無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
目が覚めると、すみれの布団の匂いに包まれていた。正直なところ寝足りないが、このままこの布団で二度寝をするのも、少し罪悪感というか、気まずさのようなものを感じるので起床。時間は、日曜日の朝にしては少し早めなくらいだ。
僕はよく眠れなかったのに、ふにゃっとした表情でまだ眠っているすみれの寝顔を見る。寒いからだろう、布団で繭のように包まって、あたまだけがでている。
無防備で柔らかそうな頬を突っつきたくなる衝動を、起こしてしまったら可哀想だと理性を総動員することで耐える。年頃の少女の寝顔をじっくり眺めて、無遠慮に触れるなんて、許されるようなことではないからだ。
ずっと見ていると我慢できなくなりそうなので、ほどほどで引き上げて朝ごはんの準備にかかる。昨日の夕食に引き続き、たまには僕が用意しても構わないだろう。
卵とベーコンがあったのでカルボナーラ風トーストをひとまず一人分作り、すみれが起きてくるかを確認する。深い眠りについているのか、全く起きる気配がないので先に食べてしまうことにした。
すみれの布団を畳んで場所を作り、座卓の上を片付けてスペースを作る。比較的長めに焼いたため、カリッとしたトーストに半熟の卵が染み込んで、ベーコンと胡椒の香りが食欲をそそる。匂いにつられて起きてきたりしないかなと少し期待して見てみるが、まだまだぐっすり眠っている。
食べ終わって、皿の片付けをしてもまだ寝ているため、朝食は起きてから作ればいいだろう。それほど時間がかかるものでもないため、すぐに作ってあげることができる。
片付けを済ませて、暇つぶしにスマホでゲームをする。まだまだ眠っているすみれをそのままに、気がついた頃には頃にはお昼前。さすがに心配になって、呼吸しているかの確認をする。
規則正しい呼吸音は聞こえるし、顔の前に手を置くと鼻息もあたる。となればただ寝ているだけだと思うのだが、これまでこんなに長時間眠っているのは見たことがない。
「すみれちゃん、そろそろ12時だけど、まだ起きないの?」
さすがにそろそろ起こした方がいいかと思い肩を揺らそうとして、首から下が完全に布団の中に収まっていることを思い出す。仕方がないので推定肩を揺らしながら声をかける。
あーとなーとおーの中間みたいな鳴き声を出しつつ、眉間にキュッと皺を寄せてから、すみれはゆっくりと目を開いた。
「……ぁれ?おにいさん?……おはようございます……」
ぽやぁんとした顔のすみれにおはようと挨拶を返して、その目に知性が戻るのを待つ。
「っ!!ごめんなさいお兄さん!すぐに朝ごはんの準備します!」
10秒ほどでいつも通りになったらしいすみれは、窓から差し込む光と僕の姿を見て、ガバッと跳ね起きる。朝ごはんはもう食べたし、時間もお昼だと伝えて、止まってもらうと、すみれはしゅんとした様子で僕のベッドに座り込んだ。
「そんなに落ち込まなくてもいいよ。それより、よく眠れたかな?」
お昼まで寝ていたくらいで、少し過剰なまでに落ち込むすみれに、聞くまでもないだろう質問をかけてみる。こんなに沢山寝ていたのに、よく眠れなかったなんて言うはずもないだろう。
案の定はいと言って、ついでに少し顔を赤くしながら目を背けるすみれ。寝坊してしまったことが、それほど恥ずかしかったのだろうか。ちょっと強引に話を変えて、朝ごはんには何を食べたのかと聞いてくるすみれに、カルボナーラ風トーストだと答える。
「……おいしそうです……わたしも食べたかったのに」
ちょっと恨めしそうに、なんで起こしてくれなかったのかと聞いてくるすみれに、あまりにも気持ちよさそうに寝ているから起こすのが忍びなかったのだと伝えると、次からは絶対に起こしてくださいと言われてしまった。
「本当にお願いします。自分の力で起きれなくて、お兄さんに迷惑をかけるようなことはなるべくないようにしますが、お兄さんの朝ごはんを作れないことの方が、わたしのお仕事ができないことの方が大変なんです」
