無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
2種類の柔らかさと2種類のいい香りに包まれながら、背中をとんとんと優しく叩かれた振動で目を覚まします。
これまで経験したことの無い事態に、一気に眠気が吹っ飛んで、周りを見ます。少し見上げたところにある瑠璃華さんの顔と、柔らかいベッド。窓辺に飾られた、青紫の花の植木鉢。
「おはよう、すみれちゃん。よく眠れましたか?」
お兄さんの出張で、瑠璃華さんの家にお邪魔していること、瑠璃華さんと一緒のベッドで寝たことを思い出しながら、おはようございますと返します。
寝ながら抱きついてしまっていたのか、瑠璃華さんのことをしっかり挟んで、離れられなくしていた腕を離します。甘えん坊さんですねとからかわれて、顔が真っ赤になってしまったのを自覚します。
「それじゃあ朝の準備もするので、そろそろ起きましょうか。朝ごはんはスコーンを焼くので、10分くらいしてからですね」
その間に色々しちゃいましょうと言って、瑠璃華さんは冷蔵庫から出した生地を多機能レンジに入れます。
普段はわたしが朝ごはんの用意をする立場ですので、あまりこういう経験はありませんでしたが、なんというか手持ち無沙汰です。自分もなにかやらないとと思うのに、余計なことをして邪魔になったらと思うと何もできません。
結局何もせずに、瑠璃華さんがやってくれるのを待ちながら座っていました。
何も出来なくてごめんなさいと、焼きたてのスコーンと紅茶を持ってきてくれた瑠璃華さん謝ります。
「ごめんなさい、じゃなくて、ありがとうって言ってほしいです。私はすみれちゃんに謝って欲しくてやってるんじゃなくて、喜んでもらいたくてやってるんですから」
すみれちゃんも、先輩にご飯を作って謝られたら嫌でしょう?と瑠璃華さんに諭されて、想像したらすごく悲しくなりました。
瑠璃華さんに謝ろうとして、言われたばかりなことに気付いてありがとうを言います。
「どういたしまして。すみれちゃんが作ってくれる晩御飯、私も楽しみにしてますから、お返しはそれでいいですよ」
そんなことよりも今は食べましょうと言う瑠璃華さんに急かされて、焼き立て熱々のスコーンを手に取ります。一つ一つの大きさは小さいので、沢山食べれそうです。
チョコチップ入りのものや、レーズンが入っているもの、お茶の香りがするものまで、色々な味があり、どれを食べようか迷ってしまいます。プレーンのやつにどうぞと色んな味のジャムまで増えてしまい、選びきれなくなってしまったので手前の方から順番に食べます。
「ちょっと焼きすぎたかと思いましたけど、その辺は大丈夫そうですね。むしろお昼ご飯の分が足りるか心配です」
朝から甘いものを食べることに背徳感を感じながら楽しんでいると、苦笑い気味の瑠璃華さんに言われます。
その後少しお話しながら食べて、時間が来てしまったので瑠璃華さんはお仕事に向かいます。
冷蔵庫に入っているものはなんでも使っていいよと残して去っていく瑠璃華さんを見送って、冷蔵庫の中身を物色します。
鶏肉、豚肉、牛肉と3種類のお肉と、たくさんの野菜があります。調味料も一通り揃っていて、器具もしっかりありますし、何よりもコンロがふたつもあります。キッチン事情は間違いなくお兄さんの家よりも整っていますね。
確認が済んだので、まだ温かいスコーンを食べながら、紅茶を飲みます。こちらは冷めてきてしまっていますが、やはり美味しいです。
晩御飯は、以前瑠璃華さんに写真で送った際に、すごく羨ましがられたオムライスにしましょう。
付け合せにサラダと照り焼きチキン、玉ねぎのスープなどをつければ栄養価的にも問題は無いでしょうし、なれないキッチンですのでちょっと簡単なくらいがちょうどいいです。
早くもやることが終わってしまったので、お泊まり用のカバンから図書館で借りた本を読んで、お昼になります。冷蔵庫の中に入っていた野菜ジュースを頂いてもいいか瑠璃華さんにメッセージを送って、大丈夫だと返ってきたので、それと一緒にスコーンの残りを食べます。
また本を読んで、3時くらいまで時間を潰します。それからご飯の支度を始めて、瑠璃華さんの帰宅メッセージに合わせて完成させます。オムライスの卵部分だけは、帰ってきてから食べる直前に焼きたいので、溶き卵の状態で待機です。
「瑠璃華さん、おかえりなさい!」
いつもと違う玄関で待って、おかえりのぎゅーはしないの?と言う瑠璃華さんに、ちょっと照れながらハグをします。
卵はトロトロでいいか確認して、食べる分だけチキンライスをよそってもらって、その上に出来たてを乗せます。
