無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい   作:エテンジオール

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うれしいことと……(裏3)

 お母さんは、それだけ言い残して足早に去っていきました。

 

 

 意味がわかりません。だって、お母さんはわたしのことを嫌いになったから、きつく当たるようになったんです。そのはずで、ずっとそうだと思っていました。

 

 

 なのに突然、わたしのことを嫌いになったわけじゃないなんて、そんなことを言います。意味がわかりません。

 

 あんなボロボロなと言って、捨てていたはずのマフラーを、もっとボロボロになるまで着けていました。意味がわかりません。

 

 

 嫌いになっていないわけがありません。嫌われていないわけがありません。嫌っていないのなら、お母さんが、あんなに優しいお母さんがあんなふうになってしまったわけがありません。嫌われていなければおかしいのです。意味が、わかりません。

 

 

 

 嫌われていると思っていたから諦めていたのに、もう無理だと思っていたから考えないでいたのに、頭の中がぐちゃぐちゃになって、いやな気持ちがぐるぐるします。わたしのことを嫌いになったのでなければ、わたしの悲しみは、苦しさは、なんだったのでしょうか。わたしが悪いことをしたから、わたしがお母さんに嫌われるようなことをしたから諦めていた、辛い気持ちは、一体なんだったんでしょうか。

 

 

 お母さんが嘘をついていたんだと、そう思いたくなります。わたしのことを嫌っていたと思われたままだとなにか不都合なことがあって、そのためにわたしに嘘をついているのだと、わたしを混乱させることか、わたしを騙すことが目的なのだと、そう考えたくなります。

 

 

 

 

 そうなのだと、自分の中で決めてしまって、やっぱりもうなるべく関わらないようにしようと、これから外出する時はちゃんと気をつけて出かけることを決めて、渡されたメモ帳の切れ端を捨てる。

 

 もしかしたらそんなふうに、してしまっていたかもしれません。実際に思考はそちら側に片寄って、信じたくないと、信じられないと、強く思ってしまいます。

 

 それなのに、お母さんの言っていることが本当なのだろうと思ってしまうのは、わかってしまうのは、お母さんがあの日捨てたはずのマフラーをつけていたからです。わたしがお母さんに喜んでもらいたくて作って、お母さんを怒らせることになってしまったあのマフラー。着けてもらえずに捨てられてしまったはずのマフラー。

 

 それが見えたことが、それを残していたことが、それを着けて外を出歩いていたということが、それをまだ大切に使ってくれていたことが、お母さんの言葉を真実なのだと裏付けます。

 

 嫌っている相手からの、一度捨てたプレゼントなんて、わざわざずっと使うわけがありません。それなのに使っていたということは、そういうことなのでしょう。

 

 

 ならなんで、わたしはずっと怒られていたのでしょうか。

 なんで、わたしは何もさせてもらえなかったのでしょうか。

 なんで、わたしは普通にご飯を食べさせて貰えなかったのでしょうか。

 なんで、わたしと話してくれなかったのでしょうか。

 なんで、わたしに笑顔を向けてくれなかったのでしょうか。

 

 なんで、なんで、なんで。疑問が湧き出ます。嫌われていたから、わたしが悪いからと無意識にしまい込んできた不満が、悲しみが、怒りがドロドロとわたしを満たします。

 

 

 ぐちゃぐちゃで、気持ち悪くて、吐きそうな気分です。こんな気持ちになるくらいなら、なにか聞く前に電話がかかってきてくれればよかったのにと思ってしまいます。こんな気持ちになってしまう自分自身が嫌で、嫌で嫌で嫌で仕方がなくなって、ここにいたくなくて仕方がなくって、突然お兄さんの顔が思い浮かびます。

 

 

 お兄さんなら、何とかしてくれるかもしれません。お兄さんがいれば、こんな嫌な感情を追い払えるかもしれません。

 

 お兄さんがいてくれれば、きっと安心できます。きっと落ち着きます。そばにいてくれるだけで、幸せな気持ちになれるはずなんです。

 

 

 早くおうちに帰りたくて、今すぐ帰りたくて、帰ることしか考えられなくなって、何も考えないで袋の取っ手に腕を通していた袋だけを持って、走ります。今すぐお兄さんに会いたくって、少しでも早く帰るために、息を切らしながら走ります。

