無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
ビンタした瞬間、すごく気持ちが良かった。かわいいかわいいすみれちゃんに、か弱いか弱いすみれちゃんに、暴力を振るうのは快楽だった。ずっとずっと我慢していたから、その開放感もあいまってきっと私はだらしない顔をしていただろう。
驚いたような、困惑したようなすみれちゃんの表情。すっごくかわいくて、もう一度したくなってしまう。
その余韻に浸っている暇もなく、先程まで職務放棄していた理性が途端に働き出す。
私は今何をした?すみれちゃんにビンタをした。
私にとってすみれちゃんは何?先輩を任せられる、かわいい妹分。
ビンタの影響は?これまで築き上げてきた信頼関係の喪失、高確率で私の本性がすみれちゃんや先輩にバレることになる。
血の気が引いているのがわかる。自分の行動が、これまでの全てを台無しにしてしまったのだと理解出来る。
何とかリカバリーができないか、自分でもわけのわからない言い訳を捲し立てながら、考える。
虫がとまっていたことにする?緩んだ表情の理由が作れない。
酔っ払って、おかしくなっていたことにする?自分の暴力性を隠すことは出来ない。
関係が、壊れてしまう。幸せが、消えてしまう。唯一そうならない道があるとすれば、すみれちゃんが全く気にしていない場合だろうか。
そんな未来、あるはずがない。どこか冷静な部分で、そうわかっているにも関わらず、私は限りなくゼロに近い可能性にかけようとして、そこでようやくすみれちゃんの頬が赤くなっていることに気がついた。
手当をしないといけない。急いで冷やさないと。そう思って動いたら、すみれちゃんの体が怯えるように小さく震えた。その目に浮かぶのは、恐怖。
これは、もうダメだ。リカバリーは不可能だ。この目は、自分のことを危険に晒すものを見る目だ。ABCの目と、同じものだ。
これが見えてしまった以上、私がすみれちゃんから信頼を得る未来はありえない。すみれちゃんは私に対して恐怖を抱くだろうし、そうなってしまえば全てが無に帰ってしまう。
その認識をして、それが意味することを正しく理解して、私は絶望しなくてはならなかった。自分の失敗に、これまでの努力が無に帰ることに、絶望しなくてはならなかった。
そのはずだったのに、私が感じたのは諦めだけだった。
自分のあり方と比べて、ほとんど心配していなかったすみれちゃんのことを心配するでもなく、これから頑張って信頼関係を築き直そうとするでもなく、もう全部どうでもいいやと、やりたいように、好きなように振舞ってしまって、その中でいちばん気持ちいいものを探そうとおもってしまった。
自分が怪我をさせてしまった少女の前で、その子を心配するよりも先に保身を考えるような人間が、普通を手に入れるだなんて、土台無理な話だったのだ。
すみれちゃんのことをビンタしても全く痛まなかった心が、自分の異常性を痛感した時には痛んだ。自分の努力が消えることは苦しいのに、すみれちゃんを甚振れることにひどく興奮した。
「……あーあ、やっちゃったなぁ」
諦めたら、楽になれた。
我慢する理由がなくなって、理由を失って、私はようやく自由になれたのだ。私をほぼ無条件で信頼してくれる、おもちゃを手に入れたのだ。
すみれちゃんを怖がらせるために、本心を、動機を、私の隠していた悪意をさらけ出す。バレた途端に取り繕うことをやめて、全部打ち明ける悪役など二流だと思っていたけれど、なるほどこれは気持ちいい。無邪気で無垢な信頼を汚して貶めることが出来るのだから、考えてみれば当然だ。
まだ状況を理解しきれていなくて、頭がまともに動いていなすみれちゃんを、ムチとムチで操る。妄想だけで留めていた、私の“好き”なことを実現する。足掻く姿が、藻掻く姿が好きだったから、無抵抗だといまいちそそらないのではないかと危惧していたが、特にそんなことは無かった。むしろ、保身のための無抵抗が、学習性無気力に転じるまで徹底的にいじめ抜きたいとすら思えた。どうやら私には、ただの加虐性も備わっていたらしい。
