無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい   作:エテンジオール

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図書館にて(裏2)

 わたしの位置からはお兄さんの顔は見えませんが、話し方や声のトーンからは、お兄さんがこの女性を嫌っている様子も見られませんでした。話している女性が、嫌われながら笑顔で話しかけるような人でない限り、その見立て自体には間違いは無いと思います。

 

 

 話している内容自体は、ほとんど入ってきません。わたしの中には、お兄さんがわたしを捨ててしまったらという考えがぐるぐるぐるぐる回っているので、そんなことにまでは意識が向かないのです。その内容こそ、大切なものだと頭でわかってはいても、できないものはできません。

 

 

 

『お前のせいで人付き合いに影響があるんだ。お前がいなければもっと普通の生活ができたんだ』

 

 

 わたしのせいで、お兄さんに迷惑をかけるのは、悪いことです。お兄さんにちょっとわがままを言うくらいの迷惑であれば、まだお兄さんの優しさだけで何とかなってしまいますが、他の人が関わってくるようになってしまうと、そうもいきません。

 

 だって、それはお兄さんの人生に関わってきてしまうからです。わたしは、わたしのような存在が、周囲からどのように見られるのか、それを匿うことが、どのように思われることなのか、ある程度調べた上で今こうしています。そうじゃなければ、お買い物で姿を見られることが、お兄さんにとってマイナスになりうるなんてことは想像できません。

 

 

 だから、今までのものくらいの迷惑であればまだしも、 お兄さんの人間関係なんかに影響を与えるような迷惑は、絶対だめなんです。そこを踏み越えてしまえば、まず間違いなくお兄さんはわたしのことを見限ってしまうでしょう。

 

 

 

「うーん、なんか隠し事の匂いがしますねぇ……先輩、ちょっと外の食事処で話を聞かせてもらいましょうか」

 

 

 だから、その言葉を聞いた時に、ついお兄さんの服の裾を掴んでしまったのは、全くもって本意ではありませんでした。ただ、恐れに掻き立てられて、少しでも安心できるものが欲しくてすがってしまっただけなんです。

 

 そうしたら、お兄さんがわたしのことを気にかけて、どうにかしてくれるんじゃないかなんて希望が、少しもなかったと言えば嘘になりますが、わたし自身、こんなことをするつもりはなかったのです。

 

 

「おや?先輩、その子とお知り合いですか?」

 

 

 そうは言っても、見られてしまって、そう追求されてしまった以上、お兄さんにとって私は、余計なことをして疑念を確信に近付けてしまった無能に他なりません。

 

 わたしが何もしなければ、お兄さんが何とか上手いこと言いくるめて回避出来ていたかもしれない面倒事が、間違いなく襲いかかってきます。

 

 

 お兄さんの安全や、安定を考えるのであれば、まず間違いなくわたしの掴んだ手は振り払われるべきで、そのうえでお兄さんはわたしを気味悪がり、女性の誘いに乗る素振りを見せるでしょう。

 

 それ以外に、お兄さんが危険を負わずにこの状態を乗り越える様子が想像できません。そうなれば、わたしは本格的に、お兄さんに捨てられてしまうでしょう。

 

 

 もう、こうなったらやけっぱちです。せいぜい、わたしがお兄さんに突然絡み出した不審者に見えるように、言葉を考えます。

 

 なるべく支離滅裂で、突拍子もなくて、周囲から見た時に虚言だと思われやすい言葉。お兄さんが被害者で、わたしが妄想癖のある人間だと思われる内容なら、なおよしです。

 

 

「ぉ、お兄さん、おべんとう、作ってきてます」

 

 出てきてしまったのは、こんな言葉。本当なら言おうとしていた言葉は、“わたしの作ったお弁当しか食べないって言ったのに!!そんなにほかの女の作ったご飯が食べたいの!?!?”でしたが、いざ言おうと女の人の顔を見たら、内容が全て飛んでしまってそんな言葉になってしまいました。

 

 さすがにここまで言ったら、わたしが奇人として見られるだろうし、お兄さんにも見捨てて欲しいという意図が伝わると思っての言葉でしたが、上手くいえなかったせいで、より状況を悪くしたように思えます。いえ、思える、というレベルではなく、実際に悪くしているのでしょう。

 

 

 ここから本来の意図がつたわり、お兄さんが最適な対応を取ってくれたうえで、わたしを見捨てなかったとしても、かなり白い目で見られるであろう事実に、少しだけ心が痛みます。待っているであろう一人ぼっちの時間と、その間の不安感を予想して、体がもっとこわばり、震えます。

 

 

 

