無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい   作:エテンジオール

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若い男女が2人きり、何も起こらないはずも……(裏)

 着きました。どこにでもあるような、普通のアパートです。どこにでもと言えるほど世の中のアパートを見てきた訳ではありませんが、普通のアパートです。

 

 そんなアパートの階段を上って2階に行き、一番手前にあった部屋がお兄さんの自宅だそうで、いらっしゃいと言いながら玄関を開けてくれました。

 

 

「おじゃまします……」

 

 お兄さんに言いながら家に入り、サンダルを脱ごうとしたところで足が汚れていることに気がつきます。さすがにこんな足で部屋を踏み荒らすわけにもいきませんから、サンダルを履いたままたっていると、お兄さんが横をするりと通り抜けます。

 

 

「それなりに汚れてもいるみたいだから、先にシャワーでも浴びる?」

 

 

 お言葉に甘えてシャワーを浴びさせてもらうことになりました。サンダルを脱いで、玄関のすぐ近くにある浴室に案内してもらいます。着替えまで用意して貰えるようです。至れり尽くせりですね。

 

 教えてもらった通りにシャンプーやボディソープを使い、シャワーを浴びます。トリートメントはないのだと謝られましたが、そもそも使ったことがないので問題はありませんでした。シャンプーを使っていいと言うだけで、十分すぎるほど幸せなことです。

 

 

 冷たい水が、泡を流します。どこかで引っ掛けたらしいキズに沁みて、ちょっとだけ涙が出ます。やっぱり痛いのは苦手です。

 

 

 

 体温をあまり奪われないように、最低限の水で全身を流します。わたしが使っていた石鹸よりも泡立ちがいいからでしょうか、いつもより多めに水を浴びて、体が震えます。

 

 

 浴室から出ると、丁寧に畳まれたタオルとジャージがありました。ほつれや汚れも見えなくて、肌触りもいいです。とてもじゃないけれど、わたしが着ていいものだとは思えません。

 

 下着だけは着けていたものを身につけ、軽くて柔らかくてすべすべなジャージを着ます。裾をまくって、袖をまくって、長さを合わせます。ダボダボですけど、いい匂いがして嬉しいです。

 

「ああ、上がったんだね。ところでご飯なんだけど、何なら食べれるかな?」

 

 

 その格好で洗面所を出ると、お兄さんは部屋の片付けをしていました。好き嫌いなくなんでも食べれると言うと、わかったと言って冷蔵庫に移動します。

 

 所在なく立ちながら、本当は辛いものが苦手だと言っておけばよかったかなと考えていると、冷凍庫から出したタッパーをレンジに入れたお兄さんがお椀を片手に戻ってきました。歩く邪魔にならないように、横にずれます。

 

「ん?ああ、ごめんね。そこのクッションに座っててくれるかな」

 

 指し示されたのはかなり大きなクッションです。人が一人、十分に横になれるだけの大きさがあります。ありがたく座らせてもらうと、びっくりするほど体が沈みこみました。これがクッションならわたしがこれまで使っていたものはただの布切れです。

 

「どうぞ。熱いから気をつけてね」

 

 このまま寝っ転がってしまいたい衝動を堪えつつお兄さんを見ると、その手にあったお椀をわたしに差し出していました。

 

 ありがたく受け取ると、本当に熱いです。両手で包み込むように受けとってしまったため、手の全面から熱が伝わってきます。

 

 

 急いでテーブルの上に置くと、お兄さんは苦笑いをしてごめんねと言いました。そして冷蔵庫横の棚から食器を持ってきます。

 

 

 そのままそれをわたしの前に並べて、ちょうどなったレンジにタッパーを取りに行きます。わたしはその間所在なく待ってるだけです。申しわけないです。

 

 お兄さんはご飯と煮物を置いて、食べれる分だけ取り分けて食べていいと言うと、自身はシャワーを浴びに行ってしまいました。湯気をあげる食事がわたしの前に残されます。

 

 