いじめることが気持ちよかった。怖がって、怯える姿に嗜虐心をくすぐられた。なんで、どうしてと責めるような言葉に胸がジクジクして、泣きたくなるのが気持ちよかった。気持ちよくなっているバチが当たっているような気がして、とても良かった。
沢山苦しんでもらうために、何でもした。暴力は当然、水責めもしたし、“傷物”にもした。後遺症が残るようなこと以外はやりたいことを好きなようにして、特に心は念入りにぐちゃぐちゃにしてあげた。
大事にしていた宝物を目の前で壊すところから始めて、壊されたのではなく自分の意思で壊したのだと思わせるために、苦しみから逃れる条件として自分で壊させたりもした。普通なら脅された結果や、暴力から逃れるための選択を自分の意思だなんて判断はしないだろうが、自責思考の傾向があるすみれちゃんならば自分の意思だと後悔してくれるだろう。悪いのは全部私なのに、自分が悪いのだと気に病んで、思い出す度に曇ってくれるだろう。私が見ることのできないその姿を想像するだけでも、手間暇かけて壊した甲斐があるというものだ。
ある程度ストレスを与えて、あと少しというところで、一度すみれちゃんに逃げるチャンスを与える。チャンス、と言っても、本当に逃げられるわけではなく、逃げる意思があるかのテストだ。何事もなければそれでよく、逃げようとするならちゃんと躾をし直す。
結果は、逃げられかけた。外そうとしてもギリギリ外せなくて、でもその痕跡だけは残るくらいにしておいたはずの手錠が外されていて、鍵や私物などもほとんど回収されていた。
早めに帰ったからよかったものの、すみれちゃんが大切にしていた本を別のところに保管していなかったら、きっと逃げられてしまっただろう。
ひとまず反省と焦り。自分の想定や、実際に用意した状況に対する見積もりの甘さなんかを反省がてら、少しきつめにおしおきをする。
その手段は、前半は純粋な肉体的な負荷。電気を流したり、ストレートに暴力を振るったり、様々な選択肢がある中で選んだのは、基本にして最も簡単な方法である肉体的な暴行。すみれちゃんが逃げることよりも優先して、結局見つけられなかった図鑑で、疲れて腕を上げるのが億劫になるまで殴って、すみれちゃんの反骨心を可能な限り削ぐ。
それをした上での、本番の後半。
多少油断があったにせよ、自分がすぐに助かることよりも優先された、美しい海の生き物図鑑。すみれちゃんの一番のお気に入りで、ほかのプレゼントと比較して一際大切にしていた一品。
それを使って苦しめられるのは、きっとすみれちゃんにとっては許容できないレベルの苦痛だろう。思い入れのあるものが、自らを苦しめるだなんて、私であれば受け入れられない。
そんな苦痛を経験させて、大好きだったものを恐れるようになるまでおもちゃにし尽くして、既に憎しみを覚えていた
肉体的な虐待だけではなく、自分の直近の安全よりも大切にしていたものを目の前で失ったすみれちゃんは、私が思っていた通りの、しっかりとした絶望に浸ってくれた。
すみれちゃんの不具に関しては少しやりすぎたと思ったものの、そこから先の流れに関しては、自分が怖くなるほど上手く進んだものだ。
しっかりと、すみれちゃんは自分の意思や自分らしさなんて呼ぶべきものをあらかた失って、ただただ私のために弄ばれるだけのおもちゃになってくれた。
それだけでも、私には十分すぎるほどだった。人を一人駄目にして、お人形で遊ぶように着せ替えて、餌やりをする。動かなくなった虫からはすぐに興味を失ったのに、ほとんど動かないすみれちゃんはどこまで行っても私のおもちゃだった。
もう手錠を外していても、逃げなくなったすみれちゃん。私の大切なおもちゃ。綻ぶような笑顔はもう見れなくて、そのことが心を痛ませたが、遊ぶ楽しさの前ではスパイスにしかならなかった。
そして、人生で最高の瞬間は終わる。