無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
昨日と同じように、ベッドの上で横になります。わたしが落ちないようにと、壁際の方を譲ってくれて、瑠璃華さん自身はお菓子とジュースを持ってきた後で、横になりました。
食べたり飲んだりするなら、やっぱりソファの方がいいんじゃないかと思いますが、これこそがと瑠璃華さんが言っている以上、そういうもので、わたしの考えは無粋なのかもしれません。
「それで、先輩のことをお兄ちゃんって呼んじゃいけない理由ですよね」
サクッとクッキーを噛んで、その欠片がベッドにこぼれたことに、あっと声を漏らしながら、瑠璃華さんが話し始めます。やっぱりソファの方がいいと思いますが、半ば意固地になったらしい瑠璃華さんはベッドの上の欠片を払うと、そのまま何事も無かったかのように続けました。
「正直なところ、この話は先輩の過去、個人的なことの話になりますから、あんまり吹聴したくない内容ではあるんです。ただ、先輩が自主的にすみれちゃんに話すとも思えませんし、本人も特に隠さず周りに話している内容なので話します。先輩の、
ないとは思いますけど、先輩がこのことですみれちゃんを責めたら、私の事を悪役にしてくださいねと念を押して、瑠璃華さんは話し始めます。瑠璃華さんがそこまで言うのなら、お兄さんがそれを責めることは無いのでしょうが、それでももしもの時に備えてわたしに逃げ道を残してくれる瑠璃華さんには感謝しかないです。
「まずはそうですね、先輩は4人家族二人兄妹の長男として産まれました。怒った時に、暴力的になる父親と、その暴力の理由を子供に求める母親の間に生まれて、物心が着く頃には幼い妹を守るために、暴行の全てを受けていたそうです」
「暴力自体は、ある程度手が抜かれていたようで、日常生活には問題がなかったと聞いています。幸いと言うべきか、外面はまともな父親だったこともあり、後に引くようなことはされていなかったようです」
「
私が遊びに行った時も、優しいお父さん、といった印象だったんですよと話す瑠璃華さん。瑠璃華さんはどのタイミングでお兄さんと知り合ったのかと聞いてみると、ジュースを一口飲んで話を続けます。
「そうですね。先輩の妹の、茉莉ちゃんと小学校のクラスが一緒で、最初の席がお隣さんだったんです。そのまま仲良くなって、遊んだ時に挨拶しました。茉莉ちゃんが、いつも大好きと公言しているだけあって、すごく優しくてかっこいいお兄さん、って印象でしたね」
お兄さんの優しさを考えると、きっと素敵なお兄ちゃんだったのでしょう。わたしにもお友達がいたらきっと自慢してしまうでしょうから、茉莉さんの気持ちはとてもわかります。
「おかしくなり始めたのは、中学校に入ったあたりですね。いえ、先輩が茉莉ちゃんの知らないところで暴力を受けていたのは、最初からおかしなところではあったのですが、私から見た時の話です」
「一言で言うと、茉莉ちゃんがいじめられるようになったんですよ。6人の仲良しグループの中で、私と茉莉ちゃんを除いた4人が、私に隠れて茉莉ちゃんをいじめていたんです」
「私もうっすらとした違和感しか感じていなくて、仲良くできていると思っていた中で、今度は先輩が暴力を受けていることを、茉莉ちゃんが知ってしまいました」
「きっと、相談したかったんだと思います。家族のことを信頼していたから、何かあったらいつも話していたから。先輩ならきっと何とかしてくれるって思って、見てしまったんだと思います」
「私が茉莉ちゃんから聞いたのは、先輩がお父さんにお腹を殴られて、何度も蹴られていた、ということです」
「思い返してみると、先輩は夏でも長袖長ズボンでしたし、小さい頃から茉莉ちゃんとお風呂に入ったことはなかったそうです」
「茉莉ちゃんは抱え込んじゃうタイプの子でしたから、先輩にも相談できず、家族に知らなかったそれを問いただすことも出来ず、どうにもならなくなってしまいました。私にも、家のことは多少相談してくれましたが、学校でのことは誰にも言えていなかったのだと思います」
「そのまま卒業して、田舎でしたからほとんど同じメンバーで高校に入ったんですけど、その時に勇気をだして、先輩に聞いてみたんですよ。なんで殴られていたのかと、いつから続いていたのかと、どうして抵抗しないのか」
飲み物を一口飲んで、瑠璃華さんは続けます。
「お父さんのストレスが溜まったからで、物心がついた頃からで、変に抵抗したらマリちゃんの方に被害が行くかもしれないから、って言っていました。自立できるまで育ったら茉莉ちゃんを連れて出ていくつもりだったって」
「自分が我慢すれば全部丸く収まるって考えちゃうのは、兄弟揃っての事だったんですよね。茉莉ちゃんも同じようなことを言っていたので、そっくりです」
「ただ、それも良くなかったのかもしれませんね。私が、自分も行くから聞いてみようなんて言ったから、聞くことになったんですけど、それ以降茉莉ちゃんは、大好きなお兄ちゃんが殴られているのは自分のせいだと落ち込むようになっちゃったんです」
「学校でも一気に暗くなっちゃって、私がいじめに気付いたのもこの辺りですね。何度も庇ったり止めたりはしたのですが、茉莉ちゃん自身が、お兄ちゃんはもっと辛いはずだからとか言って何も言わなくて」
「そのままエスカレートして、止まらなくなっちゃって、気がついたら、もうダメになっちゃったんです」
「自分がいなければ、お兄ちゃんはもう我慢しなくていいんだって、自分もお兄ちゃんも楽になれるんだって言って、屋上から飛び降りちゃいました」
「重症で、意識もほとんどなかったと聞いています。うわ言のようにお兄ちゃんとごめんなさいを繰り返して、駆けつけた先輩のこともわからないままで。私は、目の前にいたのに何も出来ませんでした」
「……と、これじゃあ先輩の話じゃなくて私の話みたいになっちゃいますね。要点を簡単にまとめると、自分の行動と学校でのいじめが理由で大好きな妹を失って、そのいじめの主犯や無責任な担任、傷心に漬け込んでやろうとする周りの人のせいで女性不信。子供が死んだのに世間体のことしか気にせず、ストレス発散に殴ってきた父親に殴り返して勘当。唯一守りたかった妹の葬式にすら出れず、大切なものを取りこぼしてしまった後悔の日々」
「先輩にとって、お兄ちゃんって呼び方はそんなものを思い出してしまうものなんです。だから、使わないようにしてあげてください」
そう言って、瑠璃華さんは話を締めくくりました。お兄さんがこれまで教えてくれなかった、お兄さんの過去のことです。知りたかったはずなのに、気になっていたはずなのに、知ってしまったことに罪悪感を覚えています。
「すみれちゃんがこれを聞いてどう思ったのかは、聞きませんし言わなくてもいいです」
瑠璃華さんはクッキーをひとつ取り、サクリと音を立てながら食べます。瑠璃華さん自身も経験したことのはずなのに、話を聞いていただけのわたしよりもずっと普通そうにしています。
きっと、もう乗り越えているのでしょう。そうじゃなくても、しっかりと受け入れているのでしょう。
「すみれちゃんも一枚どうですか?手前味噌ですが、美味しくできていますよ」
瑠璃華さんはそう言ってわたしにクッキーを差し出してくれましたが、残念ながら今はまともに食べれる気がしません。わたしの気質の問題か、人生経験が足りないせいかはわかりませんが、お兄さんと瑠璃華さんの過去の話は、わたしには少し重過ぎました。