 これは、本当に食べていいのでしょうか。いいと言われたからいいのでしょうが、そんな疑問が湧いてきます。

 

 

 けれど、そんな思いも匂いを嗅いだら消えました。こんなに美味しそうな匂いがするものを前にして、我慢などできるはずもありません。

 

 

 茶碗に、小皿に移して、煮物の肉を口の中に放り込みます。醤油の香りが口に広がるのと同時に、舌に熱が襲いかかりました。

 

 思わず吐き出したそれは、真っ白いお米の上に着地しました。冷やそうと慌てて水を探しますが、手元になくどこにコップがあるのかもわからずでどうしようもありません。

 

 仕方がないので舌を出してパタパタしましたが、あまり効果があるとも思えませんでした。

 

 

 少しの間、そんなことをしていると多少よくなってきたので、ヒリヒリする舌で食事を再開します。今度はちゃんと、少量を取って冷まします。美味しいです。冷ましてもまだ温かくって、冷えた体に染み渡ります。舌がばかになってしまったのでそこまで味はわかりませんでしたが、それでも美味しいです。

 

 

 ずっと空腹を訴えていた胃に、丸一日以上ぶりに食べ物を詰めます。普段は食べたそばから冷たくなっていくのに、今日は温かくなります。熱いのに、舌も痛いのに、食べる手は止まりませんでした。

 

 

 温めてもらったものを半分ほど食べたところで、お腹がいっぱいになりました。残してしまうのは申しわけないですが、これ以上食べると牛の真似をすることになりかねません。

 

 取った分を全部食べ切り、一息つきます。温かいからか、お腹がいっぱいになったからか、不意に眠気が襲ってきて、クッションに倒れ込んでしまいます。体が沈み、フィットするのが気持ちいいです。

 

 ぼんやりとした頭で部屋を見渡します。あまり特徴のない部屋です。ものはほとんど置いていないし、内装にも統一感がありません。機能性だけを見て、適当に集めたらこのようになるのでしょうか。

 

 お兄さんのシャワーの音も聞こえるので、防音性もあまり高くないのだと思います。たぶん、わたしが悲鳴でもあげれば隣の部屋に聞こえるでしょう。

 

 そう考えると、縛り付けて監禁されることはあってもバラバラにされて換金されることはなさそうです。

 

 となると、お兄さんがわたしに求めているのは体でしょうか。おもちゃに向いているとも思えませんが、多少は需要があるのかもしれません。

 

 いい死に方も教えてくれると言われましたし、最後の晩餐に素敵な料理も頂きました。その対価と考えるなら慰み者にされることにも忌避感はありません。

 

 

「……ぉ、おにいさんっ、ご飯、ありがとうございました」

 

 なるべく痛くないといいなあなんて考えながらぼんやりしていると、お兄さんがシャワーから上がってきたので、お礼を言います。背中をぴんと伸ばして座り直し、しっかり頭を下げます。

 

 完全に油断しきっていた姿を見られたのが恥ずかしいです。わたしの顔は赤くなっていないでしょうか。

 

 

「どういたしまして。量は足りたかな?多かった分は残しておいてね。後で食べるから」

 

 そう言いながらお兄さんはベッドに座り、わたしにもう食べないか質問してから自己紹介をしてくれました。

 

 

 今更ですが、わたしはご飯を食べさせてくれて、きっとこれから自分のことを慰み者にする相手の名前すら知らなかったのです。

 

 それほどおかしなことでもないのかもしれませんが、なんだか少し寂しく思いました。お母さん以外の、初めて話した人で、このまま何事もなければ最後に話した相手になる人です。

 

 知りたいし、わたしのことを知ってもらいたいと思ってしまいました。わたしがいたことを、わたしの存在を、覚えていてほしくなったんです。わたしのことを嫌っているお母さん以外の心に、残りたくなってしまったんです。

 

 

 それを自覚すると、言いたいことが沢山できてしまいました。どれから言えばいいのかも分からず、思い出したこと、思いついたことをそのままその場で話します。

 

