無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
早速材料を買ってくると伝えると、車を出そうとしてくれるお兄さんに歩いていくことを伝えます。わたしの個人的にやりたいことの買い物ですし、それに何より、今お兄さんと一緒にいたら、すぐにくっつきたくなってしまいます。一回一人になって冷静になるためでもあるので、一緒に車に乗っていたら意味がありません。
編み終わった時への期待でウキウキしながら、お兄さんに行ってきますを言います。普段外出する時はお兄さんがいない間に行って帰ってくるか、一緒に出かけるかのどちらかなので、お兄さんに対して行ってきますと言うのはなかなかレアな体験です。
実際に家から出て、目的の店まで向かう過程では、なんの問題もありませんでした。何度か行ったことのある手芸用品店ですので、迷うこともありません。
毛糸コーナーでお兄さんの服装に合いそうな色の糸を探し、その太さや質感なんかを選びます。わたしは買い物に結構悩むタイプなので、こっちがいいかいやでもこっちもと、しゃがみこみながらうんうん唸ります。
10分くらいそうしていて、ようやく決めて立ち上がります。編んでみないと実際の感覚はわかりませんが、多分この毛糸なら悪いものにはならないでしょう。念の為二玉確保して、ちょっとだけ店内を見て回ります。
ごく普通の専門店ですので、置いている糸や布の種類が豊富ということ以外、基本的には特色することはありません。唯一見つけた変わったものは、電気を通すという糸くらいでしょうか。手芸用品店にあるものとしては少し疑問符が浮かんでしまいますが、店主さんの趣味かもしれません。
少しだけ気になることが出来たので、そのまますぐに調べて見ます。お兄さんに使わせてもらっている携帯は、こういう時にとても便利です。
考えた使い方で使えそうだということがわかったので、買い物かごに入れます。毛糸二玉と糸一巻しか入っていない寂しいかごですから、お会計の金額も可愛いものです。これはいい買い物をしたとにこにこほくほく顔になります。
「……すみれ?」
昔から何度も見たことのある袋に買ったものを入れてもらい、さあ家に帰ろうと店を出ると、わたしの名前を呼ぶ、懐かしい声が聞こえました。
ずっとずっと聞いていて、大好きだった声です。わたしの全てだった声です。もう二度と、聞けることはないと思っていた声で、聞き間違えるわけがない声です。
振り返ると、そこにはお母さんがいました。わたしを産んでくれて、わたしを育ててくれて、わたしが人生をめちゃくちゃにしてしまった、お母さんがいました。
ビクリと、体が震えます。だって、お母さんはわたしのことが嫌いなはずです。散々迷惑をかけて、最後の最後までわがままだらけだったわたしのことを、嫌っているはずです。
だから出て行けと言ったのに、野垂れ死んでいればいいと言っていたのに、そんな嫌いな相手が幸せそうに、その辺を歩いているのです。その心情は、察して然るべきでしょう。
今更になって、自分の不注意を実感します。お母さんの家からわたしたちの家までは、体力のたの字もなかったあの頃のわたしが徒歩で移動できる程度の距離です。つまりは、結構ご近所さんだということ。この店の袋だってお母さんが買って帰ってきたのを見たことがあったくらいには、行動範囲が被ります。
「おかあっ……その……えっと……」
つい癖でお母さんと呼びそうになって、お母さんにとってわたしはすでに捨てた子供であること、周囲に親子関係がバレたらこれまでの努力が水の泡になることに思い至って、慌てて言葉を止めます。そうして、お母さんのことをなんと呼べばいいのかわからなくなって、言葉が出てこなくなってしまいます。
考えてみたら、わたしはお母さんの名前すら知らないのです。ずっとお母さんとしか呼んでこなかったから、電話の時はがまずみと名乗っていたし、呼ばれていたから。
漢字で書くと莢蒾だということすら、追い出された日まで知りませんでした。お母さんのことなんて、何も知りませんでした。迷惑をかけないために出ていくと云う最後の親孝行も、今また会ってしまったことで帳消しでしょうし、全く、ひどい親不孝な娘です。お母さんにも、嫌われて当然でしょう。
「……こんにちは、莢蒾さん」
何とか絞り出した言葉は、そんな簡素で、平坦なものでした。お母さんと呼びたいのに、昔みたいに笑顔を向けて欲しいのに、それが無理だとわかってしまうから、距離を取ります。意識的にそうしていないと、わたしはきっと泣いてしまいますから。
自分のお母さんなのに、自分の苗字でもあるのに、こんなふうに呼ぶしかないことに、強い悲しみを抱きます。呼んだだけなのに、こんなにも胸が苦しくなります。
きっと、わたしとお母さんとの親子関係が、もう直らないくらいに壊れてしまっていると、わかってしまうからでしょう。一緒にご飯を食べた幸せな時間が、もう戻らないとわかってしまうからでしょう。
「……そう、やっぱり……いえ。すみれ、久しぶりね。少し話したいことがあるのだけれど、ここでするのもなんだし、少し付き合ってくれるかな?」
