないわたしにとってないのと同じなのですから。
ご飯を食べ終わったら、今日一日やっていた勉強の中で、どんなことがわかったのか、どんな内容がわからなかったのかをお兄ちゃんに話して、わからなかった所を質問します。わたしの学習範囲がお兄ちゃんにとっては簡単なこともあるかもしれませんが、わからないところをすぐに教えてもらえるのはとてもありがたいですね。質問をするとお兄ちゃんも心做しか嬉しそうなので、時間をかければわかりそうな内容でも、質問に回すようにしています。
そうして勉強の時間が終わったら、あとはのんびりします。一緒にゲームをしたり、別々で本を読んだり。寂しくなった時は、暇だからかまって!と言うとちょっと雑に対応してくれます。軽く流される感覚がなんというか癖になりそうですが、あんまりやりすぎると鬱陶しそうにするので程々が大事です。
これまでわたしが見ることのなかった、何気なく暮らしているお兄ちゃんの姿。優しさは変わらないし、むしろ今までよりもわがままを聞いてくれるけど、やっぱり違和感はあります。それだけお兄ちゃんがわたしに対して気を使ってくれていたということでしょうから、喜ぶべき変化なのかもしれませんが、何も出来ないことは、させてもらえないことは歯がゆいです。
けれど、どれだけ歯がゆくても、これがわたしの望んだこと。わたしのままでお兄さんに尽くし、やさしくしてもらうのではなく、お兄さんのもとめるものとして期待に応え続ける生活。思うところがないと言えば、辛いことがないと言えば嘘になりますが、この生活は間違いなく幸せなものでしょう。何もしなくてもやさしくしてもらえて、そこにいるだけで愛してもらえて、ほんの少し何かをしただけで喜んでもらえる。わたしの感情を抜きにして考えれば、いいことしかありません。わたしは楽で、お兄さんはより満たされていそうで、悪いことなんてなんにもありません。
でも。
「それじゃあおやすみ、茉莉」
「うん。おやすみなさい、お兄ちゃん」
この幸せが苦しくないと言ったら、それは嘘になります。