 

 きっと、わたしの発言の多くは、整合性も取れずに聞き流されてしまったでしょう。それでも、わたしは言いたいことを伝えられましたし、お兄さんが教えてくれた雑学はとても面白かったです。

 

 

 おおよそ思い浮かぶくらいの身の上話を済ませて、わたしはお兄さんにたくさんのことを伝えました。わたしの半生どころか9割を伝えて、感情の面ではお母さんよりもわたしに詳しいと言っていいかもしれません。

 

 

 

 

 

 そうして話しているうちに、時間は経ってしまいます。時計の針が一回転して、のども乾いてしまいました。お兄さんにもらったペットボトルの水を飲んで、一息つきます。

 

 

「……えっと、あとは……ぁ、ごめんなさい、ずっと話してたらご飯食べらっ、食べられる時間が無くなっちゃいますよね」

 

 

 しばらくヒリヒリしていた舌もすっかり良くなって、もっともっと話したいと思ったところで、不意に自身の背後にある残ったご飯を思い出しました。

 

 

 あんなに温かくておいしかったのに、きっともう冷めてしまっています。すごく悲しいですし、寂しいです。

 

 

「ああ、大丈夫。お腹もそんなに空いていないし、出来たてが冷めたらちょっと寂しいけど、冷凍していたものなんて温め直せばいいだけだからね」

 

 

 もっと話したいことはいくらでもあります。けど、お兄さんのご飯の時間を奪っていい理由にはなりません。温め直せばいいとは言っていますけれど、そんな必要はない方がいいんです。

 

「でも、気にかけてくれたことは嬉しいよ。ありがとう。でもそうだね、時間も遅いからそろそろ食べることにするよ」

 

 わたしが申し訳なく思っていると、お兄さんはありがとうと言ってくれました。お礼を言われるようなことは何もしていないのになぜだか心がとっても温かいです。

 

 

「嫌じゃなければベッドは使っていいから、眠かったら寝ちゃってね。多少物音はすると思うけど、それだけは我慢して」

 

「それじゃあおやすみ」

 

 お兄さんはそう言うと、食器を重ねてキッチンへ行ってしまいました。話すことがなくなったら初体験を迎えるのだろうという、わたしの想定とは異なります。

 

 

「……っ、え、その、おやすみなさい……」

 

 予想外の事態に、わたしが言えたのはそれだけでした。先程まで話していた時はだいぶスムーズに話せるようになっていたのですが、またつっかえてしまいます。どうやら、わたしは緊張や突然の事態に弱いようです。

 

 少しして、頭の混乱が治まったので、ベッドに移動します。クッションほどではありませんが、柔らかく沈み込み、包んでくれるような優しさです。爽やかな香りは、消臭剤のものでしょうか。

 

 本当に使っていいのかわかりませんが、ベッドに横たわって、その上に置いてあったタオルケットを被ります。暖かくて、柔らかくて、くしゃみも出ません。

 

 

 寝心地が良すぎるのが逆に落ち着かなくてモゾモゾしつつ、もしかしたらこの後に襲われるのかもしれない、でもそれなら先に寝かせる必要も無いなんてことをぐるぐる考えます。

 

 起きていた方がいいのでしょうか、それとも、寝入ったところを襲いたいのでしょうか。まさか何もしないなんてことは無いでしょうし、悩みます。

 

 

 

 どうするべきなのか悶々としている間に時間は過ぎて、お兄さんが戻ってきました。

 

 

 これはもう、求められているシチュエーションとか考えずに、全てなるようになると、諦めることが正解なのでしょうか。

 

 ぐるぐる考えながら、気分はまな板の上の鯉です。実際に食べたことはありませんし捌いたこともありませんが、せいぜいピチピチしてやろうと思います。

 

 

「おやすみなさい」

 

 

 そんな内心をよそに、お兄さんは何もすることなくクッションに体を委ねてしまいました。

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