無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
大学を卒業して、燐さんは少し離れたところにある企業に就職していった。これまで通りそれを追いかけて、私もそこに就職した。近すぎるといけないから、私は事務職。基本的には、仕事中に燐さん、先輩と関わることは無いだろう。
先輩の交友関係を見張るのにちょうど良くて、先輩を狙う馬の骨共を品定めするのにもちょうどいい。近い方が色々わかりやすいとは言え、近すぎるとそもそも先輩が狙われなくなってしまうので、このくらいの距離が適切だ。
たまに一緒に飲みに行く程度の距離感。先輩に興味を持った人間なら、まず間違いなく接触してくるだろう。私はそれを見定めるだけでいいのだ。我ながら、いい位置取りをできたと思う。
燐さんが一人暮らしを始めても、最低限関わりを持っていたから、情報は十分にある。それに、燐さんの信頼の向け所としては、私以上のところもないだろう。
その信頼の高さから、私は燐さんに不釣合いな人間が近付こうとした時に、自然に警戒するように仕向けることが出来るのである。燐さんを一番不幸にしたのは間違いなく私だが、燐さんを一番魔の手から護ったのも、同時に私であることは間違いない。
そんなふうに燐さんを守りながら、少しの時を過ごして、燐さんはこれまでとは比べ物にならないくらい、優しくて落ちついた様子を見せるようになった。茉莉ちゃんを失ってからはずっと、どこか陰がある様子が残っていたのに、纏う空気が柔らかくなったのだ。
動物でも拾ったか、なにかか弱いものを保護したのだろう。もしかしたら女性かもしれないが、それなら年下で頼りない感じの人だろうか。
他の人には分からなかったとしても、燐さんへの執着をこじらせてきた私からしてみれば容易にわかるくらいの変化。茉莉ちゃんに頼られていた時のそれに似ていることから、守らなくてはと思っているに違いない。
程々のタイミングで確認しないといけないと考えつつ、燐さんが幸せそうならそのままほうっておいた方がいいのかなとも思いつつ、けれど誰よりも幸せになって欲しい人の変化を、適当に見送る訳にも行かない。
先輩の家の前に張り込んで、何処の馬の骨ともしれぬ少女がいることはわかった。けれども、私は車を持っていなかったから、その行先までほ分からなかった。
だから、偶然そこで出逢えたことは、ただの幸運に過ぎなかった。
就職して、実際に対価を貰った上での労働というものを経験して、私は自分の知識量に不満を覚えた。
直接その知識が必要になる仕事では、ない。けれども、それを知っていることでより効率よく、より正しくに仕事をこなせるようになる知識があって、それが図書館で貸し出されているくらいには公共的なものだった。
いくつもの資料を、無料で閲覧できて、それが直接役に立つものだった。
それならば、私が用事のない時に、読みたい本を借りに行くというのは、どこまでも当然で、当たり前のことだったのだ。
そんな日課の中で燐さんを、それにくっついている少女を見つけられたのは、幸運としか言いようがないだろう。他の場所にも、いくらでも行先の候補地がある中で、私がそこに行ったタイミングで、ちょうどそこにいた。
ある意味で、運命と言われても否定できないくらいには、偶然が積み重なったことだ。燐さんが出入口付近の窓際に居なければ、私がそこを通らなければ、出会うことのなかった偶然。
けれども、どれほど偶然が重なったものであったとしても、実際に起こったことだけが現実なのだ。
たくさんの偶然の末に、私とすみれちゃんは出会った。すみれちゃんのそのあり方に、茉莉ちゃんのそれを重ね合わせて、無事でいて欲しいと思った。
燐さんを襲うろくでもないものの一つだと思っていたのに、話せば話すほど、知れば知るほど、すみれちゃんこそが燐さんの相手にふさわしい子だと思えるようになった。
そのあり方が、茉莉ちゃんに近かった。燐さんとの向き合い方に、誰よりも燐さんを幸せにしようとする、燐さんの幸せを求める心意気を感じた。
自分よりも燐さんのことを考えていて、それを最優先にしている、あるいは自分のことを最低限に考えながら燐さんのことを考えている。
そんな、自分の存続を考えて然るべき人間らしい性質を持ち合わせていないこの子になら、自分のことよりも他の誰かを優先できるこの子になら燐さんのことを任せられる。
先輩に変な絡み方をしながら見極めたすみれちゃんは、私にとって合格点以上のものを見せてくれた。この子が成すことであれば、燐さんのために動くことならば、きっと、どんな事でもプラスに変えてくれるのだろうと思わせてくれるくらいの、善性があった。
自分のことをネグレクトしていた親のことを優しいお母さんと称せる子供だ。自分が捨てられることを、最後の親孝行と話せる子供だ。その自己肯定感の低さに関しては、少々問題もあったが、ほかの女狐共とは比べ物にならないくらいの、優良物件である。
擦れてしまった燐さんに対して、擦れていないのに献身的なすみれちゃん。素晴らしい組み合わせで、きっとこのふたりなら幸せになってくれるだろうという、淡い期待があった。本当なら、そのまま現実になってくれていたはずの、淡い期待があった。
年齢を知って、その性格を知って、期待するに足るべき子供であることがわかった。話を聞いて、健全な関係であることがわかった。
ならば、私がやるべきことは、この二人がやがてなすべき形に収束することを見ることだけだった。
それだけのはずだったのに、この少女は、すみれちゃんは、茉莉ちゃんと同じように、どこまでも私好みの性格をしていたのだ。
半ば無意識のうちに、すみれちゃんにお誘いをかける。 それが自分の癖によるものだとわかっていても、気がついた頃にはことを進めていた。
そしてそれと同時に、自分のしてしまったことへの後悔が、懺悔の意思が私を包み込む。何度も吐きながら、後悔した自分の性質が、結局のところ変わっていなかったのだと、他ならぬ自分の言動によって示されてしまったのだ。誰よりも燐さんの幸せを願っているはずの私が、燐さんを幸せにしてくれるであろう人に、邪念を抱いてしまったのだ。
ああ。私はきっと、反省も後悔もしたけれど、治せないのだろう。きっと最初から壊れていて、茉莉ちゃんのことで自分が壊れていることを自覚しただけで、治るだけの余地を残していないのだろう。
どうしようもなく、壊したくなった。ぐっちゃぐちゃになって、絶望して、終わってくれる姿が見たくなってしまった。
それは、ダメだ。それだけは、ダメだ。それを認めてしまえば、私は茉莉ちゃんへの行為を認めることになる。何よりも認めては行けないそれを、認めることになってしまう。
何よりも、先輩の幸せを祈っていた。そのはずなのに、すみれちゃんの不幸を願っていた。
自分はそのままでいてはいけないのだと反省した。すみれちゃんの不幸を願ってはいけないのだと、理性はずっとそう主張し続けてくれた。
それなのに、そのままで進んでくれなかったのは、私がすみれちゃんのことをビンタしてしまったからだ。溢れ出る魅力に抗うことが出来ずに、ずっとずっと前からビンタしたいと、めちゃくちゃにしてしまいたいと思っていた相手に対して、ちょうど理性が緩んだタイミングで機会があったから、ビンタしてしまった。
おもちみたいに柔らかくて、とっても魅力的なそれを、無遠慮に、思いっきり叩きたくなったのだ。普段は止めてくれる理性も、お酒のせいで働いてくれなかった。