無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
お兄さんと瑠璃華さんを前に、おかえりと言えたことが嬉しくて、迎えられたことが楽しくて、いつもよりもテンションが上がった状態でお兄さんからいつも通りカバンを受け取って、そのタイミングで客人用とお兄さんが言っていたスリッパの存在を思い出します。
お兄さんのカバンをいつもの場所に戻すのと一緒に、収納の中にしまい込まれていたスリッパを取ってきて、瑠璃華さんのところに届けます。わたしが、何かもやもやしていたものの正体は、スリッパを忘れていたことでは無いでしょうか。
スリッパを出して、すぐに二人を案内します。案内が必要ないことや、2人とも知っている場所だということも分かってはいますが、それでも様式美として案内します。
「おー、また随分と雰囲気が変わりましたね。前まであんなに殺風景だったのに」
スリッパを履いて上がってきた瑠璃華さんが、部屋の中を見渡して言います。瑠璃華さんが最後に来たのはわたしが来る前のことでしょうから、びっくりするほど変わっているのではないでしょうか。わたしが最初に来た時の、どこか生活感を感じない、無機質な感じの部屋とは異なり、今の部屋の中には温もりが感じられるように思います。
「何もない部屋で待ってるのが寂しかったから、作っちゃいました」
一つ一つ、まじまじと観察されてしまうのが恥ずかしくって、そんなふうに言い訳をしてしまいます。本当は、ものがある方がお兄さんの生活に根を張れるように思ったのと、それを作ったらお兄さんが喜んでくれたり、褒めてくれたりするかと思ったからです。
お兄さんにも瑠璃華さんにも、そんな本当の理由を伝えることは出来ないので、それっぽいことを言って、誤魔化しながら、一つ一つのものの材料だったり作り方だったりを簡単に説明してみます。お兄さんは一度聞いたことがある内容なので、暇に思われないかは少し心配ですが、瑠璃華さんは楽しそうに聞いてくれているので、少しだけ待っていて欲しいです。
「なるほどなるほど。すみれちゃん、ありがとう!」
いくつか話しているうちに満足してくれたらしい瑠璃華さんをクッションに座らせて、お兄さんにはベッドに座ってもらいます。わたしの分の席は布団を丸めて確保してありますので、キッチンまで土鍋を取りに行きます。
鍋つかみがないのでタオルを重ねてつかみ、タオル越しにでもわかる熱を感じながら、リビングのカセットコンロの上まで運びます。
置いたら、今度は蓋を置きに戻ります。このテーブルはそこまで大きい訳では無いので、鍋の蓋まで置いてしまうと食べるスペースが無くなるからです。
『頼むから何もしないでくれ』
リビングに戻る時に、三膳の箸と菜箸をひとつ、深めの茶碗と、お玉を持っていきます。お兄さんのために、瑠璃華さんのために何かをできることが、とっても嬉しいです。びっくりするほど楽しいです。
「いやー、先輩は毎日すみれちゃんのご飯を食べているわけですよね?ほんと羨ましいなぁ。そりゃあ仕事の効率も上がって褒められるわけですよ」
鍋の匂いを嗅ぎながら、早く食べたいと言っていた瑠璃華さんが、お兄さんの前でそんなことを言っています。毎日食べたいと言われたことに嬉しつつ恥ずかしく思うのとともに、お兄さんの仕事の効率が上がって、会社で褒められていること、そしてそれをわたしの料理のおかげだと言っていることに嬉しさを感じ、わたしの計画が上手くいっていることに安心します。