美味しい美味しいと、嬉しそうに食べてくれる瑠璃華さんを見ながら食べて、洗い物をしようとしたらお風呂に連れていかれます。
「いやー、先輩は毎日こんなに生活をしているんですね。……ずるい!」
すみれちゃん、本当にうちの子になりませんか?と瑠璃華さんに聞かれますが、お兄さんの元から離れる気にはなりません。
「……これは結構お節介な話なんですけど、今のすみれちゃんと先輩の関係って、一般的には受け入れられにくいものなんですよ」
即答で断ったわたしに、そっかぁと軽く返事をして、一呼吸おいてから瑠璃華さんは真剣な顔で話し始めます。
「すみれちゃんが先輩の家にいることは、法律的には問題ありません。本当は未成年の子供が無関係の大人の家に住むのはダメなのですが、すみれちゃんには戸籍がなくて、お母さんから捨てられている以上、世間にとっては存在しないのと同じだから大丈夫なんです」
そんなんだから、やばい人に監禁されてたら酷い目にあっていましたよと挟んで、瑠璃華さんは続けます。
「ただ、法律的には大丈夫であってもね、それ以外のところで、大の大人が無関係の未成年者を囲ってるのって、やな目で見られるんですよ」
「私は先輩のことを元々知っていたから大丈夫でしたけど、正直眉を顰める人はそこそこ多いと思います。行為があったなかった問わずに、中傷されることもあるでしょう」
「先輩は、それを全部わかっていて、すみれちゃんのことを匿っているわけです。でも、私の家であればそんなことにはなりません。すみれちゃんは、その事を理解してなお、先輩の家にいたいと思いますか?」
考えたことは、ありました。迷惑かかかっていることも、知っています。わたしに戸籍があったらお兄さんは犯罪者で、世間の反応ががそういう人に対して厳しいことも、知っています。
何も知らないフリをして、ただお兄さんに甘えていただけで、全部知っていました。わかっている上で、お兄さんと一緒にいたいと思っています。
酷い子だなあと思いながら、その事を瑠璃華さんに伝えます。
「いえ、わかってるならそれでいいんです。……それにしても、すみれちゃんは先輩が大好きなんですね」
やっぱり脈ナシだったかぁーと、先程までの真剣な表情をふにゃふにゃにしながら瑠璃華さんは湯船に溶けます。
言われて改めて自覚しますが、わたしはお兄さんが大好きで、きっと依存してしまっているのでしょう。瑠璃華さんの言葉に、元気よくハイと答えます。
「それじゃあ、すみれちゃんが先輩を落とすための作戦会議をしましょうか」
私はかわいい女の子の味方です!と言う瑠璃華さんですが、わたしは少し戸惑ってしまいます。話したことのある異性はお兄さんしかいないので断言はできませんが、お兄さんへの“好き”はそういう“好き”とは違う気がするのです。
だって、これはお母さんへの好きとほとんど一緒です。一緒にいたくて、優しくしてくれるのが嬉しくて、そばにいると安心できる。
居場所をくれて、やることをくれて、優しさをくれたお兄さんとずっと一緒にいたいだけで、ずっとこんな生活を続けたいだけで、なにか特別な関係になりたい訳ではありません。
「えぇー……ついに先輩に春が来たと思ったのに……」
恋バナできないかぁ……と一気にやる気を失った瑠璃華さん。そのテンションの、あまりの落差にびっくりします。
「いえ、恋バナもしたかったんですけれど、それ以上に先輩のことが気になってるんですよ。あの人はある時を境に、女性全般に忌避感を持つようになっちゃったから」
そっかぁ、家族愛の方かぁと、ちょっと残念そうなのが抜けない瑠璃華さんが、呟きます。
お兄さんが忌避感を持つという理由も聞いてみましたが、長くなるからまた後でにしましょうとはぐらかされてしまいました。
「すみれちゃんが先輩に求めているのは、たぶん父性に近いんだと思います。以前、片親でファザコンだった友達が同じようなことを言っていたので、おそらくはこれかと」
わたしにはお父さんがいたことがないので、やはり正解かはわかりませんが、お兄さんがお父さんだったらと思うと、胸がポカポカします。どちらかと言えばお兄ちゃんの方がしっくりくるのは、これまでの呼び方のせいでしょうか。
「あー、すみれちゃん。先輩のことをお兄ちゃんって呼ぶのは、ちょっとやめておいた方がいいかもしれません」
ただ、この話は長くなりますから、お風呂を上がってからにしようと言われます。わたしも少しのぼせそうだったので、それに従って上がります。
スキンケアを、今日は自分でやると言うわたしに対して、今日はほっぺ抓ったりしないから。ね?と少し必死に触ろうとする瑠璃華さんに任せて、その後すぐベッドに連れていかれます。ソファでいいのではと思いましたが、パジャマパーティーはそういうものなのだと押し切られてしまいました。