無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
すみれちゃんをほとんどなくしてしまったら、あとは燐さんの帰りを待って、私、何も出来なかったんです……なんて言っておく。戻ってきてから本格的にすみれちゃんがいなくなったことを実感したらしい燐さんのお世話を焼いて、元気のない燐さんの傷心につけ込む。
大切な家族を失うのは二度目な燐さんは、二回目だからって平気になるなんてことはなく、むしろまた守れなかったと落ち込んでいた。また奪ったのは私なのに、そんなことには微塵も気付かず近くにいさせてくれるのは、思わず全部白状して楽しみたい衝動に駆られてしまうが、今はまだその時じゃない。せっかくここまで積み重ねてきたのだから、崩すのはもっと高く積上げてからだ。
落ち込みに落ち込んで、仕事も手につかない様子の燐さんの家に押しかける。今のままだと、燐さんまで消えてしまいそうだからと言えば、燐さんをつなぎ止めておくため、一人にしないためだと言えば、燐さんは私を拒まなかった。私のことを受け入れて、私のことを求めてくれた。全部私のせいなのにも関わらず。
痺れるような幸福感。幼かったあの日に抱いた初恋がやっと実ったことに対する喜び。あんなに酷いことをした相手から、瑠璃ちゃんはどこにも行かないよねとすがられる快楽。迷子のような不安げな顔をしながら、今日は帰らないでと言われた時には思わず笑い出してしまいそうだった。
心の隙間に入り込むように、燐さんの中に根を張っていく。茉莉ちゃんがいなくなった時でも、ここまで弱ってはいなかった。ここまで私に対して無防備になってはくれなかった。でも今は、私を失うことを何よりも恐れてくれている。それこそ、私が全てを白状したら、死んでしまうか、それでも離れないか、信じられずに現実逃避するかの三択だろうと言うくらいに。
その時点で、間違いなく燐さんは壊れてしまっていたのだ。いや、ギリギリ壊れていなかった燐さんのことを私が壊したのだ。私が甘やかして、ヒビを広げた。そのまま崩れるはずのものを雁字搦めにして固めた。壊れかけの人を壊して、壊れていないように見せかけていた。
普通に壊れることすらできなかった燐さんに愛おしさを感じる。あんなに優しくて、素敵だった人がこんな姿になったのだと、私がこんなふうにしてしまったのだと考えると、たまらなく嬉しくて、誇らしい。
そんなことを誇りに思いながら生きていたら、いつの間にか時間は経っていた。燐さんはすみれちゃんがいた事を忘れてしまったかのように仕事をするようになって、すみれちゃんがいた事を忘れたいかのように私に溺れる。
私のことを受け入れて、私と一緒に暮らして、私と籍を入れる。そうして燐さんが手に入れたものは、ずっと昔から一途に自分のことを見続けていたかわいい幼なじみのお嫁さん。
優しくって、思いやりがあって、家事万能なお嫁さんを手に入れた燐さんは、周囲から祝福されながら、少しずつ心の傷を癒していった。その過程で、自分の何よりも大切なところに私を抱えたまま、治ってしまった。私がいなければもう普通に生活できない状態のままで固まってしまった。
そんな燐さんのことをそのまま受け入れて、共に時間を重ねる。すみれちゃんを失ってから一年が経ち、二年が経ち、十年も経つ頃には私たちの元には新しい命が二つ増えていた。男の子と女の子、まだまだ幼い兄妹だが、燐さんのいい所を引き継いだのか、とても素直で優しい子たちだ。お父さんの言うことも、私の言うこともしっかり聞く。私にはもったいないくらいのいい子たちだ。
そんな子供たちのことを眺めていると、燐さんがおもむろに私の隣に座る。結ばれてからそれなりに長い時間が経ったけれども、相変わらず燐さんは私に対して優しいし、私も燐さんのためなら大体のことはした。おかげでご近所ではおしどり夫婦として有名だ。
あたたかい幸せ。小さな、でも尽きることのない幸せ。普通の女の子として、これ以上の幸せは中々見つからないと確信できるほどの、きっと周囲からは嫉妬されてしまうであろう幸せ。
でもそれは、ある日突然終わるものだ。いつもの光景は少し目を離した瞬間に壊れて消えてしまう。まあ、私にとっては壊れてしまうのではなく、壊してしまうのだけれども。
下の子、娘が初めてご飯を作った日、とは言っても全部一人でやるのではなく、私のお手伝いをしてくれただけではある。それでも子供の成長というのは嬉しいもので、私と燐さんは子供たちが寝たあと、リビングで少し話していた。