「……ねぇ、すみれちゃん。すみれちゃんがいつも頑張って、真剣に家事をしてくれていることは知っている。楽しそうに話してくれるから、いやいや義務感でやっているわけじゃないこともわかってる。でもね、そこまで執着するのは、ちょっとおかしい事だと思うんだ」
昨日に引き続き、やけに“仕事”にこだわるすみれ。ここまでの執着を見れば、さすがの僕でも何かおかしいことくらい気が付く。
「他にやりたいことだってあるはずなのに、全然手を抜かないのはすごく偉いと思うよ。僕がお金を渡す代わりにって頼んだことだから、その分働かないとって意識には素直に尊敬する。でも、他にもなにか理由があるんじゃないかな?」
もし何も無くて、単純に約束のためだけにここまで執着しているのであれば、もうこんな関係は終わりにしてしまった方がいい。もとよりすみれが生きる理由を見つけるまでの繋ぎだ。
「…………お兄さんにご飯を食べてもらうのが、好きなんです」
「お兄さんに、美味しいって言ってもらえたら、それだけで幸せなんです」
「お兄さんが、わたしがつくったもの以外のものを美味しいって言うのが嫌なんです。お兄さんの食べるものは全部わたしが作りたいんです」
「お兄さんに頼られたいです。お兄さんに褒められたいです。わたしがいないと何も出来なくなるくらい、お家の中のことは全部やりたいんです」
そう思っていたのに、ぽつぽつと伝えられるのは、そんな言葉。ひどく純粋で、歪んでいて、重たい感情。あまりにも予想外な回答に驚くが、当初の僕の目的だった、すみれの生きる理由を見つけるというものは、知らず知らずのうちに達成できていたらしい。もう死のうとしていないことはわかっていたが、それよりも進んでいたことは、僕がその理由になれたことは、少し嬉しかった。
「そっか。それならすみれちゃん、僕からも伝えたいことがあるんだけど、いいかな?」
すみれは小さく頷く。きっと、ずっと欲求を、本心を隠していたすみれの告白に、僕も真摯に答えなければならない。
「すみれちゃんとの最初の約束なんだけど、本当は僕は、君を死なせるつもりなんてなかったんだ。死なせたくないと思って、時間稼ぎのために話をもちかけた」
当然、それが失敗したら責任をもって看取るつもりでいたことも伝える。
「だから、すみれちゃんがやりたいことを見つけて、死ぬつもりが無くなったのなら、僕にとってあの約束のそれ以外の分はどうでもいい。休まず毎日完璧に働かなくても家から追い出したりしないし、多少のお小遣い位は渡す。そもそもあの話をした時には、すみれちゃんは何も出来ない前提での条件だったし、さっきの話を聞く限り僕がそう言ったから明日から何もしなくなるなんてことも無いでしょ?」
「そこで、ひとつ提案があるんだ。今までの約束、家事の代わりにお金を渡す関係、誘拐犯と虐待児の関係じゃなくて、ただ一緒に暮らそうって約束、お互いに相手のことを思って協力して生活する関係を、新しく作らない?」
要は、変に形にこだわるのはもうやめて、これからは同居人ではなく家族として一緒に暮らしませんか、というお誘いだ。言い方が多少迂遠で、聞き方を変えればプロポーズの言葉にも聞こえるような、小っ恥ずかしい言い方だが、意味さえ伝わっていればきっと断られることは無いだろう。これで断られたら僕はもう羞恥で死ぬしかない。
「わたし、普通の子じゃないです」
知っている。すみれが普通の子だったら、きっと僕が声をかけることは、家に連れて帰ることは無かった。
「わたし、重たい子です」
知っている。知らなかったけど、先程聞いてその重さは十分理解している。
「わたし、わがままばかりの悪い子です」
知らない。すみれはこれまでほとんどわがままなんて言わなかったし、むしろ足りていないくらいだ。悪い子だと感じたことも、今まで一度も無い。
「それでも、お兄さんはわたしと居てくれますか?絶対に捨てないで、離さないで、ずっとそばにいて、家族になってくれますか?」
そうしようと、そうなってくれと頼んでいるのはむしろ僕の方なのだ。
「そうしたいから、お願いしているんだよ。僕と家族になろう」
返事の言葉はなかった。ただ、ひとつの温もりと、小さな嗚咽が腕の中にあった。