 お兄さんがわたしを一度無視するだろうという、わたしの予想あるいは思惑に反して、お兄さんはわたしの言葉を否定しませんでした。そのままの意味でとったら、わたしがお兄さんのお昼ご飯をお弁当として用意していると捉えられてしまうのに、お兄さんはそのことを否定しません。

 

 

 何も会話がない中で、女性がわたしのことを覗き込みます。お兄さんが否定しないから、まるでわたしの言葉が本当だったみたいな空気の中で、女性がわたしのことを覗き込みます。

 

 

 見られることの恐怖と、見透かされるような気恥ずかしさに、お兄さんの背中に隠れました。お兄さんの背中に隠れる資格がないと言われてしまえばそれまでですが、わたしの心境としては、そうしてしまうのも仕方の無いことのように思えます。

 

 なんなら、わたしがつい口走ってしまった言葉も、それ自体が間違いという訳では無いので、わたしが考慮するべきところは限られています。

 

 

 

 

 そんな言い訳はともかくとして、女性はわたしの顔をのぞき込みました。わたしがお兄さんの服に顔を隠しても、それでもより深く覗き込んできます。わたしが顔を隠して、お兄さんの背中に埋めても、それでもなお覗き込んできます。

 

 

「先輩、今日この後説明するのと、明後日会社で聞かれるのだったら、どっちがいいですか?」

 

 

 女性のそんな言葉が聞こえました。続いて、お兄さんのため息も聞こえます。

 

 ごめんなさい、わたしが本を読みたいなんて言ったから、わたしが先週筋肉痛になってしまったから、こんなことになってしまっています。わたしが我慢できる子なら、お兄さんは知らない人の振りを出来ました。

 

 そう謝ろうとして、謝りたくて、口を開きましたが、こわくて、何も出てきませんでした。

 

 

 謝りたくて、謝れなくて、お兄さんの後ろを着いていきます。

 

 着いた場所は、図書館のホームページを見て、ここでお昼を食べたいなと思っていた屋上でした。よく晴れていて、風も強くないのでお弁当を食べるには最適な場所でしたが、この場所に決めた時のウキウキ感は今のわたしにはありません。

 

 

 空いているベンチに、お兄さんを真ん中にして3人で座ります。とりあえず自己紹介はしようという女性に流されて、会話をします。

 

 自己紹介の内容は、簡単なものです。女の人の名前が、瑠璃華さんだということ、お兄さんとは昔からの知り合いで、今は会社の後輩だということ。

 

 それを受けてわたしが返せたのは、自分の名前だけでした。ちゃんと、お兄さんにお世話になっていることなんかも言おうとは思いましたが、緊張して言葉が出てきません。

 

 

「……ちょっと事情があって、うちで面倒を見ているんだ。すみれちゃん、話しても大丈夫かな?」

 

 

 そのことを察してくれたのか、お兄さんが言葉を引き継いで説明を始めてくれます。緊張しちゃってどうしようもないわたしは、全部お兄さんに任せてしまいます。

 

 

 お兄さんが話しているのを横で聞き、たまに本当かと聞かれるのに対して首肯を返したりしているうちに、ようやく少し落ち着いて、自分のやってしまったことを反省します。特に、言おうと思っていたものと出てきたものが全然違ってしまったのは、直さなくてはいけません。

 

 あるかもわからない今後の反省をしつつ、瑠璃華さんに知られてしまったことで、これからどうなるのかが心配になります。瑠璃華さんが大事にしてしまえば、まず間違いなくこれまでの生活は消えてしまうでしょうから、機嫌を損ねる訳にもいきません。

 

 既に少し手遅れな気もしますが、まだ何とか巻き返しが出来るかもしれないのです。瑠璃華さんがお兄さんに対してフランクなことを考えれば、積極的にお兄さんの迷惑になる行動は取らないように思えます。そうであれば、最悪でもわたしが追い出される程度でしょうか。

 

 

 お兄さんの人生をめちゃくちゃにしてしまうのは、わたしの望むところではないので、そこだけは良かったと言っていいのかもしれません。

 

 

 

 

「とはいえ、先輩が子供を連れ込んでいるのかぁ。変なことしてませんか?大丈夫ですか?えーっと、すみれちゃん。逃げたくなったら警察に行くとかも出来ますし、なんなら同性だからウチに来てもいいですよ?」

 

 

 

 できれば、お兄さんと一緒にいられる生活が続けばいいなと考えているうちに、お話は終わったようです。少し思うところがありそうな瑠璃華さんが、お兄さんをからかうように言って、わたしに問いかけてきます。

 

 この様子を見ると、瑠璃華さんがわたしに対してマイナスの印象を持ってはいないように思えます。また、社交辞令の可能性も高いですが、どちらかと言うと好意的なようにも感じます。

 

 