ママみたいに上手にできないとしょげていた娘に、ママは何年もご飯を作っていたから慣れているんだよと慰めていた燐さん。いっぱい練習すればいつかママみたいに作れるようになるさと慰めていた燐さん。そのやり取りは、いつかのだれかとのやりとりと重なるものがあったらしく、珍しく話は昔話に向かった。
「あの子は、すみれちゃんは元気にしているのかな。もう大人になっているだろうけど、今頃どうしているんだろう」
燐さんは、すみれちゃんが親に連れ戻されたという話をまだ信じている。私がそう言って騙したのだから、当然と言えば当然だ。
「大丈夫ですよ、きっと。すみれちゃんは間違いなく、私たちの中でまだ生きています」
その言い方だとまるで死んじゃっているみたいじゃないか、ちょっと不謹慎じゃないかと小言を言う燐さん。ちょっと物を取ってきますと言って、席を外す。取ってくるものは、あの日たくさん写真を撮った古い携帯。回収して、パスワードを打ち込んで、写真を開く。最初に入っているのは、まだ笑顔だった頃のすみれちゃん。私が楽しむ前の、燐さんの下で幸せに暮らしていた頃のすみれちゃん。
懐かしいなと言いながら、燐さんが次の写真を見ていく。一緒に鍋を食べた時の写真や、私の家にお泊まりした時の写真。燐さんの知っているものから知らないものまで、たくさんのすみれちゃんが写真に収まっていた。
そして、日付はあの日に至る。私の家で過ごしているすみれちゃんの写真から、突然現れる縛られた姿。なんの写真かと訝しげにしながら、燐さんは次の写真へと進む。ガムテープを貼られた口、それが無くなったと思ったら赤く腫れている頬。目から、鼻から、口から流れた液体の跡。
怯える表情、苦痛に歪む顔。何も感じなくなったみたいな、虚ろな表情。たくさんのすみれちゃんが、色々なことをされているすみれちゃんが、燐さんの知らないすみれちゃんの姿が、次から次へと写し出される。
なんだ、と燐さんが声を漏らす。後ろから燐さんを抱きしめながら、肩越しに顔を並べながら、早く次のを見てくださいと急かす。
突然のことに正常な判断ができなくなっているらしい燐さんは、黙って私の言うことを聞いた。裸の体の上に虫を這わされるすみれちゃんの姿、それと同じ虫が口の端から半分こぼれている写真と、口の中でぐちゃぐちゃになった写真。
「大丈夫ですよ、すみれちゃんは私たちの中で生きています。あなたも食べたでしょう?すみれちゃんの、最後のハンバーグ」
いなくなる前に、すみれちゃんが最後に作ったハンバーグ。そう言って私が燐さんに食べさせたのは、すみれちゃんで作ったハンバーグだ。わざわざ冷凍して残しておいて、すみれちゃんが燐さんに食べて欲しいと言っていたと偽って食べさせたもの。文字通りの意味で、すみれちゃんは私たちの中で生きている。私たちの一部として、生きている。もう代謝でいなくなっているかもしれないけれど。
まさか、そんなと現実逃避をしようとする燐さん。座っている燐さんに後ろから抱きついたまま、次を見るように急かす。次へ、次へ、次へ。すみれちゃんのかわいいところから恥ずかしいところまで、余すところなく燐さんに見せる。
言葉を失ってしまったかのように、燐さんは何も言わなくなってしまった。それでもあまり問題はないので、そのまま次に開くべきフォルダの名前を伝える。
そのフォルダの中の写真、沢山あるそれらに写っているものは、先程までのすみれちゃんのものと比べれば、いくらかマイルドにはなっているものの、一人の女の子がいじめられている写真だ。一つ違うのは、その被写体がすみれちゃんではなく、茉莉ちゃんであるということだけ。
燐さんの体が、びくりと反応する。先程まで、すみれちゃんの写真を見ていた時は反応しなかったのに、茉莉ちゃんの写真を見ただけで体が動いた。
「ねぇ、燐さん。私一つ、ううん、二つ謝らないといけないことがあるんです。燐さんの大事な大事な茉莉ちゃんも、燐さんが守ってあげたかったすみれちゃんも、2人とも私が殺しちゃったんです。燐さんを私のものにするために、どうしてもそうする必要があったんです」
茉莉ちゃんに関しては、直接殺したわけじゃないですけどと補足する。私の言葉を聞いた燐さんは、勢いよく立ち上がると私のことを突き飛ばした。
お前がやったのかと、お前のせいで2人は死んだのかと大きな声で怒鳴る燐さん。穏やかで優しい燐さんの、普段見ることのない激しい感情。強い怒り。
「……あんまり大きい声を出すと、あの子たちが起きちゃいますよ」