 

 

 走って、ようやく着いた家の前。すぐにでも入って、お兄さんの顔を見て安心したいけれど、今の自分をお兄さんに見られるのは嫌なので、少し我慢して呼吸を落ち着けます。

 

 浮かんでいる汗をハンカチで拭いて、ボサボサになってしまった髪を手ぐしで軽く整えて、最低限身だしなみを整えます。お兄さんの前で、意図的ではないだらしなさを見せるわけにはいきません。内心のぐちゃぐちゃがあるので、表情はいつも通りにはなっていないと思いますが、最低限わたしらしさを保てるくらいには取り繕って、玄関を開けます。

 

 

「おかえり、すみれちゃん」

 

 

 お兄さんの、明るい声が聞こえます。座っている位置の関係で、空きっぱなしになっていた扉の関係で、玄関を開けて直ぐに顔が見えたお兄さん。その安心たるや、わたしの中に渦巻いていた嫌な気持ちのほとんどが、すぐさま塗りつぶされてしまうほどのものです。

 

 その顔を見ただけで、安心出来ました。その姿を見るだけで、落ち着きました。その声を聞くだけで、楽になれました。

 

 

「ただいま帰りました、お兄さん」

 

 

 こう返したわたしの言葉の中には、おかしなところはなかったように思えます。もちろん、明るく元気いっぱいに言った訳ではありませんが、最低限普通に返すことは出来ていたはずです。

 

 

 

 そのはずなのに、お兄さんはわたしの姿を見て、声を聞いた瞬間に、のんびりした雰囲気を一気に捨ててしまいました。わたしの未熟な気の使い、隠しておこうなんて言う思惑は何の役にも立たずに、お兄さんに見破られてしまいました。

 

 

「すみれちゃん、何かあったのかな?」

 

 

 お兄さんは、何かに怒っているのでしょうか。いつもよりも冷たくて、どこか真剣な話し方です。わたしの様子が、きっとおかしかったからでしょう。わたしがある程度いつも通りを飾れると思っていたそれは、お兄さんにとってはこの上なく幼稚なものだったのでしょう。

 

 その事がわかったので、完全に諦めて、お母さんと偶然会ったことを、その時にした話の1部をお兄さんに伝えます。勝手にお兄さんの話をしてしまったこともありますから、逆にお兄さんに物事を伝えることに対しては何も抵抗がないです。

 

 さすがに全部の話を覚えていられたわけではありませんが、大体のことは伝えられたと思います。お母さんが電話の用事で去っていったこと、お兄さんに会いたくて走って帰ってきたことを伝えると、お兄さんはわたしの頭を優しく撫でてくれました。

 

 

「そっか。おかえり、すみれちゃん」

 

 さっきと同じ言葉なのに、うれしいです。受け入れて貰えている感じがして、胸が温かくなります。あんなにあったドロドロが、全部わからなくなります。

 

 

「すみれちゃんが帰ってきたいって思うなら、ここが君の家だよ。だから、安心して」

 

 

 そう言われて、わたしは自分でも気付いていなかった不安に気付きます。お母さんがわたしを嫌っていないのに追い出したのなら、お兄さんだってそうするかもしれません。そんな不安を、わたしが自覚するより先にお兄さんは解いてくれました。すごくて、なんだかちょっとずるいと思ってしまいます。

 

 

 お母さんに対して怒るでもなく、わたしをただ憐れむのではなく、安心感を与えてくれるお兄さんの傍は、やっぱり心地いいです。ずっと、ここにいたいと思ってしまいます。

 

 でも、だからこそ、今の心地いい、不思議な関係から、もっとちゃんとした関係に、一度変化をつけるべきなのかもしれません。最初に話した、わたしが楽に死ぬためのお小遣い稼ぎなんて関係は、もう終わらせてしまった方がいいのでしょう。

 

 

 

 ただ、今はまだこの温かさに浸っていたいと思って、こんな大事な話を後回しにしてしまいます。だめだとわかっているのに、後回しにしてしまいます。やっぱりわたしは、悪い子です。

 

 

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