待っていたお兄さんと瑠璃華さんに食器を渡して、一緒にいただきますをします。菜箸とお玉を使って一人ずつよそうのを待って、最後にわたしも取ります。
クタクタになるまで煮込んだ、トロトロの野菜。食感が残るシャキシャキの野菜では、どうしても味の染み込みに限界があります。シャキシャキなのもいいのですが、個人的にはお鍋の野菜はクタクタが好きです。
「ご飯もありますし、これでラーメンを茹でてもおいしいんですよ。お兄さんに買ってきてもらったものなら二分もあれば茹で上がりますけど、お二人は食べますか?」
ひとくち食べたところで、主食を用意し忘れていたことに気がついたので、ラーメンとご飯のどちらがいいか聞いたところ、2人ともラーメンと言いました。念の為に炊いておいたご飯は冷凍して、後日わたしのお昼ご飯にでもしましょうか。
買ってきてもらった袋麺に書いている水の量よりも多く、鍋のスープを小鍋に掬って、火にかけます。カセットコンロで温めていたこともあって、既に沸騰間近まで高温になっていた鍋の汁はすぐに沸騰します。
吹きこぼれたりしないように、弱火にしながら袋麺をふたつ。細麺なこともあり、ゆで時間が90秒でしたから、タイマーで時間を計って茹でます。
お母さんが使っていたタイマーは、ボタンを押す度に音が鳴るものでしたので、使うことが出来ずに壁時計の音を数えるしかありませんでしたが、お兄さんに借りているスマートフォンの時計機能を使えば、音を立てずに時間を測れるので、とても便利です。
カウントがゼロになる直前にストップボタンをを押して、音を立てずにタイマーを止めます。お兄さんと瑠璃華さんが何かを話しているのを扉一枚隔てて聞いて、何を話しているのかは理解できないまま扉を開けると、お兄さんの表情がどこか暗いです。瑠璃華さんが何か変なことを言ったのではと思いそちらも見て見ますが、どうやら困惑している様子。
「お兄さん、瑠璃華さん、茹で上がりました」
とりあえず空気が変わればいいなも思って少し明るめに声を出してみたら、二人の意識がこちらに向きました。テーブルの方まで持って行って、食べ方の説明をします。
多めに食べたいという瑠璃華さんの主張に合わせて、配分したところ、お兄さんがわたしのことを気にかけてくれました。わたしがこのラーメンが好きだから買ってくるように言ったんじゃないかと気を使うお兄さんに、ラーメンもご飯も同じくらい好きだから問題ないと伝えます。
本当は、余裕を持って三合も炊いてしまったお米の消費をしておきたいというのが大きいですが、二人に美味しく食べてもらいたいというのも嘘ではありません。優しいね、と褒めてくれるお兄さんに、罪悪感のようなむず痒さを感じながら、嬉しくなります。
「ご馳走様でした。あー、ここの子になりたーい」
一番最後まで熱心に食べていた瑠璃華さんが食べ終わって、それに合わせてご馳走様をすると、瑠璃華さんはクッションの上でぐでーっと倒れ込みます。一番最初に会った時の、スタイルが良くて綺麗な人、という印象は少し弱くなってしまいましたが、明るくてみんなと仲良くなれそうなイメージは強くなります。なんというか、スルッと入り込んできて、程よく隙のある姿を見せるのが、好かれる理由なのでしょうか?
