無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
※今後、苦手な人にはとことんきつい展開が出てくると思います。無理のない範囲でお楽しみください。
嫌な知らせ1
「灰岡くぅん、ちょおっと話すことがあるんだけど、いい話と人によっては嬉しい話、どっちから聞きたいかなぁ?」
いつものごとく粘度の高い喋り方の上司青柳がから、突然呼び出しを食らって向かったのは小会議室。数人で話し合いをする時や、小さなグループでの誕生日会などの催しで使われる以外には、他の人に聞かれてはいけない話をする時くらいにしか使われない部屋だ。
「そうですね、その二択であれば、いい話から聞かせていただきたいです」
そんな部屋での、先程の質問。最終的にはまず間違いなく喜ばしくはない話だろうから、せめて一時でも気分を上げておかないとやってられない。
「そっかそっかぁ。おめでとう!灰岡くぅん。君の成績、スキル、将来性および人格、その他もろもろを加味した結果来年度の君の昇進と昇給が決まった」
それは、いいことだ。ただ一つ解せないのは、それを今伝えたこと。もっと適切なタイミングで伝えるべきであろうこのことを、こんなふうに伝えたのには、なにか理由があるはずだ。
「それで、もうひとつの話なんだけどねぇ、君も知っているように、近頃ウチは海外企業との提携もしている。その中で〇〇に一人派遣しないといけなくなったんだけど、ウチだと通訳が要らないのは私と、君と、溝櫛ちゃんだけなんだよねぇ」
上司の青柳は、しゃべり方はこんなんだが優秀で忙しい人だ。たとえ一時的であっても居なくなられたら大変だろう。
溝櫛は優秀だが、まだ一年目。仕事も覚えきってはいない状態だ。海外で突然働くのは無謀だろう。
そうなると、適切なのは一人前とギリギリ呼べて、該当業務に親しんでおり、オマケに言葉の問題もない都合のいい人材のみ。
「というわけで灰岡くぅん、ちょっと急だけど来月の頭から2ヶ月、〇〇に出張してもらいたいんだぁ。手当とかは多めにつくし、季節外れのバカンス感覚で行ってきてくれないかなぁ?」
幸福ですかと聞かれた時に、ずっと昔の僕であれば、
今の僕であれば、間違いなく自分を幸福だと言い切れる。家に帰れば出来たてのご飯が用意されていて、毎日大切な子と共に過ごせて、その子は大切な家族、妹みたいなものだ。たまに距離感が家族としてのそれを逸脱しているような気がしないでもないが、まあそんなことは些細な問題だろう。
その生活が普通のことになってきて、その生活が当たり前のことになっていて、僕は忘れていたんだ。
僕の生活は、僕らの生活は、少しも普通のものなんかじゃなかった。誰にも知られてはいけなくて、誰にも知られていなくて、だからこそ何にも守られていない、ひどく脆いものなのに。
「わかりました。現状の引き継ぎ次第、準備に入ります」
僕に返せる返事は、YESしか残されていなかった。
出張、それも2ヶ月だ。僕の住んでいるアパートは会社が一度借りた上で家賃補助をしているため、解約して戻ってきてから別のアパートを借りることになるか、大家さんに話を通して確保しておいてもらい、帰国後に再契約するかになるだろうか。少なくとも、借りたまま2ヶ月置いておくというのは無理だろう。
そうなると、どうしてもすみれは住む場所がなくなってしまう。いや、仮に部屋をそのまま残せて、電気ガス水道代を払って貰えたとしても、2ヶ月間もすみれを一人にするのは心配だし、そんなに寂しい思いはさせたくない。
連れていければそんな心配はなくなるのに、安心して一緒にいれるのに、連れていくことも出来ない。存在しない人は、飛行機に乗って国から出ることはできない。
なら、今から戸籍を取ればいいのか。無理だ。数年かけて取れればいい方で、取ろうとしても生涯獲得できないままの人だっている中で、たった二ヶ月で取れるわけがない。
僕は、すみれを置いていかなくてはいけないのだ。そしてそのことを、他の誰でもない自分の口から伝えなくてはいけない。
そのことが、ひどく憂鬱だった。今朝、いつものかわいい笑顔で送り出してくれたあの子に、今日の晩御飯はお兄さんの好きなハンバーグですと教えてくれたあの子に、そんなことを伝えなくてはいけないのが、悲しかった。
すみれは、この話を聞いたらどんな反応をするのだろう。怒るだろうか、悲しむだろうか、取り乱すだろうか。どの姿も、見たくなかった。すみれに辛い思いなんて、させたくなかった。そんな姿は、見たくなかった。
「お兄さん、おかえりなさいっ!」
全く集中できないまま、気がついた頃には就業時間が終わっていて、家に帰っていた。同僚からなにやら声をかけられた気もするが、記憶に残ってはいない。電車に乗ったり歩いたりした記憶も朧気なのに、ちゃんと家に着いたのは帰巣本能だろうか。すみれがしっかりと迎えてくれているということは、連絡もしていたのだろう。習慣とは恐ろしいものだ。
自分が家に帰ってきたということに、まだ認識が追いついていない頭でただいまを伝えて、誘導されるままに荷物を手渡す。いつもなら笑顔のすみれだが、今日は心配そうな表情を見せている。僕の様子がおかしいのは、この数秒で見抜かれてしまったらしい。最初から隠そうとしていない、というよりは、隠すという発想すら出てこなかったが、僕の表情はだいぶ素直らしい。
「お兄さん、何があったんですか?」
僕のカバンをその場において、手も洗っていない僕の手を掴んで引っ張って、半ば無理やり座らされたのはいつものクッション。並べられた食器の前で、出来たてのハンバーグの匂いがする中で、僕はすみれに問いただされる。
「そんなことより、さ。先にごはん食べない?話はそれからでもいいんじゃないかな?」
我ながら、情けないことだ。嫌な話を少しでもあとに回したくて、ここまで聞かれたのに先送りにしようとしている。すみれの保護者として、家族として、情けない限りだ。
「……お兄さんの悩みが、今日のご飯よりも軽いものならそれでもいいです。そんなことって言えるくらい軽いものなら、食べ終わってからゆっくり話しましょう」
横に座って、じっと僕の目を見つめながら顔を見上げるすみれ。誤魔化そうとしていた僕には、痛い言葉だ。
優しく叱るような、諭すような言葉。僕にまともな母親がいて、真剣に僕のことを考えてくれる機会があったのなら、きっとこんな気持になったのだろうか。簡単に誤魔化そうとしたことが申し訳なくて、でもすぐに打ち明けたくもなくて、その真摯な視線に負けて折れる。
せめて晩御飯の後までは伸ばしたかったが、先に視線を逸らしてしまったのだから仕方がない。いや、そもそも玄関で気付かれた時点でダメだったのだろう。
「ごめんね、すみれ。僕が間違っていた」
この謝罪は、誤魔化そうとしたことへのもの。心配をかけたくせにそのまま後回しにしようとしたこと。
「そして、ごめんね。来月の頭から2ヶ月、海外に出張に行かないといけなくなった」
この謝罪は、どんな理由があるにせよ、ずっと離れないでそばにいるという約束を、破ることへのものだ。
1700文字くらいの初期構想の内、前話までの部分って三十文字分だけだったんですよね()
すみれちゃんの暴走で構想半分くらい壊れちゃったけど最初書きたかったのはむしろここから先だったり(╹◡╹)