 とはいえ、ほとんど知らない人に、自分の家で暮らさないかと言われても困ってしまうので、首を横に振ってお断りしておきます。

 

 

「ありゃりゃ、振られちゃいましたか。まあ先輩のことですから、大丈夫だろうとは思ってましたが、それにしてもよく懐かれてるもんですねぇ」

 

 

 断ったことで気を悪くされないか、少し心配もありましたが、そんなことは無かったようで、瑠璃華さんは微笑ましそうにわたしを見ていました。

 

 会話の雰囲気も、どこか和やかなものになってきましたので、わたしが家を追い出されるということにはならなさそうです。

 

 お兄さんが瑠璃華さんと楽しそうに話していることに、何故か寂しさを感じましたが、そんなふうに感じてしまうのはわたしが悪い子だからでしょうか。人が仲良くしているのを見て、やな気持ちになるなんて、悪い子どころか酷い子な気もします。

 

 

 

「うーんでも、こんなことを知った上でただ帰るのもなぁ……。そうだ先輩!さっきすみれちゃんがお弁当って言ってましたよね?ちょっとでいいんで私にも味見くれませんか?」

 

 

 変なもやもやを抱えながら、お兄さんの服を握ります。そうしていると、さっきまで二人で話していた瑠璃華さんが、半分こちらを見ながらそんなことを言いました。

 

 考えてみますが、お兄さん以外の人がいる中で、普通にご飯を食べれる気がしません。それに、お兄さんは美味しいと言って食べてくれていますが、それがお世辞だったら、瑠璃華さんに不味いと言われたらと考えると、どうしても乗り気になれません。

 

 

「私だって、家で適当な余り物食べるんじゃなくて、すみれちゃんみたいなかわいい子が作ってくれたご飯食べたいんですよ!私にも少女とのランチタイムを!!」

 

 

 そんなわたしの気持ちを察したのでしょうか、それともお兄さんが断りそうだったのでしょうか、瑠璃華さんがさらに言葉を重ねます。

 

 ほかの食べ物じゃなくて、わたしの作ったものがいいと言われたのが嬉しくて、かわいいと褒められたのが照れくさくて、少しは頬が緩んでしまったのを感じます。

 

 たぶんお世辞だとは思いますが、そう言われる経験が無かったわたしにとっては、ポカポカしてしまうものでした。

 

 

「……って言ってるけど、すみれちゃんはどうかな?僕としては断った方がいいと思うんだけど」

 

 

 お兄さんがわたしの意見を聞いてくれました。わたしも最初は断ろうと思っていましたが、なんというか、ポカポカしているので今なら話せそうな気になってしまいます。

 

 

「えっと、あんまりないから、ちょっとだけなら」

 

 お兄さんの気遣いを無視して、お兄さんがよくないと思った方を選ぶなんて、わたしは悪い子です。けれど、瑠璃華さんと上手にお話出来れば、瑠璃華さんに好かれれば、より安心してお兄さんの元で暮らせると思ったので、そちらを選びます。

 

 

「もちろんですよ。それじゃあ、すみれちゃん謹製のお弁当を見せてくれますか?」

 

 

 ついでに、お兄さんの話なんかを聞ければ、お兄さんの生活に食い込む上で、なにか役に立つかもしれません。そんな気持ちで、お兄さんの話を聞きたいと言うと、瑠璃華さんはとっても素敵な笑顔を浮かべました。

 

 肩から提げていたバッグから、タッパーを出します。中身はサンドイッチをメインに、いくつかの小さなおかずが入っています。お兄さんも瑠璃華さんも、それを見て褒めてくれます。頑張ったかいがありました。

 

 

 場所がなかったため、お兄さんの膝の上にタッパーを置かせてもらって、3人で食べます。ちょっとだけなら、と言いはしましたが、余った分は後日私のお昼ご飯にすればいいと思って多めに作っていたため、軽い昼食程度にはなるのではないでしょうか。

 

 

 美味しいと言われながら食べてもらって、工夫したところを話して褒めてもらって、お兄さんの好きなメニューの話なんかも教えて貰って。最初の緊張がなんだったのかと言うくらい、瑠璃華さんとは楽しくお話が出来ました。

 

 

 食後にはお兄さんの昔のことも色々教えて貰って、男の人には相談しにくいこともあるだろうからと連絡先まで教えてくれます。

 

 

「すみれちゃんはかわいいから、何時でも何でも相談してくれていいですからね」

 

 

 あんまり構ってくれないと、先輩の家まで押しかけちゃいますから。と、瑠璃華さんはわたしが気に病まないように気を使ってくれます。何も連絡しなかったら、本当に来ちゃいそうだなと、少し思ってしまったのは内緒です。


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