一瞬苦々しい顔をしたお母さんが、それを押さえ込んでわたしを誘います。話したいことも、謝りたいことも、伝えたいことも、沢山あります。ずっと聞きたかったことも、言えなかったことも、沢山あります。
それに、わたしを嫌っているお母さんが、わざわざ誘ってまでわたしに伝えなくてはならないことがあるんです。それならば、それがたとえ暴言でも暴力でも、わたしは受け入れなくてはいけません。お母さんの人生をめちゃくちゃにしてしまったわたしには、その義務があります。
わかりましたと伝えて、お母さんの後ろをついていきます。少し歩いて、自販機の前に来ました。
寒いからとホットのココアを買ってもらいます。自分の分は自分で買おうとすると、こういう時は大人が払うものなのと窘められて、結局ご馳走になりました。わざわざ嫌いな相手であるわたしに買ってくれたことに、ごめんなさいと伝えます。
やっぱり本当は買ってくれたくなんてなかったのでしょう、お母さんの表情が歪んで、直ぐに戻ります。嫌だったのに買ってくれるなんて、やっぱりお母さんは優しい人です。
最終的にたどり着いたのは、寂れた公園でした。ベンチと、枯れかけの草しか無い、寂しい公園です。けれど、わたしにはとってはとても大切な、あの日の公園です。
道から外れて、ほとんど人も通らなくて、けれど座る場所はあります。人目をはばかって話すのであれば、なかなかにいい場所と言えるかもしれません。
あの日と変わらず、汚いままのベンチに腰をかけます。とはいえ、今日着ているのは瑠璃華さんに買ってもらった服なので、そのまま座って汚すわけにもいきません。お兄さんに持ち歩くように言われているティッシュをおしりとベンチの間に挟んで、汚れないようにして座ります。これじゃあ背もたれにもたれることは出来ませんが、一人ならともかくお母さんとお話をする時にそんなだらしない姿は見せられません。
横でお母さんが、同じようにハンカチを引いているのを見ながら、ホットココアで指先を温めます。
「……すみれは、今幸せ?」
どこかおずおずと、聞きにくそうにお母さんが聞いてきます。どういう答えを求めているのかはわかりませんが、とりあえず素直に、幸せだと伝えます。
「……そう……だろうね。私のところにいた時とは違って、綺麗な服を着れて、自分の意思で外出ができて、肌や髪にも艶がある。聞くまでもなく、今のすみれは幸せなんだろうね」
「今は、どなたかの家に居候させてもらっているのかな?きっと、良い人なんだろうね」
聞かれるままに、話します。お兄さんがどんな人なのか、どれだけ優しい人なのか、わたしがどれだけお兄さんのことを好きなのか。話せば話すほど、お母さんの表情は歪みます。それでも、聞かれるので答えます。
きっと、お母さんにとっては気に入らない話でしょう。お母さんの人生をめちゃくちゃにした私が、めちゃくちゃにしたそのままで他のところで幸せになっているんです。許してくれるわけもありませんし、話せば話すだけ、お母さんの神経を逆撫でしてしまっているのでしょう。
それはわかっていても、お母さんが話を辞めない限り、わたしは答え続けます。それがわたしのやらなくちゃいけないことだからです。
「……ねぇ、すみれ。貴方は私に言いたいこととか、聞きたいこととか、無いの?」
お母さんからの質問が終わって、無糖の缶コーヒーを飲み干したお母さんが、わたしに聞いてきます。言いたいことも、聞きたいことも、謝りたいことも、沢山です。
「……どうしてお母さんは、わたしのことを嫌いになっちゃったんですか?」
もっと先に言わなきゃいけないことがあるはずなのに、そんなことよりも先に沢山謝らなくちゃいけないのに、出てきてしまったのは、そんな言葉です。
お母さんの顔が、今まで以上にゆがみます。そうなって当然の質問をした自覚も、あります。
「……私は……」
ピリリリリッ、お母さんが口を開いた直後、お母さんのポケットに入っていた携帯がけたたましい着信音を鳴らします。
話の腰を折られて、いい気分はしませんが、前までと同じならこの音は緊急性の高い電話です。休みの日にまでかかってくるということは、よっぽどの内容なのでしょう。
仕草で出るように促すと、お母さんはごめんなさいと一言言って立ち上がり、わたしから少し距離を取ります。そのまま一二分ほど慌てた様子で話して、電話を切りました。
「すみれ、ごめんなさい。どうしても行かなきゃいけない用ができてしまったの。文句でも疑問でも、言いたいことでも聞きたいことでもなんでも答えるから、何かあったらここに連絡して」
お母さんは焦った様子で、上着の前を開けて内ポケットからメモ帳を取りだし、何かを書き込んで破ったそれをわたしの手に押付けます。
手にあるそれよりも、わたしはお母さんの首元から、目が離せませんでした。くたびれた様子の、随分使い込まれてボロボロになっている、アランハニーカムのマフラー。
「それと、これだけは言っておく。私はすみれのことを、嫌いになってなんていない」
アンケートの結果が予想外すぎたので念の為の確認アンケートです(╹◡╹)
【市場調査アンケート2】今のところどれくらいの割合だと思いますか?【展開に影響なし】
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