お兄さんに、洗い物をするように言われて、不満そうにしながらもすぐに動く様子を見ながら、そんなことを思いました。わたしが洗おうとしたところ、お兄さんに止められたので、おまかせした形になります。
「瑠璃華さん、すっごく面白い人ですね。一緒にいて飽きませんし、楽しいです」
食べるもの食べたんだから働けと言うお兄さんと、それに対してケチ〜とか適当な悪口を返す瑠璃華さん。言葉だけにすると仲が悪そうにも見えますが、お互いに遠慮や気遣いなどが必要なく、素のままの状態で仲良くしているふたりの様子に、少しだけ暗い思いが湧き上がってしまいます。
わたしがいなければ、お兄さんと瑠璃華さんはもっと仲良くなれるんじゃないかとか、瑠璃華さんがお兄さんと結ばれたら、わたしはまた、邪魔な子になってしまうんじゃないかとか。そんなことを考えると、どうしてもこれ以上二人に仲良くなって欲しくないと思ってしまいます。
これじゃあ、悪い子ですらなくひどい子です。二人とも優しいのに、二人のことが好きなのに、二人に仲良くしないで欲しいと思っています。そんなことは思いたくないのに、思ってしまいます。
「すみれも……いや、なんでもない。シャワー浴びてくるね」
そんなわたしの表情を見て、何かを察してしまったのでしょうか、それとも、なにか思うところがあったのでしょうか。お兄さんは何かを言いかけて、やめてしまいました。返事を待たず、少し暗い顔をして浴室に向かったのから考えると、あまりいいことを言おうとしたわけではなかったのでしょう。
お兄さんにそんなことを考えさせてしまったことを、無性に悲しく思いながら座っていると、3人分の洗い物を終わらせた瑠璃華さんが戻ってきます。元々それほど量が多い訳でもないので、直ぐに終わってしまうのは当たり前です。
「すみれちゃん、先輩が突然シャワーに入っちゃったんですけど、何かあったんですか?」
普段は、人を帰す前にシャワーを浴びるような人じゃないのにと、お兄さんの様子を不思議に思ったらしい瑠璃華さんの言葉に、わたしの知らない“普段”を知っているということに、嫉妬と不安が膨らみます。
「……わからないです。何か言いかけて、やめて、そのまま行っちゃいました」
それをそのまま出すわけにはいかないと、わたしから見た時の様子を、わたしの予想を踏まえずに伝えます。事実だけを伝えます。
それを聞いて瑠璃華さんは、少し考えた後に得心のいったような表情を見せました。わたしが全くわからないのに、納得している瑠璃華さんがずるいです。羨ましくて、怖いです。
「あー、先輩はたまに変なことを考えて、一人で拗らせちゃうことがあるんですよ。あんまり気にしなくていいんで、トンチンカンなこと言ったら引っぱたいてやろうくらいの気持ちでいいです」
お兄さんのことをわかっている様子なのが羨ましいのに、その言葉に救われる自分もいます。普段はあまり考えないで行動しているように見せている瑠璃華さんも、ちゃんと人のことを理解して、考えて行動しているんだなと思うと、とても素敵な人だなと思いました。
「そんなことより!!私はすみれちゃんともっと仲良くしたいんですよ!」
とりあえずハグしていいですか!?と言う瑠璃華さんに押されて、イエスと返したところ、抱きつかれてもみくちゃにされます。
「ぐっへっへ、柔らかいしあったかいしいい匂いがしますねぇ〜。肌もすべすべですし、これが若さかぁ……」
突然のことに、ぴぃっ、と変な悲鳴が漏れます。ギュッギュッとされたり、ほっぺをむにむにされたり、髪を手櫛で整えられたりします。
「やっぱりすみれちゃん素材いいなぁ。そういえば、ヘアケアとか何使ってます?今すみれちゃんが使ってるやつ、あまり合ってないと思うんですよ」
せっかくしっかりさせていた身だしなみが崩された辺りで、ようやく解放され、毛先を弄られながら瑠璃華さんにそんな事を聞かれます。
「えっと、お兄さんが使っているシャンプーを一緒に使わせてもらっています。髪の毛がすっごくサラサラになるんです!」
わたしの答えを聞いて、瑠璃華さんは少し顔を強ばらせます。何かおかしいことを言ってしまったのでしょうか?
「……そっか!それじゃあ、私がすみれちゃんにシャンプーとかプレゼントしたいんだけど、いいかな?」
きっと先輩も喜んでくれるよ、と言う瑠璃華さんの言葉に、最初は遠慮しようと思ったのに思わずお願いしますと言ってしまいました。
ちゃんとした使い方とかは、今度メッセージで送るねと、瑠璃華さんに言われて、そのまま髪の毛のお話をしたり、ちょこっとだけ編んだりしてもらいます。
髪の毛が短めだからあんまり編めませんねぇ……と言う瑠璃華さんにわがままを言って、前髪をひとつまみ分だけ編んでもらい、ちょうどお兄さんが上がってきたので見てもらいます。
「うん、かわいくできてるね」
お兄さんは、ぽかんとしたような、毒気が抜かれたような表情をして、ポンポン、とわたしの頭を撫でてくれました。