そう伝えると、燐さんの勢いはおさまる。けれどその激情が消えたわけではないようで、倒れた私に馬乗りになると、首に両手を添えた。このまま絞められるのも、まあ悪くはない。燐さんの心に間違いなく大きな傷を残して、誰よりも許せない相手として永遠に残り続けるのも、それなりに魅力的だ。
「私がいなくなったら、あの子たちにはなんて説明するんですか?」
でも、私はそれよりももっと魅力的なものを知っている。こう言えば、燐さんは私のことを殺せなくなってしまうと知っている。そういう風に、燐さんを作ってきた。そうなるように、作り替えてきた。
この一言だけで、燐さんは想像するのだ。私が居なくなった後に子供たちがどんな気持ちになるのか。周囲から素敵な奥さんとして評判が高くて、子供たちからも優しいお母さんと慕われている私を殺してしまったら、たとえ私がどれほどの悪人だったのかを主張しても信じる人はほとんどいないだろう。燐さんはおかしくなった人殺しとして扱われて、やっと手に入れた大切な家族を、子供たちを失うことになる。
そう、想像できるように仕込んできた。そして、その仕込みはちゃんと機能して、燐さんは私の首から手を離してしまった。
「……頼むよ、もう僕から何も奪わないでくれ」
私の上で、うずくまるように小さくなる燐さん。かつて大切にしていたものを奪われて、今大切にしているものを壊されて、それでも残ってしまったものを守るために、私にすがるしかなくなってしまった燐さん。
その姿が愛おしかった。この光景を、ずっと求めていた。あれほど素敵だった人が、心をぐちゃぐちゃにされて、私にすがるしかない。最高の気分だ。
「……いいですよ。あなたがこれまで通りに接してくれるなら、私はもう、あなたから何も奪いません。……だからほら、いつもみたいに笑ってください」
燐さんの頭に手を添えて、その瞳をじっと覗き込む。そこにあったのは、恐怖。わけのわからない存在に自分の全部を奪われて、残ったものを守るためにそれに従わないといけない、恐れの感情。
二本の親指で、燐さんの頬を引っ張る。引き攣った、不細工な笑み。口元しか笑顔の形になっていない、悲壮感しか伝わらない素敵な表情。
愛おしさが我慢できなくなって、燐さんのことを抱きしめる。なにかされるかと思ったのか、燐さんの体が小さく跳ねた。子供を寝かしつけるように、背中をさすりながら大丈夫と言い聞かせる。たったそれだけで緊張がほぐれたように見えるのは、これまでの刷り込みの効果が出たのだろうか。すみれちゃんの時とおなじ状態になっていて、思わず口角が上がってしまう。
そのまま燐さんのことを落ち着かせて、寝室まで連れていく。起きたら、今日のことはなかったことにして、普通に過ごすんですよと伝えると、燐さんは少し怯えたようにしながらも、確かに頷いた。
翌日起きると、横に寝ている燐さんを起こす。いつも通りに目を覚ました燐さんが、昨日のことを思い出したのか表情を変えたので、いつも通りに振る舞わないとダメですよと教えてあげたら泣きそうな顔になった。愛おしい。
「パパ、ママと喧嘩したの?だめだよ、ちゃんと仲直りしないとっ!」
朝の支度をしているうちに起きてきた子供たちが、私たちの間の違和感に気付いたようで、燐さんに向かってそんなことを言う。言われた燐さんは少し気まずそうにしながら、でも日常を壊さないために、私の機嫌を損ねて、子供を失うことにならないために、私から見たらまだ歪に見える笑顔を浮かべながら、パパとママはちゃんと仲良しだよと言って、私のことを抱きしめる。
小さく、震えが伝わってきた。まだ私のことが怖いのだろう。ずっと信じてきた人の知らなかった一面を、おぞましい一面を知ったのだから当然だ。それなのに、子供たちのために、燐さんはその気持ちを必死に我慢して、私の望むこれまでを守ろうとした。
本当は、これまでの生活なんてどうでもいい。子供ともう会えないとなると寂しくはあるけれど、それでも満足できるほどの感動を、燐さんは私にくれた。だから、燐さんが何をしても、何をしなくても、子供たちになにかするつもりなんて最初からないのだ。さすがの私でも、自分の子供にくらいは情というものが湧く。
だから、こうしているのはただ燐さんを見るため。大好きな燐さんから、ぐちゃぐちゃになった感情を向けられるため。
子供に、仲良しアピールをするために、燐さんの顔に顔を寄せて少しだけくっつける。ちょっと嫌そうな声を出す子供と、体を強ばらせる燐さん。人の感情を味として認識できるのなら、私にとってこれはこの上なく甘いものだろう。
私は今、間違いなく人生の絶頂にいる。
この話書いてきた中で5本指に入るくらい楽しかった(╹◡╹)キャッキャッ
ワーストルートは以上です(╹◡╹)